夕食をコーンポタージュ缶一本で済ませ、そのままエントリープラグの中に入る事になったアスカが解放されたのは、翌日の午前10時になってからだった。軽く16時間拘束されていた事になる。流石に空腹ではあったが、キョウコと話せたので実験中はそれほど気にならなかった。
(……お腹すいた)
「アスカ。お疲れさま。凄いシンクロ率が出てたわよ」
着替え中のアスカに話しかけて来たのはミサトだった。
「どれくらい出てたの?」
最初はキョウコと話をしようと思い、かなり高めのシンクロ率を出した事は自覚している。余り高すぎるのも不味いと思い、その後はキョウコと話が出来る最低限のシンクロ率を模索し維持した。例の偽アスカが最初に高い数字(40%)を出し、その後起動指数を確保出来なくなった事から、シンクロ率が低下しても怪しまれないと踏んだのだ。
「最初の方は80%台も出てたのよ。その後も変動を続けて、最終的には62%位で落ち着いたわ」
「(不味いわね。思ったよりシンクロ率が高い)そんなに出てたの?」
アスカは白々しく驚いて見せた。
「あいつら驚いてたわよ~。いい気味だわ」
上機嫌なミサトに、アスカは(研究員共の鼻を明かせたなら良いか)と思う事にした。それよりもアスカの歳で徹夜はかなり堪えるし、何よりお腹がすいた。何か食べて早めに休んでおかないと、次はどんな嫌がらせを受けるか分からないのだ。対応出来ずに怪我でもしたら馬鹿みたいだ。
「流石に疲れたでしょう。早くホテルに帰って休みだ方が良いわ」
「そうね。でも、その前に何か食べたいわ。加持さんに何かおごってもらいましょうよ」
「それ良いわね」
アスカの提案にミサトが乗り、加持に携帯をかけ始めた。しかし、想定通りには行かない物である。
「セカンド・チルドレン。何処へ行く?」
更衣室を出て来た所で、アスカにネルフの制服を着た軍人(一尉の階級章を付けている)の男が話しかけて来た。ミサトは携帯を手早く切ると、アスカと男の間に割り込んだ。
「セカンド・チルドレンは、シンクロ実験が終わったのでホテルに帰って休ませる所です」
それを聞いた男は、眉間にしわを寄せる。
「何勝手な事をしようとしている。人類の未来を背負っている自覚はあるのか? セカンド・チルドレンはこれから訓練だ」
男の物言いに、アスカとミサトは唖然となる。
(勝手なのはどっちよ。こっちは移動後に食事も抜きで実験させられ疲れてるのに)
頭に来たアスカは、文句の一つも言ってやろうとミサトの陰から出ようとする。しかしそれは、ミサトに止められてしまった。
「セカンド・チルドレンは、移動や実験が重なって碌に休んでいません。無理をさせて実験の能率が落ちたら如何するのですか? それに怪我をさせた場合は、それこそ人類の未来に暗雲を落とす事になると思いますが……」
ミサトが正論をぶつけるが、男は不愉快そうに顔を顰める。しかしミサトが付けている階級章を見ると、途端にうすら笑いを浮かべた。
「私の階級は一尉だ。君の階級は二尉に見えるのだが、階級が上の者に対するの口のきき方がなっていないのではないかね」
軍での階級とは絶対的な物である。反論出来ないミサトの顔が悔しそうに歪む。
「何事ですか?」
そこに加持をはじめとする日独の護衛達が合流して来た。
「ふむ。加持三尉か」
相手は三尉と言う所を強調して来た。階級をかさに着た何処までも嫌な奴である。
「こちらが好意で、セカンド・チルドレンの訓練をする。と、言っているのだがね」
勝ち誇った笑みを受けべる男に対して、加持は一瞬だけ眉間にしわが寄った。他の護衛達も似た様な反応をしている。
「しかしセカンド・チルドレンは、移動と実験の影響で消耗し……」
「この私が訓練をしてやる。と、言っているのだよ」
加持がミサトと同じ内容の抗議をしようとしたが、階級を盾に切って捨てられた。それにニタニタと笑いながら……
「セカンド・チルドレンに付いている優秀な護衛は、訓練の重要性も理解できないのかな?」
等とのたまったのだ。無茶苦茶である。そこには日本人蔑視と言うだけでは、説明できない何かが在った。
「それでは準備をして訓練所へ来たまえ」
そう言って笑いながら去って行った。そこで口を開いたのは加持だった。
「あいつの言う事は聞かなくて良いぞ。少し早いが昼飯を食って、アスカを休ませないとな」
アスカやミサトを始めとする日本側は、優先すべき命令(実験と護衛)があるので問題ないだろう。嫌がらせをされたとしても、一週間我慢すれば日本に帰れるので解放される。しかし加持とその同僚達の立場を考えれば、そうも言ってはいられない。
「ちょっとこっちに来なさい」
「これは強引なお誘いだな」
「いいから来る」
ミサトが加持を引っ張って、アスカから距離を取った。アスカに聞かせたくない話をするようだ。通路の角を曲がった所で話すようだが、そのくらいの距離では小声で喋っても今のアスカには聞こえる。
「私達は良いけど、そっちは大丈夫なんでしょうね」
「大丈夫か駄目かで言えば、駄目だな」
「あっ んぐぅ……」
加持は叫び声を上げそうになったミサトの口を、素早く手で押さえた。
「落ち着け。葛城。アスカに聞こえる」
ミサトが落ち着いたのを見計らって、加持はミサトの口から手を放した。
「アスカの母親である惣流博士の話は知っているか?」
ミサトは怪訝な表情をしながらも頷いた。
「彼女の活躍でドイツ支部は規模縮小を余儀なくされた。それ自体は自業自得だが、その影響で支部内の外国人蔑視の風潮が強まったんだ。アスカも大学以外の学校に行って無かったようだし、こっちに居る頃は相当辛い思いをしたんだろうな」
「……それって」
「別に惣流博士を恨んじゃいないよ。むしろ彼女の事は尊敬すらしている。だが、ここの上層部は彼女の事を恨んでる」
「そうでしょうね」
「結果として外国人……特に、日本人を弾圧した人間が出世する空気が出来上がっているんだ。さっきの男が絡んで来たのも、上へのポイント稼ぎが目的だろう。……つまり」
「つまり?」
「何をしても俺の立場は変わらない。と、言う事さ」
おどける加持に対して、ミサトは渋い顔をした。
「なんであんたは、そんな所に居るのよ」
「いろいろ事情があってな。……ちなみに他の奴等(護衛)は、今回限りで他支部から呼んだ応援だよ」
「私が聞きたいのは……」
「さあ、アスカが待ってるぞ」
「ち ちょっと。待ちなさいよ」
加持は“話は終わりだ”と言わんばかりに、アスカ達の所に戻る。
「食事のリクエストはあるのかな?」
ミサトはまだ聞きたい事があったようだが、アスカの前で話せる内容では無いので黙った。
加持が案内してくれたのは、ホテルの近くにある小さな食堂だった。店に入ったのは、加持、アスカ、ミサトの三人だけで、他の護衛には店の外を固めてもらっている。
店自体は“ドイツ版おふくろの味”と言った感じで、懐かしいと感じさせてくれる味がアスカには嬉しかった。空腹だったことも手伝って、ついつい食べ過ぎてしまったほどである。アットホームな雰囲気も、ギスギスした支部の空気を体感した後だと物凄く嬉しく感じる。
「リョウジが誰とも付き合わないのを不思議に思ってたら、こう言う事だったのね」
加持が会計をしている時に、店のおばさんが加持をからかいだした。おばさんの目線の先には、護衛達に食事が終了した事を知らせに行くミサトが居た。
「おいおい、勘弁してくれよ」
口では困った様な事を言っているが、加持の表情は柔らかかった。
(あたしが知ってる加持さんだ)
その表情を見たアスカは、迷いの様な物が吹っ切れた。
「ごちそうさま。美味しかったわ」
上機嫌で礼を言うアスカに、加持は満足そうに頷いた。
「それで加持さんは、ミサトと付き合ってるの?」
「アスカもか……」
加持は困ったような表情をするが、悪い気はしていない様だ。
「残念ながら付き合ってない」
「ミサトは加持さんの事が好きみたいだけど……。それにお互い好きなら、付き合うべきだと思うわ」
加持は本当に困ったような表情をした。だが次のアスカの言葉で、その表情が凍りつく事になる。
「お互い幸せになってはいけない人間とか思ってる? 弟さんの事とか……」
「そ それを どこで……」
驚愕で言葉が出ない加持の前に、アスカは一枚のデータディスクを取り出した。
「加持さんが信用できそうなら渡してくれって頼まれたの」
加持は誰に?と聞こうとしたが、その前にアスカに止められてしまった。人差し指を唇にあてて秘密のポーズをするアスカは、小悪魔の様に見える。
(この歳で……。末恐ろしいな)
アスカの背景を知らない加持は、アスカの将来が不安になるのだった。
アスカ達をホテルに送った加持は、家に戻りデータディスクの中身を確認した。
その内容は加持を震撼させるに十分な物だった。マルドゥック機関の正体からエヴァのシンクロの秘密まで、今の加持ではとても知りえない事が満載されていたのである。当然、死海文書やセカンド・インパクトの真相等、加持が今知ると危険な深い闇の部分は伏せられていた。
「俺を引き込みたいとあるが ……どこまで信用して良いか」
残念ながら今の加持には、この情報の信憑性を判断出来ない。それは加持が“判断基準とすべきデータ”さえ持っていない事が理由である。そんな自分を引き込もうとする理由が、加持には分からないのだ。
「しかし」
そう呟きながら、最初に開いたテキストデータを見る。そこには“こちら側に付いて欲しい。情報の信憑性を疑うなら、返事は最低限確認してからでも構わない。もしこちら側に付いてくれるなら、セカンド・インパクトの真相を教える”とあった。
「如何するか? な」
加持はノートパソコンの前で、頭を抱える羽目になった。
一方でアスカもホテルで頭を抱えていた。ミサトは睡眠を取る事になっているアスカに気を使い隣の部屋で待機して居る。
「なんでマギクローンにデータが無いのよ」
エヴァの実験にマギは必須なのに経歴が一切無いのだ。考えられるのは実験にマギを一切使用していないか、使用した後に徹底的に痕跡を消しているかだ。必然的に前者は考え辛いので、答えは後者と言う事になる。例の2人に、そこまでして隠さなければならない秘密が在ると言う事だ。
(弐号機が運び出されたような形跡は無いから……)
アスカはそう呟きながら、支部内の入退出記録を引っ張り出した。そしてその中から、条件に合いそうな人物を探す。
(先ずは年齢で……)
入退出記録のリストから、15歳以上の人間を除外する。それだけでリスト上の人数は3人まで減った。
(1人は渚カヲル。……こいつか)
弐号機とシンクロ出来た時点で、ある程度予想は出来ていた。しかし、もう1人は誰なのだろう?
しかしアスカの中に引っかかる物があった。
(あれ? ママの口ぶりだと、弐号機では無くママにシンクロしたって…… あいつは弐号機にシンクロ出来てもママにはシンクロ出来ないはず)
浮んだ疑問に首をかしげながらも、残り2人のデータを呼び出す。そこでアスカは固まる羽目になった。
「式波・アスカ・ラングレー って誰よ」
思わず声を出してしまったアスカを誰も責められないだろう。式波・アスカ・ラングレーは、ファミリーネームと経歴が全て消去済みになっている以外は、顔・血液型・生年月日まで全てアスカと一致したのだ。
アスカは式波の治療データからDNA情報を盗み出し、自身のDNA情報と照らし合わせる。結果は……
(同一人物……か。となると、この子は私のクローン?)
そう思った所で、アスカは首を横に振り否定した。
(あたしがセカンド・チルドレンに選出された時期を考えると、クローン培養が間に合うとは思えない)
そうなると、ますます式波・アスカ・ラングレーの正体が分からない。アスカはその正体を暴こうと思考を巡らせたが、思い当たる事が無かったので保留するしかなかった。
(最後の1人は、真希波・マリ・イラストリアス……か)
こちらも経歴は全て消去されていた。アスカと比べると1~2歳上に見えるが、生年月日上はアスカより3ヶ月遅れた2002年3月31日となっている。
(……怪しい)
アスカは真希波と自分のDAN情報を照らし合わせてみた。すると他人と言うには、高すぎる一致率が出て来る。不審に感じたアスカは、キョウコのDNA情報を引っ張り出し照らし合わせた。その結果出て来た結論は……
(父親こそ違うけど、DNA上はママの娘で間違いない)
アスカは訳が分からない結果に、頭を抱えて唸る羽目になった。
(式波や真希波って、いったい何なのよ)
この事実を放置できないと判断したアスカは、徹底的に調べる事にした。
…………
……
しかし調べても調べても、有力な情報が見つからない。
溜息を吐き、だらしなく椅子によりかかると天井を見つめる。そこでいったん落ち着こうと思い、そのまま目を閉じると現状を一つ一つ分析し始める。そこでアスカの中に閃くものがあった。
(真希波って子があたしの妹なら、ゼーレはどうやってママの卵子を手に入れたんだろう?)
その疑問に答えを出すべく侵入したのは、キョウコから体外受精を請け負った業者のコンピューターだった。そして過去の出荷記録を呼び出し、キョウコの顧客IDから検索をかける。
(HITしたのは3件か…… 当たりね)
キョウコから聞いた話では、体外受精による着床は1回で成功した(採卵に成功した卵子が2個だけだったので、運が良かったと言っていた)ので出荷履歴はアスカの1件のみのはずである。
(卵子は2個だけなのに出荷が3件と言う事は、1個は何らかのトラブルで2個に分かれてしまったと言う事ね。その卵子があたしであり、式波・アスカ・ラングレーと言う訳ね)
アスカは自分以外の2件の出荷先を調べ、今度は出荷先のコンピューターに侵入する。
(LCLを使った人工子宮の研究。見つけた)
盗み出したデータによると、人工子宮実験の被検体として(アスカが着床に成功した為)不要になったキョウコの受精卵を使ったようである。これは別の思惑として、優秀な頭脳を持つキョウコの遺伝子を確保しておきたかったと言うのもあるらしい。そしてこの事が知れ渡れば、余計なスキャンダルを追加する羽目になる。ドイツ支部にとって、これ以上のスキャンダルは避けたいだろう。
(そっか、あたしには妹が居たんだ。それも2人も)
マリの方が年上に見えるのは、父方側の遺伝子か培養層に居た期間が長かったのが原因だろう。(注 生年月日からアスカが判断。前者は認めたくない)その所為かスタイルでは負けている。しかし一卵性双生児である式波と自分を比べ、色々な部分で勝っているのがアスカは嬉しかった。
(シンジの特訓のおかげね♪ ……って!!待って!! そんな子が居るなら、如何してLCLの海で出会わなかったの!?)
双子と言えば、ただでさえ引かれあう物である。そんな存在がLCLの海に居れば気付かないはずが無い。
サード・インパクト時に生きていれば、必ずLCLの海に溶けたはずである。それは死んでいても同様で、ガフの部屋に居た魂は全てLCLの海に注がれたはずだ。つまり前回は、式波・アスカ・ラングレーが存在しなかった事になる。
(シンジが言うには、ユイさんは“セカンド・インパクトまで忠実に再現する”と言っていたらしい。大きな差異が生まれるとすれば、あたしやシンジが行動を開始してからになる。バタフライ効果を考えても、あたし達が目覚める前に大きな差異が出来るものなの?)
しかしこの2人が前回存在しなかったのは確かなのだ。もし存在したとしたら、世界から消えた事になる。そんな事はあり得ないと結論を下そうとした時に、アスカの中に引っかかる物があった。
そしてその引っかかった事を必死に手繰り寄せると、アスカの頭の中に一つの疑念が浮かび上がった。
(ディラックの海だ!! あの中ならサード・インパクトの影響を受けないし、魂がガフの部屋にたどり着けない。……かもしれない)
前回アスカは4号機のパイロットが誰か気にした事が無かった。式波がパイロットか、真希波がパイロットで式波が見学に来ていたか……。あくまで仮定の話だが、そう考えれば辻褄が合うのも確かなのだ。だが、そんなの話をいくら積み上げても意味は無い。現実にアスカの妹に当たる人間が2人いる事が問題なのだ。
(データを見る限り、2人がドイツ支部を出た形跡は無い)
現状のドイツ支部の状況を考えれば、この2人が如何言う扱いを受けているか想像に難くない。今はセカンド・チルドレンの予備として、最低限度の安全は保障されているが、そのタガが外れたら如何なるか分からない。やはり1番怖いのは、2人の立場がセカンド・チルドレンの予備から依り代に移行した場合だろう。
アスカがチルドレンとして本格的に活動を開始すれば、2人をチルドレンの予備として置いておく旨味は無くなる。また、今のアスカはチルドレンとして優秀すぎるので、使徒撃退後はゼーレにとって邪魔になる。アスカを暗殺し2人のどちらかを依り代にするのが、ゼーレにとってベストな選択と言えるだろう。
(……このままあたし達の計画が進めば、2人が依り代にされるのは火を見るより明らかね)
セカンド・チルドレンの予備なら高いシンクロ率を出す為に、2人の精神を追い詰めるような真似は出来ないが、依り代として考えれば逆に追い詰め心を壊す必要がある。そう、今まで目の前にしながら手を出せなかった敵の娘に、手を出す大義名分が与えられるのだ。まして2人は、キョウコの血を継いでいるだけあって美人である。
(……考えたくもない)
しかし今のアスカに、ユックリと対策を考えている暇はない。アスカはチルドレンとしての優秀さを、既に知らしめてしまったのだ。その所為で2人は、出来そこないのレッテルを貼られただろう。まだ猶予は在るだろうが、この支部の状況を考えれば末端の暴走もあり得る。そしてアスカの頭の中には、見捨てると言う選択肢は無かった。
(……覚悟を決めるしかないか)
そう結論を出したアスカは、携帯を取り出すと加持の番号をプッシュした。
「加持さん。今すぐホテルまで来てほしいの」
アスカの声は真剣そのものだったが、加持はその真意が分からず頭を抱えるのだった。
夕方に再びホテルを訪ねた加持は、隣の部屋に居るミサトに声をかけ一緒にアスカが居る部屋に行く。
「アスカ。加持が呼ばれたとか言ってるんだけど。本当に呼んだの?」
加持への信頼が全くないミサトの言葉に、勘弁してくれと加持は苦笑いをする。
「うん。呼んだわ。お願いしたい事があってね」
アスカは加持とミサトを、部屋に招き入れる。
「ちょっとアスカ。寝なくて大丈夫なの?」
アスカの顔を確認したミサトは、思わず声を上げだ。アスカの顔には、薄らとではあるが隈が出来ていた。帰った後に一睡もしていないのは明らかだ。
「今は横になっても寝れないから」
そう言ったアスカは、加持とミサトに着席を促す。しかしアスカの態度に困惑した加持とミサトは、なかなか席に着こうとしなかった。アスカはそんな2人をとがめる事無く、ノートパソコンをテーブルに置くとディスプレイを開く。
「先ずはこの2人の情報を見て……」
アスカにそう言われて冷静さを取り戻したのか、加持が席に着きノートパソコンを覗き込む。そしてミサトもそれにならった。
「え? アスカの個人情報? いえ でも式波って? それに経歴が……」
ミサトが困惑の声を上げるが、加持は黙ったままだった。
「この2人はあたしの妹達よ」
「え? 妹? そんな話し聞いてないわよ」
1人困惑するミサトを放っておいて、アスカは加持の目をじっと見たまま話を続けた。
「加持さんに渡したデータディスクの内容は、あたしも知っているわ。加持さんは情報源について知りたいでしょうが『それは残念ながら現段階ではお話しする事は出来ません』……と、言うはずだったけど、状況は変ったの」
そう言って、アスカはノートパソコンに手を置いた。
「式波・アスカ・ラングレーとあたしは、一卵性の双子よ。そして、真希波・マリ・イラストリアスは父親違いの妹」
「如何言う事だ?」
加持は冷静に返す。
「ママは精子バンクから精子を買って、体外受精を試みたわ。その際1回で受精卵の着床に成功し、あたしを身籠った。残ったのは、何らかのトラブルで2つに分かれてしまった受精卵の片割れと、日の目を見なかったもう一つの卵子よ。それをゼーレが手に入れたの」
加持はアスカの口から出た“ゼーレ”と言う言葉に眉を顰める。
「そして別口で研究されていた“人工子宮”のサンプルにされたの。LCLを利用した人工子宮の実験は成功し、この2人はこの世に生を受ける事になったわ。本来ならモルモットとしてその生を終えるはずだった。だけど……」
「モルモットって!!」
思わず叫んだミサトを、加持が制止しアスカに続きを促す。
「ママが……惣流・キョウコ・ツェッペリンがエヴァ弐号機に取り込まれ、その子供がエヴァ弐号機を動かす。……チルドレンとしての資格を得たの」
今度のミサトは、顔を顰めるだけだった。前回と違いネルフ内では、キョウコが弐号機に取り込まれたのは周知の事実となっていた。その子供がチルドレンとして選ばれた時点で、ミサトもある程度は予想していたのだろう。
「この2人の立場は、モルモットからチルドレン候補に格上げされたの。それを面白くないと思う人達もいるわ。しかもママと直接の接点が無かった2人は、シンクロこそ可能だったけど起動指数は確保出来ない。その所為で2人は出来そこない扱いよ。そんな状況であたしが出したシンクロ率は……」
加持とミサトの二人は、アスカが何を頼みたいか分かったのだろう。黙り込み難しい顔をした。
「あたしの中に妹達を見捨てる選択肢は無いわ。協力してくれるのなら、あたしが用意できる最大の報酬を約束します」
アスカは、最後の部分だけ丁寧に言い軽く頭を下げた。軽くとは言え頭を下げる等、前回のアスカでは考えられない事だ。
「具体的には何がもらえるのかな?」
「加持!!」
加持の物言いは、助けを求める10歳の子供に対するモノではない。ミサトが怒り立ち上がろうとするが、その前にアスカの口が動いた。
「セカンド・インパクトの真相。加持さんには真実を……ミサトには本当の敵を……」
ミサトは立ち上がろうとした姿勢のままで硬直する。そんなミサトを放置して、アスカと加持の話は進む。
「アスカにあのデータディスクを託した人は、それで納得するのかな?」
「はい」
アスカは自信を持って頷いた。
「その人は誰なんだい?」
「……碇 ユイよ」
アスカが口にした名前は、加持やミサトにとって予想外の人物の名前だった。
「ちょっと何やってんのよ!!」
「五月蠅い!!ガキは黙ってろ!! また殴られたいのか!?」
「な なによ……」
スピーカー越しに行われているアスカと実験主任の口論は、実験主任の“殴る”というキーワードで終わってしまった。その光景を傍で見ている加持とミサトは、盛大に溜息を吐きたい気分になった。しかし、このまま黙っている訳には行かない。
「落ち着いてください。ようやく実働試験にこぎつけたのですから。それに何度も言っていますが、パイロットの精神を追い詰めるのは、シンクロ率や実際の動作に悪影響が出てしまいます。最悪の場合は、暴走もあり得ると言う事を忘れないでください。目に余るようだと……分かってますね」
ミサトが取り成しと軽い脅しを入れると、実験主任は舌打ちをして部下に指示をし始めた。アスカのドイツ滞在は今日で終わりとなる。そこで、実戦レベルの動作実験を行う事になったのだ。この実験でドイツ支部は、唯一実戦可能なエヴァを保有していると大々的に喧伝する心算のようだ。国連の高官やゼーレ関係者が、多数見学に来ている。
「葛城。俺は2人を迎えに行く。ここは頼んだぞ」
加持がミサトに耳打ちして、実験室を出て行く。加持が出て暫くすると、またアスカと実験主任が口論を始めた。
「このやり取りは、見学者達に筒抜けなのにな。……アスカも良くやる」
自分が施した細工を思い出し、加持は小さく笑い目的地に向かって歩く。
あの話し合いの翌日、アスカはドイツ支部の人間を挑発して一度手を上げさせた。その後も挑発を繰り返し、手を上げられそうになると黙るようにしたのだ。これで見学者達に“ドイツ支部はセカンド・チルドレンに暴力をふるっている”“日本の警告をドイツ支部が軽視している”と印象付けた。
ギスギスした雰囲気のまま実験は始まり、スケジュールを消化して行く。そしてタイミングを見計らい、アスカは弐号機を転倒させた。
「何をやっている!!」
苛立たしげに叫ぶ実験主任。
「五月蠅いわね!! まともに整備してないんじゃない!!」
「また殴られたいのか!?」
何時もならここで黙るのだが、もう我慢する必要が無い。
「自分達のミスを棚に上げて、好き勝手言ってるんじゃないわよ!! この無能!!」
今までのお返しとばかり、思いっきり罵ってやる。アスカの意思に反応して、エヴァが動かないようにするのに注意が必要な位だ。
「ガキが生意気な!! 停止信号だ!! 今すぐ弐号機から引きずり出せ!!」
「止めてください!!」
「五月蠅い!!」
ミサトの制止を振り切り、作業員が弐号機に取り付く。
「イヤーーーー!!」
その時アスカの悲鳴がスピーカーから流れる。それと同時に……
「エヴァが再起動しました!!」
「何だと!! もう1度停止信号を出せ!!」
「やっています!! アンビリカルケーブルの切断も受け付けません!!」
「バカな!!」
エントリープラグ内で錯乱するアスカの悲鳴が流れる中、実験室はパニックになる。そのパニックに乗じ、ミサトが支部内の緊急避難警報を入れた。
「何をしている!!」
「支部内の人間を避難させないと、犠牲者が増えます」
ここで発生した支部内の混乱を利用し、加持が2人を逃がす作戦だ。エヴァの停止信号は、キョウコの協力で無効化出来る。アンビリカルケーブルの切断不能と逃走経路の確保は、加持の仕事だ。ミサトはアスカの不当な待遇を、本部だけでなく他支部にまでリークした。アスカは入退出記録の削除とマギ内に残った証拠の消去と偽造を担当した。
後はアスカが人死にが出ない様に適当に暴れ、2人が逃げ延びた頃合いを見て暴走を停止させれば終了である。
……が、上手く行かない事は間々ある物である。
「LCLの濃度を限界まで上げろ!! パイロットを気絶させれば、暴走は収まる!!」
「まっ!! 待ちな……」
ミサトが止める間も無くアスカは気絶させられる。と、同時に弐号機の動きが止まった。
この時、ミサトの頭の中に“失敗”という言葉が浮かんだ。
「勝手に緊急避難警報を出した責任は取ってくれるんだろうね」
実験主任が、吐き捨てる様にミサトに問いかけて来る。
「……くっ」
ミサトの顔が苦虫を噛み潰したように歪むが、すぐにそれどころでは無くなった。
「エヴァ。再び再起動しました!!」
「何だと!!」
全員の視線がモニターに移ると同時に、エヴァ弐号機が咆哮を上げた。先程の暴走はアスカのコントロール下にある偽の暴走(もがき苦しむ様な動き)だった。が、今度の暴走は違う。アスカを傷つけられた事によりキョウコがキレたのだ。
「避難するわよ!! ……早く!!」
危険を本能的に感じ取ったミサトが叫んだ。
暴走した弐号機は、支部を半分以上壊した所でようやく止まった。マギクローンも深刻なダメージを受けたので、今後支部としての体裁が保てるかもあやしい状態だ。死者や行方不明者を多数出してしまったが、見学者達の証言に加え証拠として上げられた実験室の状況が決め手となり、今回の被害はドイツ支部側の責任となった。
ゲンドウが弐号機の引き渡しを求めたが、ゼーレがそれを許さずアメリカ支部に運び込まれる事になった。
いろいろと無茶苦茶になってしまったが、式波と真希波の2人は無事逃げ延びる事が出来た。そして、残っていた入退出記録(アスカ偽造済み)から2人の生存が絶望視され、追手が掛からなかったのは今回唯一の幸運だろう。
加持は日本へ転属になった。今はミサトと一緒にアスカの護衛をしている。
そして今日、別ルートで日本に向かっていた式波・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアスの2人が到着するのだ。飛行機から降りて来た2人を確認すると……
「始めまして。あたしがあなた達のお姉ちゃんよ」
アスカは満面の笑みを浮かべて言い放った。