翌朝早くに宿を出た水精霊団一行は、町外れにあるという『桟橋』へと向かった。 崖沿いの長い石段を上り、岩山を上方向へ抜けるように掘られた洞穴。その出口から見えたものは、まさしく絶景そのものであった。 山ほどもある巨大な樹が、そこに在った。四方八方に枝を伸ばしているその大樹はあまりにも大きく、天辺がまるで見えない。そして、樹の枝には紐状の何かに吊されるような形でぶら下がっている物体がたくさんある。 それを見た当初、才人は樹の実か何かだろうと思った。だが、よくよく目をこらしてみると――。「あれ、ひょっとして全部『船』なのか!? んで、あの樹の枝が『桟橋』?」「驚いたであろう? わしも、昨日初めてこれを見たときはびっくりしたわ」 大樹の各所にぶら下がっていたのは、なんと大小さまざまな形の帆船であった。その外観は、まるで地球の大航海時代に活躍したキャラックやガレオン船のようだ。「帆船型の飛空艇とか、ふざけてる。あんなのでホントに空飛べるのかよ!?」「飛べるからこそ、この場所が『桟橋』たりえるのであろうな」「ファンタジーにもほどがあるだろ!」 口では文句を垂れていた才人であったが、言葉とは裏腹に目がきらきらと輝いている。そんなふたりの会話を耳にしたギーシュが、怪訝な面持ちで聞いた。「ハルケギニアでは、これが普通なんだが……東方では違うのかい?」「少なくとも、俺のところでは桟橋も船も海にあるってのが常識だ」「水に浮かぶ船もあるよ。もしかして、空を飛ぶ大きなフネがないのかね?」「一応あるけど、あんな形はしてない。そもそも、桟橋じゃなくて空港に……」 才人の発言に、前を歩いていたコルベールが振り返った。「なんと、空中に港があるのかね! それは、是非一度見てみたい!」「あ、いや、空港ってそういう意味じゃないんですが……」 と、まあそんなやりとりをしているうちに、彼らは大樹の根元へ到着した。才人は、思わず上を仰ぎ見ながら呟いた。「ゲームなんかによく出てくる世界樹の実物って、きっとこんな感じなんだろうな」 ギーシュの隣で歩を進めていたモンモランシーが、立ち止まると言った。「何言ってるの。これは正真正銘の『世界樹(ユグドラシル)』よ」「え、マジで!? じゃあ、この木の葉っぱで死人が生き返ったりするんか!」「そんな訳ないじゃない。それこそお伽噺だわ。だいたい、この木はもう枯れてるでしょ」「だったら、本当かどうかわからねーじゃんか」「そ、それはまあ、そうだけど……」 ふたりのやりとりを聞いていたコルベールが、こほんと咳払いをした。「あー、きみたち。我々は先を急ぐんだ。立ち話はそのくらいにしておきたまえ」「す、すみません」「気をつけます……」 枯れた世界樹の内部は空洞で、日本のビルでよく採用されている吹き抜けのような構造になっている。壁面部分には、鋭い刃物か何かで削ったような跡があった。「この『港』も街と同じで、中をくり貫いてるみたいね」 キュルケの言葉に、才人は周囲を見回した。 根元の部分はロビーのようになっており、忙しく立ち働く人々の姿が目に付いた。それぞれの枝に通じる通路の上部には、鈍い光を放つ金属製のプレートが下げられている。そこには、行き先や船の発着時刻とおぼしき文字が躍っていた。「アルビオン・ロサイス行き1番は……この通路を抜けて、階段を上った先ですな」 コルベールの先導で、全員が再び移動を開始した。通路の先にあった木製の階段は、足を乗せるたびにギシギシと鈍い音を立てる。おまけに手すりはぼろぼろな上に苔生していて、非常に心許ない。階段の隙間からは、小さくラ・ロシェールの街並みが見える。今いる場所の高さを実感した才人は、思わずたじろいだ。「こんなの昇るのかよ……」 尻込みしていた才人の頭上を、ふたつの影が通り過ぎた。「ああッ! 空飛んで行くとかズルイぞブロンズ! しかも、さりげなくフローラルの手ぇ握ってんじゃねーよ!」「レディをエスコートするのは、貴族として当然のたしなみだよ。きみ」 ふたりのやりとりを聞いていたルイズが、やや上目遣いで言った。「ねえ、ソード」「……おんぶは駄目だぞ、コメット。俺、階段踏み抜いて墜落したくねーし」「ししし、失礼ね! わわ、わたしが、お、重たいって言いたいの!?」 ルイズの綺麗な回転蹴りが、才人の背中を直撃する。「いてェ! 馬鹿、こんなところで暴れんなっての!!」 そんな彼らを見ていた太公望とタバサはといえば。揃って冷めた目をしていた。「まったく。何をしておるのだ、おぬしたちは……」「ユニーク」 ……とかなんとか騒ぎつつ長い階段を上がった先に、一本の太い枝が伸びていた。その枝に寄り添うように、一艘の船が停泊している。一同が立っている枝のさらに上から、何本ものロープが伸びており、それで船は上の枝から吊されていた。そして船の舷側には、まるでコウモリの羽のような巨大な翼が取り付けられている。 その船を見たレイナールが言った。「先生。これは、客船じゃないみたいですけど」「今の時期にアルビオンへ渡るフネは、貨物船しか無いらしくてね。船長と交渉して、なんとか同乗させてもらえることになったんだ」「なるほど」 タラップから船の甲板に乗り込むと、船長らしき恰幅のよい男性が一同を出迎えた。「マリー・ガラント号へようこそ! 貴族の皆さまがたにゃあ、ちいとばかし退屈な船旅かもしれませんが、どうか勘弁してくだせえ」「いえいえ、とんでもない。アルビオンまで、よろしくお願いします」 平民である自分に対し、丁寧な挨拶を返してきたコルベールに驚き、一瞬声を失った船長だったが……その直後。陽焼けした顔全体に大きな笑みを浮かべ、船員たちへと矢継ぎ早に命令を下し始めた。「野郎ども、出港だ! もやいを放て! 帆を打てェ!」 船員たちは船長の命令に粛々と従った。船を枝に吊るしていたもやい綱を解き放ち、横静索へとよじ登ると、帆を張った。すると戒めが解かれた船は、まるで水の上に浮かんでいるかのように、ゆるゆると空中を進み始めた。桟橋と大樹の枝の隙間に見えるラ・ロシェールの街並みが、ぐんぐん遠ざかっていく。「うお、マジで飛んでるよ! どういう仕組みなんだよこれ!!」 左舷前方に陣取っていた才人が、興奮して叫んだ。彼の隣に立っていたルイズが、呆れ顔で呟く。「風石を積んでるんだもの、飛べるのは当たり前じゃない!」「俺んところじゃ違うんだよ! てか、そもそもフウセキって何だ?」 才人の疑問に答えたのは、ご主人さまではなく、すぐ後ろにいたコルベールだった。「風の魔法力を蓄えた鉱石のことだよ。石の中に込められてる<力>を解放すると、それによって浮力と風が生じるんだ。小指の先程度の大きさしかない結晶でも、人ひとりくらいなら軽々と、しかも数時間は持ち上げ続けることが可能だ」 小さい頃に見たアニメに、確かそんな<力>が込められてる魔法の石があったな。それと同じようなもんか。などと、至極あっさりと説明を受け入れてしまう才人。そしていざ納得してしまうと、持ち前の好奇心がむくむくと膨れあがってきた。「へえ、面白いですね。できれば、実物がどんなモノなのか見てみたいんですけど」「それなら、船長に頼んでみるといいだろう。けれど、今は駄目だよ。出港直後は、風石が設置されている機関室は大忙しだろうからね。そうだな……あと1時間くらい経てばさすがに大丈夫だと思うが」「わかりました! ありがとうございます」 そんな他愛のない会話を交わしながら、舷側に立ち、眼下に広がる光景を楽しんでいた才人達であったが……ふと太公望の姿が消えていることに気が付いた。「あれ、ハーミットは?」「彼なら、少し前に船長のところへ話を聞きに……と、戻って来ましたね」 スタスタと甲板の上を歩いてきた太公望へ、コルベールが声をかけた。「で……どうでした?」「うむ、昨日入手した情報と大差ない。やはり王党派は相当押し込まれておるようだ。彼らがニューカッスル城とやらの近くに陣を敷いていることだけは確からしいのだが……」 ルイズが、それを聞いてはっとした顔になった。「ウェールズ殿下は、ご無事なの?」「港町とフクロウの中継所が全て貴族派連盟に抑えられておるせいで、王党派の情報はほとんど入ってこないらしい。とはいえ、王族の身に何かがあれば、当然騒ぎになるはずだ。つまり、まだ生きておられるということだろう」 太公望の言葉に、ルイズの表情が曇る。「そんな……フクロウも飛ばせないなんて! だったら、いったいどうやって王党派と連絡を取ればいいのよ!」「当初の予定通り、陣中突破するしかなかろう」 陣中突破。つまり、戦闘中の敵陣を突っ切って王党派の本拠地を目指すということだ。しかも、相当不利な状況に追い込まれている相手のところへ。その意味くらいは理解している才人の顔も沈んだ。「なあ。今更かもしれないけど、本当に大丈夫なのかよ?」「なんだソード、心配してくれておるのか」「当たり前だろ! それに……」 才人は、ちらりとコルベールに視線を移した。その実力を良く知る太公望はまだしも、いかにものんびりとした教師のことが、彼は本当に心配だったのだ。 自分のことを、まるで息子のように可愛がってくれる料理長のマルトーと、普段からよく言葉を交わし、面倒見の良い顧問教師のように接してくれるコルベールは、この世界に来てからというもの、才人が心を開き、頼りにしている数少ない大人だった。 昨日、崖の上での戦い振りを目撃してはいたが、それでも。心から信頼している人物が命の危険に晒されるとあれば、その身を案じるのは当然だろう。 だが。そんな才人に、当の本人から思ってもみなかった言葉が投げかけられた。「私のことなら心配いらないよ。こう見えても……若い頃は、軍にいたからね」「う、嘘ッ!?」「信じらんねえ!」「それ、本当なんですか!?」 コルベールの発言に、周囲にいた生徒たちも驚きの反応を示した。 どこか牧歌的な雰囲気を漂わせた、暢気な先生。これまで彼らの目に映っていたコルベールの姿は、平穏と研究を愛し、生徒たちを大切にしている心優しい教師であった。 この場に集う者たちは――事情を知る一部の女子生徒たちを除き、皆ほぼ同様の認識を持っている。それだけに、コルベールがかつて軍に所属していたなどと言われても、到底信じられなかった。そして、その筆頭がルイズだった。「先生……わ、わたしのこと、かばってくれるのは、その、嬉しいんですけど」 しゅんと俯いてしまった教え子へ、コルベールは慌てて説明を続けた。「いや、嘘偽りなく本当のことだよ。士官教育もちゃんと受けているし、敵地への潜入任務はこれまでに何度も経験している。まあ、確かに現役を退いてから相当時間は経ってしまっているが、こう見えても毎日それなりに身体を動かすようにしているんだ」 それでも顔を上げないルイズと、既に自分の『正体』を理解しているふたり以外の面々が揃って難しい顔しているのを見て、コルベールは思わず苦笑した。それから、心の内で微笑んだ。私は、本当に良い生徒たちに恵まれた……と。「きみたちが私の身を気遣ってくれるのは大変嬉しいが、そういうわけだから、そんなに不安そうな顔をしないでくれたまえ。私たちは、与えられた任務を達成して、必ずみんなのところへ戻ってくるから」 その言葉が終わろうかという時、突如コルベールの真横から拳が飛んできた。それはもちろん、才人の仕業であった。しかし熟達の元軍人は、自分に向けられた攻撃を最小限の体捌きで軽快に躱し、虚しく空を切った才人の腕を掴んで捻りあげた。「あだ、あだだだだだッ!」「ソード君。私を試したくなる気持ちはわからなくもないが、いきなりとは酷いな」「や、やめ、ごめんなさい! 離してッ、ミスタ・エンジン!!」「それと、ミスタ・ブレイズ。背面へ回り込んだ時の歩き方については評価できるが、足音を消すのに集中しすぎて、周囲が見えていないようだね。移動方向と、光源の位置をきちんと把握しておかねば、影の動きで容易に次の行動を察知されてしまうよ」「ご、ご指導ありがたくあります……」 関節を極められて動けなくなった才人と、手厳しい指摘を受けて顔を引き攣らせるレイナール。彼らは、飛び道具無しの近距離戦に限定した場合、太公望を除く水精霊団の仲間内ではツートップの実力者だ。特に、才人の戦闘技能は頭ひとつ抜けている。 ここ最近の模擬戦では、とうとう『ワルキューレ』だけでは相手をしきれなくなり、レイナールが<風の剣>装備でギーシュの指揮下に入り、参戦している程なのだ。そのおかげで彼の剣技も、以前と比べてキレを増してきているのだが……それはさておき。 そんなふたりをあっさりといなしてしまったコルベールを見た子供たちは、ようやく目の前にいる教師が語ったことは、正真正銘――真実なのだと理解した。「あいたたたた……つか先生、マジで強かったんすね。でも、どうして今まで教えてくれなかったんですか!?」「それは……」 ようやく解放され、痛む腕をさすりながら才人がしてきた質問に、コルベールの表情が一瞬陰った。だが、才人の問いに答えたのは彼ではなかった。「当たり前だ。そんなことをしたら、彼の仕事に支障をきたすに決まっておる」「師叔は知ってたのかよ! てか、仕事って何だ?」 コルベールが何かを言いたそうにしていたが、太公望は視線でそれを制した。「生徒を導く教師であることはもちろんだが、生徒たちに危機が迫った場合、それを排除するのが彼の役目なのだ。そのために、オスマンのジジイがわざわざ軍からスカウトしたらしい。軍人よりも、教師や研究者としての適正のほうが高いと見越した上でな」「確かに、先生に職業軍人は合わないと思う……」「ぼくも」「わたしも……」 口々に素直な感想を述べる子供たちに、そうであろう? と、畳み掛ける太公望。「本来、彼は秘密裏に魔法学院全体を防衛する『守護者』なのだ。よって、下手に実力を明かしてしまうと、色々と不都合が生じるのだよ」「不都合?」 あえてその質問に乗ったのは、太公望と同様コルベールの事情を知るタバサだった。「もしも『敵』が現れた場合、実力を知られていると、妨害を受けてしまう」「その通り。だから、ミスタ・エンジンはこれまで自分の<力>を表に出さなかったのだ。決しておぬしたちを騙そうとしていたわけではない」「じゃあ、どうしてミスタ・ハーミットは……って、ああ、そうか!」「いつもの『解析』ってわけね……」 レイナールの閃きへ被せるように、今度はキュルケがタバサと同様の『誘導』を仕掛ける。彼女の言葉に、仲間たちは納得したとばかりに頷いた。「と、いうわけでだ。ミスタ・エンジンの実力については、ここにいる者たちだけの秘密とする。今後、彼の仕事について詳しく聞くのも駄目だ。その理由は、もうわかったな?」 コクコクと首を縦に動かし続ける生徒たちの様子に、実に満足げな笑みを浮かべた太公望は、コルベールに頷いてみせると、一同をぐるりと見回して言った。「では、わしらふたりはアルビオン到着まで船室におる。何かあったら声をかけるのだ」 そして、連れ立って船倉へ降りていったふたりを見送った子供たちは、彼らの姿が見えなくなると、揃ってぶはっと息を吐き出した。「まさか、先生まで元軍人だったなんて……」「おでれーた。ありゃあ、ただもんじゃねェな」「デルフもそう思うか?」 カチカチと鍔を鳴らしながら、才人の相棒は答えた。「ああ。俺っちが今まで見てきたメイジの中でも、相当の腕利きだな」 才人は、がっくりと肩を落とした。俺がいなくても、全然問題なさそうじゃないか。のこのこついて行ったりしてたら、かえって先生たちの邪魔になってたかもしれない。 ……もしも、ここにいたのが才人だけであったなら。アップダウンが極端に激しい彼の性格からいって、またしても自分を不当に貶める作業に取りかかっていたことだろう。だが、その不穏な空気を、強烈な<炎>によって消し飛ばした者がいた。もちろんそれは、火の使い手であるキュルケであった。「あなたたち、気付くのが遅いわよ! あたしは先生が只者じゃないって、とっくの昔にわかってたわ。だって……彼ってば、ああ見えて結構締まった身体してるもの」 うっとりしたような声で紡ぎ出された爆弾発言に、周囲は色めき立った。「……えっ? どゆこと!?」「そこんとこ、もう少し詳しく」 一斉に問い詰めてきた友人たちに、キュルケは余裕の笑みを浮かべて見せた。「あら、あたしは先生と寝ただなんて一言も言ってないわよ。彼の前でうっかり転びそうになったときに、身体を支えてもらっただけ。ものすごい早業だったわ!」 ルイズとモンモランシーは、それを聞いて真っ赤になった。「ね、ねねね、寝たとか、そそそ、そんなこと」「そのとき、寄りかかってみてわかったんだけどぉ~、先生ってば着痩せするタイプなのよねぇ~。腕周りの筋肉とかすごく締まってるしぃ~、胸板も結構厚かったしぃ~」 わざとらしく身体をクネクネ動かしながらそんなことを言い出したキュルケを、タバサを除く全員が、唖然とした表情で見つめている。 そんな中。何かを察したモンモランシーが、呆れたような声で聞いた。「キュ……フレア、あんた……まさか……」「そのまさかなの。あたしの中の『微熱』がね、炎に変わってしまったみたい」「な、なんだって――ッ!!」 この発言に驚いたのは男性陣だ。『微熱』のキュルケといえば、魔法学院内でも五指に入るほどの美女であり、彼女に憧れを抱く男子生徒は大勢いる。そして恋多き女性としても有名な彼女が、よりにもよってコルベールのような風采の上がらない中年教師を相手に熱を上げていたなどとは、これまで露ほども考えていなかったからだ。「そ、そういえばあんた……最近、よく先生の研究室に行ってたわよね」「あらん、しっかり見られてたのね。ま、別に困ることじゃないけど」「そ、それで、先生が行くって言った後、真っ先に杖を掲げたのか……」「うふふ、そういうこと。だって彼、なかなか振り向いてくれないんですもの!」「頭、薄くない?」「まるで太陽のようだわ。情熱と閃きの象徴ね!」「恋は盲目ってやつですか」「違うわ。そのひとの本質を見る目が上がるだけよ!」「何歳離れてるのよ……」「年の差なんか、愛の前には何の障害にもならないわ。ねえ?」 そう言って、チラリと己の親友に向かって意味ありげな視線を送るキュルケ。タバサがそれに気付いたときには、既に手遅れであった。「そういえば……とんでもない年齢差がある子たちがいたわね」 実にイイ笑顔で乗ってきてくれたモンモランシーに、うんうんと頷くキュルケ。そんなふたりとタバサを交互に見遣りながら、才人が呆然とした顔で呟いた。「えっと……まさかキミタチモ」「違う」 いつもの如く、なんの感情も表さずに答えるタバサ。だが、お年頃の少年少女たちにとって、こういう話題――所謂『恋バナ』は格好の題材である。一旦走り始めてしまったら、そう簡単には止まらない。 レイナールとギーシュは、顔を引き攣らせながら言った。「ま、まあ、見た目は確かにぼくたちと変わらないんだけど、本当は……」「彼には曾孫がいると聞いた記憶があるんだが」「だから違う」「つーか、スノウみたいな小さい子に手出したら犯罪じゃね?」 才人の発言に、さも心外だと言わんばかりにキュルケが反論した。「あら、小さくなんかないわ。この子、もうすぐ16歳になるのよ?」「マジかよ! まだ13か4くらいだと思ってた!!」 そう言って、才人はタバサに視線を移した。それは、彼女の上半身のとある一点で、ピタリと停止した。「……ッ!」 能面のような顔を才人へ向けながら、持っていた杖を大きくふりかぶるタバサ。避けようにも周囲を他の生徒たちに囲まれていて、逃げ場がない。ポカポカという乾いた音が、甲板上に響き渡った。「ちょ、やめて! その杖で殴るのマジ勘弁して! 超痛いんですケド!!」「ねえ。止めなくてもいいの? コメット」「今のは、誰がどう考えてもソードが悪いわ」 そう言った後、ルイズは思わず自分の持ち物を見た。うん、少なくともあの子よりはあるはず。そ、それに、わたしもまだまだ成長途中だもん……などと考えながら。 この一連のやりとりで、ルイズと才人を中心に広がりつつあった暗い影は、綺麗に霧散した。コルベールの事情に関する話題も、完璧に吹き飛んでしまった。会話と場の雰囲気の誘導を得意とするキュルケの面目躍如である。導いた方向についてはさておくとして。 ――いっぽうそのころ、船室内では。 噂の渦中にある大人ふたりが、揃って盛大なくしゃみを繰り返していた。「むむむ、風邪でしょうか。体調には充分気をつけていたつもりなのですが……」「気圧の変化によるものかもしれぬ。どちらにせよ、現地到着まではまだ時間がある。横になって、出来る限り身体を休めておこう」「賛成です。ところで、先程の件ですが……」「わしは、嘘などついてはおらぬ。そうであろう?」「その……ありがとうございました」「それはお互い様だ。おぬしがああして実力の片鱗を見せたことで、ルイズも少しは気持ちが楽になったであろう。だいたい、元はといえばわしの――」「話はこのくらいにして、休みませんか?」「……そうだのう。では、そうするか」○●○●○●○● ――ラ・ロシェールを発ってから、数時間後。 甲板で、秋の日差しを浴びながら読書をしていたタバサは、船員たちのざわめき声を耳に捉え、顔を上げた。「アルビオンが見えたぞー!」 鐘楼の上に立っていた見張りの船員が、大声をあげる。タバサのすぐ側で、壁に寄りかかって昼寝をしていたルイズと才人、そしてキュルケも、その声で目を覚ましたようだ。寝ぼけ眼をこすりながら、ふらふらと舷側へ向かって行った才人は、下を覗き見た後、不満げな声を漏らした。「陸地なんてどこにあるんだよ。何にも見えないぞ」 才人の呟きを聞いたルイズが、空中を指差して言った。「下じゃないわ。あっちよ」「はあ?」 指し示された方向を振り仰いだ才人は、口をあんぐりと開け、呆然と立ち尽くした。彼の視界に入ったものは――なんと宙に浮かんだ、巨大な『島』であった。浮遊大陸というのは嘘でもなんでもなかったのだ。 雲の切れ間から、黒々とした陸地が覗き見えていた。大地は、遙か遠く、視界の続く限り延びている。地表にはいくつもの山がそびえ、その隙間には川が流れていた。「すごい景色ね! 初めて見たけど、驚いたわ!」 歩み寄ってきたキュルケが、才人のすぐ側で感嘆の叫びをあげた。「俺も! こんなの、見たことねえや」 そんなふたりに、ルイズは得意げに説明した。「びっくりした? あれが浮遊大陸アルビオンよ。あんなふうに空中を浮遊して、大洋の上を彷徨っているの。でも、月に何度かハルケギニアの上空にやってくる。大きさは、トリステインの国土ほどもあるわ。通称は『白の国』よ」「どうして『白の国』なんだ?」「あれを見て」 ルイズが指差す場所には、大河があった。そこから溢れた水が、空に落ち込んでいる。その水滴が白い濃霧となって、大陸の下半分を包んでいた。「なるほどな、だから『白の国』なのか!」「そういうこと。あの霧は雲になって、ハルケギニアの広い範囲に雨を降らせるの」 と、そのとき。鐘楼にいた見張りの船員が大声を張り上げた。「右舷上方の雲中より、フネが接近してきます!」 それを聞いた他のメンバーも、舷側に集まってきた。そして、揃って言われた方向を見た。確かに、一艘の黒い船が近付いてきている。水精霊団の一同が乗り込んだものよりも一回り以上大きく、舷側にはずらりと大砲が突き出ていた。「へえ、こっちにも大砲なんかあるんか」「あれは戦列艦かな?」「うん、アルビオン式の巡洋艦だ。いやあ、実に立派なフネじゃないかね、きみ」 とぼけた声でそんなことを語り合う男子生徒陣の側で、ルイズは眉を顰めていた。「いやだわ……もしかして、貴族派連盟の軍艦かしら?」「わからない」 アルビオンの空軍が、中立航路を進むフネを攻撃するとは考えにくい。だが、万が一ということもある。念のため、用心しておいたほうがいいだろう。そう判断したタバサは、読んでいた本を閉じると、船倉に向かって駆け出した。 いっぽう、後甲板で隣に副長を従え、操船の指揮を取っていた船長も、問題の船をその目に捉えていた。黒いタールが塗られた船体の舷側には、砲門が二十数個ずらりと並び、こちら側へ砲口を向けている。それを見た船長の顔が、みるみる青ざめていった。「ま、まさか、ありゃ空賊船か!?」 副長はゴクリと喉を鳴らした後、それに答えた。「おそらくは。あのフネは、所属旗を揚げておりませんから」「くそッ、なんてこったい! 安全のために、わざわざ遠回りの中立航路を選んだってェのに、それが裏目に出ちまった!」「ど、どうしましょう?」「逃げろ! 取り舵いっぱい!!」 しかし、船長のその判断は遅きに失した。既に問題の黒船は併走を始めている。そして脅しの一発を、こちらの針路めがけて放ってきた。 ドゴン! という砲撃音が辺りに響き渡った。不審船から放たれた砲弾は、風を切り裂き空の彼方へと消えていったが、砲撃によって生じた乱流の影響で、マリー・ガラント号の船体が大きく揺れる。直後、威嚇してきた船のマストに旗流信号が掲がった。それを見た副長は、暗い声で言った。「停船命令です、船長」 船長は苦渋の決断を迫られた。この船に武装がないわけではないが、移動式の砲が、わずかに三門ばかり甲板に置いてあるだけに過ぎない。片舷側にずらりと大砲を、それも二十門以上並べた敵の火力と比較した場合、まるで役に立たない飾りのようなものだ。 誰かに助けを求めたいところだが、朝一番に出港したことが災いし、近くを飛行中のフネは一隻もない。乗り合わせている客は全て貴族だが、人品の良さそうな男がひとりに、あとは子供だけという構成である。 第一、彼らが善戦できたとしてもだ。空の上での戦いは、フネの性能差がモノを言う。砲撃によってフネが大破したら、その時点で終了なのだ。巡洋艦とおぼしき軍艦と、民間の貨物船。勝負は最初から見えている。 こんな状況で無理に抗戦すれば、最悪の場合、積み荷どころかフネそのもの、いや、乗組員の命を含む、全てが失われる。そう判断した船長は「これで破産だ」と呟くと、沈んだ声で部下たちに命令を下した。「白旗を揚げ、裏帆を打て。停船だ」 ――船長が降伏を決めた、数十秒ほど前。 コツコツという扉を叩く音で目を覚ましたコルベールは、すぐさま甲板上の『温度』に異変を感じ、素早く杖を取り出すと、ハンモックの上からひらりと飛び降りた。これは、軍人としてだけでなく、優秀な火メイジならではの能力だ。そして、向かい側で寝息を立てている太公望を揺り起こす。 船室の扉を開けて中へ入ってきたのは、タバサだった。コルベールは、未だ夢の中にいる太公望を揺さぶりながら訊ねた。「ミス・スノウ。状況を報告してください」「アルビオンの軍艦が接近中。所属は不明。念のため、外に……」 タバサがそこまで言ったところで、まるで空気をえぐり取るような轟音が響き渡り、船体が傾いだ。ようやく目を覚まし、ハンモックから降りようとしていた太公望が、その反動によって顔面から思いっきり床に叩き付けられた。「あいつつつ……なんなのだ、いったい!」 と、再び船が小さく揺れた。どうやら減速し、空中で停船するようだ。3人は顔を見合わせると頷きあい、足音を忍ばせながら、しかし素早い動きでもって後甲板への出入り口へ急いだ。 外へ通じる出口へ到着した3人がそっと外を伺うと、自分たちが乗り込んでいる船より遙かに大きな黒塗りの軍艦と、その舷側に開いた穴から二十を超える砲門が見えた。「貴族派連盟の巡視艦でしょうか?」「ただの偵察にしては、物騒なものを積みすぎている気がするがのう」 その直後、黒い船から男の怒鳴り声が聞こえてきた。「俺たちゃ空賊だ! 命が惜しけりゃ抵抗するな!!」 黒船の舷側に弓やフリント・ロック式のマスケット銃を持った屈強な男たちがずらりと並び、甲板に立つ者たちへ狙いを定めている。太公望は、思わず顔をしかめた。「また襲撃か! しかも今度は空賊だと!?」「アルビオンの戦乱に乗じて……と、いうことでしょうな」「まったく、はた迷惑な!」 そこへ<遠見>の魔法を使い、相手をつぶさに観察していたタバサが告げた。「敵艦上に、杖を所持している者が複数名。明らかにメイジが混じっている」「ふむ、一筋縄でいく相手ではないということか……」 空賊船から鉤のついたロープが幾重にも放たれ、マリー・ガラント号の舷縁に引っかけられた。斧や曲刀などの武器を持った男たちが、ふたつの船の間に張られたロープを伝ってぞろぞろとやってくる。その数、およそ50人。「かなり統制のとれた動きだのう。単なる賊ではないのかもしれぬ」 動き出した賊を相手に、才人とギーシュが何やら行動を起こそうとしていたようだが、レイナールとキュルケの手によって、かろうじて押し止められている。彼らのすぐ側で、ルイズとモンモランシーが、肩を寄せ合い震えている。「この状況はまずいですね。まだ我々の存在は察知されていないようですが、不意を打とうにも相手の数が多すぎます……と、砲口が動きました。最低でも、砲撃手と操舵手が敵船内に残っているのは間違いありません」「下手に動けば、砲撃でこのフネごと撃墜される可能性がある」「その前に弓と鉄砲、それに魔法で誰かが蜂の巣にされるほうが早いかもしれないな」 額に汗を滲ませながら、相手の戦力を分析するコルベールとタバサ。太公望は、現在の状況を改めて整理し――盛大なため息をついた。「正直なところ、これだけは絶対にやりたくなかったのだが……緊急事態だ。万が一のことを考えれば、好き嫌いを言っておる場合ではなかろう」「何か策があるのですか!?」「策と呼ぶにはあまりにも乱暴な上に、博打にも程がある手だがな。のう、タバサよ」「何?」「おぬしに、頼みがあるのだが」○●○●○●○● ――『それ』は、風に乗り、芳香と共に現れた。 まるで白磁のように透き通り、すべらかな肌を惜しげもなく晒し、豊満でありながらも締まるべきところはきっちりと締まった肉体にぴったりと貼り付くような衣装は、身体のラインをくっきりと浮き立たせている。見事なまでに完璧な『美』であった。 腰よりも長くつややかな桃色の髪をたなびかせ、見る者全てが傅くような笑みを浮かべながら練り歩く姿は、まさしく『女帝』。 彼女の姿を見た者たちは、敵も味方も。まるで、魂魄を抜き取られたかのような顔で立ち尽くした後に――大きな歓声を上げた。「うおおおお――ッ!!」「女王様!!」「女王様――ッ!!」 歓びの声を受けた女は、見せつけるようにバチンとウィンクすると、笑った。「あはん☆」 さらに大きくなる歓声。盛り上がる一同。そこにはもはや、敵味方の区別はなかった。だがしかし、一部その流れに乗っていない者たちがいた。「お、おい! どうしちまったんだよ、みんな!」 突如甲板に現れた美女の肢体に、だらしなく鼻の下を伸ばしながらも――あまりにも滅茶苦茶な『空気』の変化に困惑していた才人と。「何だこれは!? いったいどうしたことだ!!」 空賊の中で、ひときわ目立つ格好をしていた男――おそらく彼らの首領が、大声で手下たちを叱咤している。だが、誰ひとりとして彼の命令に従おうとはしなかった。 それどころか女を拝み、滂沱の如き涙を流す者までいる始末。おまけに、空賊船の甲板上に乗組員とおぼしき男たちがぞろぞろと現れ、周囲の者たちと同様に歓呼の叫びを上げ始めたのを見るに至って、空賊の長は手下達の身に起きた異変を察し、顔色を変えた。 そんな空賊の頭と才人を交互に見遣った女は、目を細めて言った。「あらん☆ あなたたちには、わらわの<魅惑の術>が効いてないのねぇん☆」「魅惑だと……まさか<先住魔法>か!!」 空賊の頭は、懐から上品な水晶の飾りがついた杖を取り出し、構えた。長くぼさぼさの汚い髪に無精髭を生やした彼は、その見た目によらず、メイジであるらしかった。「ラナ・デル・ウィンデ!」 頭が唱えた<風の槌>が完成し、女に向けて襲いかかった。だが、女は余裕の笑みを崩さなかった。「いやん、粗雑な攻撃ん☆」 それから彼女は、手にしていた『杖』を一振りした。「えい☆」 杖から発生した突風によって、空賊の頭は<風の槌>ごと吹き飛ばされ、そのまま甲板に叩き付けられて気絶した。「その杖……オネーサン、ま、まさかアナタ」 ようやく『女』の正体に気付いた才人が呆然と呟く。そんな彼に、意味ありげな笑みを浮かべてみせた女は、身体をくねらせながら叫んだ。「みんな聞いてぇ~ん☆ 不幸な事故で倒れちゃった、お頭さまの代わりに言うわん☆ この船に、あなたたちが攻め込んで来ようとしているわけだけどん……」 両の手を可愛らしく頬に当て、涙まで浮かべた女は、イヤイヤと首を振った。「いや~ん、そんなのわらわ、困っちゃう~ん☆ 助けてぇ~ん☆」「ヴォォオオオ――――ッ!!」「女王様!」「女王様ァ――ッ!!」 空賊たちは、みな雄叫びを上げながらマリー・ガラント号の中央へ集まると、黒船内から持ち込んだロープで、なんと互いを縛り始めた。捕らえられた者たちの中には、もちろんあの空賊の長も含まれている。「ねぇん、ソードぉん☆」「なあ。頼むから、その喋り方やめてくんね? つか、どうなってんだこれ……他のみんなまで、なんかおかしくなっちまってるじゃねーか!」「かかかか、ちと悪ノリが過ぎた。ところで、おぬしに頼みたいことがあるのだが」「な、なんだよ?」「あの空賊船は『武器』の一種だと、わしは思うのだが……おぬしはどうだ?」 ニヤリと、まるで獲物を前にした獣の如き凶悪な笑みを浮かべた女に、これまた悪い笑みを返しながら才人が答える。「イケると思うぜ」「すまぬが、ちと調べてきてはもらえぬか? 風に煽られて動くと厄介なのでな」「オッケー! 任せとけ!!」 空賊船に乗り移りながら、才人は思った。前に見た天使といい、今回のアレといい……。「まさか、太公望師叔には女装の趣味があったりして? して?」 ……いっぽう、後甲板出口で一部始終を見ていたタバサとコルベールは。「あれが『如意羽衣』本来の<力>……」「いやはや、実に怖ろしい魔法具だな。前もって<抵抗>の準備をしておけと言われなかったら、間違いなく私たちも巻き込まれていたよ。しかし、あの女性はいったい……?」「おそらく、例の『女狐』」「ああ、なるほど。それにしてもあの美貌! まさしく『傾国の美女』ですな」「納得」 だが。そう呟いたタバサの眉根は、少し中央に寄っていた。 ――そう。タバサから『如意羽衣』を借り受けた太公望が、己の天敵にして最終目標であった女狐の姿に<変化>し、彼女の持つ宝貝『傾世元禳』の<力>を発動。マリー・ガラント号だけではなく、空賊船をも巻き込んで、その場にいた人間たち全員を<魅了>してしまったのである。いくら緊急時とはいえ、力業にも程がある策であった。 たが、所詮は物真似。一部、魅惑の効果が通らない者もいた。しかし、敵側でまともに抵抗できたのが空賊の頭ただひとりだけであったことが幸いし、結果。総勢80余名にのぼる空賊たちは、ろくな抵抗もままならず、全員が捕縛の憂き目に遭い。おまけに、空賊船の拿捕にも成功。双方共に目立った負傷者なしという、実に平和的な結末をもって、両船舶同士の戦いは終了した――。○●○●○●○● ――それから、約三十分ほどして。 ガンダールヴの<力>で空賊船を完全に安定させた才人が戻ってきたとき。既に、太公望は元の姿に戻っていた。一見何でもなさそうな顔をしているが、その額は汗でぐっしょりと濡れている。 ものすごく何かを聞きたそうな一同を制すると、太公望は言った。「さて、こやつらの処遇をどうするかだが……」 固いロープによって、まるでひとつなぎの数珠のように括られた空賊たちを前にして、彼は首を捻っていた。「まさかアルビオンまで連れてゆくわけにもいかぬし、かといって船ごと沈めるというのも寝覚めが悪い。そこでだ、ソードよ」「ん、何だ?」「あの空賊船だが、おぬしひとりで動かせそうか?」「いや、さすがに帆船でそれは無理。操舵だけなら俺ひとりでもやれるけど、最低でも帆の上げ下げする人手がないと、風に対応できねーし」「と、いうことは、人手があればなんとかなるのだな?」「おう。帆畳む指示とか、俺が出せばな」「燃料はどうだ?」「たっぷり載ってた。その気になれば、トリステインにも行けそうだったぜ」「そうか。ならば、ミスタ・エンジンを除く全員に命ずる。おぬしたちは、こいつらを連れて、あの黒い船でトリステインへ戻るのだ」 悲鳴と抗議の叫びが、甲板上に響き渡った。前者はもちろん空賊たち、後者は水精霊団一同のものである。「で、でも、ロサイスまでは一緒に行くって!」「緊急事態だ、致し方なかろう。それに……」 実に悪い笑みを浮かべ、太公望は言った。「空賊を、このまま見逃すわけにはいかぬ。そこでだ……ブロンズよ」「何かね?」「ラ・ロシェールに到着したら、まず最初におぬしの父上へ連絡を入れて欲しいのだ。空賊船とはいえ、立派な軍艦だ。そんなフネをタダで手に入れたとなれば……」 ギーシュは、思わずにんまりとした。「父上は間違いなく喜ぶよ! これほどのフネは、トリステイン空軍にはないからね。おまけに、航路を荒らす空賊を捕まえたとなれば、国から賞金だって出るだろうし」 こうして。襲撃を図った空賊たちを、トリステインへ移送するところで話はまとまりかけていたのだが――残念ながら、そうは問屋が卸さなかった。「待ってくれ!」 声をかけてきたのは、空賊の頭であった。「恥を忍んで頼む。どうか、我々を見逃してはもらえないだろうか。もちろん、間違っても解放後に君たちを狙うような真似はしない。『始祖』ブリミルの名にかけて誓おう」 苦悶の表情を浮かべた彼に、太公望は言った。「ふむ……やはりおぬしたち、ただの空賊ではなかったようだな」「知っていたのかね!?」「いや、違う。おぬしたちの整然とした動きや装備を見て、そう判断していただけだ。おまけに、この状況下でそのような申し出をしてくるということは――万が一にも、自分たちの身元が割れては困るということだ。つまり、おぬしたちはアルビオンの正規空軍。それも、王党派に所属しておる者たちであろう?」 その言葉に、周囲の空気がざわりと揺れた。「な、何故それを……!」 だが。次の瞬間、人の悪い笑みを浮かべた太公望を見た空賊――いや、王党派空軍に所属する兵士たちは、トリステインへの移送云々を含め、自分たちが完全に引っかけられていたことを悟った。「アルビオンの空軍であることまでは察していたが、貴族派連盟と王党派のどちらなのか、完全に絞り込めていなかったのだよ。だが、お陰でひとつ大きな手間が省けた」 そう言って、太公望は『打神鞭』を一振りした。途端に、空賊の頭を捕らえていたロープがばらばらになる。「誠に失礼ながら、まずは閣下のみ解放させていただきます」 縛られていた腕をさすりながら、閣下と呼ばれた男が緊張した声で訊ねた。「ふむ……君は、我々にいったい何を求めているのかね?」 その言葉に、太公望は丁寧な礼を返しながら申し出た。「わたくしどもはトリステインの王室より、御国の皇太子ウェールズ殿下へ宛てて、密書を言付かっております。どうか、皇太子殿下へお取り次ぎ願いたい」 そして懐から一通の手紙を取り出し、トリステイン王室の花押が男に見えるよう、目の前に差し出す太公望。 しかし、その後起きたことは――さすがの太公望にも、想定外の出来事であった。「この花押、確かに本物だ。いや、まさか……襲おうとしたフネに、トリステインからの大使殿が乗り合わせていたとは、これは大変に失礼した。そうとわかれば、こちらも所属と名を明かさねばなるまい」 男はそう言うと、汚れた髪をはぎ取った。なんと、それはカツラであった。その後、彼は髭を剥がした。どうやら両方とも変装用の小道具だったらしい。本物の髪は見事な金髪で、素顔は凛々しい目鼻立ちの若者だった。「僕は、アルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令長官――とはいっても、既に君たちに拿捕された『イーグル』号と数隻の輸送船しか存在しない、無力な艦隊だがね。まあ、そんな肩書きよりも、こちらのほうが通りがいいだろう」 若者は居ずまいを正すと、威風堂々名乗りを上げた。「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」 ――ひとときの間を置いて。「うぇえええぇぇぇええ――ッ!!」 アルビオンの空に、絶叫が響き渡った――。