<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.34278の一覧
[0] 紅をまとった蒼 (魔法使いの夜 SS)[中村成志](2012/07/17 20:43)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[34278] 紅をまとった蒼 (魔法使いの夜 SS)
Name: 中村成志◆53f4cf1b ID:9fdaa5ea
Date: 2012/07/17 20:43



          紅をまとった蒼










目を開けると、鏡の中だった。



ああ、これは夢だ、と、即座に分かった。
だって私は、《本物の》鏡の中に、入ったことがある。

どこかの馬鹿のせいで、無理やり落とされたのだが、そこでは、こんなに自由に動けなかった。
濃い霧、深い森、おどろおどろしい建物、ヘンテコな登場人物。
一歩あるくのも難儀なほどの、濃密な空気の中、どれほど苦労をしたか。


比べると、ここはまるで天国だ。
なにも、無い。
右も左も上も下も、背後も。
ぜんぶ、虚無の闇に覆われている。

風景があるのは、ただ一方。
目の前に張られた、大きなガラス板の向こう側だけだ。

鏡の向こう側も、また、鏡の国だった。
ちょっと、笑ってしまう。
その風景に、充分すぎるほど、見覚えがあったからだ。


ミラーハウス。
それこそ、壁も床も天井も、すべて鏡で作られた、反射の迷宮。
鏡は、所どころ曇ったりひび割れたりしているけれど、
なお見る者を、偽りの無間地獄に誘う。

そうか、もうすぐ一年経つんだ。
あの、鬼ごっこから。


私にもアイツにも、決して愉快とは言えない記憶。
私は、アイツを殺すため、この迷宮に誘い込んだ。
「正々堂々、理由を告げてから」
なんて理屈を付けたけれど。
『狩り』なんてものは、どんなに正当化しようが、それは強者の論理でしかない。
狩られるほうにしてみれば、そんな論理など、欺瞞以外の何物でもないだろう。
まだ、理由も知らずに、いきなり殺される方がマシかもしれない。

そしてあのとき。
確かに私は、その狩りを、楽しんだのだ。


夢とはいえ、嫌なことを思い出させてくれるわ。
苦笑しながらも、後悔が無いことを、自分の胸に確認する。
そう。間違っていたとは、思わない。
私は、そうしなければならなかったのだから。



     カン カン カン


足音が、ふたり分、響いてくる。
時折、青い閃光と、爆発音が響く。
どうやら、あの時の顛末を見せつけられるらしい。
私は、ため息とともに、視点を定めなおした。
後悔は嫌いだけれど、過去を見つめることを、厭うつもりは無い。


(はっはっはっ―――)

息を切らし、体を鏡の壁にぶつけながら、アイツが走ってくる。
額は傷だらけ、服はボロボロで、体のあちこちにも血が滲んでいる。
こんなになりながら、よく避け続けられたわね。

まるで、記録映画を見るような気楽さで、私はその風景を観賞する。
だって、結末を知っている。
最後の瞬間、予期しなかった邪魔が入り、そこから、私とアイツの人生は、大きくクロスするのだ。

私の目の前までアイツが走ってきたとき、ひときわ大きな魔弾が、その横で発火した。

( ―――!! )

光は壁に被弾するなり爆発する。
……へえ。
アイツ、あれを避けた。
今のは、間違いなくアイツの後頭部を捉えていたはずだ。
なのに、それが被弾する直前、アイツは頭を振って、直撃を避けた。
気づかなかったけれど、アイツのバケモノじみた反射能力・身体能力を、私はあの時から見ていたんだ。

しかし。
避けた勢いと、爆発の衝撃は、アイツを反対側の壁に叩きつけた。

(痛……!)

呻いて、アイツが床に倒れ込む。
砕けたガラスの壁に、肩と後頭部だけを預けて、そのまま動かない。
視線は、天井にある、星形の窓に。
……何を、見ているんだろう。
その、アイツに似合わない、諦めたような捨て鉢な視線が、なんだか気にくわなかった。


足音が、近づいてくる。
赤いスカート、黒のタイツ、長い髪。
膝まであるロングブーツ。
衣服越しでもはっきりと分かる、青い光を浮かべる右腕。
言うまでもない。
《 私 》だ。

そのブーツのヒールは、アイツの目の前まで近づき、止まる。


(ギブアップ?)

直接的な物言いに、我ながら苦笑する。
ここまで追い回しておいて、確認することでもないだろうに。

(―――じゃ、殺すけど。
 死ぬの、怖くないの?)

(怖いに決まってる。なにより痛そうだ)


不満げに口をとがらすアイツに、思わず吹き出してしまった。
《 私 》も、なんだか毒気を抜かれたような顔をしている。

さて、この直後に、姉貴が差し向けた人形が……


(でも)

けれど、そこで初めて、アイツは、私の記憶に無い言葉を紡ぐ。

(まあ……蒼崎と、―――有珠に殺されるなら、いいかな)


……。
なによ、それ。


―――気にすることは、ない。
このあとの、遊園地の騒動で、似たようなことを言ってたし。
しょせんは夢だ。
多少は、台詞も混ざろうってもんだろう。


その言葉を聞き、《 私 》も口を開く。

(―――無駄な時間だったわね。
 結局、こうなるのなら、一年前に殺しておけばよかった)

え?


(無駄なんかじゃないぞ。
 この一年間、俺は本当に楽しかった。
 町を……この世界を、嫌いにならないでいられたのは、君たちのおかげだよ)

ちょ、っと。台詞が違……
一年、 って、なに?


真摯な言葉に、《 私 》は、眉一本動かさず。
代わりに、右腕を上げる。
その指は、アイツに。
魔術刻印が、ますます輝くのが、わかる。


(……なにか、言い残すことは?)

まて。ちょっと、まちなさい。


(有珠に、よろしく。それと)

アイツは、もう見慣れた、いつもどおりの笑顔を浮かべて、


(蒼崎。
 俺はやっぱり、君のことが好きだよ)

―――――― な。


(さよなら、草十郎。
 最後だから言うけど。
 ……私も、ちょっとだけアンタのこと、好きだったわ)

指先に灯る、青い光。
待って、冗談でしょう?
このままじゃ、ほんとに……


(ま、止め――――――!!!)

私は、《 私 》に向かって、懸命に手を伸ばす。
次の、瞬間。



     ぱんっ



なにか、水風船でも割れるような音がして、
私の視界は、唐突に切り替わった。

私が手を伸ばした先に、《 私 》は居らず。
代わりに、微笑みを浮かべた、アイツの唇が、あった。


………………
くちびる、だけ。


それより、上は、無い。

それより上にあったものは、

今は、

赤いのや、黒いのや、白いのや、ピンクっぽいのになって、
壁に、床に、天井に、
ぶちまけられていた。


( ――― え? )

思わず、右手の人差し指を、他の指でさする。
かすかに残るしびれは、間違いなく、魔弾を発射した感触。


私は、一歩、下がっていた。
よろめいたのか、何かから逃げたかったのか、
分からない。

それが合図のように、


     とさり


と、アイツだったものが、壁からずれて、床に転がった。

赤い、ぬるぬるしたものが、私のヒールにまで、這ってくる。
その、ぬるぬるを、目で追おうとして。


私は、自分の体を、視界に納めた。

私の全身にも、付いていた。

あかいのや、くろいのや、しろいのや、ぴんくっぽいのや、


私は、慌てて両掌で、自分の顔をこすった。
―――ついてる。

アイツが。


( ……あ )

アイツが、粉々になって、液体になって、わたしの、かお、に


(あ、ああ、や、やややや、あ―――)

私は、べっとりと、いろんな色に染まった、両の掌を、呆然と見続けて



(あ、あは、は。や、ああ、い、や
 ………………いや!
 いあだ!!
 や、やあ、やああああああああああああっっっああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ




















ああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!っっっ             あ……?」


青子は、居間の真ん中で、立ち上がって、絶叫していた。



「あ、あ――― 」

のろり、と。
ぐるり、と、周囲を見渡す。


久遠寺邸の、居間。
目の前のテーブルに、茶器。
一人。
窓から、かすかな光。

五感からの情報に、脳が追いつかない。
わたしは、いま、なにをやって、いたんだっけ?


今しがた、大声を出し続けたことを証明するように、喉がひりひりと、いがらっぽい。
そんな、かすかな痛みを、ぼんやりと追っているうちに、
唐突に、『あの光景』を、思い出した。


「 !!!!!!! 」


慌てて、自分の体を、見る。
顔を、掌でこする。
その両掌を、凝視する。

―――ついて、ない。

なにも、どんな色彩も、付着していない。
見えるのは、蝋のように青白い、自分の皮膚。


     ぽすっ


ソファに、腰掛ける。

いや、膝が耐えきれなくなって、尻餅を付いたら、たまたまそこに、ソファがあったのだ。



「は、はは」

とりあえず、笑う。

意味は、無い。
どんなことでも、きっかけがないと、車輪は回転しない。
思考を始めるために、とりあえず、今の心持ちから、一番遠い動作を行った。
それだけだ。


転がり始めた、重い車輪に沿って、青子は、思考し始める。
現状把握。
たしか、わたしは……


そう、昨夜は、有珠の講義に熱が入って、
明け方までそれが続いて、
そのまま自室で、その復習を続けていて、
昼過ぎに、ようやく疲れを覚えて、居間まで来て、
お茶を入れて、それから―――

……それ、から、


カップに触る。
冷え切っている。
窓の外は、薄暗がり。
ということは、今は夕方か。
明け方の可能性もあるが、それなら、いくらなんでもその前に、同居人が起こしてくれるだろう。

足下に落ちている、毛布を見る。
誰かが―――たぶん、アイツが、かけてくれたのか。


もう一度、テーブルに目を向ける。
カップに漂う水面が、唐突に、喉の渇きを思い出させる。
持ち上げようとして、

「 ! 」

みごとに、ひっくり返してしまう。
手が震えている。
指に、力が入らない。

ポットから、お茶を注ぐ。
注ぐより、こぼれる方が多かったけれど、なんとかそれを終えて、カップを両掌で掴む。
震えで、またこぼれそうになる。
口の方からカップに近づき、喉を鳴らして、冷めたそれを飲み干す。


「 ~~~~~ 」

もう一杯。
もう、一杯。
ポットの中身が空になるまで飲んで、
飲み終えて、
カップを握りしめたまま、頭を両膝の間に、埋めた。


「 く くく……く 」

うつむき、歯を食いしばって、体の芯から湧き上がってくる、悪寒を耐える。


だいじょうぶ。
あれは、夢。
なんにも、起こっていない。

魔術講義に、いつも以上に身を入れすぎたせいだろう。
ちょっと、それに引きずられただけ。


     かち、かちかち かちかち


震えで、歯が鳴る。
鳥肌が、収まらない。

目を閉じ、
包むように握りしめたカップに、精神を集中し、深呼吸をくり返す。


大丈夫。
夢は、夢だ。
その証拠に、私はだんだん、この現実に、馴染んできている。
あと1分、いや、30秒もこうしていれば、悪寒も去り、
わたしは、いつもの私に……





     ばたんっ


何かを叩きつけるような、音がする。
あれは……玄関のドアを開ける、音?


     カッ カッ カッ カッ


靴音が、こちらに近づいてくる。
聞き慣れた、規則正しい、性格を表すように几帳面な。
でも今は、慌ただしい、緊張感に満ちた―――



……うそ、でしょう?

なんで。なんで、来るのよ、こんなときに。
こんな、最悪の時に。



来るな。

あとほんの少し、あと数呼吸のあいだ、待ってくれればいい。
今は、いまは、ダメだ。
今、この状態で、あの顔を見たら……


     カツ カツ カツ カツ


なのに、足音が、急速に近づいてくる。
ロビーにつながるドアを開け、廊下を走って、この、居間、に


くるな。
来るな来るなくるなくるなくるなくるな―――


     がちゃっ


居間のドアが、弾かれるように、開く。



「どうした、蒼崎!!」

「来るなああああああああぁぁぁっっ!!!!」




青子は、振り向きざま、声のする方向に、持っていたカップを、思い切り投げつけた。


     ぱんっ


その白磁器は、妙に軽い音を立て、少年の額に当たり、


「 っ! 」


突進を止めた彼の周りに、飛び散った。



「 ………………あ 」

振り下ろした手もそのままに、青子は、草十郎の顔を見つめる。

足こそ止めたが、少年はよろめきもせず。
一瞬、背けた顔も、もとどおり、前を向く。


その額からこぼれる、一筋の、血。
それを拭おうともせず、否、気付こうともせずに、少年は、青子を見つめた。

額から流れる血が、頬を伝わり、顎から、床のカーペットに滴り落ちる。


その、赤が。
砕け散った、マイセンの白が。
さきほどの、ミラーハウスでの光景に、重なって。
くちびるだけで、わらう、その顔に、かさなって。



「蒼崎」

「ひいいいいっっ!!」



一歩、前に進んだ少年から逃れるべく、青子は後ずさる。
後ろにあったテーブルに足を取られ、仰向けにひっくり返る。
茶器を飛び散らせながら、それでも這って後退を続け、反対側のソファの背に、阻まれる。


「い、いや!くるな、来るなあっ」

蒼白に、いや、土気色になりながら、必死にかぶりを振る青子。
普段の彼女からは、想像も出来ない、その混乱。
これほどまでに拒絶されている、自分の立場に、草十郎は呆然とする。


「 …… 」

が、少年は、数瞬考えただけで、再び歩を進める。

いつも、太陽のようにまぶしく、正しい、蒼崎青子が、これほどまでに取り乱している。
たとえ、原因が分からずとも、
たとえ、その原因が、自分にあるのだとしても、
こんな状態の彼女を放っておけるほど、静希草十郎は薄情でも、強くも、なかったのだ。


が。
少年の決意は、彼女にとって、死刑宣告に等しい。
その歩みは、死神の誘い以外の、なにものでもない。

「あ、やあぁ、……っう、」

近づいてくる少年(しにがみ)から、目を逸らすことも出来ず、
青子は、小さく首を振るばかりだ。


そして。





(邪魔だな)


ふいに。
この一年間、聞かなかった声を、耳にしてしまった。





《 それ 》は。
背丈は、青子の腰くらいしかなく。
紅い衣をまとい。
音もなく、いつのまにか、青子の背後に、忍び寄っていた。


(こいつは、いつも、邪魔をする)


《 それ 》は、青子の背に、ぴったりと寄り添い。
青子の首筋に手をかけ。
青子の肩に顎を乗せるようにして、ささやく。


(こいつがいなければ、お前は迷わなかった)


あの日。
ねこが、しんだ日。
そのときから、ふいに姿を見せては、私を混乱させた《 それ 》。
その紅い衣を見るのも、声を聞くのも、心底いやだったのに。


(こいつがいなければ、お前は迷わない)


いまは、なんて心が安らぐんだろう。



そうだ。
コイツは、初めて会ったときから、私の心をかき乱した。
私のペースを、私の人生を、崩していった。


あの公園で、私の魔術を盗み見た。

ミラーハウスで殺すはずだったのに、言葉巧みに私をごまかして、生き残った。

有珠と争わせ、私を殺そうとした。

あの金狼との闘いに乱入し、私に恥をかかせた。

使いたくもなかった魔法を使わせ、『世界』に対して負債を負わせた。

あまつさえ、燈子をブチ殺そうとした私の邪魔をしやがった。


コイツさえいなければ、私は、とっくに一人前になっていた。
コイツが、おとなしく殺されてさえいれば、私は有珠と肩を並べる、魔術師になれていたのだ。
コイツが、邪魔をしなければ。
コイツさえ――― っ



ゆらり と、ソファから立ち上がる。
もう、震えは無い。


「……蒼崎?」

急に雰囲気の変わった相手に、戸惑っているのか。
草十郎が、心配そうな声音で話しかけてくる。

そんな、純朴な響きすら、煩わしい。
ああ、そうだ。
あの夢は、本当だった。
何故自分は、もっと早く、こうしなかったのか。


回路を、オンにする。
刻印を、起動させる。
魔力を弾丸に変え、弾倉にセットする。
指先を、アイツに向ける。
……夢の時と、まったく同じように。


(そうだ。邪魔は、無いほうが良い)


自分の背にある、紅い衣。
その顔が、にたり と笑っているのが分かる。

視界に入るはずもない、いつもはのっぺらぼうの、その顔は。



     (無くせ)



今の自分に
―――蒼崎青子の顔に、そっくりだった。



青く輝く指先を向けられ、草十郎は一瞬、目を見張る。
が、
それは、本当に一瞬。

すぐに元の、否、今まで以上に真摯な瞳で彼女を見つめ、

「蒼崎」

また一歩、歩を進める。


……ほんとうに、どこまでも、私の心をかき乱してくれる。
でも、そんな視線も、今は、無性に心地いい。
だって、コレを最後に、このうっとうしい眼差しと、付き合わなくて済むんだもの。

晴れ晴れとした気持ちで、青子は狙いを定め、
撃鉄を上げ。
引き金に力を―――







「なんの騒ぎ?」



     ぱっ



いきなり、居間が明るくなる。
その、電灯の煌めきと、割って入った声に、脳髄を叩かれたような気がして、
青子は目眩を覚え、
それから


「―――え?」


右手を少年に向けている自分を発見し、愕然とした。

なにを、やって、いる?



「 ………… 」

「 ―――― 」


自分の行為に、言葉を奪われている青子。

説明の言葉を探して、見つからない草十郎。

そして、


「青子、なにを騒いでいるの?」

たいして関心も無さそうに、義務的に尋ねる、久遠寺有珠。

問いながら歩を進め、さりげなく、彼女と少年との間に、割って入る。


「 …………あ 」

ぱたり と、青子の右腕が下げられる。
口が開き、瞳孔が開き、少女の言葉も理解できていないようだ。



完全に己を見失っている青子に、早々に見切りを付け、
黒衣の少女は、もう片方に目を向ける。

「静希君」

「―――あ、いや」

草十郎は、ほんの少しだけ、言いよどみ、


「……庭の掃除をしていたら、突然、蒼崎の悲鳴が聞こえたんだ。
 居間の方からだったから、とりあえず、駆けつけたんだけど―――」

額からの血が、眼に入るのか、わずかに顔をしかめる。
その血が、その傷が何故出来たのか、それには言及せずに。


「―――。
 そう」

しばしの沈黙のあと、少女はため息をつくように、言葉を紡ぐ。
やはり、関心も無さそうに。
いや、
顛末など、始めから分かっている、とでも言いたげに。



「また、寝ぼけたの。青子」

「 え? 」

問い返したのは、少年。
呆けている彼女からは、未だ、リアクションは無い。


「昨日の講義が、厳しすぎたのね。
 半人前のこの子には、少し酷だったかしら」

「 ―――有珠? 」

いつも以上に酷薄な、言葉と視線に、
草十郎は、戸惑うような、非難するような眼差しを向ける。

それを綺麗に流して、

「気にすることはないわ。
 この子、集中力だけは人並み以上だから。
 頑張りすぎて、眠ったあと、夢との境が分からなくなることが、これまでにもあったの」


言いながら有珠は、少年に寄り添う。

ポケットから、木綿のハンカチを取り出し、額の傷に当てる。
血を拭い、離すが、そのそばから傷は、液体を押し出す。

「―――深くはないけれど、一応、手当てしておいたほうが良いわね。
 静希君。
 あなたの部屋に、救急箱はあった?」

「え、ああ。
 応急手当のセットくらいなら、あるけど」

再びハンカチを押し当て、それを少年に持たせながら、有珠は問う。
少年は、答えつつも戸惑い、


「手当てするほどの傷じゃないし、
 それより今は、あお―――」
「静希君。」

訴えかけるその言葉に、少女の言霊が、被さる。


「『手当て』を、したほうが、良いわ」

「 ――― 」


しばらく向き合う、二対の黒の瞳。



「……。
 わかった」

先に逸らされたのは、少年の視線だった。


「自分の部屋に戻って、傷の手当てをしてくる。
 なにかあったら、呼んでくれ」

そのまま踵を返し、居間の出口に向かう。
ドアのところで、もう一度振り返り、


「有珠、しばらくハンカチを借りるよ。
 それと――― 」

少女の向こうに立ちつくしている、彼女を視界に納める。


「 ………… 」

言い差しは、そのまま、沈黙となり。

少年は静かに息を吐き、部屋を出て行った。







「 ――― 」

少女も、息を吐く。

一度目を閉じ、開いてから、
棒立ちになったままの、共謀者に、それを向けた。



「 無様ね 」

「 ! 」


その言葉に、ペーパーナイフで刺されたかのような反応を見せる青子。

「 あ   な 」

「講義で扱った《夢魔》が、まだ、脳内に構成されていた?
 それとも、復習のときに、取り憑かれたのかしら?
 どちらにせよ、見習いですら犯さない、失態だわ」

ぼろぼろになった朽ち木を、木刀で打ち据えるように。
温度さえ伴わない、魔女の言葉は、半人前の魔術師を、容赦なく抉る。


「 ……。
 見て、た の?」

かろうじて、青子の口が、言葉らしきものを紡ぐ。


「見なくても分かるわ。
 昨日の講義の様子。
 ここで熟睡していたときの気配。
 彼に指先を向けていた、あなたの顔。

 ―――青子」

「 う? 」


「あなた。
 いつまで、笑っているの?」


言われて、意味が分からなかった。

わらう?
だれが?


同時に、脳裏に浮かんだのは。


     (無くせ)


そう告げたときの、《 それ 》の にたり とした、顔。


「 !!! 」

慌てて、両の手のひらを、顔に当てる。

……唇の端が、つり上がっている。
まなじりが、裂けるように細くなっている。
眉間に刻まれた皺が、言い難く不快だ。

鏡を見なくても、わかる。


こんな。
―――こんな、顔で、私は、アイツを、ずっと…………



両指で、ごしごし と顔面をこする。
ぱんぱんっ と二、三度、己の頬を打つ。

深呼吸をくり返しながら、ぐちゃぐちゃの思考を、懸命に整理する。


《夢魔》。

そう。確かに、昨夜の講義内容は、それだった。
今までの、自分の魔術系統と全く違う、その内容に、自分は興味を覚え。
講義が終わったあとも、復習をくり返し。

そして、疲れて寝入ったところに、消去しきれなかった、それ が。


「 ~~~~~ 」

両掌で顔を覆い、深く、恥じ入る。
有珠の言うとおり、自分が扱った夢魔に、逆に魅入られるなど、失態以前の問題だ。

同時に。
心のどこかで、安心している自分も、いる。


そうか。

あの夢は、夢魔のせいなんだ。

今さっき、ここで、アイツを殺そうとしたのも。

アイツに向けた、理不尽な感情も。

ぜんぶそれは、―――



「《夢魔》のせいだ、とでも、言うつもり?」



ほぐれていく緊張を、『許さない』とばかりに、
鉄槌のような言葉が、打ちのめす。

掌から上げた顔の先には、


「講義の内容を、もう忘れたの?
 昨晩扱ったのは、夢魔の中でも、初歩の初歩。
 対象の願望、心に沈めた原初の欲望、
 それを引きずり出して、脳内に映像化し、暗示の糧とするものよ」

《魔女》
としか言いようのない、やさしげな、微笑みが、あった。


「 がん、ぼう     」

―――私が、望んでいるっていうの?

あんなことを、心の底で、思ってたって、あんたは、そう言うの……!?



「違う!!」

怒りのあまり、呆けていた精神が、瞬時に覚醒した。


「絶対に、違う!
 あれは、……私は、そんなこと、考えていない!
 そんなことを、―――かんがえ、る、わたしは、  私じゃ、ない!!」


蒼崎青子は、後悔をしない。
どんなときも。
たとえ後悔を感じても、その後悔を無くすために、ひたすら突き進んでゆく。
それが―――あの、ねこが、しんだ日から、己が定めた、生き方なのだ。

それを、それを否定などしたら!



「では、なぜ、彼を殺したの?」

そんな、理屈にもならない拒否反応を、有珠は、一刀のもとに切り捨てる。


「 う……あ 」

ころしていない。
死んでなどいない、と、青子には言えない。


だって、夢のなかで、殺した。
今だって、有珠が来なければ、なんのためらいもなく、魔弾を発射していたはずだ。

彼が生きているのは、ただの結果。
私は、間違いなく、アイツを『殺した』のだ。



「……前々から思っていたけれど。
 今日のことで、よりはっきりしたわ」

おおげさにため息をつきながら、少女は託宣を下す。



「青子。
 あなたは、半人前なのではないわ。
 もともと、魔術師には向いていないのよ」

「 ――― な んです ……って? 」



聞き逃せない。

こればかりは、頷くわけにはいかない。

だって。


「どういうことよ!
 向いてない!?
 学ぶのが遅すぎたから!?
 物覚えが悪いから!?
 魔術回路が単純だから!?
 それとも、それとも…………っ!!」

頷いてしまったら、自分は、どうなる?
三年前、無理やりこの道を押しつけられ、
それでも、逃げるのが嫌で、体を削って進んできた、今までの自分は?


「敵を……
 人を、殺したことが、無い、から―――?」

壮絶な、蒼の光を瞳から放ち、青子は、師匠にして共謀者である少女を、にらみつける。


「それなら!
 たった今、邪魔をしたのは、あんたじゃないの!!
 私は、ころせる!!
 殺したでしょう!?
 たとえアイツでも、私が魔術師であることを、証明するためなら―――っっ!!!」

「青子」


いつ魔弾を放ってもおかしくないような、彼女の激昂を、
有珠は、静かなため息で、凍りつかせた。



「その言葉自体が、おかしいことに、まだ気付かないの?
 魔術師は、なにかを『証明』するために、人を殺したりしないわ」


「 …… 」



呆然と。
先ほど以上に、痴呆的な表情で、青子は立ちつくす。


魔術師とは、徹頭徹尾、理性的で利己的な生き物だ。
すべては、己の追求する魔術のため。
根源である『  』に至るため。
周囲も、世界も、自分の命すら、そのためにのみ、存在する。

従って、魔術師が人を殺める理由は、ただ二つ。
自分に害を及ぼすから。
自分の利益になるから。

魔術を垣間見た少年を殺そうとしたのは、一の理由。
世界の各地で夜な夜な、人が消えていくのは、二の理由。

決して、『自分が魔術師である』という証明のためなどに、彼らは人を、虫ですらも殺めない。
そんな《無駄》なことは、発想すらしないのだ。



「……三年間、あなたを見てきて。
 感じていた違和感の正体が、ようやく分かったわ。
 いえ。
 前から分かっていたのに、目を逸らしていただけなのかもしれないけれど……」

魔女の独白は、続く。


「技術は、確かに進歩しているわ。
 才能も、燈子さんほどではないけれど、そこそこにはある。
 今のまま、努力を続けていけば、ひとかどの実力は持てるでしょう。
 でも」

彼女の師は、そこでいったん、言葉を切る。


「根本的な問題ね。
 あなたの精神は、魔術師ではない。
 三年間、打ち込んできても、まったく魔術師に成り得ていない。
 ―――魔術師になるには、あなたは、《人》でありすぎるのよ」

「 な!? 」


心底、意外そうに。
それでいて、認めたくなかった事実を突きつけられたかのように、青子は叫ぶ。


「確かに、あなたは冷静で、冷徹だわ。
 自分の目的のためなら、どんなことでもしてのける。
 必要なら、誰であっても、眉一つ動かさずに、殺せるでしょう。
 私はもちろん、友達や、姉や、最愛の両親であっても。
 けれどね、青子」

また叫びそうになる弟子を、少女は言霊で縫い止める。


「『冷徹』である、ということが、そもそも、魔術師にとって矛盾なの。
 彼らは、愛するものを壊すとき、感情を隠さない。
 嘆き、悲しみ、涙を流しながら、淡々と、その命を刈り取るのよ」

少女は、痛ましげに目を瞑る。
が。

「あなたは違う。
 あなたは、感情を理性で遮断する。
 自分にとって理屈が合えば、平気で理屈の方を優先できる。
 でもそれは、感情を『捨て去った』わけでは、ない」

再び目を開いた少女の瞳には、もはや露ほどの憐憫も見られなかった。


「あなたは、堰き止めているだけ。
 理性で、感情をどこかに押しやり、プールしているだけよ。
 捨てたり、消したりしているので無い以上、それはいつか、きっと溢れる。
 それがどんなに強固な堰でも、
 あなたのプールがどんなに広くても」

「 …… 」


「今しがたのことが、良い例だわ。
 あなたにとって彼は……静希君は、大きすぎる感情そのもの。
 夢魔に取り憑かれたあなたには、『彼という感情』をプールする場所は、失われていた。
 だから、その大元を排除することで、その場を誤魔化し、取り繕おうとした。
 ―――魔術師としてではなく、冷徹な《人》として」

「 ………… 」


「あなたは、半人前ではない。
 言うなれば、《規格外》だわ。
 もともと規格から外れた製品は、どんなに頑張っても、その鞘には収まらない。
 ……基礎も、そろそろ終了するけれど、これからのカリキュラムを、作り直した方がよさそうね」

「―――。
 いいたいほうだい、言ってくれるじゃない」



いままでずっと、言葉の鞭に打たれていた青子が、絞り出すように言葉を発した。

「ご高説、しかと承ったわ。
 でも、そういうあんたは、何?
 アイツにメロメロで、
 事あるごとに『静希君、静希君』って、その尻を追っかけてる、あんたは?」


青子も、今は気付いていた。
この屋敷が、自分に向ける《敵意》に。

この久遠寺邸は、ある意味、有珠自身だ。
彼女の敵、彼女の意に添わぬものは、容赦なく排除すべく、機能する。

もしあのとき、
青子が草十郎に対して、魔弾を放っていたら。

その時は、この屋敷がなんらかの行動を起こしていただろう。
結果。
バラバラになっていたのは、少年ではなく、自分の方だったはずだ。


牙を剥きだして唸る、野良犬のような視線を向けられ、



「なにか、問題があって?」



少女は、普段とまったく同じ様子で、小首を傾げた。


「 ―――な 」

絶句する青子に、有珠は大儀そうに言葉を繋ぐ。


「彼を守るのは、当然でしょう?
 私は、彼を好いているのだから。
 《人》としての私は、彼と共にいることを、何よりも欲している。
 たとえ、あなたを殺めてでも」

「 …… 」

「同時に、彼が私の邪魔になるのなら、私は、彼を殺すわ。
 それこそ、涙にもだえながら。
 確実に、簡単に。
 それが、《魔術師》としての私よ。
 どこに矛盾があって?」


《人》と《魔術師》。
その二つの顔を、完全に両立させる。
それこそが、『闇』を住処とする生き物なのだ、と。
あどけない微笑みで、最後の魔女は告げる。

仮面は持てても、二つの顔など持ちようの無い、弟子に向かって。




「 ―――――― 」

最後の抵抗すら、尾の一振りで砕かれ、
魔術師見習いは、肩を振るわせる。

それは、負け犬の震え。
自分自身を、完膚無きまでに否定された、捨て犬の震え。


「分かったのなら、身の振り方を、考えておくのね。
 『蒼崎』への義理もあるから、指導はこれからも続けていくけれど―――」

話題は尽きた、とばかりに、有珠は、出口へ足を向ける。
そして、


「憶えておいて。
 今後、彼に指を向けようものなら、私は、あなたを殺す。
 血の一滴すら残さずに、完璧に」



居間の真ん中で立ちつくす青子に、目もくれず。

だが、有珠は、その出口で、少しだけ立ち止まった。







「―――。
 あなたは、《規格外》なのよ、青子。」


口の中だけで、呟く。


「どうせ、規格に収まりきらないのなら―――
 その『 外 』で、完成して見せなさいな」



静かに退場する、魔女の囁きは、しかし







「……わたしは、魔術師、だ」



一人、取り残された、青子の耳に、今は、届かず。







「―――まじゅつ、し  だ。
 私 は、魔術師、  なん だ

 わたしは……」





全く意味を成さない呟きは、いつまでも居間に流れていた。










          〈 了 〉








感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.025430917739868