暗い部屋に男の声が響く。しかし、その部屋に人の気配は全くなかった。代わりに在るのは、SEELE 01 SOUND ONLYと発光する赤字が刻まれた黒い塊。俗に言うモノリスと言われる物だ。同じモノが五つ存在し、番号が01~05と振られている。
「この報告書は、信じたくないね」
力無い男の声が響く。
「事実は事実だ。認めねばならん」
諌める声にも力はない。
「ドイツ支部は何を考えておるのだ」
「あそこはもう駄目だ。惣流博士の一件から、彼女の研究データを否定する事しか考えられなくなっている。その証拠に何一つ成果が出せていないではないか」
侮蔑を含む声が響く。
「そうは言っても切り捨てる訳には行かん。それに何一つ成果が出せてないのは、表向きの話だけだ。人類補完計画に必要な研究では、一定の成果を上げている」
「それも遅れているがね。……だがまあ、確かに切り捨てる訳には行かんか」
その言葉が響くと同時に、場を沈黙が支配した。
「それよりも今回の被害についてだ」
議題は参加者にとって鬱になりそうな物が続く。
「……この被害額。国がいくつ傾くか」
「国連はもう予算を出さぬだろうな」
「ここは我々が私費を投じるしかあるまい」
「それだけでは足りんだろう。表向きの権限だけ剥奪し、周りの不満を解消せねばな」
ドイツ支部は、ゲヒルン時代に起こした培養棟爆発事故で世界からの信用を失った。そこに追い打ちをかける様に、惣流博士を脅迫し実験体にして殺害した事が発覚してしまった。他支部の研究者達からは、“惣流博士は人類にとって必要な人だった”や“体面の為に彼女を殺す等、愚かな行為以外の何物でもない”と言う声も出たが、過激な物だと“人類の敵は使徒では無く、彼女を殺したドイツ支部だ”と言う物まであった。
その不満を抑えていたのが、人類補完委員会でありゼーレの存在だった。しかし今回の一件で、その不満は国連にまで広がり彼らにも抑えきれなくなって来た。ここで“ドイツ支部再建の予算を出せ”と言っても反発は必至だろう。下手をすれば彼らの計画はここで瓦解する事になる。
「セカンド・チルドレンの処遇も問題だ。あれを放置しても良いのかね」
「下手に手を出すべきではない。今回の一件で“セカンドチルドレンに一切の非が無い”と言うのが、世界共通の認識だ。処罰しようとしても、国連や他支部からの反発が予想される。人類救済を理由にしても、日本から連れ出すのは難しいだろう。碇もガードを増員したようだしな」
ネルフ職員の多くは“人類の未来を守る”と言う、使命感からネルフに志願している。そんな職員達が“本来守るべき子供に戦わせる事”を快く思うはずが無い。“人類を守る為”と自分に言い聞かせ、妥協しているのだ。そんな状況で“子供を守らずに見栄や利権を優先する者”に対して非難が集中するのは避けられない。
それに拍車をかけたのが、キョウコやアスカに同情的になった職員の誰か(実際はアスカの犯行)が内部情報をリークし始めた事だ。事情が公になれば、アスカを見る者達の目も同情的になる。そこで子供のアスカが“人類の為に”と私情を押さえ、セカンド・チルドレンになれば支持されるも当然だ。
しかし委員会は、アスカがセカンド・チルドレンになる条件をたやすく無視した。そればかりかドイツ支部は日本の警告を無視し、アスカを虐待してエヴァを暴走させる。同時にドイツ支部は、自分達の無能さ(まともに整備や調整も出来ない)も公表する羽目になった。もはや言い逃れのしようが無い。
「セカンド・チルドレンに関しては如何し様も無い。だが、今回の件で一番の被害は……」
「依り代候補を失った事か?」
「ああ。これで依り代に使えるのは、碇の息子とセカンド・チルドレンだけだ。全ての依り代候補を、碇が抑えている事になる」
新しいエヴァを作り人柱を立てれば、新しい依り代を作る事は出来る。しかし維持費の関係で、新しいエヴァを造らないと言うのが国連の方針だ。造る事が決定しても、惣流博士が提唱した汎用コア(魂のデジタル化とコアへのインストール)の事は国連上層部に知れている。自分達で造ると言う手もあるが、今から人材や物資を確保するのは不可能だし何より資金が足りない。
「不利……ですな」
「不利は承知の上。碇も独自の目的があるようだが、目的の途中までは我等と道を同じくしている。碇には存分に働かせ、我等が上手く修正すれば良い」
「今は泳がせておくと?」
「それしかあるまい」
「それまでに碇の力を、どれだけ削げるかが計画の成否を分けるな」
そこから細かい話し合いに突入し、会議が終わったのは数時間後だった。モノリスに刻まれた赤文字の明かりが次々に消え……
「碇め。このままでは終わらんぞ」
最後に残ったモノリスが、明りを消す寸前にそう呟いた。
時間は加持が本部に着任した時まで遡る。
式波と真希波を信頼出来る仲間に預けた加持は、気絶したアスカの護衛としてミサト達と共に日本の本部まで来ていた。そこで上層部に経緯を報告すると、そのまま日本勤務が言い渡された。
また気絶したアスカを、その日の内に日本に護送した事をゲンドウが高く評価(ドイツに残しておくと、逆恨みした職員に命を狙われかねない)し、目が覚めたアスカからの希望もあって、加持は晴れてセカンド・チルドレン専属護衛として着任する事になった。
「これからは同僚だからよろしくな」
笑顔で言う加持に、ミサトはそっぽを向くことしか出来なかった。目を覚ましたアスカは、そんな二人を見て懐かしい気持ちになって居たのは秘密である。
着任の挨拶を終わらせ、アスカをホテルへ送り届けた加持はミサトとバーで合流した。
「よっ。葛城。遅かったな」
「私はあんたと違って暇じゃないのよ」
皮肉を言うミサトに、加持は苦笑いをしてミサトのカクテルを追加注文する。
「もう5年になるのか……」
「そうね」
感慨深そうに言う加持に、ミサトが素直に頷いた。2人は言葉少なに昔の話を始める。そして話題がリツコの事になると、ミサトがしんみりした雰囲気を取り払うように聞いた。
「そう言えば、リツコの所には挨拶に行ったの?」
「何かの実験で、ターミナル・ドグマに籠っているらしい。今日は会えなかったよ。明日・明後日にはアスカの護衛で、松代に行かなきゃならないからな。下手をしたら、暫く挨拶に行けないかもしれない」
加持が少し大げさに、残念と言うリアクションを取った。
「リツコの事もそうだけど、家の若い子に手を出さないでよね」
「おいおい。俺がそんな軽い男に見えるかい?」
「見えるから言ってるんでしょ」
にべも無く言うミサトに、加持はやれやれと言うリアクションをする。
「話は変わるけどな……」
「何よ」
「葛城はアスカの事をどう思ってる?」
「アスカ? ん~。年の割にしっかりしているとか?」
そう軽く答えたミサトに、加持は真剣な表情で首を横に振った。
「葛城。始めてアスカに会った時どう思った?」
加持の態度に、ミサトもふざけるのを止め真剣な表情になる。
「……違和感は有ったわ」
「違和感?」
「ほんの一瞬だけど、私を見たアスカが……なんかこう。笑ったのよ。泣きそうで、辛そうで、それでも嬉しそうに。例えるなら、もう会えないと思ってた人と再会出来たように」
ミサトは心の中で、もう会えない人=死んでしまった人と結び付けて居た。自分がもし父親と再会出来たら、あんな顔をするかもしれないと思い自嘲する。
一方で、ミサトの直感に一定の信頼を置いている加持は、ミサトの言葉をよく吟味する為に考え込む。
「変よね。アスカに会った事なんか無いはずなのにね。あの時は見間違いかと思ったけど……」
「恐らくそれは見間違いじゃない。俺も初見の時に、葛城と似た事を感じた。反射的にその違和感を探ろうとしたら、凄く悲しそうな顔をされたよ」
ミサトの加持を見る視線が、非難する物へと変わる。
「勘弁しれくれ。反省はしている。例の情報を受け取ってから、アスカは誰かを通して俺達の事を知っていると考えるようにしていた。だが葛城の話を聞いて確信した。アスカは俺達の事を直接知っている。知っていなければ、あんな顔は出来ない」
「アスカが私達を騙していると?」
「いや。それは無い。俺には、あんな顔をするアスカが敵とは思えない」
その意見に賛成なのか、ミサトは僅かに頷くと残りのカクテルを呷った。そして追加のカクテルを頼む。
「そうね。だからと言って、誰かに利用されてる。って言うのも無いでしょうし」
「そうだな」
ミサトと加持が思い浮かべたのは、碇ユイを名乗る正体不明の人物だ。加持はドイツ支部崩壊のどさくさでデータを盗み出し、アスカから受け取ったデータは十分に信憑性がある物と判断していた。だから尚更彼女(彼?)の正体が分からない。
「兎に角、アスカが嘘を吐いていないのは確かだと思う。だが、全てを語っていない」
「でも……アスカは敵じゃないわ」
「……ああ。俺もそう思う」
そこで2人の会話は途切れた。
そして時間は、空港に2人を迎えに行った時に戻る。
飛行機から降りて来た式波・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアスを確認したアスカは……
「始めまして。あたしがあなた達のお姉ちゃんよ」
アスカは満面の笑みを浮かべて言い放った。
だがアスカに返って来たのは、怯えと敵意の視線だった。その事にアスカは驚愕する。
式波が震えながらも前に立ち、真希波が必死にその後ろに体を隠す。まるで母猫が、犬相手に子猫を守るようなしぐさだ。特に式波は自分と同じ顔のアスカを異常に警戒し、それが真希波の怯えや不安を増幅させていた。
アスカは何と声をかけて良いか分からず、固まってしまう。
「何をやっているんだ?」
そうこうしている内に、加持がアスカに話しかけて来た。2人を連れて来た人は、何時の間にか居なくなっていた。
「……うん。それが」
言い淀むアスカ。
「ここに長居するのは良くない。積もる話は車の中でしよう」
加持がそう言って促すと、2人は黙って従う。しかしその表情からは、警戒心しか感じなかった。それを見たアスカは、酷く悲しい気分になる。
加持に先導され車にたどり着いたアスカ達は、後部座席に3人そろって座る事になった。しかしアスカと2人の間には、微妙な距離感がある。その事に悲しくなったアスカだが、焦って距離を詰めようとすれば失敗するのは目に見えている。
結局次の言葉をかける間もなく発進し、車の中は嫌な沈黙に支配された。加持もどう声をかけて良いか迷っている様子だ。
そして怯えた真希波が、式波に抱きつき直そうとした時にそれは起こった。
「つぅ」
「あっ。ごめんなさい」
式波の口から声が漏れ、真希波がすまなそうに謝ったのだ。式波は何も言わず真希波を抱きしめる事で答えた。それを見たアスカは2人が怯えるのも構わず近寄り、式波の服の腹の部分を捲った。
式波の腹には青痣があった。それも複数。多少薄くなっているとは言え、白い肌に青黒い|痕(あと)は異常に目立つ。二人の態度と青痣から、何が有ったか想像するのは容易い。
「加持さん」
「ど どうした? アスカ」
加持が動揺するのも無理はないだろう。アスカから放たれているのは、一流と呼ばれる者が発する殺気だ。間違っても子供が発する事が出来るような物じゃない。
「空港に戻って」
アスカは怒りのあまり、二人が怯えている事にさえ気付けない。
「戻って、どうするんだ?」
「ちょっと、エヴァを取りにアメリカまで行くの」
笑顔でそう答えるアスカに、修羅場を潜り抜け鍛えられた加持の勘が警報を鳴らす。ここでアスカを空港に連れて行ったら、絶対に何かとんでもない事が起こる。と……
必死にアスカをなだめる理由を探す加持の目に入ったのは、ガタガタと怯える式波と真希波だった。
「アスカ。2人が怯えているぞ」
「!?」
加持の目論見は成功し、アスカは落ち着きを取り戻した。
(うぅ~。やっちゃった)
結果だけを見れば2人を怯えさせただけだ。その事に気付いたアスカは、怒りに我を忘れた事を恥じ入るばかりである。
(ここは2人を落ち着かせる為に距離をとって……)
そこまで考えたアスカは、それを否定する様に首を横に振った。
(ここで距離を取ったらダメだ。我を忘れたとは言え、もう踏み込んだんだから。このままじゃ警戒されただけで終わっちゃう)
意を決したアスカは、そのまま2人を抱きしめた。その瞬間2人の肩が跳ねるが、幸か不幸か2人は抵抗出来なかった。もし抵抗すれば、痛い目に遭うと学んでいたから。
緊張から固まっていた2人も、少しすれば自身の状況を確かめる余裕は出て来る。
……自分を優しく包み込む温かい何か。聞こえて来るのは、トクン……トクン……と言う鼓動。そこには過去に2人が経験した事が無い、不思議な安心感があった。
「良い匂い」
先に陥落したのは真希波の方だった。自分を守ってくれる式波と似てる。と言うのが大きいのだろう。
式波は“真希波を守って来たプライドと言う鎧”で、自らを守っていた。それを失うという不安が、素直に甘えると言う欲求を抑えこむ。その不安を見抜いたアスカは、労わる様に頭を撫で……
「良く頑張ったわね」
と、声をかけた。それだけで式波の鎧は砕け散り、アスカに抱きつくと派手に泣き始めてしまった。
(やっぱり、あたしとこの娘は双子だわ)
式波の頭を撫でながら、アスカはそんな事を考えていた。
「ただいま~」
玄関からの声に、ミサトはソファーから立ちあがる。
「邪魔するぞ」
「お帰りなさい」
加持が来る事は分かっていたので、ミサトは“歓迎していません”と睨むだけだった。しかし直ぐにそれ所じゃ無くなる。加持の後ろに隠れる2人の少女に気付いたからだ。
「ちょっと加持。こっちに来なさい」
2人を怯えさせない様に、声と表情を抑えながら加持を空き部屋に引きずり込む。
「なんであの2人を連れて来たのよ」
「怒るなよ葛城」
「怒って無いわよ」
言い合い?を始めるミサトと加持を放っておいて、アスカは2人をリビングまで引っ張って行く。痴話喧嘩は子供に聞かせるモノじゃない。
「さあ、買い置きの食材もたっぷり有るから、何か美味しい物でも作って……」
キッチンを見たアスカの動きが、ビキッと固まる事になった。コンロにアスカの身に覚えが無い鍋が鎮座していたからだ。それにこの臭い。(匂い自体は普通だが、あえて臭いと表現する)
それだけならまた良い。包丁やまな板を使った跡や、野菜の切れ端に市販のカレールーが見えてしまった。
(嫌!! これ以上キッチンに近づきたくない。レトルトでアレなのに……)
鍋を見るアスカの目は、生物兵器を見るそれだ。
(犠牲になった食材には申し訳ないけど……)
ミサトが戻って来ない内に、カレー鍋を取り落とし床にぶちまける事が決定した。しかし、意を決して一歩踏み出そうとしたアスカを、悲しい現実が襲った。
「この匂いって、もしかしてカレー?」
「うん♪ ドイツ支部に来る前に、一度だけ食べた事があるあれだよ」
今まで2人は、どんな悲惨な食生活を送っていたのだろう?
そんな2人の言葉に罪悪感を覚え、動きを止めてしまったのが致命的だった。鍋の前に移動し手を伸ばした瞬間、ミサトと加持が戻って来てしまったのだ。
「あぁ。アスカ。帰って来てから作るのは大変だと思ったから、私が特製カレーを作ってあげたわよん」
(余計な事するな!! ミサトの料理は、食材への冒涜よ!!)
今思っている事を口に出来れば、どれほど良いだろう。しかしそれを口にした時に待っているのは、生物兵器を口に無理やり投下される未来だけだ。それに今のアスカは、まだミサトの料理を口にした事が無い……事になっている。色々な意味で、拒否は躊躇われる。
そして打開策が打てないまま、目の前に生物兵器が出されてしまった。アスカの目には、無邪気に喜ぶ式波と真希波が痛々しく映った。加持も若干だが顔色が悪い。
その後どうなったかは、憚れるので各自の想像にお任せする。
結果だけ言わせてもらえば、加持は「破壊力が上がってる」と呟き、2人はカレーがトラウマになり暫く食べられなくなった。アスカは公式にミサトの料理を毒認定し、キッチンに無断で侵入したら“チルドレン毒殺容疑”で制裁すると宣言した。
この反応に納得していないのは、味音痴のミサトだけだった。
ミサトカレーパニック事件から次の日、加持は本部のゲンドウの元へ来ていた。
そして、自分がここへ来る事になった原因を思い出していた。
…………
式波と真希波の2人は、本来ならアスカに会う事無く加持の知り合いに預けられるはずだった。アスカが空港に行ったのは、加持とミサトが“折角助けた妹なのだから、一目会いたいだろう”と、アスカに気を使ったからだ。
それを変える切っ掛けになったのは、アスカの言葉だった。
「この子達を放っておけない。加持さん。如何にか出来ない?」
アスカの目は、絶対に妹達と離れないと語っていた。
加持も危ない橋を渡るのは避けたいが、如何にかしてやりたいと言う気持ちは確かにあった。それはこの場にミサト(アスカの在宅を偽装する為に家に残った)が居ても同様だっただろう。いや、ミサトが居ればむしろ煽ったか……
「難しいぞ?」
加持の知り合いは、世話はしてくれるだろうが親身になり切れないだろう。かと言って、アスカは監視されているので、多少は誤魔化せても一緒に住む事など出来ない。アスカ以外に肉親の温もりを与えてくれそうな人物は、サクヤ位しか思いつかないが、こちらも護衛が居る所為で難しい。
「如何してもと言うなら、サクヤさんの所だが……」
2人の生存がゼーレに知れれば、どんな手を使っても攫いに来るだろう。ゲンドウにしても、2人の存在は邪魔でしか無い。
「サクヤって誰?」
「あたし達のお婆ちゃんよ」
式波が聞いて来たので、反射的にアスカが応える。2人はまだ身内が居た事に目を輝かせているが、アスカはそれ所ではない。
「……こんなのはどうだ?」
加持の提案を聞くと、アスカは暫く考え込んでから頷いた。
…………
(さて、これからが勝負だな)
何故か笑いがこみ上げてくる。
「入りたまえ」
スピーカーから入室を許可する音声が響く。
「失礼します」
部屋に入ると、デスクに座るゲンドウと、その後ろに冬月が立って居た。
「加持三尉。この報告書にある情報は間違いないかね?」
最初に口を開いたのは、冬月だった。
「はい。ドイツ支部の事件で逆恨みをした者達が、セカンド・チルドレンへの報復として、祖母である惣流サクヤの命を狙っています」
冬月は渋い顔をしたが、ゲンドウは相変わらず微動だにしない。
「日本に入られる前に手は打っていますが、完全に防げるかは分かりません。念の為に彼女を保護し、匿うのが妥当と考えます」
「今の護衛では足りないのかね?」
冬月が確認して来るが、加持は首を横に振った。
「残念ながら日本に入られたら、顔と住所が知れている現状で防ぐのは難しいです。また、護衛の増員も現実的ではありません」
加持がそう言い切ると、ここで初めてゲンドウが口を開いた。
「許可する」
「ありがとうございます」
予想より簡単に許可が下りた事に驚いたが、加持は顔に出さなかった。
もちろんゲンドウが何の理由も無く許可などしない。現在ネルフ本部は、悲劇のヒロインであるセカンド・チルドレンを守るナイトとして、高い評価を国連や他支部から受けている。そのおかげで予算も取りやすくなり、他支部との取引も円滑に進められるようになっているのだ。(以前の予算取得や取引は、成果と威圧感でゴリ押しに近かったので、とても円滑には進められなかった)
ここでサクヤの護衛に手を抜くのは、セカンド・チルドレンを守らない(ナイトの地位を手放す)と喧伝するような物だ。手に入れた優位性を、わざわざ手放す事はない。それにドイツ支部の惨状を見て、イメージの大切さを学んだと言うのもある。
「では、惣流サクヤには我々が用意した家に隠れ住んでもらいます。細かい事は全て我々警備部に任せてもらっても……」
「問題無い」
ゲンドウの言質を取れた事に、加持は内心でホッとした。後はサクヤ、式波、真希波の三人を一緒に住まわせて、警備の人間を加持の息がかかった者にすれば良い。注意しなければならないのは、アスカが3人に会いに行く時くらいだろう。
「ありがとうございます」
礼を言って指令室を辞すると、加持は携帯を取り出しミサトの番号をプッシュする。
「葛城か? 指令から許可を貰った。早急に話を進めてくれ」
それだけ言って電話を切ると、加持は伸びをして廊下を歩き始めた。「これから大変だ」と、愚痴をこぼしながら……。
数日で3人を同居させる事は出来た。式波は、惣流・アスナ・ラングレー。真希波は、惣流・マリ・イラストリアス。と言う名前で戸籍登録された。今の戸籍上は他人と言う事になっているが、ある処理をすると3人が姉妹になる様に加持が細工をした。余談だが、2人の素性を聞き一緒に住めると知ったサクヤは、物凄く喜んでいた。
これでアスカの周りで起きていた問題で、大きな物は全て解決した。後は3年後の使徒襲来を待つだけである。
人の少ない電車の中で、ボロボロのPDAを弄っていた少年が苦笑いを浮かべた。前髪で目元が隠れ、少し伸びた髪は後ろでまとめられている。奇しくも少年の髪型は、加持リョウジと同じ物だった。着ているのは、どこかの中学の制服の様だ。
「アメリカか。行くの相当嫌だったんだろうな」
最新のメールを見て、そんな事を口にする。メールの送り主は、現在アメリカに行っている様だ。メールの中身は“また約束を破られた”等の愚痴の言葉で埋め尽くされていた。
「あっちに到着しても直ぐには会えないか……」
言葉に反して、余り残念そうな表情をしていない。むしろ少し安心した様な印象を受ける。
「アスカも大変だ」
そう呟いた少年の正体は、碇シンジだった。前回はスッキリとした印象だったのに、今回の彼は少しだらしない印象を受ける。体は相変わらず細いが、筋肉はそれなりに付いている。しかし程良い脂肪に包まれているので、筋肉が目立つ事はない。
(どっちにしろ猶予が出来たって事だよな)
シンジはそんな事を考えていた。その理由は少し理不尽とも言えるだろう。
シンジが住む第二東京市は、松代と第三東京市の間にある。アスカは本部に何度か出頭しているので、ニアミスした事があるのだ。普通なら気付かず終わるのだろうが、それでも2人は3回程お互い顔を確認していた。ATフィールドの訓練を積んで、お互いの存在を感じれる2人だから出来る芸当だろう。当然アスカは移動中なので、電車や車に乗っている。対してシンジは徒歩だった。
そして、こうなる。
今日はシンジの顔が見れて嬉しい。と言う訳で上機嫌になり、夕食のおかずがランクアップしYEBISU追加が許される。ミサト大喜び。(子供の行動範囲の関係で、ニアミスしたのは全てミサトと同居を始めた後だった)
シンジとアスカは、偶然とは言えお互いの顔を見れた事を喜ぶメールを送り合う。しかしそこで好きな人の顔をもっと見て居たいと言うのは、アスカにとって当然の言い分と言えよう。もっと顔を合わせる時間を延ばせないかと言う話題になる。
しかし現実的に考えて、乗り物と徒歩では移動スピードが違いすぎる。全力で走っても、高が知れているのだ。そしてシンジとアスカの関係は、まだネルフに知られる訳には行かない。そうすると“お互い我慢しよう”と言う結論に達するのは当然だった。
しかし理性がそう判断しても、感情は割り切れ無い。結果としてアスカは、最低でも1週間は不機嫌になる。そのイライラが、夕食のメニューとYEBISUの本数に直撃するのだ。ミサト涙目である。
そこでアスカの中に“ちょっと位は良いじゃない”と言う気持ちが出て来たのを、誰も責める事は出来ないだろう。アスカの中で、その“ちょっと”がエスカレートしていなければの話だが……。
そしてごく最近に有った3回目で、とうとうアスカが切れたのだ。シンジは「ちょっと位は良いじゃない」と言うアスカをなだめる為に、再会した時にお詫びと誠意を見せるように約束させられてしまった。(シンジにとっては)理不尽ここに極まれりである。ちなみにキスは、ちょっと位に入らないと思う。
シンジの中でハードルはかなり高くなっているが、冷静になったアスカは自分の理不尽さに後悔していて、こちらも悩んでいたりする。
シンジが頭を抱えている内に、電車は進み目的地に到着した。余裕を持って移動したので、多少時間に余裕がある。
(確か特別非常事態宣言が出されるのは、12時30分からだったよな。流石にゆっくり昼食を取る余裕は無いかな?)
「悩んでても仕方が無いから、ミサトさんには悪いけど歩いてジオフロントに入ろう。昼食はコンビニでおにぎりでも買って食べれば良いや」
シンジはそう呟くと、ジオフロントのゲートに向かって歩き始めた。