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No.34039の一覧
[0] 金の娘と魔王の門[しじま](2012/08/02 07:50)
[1] 金の娘と魔王の門<後編>[しじま](2012/08/02 07:50)
[2] 闇の竜と魔女の衣<前編>[しじま](2012/07/10 18:19)
[3] 闇の竜と魔女の衣<後編>[しじま](2012/07/10 18:20)
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[34039] 金の娘と魔王の門
Name: しじま◆4c851af5 ID:960b04a3 次を表示する
Date: 2012/08/02 07:50
 ポセイドン。大海呑み込む海蛇。フェニックス。ゴブリン。エルフ。ピクシー。
 彼らは真実ではなく、幻想や伝説となった。
 だがまだ、生きながらえているものたちがいる。
 北の果ての地、険しい山脈への入り口である、小高い山の連なった地域。そこにも、生きながらえるものたちがいる。
 一つには、山のどこかの洞窟に救う黒竜。一つには、あらゆる願いを叶えるという万願の門。
 一つには、かの門を守る番人。中には黒竜と重ねる者もいるが、彼の外見はあくまで人だ。だがどんな軍にも屈さず、門を百年以上守り続けている。
 最近、その門番に関して、新しい噂がささやかれはじめている。
 形は美しくも、恐ろしい業を使う悪魔を従えるようになったとか。その力と数たるや、軍にも匹敵するとも。
 果ては門番が軍を指揮するなどと、何かの冗談のような噂もささやかれている。
 だが真実である。

 ある商人の娘が、過去、門番に問いかけたことがある。
「ここは、あらゆる願いを叶えるという万願の門ではないのですか?」

「そんな都合のいいものはここにない。この門の役割は、」

「魔王を封じること」




 薄茶色の外套を、淡い木漏れ日がまだらに彩る。
 ゆるく拍子を刻む馬の蹄の音が、静寂に包まれた森の中で響く。
 馬に乗り森の狭い一本道を過ぎるのは、三人の護衛と二人の商人だった。ほとんどが齢を重ねた大人の男である中、ひとり、物珍しい女商人が交じっている。女が商人をやっていることも珍しい。また珍しいのは、切れ長の目や丸い顔、鴉の濡れ羽のような髪や、髪を左側頭部でまとめるいくつかの玉で飾った髪飾りだった。これらはすべて、砂漠を越えたはるか東方の民族の特徴である。
 だが何より珍しいのは、彼女がまだ十六、七であること。
 小さなその体躯は、今、護衛と馬の首に挟まれる格好だ。護衛によって馬に載せられ、いつ何時も彼女をかばうことができるようにしてある。
 また彼女とその護衛を、一人の商人が先導し、他の二人の護衛が、隊列の前後を守っている。
「ゴイル」
 女商人は、同じ馬に乗る背後の護衛を鋭く呼んだ。
「はいお嬢」
 ゴイルと呼ばれた護衛は、その岩のような体にふさわしい野太い声で応じた。
 女商人は首をねじって、斜め上にあるゴイルの顔を無理やり見た。ゴイルに向けられた彼女の顔は、少女らしいかわいらしさを残しつつ、商人らしく理知的な雰囲気を同時に持ち合わせていた。
「妙な感じね」
「は、これは我慢していただくほかは。このように道が狭いと、横からの襲撃に対応しづらいですからな」
「違う。けど関係あり。この森、静かすぎよ」
「森が静かなのは」
 当たり前、とゴイルは言おうとしたのだろう。それが一度口をつぐみ、すっと目を細めた。視覚を意図的に鈍くすることで、他の感覚を絞ったのだ。
「なるほど。何かいないかということばかり気にしておりましたが。これは、何もいなさすぎる。人どころか、獣が一匹も気配を感じられません。あくまで感じられる範囲に、ですが」
「ウェルズの大聖堂以来じゃない?」
「あそこはむしろ何かがいました」
 およそ天使とか精霊とか呼ばれる代物が、だろう。
「この先にもいるんでしょう。ある、というほうが正確かもね」
「万願の門、ですか。正直信じかねますが」
「それを決めるのは私たちじゃないのよ」
「リーセン嬢」
 ふいに、前を行っていた男の商人が二人を振り返った。やすりで顔を削ったかのような男で、細く頬のややこけた顔をしている。まだ成り上がりの商人らしい、磨耗したままの神経と維持された神経質さを表しているといえよう。
 リーセン、と呼ばれた女商人が再び前を向くと、その男の商人は微笑んでみせた。
「もうすぐ森を抜けます。村の連中の話を信じれば、その威容を誇る門が見えてくるでしょう」
 リーセンは微笑み返し、艶のある唇から言葉をつむいだ。
「ええ。楽しみです」
 まもなく、森を抜ける。


 商隊の皆が、口を開いて言葉を失った。
 森を抜けた先にあったのは、巨大な黒鉄の門だった。大きさはきっと、伝説に聞く巨人よりもあるだろう。実際に巨人が作ったのだと聞かされても不思議はない。
 門は表面が炎を模したように波うち、取っ手だろう、巨大な輪が門扉の内よりの半ばほどに取り付けられている。
 だがぽつねんと門があるだけなのだ。これでは、通常の門の役割が果たされるわけもない。
 誰が何のために造ったのか。商隊の誰もが疑問を禁じえなかったが、伝説の門であることを思い出せば不思議と納得がいく。人の理解の及ぶところではなく、ただそうであるのだと思うほかない。
 あるいは信じさせる力が、この門にはあったのだ。


「なるほど、これは、面白い……。これが、真の芸術や美術というものなのでしょうか。ねえ、トルステンさん」
 リーセンは門に見ほれ、歴史に想像の翼をはばたかせる。
「そうですね。一日見ていても退屈しそうにありませんが、リーセン嬢。そろそろ参りましょう。この先にいるという、門番に話が聞けばもっと面白いでしょう」
「ええ、わかりました。ああ、それにしても楽しみでなりません」
 リーセンが恋に身を焼く乙女のように、熱っぽい表情と口調でひとりごちた。
 彼女を除く商隊の誰もが、彼女に目を丸くし、胸のうずきを多かれ少なかれ抱いた。そしていずれもが、年をわきまえて咳払いによってそれらをごまかすのだ。
 商隊の一団は馬を進め、門の足元まで来た。
 そこにいたのは、一人の兵士のようだった。鋼の胸当てをし、古めかしい仮面つきの兜を被っている。手に持っている武器は背丈くらいの長さがある鋼の棒である。いずれの装備もが、凹んでいたり薄汚れたりしている。
 草っぱらの涼やかな丘と荘厳なる門の取り合わせを前に、彼はあまりに場違いだ。
 だが彼こそが、ここの門番である。なにしろ他に人影はないので、商隊の誰もが疑いつつも信じるしかない。
 リーセンがゴイルの腕の下をすり抜け、馬から一番に下りた。門番に近づいて話を聞こうとしたところ、トルステンの制止によって止められた。
「リーセン嬢、まずは私が。あなたは少々、下がっていてください」
 商隊の頭はトルステンである。例外はあるが、トルステンの言うことがまず優先される。
 リーセンは渋々、遠巻きになる場所までゴイルとともに下がった。
 トルステンがリーセンを止めたのには、理由があった。
 門番が兜についた仮面の覗き穴からこちらを見つめる眼差しが、あまりに凍てついている。敵意といっていいほどだ。
 もし不用意に近づいて、棒で打たれては敵わない。
 トルステンが馬を下り、少なくとも彼の持つ棒一本分の距離を残した距離から、慇懃に話しかけた。
「お初にお目にかかります、門番殿。私はここから村を二つ隔てた都市で穀物の商いをやっている、トルステンと申します。このたびは不躾ながら、この門についてお聞かせいただきたく参りました。なんでもこの門は万願の門といって、あらゆる願いを叶えるとか」
「御託は結構。あなたの願いは何だ」
「願い。ただ私は門について聞かせていただきたいのです。実は私の所属する商会が、この門を名物に街を作ろうとしていて。もちろんこの門はきっかけに過ぎず、身のある街にする所存です」
「この門は万願の門などではない。それだけだ。願いがないなら、お帰りいただこう。それとも、そこの男三人を私と戦わせる気かな?」
 ゴイルを除く護衛の二人が瞬時に反応し、剣の柄に手をかけた。
 トルステンは手を挙げることで二人を止めた。すでに慇懃な態度は捨て去って、門番を見下す目をしていた。
「これ以上の問答は無用ということだな。だが最後に一つ聞いておこう。一体誰の命令でここを守っている? ここの領主ではあるまい?」
「誰の命かと問われると、答えを持たない」
「そうか」
 護衛は二人ともが、剣を抜くつもりでいた。
 しかしトルステンの手は振り下ろされず、ゆっくり下げただけだった。つまり攻撃の合図はない。
 彼は相手がただの一兵士らしいと思って、素の感情を露にすることにためらいをなくした。顔をしかめ、鼻をふんと鳴らすと、挨拶もせず門番に背を向ける。遠巻きに見守っていたリーセンやゴイルのそばまで護衛二人とともに戻ってくると、トルステンはリーセンと目が合うや否や人好きのする微笑を作った。
「どうもあの門番はろくに門のことを知らずに守っているようです。その上たぶん、わけもわからぬままあれよあれよとここに配属されたのでしょう。あるいは、我らが敬愛すべき宵闇の王によってね」
 終始皮肉っぽい調子でトルステンは語ると、微笑を消し目を細めた。
「村の連中からもも、当の門番からもろくな受け答えがないといっても、まだ私には手があります。」
「トルステンさん」
 馬から下りていたリーセンは、馬の背中に右手でなでながら、
「トルステンさんは先に村へ戻っていてください。私はここに残って、彼に話を聞いてみたいと思います」
「無駄とは思いますがね。くれぐれも、彼を刺激してケガをすることがないように。ノルエル殿を悲しませないためにも」
 トルステンは苦笑しつつリーセンとすれ違い、馬に慣れた動作で乗った。馬の上から一言旅の挨拶をすると、二人の護衛とともに、彼は森の中へと消えた。
 ノルエルという、父の名を出され、リーセンはむっとしていた。確かに父の威光あって、今回の門までの旅に同行することが適った。父の威光があってこそ、リーセンはトルステンにも表面上なめられないし、安全を確保されやすい。もしもリーセンの身に何かあれば、ゴイルは当然として、トルステン、またトルステンの所属する商会が危うい。
 だがリーセンは単なる令嬢なのではない。暦とした商人であり、布地のやり取りによって年に見合わぬ儲けを上げている。普通の商人と比べれば、まだまだ凡庸なものだが。
「お嬢」
 ゴイルが馬から下りて、リーセンを呼んだ。せめて落ち着けたかったのだろう。
 リーセンは瞬時に明るく笑ってみせる。
「なんでもない。行きましょう。くれぐれも礼儀正しくね、ゴイル」



 リーセンは門番と話すのにいい距離までくると、すっくと背筋を伸ばし微笑んだ。左耳の上に留めている髪飾りである、大きな色とりどりの玉が陽射しを受けてにわかに光る。それとともに、髪飾りから垂らした長い黒髪が揺れた。
「初めまして門番殿。この国で一番強欲と名高い貿易商ノルエルの一人娘であり、布地の商いをやっているリーセンと申します。先ほど門番殿に挨拶したトルステンとは旅の連れですが、彼とは目的を異にしています」
「願いがあるというなら聞いておこう」
 門番は仮面の向こうから、凍てついた眼差しをリーセンに向けている。
 トルステンに対してとほぼまったく同じ反応だった。
「金の精、というものをご存知ありませんか? あるいは精霊と呼ばれるものについて」
「残念だがその望みは叶えられない」
「わかっております。では、知っている人間はご存知ありません? 噂にひかれ、さぞやたくさんの人間が訪れたことと思いますが」
「答えられない」
「なぜです?」
「ここは望みを叶える場所ではないからだ」
「ではここは、一体何のための場所だというのです」
「答えられない」
 リーセンは質問を矢継ぎ早に重ねることで、門番というものの一面がわかりはじめた。
 決してわかりやすい返答は得られない。わかりやすい返答を求めようとすれば、わからないか知らないか答えられない、だ。
 別に門番が愚鈍だという話ではなくて、意図あってのことだ。
 ではその意図とは何か。
 それを解きほぐせれば世話はない。とにかくリーセンにできることは、食い下がることだった。
「門番殿の役目は?」
「ここの門番だ」
「ご家族は? 結婚はどうです」
「いないし、していない」
「今日の天気は何でしょう」
「見ての通り晴れだ」
 どうでもいい質問には答えてくれるようだ。
 リーセンはさらに、門番に対する態度を変えてみた。
 訊ねるばかりでなく、自ら語り始めた。ゴイルが護衛となった経緯や、自分の商人として得た経験、それに父に関する愚痴を少々。
 リーセンが語るばかりだったが、父ノルエルの話に及んで、門番が自分から口を開いた。
「父親が嫌いなのか?」
 質問の中身も、質問されたという事実も、リーセンは少々驚かされた。が、それはともかく、歩み寄りの第一歩だと思いながら答えた。
「嫌いというなら嫌いです。貴族と結婚できるよう礼儀を躾けられましたが、いまのところ商売のためにしか役に立っておりません」
「あなた自身は、自分を商人といったけれど」
「ええ、そうです」
 リーセンは勢いこんだ。
「父もやっている仕事です。女子供だからって文句は言わせません。要は、役割をきっちり果たせるのなら何の問題もない。貴族に縛られるなんてごめんですから」
 その勢いも徐々に失われて、リーセンはぽつりともらした。
「それに、商いという仕事は好きです。汚いところもありますが、街に正当なものの価値をもたらし、潤わせることができる」
「父を見ていて、そのように?」
 リーセンは苦笑した。
「そうですね。父は嫌いですが、父の商売の才覚というのは、すさまじいですから。やっぱり欲張りで偉そうなんですけどね」
 リーセンの韜晦に、ゆるく応じる門番。リーセンは彼を見ていて、彼の人物もまた、見えてきたような気がしていた。
 こんな辺境で孤独な任務につくにふさわしい、常識にとらわれずそれでいて使命感を持った、素朴であり純粋な人物である。
 リーセンはふと、今なら何か答えてくれるのではないかと思った。彼の好みにそぐうよう、素朴な質問がいいだろう。
「でも門番殿は、こんな門を守っていて嫌になりませんか? あるいは誇るべき先人がいたのでしょうか? そうでなくてはこんな何も守らぬ門なんて」
「守るものなら、ある」
 門番が初めて強い口調で、口を差し挟んだ。
 リーセンは大いに興味をひかれ、目を輝かせて先をうながす。すると、門番はこう答えた。
「この領地、この国。この世界を、守っている」
「どうして、守る必要が?」
「ここには」
 門番はちょっとためらうふうだった。だが自分から話し出したことだから、いくらためらったところで自ら話した。それが妙に、今まで要領を得ない曖昧な答えばかりだったのに、はっきりとした答え方だった。
「魔王が封じられているのだ」



 魔王。
 ある吟遊詩人によれば、世界は三つの階層からなっている。一つは天界。一つは人々も住む地界。最後に魔界だ。
 その魔界の王が、つまるところ魔王。その力たるや、空を割り海を干上がらせ大地をすべて焼くという。
 リーセンが失笑してしまったのも、無理からぬことである。
「魔王? 確かに、このような門の前ではありえない話ではありませんけど。少々、いえかなり……突拍子もない」
「まだ年若い商人殿」
 リーセンは門番をたちまち軽く見た。
「門番殿。どうか教えていただけませんか。浅学な私ですが、魔王がいたというとても重要な事実を、歴史でついぞ学んだことがありません。魔王は歴史においてどのような末路をたどったのでしょうか。あるいは魔王というのは、もしや冗談でしょうか?」
 門番は一度口を引き絞ると、さも重そうに語った。
「あなたは、遙かなる東方の地の民から血を引いているようだ。それゆえに、もう片方の血が如実に現れている。かつて東方とこの国を結んだ、貿易都市<アントリシア>を築いた民族<クルド人>の血だ」
 父ソルエルの祖先が門番の口から出た途端、リーセンは息を呑んでまじまじと門番を見つめた。
 貿易都市<アントリシア>は今はもう滅亡してしまった都市だ。いわば国同士の商いである貿易において、かの都市は栄華を極めた。
 しかし極めた先に待つのは衰亡か滅亡のどちらかである。
 貿易都市<アントリシア>は独立した国家でもあったが、それゆえに、他国に侵略を受け併呑された。都市の名は変わり住む人間も営まれる生活も変わった以上、滅亡したというほかない。
 かといって、貿易都市を支えてきた人々がすべていなくなったわけではない。今リーセンがここに生きているように、子孫を残した。残念ながらもはや<クルド人>という民族はいなくなったが。
 つまり、それほどの年月が経っているということでもある。
 実に滅亡から百五十年は経過している。
 歴史の中でいくつもの国や都市が歪められるかもみ消される。もはやかの都市を語る歴史はなく、東方の大帝国が遙か東方の地とを結び文化を調和させたのだと胸をそらせている。
 だから本来、リーセンのように、かの都市を知る人間から聞くしか、かの都市を知る術はないのだ。これはとても珍しいことで、語り継ぐということの意味を知る者は、ごく少ないのだ。代を重ねれば、ますますそうなっていく。
 だがもっと稀有な例がある。
 百五十年前なら、かの都市はその名を誇っていた。そうでなくても百年前ほどであれば、知る機会もまだまだあったろう。
 百年以上生きておればよい。
「まさか、いえそんなはずがないッ」
 リーセンはあからさまにわめきたてた。せめて顔の品は保ったものの、声には動揺がありありと表れている。
 門番は一度、背後の門を振り仰いだ。
「この門も、証拠といえば証拠になると思うよ。あなたのいう歴史とやらは、なぜこれほどの門を語らないんだろう。どうも、噂でしかこの門のことを知らないようだけれど、歴史はこの門をどうして語らないんだろうか」
 それは、とだけいってリーセンは恥ずかしげに口を閉じた。
「だから、あなたの望むものはここには何もない。お帰り願おう」
「そっ、それならばなおさら!」
 リーセンは門番に詰め寄った。背の低さのために門番の顔を見上げ、きつく問いかける。
「金の精にどうしたら会えるか。いいえそうでなくても本当にそんなものがいるのかどうか、教えてはいただけないでしょうか!」
 門番は仮面の向こうで、眉間にしわを作った。
「なぜそんなに会いたがる?」
 リーセンは答えるのに、しばしの時間を要する。決意するために、といっていもいい。十分な時間をかけてから、門番に告白した。
「私は、母の顔を知りません。母の名も。声も。わかっているのは、母が、もしかすると人でないかもしれないということ」
 リーセンはいま一度ためらってから、核心を告げた。
「私はかの豪商ノルエルの娘ですが、こうも呼ばれているのです。揶揄もこめられていますが、私の調べたところ、事実の可能性が高い。その呼び名は」

「金の娘」

 


「ノルエルと金の精の間に生まれた子。それが私……かもしれないのです。できることなら、金の精とやらに会いたい。そして訊きたい。はたして、私の母なのか」
「何も母にこだわる必要ない。あなたはやはり、帰るのがいいだろう」
 門番はぶっきらぼうにいうと、話は終わりとばかりにリーセンから目を離した。
 そこで、リーセンは思いの丈を込めて訴えかけた。これが門番の関心を縫いとめた。
「母の顔も知らず、なぜ母が私や父から離れたのも知らず。何もよくはありません。あるものですか」
「聞く限り、あなたには父がいるようだ。親が一人というのも、珍しいがない話ではない。そこで満足しないのは、強欲というものだよ」
 門番の『強欲』という言葉を聞いた途端、リーセンは頭が一面に白む。
 あたかもけがれを知らぬ子供に戻ったかのような感覚といえた。つまり、子供のころ世界に対し感じていたものを、たった今思い出したのだ。
 だが残念ながら子供の思いというのは目まぐるしく変わる。変わってしまえば、変わる前の思いはからりと忘れてしまう。
 リーセンは商いの世界に研磨された自分を思い出し、さきに感じていたものを無理やり捻じ曲げた。
 まして言葉にするとなると、もはや別物である。
「門番殿。結局のところ、あなたは私に金の精との会い方を教えてくれるのですか、くれないのですか。そもそも知っているのですか。どうもはぐらかされてばかりいるようです」
 門番は小鳥もかくやというほど小さい息をつく。リーセンと目を合わせるとき、その眼差しはすっかり冷えていた。
「願いを叶えるわけにはいかない。ここは万願の門などではないのだから」
「そこからしてもよくわかりません。魔王を封じている門とおっしゃった。なるほど仮に現実として認めましょう。けれどあなたはどうです? その門を守っているというあなたは何者なのでしょうか。加えて魔王をどうやって封じたというのか。どうも信用なりません」
 リーセンがまくし立て、門番の返答が遅いことで、優越感を覚えた時だった。
 背後から、ぬっとゴイルの手が伸びてきて、リーセンの肩に置かれた。
「お嬢」
「何?」
「オレにはお嬢のいっていることがよくわからんのですが」
「ゴイル、あなた一体何を聞いてたの」
 リーセンは呆れてしまい、ゴイルにうろんげな目を向けた。
「ちゃんと聞いてましたよ。それでもよくわからんかったです。ともあれ、話を簡単にする方法はわかっております。少し、下がっていてもらえますかな」
 ゴイルはそっと手で押すことでリーセンを後ろに下がらせた。一方の手はリーセンを下がらせてすぐ、背負っていた剣を鞘から抜いて正面に構えた。
 切っ先が、門番の鼻先に突きつけられる。
「無理やり聞き出せばよい」
「……ゴイル」
 リーセンはゴイルの背中をじっとりとにらみつけながら、
「あなた、要は門番殿とやりあいたいだけでしょう」
 リーセンはゴイルを冷めた目で見つつ、彼を軽く見られないでもいた。
 話し合いがこじれている。そのことに彼女自身よりも気づいていたゴイルが、彼女を傷つけず、それでいて彼女を諌めた。あまつさえ、あわよくばリーセンの望みを叶えようとしている。
「まったくたいした護衛だこと。……バカゴイル」
 リーセンはつい憎まれ口を叩く。ついで溜息をつき、うつむいて隠しつつ微苦笑した。
 ゴイルは天をつくような大声で笑った。
「さて、門番殿。少々真剣勝負に付き合っていただこうか」


 ふむとゴイルはつぶやき、剣の先にいる門番を見据えた。
 話したことの真偽はともかく、門番が相当の手練れであることに疑いはない。根拠は、このような門を守っていることではなく、ゴイル自身の経験からくる勘だった。ゴイルの感じるところ、師匠であり護衛頭であった男に決して劣らない。彼でさえ、殺しても死なない怪物のように感じられたというのに。
 一瞬でも油断すれば叩きのめされる。ゴイルは神経を研ぎ澄ませ、門番の攻撃のタイミングをうかがっていた、
 ところがそのゴイルをまったく無視するように、門番はあごに手をやって考え込んでいるふうだった。
「おい、門番とやら」
「ん? ああ、そうか。勝負と挑まれているんだな。その勝負というのが、あなたの望むものでもある。と、いうなら」
 門番はその場でくるりと反転し、ぐ、と下げた後ろ足で踏ん張った。
「それを叶えてやるわけにはいかない」
 周囲に風を巻くほど速く、門番は地面を蹴って駆け出した。
 門番の向かう先には巨大な門、こうなるとただの壁だ。その壁をなんと駆け上がりはじめた。
 門の高さは巨人ほどもある。いくら表面が炎がうねったような形をしているとはいえ、駆け上がるとなれば常人には到底不可能だ。
 にもかかわらず、ぐんぐん、彼は門を駆け上がっていく。
 やがてすぐに門番は門の頂上に至り、門の厚みの上で、自分の凄みを素知らぬ顔をして振り返った。
 リーセンは腕組みをしつつ、ゴイルのそばに立った。
「あんなふうに門の上に逃げられちゃ、どうしようもないわね。駆け上がるどころかよじ登れもしない。…………ゴイル?」
 リーセンはゴイルの顔を下からうかがった。
 ゴイルは禽獣のように目をぎらつかせ、唇の両端をこれでもかと吊り上げていたのである。
「待ちますとも。今日、夜を徹そうと。明日も、明後日も。奴が下りてくるのを待とうではありませんか」
 ゴイルはずいぶんたかぶっているようで、興奮のあまり全力疾走したかのような体温が上がっている。
 ひとり、リーセンはゴイルの頭を冷ますべく、思案をめぐらせる。その最中、門の上にいる門番を見上げてみた。
 上ってこれないと高をくくっているのだろう。門番は空を見上げ、雲をながめていた。
 百年、確かにまったく同じ空というのは一つとしてなかったのかもしれない。
 リーセンは彼を見て、指針とそのための行動を決定した。決まれば行動は早くに、すぐにゴイルの腰を平手で打った。
「お? おお?」
 ゴイルは門番に集中しきっていたせいで、リーセンの攻撃に戸惑いを見せた。
 リーセンは彼と目が合うと、有無をいわせぬ口調でいう。
「村に戻るわよ」
「いやしかし」
「一生引き下がれっていうんじゃない。一晩。翌日明朝には、彼と戦える目処を立ててあげる。だからそれまで、待ちなさい。知ってる? 犬でも待てはできるのよ?」
 ゴイルはそれでも未練がましく、リーセンと門番との間で視線を行き来させた。が、彼自身もリーセンのいっていることが正しいことはよくよくわかっている。
「……わかりました。一度戻りましょう」
 ゴイルは忠実に待っていた馬の手綱を持ち、その巨体を馬に乗せた。
 その間に、リーセンが一言、首が痛くなるほどの高みにいる門番に挨拶をした。
「ではまた」
 門番は空を見上げたままだったが、そっと手を上げてくれた。




 宿の一人部屋で、うんうんリーセンはうなっていた。
 ゴイルに大口を叩いたものの、明朝本当に目処が立つかどうか。
 部屋に比して固いベッドが置かれているだけのものさびしい部屋だった。こんな僻地ではさもありなん、客そのものが少なく宿の主が客商売というものにうとくなろう。生命線であるはずの宿代でさえ、客に尋ねるほどだった。
 リーセンはベッドの上でまぶたを閉じた。こうすれば考えに集中できると思ったのだが、知らず眠りに落ちかける。この万願の門がある地までの旅路がこたえたに違いなかった。
 これが覚醒へと導かれたのは、突然のノックが原因だ。
「リーセン嬢」
 トルステンの声だ。
 待つようにリーセンは頼むと、手鏡で身だしなみを整えた。それから自ら、ドアを開けてトルステンと顔を合わせる。
 廊下にいたのは、もちろんトルステンだったが、トルステン一人でもなかった。
 薄汚れた黒いローブを着込んだ、まだ年若い少年がトルステンのかたわらにいた。格好もさることながら、緋色の髪と、見るものをすべて恨むような目が印象深い。
「こちら、モーリス殿。魔術師です」
「は……?」
「信じられないのも無理はありません。もともと、門の調査のためにこちらで頼んでいたお方です」
「私は、記憶にありませんが」
「確かにいまはじめて言いました。なにしろ、ここまで門に何かあるらしいとは思いませんで。それでも念のため、と思っていました。私自身の願望もあったのでしょうね。いや、お恥ずかしい。もし本物なら手に負えないと、ツテを頼ってこちらのモーリス殿に連絡がつくようにしておいたのです。あれから連絡をし、こんなにも早くいらっしゃってくださいました」
「待ってください」
 リーセンは眉間をもんだ。
「ええと? 本物、なのですか?」
「そう言われると思い、モーリス殿とひとつ相談してあります。少なくともこの世のものならざるものについて知っているということを、今夜、証明しましょう」
 トルステンはリーセンと視線を通わせた。沈黙の合図が送られ、リーセンは拒否をした。
「どこか、別の場所で。できれば、ゴイルも付き添わせたい。私から説明しても、難しいでしょうから」
「ああ。そうですね。――よろしいですか、モーリス殿」
「別に、いつだっていい」
 モーリスはぶっきらぼうに言うと、ローブのすそを引きずって階下に下りていった。
「では、私はゴイルを呼んできます」
「はい、どうぞ」
 リーセンはトルステンの脇をすり抜け、隣のゴイルの部屋に乗り込んだ。ノックもなければ呼びかけもない無断侵入である。
 ゴイルは部屋の中でドアのすぐそばにいて、目と口をこれでもかと大きくした。が、彼もリーセンが唇の前で人差し指を立てているのにすばやく反応し、口を閉ざした。
「ゴイル! 何寝ているの! 護衛っていう自覚があるのあなたには!」
 リーセンは乱暴にドアを閉じて、ゴイルにはベッドに横たわるよううながした。一方で口は状況と裏腹なことを平気でまくしたてる。
「万が一危険なことがあってあなた雇い主に言われて気づくなんて、こんな間抜けな話ある!? これだからごろつきあがりの護衛ってのはイヤになる! いくら安いからってこんなのありえない!」
 ゴイルは武器を抱え、無事毛布にくるまり横になった。
 直後、ドアが開いてトルステンがこちらをうかがいにくる。
「どうされました?」
「ああ!」
 リーセンは反転する前から、悲壮感たっぷりの顔を作った。
「聞いてください! このバカ、寝ちゃってるんです! ……ほんと、クビにしてやろうかしら!」
「そんなことをなさらなくても。彼抜きで話を進めては」
「そうはいきません。この男、面体こそ図太そうですが、迷信深くていけないのです。きちんと目の前で大丈夫ってことを証明してやらなければ。魔術師殿に二度手間は、失礼でしょうし。何より給金分の働きをさせなくては!」
「わかりました、わかりました」
 トルステンは辟易した様子で、両手で自分とリーセンらを隔てる仕草をした。部屋から出て行き、ドアを閉め際、こう言い捨てた。
「では明朝。今から四刻以内に起こせればそれはそれで」
 ドアが閉まり、ゴイルが寝返りを打ってリーセンを不機嫌そうににらんだ。一方リーセンはきょとんとして、不機嫌なゴイルを見つめた。
「どしたの? 怖い顔して」
「場をしのぐための方便とわかっていても、割り切れぬところはあります」
「ごめんって」
「それにあんなお粗末な方便で、騙せたとお思いですか」
「思ってないよ、もちろん」
 リーセンはゴイルに背を向ける形でベッドに腰掛けた。
「ではどういうつもりで?」
 ゴイルも起き上がり、ベッドの上であぐらをかいた。
「単なる社交辞令。断るためのね。あとは、あっちがもしかして私をバカで臆病な小娘と思ってくれればいいかな、って」
「……大丈夫なのですか?」
 トルステンがわざわざ連れてきたということは、モーリスという魔術師に何かの力が備わっているには違いなかった。だがリーセンやゴイルには、魔術とかいうものにあらばう術をまったく持たない。
 ゴイルがうろんげな目をリーセンに向ける。
 リーセンは困ったように笑ったかと思えば、笑っただけで何も答えなかった。
「お嬢。オレがいるとはいえ、あまり無茶はしないでいただきたい」
「でも、もう逃げられないのよ、ゴイル。わかる?」
 ゴイルが胸を突然つかれたような顔をした。
「もう陽は落ちかけてる。そもそもなぜ私たち二人でここへこなかったのか。道案内の必要性もそうだけど、トルステンさんや彼の護衛がいることで、賊の危険を減らすため。こんな日暮れに馬を駆ったとして、たちまち夜になる。夜にもし、途中で賊に襲われたら、どうなるかしら? ひるがえって、魔術師の危険性を考えてみましょう。仮にもトルステンさんがツテを頼ることによって呼び寄せた人物。私がノルエルの娘であることをトルステンさんが知っている以上、安心できる要素にはなる。彼が好んでこの国すべての商人と、そのよき友人たちを敵に回したいならまだしも、ね。それに、まだ私たちの目的は果たされていない。父の威光でしか安心できないなんて情けない話だけど、魔術なんてものをまったく知らない私たちは――」
 突然口を止めたリーセンを、ゴイルはベッドを四つんばいになって移動してうかがった。
「ねえ、ゴイル」
「は」
「私、門番殿に『父が嫌いか』って訊かれたでしょう?」
「ああ、確かそうでしたな」
「あれで私、何かよくわからなくなったのよ。うまくいえないんだけど、頭が真っ白になったというか、起き抜けの時みたいになったというか。ゴイルは、わかる?」
「さあ。しかし、そこからどうも話がこじれたような覚えがー―」
「……ありがとうって言ってほしいの?」
「はて。何か感謝があるというのなら喜んで受け取りますが」
 ゴイルはリーセンと同じようにベッドの端に腰掛け、首をかしげた。
「もういいわよ」
 リーセンは溜息をついて、話を戻した。
「とにかく。どっちが危険かっていうと、ここにいつづけるよりここから逃げ出すことのほうが危険だし、目的はまだ果たしてない。だから、ここにいつづける。でも、何もしないわけじゃない。そこでゴイル、あなたには頼んでおくことがあるの」
「何ですかな。あの魔術師とやらを倒してこいというのなら、ちと物足りませんがお嬢の命とあれば」
「違う。なんでもかんでもそっちに持っていこうとしないの」
 リーセンは、高い位置にあるゴイルの額を、ぺちっと叩いた。
「もし私の誇りが汚されるようなことがあれば。その時に限って、命をかけて私を殺すことを命じます」





 夜風を浴びようと思ったのだ。
 リーセンは部屋が冷えてはまずいので部屋の窓を開けるわけにはいかない。そこで一度宿の外に出ようとした。
 わが身を振り返れば護衛もつけずに夜出歩くのは無用心。けれど、宿の真正面というのならすぐに宿の中に逃げ込んでしまえばよい。
 リーセンは階段を下り、受付の前を通り過ぎようとした。いつも受付でうたたねしている宿の主である老人の姿が、そこになかった。引っ込んでしまったのかといえば、そうではない。
 受付のそばに、ささやかな談話のための空間がある。そこの暖炉のそばの安楽イスの中に、老人の姿はあった。
 リーセンは老人にそっと近寄り、様子をうかがった。
 老人は眉毛もまぶたも垂れ下がっていて、その上長い白ヒゲを口にたくわえている。あたかも遙か東方の書物に描かれる仙人のような顔だった。起きていようが寝ていようが、まず見た目では判断がつかない。
 リーセンが老人の顔の上に手をかざして、反応を試そうとした時である。
「何か用かね、お嬢さん」
 寝言ではない。確かに老人の顔が、リーセンに向けられた。
「はっ、いや、申し訳ありません。用は何もないのですけど、ただ、その、眠っていらっしゃるのか確かめたくて」
「起きとるよ。それとももしかして、死んでおるとか思ったかね?」
「そんなことは決して」
 リーセンは慌てながらも、きっぱりと否定した。
 けれど、老人が死んだばかりであったなら、わからなかったろう。
 会話が途絶えた。それもそのはずで、お互い用があったわけはずもない。リーセンは気まずさを味わっていた。
 ふと、老人がつぶやくように話を切り出した。
「……お嬢さん方は、あの門を調べにきなさったとか」
「え? あ、はいそうです」
 老人はイスに座るよう勧め、リーセンはイスを老人の横に持ってきて座った。同じように暖炉に向かう向きである。
「それなら門番殿には会ったろう?」
「もちろんです」
「どう思った?」
 リーセンは言葉に困った。己の中に門番についての記憶はあるが、他人に伝えるための解釈が間に合わない。
 ある程度適切でなかろうと、ひねり出すほかなかった。
「とにかく不思議な方であるのは確か。まるで百年以上生きたかのように、過去のことを知っている。私の目的が遂げられそうなことには歓迎ですが、意固地な方で。あとは――少し、恐ろしく感じます」
「確かに門番殿は恐ろしい力を持っておる。だがのう、お嬢さん。お嬢さんにだけは言うておきたいんじゃが、森や、その周囲で違和感はなかったかの?」
「森に獣が、あまりにいませんでした。皆無といっていい。それに……森のすぐそばまで、畑が」
 まるで獣がずっといなかったかのようである。
「それが門番殿のおかげとしたら?」
「え……」
「村の誰もが、あの門を知っている。お嬢さん方の求めているようなことはまるで知らんがな。ただたまに、流れてくる噂を知って、願いを叶うものと思う青臭い愚か者がおる。そして門番殿にとにかく挑む。が、お嬢さんも知っての通り、門番殿は願いを決して叶えようとはしない」
「あなたは、答えをご存知なのですか? 叶えていただく方法を」
「教える前に」
 老人が安楽イスに深く身を沈みこませていたのに、体を起こしていやらしく手を構えた。
「お嬢さんの尻、ちょっと触らせてもらえんかのう?」
 リーセンは耳を疑った。だが反芻してみても、聞き間違えようがない。
 また、選択の誤りようもない。
 リーセンの腰に差してある短刀が、チャ、と鳴った。
「冗談じゃよ冗談! いやじゃのうもう、寂しいじじいが若いお嬢さんをちょっとからかっただけじゃがな。ほんともう……」
 老人は再び安楽イスに体を沈みこませるが、片目をきらりと輝かせた。
「でも、ちょっとだけなら、減るもんじゃなし……」
 今度は短刀の刃が覗いた。
「ご老人……私は商人ですが、誇りを捨てた覚えは皆目ございません。あえてその誇りを汚すというのなら命をかける覚悟を――」
「冗談! 冗談じゃったら!」
 老人はリーセンを必死になってなだめた後、大きく息をついた。かと思えば、先ほどまでと一変して、落ち着いた語りを始めた。
「……村の若者が、何人も門番殿に挑んだ。じゃが、あの門によって願いを叶えられた者は一人もいない。田舎者のやることじゃが、少なくともわしが知る限り、そして聞く限り、百と二十五年、ずっとじゃ」
「それは妙な話ではありませんか。願いを叶えた人は、いたのでしょう? その方法をあなたはご存知だと」
「人の話をよく聞きなさい。あんたも商人ならの。あるいは、欲に目がくらんどるか?」
「私は決して強欲な人間では――」
 リーセンの頭に、父ノルエルの存在がよぎった。忘れたくても、意識したくなくても、ノルエルの影は差す。
「違う違う。欲に目がくらむとは、欲が災いして正しい目をくもらせておること。何も欲張るあまりツボから手を抜けなかったサルの話だけじゃない。常にわしたちのそばに起こりうることなんじゃ。特に、俗物にとっての金貨の山を目前にした時など、の」
 リーセンが何も言えなくなるのを認めて、老人は話を戻した。
「門によって願いを叶えられた者は一人もいない。じゃが、門に行ったことをきっかけに、自ら願いを叶えたものなら、たくさんおる。もっというなら、門番殿と話したことをきっかけに、か」
 ここでようのこと、リーセンは門番と村の関係というものを知った。
 リーセンには詩人のようにうまく言葉にできないが、とても美しい関係を、両者は持っているのだ。互いに尊び、互いに大切にしあっている。
「門番殿は、いわばここの長老、なのですね」
 老人は呵呵大笑した。
「そうじゃのう。姿はずっと若いままじゃが、年はわしよりずっと上。まして若者をうまく説教するなど、まさに」
 リーセンもまた、口元をほころばせて笑った。それが急に、少女らしからぬ艶めいた微笑に変わった。
「けれど、もっと大きな仕掛けがあることはこちらもお見通しです」




「門番殿は、門には魔王が封じられているとおっしゃいました。ご主人、ここではさぞや大変なことが、さも何事もないように営まれているのでしょう?」
 強く問いかけると、老人はこめかみをぽりぽりとかいた。
「確かに、あの門には魔王が封じられているという。大きな仕掛けあるというお嬢さんの見立ても、間違っていない。わしから言っておくべきと思うのは、その仕掛けとやらの種は、むなしくはないが悲しいということじゃよ」
 老人はよっこらしょ、と安楽イスから立ち上がった。
「まだ、お嬢さんは門番殿と過ごすべき時を残しておる。明日にでもまた、門を訪れてみるといい。それがおそらく、お嬢さんがわしも知る門についてのすべてのことを知る時じゃろう。……が、その前に」
 老人は腰を曲げたまま、受付や奥の部屋に通じるドアに消えた。
 リーセンがイスに座ったまま何となく待っていると、老人は行きと変わらない様子で戻ってきた。
 そしてリーセンのそばに立ち止まると、リーセンの手を取って何かを握らせる。
「気をつけなさい。さもなくば、『これ』をいつも持ち歩くように」
「なぜ?」
 リーセンが子供のように訊ねると、老人もまた子供に応じるように好々爺然とした笑みを浮かべた。
「だてに長く生きておらんよ。じゃが、『何かが起きる』としかいえん。それでもお嬢さんには、もうひとつヒントを与えておきたいところ」
「――おい」
 老人のものでも自分のものでもない声に、リーセンはばっと顔を上げた。
 外から戻ってきたところなのだろう、宿に入ってすぐの位置に、例のモーリスという魔術師が立っていた。やはり見るものを端から恨むような目つきをしている。が、そのわりには、誰かと目を合わせるつもりはないようだった。
「いつでもいいと言ったが、遅いほうがいいと言った覚えはない。さっさと済ませよう」
 リーセンは、老人の体で隠して、老人から受け取ったものを懐に仕舞った。それから立ち上がり、モーリスに受け答えをする。
「もう夜も遅いですし」
「お互いすぐに眠るつもりがないのならどうでもいい。オレの用はすぐに済む」
「……わかりました。ご主人、またお話は後ほど」
 老人に頭を下げてから、リーセンはモーリスの後をついていった。
 モーリスは宿から出てしまい、村の中心となり、かつ家々に囲まれた広場まで、リーセンを導いた。途中、リーセンが不安がちに拒んでも、モーリスは聞く耳持たなかった。
 子供が元気に走り回れるくらいの広場の中心で、モーリスは立ち止まった。振り返り、「このあたりがいいだろう」といった。
 リーセンは自分を安心させるように握り拳を胸元にやり、モーリスの言動を見守っている。
 冷たい夜気の中、モーリスの顔が不思議と色をなしていた。魔術師というのは職を超えて、彼の存在とさえなっているのかもしれない。夜といえば、魔術師の本領だ。
「すでにあなたの出自は聞いている。豪商ノルエルの娘。と同時に、金の精の娘。オレが魔術師であるということを証明がてら、あなたの力を引き出そう」



 こちらに、とモーリスはリーセンを招き寄せた。招きよせるその手には、一枚の金貨が載せられていた。
 リーセンは恐る恐る、モーリスに近づく。手を、とうながされてそのまま右手を差し出した。
「目を閉じるんだ」
 目を閉じる直前、リーセンはモーリスの顔をうかがった。夜という時間が、魔術師が最も活動する時間だろう。そこで活発になるのに不思議はない。が、にわかに耳が紅潮していたり、握る手が震えていたり汗ばんだりしているのはどういうことか。
 モーリスもまだ年若い。魔術師であるために、むしろ同年代より異性に免疫がないのやもしれない。
 リーセンは思わず笑ってしまった。
「どうした」
 むすっとして問いかけてくる様子もまた、異性を意識してしまう少年にありがちなものだった。
「いえ。なんでもありません。どうぞ、進めてください」
 リーセンは胸元にやっていた握り拳を下げるとともに、逆の手をわざとモーリスの手に重ねた。そして目を閉じる。
 目を閉じても、モーリスの動揺がリーセンには伝わってくるようだった。とりもなおさず、モーリスは「触れる必要はない」と怒ったような慌てたような声を出した。
 すみません、とリーセンが謝ると、まったく、とモーリスがぼやく。
「……世界のすべては<ルン>からなり、世界のすべての力もまた<ルン>からなる。<ルン>は水、土、木、獣、人、空気でありながら、何かを動かす力を持ち、その力は時に秘められ、時に使われている」
「よく、わかりませんが」
 目を閉じたまま、リーセンは首を傾げた。
 その仕草にモーリスは目を丸くし、夜気の冷たさをリーセンよりも、特に頬などに、感じるはめになった。
「たとえば生きている人間が動けるのはなぜか。死んだものとの違いは何か。人を動かすものはさまざまある。単なる力であったり、モノの流れであったり、意志であったり記憶であったりする。ではこれらはどこにあるか。結局肉体の中にある。その肉体と力の結びつきはあまりに強い。というより、同じものであるのが正しいとオレたちは思っている。この人で言う肉体であり力でありモノの流れであり意志であり記憶であったりする――これを、<ルン>と名付けた。古くは東の大山脈からやってきた聖霊王がこの<ルン>を使ったという伝説があってその時はじめは<ワルキス><オルケル><アルケイ>など……まで言い出すとキリがないな」
 モーリスは息をついて、本題に話を戻した。
「あなたの力を引き出そう。あなたに限れば、精霊術とも呼ぶべきものだが、魔術と根源は同じだ。オレの補助を受けてもらいつつ、精霊術を行使してもらう。何、簡単な術で危険はない」
「はい」
 リーセンは素直に受け入れた。モーリスは拍子抜けしたように戸惑ったが、結局彼のやることに変わりはない。
「少し失礼」
「痛っ」
 差し出していたリーセンの手の指先に、鋭い痛みが走った。モーリスの持っていたナイフによって、皮一枚裂かれたのだ。
 指先から血が、わずかながらしたたる。まるで傷口をいたぶるように、モーリスは金貨をリーセンの指先の血で汚した。
「これで準備は整った。あとはこの金貨の<ルン>を引き出してやればいい」
 モーリスはリーセンの右手に、彼女の血で汚れた金貨を握りこませる。
「水を思い浮かべろ。一番に思い浮かんだ、水に触れた記憶がいい。その記憶を、今感じているように、この空間と重ね合わせることだ」
「……わかりました」
 それから、いくばくもしないうちのことだった。
 はじめに、風に変化があった。
 広場にはそれまで風がやわらかく吹き込んでいた。それが止み、むしろ街の外へと風が吹き始める。モーリスが風の変化を確かめている隙に、次なる変化が起こった。
 金貨を握るリーセンの手から、水が大きな雫として滴った。そうかと思えば水はリーセンの手を覆うほどになり、果ては球体となって膨らみ始めたのである。
 水の感覚を得ているリーセンは、球体をした水が肘まで迫ってきたところでうろたえだした。
「モ、モーリスさん! これは一体どうしたらいいんです!?」
「落ち着け。大丈夫。術を解いてもいいが、もう少し難しいことにも挑戦してみよう。だが大丈夫、あなたには十分な素質があるようだ。なるほど金の精の娘であることに、疑いはない」
「金の精について、ご存知なのですか?」
「話は後だ。さあ、水は下に向かって流れるものだ。今湧き出している水は、下に向かって流れる。器からこぼせば、ほら」
 いわれて、リーセンはモーリスの文言をそのまま受け入れた。
 球形を保っていた水が、徐々に形を崩しはじめる。モーリスのはげましによって、水はついに形をなくし、地面に向かって流れ始めた。
「なるほど、金の精の素質を存分に受け継いでいるようだ。特に金に限れば、<ルン>の扱いは一級にもなるだろう」
 このとき、リーセンは胸にあたたかな自負を覚える。母のことはろくに知らないが、特徴を受け継いでいるというのは、言いようのない喜びがあるものだ。
「あるいはもっと難しいこともいけるはずだ。そう、あなたが金の精の寵愛を受けているなら」
 リーセンには当然、という思いがどこかしらにあった。もはや自分が金の精の娘――金の娘であることに疑いはないし、写し身に近いとさえ信じ込んでいた。
「滝を見たことは? あるいは海の高波を。水があたかも壁となる様を見たことは? あるなら、それをイメージして。今この空間と、重ね合わせるんだ」
 広場には、水が溜まっていた。だが水は広場に広がることも、土に沁みこむこともせずに、リーセンの足元に大きな器があるように溜まっている。
 大量の水は、入っている器が徐々に狭く、高くなっていくかのようだった。やがて水は、リーセンの記憶の中にある、高波に近似した。
 それは城壁と呼べるほどの高さと密度だった。その上、よく安定している。
 たった一枚の金貨を元にしただけにも関わらず、これだけのことが成し遂げられた。
 一人の魔術師として、モーリスは惚れ惚れする。
「すばらしい……」
「あの、でも、これからどうすれば」
 不安のあまり目を開けかけたリーセンに、モーリスは何も見ないうちにリーセンの目元を覆った。
「まだ目を開けてはいけない。下手をしてこの大量の水の<ルン>を弾けさせれば村を壊滅させてしまう」
 リーセンが喉の奥で悲鳴を上げる。
 モーリスは暗い微笑を浮かべ、リーセンの髪をすき、頬を撫でた。
「大丈夫。徐々に、徐々に、土に沁みこませていけばいい。本当の水ならばそんなことでは何刻もかかってしまうが、あくまでこれは実体じゃない。記憶としての<ルン>の意味が強く、記憶を少しこちらに干渉させただけ。出す時よりもずっと簡単なはずだ」
「はい……」
 リーセンはきっと唇を引き絞った。
「水は土に返るもの。さあ、始めよう」
 はい、と今いちどリーセンはうなずいて、別な記憶を、今この空間に重ね合わせた。強い日差しの下、地面に水が吸い込まれていくという、ささいな断片の記憶だった。村を案じる気持ちも手伝って、集中力は増し、<ルン>によって顕現した水は無事、地面に吸い込まれるように消えてなくなった。



 リーセンは本能で終わりを感じ取ったのだろう。その場でよろけ、モーリスに支えられる。
「<ルン>を操ったせいだな。集中力がもってよかった。目は閉じたまま、ゆっくり息をするといい。空気の<ルン>で、ある程度回復できるはずだ」
 言われるがまま、リーセンは深呼吸する。
 そこを狙ってモーリスが黒い煙を吐き出す。
 無臭の黒い煙はリーセンの肺を満たし、彼女の体をたやすく巡る。
「もう、目を開けるといい」
「はい」
 リーセンが目を開けると、モーリスと目があった。瞬間、リーセンはぐわんぐわんと頭が揺れるようだった。
「あなたは確か金の精、つまり母と会うことを求めてきたのだったな」
「はい」
「その願いは叶えられなくてはいけない。親と子が会って愛を通わせあうことを誰が非難するというのか。いや、あらゆる人がそれを望むだろう」
「ええ……」
「幸いにも万願の門がある。そうだったな?」
「ええ、でも……」
 門番も、宿の主人である老人も、万願の門によって叶えられる願いはないといった。そのことが頭に残っていたリーセンは抗弁しようとするが、モーリスの言葉に不思議と納得してしまう。
「門番を倒せば願いが叶うんだ。邪魔をしている人間がいなければ、願いは叶う。願いを叶えたいだろう?」
「はい。絶対に、叶えたいです」
 終始リーセンはモーリスの言葉に、寝言のような調子で答えた。
 真実、寝言といって差し支えない。ただ問題は、夢のように現実でも振舞ってしまうことである。
 もっと言えば、夢見の際ささやかれた言葉が影響するように、いまリーセンに何かそそのかす言葉をかければリーセンはそのとおり行動しやすい。それも起きているときよりもはるかに素直に、だ。
「ああそうだ」
 ついでのように、モーリスは付け足した。
「もし願いが叶ったら、あなたにはオレの愛妾になってもらう。あなたの願いをオレが叶える以上、自然なことだろう? だってオレはあなたの願いを叶えるのだし、オレはあなたをきっと幸せにするのだから。その代わり、オレにすべてを捧げてもらうことになるけど、あなたの幸せを考えたらそれがきっといい」
「それは、そうですね……」
 夢見がちな様子で応じるリーセンに、モーリスは暗い微笑をかけた。
 その時である。
 どたどたと足音を鳴らし、ゴイルが広場に姿を見せた。手に持った抜き身の剣が、鈍く光っている。
「おい小僧。どういうつもりだ? ――いや、答えなくていい。どの道、決まっている」
 ゴイルが走って距離を詰め、モーリスに切りかかろうとした。
 だが「リーセン嬢」というモーリスの一言で、リーセンが間に割って入った。空ろな目と、人形のような口の動かし方でもって言うのだ。
「ゴイル、やめて……」
「んぐっ――」
 ゴイルも無理やり止まらざるを得ない。
 リーセンの背後で、モーリスがゴイルをあざ笑う。それから彼が袖を払うと、ゴイルが隠れていた家の陰とは別の場所から、鎧が三体、姿を現した。一体が斧を持っており、ゴイルめがけて突進し、斧を思い切り振り下ろした。
 ゴイルも応戦するも、鎧の武器を振るう速さは目を見張るものがある。武器の扱い方はまるで素人だが、速さに限ればゴイルの数段上を行く。
 技の巧みさ、力の強さはともにゴイルが上を行く。残りの二体がかかってくる前にも、鎧の中に入っているであろう男を倒せるはずだった。だがそうもいかない。
 ゴイルが剣で篭手もろとも斧を払った時である。手ごたえがなさすぎる。それにはじめ迫ってきた際の足音の軽さといい――、
「中身は空か!?」
「そう。オレの魔術だ。せいぜいこの広場で踊っていろうすのろめ。
 ……さあ行くとしようか、金の娘よ。力を合わせ、門番を倒し理想の世界の門を開くとしよう」
 モーリスがリーセンに手を差し出した。リーセンはおずおずと、金貨を握っていた手とは逆の手でモーリスの手を握った。
 満月の下、魔術師と金の娘は偽りの契りを交わした。
 すべては魔術師の企みであり、魔術師の独善である。
 真夜中、幼い子供の秘め事のように、魔術師と金の娘は手を繋いで森へと向かう。
 異性に不慣れでにわかに頬を染めた魔術師と、夢を見ているかのようで憂いを帯びた表情の金の娘。二人は確かに、幼い勇気を奮う少年と、それをたしなめつつも振り回される少女のようだった。
 黒衣の少年と黒髪の少女は、黄金の月によく映える。
 向かう先には、竜より恐ろしい門番が待っている。



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