長い昼休みの時間。亜須羅は一人屋上に寝転がり、青い空に流れる雲を眺めながら、今朝出会った天野夕麻について考えていた。
「………」
彼女に出会った瞬間、昔の記憶が呼びさまされた。
◆◆◆
悪魔に嬲る様に追い詰められ泣き叫ぶ自分、それを愉悦を含んだ笑みを浮かべている悪魔。遂に止めを刺さんと自分に剣を振り下ろそうとした時、二つの光の槍が剣を砕き、悪魔の身体を貫いて一瞬で浄化させた。
『そこの子、大丈夫だった?』
はばたく音と共に自分の頭上から降りてきたのは、白い翼を背中から生やした黒髪を腰まで伸ばした女性だった。
『……あ』
自分でも情けない声を上げていたと思う。呆けていた所為で女性の言葉に応えることが出来なかった。周りを飛び交う羽は神々しく光り輝いていて、彼女を美しく彩らせていた。完成された女性らしい体つきを持った肢体、そして、宝石のような紫色の瞳に、亜須羅は一瞬で引き込まれてしまった。
『大丈夫?何処か痛めたの?どうしよう、私、治癒系の術は持ってないし……』
『綺麗だ』
『へぇあ!?』
赤面し、取り乱すその様さえ、何処か神聖さを感じられるように彼の視界の中で美化されていた。それが、亜須羅の中で初めて恋心が芽生えた瞬間だった。
◆◆◆
もっとも、それ以降現在に至るまでの10年間。一度も会うことなく叶わぬ恋として終わるのだが、忘れたころにその天使と同じ顔をした人間に出会い、淡い期待を抱いてしまったのである。
「(まぁ、一誠の彼女は一誠の彼女だ。あの天使とは関係ない……はずだ)」
頼りなさげな自分の結論に、情けないと思ってしまう自分であった。
「なんだか難しそうな顔をしていますわね。亜須羅」
「?……朱乃?」
ふと、寝転がる自分の顔を覗き込むように見下ろす少女、姫島朱乃が微笑みかけていた。
「ええ。なにか……悩み事ですか?」
「いや、なんでもない」
言葉を濁す彼に、コテンと首を傾げて疑問符を浮かべる朱乃。
「幼馴染の私にも言えないことですか?」
「まあ…な」
「そんな、意地悪ですわ!私にさえ言えないことだなんて!」
ヨヨヨと泣き崩れる朱乃を見て亜須羅は慌てふためいた。
「な、泣くな!そこまでお前が気にかける必要はないっていうことだ!」
「やっぱり!私では力不足ということなのですわ!役に立たないということですわ!酷いですわ!亜須羅の意地悪!」
「何故そうなる!?」
「クス……冗談ですわ。」
「………」
「やだ…そんな…見つめないでください。そんなに見つめられると、照れますわ」
「睨んでるんだ」
頬を赤く染めて視線を逸らして乙女な反応を示す朱乃に、ジト目で亜須羅は睨み付ける。ふと、彼女の足元に綺麗な布に包まれた弁当箱が二つあった。
「?これですか?ふふふ、何でしょう?」
「弁当箱だな」
「では、この弁当箱は何故二つあるのでしょうか?」
「……グレモリー先輩と一緒に昼を食べるためにか?」
「……もう、やっぱり亜須羅は意地悪ですわ。」
そう言って朱乃は、普段誰にも見せないような頬を膨らませて子供のように私、怒ってます。という気持ちを表していた。これぐらいの意趣返しは許してほしい。
「……俺と食べるためか?」
「クス…はい。良く出来ました」
そう言って花が咲いたかのように微笑む朱乃に、亜須羅は少しだけ不機嫌を露わにした。
「子ども扱いするな」
「あらあら、幼いころからの付き合いではありませんか」
「……はぁ。で、食うのか?」
「はい」
亜須羅は身を起こしてそのまま胡坐をかいてその場に座り、朱乃もその横に座り込んでお弁当箱を広げる。
「今回のは、から揚げですわ」
「いつも悪いな。」
「いいえ。私も、料理が楽しいですから。つい作りすぎてしまうんです。気にしないでください」
「だが…。……ぬ」
「はい。あ~ん」
不意に、亜須羅に向けて差し出されたのは、から揚げを摘まんだ箸だった。微笑む朱乃とから揚げをつまんだ箸を交互に見つめた後、亜須羅は問いかける。
「……。他の箸は無いのか?」
「忘れてきちゃいましたわ」
「ぬぅ……」
申し訳なさそうに話すあたり、本当に忘れていたらしい。つまり、このまま食べろということだ。
「いや……でしたか?」
恐る恐るといった感じで、上目遣いで問いかける朱乃。何処か気落ちしたような表情を見せる彼女に、亜須羅は即答した。
「いや、そういうわけじゃないが、良いのか?」
「はい」
にこやかにほほ笑む朱乃を見て、亜須羅は無言で口を開く。それを見て嬉しそうに朱乃は、摘まんだ唐揚げを亜須羅の口内に放り込んだ。ゆっくりと味わうように咀嚼し、飲み込む亜須羅を見て、朱乃は味の感想について問いかけた。
「どうですか?」
「美味い」
思ったことを素直に亜須羅は言う。作ってから時間は経っているはずなのに、薄い塩味と出来立てと変わらないサクサクとした食感が口内を楽しませてくれる。御世辞ではなく。本当に、家庭の中で振る舞われるような気持ちが籠ったから揚げだ。
本当に美味いの一言に尽きた。
「それは……良かったですわ」
はにかみながら頬を紅潮させている彼女に、恥ずかしがるならやらなければいいのに。と思うものの、それを口にすることは無かった。
「それで……掘り返すようになってしまいますが、悩み事は、話してはくれませんの?」
「…ああ。悪いがこればっかりは、な。自分だけで解決したい」
「そうですか。少し…残念ですわ」
「悪い……」
「そう気を落とさないでください。気にはしてませんわ」
そう言ってほほ笑む朱乃に、亜須羅はただ、ぎこちなく笑みを浮かべるだけだった。
「はい、もう一つ。あ~ん」
まるでカップルだな。そんなことを頭の中で考えながら亜須羅は無言で運ばれていく料理を口にしていくのだった。
◆◆◆
昼食を食べ終わった頃、屋上の出入り口の扉が開かれる音が亜須羅の背中から響いた。
「朱乃?ここにいたの?」
「あ、リアス」
「?」
背後から凛とした声が響いた。腰のあたりまで伸ばした長い紅髪を揺らしたオカルト研究部の部長であり、朱乃の友人であるリアス・グレモリーであった。
そして、今回で亜須羅とリアスは初対面となる。
「あ、もしかして、彼が?」
「ええ、私の幼馴染、亜須羅よ」
「八雲亜須羅です。初めまして。グレモリー先輩」
「ええ、初めまして。リアス・グレモリーよ」
そう言って互いに握手をする。見た目清楚なお嬢様だと思っていたが、どうやら結構フランクな先輩のようだ。亜須羅は彼女達が悪魔であることを知っているが、朱乃とリアスの二人は、少しだけ感付いてはいるものの、亜須羅が彼女達の正体を知っていることは知らない。彼が力を持っていることもである。
「へぇ、子供のころから……。ねぇ、アスラ。朱乃の子供の頃ってどんな感じだったの?」
「俺より一つ年上だからって姉のふりをしようとして必死に背伸びをしていたな」
「へぇ?それで、実際は?」
「俺にフォローされてばっかりのおっちょこちょいだった」
「ちょ、亜須羅!」
頬を紅潮させて狼狽する朱乃に、亜須羅は追い打ちをかけるかのように続ける。
「自分のことを姉と呼べといつも言っていたが、何もないところでずっこけたり、ちょっとわからないところがあるとすぐに泣きそうになっていた。あの時は大変だった」
「ふふふ、そうなんだ。朱乃、貴女にもそんなところがあったのね?」
「もぉ!二人とも意地悪だわ!」
赤面する朱乃に御淑やかに笑うリアスと、静かに笑みを零す亜須羅。三人の穏やかな会話は、昼休みが終わるまで続いた。その後、放課後までの時間、特に何かが起こる訳でもなく。時間は平和に過ぎて行く。
「ヒソヒソヒソヒソ」
亜須羅の顔についてヒソヒソ話をされていること以外は…。悲しいかな。これもまた日常の風景の1ページなのである。
「………」
無言で心の汗が流れそうになったのは、ご愛嬌である。
◆◆◆
「デート!?」
「うん……。駄目、かな?今度の日曜日」
時間は進み、ところ変わってそこは夕方の歩道橋。放課後の時間となり、一誠と天野夕麻の二人は次の日曜日にデートをする約束をしようとしていた。不安気に上目遣いで問いかける天野夕麻に、一誠のテンションは正に有頂天であった。
「いやいや全然良いよ!」
「良かった~」
「じゃあまた……!」
嬉しそうに駆けて行く彼女の背中を見つめていた一誠の顔には、純粋に嬉しいと言う気持ちが現れていた。
ふと、天野夕麻が立ち止まり、振り返った。
「デート!楽しみにしてるね!」
「うん、俺も……!」
天野夕麻が一誠と別れた後、彼女の年相応の笑顔は一変して冷たい、けれど妖艶な笑みを浮かべるものへと変わった。
「フフ、馬鹿な子。その日が命日だと知らないで」
横目でテンションを全身で表しながら家に帰っていく一誠の後姿を盗み見たのは天野夕麻、否。堕天使レイナーレ。彼女はある目的の為にこの地に来ていた。
だが、その目的の為には、一誠の中にあるモノが邪魔だった。それは神器。どんな神器かは明確になっていないが、上層部が少なからず危険視しているモノだ。不安要素という芽は、若いうちに摘んでおくべきだ。
「ま、デートをするのは初めてだし、彼は何も知らないで死んじゃうんだもの。良い服を着て行かなくっちゃ」
それが自分にできる手向けだと彼女は考えている。彼女の本拠地はこの先にある無人の教会である。
「ごめんね一誠君。これも、私の目的の為なの。さ~て、何の服を着て行こうかな~」
そう言って角を曲がった時だった。
ドンッ
「きゃっ、ご、ごめんなさい!」
「ああ?なんだテメェ?」
誰かとぶつかった感触と共に、レイナーレは反射的に謝罪の言葉を発したが、そのぶつかった相手は、いかにも力があります。という感じの男。っていうか何食ったらそんなに大きくなるわけ!?と言いたくなるほど大きな男だった。
別の学校の生徒だろうか、黒いガクランの前を開けた状態にして、その中から白地のTシャツに達筆な黒文字で「大尊」と書かれている大男だ。
「へぇ、随分と可愛いじゃねぇか。なぁ、今から近くの喫茶店に行かねぇか?そうすりゃ、許してやらねぇでもないぜ?」
レイナーレはか弱い少女を演じながらも内心で目の前の男に侮蔑の感情を向けていた。
この程度の人間。殺す価値も無かった。それに、ここはグレモリー家の領内。感付かれればどうにもならないと言うわけではないが、目的の為ならば無闇に騒ぎを起こすのは得策ではないと考えていた。
「ご、ごめんなさい。私、用事があって。本当にごめんなさい。これで許してください」
そう言ってレイナーレは深々と頭を下げる。だが、目の前の男は下卑た笑みを浮かべて舐めるようにレイナーレの身体を上から下へと視線を動かしていた。
「おいおい、分かってねぇようだな。そんなで許されると思ってんのかぁ?こっち来いよ。すぐに終わらせられるようにしてやるからよ」
「きゃ、ちょ、ちょっと!何をするんですか!?離してください!」
「良いからきやがれ!安心しな!怖くねぇからよ!」
そう言って男はレイナーレの腕を握る力を強める。自信が強いと言うことを体で分からせる為であろう。
身体も人間のそれと変わらないようにしていたレイナーレの腕が少しだけ、嫌な音を立てて軋んだ。
「いたっ!?この!人間風情が・・・!」
人間の身体に忠実にしていた所為であろう。痛覚も普通の人間と変わらず、プライドの高いレイナーレを怒らせるには十分な要素だった。大人しくしていれば付け上がって!と堪忍袋ンお緒が切れたレイナーレは自身の力を解放しようとしたその時だった。
「おい」
「あ?ぶげ!?」
「へ?」
レイナーレの気の抜けた声と共に、巨漢の男が宙を舞った。
「うちの友達(腐れ縁)の彼女に何してやがんだ?」
ボキボキと手の骨を慣らしながら発せられた声に視線を動かせば、其処には一誠の親友の一人、亜須羅がいた。
「(確か、亜須羅君……だったっけ?この子が、あの男を吹き飛ばしたの?)」
自分よりも頭の半分程デカい身長を持った少年。確かに力はありそうだというイメージはあったが、まさか人間一人が吹き飛ぶほどの腕力を有しているとは思わなかった。
「(そういえば、亜須羅君って私に会ったことがあるとか言ってたっけ?)」
ふと、そんな記憶が浮かびあがった。一誠以外の有象無象とも呼べる人間に対して、一々気にしているつもりは無かったのだが、彼だけは、ふと、その記憶と共にある情景が思い浮かんだ。
「(……う~ん。何処かで…。本当にもしかしたら何処かで会ったのかも。)」
良く考えてみると、彼の顔に見覚えがあった気がした。
「て、てめぇ、俺にこんなことをしてただで済むと思ってるんじゃねぇだろうな?俺はここら辺を仕切ってるグループのリーダーなんだぜ?どうなるか分かってんだろうな!?アア!?」
しかし、そんな思考も、吹き飛ばされた男の怒号によって頭の片隅に追いやられる。
その手には携帯が握られていた。
「?」
ザザザザと、何処かに潜んででも居たとでも言うのか、ざっと7人。先ほどの男を合わせて計八人の不良たちが、亜須羅とレイナーレを囲むように現れた。
「天野……」
「な、なに?」
「俺の後ろに居ろ」
自分の後ろに来るよう移動させられる彼の腕は、服越しでもわかる程逞しく、手はゴツゴツとしていた。
だが、その手に込められている力は、自分を気遣っている優しさが感じられた。
どちらにせよ、ここで面倒事を彼が収めてくれるのならば自分としては好都合だ。隙を見て逃げ出せばいい。レイナーレはか弱い少女を演じながらも亜須羅の後ろに隠れる。
「ヘヘヘ。てめぇ、ただで済むと思うなよ。腕の一本は貰うぜ?」
男が呼び出した連中の手には、バットだったり、ナイフだったり、多種多様ではあったが、どれも高い殺傷能力を有していることが分かる。
「一応聞いておく。こいつを如何するつもりだ?」
辺りを睨み付けながら亜須羅は男に問いかける。周りの男たちも、目の前に居る男も、共通して下卑た、嫌らしい笑みを浮かべていた。これほど汚らわしい笑みは、松田だってしないだろう。
「なるほどな」
後は語るまい。亜須羅は身を低くして拳を握りしめる。
「お前らをただでは帰さん。そう決めた」
「馬鹿が!俺がテメェらをただで帰さねぇんだよ!」
不良たちが一斉に襲い掛かってくる。
取り敢えず目の前に来た自分に一番近い不良を殴り飛ばす。
横から来たバッドを受け止め、引き寄せ、身を捻っての裏拳を食らわせる。
反対側から来る不良の攻撃が動作に入る前に亜須羅は一瞬で距離を詰め、胸ぐらを掴みあげる。
「天野!伏せろ!」
「え!?きゃ!」
そのまま、一本背負いの要領で後ろに向け、彼はレイナーレ、天野夕麻を捕まえようとした男三人の内、二人に向けて放り投げる。
「そのまま伏せてろ!」
間髪入れずに夕麻の真上を飛び越え、残りの一人の顔面にドロップキックを放つ。
見た目の割に身軽に彼は空中で一回転して綺麗に着地する。
「この野郎!」
横からナイフを突き刺そうと襲い掛かってくる新たな不良。
亜須羅はナイフの持っている手を蹴り上げ、掌底を用いて不良の顎を打ち上げる。
「てめぇっ!」
「舐めてんじゃねぇぞ!」
「死ねぇ!!」
投げられ、その身体に地面を這わせられた男たちが立ち上がって怒りの咆哮を上げながら襲い掛かってくる。
三人一斉の顔面に向けてのパンチだ。
それをアスラは左右の拳を両掌で、真ん中のパンチを頭突きで迎撃することでそれを凌いだ。
勿論、頭突きで凌いだパンチを放った不良の拳の骨が嫌な音を立てた。
「ぎっ!?あああああ!手が!?俺のでがああぁぁぁ!?」
痛みに悶絶する不良をそのままにし、アスラは両掌に収められていた拳を弾き、二人の不良にボディーブローを叩き込み、二人それぞれの頭を強引につかみ、互いを強く打ち付け合せた。
「動くな!」
「っ!!」
その時だった。背後から一人の男の声が響き渡る。
しまった。亜須羅は内心、己の失敗を呪った。
天野夕麻に伏せていろと言っていたが、このまま逃げるのを促すべきだった!
首元に突き付けられたジャックナイフ。天野夕麻の顔が恐怖に張り付いている。
「へへ、動くんじゃねぇぞ?こいつがどうなってもいいんならな?」
「亜須羅…君」
「天野!?」
その顔は今にも泣きだしそうで、亜須羅の中に言いようのない苛立ちが生まれる。不甲斐無い自分に対する憤りとそんな彼女に涙を流させようとする男に。亜須羅は確かな怒りを感じた。
「動くんじゃねぇって言ってるだろうが!」
「くっ!」
「ヘヘヘ。随分と頑張った見てぇだが、此処までだな。テメェの負けだぜ。」
「くそ……」
歯噛みする亜須羅。下卑た笑みを浮かべて次の行動に移ろうとした男の腕に、鋭い激痛が走った。その理由は、天野夕麻が男の腕に力いっぱい噛みついたからである。
「ぐあっ!?この糞アマぁ!!」
「きゃっ!」
痛みに逃れるように男が天野夕麻を突き飛ばした。亜須羅は勝機を見出した。一瞬で男に肉薄し、己の中の怒りを乗せた拳を、男の顔面に叩き込んだ。
「ヌアアアアアアアラアアアアアアア!」
気合いの入った一撃に、男の身体は道路を二度三度バウンドしながら転がった。微かに痙攣していることが遠目で見て分かる辺り、死んではいないだろう。
「天野!大丈夫か!?」
亜須羅の懸念はすぐに男から天野夕麻へと 変わった。彼は、男に突き飛ばされて転んだ彼女の下へと駆け寄った。
「うん、だ、大丈夫イタッ!?」
ふと、彼女が右足首を抑えた。視線を向ければ、少しだけ赤く腫れているようだった。
「怪我してるじゃねぇか。立てるか?」
「ん・・・。く、ちょっと、難しいかな?」
「とりあえず、手当てできるところまで・・・近くの公園まで行こう。」
「うん。でも、足が・・・。」
夕麻は困ったように視線を右足にやった。亜須羅はそれを見て一度目を閉じて静かに深呼吸すると、決心したように目を開けた。
「最初に言って置く、悪い」
「え?キャ!?」
亜須羅の両腕が彼女の膝の裏と背中に回され、持ち上げられた。
「あ、亜須羅君?」
「悪い。取り敢えず手当てをする!」
「え!?ちょ、ちょっと!」
その瞬間、亜須羅は一陣の風となった。全力でその場を走り去ると、その場に残ったのは、死屍累々となって倒れ伏す不良たちだけだった。
◆◆◆
夕日に照らされてオレンジ色に光る噴水を背景に、供えられたベンチに静かに、天野夕麻は座っていた。その右足首には、既に手当をされた跡があった。
消毒されて、包帯を巻かれた足首を、天野夕麻、レイナーレは静かに見つめていた。
亜須羅は態々買いに行って超特急で手当てを行ったのである。彼なりの不器用な気遣いであった。
「(本当……馬鹿みたいに焦っちゃって。男っていうのは本当に馬鹿ね)」
そう心の中で呟く。
だが、不思議と亜須羅からは下心と言った特有の気配は感じられなかった。本当に自分を気遣っている気持ちがあった。それこそ、まるで自分を・・・。そこでレイナーレは思考を中断した。
「(ちょっと疲れてるのかしら。そんな世迷言みたいな考えが出るなんて……。でも…)」
ふと、レイナーレは自分に巻かれた包帯に沿るように指先でそれを撫でた。
「(あんなに純粋で優しい気持ちを向けられたのは、久しぶりかも)」
最後にそんな真っ直ぐな気持ちを向けられたのはどれくらい前のことだっただろうか。
そう、あれはそうだ。自分が天使だったころだ。丁度10年程前だっただろうか。
悪魔に襲われていた子供。名前は忘れた。その子供が、悪魔に死なない程度になぶられているのを彼女は見つけた。
そして、その子供が止めを刺される直前に、彼女の槍が悪魔の命を貫いた。
これも天使としての仕事の一つだった。丁度ここに通りかかったのが幸いした。子供は体中傷だらけではあったが、後遺症に至る様な程ではなく、かすり傷だった。
子供の身を案じる声をかけた時だった。
子供は自分のことを呆けた顔で見上げて何と言っただろうか?
そう、そういえばこういっていた気がする。
『綺麗だ・・・』
『へぇあっ!?(ボッ)』
うん。今思い出しても、ただの子供にそんなことを言われて赤面した自分がどうも恥ずかしく思えた。っていうか黒歴史だ。
「(ああ…思い出した。そっかぁ、あの子はこの町に)」
「傷の具合はどうだ?」
「ひゃいっ!?」
不意に、芯の通った声に、レイナーレは身を震わせた。物思いにふけっていた所為もあってか、本気で驚いていた。
視線を向ければ、其処には、近くの自販機で買ったお茶を手に持った亜須羅だった。
「足、大丈夫そうか?」
「へ?う、うん。大丈夫。痛みは大分引いてるわ」
「・・・そうか。そうか・・・良かった」
ふと、安堵した表情に変わる亜須羅を、レイナーレは買ってくれた茶を飲みながら盗み見るようにジッと見つめていた。
「(初めて・・・じゃなかった。久しぶりに会ったときは怖い顔してたけど。こんな表情もできるんだ。あの不良たちと変わらない、ただの悪ぶった子だと思ってたけど。ただ顔が厳ついだけか)」
にしても、本当に安堵した表情をしている。あのお姫様抱っこをしたときだって。ちょっとした悪戯で体を押し付けてみたが、レイナーレを手当てするためのことしか考えていなかったようで、殆ど無反応だった。
視線も変わらず、一度もこちらを見たりして狼狽する様さえ見せなかった。
「ありがとうね。亜須羅君。お蔭で助かったわ」
「いや、いい。腐れ縁だが、友達の彼女だからな。彼奴に漸く出来た彼女なんだからな」
「へぇ。そうなんだ。一誠君結構カッコいいと思うけどなぁ。(まぁ、少し調べてもあんな変態に近づく女の子なんているわけないわよね)」
口に出していることとは反対のことを思考するレイナーレ。亜須羅事態にも気づかれていないだけあって、彼女の演技力は正に一級品だった。
「確かにな。黙っていれば、モテてただろうに」
そう言って苦笑する亜須羅とつられて笑うレイナーレ。
「どうだ?足の具合は?」
「(そろそろ頃合いかしら?)うん。だいぶ良くなったわ。ありがとう。手当てしてくれて。私はここら辺で大丈夫だから。家も近いし、ありがとう。亜須羅君」
そう言って笑顔を向けるレイナーレ。亜須羅はそんな彼女の笑顔に照れ臭そうに笑った。
「あ、ああ。じゃあ、俺はこの辺で」
内心、亜須羅は気絶している連中が探しに来るかもしれないから送ろうかとも思った。だが、家が近いと言うことは、この辺では知り合いも多いだろう。
それに、そう言うことをするのは彼氏である一誠が行うべきである。
「……また、会おうね」
そして、二人は別れた。これが、最後の会話であるとは知らずに・・・。
◆◆◆
日曜日当日。
一誠と天野夕麻のデートは、レイナーレの思惑通りに事が運んで行った。ありきたりだったけど、初々しくて楽しいと言えるデート。
彼の自分の自慢の肢体を見つめる目線が、先日の不良たちと被っていて、一瞬だけ嫌な気分を覚えたが、彼らのような下卑た笑みを浮かべているわけでもない。
それは些末な事だ。そこら辺は気にするまでも無い。
ふと、公園に向けて歩いていた自分の右腕に着いている物に目を向ける。自分の為に買ってくれたプレゼント。ピンクの柔らかい布であしらわれた腕輪。
これはこれからも付けておこう。これから一誠は死ぬのだ。このデートはありきたりだった。
でも、自分を楽しませようとして努力してくれた気持ちは伝わった。それなりに楽しむことが出来た。
だから、できるだけ苦しまないように、優しく殺してあげよう。
「ねぇ、一誠君・・・・私達の初デートの記念に一つだけ私のお願い聴いてくれる?」
「な・・・何かな?お願いって?」
目の前の標的が期待に満ちた眼をしている。悪いけど、そんな良いモノではない。
「(ごめんなさい。でも、怨むなら、自分に宿ってしまった神器を怨みなさい)」
そして彼女は、標的に向けて最後の言葉を突き付けた。
「死んでくれないかな?」