第17話「化かし化かして(後編)」
「幻十丸はお姉さま、あなたよ」
「なっ……!」
ぼろぼろのあやねに指さされ、驚いたのだろうたじろぐまち。顔を引きつらせながら、
「何を言っているの。あやね? 私が……『幻十丸』って証拠はどこにあるっていうの?」
「ふっ、証拠……? 決まっているわ。私がぴんぴんしていることが証拠よ!」
「えっ……? ど、どういうことかしら……??」
「本物のお姉さまの、強烈なハリセンなら……私の経験上、あと一時間は気絶しているはずよ!」
「なるほど!」
言われてみれば、そう通りと納得顔のすず。
その隣であやねのいじられっぷりは知っていた行人だが、今までどんだけまちに張り倒されてきたのだとドン引きしていた。
まちに化けた幻十丸もまちの暴虐っぷりにドン引きしていた。
「さあ、正体を現しなさい!」
「くっ……馬鹿な理由でボクの正体が見破られるなんて……」
どろんと変化の術を解くと煙の中から、茶釜に入った狸が姿を現す。
「観念したのかしら?」
『……いつか、いいことがあるといいね……?』
「よけなお世話よっ!」
狸に同情され、がぁーと怒鳴るあやねを尻目に幻十丸はポンポコォとため息をつくと、やれやれと肩を竦める。
『まあ、これで依頼は達成できたし、いいか……』
「……依頼……?」
『うん。まちっていう巫女相手におちょく……じゃなくて、化かしてこいってさ』
「……もしかして、依頼の相手って……士郎さん?」
『なんでそこで英霊さまの名前がでるの!?』
驚愕する幻十丸を尻目に行人が納得したように頷く。
「だって、まち相手にこんなこと頼む人なんて士郎さんくらいでしょ? たぶんだけど……修行をさぼるまちの稽古相手ってとこだろ?」
「行人、冴えてる!」
『むむぅ……確かにその通りだけど。ちょっと違うね』
「どういうこと?」
「そこからは私が説明しよう」
「士郎さん!?」
ガサガサと草むらから褐色の青年が姿を現す。
「士郎……いつからそこにいたのよ……」
呆れた口調であやねが尋ねる。
「何、大したことではない。君とすず君が釣りをしているところからだ」
「ほとんど始めっからじゃないっ!!」
「すごーい……私、全然気づかなかったよ……!」
「いや、すず。驚くところはそこじゃなくて……」
草むらに潜んで、釣りをする二人の少女を監視する青年。日本ならば通報されてもおかしくない行為に戦慄する行人。
「まあ、この話は置いといて。私から事情を説明しよう」
「……置いといていいのかなぁ。ってあれ? じゃあ、僕に稽古をつけていた士郎さんは誰?」
「あれは私に化けた南の主だ」
「お師匠さま!?」
「南の主って……」
「他にも北の主も幻十丸の説得をしてくれてな……まったく、ありがたいことだ」
「そうなんだ……」
島でも屈指の勇猛果敢で名を馳せる北の主・大牙と百戦錬磨の英霊・衛宮士郎に挟まれてOHANASIされた幻十丸に同情を寄せる行人とあやね。
「さて、話を戻すとしよう」
一連の騒動の主犯である士郎は、語りだしたのだった。
衛宮士郎は、悩んでいた。
自身の召喚者・あやねの姉であるまちの現状について。
竜神の巫女・まち。術者として類稀な才能を発揮して、幼少の頃に独学で数多の式神を従えることに成功した紛れもない天才少女。また体術も優れ、齢18歳にて心身ともに巫女としての最高位の頂に立つ。
だが、天才にありがちな話。
彼女は、才能がありすぎるばかりにこつこつと積み重ねていくような修行の類を苦手としている。士郎が注意してもその場ではきちんと修行をしているのだが、少し目を離すと集中が途切れて修行に身に入っていないのだ。彼女のさぼり癖はかなりの深刻なものでどうにかしてまちのやる気にさせるか思案していた。
そんな折、南の森へ所用で出かけ、その晩を南の森でしまとらと酒を酌み交わしながら相談する。
『巫女が修行に身が入らない?』
「ああ、どうすればいいだろう……」
武勇に秀でたしまとらは一考しつつ手にした酒を一口飲むと。
『強敵と戦えばいい。勝てないかもしれない相手との闘争は、どんな未熟者にも火をつけるはずだ』
「それは君のような強者ならそうかもしれんが……だが、それしかないか」
だが、相手はどうする。あやねか、すずか、それとも行人にするか。
『相手は……やはり同年代の者が特に望ましいがな』
「難しいな……」
『うむ……』
そこでふと、大牙の手が止まる。
『南の主や西の主ならまた違う相手を答えるやもしれん。他の主たちに相談したほうがいいだろう』
「やはり、そうなるか……」
まちの稽古相手の話はそこで終わり、酒を飲みながら世間話にかわっていく。仕舞には焼いた魚を食べながら士郎はあやねの駄目っぷりやまちの料理中の無駄を愚痴り、しまとらは嫁の愚痴などのぐだぐだな世間話に終始した。酒の回りいい感じに機嫌が良くなったところでしまとらの嫁が愚痴を聞きつけ、しまとらに襲い掛かったあたりでお開きとなった。
最強の称号を持つ『主』といれど、男は激昂した女房には勝てないのだ。
手を伸ばして必死にしまとらが助けを求めるも、生前の経験(特に男女関係)から激怒した女性には関わらないようにしている士郎は洞窟の奥へと引きずられていくしまとらに黙祷を捧げ、その場を後にする。
(しかし……あやね、すず、行人。この三人ではまだ相手としては未熟すぎる……)
やはり、まちという少女はこの島の中で飛びぬけた存在なのだ。
(同年代の人間に無理なら、島の動物たちならどうか?)
人語を理解し、優れた能力をもつ彼らならまちの相手をできるのではないか。
(主(ぬし)たち以外の交流はほとんどないからな。主(ぬし)たちに仲介を頼んでみるか……)
試行錯誤しながら歩いていると、目の前に特殊な霊力を帯びた石像が道端に立っているのに気が付く。
「これは……封印?」
士郎は解析の魔術を駆使し、目の前の石像を観察する。
(妖魔が封じられた痕跡があるな)
魔術を行使し、『鑑定』で調べると石像を基点とした妖魔を対象とした封印術。
作成時期はおよそ100年前。だが術の構成が脆い。外部からの衝撃や石像を崩すだけで封印が解かれる仕組みになっている。
「大方、10年20年ほど封印し懲らしめるための術式といったところか……」
人間では長い年月も妖魔にとっては大した時間ではない。封じられた妖魔は人間に害を為したが、軽いイタズラ程度だろう。
状況を幾つかシュミレーションしつつ、足で石像を崩す。崩れた石像から青白い閃光と煙が舞い、その中から一匹の狸が現れる。
『やっと封印が解けたー!』
茶釜の狸は全身で歓喜を表現する。
『くっくっくっ……この感情、どうしてくれよう……! 早速、人間たちを化かしておちょくってやる……!!』
「待ちたまえ」
『なんだい? ボクの封印を解いたお馬鹿な人間が……!』
二尾の狸・幻十丸が士郎に目を向けると、漆黒の短剣・干将を突き付ける士郎の姿が。
浮かれすぎていた。
幻十丸は目の前の黒剣から発せられる圧倒的な神秘に後ずさりする。今更ながら気づいてしまった。目の前の男は、自分を封印した巫女の先祖よりも遥かに格の違う存在なのだと。
(人間ではない? むしろボクたち妖魔……いや、それ以上の精霊に近い……ような……)
混乱する心を抑え込みつつ、何とか状況を把握するように努める幻十丸。だがそんな理性とは裏腹に生まれ持った野生の本能が告げている。
この男には、決して勝てないと。
「君の封印を壊したのだ。少々私の頼みを聞いてもらえないだろうか?」
『な、なんでしょう……』
幻十丸は恐る恐る尋ねるのだった。
「とまあ、そんなところだ」
「で、肝心のお姉さまは?」
『ボクが逃げたと思って気を抜いた隙に石像に化かしといたよ』
「へぇ~~~。後で、場所を教えなさいよ」
あやねはにぱぁっと邪悪な笑みを浮かべながら、幻十丸に詰め寄る。
『ふふふっ……いいともさ……!』
幻十丸も察したのだろう、にんまりと悪い笑みを浮かべていた。
「さて、あやね……幻十丸と戦ってもらう」
「やっぱり、そうなるのね……」
士郎の提案に検討をつけていたのだろう、あやねは驚く様子も見せずはあっとため息をつく。この英霊は何かあると稽古と実戦を持ち出してくる。今晩は絶対手の込んだ豪勢ものを頼んでやると意気込みつつ幻十丸に向き直る。
「お姉さまを倒したというその実力……この私に通用するのかしら?」
『ふふっ……変化の術だけが、ボクの得意分野だと思ったら大間違いだよ』
「勝敗は相手が負けを認めた、もしくは気絶した場合のみだ」
「ふふっ……退魔の巫女相手に妖怪狸が相手なんて、楽勝だわ……!」
『その、妖怪狸風情に君のお姉さまは負けたんだよ』
「つまり、あなたに倒せば……私はお姉さまより強いってことが証明される! さあ、あやねちゃん最強伝説の華麗なる1ぺーじとなりなさいっ!!」
言うが早い。懐から煙玉を取り出し、一気呵成に突撃するあやね。
幻十丸は茶釜から妖力を込めた葉っぱを取り出し、素早く変化する。
互いの煙が舞い、視界を塞ぐ。
小柄な体格と機敏なスピードを生かして、あやねは無駄な小細工をされる前に一瞬で勝負を決めるつもりだったがすぐさま横に跳び、煙幕から距離をとる。
(あやね……考えなさい。次はどう動く……!?)
幻十丸。変化の術で、人々に悪戯をする妖怪。
その真骨頂は変化で相手を惑わし、混乱させること。
なら、奴のとるべき最善手。
閃いたと同時にあやねの前に突然、凶悪な面構えの『河童』が現れる。
「やっぱり!」
あやねの最もトラウマを持つ存在に変化する。
頭の中でいくつかの候補を挙げていたおかげで、動揺は最小限に。
幻十丸からすれば、身を竦ませてもおかしくない『河童』の姿にビビらないあやねに最大限の警戒を寄せる。
(想像以上に精神が強固だ……英霊様に鍛えられていることはある。ならボクも、奥の手を使うまで……!)
幻十丸は咄嗟に頭の皿をあやねの顔目掛けて投げつけるとその場を後にして奥の森に逃げ込む。
「まちなさい!」
皿をガードしたせいで止まってしまい、姿を見失うあやね。
「どこにいるのかしら? お得意の変化が効かないと何もできないものね!」
挑発するが反応がない。油断なく周囲を見回すと草むらから小柄な人影がひょっこりと出てくる。
「あやね……?」
「お、お姉さま……?」
目の前でばったり目が合ったのは、幻十丸に敗れて南の森で石像にされたというまち。
(ふふーん、河童がだめなら次はお姉さま……同じ手がこの私に通用すると思っているのかしら……!)
即座に幻十丸の作戦を見抜いたあやねはまちの襟をつかむと、全力で背負い投げする。
「ひでぶっ!」
女の子にあるまじき悲鳴を上げると地面に突っ伏すまち。
「さあ、いい加減正体を現しさい、幻十丸!」
倒れた幻十丸と思わしき存在を指さす。だが変化は解かれることなくまちは、地面に倒れたまま動かない。
「…………あれ…………?」
おかしい。ある程度衝撃を与えたら、変化の術は溶けるはずじゃ……なら、この無様に倒れている姉はまさか。
「……あやね……?」
「は、はひぃ……!」
「これは、どういうことかしら……?」
地獄の底から響いているような恐ろしい声で、土まみれなってもなお可愛らしい顔に浮かぶのは。
「あやねぇぇぇぇっ!!!!!」
「ぎええぇぇぇっ!!」
『そうそう……ボクの変化の術って、術を架けたその相手を操ることもできるんだよ』
「うぎゃあぁぁぁぁっーーーーーーっ!!」
まちの怒りが半泣きになっているあやねにむかって爆発する。飛び散る血飛沫と絶叫。あやねの断末魔を聞きながら、幻十丸は嗤う。
『ボクの、勝ちだね』
一方、完全な部外者になった行人とすずは遅めの昼食をとる為、自宅に戻っていた。すでに家に戻っていたとんかつもまた、士郎たちの協力者だったのだろう。とんかつの相手をしながら行人は疲れたように息を吐く。
「やれやれ……なんか今日はずっとあやねたちの騒動に巻き込まれて大変だったなぁ……」
「でも、今日の行人って妖怪は存在しないんだーーーって叫ばなかったよね?」
「ああ、そのこと? その意見は変わらないけど士郎さんがさ、『この島の住民は理解でない存在を妖怪と呼び恐れ敬い、そして共存している。悪戯に騒ぎ立てをして島に不審の種をばら撒くような真似はするな』ってお叱りを受けてね……」
「じゃあ、行人には幻十丸はどういう風に見えたの?」
「どういう風にって……手品が得意なただの喋る狸でしょ?」
「……そうなんだ……」
妖狸をそういう風に捉えるのか……非科学的なことを信じない行人相手に超常的存在である士郎の苦労が偲ばれると苦笑しているすずはふと、あることを思い出した。
「ねぇ、行人。ちょっと聞きたいんだけどさ……」
「何、すず?」
「私のおっぱいって……そんなに魅力がないかなぁ……」
「……ナ、何ヲ、言ッテイルン、デスカ……」
急に片言で喋りだした行人は、おそるおそるといった様子ですずに目をやると。
「だって……」
すずはもじもじと頬を赤らめて恥ずかしそうに眉をしかめ、胸元を見下ろす。
「行人、わたしの胸を見ても鼻血を出なかったから……」
「そ、それは……!」
行人の頭の中で激しい警戒音が鳴り響く。
(まずい。何がまずいか分からないけど、何かまずい気がする……!!)
必至に思考を巡らすがいい考えが思いつつかない。無意識に二歩、三歩と後ろに下がる行人。
「大きくなったって今の服が着れなくなっちゃうだけだし……あやねみたいに小っちゃい方がいいのかなぁ……」
「そんなことはない!」
とっさに出た言葉に行人は顔を真っ赤にして驚愕していた。
(ボクは一体、何を言っているんだ!?)
混乱と羞恥でさらに赤くなっていく行人のそばで。
「行人……おっきいほうがいいんだ」
えへへっとほっとしたようなすずの笑顔に行人は見惚れてしまう。
そこまでが限界だった。鼻から溜りに溜まった血が吹き出し、急速に意識が遠のいていく。
(あれ、なんで裸じゃなくて……すずの笑った姿に鼻血を吹いたんだボクは……?)
その答えに至る前に意識は途切れたのだった。