第14話「勝利して」
「行人―っ! 頑張ってーっ!!」
「ぷーっ! ぷーっ!!」
『おっ、やってるね』
「あっ、からあげ! どうしてここに?」
いつの間にやら、すずの隣にいたのは白いずんぐりとした『にわとりらしき生き物』が。すずのお隣さんで幼少の頃からの知り合いであり、西の主・からあげ。
『いや、まあ……大牙クンとの一件以来、稽古をつけてるから気になっちゃて……それに、面白そうだなーと思ってね』
などと言い訳がましいことを話しながら行人とあやねの戦いの様子を観戦していたからあげは、うーんとうなりながら一言。
『うーん、このままだと負けるなぁ。行人クンは見事に士郎サンの策略に嵌まっちゃたなー』
「うにゃ? さ、策略……?」
『そう。相手の実力を発揮できないようにうまくやられちゃったねー』
からあげは混乱するすずにも分かりやすいように説明する。
武器の問題。
経験の問題。
勝敗を決めるルールの問題。
幾つもの問題が絡まって実力が発揮できず、勝機が視えていない行人の状況を。
「えっ!? ど、どうしよう……!!」
『まあ、なるようになるさ』
あわあわと動揺するすずを落ち着かせながら、からあげは少年がこの状況をどう打破するのか楽しみながら眺める。
『さあ、行人クン。君も男の子だ。この逆境をどう乗り越える?』
「はぁはぁ……っ、せいやぁっ!」
肩で息をしながら懸命に剣を振るう行人。戦い始めてすでに5分が過ぎ、戦況は時を経つ毎に悪化していく。剣の速度も徐々に衰え、額から汗が滝のように流れ、もたつく足元。表情に疲労の色を滲ませて荒い呼吸を繰り返す行人。
対して、あやねはは振り被ってきた剣先をあっさりと避けると疲労困憊な行人の様子を眺め、嗤いはますます深くなる。
(ついに体力も切れてきたみたいね。ここが攻め時っ!)
勝利を確信したあやねはこれまでの消極的な戦い方から一変して、身体を低くして行人に向かって突撃をする。
行人は一瞬、地面に目をやるとすぐさま二、三歩後ろに下がって構え直し、あやねを迎え撃つ。
「えっ!?」
走っていたあやねの姿勢が突然崩れる。驚愕の眼差しで下を見ると足元のぬかるみに足を滑られてしまっていた。
「うそっ!?」
「よしっ、やった!」
自分の武器を振り回すだけでは埒が明かない。そう考えた行人は隙を作るため、体力を使い切った振りをしながら剣を振り回して足場の悪い場所へと誘導していたのだ。
チャンスのはずがピンチを招いたあやねの一瞬の隙を突き、ここが好機と距離を詰めて行人は上段から剣を振り下ろす。
(やばっ!?)
内心、慌てふためきながらも無意識に懐に隠し持っていた『切り札』に手を伸ばすあやね。
「ていっ!」
懐に隠し持っていたのはお手製の煙玉。行人の足元に投げつけ、煙幕を使って渾身の一撃を放とうとする行人の意表をつく。
「うわっ!?」
「もらったわ!」
煙に紛れて行人の懐に詰め寄るあやね。
行人はあわててを目を閉じて後ろに下がるが、遅かった。
刹那の虚を突かれ、ふわりと身体が浮く感覚と共に地面に叩きつけらる。
「がっ!?」
受身も取れずに全身に衝撃が走る。目の前がちかちかと暗転を繰り返し、ふらつく頭を押さえながらもなんとか立ち上がろうとするが、再びあやねに胸倉と腕を捕まえられ、投げ飛ばされる。
「ぐぁっ……!!」
二度の投げ技の衝撃でめちゃくちゃになったかのように身体のすべてが悲鳴を上げる。肺が狂ったかのように呼吸ができなくなり、意識が徐々に遠のいていく。
(負けた……のか……)
喜び勇んで「やった! やったわー!」と喝采を上げるあやねの声子聞きながら、もう一度立ち上がろうとするが身体を起こすどころか指先にさえ力が入らない。行人は後悔と悔しさが滲みつつも、静かに敗北を受け入れようとしたその時。
声が。
薄れゆく意識の中で声が……聞こえた。
懸命に。
祈るように。
家族のように大切にしている人の声が。
「ぃ、と……行人! 行人!! 負けないでっ!!」
すずの声が。
すずの叫びが。
負けないでと。立ち上がってと。
声高らかに、叫んでいる。
「…………はぁっ! がぁっ、はあぁぁぁぁ……!!」
大地に転がり、全身が土塗れになりながらも行人は叫ぶように息を吐きだす。
ままならなかった呼吸を整えて。息を吐く。
震えが止まらず、指先に力が入らない。
全身から汗が流れ落ち、服を濡らして肌に張り付く気持ち悪い感触。
頭はガンガンと頭痛が迸り、視界が霞む。
体中の関節という関節から尋常ではない激痛が走り、内臓がひっくり返ったかのような嘔吐感が湧き出てくる。
まさに最悪の状態。
敗北必至の状況において、行人はパニックになりかけていた思考が落ち着きを取り戻す。身体が満足に動けない。だが……この状況には、『慣れ』ていた。
剣の師である祖父や父の稽古や色々な『訓練』で心身ともにギリギリまで追い込まれ、その度に何度も経験しているこの感覚。
ならば、この状況で何をするかも熟知している。
息を吐く。吐く。吐き続ける。
そしてゆっくりと肺に染み渡るように吸い込む。今まで指先さえ動かすのが億劫だったのに、微かにでも少しずつ力が戻ってくる。傍に落ちていた剣を震える指先で手繰り寄せる行人。
呼吸を整えながら剣を支えにして、がくがくと笑う膝に活を入れて何とか起き上がる。
「はぁ、はぁ……まだだ! まだ、負けない……!!」
勝ったと喜んでいたあやねは驚いた様子で行人を見つめている。
「えっ、ちょ、ちょっ、嘘でしょ!?」
追い詰められ、後がないこの逆境が行人の思考の処理速度が加速にする。
まずは、状況の整理だ。
勝利条件は相手を屈服させること。
敵は自身の圧倒的な体力と頑丈さを十全に使って自分を翻弄し、不得意な超接近戦を挑んでくる。
どこを狙う。どこを攻める。どうやって勝てばいい。
長剣を使用している状態では肉薄されば、自分では対処できない。相手に近づかれないように戦うしかないのだが……というかそもそも。
この柔らかい刃ではあやねの強靭な肉体を打ち破って敗北を認めさせることができない。
ならばこんな武器は『不要』だ。
その事実に気づいてから行人はなぜこんな武器でぺちぺち戦っていたのかバカらしくなり、手にしていた長剣をあやねに向かって思い切り投げつける。または血が上ったとも言う。
「えっ!?」
まさか今まで手にしていた武器を投げつけると思わなかったあやねは完全に硬直したが、咄嗟に手をかざして飛んできたソフトエアー剣を弾く。
これであやねの動きを止めた。
もう腕は震え、身体はぼろぼろ。足もがくがく。
あと一撃ぐらいしか攻撃はできないだろう。
ならば、驚愕のまま動きを止めたこの瞬間こそが最大の好機。
体力の全てを注ぎ、この一撃で決着をつける。
一撃必殺の覚悟で突っ込む行人。
「おおおおおっ!!」
踏み込みんだ足に、力が篭る。
拳を握りこんだ行人があやねに襲い掛った。
(まずい! まずいわ!!)
勝利の浮かれていた状況から一変し、この状況はまずい。
肉薄する行人から逃れ、体制を立て直すため、あやねは懐から予備の煙球を使おうとするが間に合わない。最後の反撃と体を振りかぶってくる行人の姿を見た瞬間に殴られる、と覚悟を決めて目を閉じてしまった。
だが、予想していた衝撃はやってこない。
恐る恐る目を開くと、行人の姿がどこにもいない。
(どこ、どこに行ったの……!?)
あわててを周りを見渡そうとした瞬間、首に腕が捲かれたと思ったら猛烈な勢いで絞められる。
「えっ!? あ、ぐっ、ぐうぅぅぅっ!!」
あわてて腕を剥がそうとするが完全に締まって外せない。混乱する思考と呼吸できずに霞がかかっていく意識の中、行人がフェイントと使って自分の後ろに回りこみ、首を絞めていることを理解する。
(ま、まずい……い、意識が……!!)
視界がぼやけ、掴んでいた手に力が抜けていく。意識が暗闇に堕ちそうな瞬間。
「そこまで。勝負ありだ」
行人の腕を外し、脱力したあやねを支える士郎の姿があった。
「ううっ……あとちょっとで、あとちょっとで勝てたのに……!」
とぼとぼと肩を落として歩く敗者と。
「よかったね! 行人!!」
「い、痛いってば!」
ぼろぼろの姿ですずに支えられながら歩いている勝者があった。
『しかし、士郎サンもなかなか悪辣な真似をするね』
「なに、仮初とはいえ主の勝利を望んだまでのことだ。しかし、まさか貴方がここに来るとは意外だったな」
『そう?』
「そういえば、すずの家の隣だったか……彼に、稽古をつけていますね?」
『あ、わかる?』
士郎とからあげが何やら話し込んでいる。そこに士郎が行人に声を掛けた。
「ああ、そういえば行人君。今日はよく頑張ってくれたな……約束の大福と冷奴を明日から用意する」
「ほんとっ!?」
「ぷっ!」
「そして明日から行人君と約束した稽古をしようではないか」
「は、はいっ! よろしくお願いします!!」
「こちらこそ。よろしく。明日が楽しみだ」
「はい……って、ん?」
「なに、あやねは未熟者とはいえ私にとっては不肖の弟子のような存在。この借りは必ず返すとしよう」
「えっ……ちょ、ちょっと待て……!」
「わーい、大福大福!」
「ぷー、ぷー!」
「ちなみに……敗者のあやねにはこの悔しさを糧にできるよう、明日から練習量を倍に増やすかな」
「えっ!? ちょ、ちょっと待って……!!」
わーわー言い合いながら、道を歩いていく。
今日も藍蘭島は平和です。
日も沈んだ夕暮れ時。
平和なはずの藍蘭島のとある家の中で。数多の戦場を駆け抜けた百戦錬磨の英霊・衛宮士郎は今、かつてない窮地に追い込まれていた。
「士郎、今日は一緒にお風呂に入りましょうか」
「……待て、これはどういうことだ……?」
困惑しながも士郎は巫女服に手をかけたあやねに待ったをかける。
「士郎、どうしたの?」
不思議そうに首を傾げながら、するすると袴を脱ぎだすあやねの服を掴む士郎。
「? あの決闘で土塗れになっちゃたからね。服を洗うついでに一緒にお風呂に入りましょうよ」
「そこが、まずおかしい。なぜ男女で入る必要がある?」
「なんでって、士郎は私の『式神』なのよ。つまり……家族のようなものだからお風呂を勧めるのは当然でしょ?」
「私を家族とまで認めてくれるのはありがたいが、男女が共に風呂に入るのはその、なんだ……どうかと思うぞ?」
「一緒に話をする。一緒に遊ぶ。一緒にご飯を食べる。一緒にお風呂に入る。一緒に寝る……そうやってお互いに知り合って、信頼していくんじゃないの?」
「……君の意見は、間違っていない。確かに、『正論』だが……この場合深まるのは『友情』ではなく、『男女の仲』だ。君の思っているものとは少し……違う」
「? えっ、それって同じでしょ??」
「いや……その、だからだな……」
「親睦を深めるのに裸の付き合いが一番じゃない! 何もかもさらけ出すことで今よりさらに深い仲になれるっているのに士郎はじれったいわね! そこまで言うなら、何が違うっていうのよ!」
「いや、だからだな……」
「折角、色々お世話になった恩返しに背中でも流そうと思ったのに……!」
「いや、これはその……!」
いつの間にか『全裸』になって詰め寄るあやねをなんとか説得しようとする士郎。
彼はまだ知らない。
彼のスキル・『心眼』が察知した受難が、今まさに始まったということを。
一方その頃。
「はあはあ……つ、疲れた……」
「行人、大丈夫?」
「はは、さすがにもうくたくただ……汗まみれだし、先にお風呂に入ってくる」
行人はそう言うと浴室に向かう。
服を脱衣所で脱ぎ終え、筋肉痛と打撲の痛みに耐えながえらゆっくりと桶にお湯を入れて身体にかける。
「っ! く、くは~、効くなぁ……!」
「行人~。大丈夫?」
「う、うん。平気……って、えぇっ!?」
すずの声がやたら近くで聞こえるなと思い、振り向くと全裸のすずが心配そうにこちらを見下ろしていた。
「す、すず……さん? な、なぜここに……??」
「だって行人、怪我だらけだから身体を洗うのを手伝おうかなぁって……」
「そ、そう……」
13歳とは思えない豊満な肢体を隠そうともしないで心配そうに見つめるすずに、「大丈夫だよ」の一言が言おうと口を開くが限界まで酷使された身体が悲鳴を上げ、脳が沸騰する。
「そ、そうだ……今日の行人、すごくかっこよかったよ!」
頬を赤らめて嬉しそうに話すすず。行人は……もはや限界だった。何が限界だったか理解できないまま鼻から大量の鼻血が噴出し、あたり一面を血に染めていく。
「い、行人~っ!」
あわてて風呂の中に沈んでいく行人を抱きあげるすず。
血を失い、急速に遠のく意識の中でふにょんっと柔らかい『何か』に包まれるながら行人は思う。
(今日、あやねに勝てたけど。すずには、負けたんじゃないか……)
それがどういう意味なのか分からぬまま、行人は意識を手放したのだった。