ドイツへ帰る飛行機の中で、アスカは頭を悩ませていた。と言っても、悩んでる内容はシンジの事ではない。
サード・インパクトを防ぐ確率を上げる方法についてだ。そして、例の訓練は努力した分は確実に自分に帰って来る。
(そうよ。あたしの力が強くなればなるほど、勝率が上がるのよ。[注 建前] それに、綺麗になればなるほどシンジが……[注 本音])
思考に余計なノイズが入ったが、ドイツに帰ったら託児所には行かず訓練とキョウコの手伝いに専念する事にした。
精神年齢的に辛い(前回のアスカ分14歳+シンジの追体験分14歳で28歳である。ある意味、使徒戦時のミサトと同年代と言って良い)のもあるが、何より辛いのは、クォーターであるアスカに対する蔑視の風潮だった。
託児所には多くの子供が居るが、その親達の中には半ネオナチの純血主義者や白人至上主義者が少なからず居るのだ。そんな親達に影響された子供は、アスカに嫌悪感を抱くのは当然の流れと言って良かった。前回のアスカは、こう言った者達を腕っ節で黙らせていた。少しやり過ぎてキョウコに迷惑をかけた事もあったが、今回はそれでは済まない可能性がある。今のアスカは軍隊格闘術を身につけている上に、例の訓練により筋力が劇的に上がって行くのだ。ただの子供相手に加減を間違えれば、怪我では済まない可能性がある。
(ただでさえ嫌な思いをするのに、気を使わなければいけないなんて冗談じゃない)
しかしアスカは、この事をキョウコに言うのに抵抗があった。いくら言葉で取り繕っても、キョウコに「あたし託児所で孤立して居るから行かない」とは言えなかったのだ。単純に心配をかけたくなかったのもあるが、それを口にするのは、弱音を吐くようでアスカのプライドが許さなかった。
(それじゃぁ、あたしが可哀想な娘みたいじゃない!! 何か言い訳考えないと……)
アスカは帰りの飛行機で、そんな事ばかり考えていた。
帰宅後の片づけがあらかた終わり、紅茶を飲み一服している時にアスカは切り出した。
「ママ。お話があるの」
「何? アスカちゃん」
「あたし。託児所に行かずに、シンジに教えてもらった訓練に集中したいの。サード・インパクトを防ぐには、それが一番だと思うの」
キョウコはカップをソーサーに置くと、アスカの顔を真剣な表情で見つめた。
「自衛の為に訓練をしたいの。……それに、3~4歳位の子供に混じるのは辛いわ」
キョウコの返答が無いので、アスカは更に言葉を付け加えた。しかしキョウコは、黙ってアスカを見つめたままだ。
「あたし。託児所の……」
「良いわよ」
次の言葉を言いきる前にキョウコは許可を出した。アスカは喜んでいるが、キョウコは一度大きなため息を吐く。
(アスカのプライドと羞恥心では、羞恥心に軍配が上がったか。シンジ君も苦労するわ)
例の訓練の話を聞いたキョウコにとって、今回アスカが言い出した内容は十分に予想出来る事だった。と言うか、嬉しそうにシンジの名前を口にしながら、例の訓練が美容と体型に及ぼす影響を話題にしていれば、ばれるのは当たり前である。
そこでキョウコはアスカの優先順位を知る為に、すぐに許可を出さずに沈黙を守った。そしてアスカはキョウコの狙い通り、自分にとって如何でも良い物から心情を晒した。
アスカが人に知られても良いと思っている順番は、サード・インパクトを防ぐと言う建前。己の安全を確保すると言う建前。年齢差によるストレスと言う本音。キョウコに孤立して居る事を秘密にし、心労増加を防ぐやせ我慢(バレバレだが、本人は隠しているつもり)。そしてシンジへの思い(羞恥心)の五つだ。
(……なら、私が矯正すれば良いか。シンジ君はお婿さんに欲しいし)
キョウコが出した結論は、今後アスカにとんでもない苦労を強いる事になる。
「とりあえず今年の高等学校卒業程度認定試験に合格してもらうわ」
「え?」
「大学は出ておかないとね~♪ 私がエヴァに入る前に……」
何でそうなるのだろう? と言うか、アスカの年齢的に良いのか?
不思議そうにして居るアスカにキョウコが続ける。
「シンジ君にとって、前回のアスカちゃんが基準よ。何か一つでも劣っている事があったら、シンジ君ガッカリするんじゃないかな?」
「!!」
この言葉だけで、アスカは完全にキョウコの術中にはまってしまった。掌の上である。
「それに、家事が出来ない娘と家事が出来る娘。シンジ君はどっちが好みかな~♪」
反論できないアスカに、キョウコは続ける。
「シンジ君って、愛情に飢えているみたいに感じるのよね。ちょっと優しくされたらコロッて行っちゃうタイプね」
アスカにとっては身に覚えがあり過ぎる話だ。
「それに、ストレートに好意を示すタイプに弱いんじゃないかしら。あなたの為にお弁当作って来たの……みたいな」
アスカの頭の中に浮かんだのは、霧島マナが高笑いしながらシンジを攫って行くイメージ映像だった。そこに何時の間にかレイも加わっている。ちなみに、シンジがアスカに助けを求めるように手を伸ばしているのは、アスカの脳内の仕様である。
「ユイさんに似て顔立ちも整ってるし、きっとモテル男に……」
(性格が明るくなったけで絶対にもてるのに、更に優れた頭脳と高い運動能力も追加されたら……。霧島マナやファーストだけでも頭が痛いのに、これ以上余計なのが増えるなんて嫌よ!!)
頭を抱えるアスカに「如何するのかな?」と、とっても良い笑顔のキョウコさん。
「……家事を教えてください」
そう答えたアスカは、泣きべそをかいていた事をここに付け加えておく。やりすぎですキョウコさん。
(素直になれるように調教……もとい、頑張って教育しなきゃね♪)
……アスカが母親に敗北した瞬間だった。
後日「地味な格好をして絶対にもてない様にしろ。頭の良さと運動能力も隠せ。一回告白されるたびに一発殴る」と言う内容のメールがシンジに届いたのは余談である。
次の日の夕食は、キョウコとアスカの合作となった。
アスカは前回も含めて、まともな料理は片手で足りるほどしか作った事は無い。しかし、包丁捌き・味付け・盛り付け・テーブルメイキングと手慣れていて、とても初心者とは思えない。
何故このような事が出来るのだろう?
原因はアスカがシンジの人生を追体験した事だ。前回のシンジの経験は、アスカの中にしっかりと根付いている。
「前回アスカちゃんも家事しっかりしてたみたいね。掃除・洗濯・料理と全部人並み以上に出来るなんてすごいわ。私が教える必要なんて無いじゃない」
キョウコは上機嫌だが、アスカは笑うに笑えなかった。この家事技術は、アスカが命令してシンジに覚えさせた物だからだ。
「冷めないうちに食べましょうか」
「うん」
流石に親子だけあって、アスカとキョウコの味覚は似ていた。キョウコは「美味しい。それに、私好みの味だわ」と満足そうに料理を口に運んでいる。アスカがシンジに好みの味を覚えさせたのだから当然だ。しかしこれはアスカ好みの味であって、決してシンジが好んだ味ではない。
(そっか。あたし、シンジの好きな味も知らないのか)
その事実に気付いた途端。先程まであんなに美味しく感じた料理が、味気ない物に変わってしまった。
「料理の腕はシンジに敵わないし、この味はあたしが好きな味であって、シンジが好きな味じゃない」
愚痴の様な物がアスカから漏れた。
「なら、料理の腕を磨きなさい。食べる時のシンジ君の顔を見ていれば、味の好みなんて(愛があれば)すぐに分かるわ。料理の本や栄養学の本を、今度買ってきてあげるから」
「うん」
キョウコの慰めにアスカは素直に頷いた。しかしこの時キョウコが(これで楽が出来るわ♪)等と考えていたのは秘密である。
この後アスカは、家事・訓練・キョウコの手伝い・勉強にと、大変な日々を送る事になる。アスカの年齢を考えれば、台所に立つにも背が足りないし、洗濯物を干すのも一苦労……と言うか危ない。(何度かベランダから落ちそうになった。キョウコが止めても意地になったアスカは聞かない)
確かに苦労も多いが、前回と比べ“忙しくも充実した日々だ”とアスカは断言出来た。
一方でエヴァ弐号機の開発は、4か月ほど完全にストップしてしまった。馬鹿共が責任逃れが原因だ。内部告発(偽)で資料が出回っているので、いくら隠蔽しても無駄なのだが、それでも事故原因を不明とし喰らい下がったのだ。その所為で4ヶ月間は、エヴァ弐号機素体培養棟の移転や再建の検討すら出来なかった。業を煮やしたゼーレが介入して来なければ、開発遅延が何処まで行ったか想像も出来ない。
今回の事故で馬鹿共の発言力が一気に低下し、ある程度キョウコの主動で作業を進められるようになったのは皮肉な話だ。この状況でキョウコは、アスカに弐号機の素体性能のアップと接触実験の時期を2~3年遅らせると約束した。
こうなるとキョウコに暇などあるはずもなく、帰りがどんどん遅くなって行った。アスカは家事や仕事の手伝いだけでなく、共同でゲンドウ経由で発表する論文や研究書を書いたり、たまに取れた休日に一緒に出かけ気分転換させる等、アスカなりにキョウコを支えた。
キョウコの重要性を認識したゼーレに護衛をつけられた事を除けば、割りと楽しい日々を送っている。護衛自体は逆恨みによる襲撃を防ぐ為の物なので、歓迎すべき事なのだが鬱陶しい事に変わりは無い。
しかしキョウコの立場向上は、今まで蔑視の視線を向けて来る者達が手の平を返しへりくだって来る状況も作った。
「アスカちゃん」
アスカの買い物の途中で、突然声をかけられ振り向くと……
「誰?」
全く知らない人から声をかけられるのだ。
「僕は君のお母さんの同僚で……」
アスカを通じて、キョウコに取り居る気満々である。そんな奴に付き合う必要は無い。
「ごめんなさい。ママから知らない人に話しかけられても、応じちゃダメって言われてるので……」
「あっ 待って……」
こんなやり取りを、うんざりするほど繰り返す羽目になった。
キョウコはこの手の男を絶対に相手にしない。その理由はキョウコの元夫の話になる。
彼の目的はキョウコの頭脳と技術力(特許)を手に入れるの事だった。キョウコがドイツに来たばかりの頃は、理不尽な差別に晒され弱り切っていた。そこに優しく接して来たのが彼だった。「騙されたと気付いてからの夫婦生活は地獄だった」と、キョウコは語った。
離婚を申し出れば、条件に「技術や特許(離婚後の収入の一部)を寄越せ」と言って来たのだ。しかしキョウコが裁判を起こしても、周りに味方が居ないので勝てない。この状況で最悪なのは、逆に訴えられ慰謝料を請求される事だが、向こうも世間体を気にして裁判にはならなかった。
絶対的優位性を確保した元夫は、終いには浮気相手と子供を作り認知した。子供を欲して居たキョウコにとって、これは耐えがたい屈辱だった。そこに、親友のユイが懐妊したという知らせが来た。年下の親友に先を越された事で焦りの様な物が生じるが、夫との間に子供を作るなんて冗談じゃない。そう考えたキョウコは、精子バンクから精子を買いアスカを身ごもった。
しかし何が幸いするか分からないものである。アスカの存在が世間体に与える影響を恐れた元夫が、無条件で離婚を承諾したのだ。
キョウコの話を思い出し、アスカは怒りが再燃する。
(なんでドイツには、こんな男しか居ないのよ!!)
アスカがそう思うのも当然だろう。
大抵の人間は今の様に無視すれば良いし、しつこく絡んで来る奴は護衛が追い払ってくれる。しかしアスカ達には、強行手段に出る人間がいつ出て来るか分からない不安があった。
特に4歳で高等学校卒業程度認定試験に合格し、5歳でトップレベルの大学に合格した後はこの状況に拍車がかかった。
アスカの存在をマスコミが嗅ぎ付け、取材を申し込んで来たのだ。アスカが有名になれば、キョウコの同僚の様なにわかではなく、真性のネオナチ純血主義者や白人至上主義者に目を付けられる事になりかねない。
キョウコが丁重に断り、アスカの年齢を理由に記事にしない様に要請したが、それでも暴走する馬鹿の所為でアスカの存在はドイツで有名になってしまった。
誘拐されそうになったのも一度や二度では無い。もし護衛が居なかったらと思うとゾッとする。
色々とトラブルの種になるアスカだが、アスカの頭脳は(企業や研究所では)非常に魅力的なのは確かだ。あの訓練の恩恵で身体能力も劇的に成長し、元から良い容姿もアスカの理想に影響され更に磨きがかかっている。頭脳明晰・容姿端麗・スポーツ万能・家事万能・太陽のような性格と5拍子揃っていれば、アスカの魅力に気付く男が出て来るのも無理は無い。アスカは相手にしなかったが、7歳になる頃にはそんな男がかなり増えていた。
企業家にはアスカと同じ年頃の子供を紹介しようとする者も出て来る。2~3回しか話した事が無い(自称)親友や、家が割と近く何度か挨拶を交わしただけの(自称)幼馴染が大量に出て来たのは有名税だろう。しかし……
「子供大学生の惣流・アスカ・ラングレーって、俺に気があるんだぜ」
「マジかよ」
「マジ マジ。俺が飯食ってる時に、他が空いてるのにわざわざ俺と相席するんだぜ」
……ビキィ
(私が食堂で食べる時は、10人用の丸テーブルで食べていたから相席もしたでしょうよ。いつもあたしの他に、5~6人いたから……)
アスカは弁当を作らなかった時は、食堂に出入りする様になっていた。栄養バランスの事もあるが、シンジの金銭感覚に影響された事が主な原因だ。
相手の顔を確認し、記憶の糸をたどると……。
(確かに相席をした事があったわね。あたしが覚えている限りで2~3回)
「で、付き合ってやるのか?」
「俺はロリコンじゃねーよ」
……ビキッビキィ!!
「ははははっ。そりゃそうだ。あんな生意気なガキじゃ誰も相手しねーよ」
……プツン!!(これは無いわ)
男3人で話しているが、誰もアスカに聞かれている事に気付いていない。ただでさえ(自称)恋人が湧くようになって、イライラして居たのにこれだ。アスカがキレたのも仕方が無いだろう。
後日。人目が無い場所に1人ずつ呼び出し、顔を見られない様に不意打ちで気絶させる。そして顔に油性ペンで落書きし放置した。アスカの名前を最初に出した馬鹿は、両肩脱臼のおまけ付きである。当然証拠は残さない。ついでに財布から慰謝料も徴集する。……鬼だ。
それからアスカは「あたし日本にステディなフィアンセが居るの」と、触れ回る様になった。
(あたしの恋人は、シンジだけだっつーの!!)
一番上がって欲しくない攻撃力が、格段に上がって居るアスカだった。シンジ君の命が危ぶまれる。
シンジへ送るメールは、一週間ほど愚痴の文章で埋め尽くされる事になった。
大学に入学してもう直ぐ2年が経とうとしているこの日、とうとうキョウコが話題を切り出して来た。
「アスカちゃん。大学の方は如何なってる?」
「卒業に必要な単位は確保済みよ。卒論も教授に預けてあるから、もう日本に行っても卒業出来るわ」
キョウコは満足そうに頷くと、飛行機のチケットを取り出した。
「1週間後の日本行きのチケットよ。お婆ちゃんには話してあるし、万が一の時はゲンドウさんに後見人になってもらう様に話はしてあるわ……」
それから連絡方法や荷物等、細かい事で見落としが無いか確認して行く。
「……後は何か確認する事はあったかしら?」
アスカは黙って首を横に振る。そして、そのままキョウコに抱きついた。
「アスカちゃん。行って来るわ」
「うん。あたしが迎えに行くから待っててね」
「ええ。待ってるわ」
キョウコはアスカに笑顔で答えた。
アスカは日本に渡り、キョウコの母であるサクヤの元に身を寄せた。
義務教育なので小学校には1回だけ顔を出したが、煩わしすぎてアスカは初日でもう行かないと決めた。クラスのリーダー格に「俺の女にしてやるよー」と言われた時は、良く手が出なかった物だ。
サクヤは足が弱くなっていて、一人で出歩く事が困難な体だった。介護ヘルパーが来てくれているが、決して十分とは言えない。そしてATフィールドの訓練を重ねたアスカは……
(サクヤお婆ちゃんは、もう永くない)
死相を見てしまった。
(前回はお婆ちゃんの存在さえ知らなかった。こんなに弱っているお婆ちゃんに、ママの死はどれだけ堪えたんだろう? あたしも親不孝者だと思ったけど、ママも大概ね。せめて今回は、あたしが一緒に居てあげないと……)
アスカは心の中でそう決意した。
接触実験が行われたのは、それから2週間後の事だった。それと同時に、ゲンドウがキョウコの名前で論文と研究データを一部残し発表した。その中には、接触実験の危険性を訴える物があった。一部の未発表論文と研究データは、ゼーレに提出しアスカの安全を確保するのに使った。内容はシンクロシステムの概要だ。(パイロットの精神状態がモロに結果に結びつく事と、洗脳や薬物はシンクロ率を極端に下げるから出来ないと記した)却下偽装も完璧である。
ドイツ研究所の所長は“彼女は実験が成功する事に絶対的な自信があった。だから自ら実験体に名乗り出た”として、論文と研究データは別の誰かの物で偽物だと反論する。論文と研究データが5年以上先を見越した物である事から、その反論に説得力が無いとされた。しかしドイツ研究所所長は、実験の同意書を盾に自分達に非が無いと喰らい下がる。そこで止めとして、ドイツ研究所所長に脅されるキョウコの映像データを全ての研究所に流した。
おかげさまで、ドイツ研究所は大混乱である。本来なら関わった者全員を首にする所だが、研究の機密性からそれは不可能だ。そいつ等が如何なったかは、アスカには関係無いし興味も無かった。
キョウコの葬式は、サルベージ出来る可能性があるので行わなかった。
それから直ぐに、エヴァンゲリオンのパイロットのオファーが来たがアスカは断った。しかし、しつこい誘いを不快に感じ邪険に扱ったのが不味かった。ドイツ人研究者の一人が家に押し掛けて来て、警察沙汰になりかけたのだ。身の危険を感じたサクヤとアスカは、すぐにゲンドウに連絡して助けを求めた。
次に交渉に来たのは冬月だった。
面識があると言う事で、アスカは明らかに態度を軟化させた。キョウコとアスカから(前回の話を除く)事情を聴いているサクヤは、今回は何も言わなかった。
「アスカ君には、是非セカンド・チルドレンになってほしい」
長い前口上が終わり、ようやく本題に入ってくれた。
「いえ。お断りします」
アスカが毅然とした態度で返事をすると、冬月は困った顔になる。
「アスカ君が乗ってくれないと、世界が滅びてしまうかもしれないのだよ」
なおも説得しようとする冬月に、アスカは黙ってデータディスクを渡した。
「これは?」
「お帰りになった後、見ていただければ分かります」
中身はドイツ研究所の所長が、キョウコを脅迫してる時の映像データだ。これを帰った後に見た冬月は、頭を抱える羽目になった。
それからもゲヒルンとの交渉は、月一回のペースで行われた。しかし
(……おかしいわね)
アスカは内心でそう思わずに居られなかった。ドイツ研究所からのアプローチが、予想より弱すぎるのだ。このままアスカがゲヒルンに登録すると、その手柄はゲンドウ……ひいては日本の物になる。それだけならば、日本とドイツの間で密約がある可能性も考えられる。しかし、これだけ日本にアドバンテージを取られているドイツ研究所が、大人しくこの状況に甘んじているだろうか?
疑問を持ったアスカは、ドイツ研究所の動向を探る為にハッキングを仕掛けたが、有力なデータを探り当てる事は出来なかった。
(ママのIDが使えないと、こんなものなのかな)
マギクローンへの侵入は果たせたが、分かったのはドイツがアスカ獲得に動いていない事だけだった。裏取引をしたような形跡もない。
アスカ以外の適格者が見つかった?
ありえない。キョウコの血縁で健在なのは、サクヤとアスカだけだ。
弐号機にキョウコ以外の魂をインストールした?
これも無い。他の魂をインストールするには、キョウコをサルベージする必要がある。
コアを乗せ換えた?
技術的に不可能だ。また、マギクローンにそのような履歴は無かなかった。
他のエヴァを作っている?
資金的に不可能だ。こちらも、マギクローンに痕跡は無かった。念の為に他の研究所も確認したが、こちらも同様だった。
(弐号機はあたし以外に動かせないはず。なのに何故あたしを放っておくの?)
アスカは訳が分からず、頭を抱えてしまった。現状では不確定要素が多すぎる。
(ネルフになってからと考えていたけど、予定を早めてゲヒルンに入るしかないか)
しかしその結論は、サクヤを見捨てる事を意味する。
(お婆ちゃんを放っておくの?)
アスカが一緒に居る事により、生き甲斐を得たサクヤは元気になり死相も大分薄くなった。しかし消えた訳ではないのだ。アスカには、再び生き甲斐を失ったサクヤが如何なるかは分からない。アスカの中に葛藤が生まれ、そしてその答えが出ずに悩む事になる。
そしてサクヤは、そんなアスカに気付いていた。アスカが悩み始めて数日後に、サクヤが切り出したのだ。
「アスカちゃん」
「なに?」
「ゲヒルンに行きたいんでしょう?」
サクヤの指摘にアスカは身を固くする。
「行って来なさい」
「!! でも!!」
「行きなさい。行かないとアスカちゃんは後悔するわ」
答えられないアスカにサクヤは続ける。
「あたしとキョウコは、喧嘩別れしていたのよ」
「えっ」
「キョウコは昔からお爺ちゃんそっくりで、頑固で妥協出来ない娘だったから。ドイツ行きの話が出た時に、あたしが無理に反対した所為で家を飛び出しちゃったのよ」
キョウコの意外な一面を知ったアスカは驚くが、すぐにマッドな姿を思い出し納得する。
「それが突然子供が出来たって、4歳位の子供を連れて来るんだもん。それも2人も……。お婆ちゃんビックリしちゃったわ」
ゲヒルンの休日を利用して、シンジとアスカを連れてサクヤに会いに行った時の話だ。アスカは我が母ながら、申し訳無いと言う気持ちになる。
「でも、あの子が母親の顔してるの見たら、何にも言えなくなっちゃったわ。……それとね。今のアスカちゃんは、ドイツ行きを言い出す前のキョウコと同じ顔をしているわ。……それに、必要なんでしょう?」
「……うん」
「なら行きなさい。後悔だけはしちゃダメよ」
アスカは黙って頷くことしかできなかった。
再び交渉に訪れた冬月は、また頭を抱える羽目になった。
「……以上の条件を呑んでくれれば、セカンド・チルドレンになっても良いです」
「一つ目のドイツへの出向の拒否は無理だよ。エヴァンゲリオン弐号機はドイツにあるのだから」
「ママに聞きました。エヴァンゲリオンは、遅かれ早かれ箱根に配備されるって……。何故今ではダメなんですか?」
冬月も世界を救う為の戦いで、利権に溺れた大人達が足を引っ張り合っているとは言えなかった。
「しかし、国外への出向を全面的に拒否すると言うのは……」
「お婆ちゃんが居ますから。それにマギがあるので、日本の設備で出来ない実験は無いと聞いています」
「……むぅ。しかしそうなると、増員が必要だからドイツ人研究者の接触を禁ずると言うのは……」
「冬月先生は、あたしに“ママの敵のモルモットになれ”と言うのですか? それだけは何があっても絶対に嫌です」
思いっきり絶対を強調する。
「すまないが、私の一存では約束出来ない。一度帰って検討しても良いかね?」
「はい」
ガックリと肩を落とした冬月の後ろ姿は、思い切り憐みを誘った。
(少しやり過ぎたかしら?)
少し申し訳なく思うアスカだった。
一週間後にゲンドウの署名入りで、条件を呑む旨を綴った文書がアスカに届いた。
こうして今回も、セカンド・チルドレン 惣流・アスカ・ラングレーが誕生したのだ。