――その日。ラ・ヴァリエール公爵家の食卓は、いつもと様子が違っていた。 一家全員が揃う晩餐の席。そこでは、誰も言葉を発しようとしない。これについては、ヴァリエール公爵家においては、ほぼいつも通りの光景なのだが……今夜は何故か、いつにも増して雰囲気が重苦しいのだ。 その主な原因となっているのが、上座に着いているラ・ヴァリエール公爵と、来客用の席に腰掛けているオールド・オスマンである。彼らは揃って気難しい顔をしながら、ナイフとフォークを動かしている。だが、その動作は、どこかぎこちなかった。 ――時を遡ること、1時間前。 ラ・ヴァリエール公爵家へ向かう竜籠の中で、オールド・オスマンは呆れ果てていた。 彼の膝には、1冊の古書が載せられていた。古びた革の装丁がなされたその本の表紙は、既にボロボロで、うっかり落としでもしようものなら、中身のページを含め、ばらばらになってしまいそうだった。「ふう……まさか、こんな簡単に手にすることができるとはのう」 嘆息しながら、オスマン氏は本のページをめくった。色褪せた羊皮紙には、何も書かれていない。およそ300ページほどあるその書物は、どこまでめくっていっても無地――つまり白紙なのであった。「これが、トリステイン王家に伝わる『始祖の祈祷書』か……」 この不可思議な書物『始祖の祈祷書』には、今から6000年前、かの『始祖』ブリミルが、神に祈りを捧げる際に用いた呪文が記されているという伝承があるのだが――こうして中を見た限りでは、ルーンはおろか、何の記載もない。染みのひとつすら残されていない。そのため、まがい物なのではないかとの噂が、宮廷内でまことしやかに流されていたのだが――オスマン氏は知っていた。これが、まぎれもなく『本物』であることを。 <魔法探知>にしっかりと反応するし、何よりこれは、トリステイン王家の者が結婚する際に、選ばれた巫女が読み上げるという名目で代々受け継いできた、紛うことなき『秘宝』なのだ。 もっとも、その『まがい物』という噂のお陰で、オスマン氏が大きく手を患わせることなく、こうもやすやすと持ち出すことができたわけだが。 ……実は、今日の夕方。王家の財産を管理する財務卿に、「後学のために、是非一度『始祖の祈祷書』を閲覧させてもらいたい。もちろん、実際にお見せいただくのは、枢機卿猊下からお許しを得てからということにしますがのう」 と、申し出たところ。なんと、財務卿の裁量で――1週間という期限付きだが――あっさりと貸し出してくれたのだ。 もちろん、これはオスマン氏の名声あってのことではあるのだが、それにしても王家に伝わる秘宝を、こうもあっさりと表へ出してしまうとは、宮廷内部は、いったいどうなっとるんじゃろう――と、オスマン氏の胸の内は、忸怩たる思いでいっぱいになった。 とはいえ、オスマン氏も『土くれ』から三王家と宗教庁の『秘宝』に関する情報がもたらされていなければ、これを偽物と断定してしてしまっていたかもしれない。なにせ、この『始祖の祈祷書』は――その伝説がゆえに、贋本が世界各地に、しかも大量に存在しているのだ。それらを全て集めたら、専用の図書館ができるのではと言われているほどである。「ま、おかげで仕事が楽になったわい。これで、今週中にラ・ヴァリエール公爵が『水のルビー』をマリアンヌ王妃から一時的にでも借り受けることができれば、ミス・ヴァリエールの系統を、ほぼ確定することができるじゃろう」 ……と、まあそんなことを考えながら、ラ・ヴァリエール公爵家へ到着したオスマン氏だったのだが。まさか……まさかである。その『水のルビー』が、なんと姫君が手ずから公爵に下賜なされていたとは、さすがの彼も想像だにしていなかった。 客室のソファーにどっかと腰掛け、ふたつの『秘宝』を前にして、揃って顔を突き合わせたオスマン氏とラ・ヴァリエール公爵は、共に盛大な溜息をついた後、事のあまりの重大さに打ち震えた。「どうやらわしは、自領の運営と国境の防衛ばかりに気を取られて、肝心の――トリステイン中央部全体に広がっている大きな歪みに、全く気付いていなかったようだ。まさか、ここまで現体制が緩みきっていたとは……!」「わしもじゃ。よもや『水のルビー』に王権にまつわる謂われがあったとは知らなんだ! おまけに、その『王権』継承に関する口伝が、姫殿下まで届かず完璧に途切れておるとは。マリアンヌ王妃殿下は、予想よりも遙かにお加減が悪かったのじゃな。もっと早く気付いてしかるべきであった」 公爵は顔をしかめ、オスマン氏はこめかみに指をあてながら呻いた。「さて、期せずして『鍵』が揃ってしまったわけじゃが、どうするね?」「不意打ちにも程がありますぞ。本来であれば、早急に試したいところなのですが」 ふたりは、揃って肩を落とした。「明日、ミス・ヴァリエールが姫殿下とお会いする件……ですかの?」「ええ。ルイズが、姫に対して嘘をつき通せるとは思えません。念のため、姫殿下にはあの子が<風系統>に目覚めたかのように錯覚するよう、話をしておきましたが――」「姫殿下にお会いする前に、万が一<虚無>に目覚めてしまった場合……そこで系統について問い詰められたら、うっかりぽろっと話してしまいそうだと?」 ラ・ヴァリエール公爵は、オスマン氏の目を見て頷いた。「その通りです。他の者にならば黙ってもいられましょうが、相手はルイズが敬愛してやまぬ姫殿下ですからな。念のため、娘には<念力>で空を飛んでいることを絶対に口にせぬよう、釘を刺しておきます。系統についても、わしとカリーヌが<風>だと判断していると話します」「それがよかろう。実際、彼女に<風>の素養があるのは事実じゃ。周囲の空間と、風の流れをきちんと把握できているからこそ、ミス・ヴァリエールはあれほどの速度で宙を舞うことが可能なのじゃから」 その後、さらに詳細を詰めるための打ち合わせを行っていたふたりは、執事長から食事の支度が調った旨の報せを受けて晩餐の席へと向かい――結果、ろくに味のわからぬ夕食を摂るはめになったのだった。○●○●○●○● ――そして翌日。 ラ・ヴァリエール公爵家専用の竜籠に揺られてトリスタニアの街へと移動した公爵とルイズ、それからお供を務める才人たち一行は、途中で豪奢な馬車に乗り換えると、一路王宮へと向かった。 歩きで中へ入るわけじゃないんだ、そりゃそうか、こんだけ広いんだもんな。そんな感慨を抱きながら、才人は窓の外に広がる光景を眺め、感嘆の溜息をついた。 王城の門をくぐると、そこには広い中庭があった。規則正しく植えられた生け垣は、全て竜に跨った騎士や、様々な幻獣の形に刈り込まれており、今にも動き出しそうなほど見事だった。 馬車寄せの中央にある池には、一定のタイミングでリズミカルに水を吹き出す噴水があった。ふと、その噴水の水がどこから来ているのか気になった才人は、よくよく周囲を観察してみた。すると、細い水路が王宮壁面側から延びてきているのがわかった。 見上げるほどに巨大な王宮は、幾筋もの水流が反射する太陽光によって煌めいていた。この水が、噴水となって噴き出しているのであった。 そういえば、トリステイン王家の象徴は<水>だってルイズが言ってたっけ。馬車を降りた後、そんなことを思いながらぼんやりとしていた才人は、既に王宮内部へ向けて移動を開始していたふたりに置いて行かれぬよう、あわててその後を追い掛けた。 到着した3人は待合室へは通されず、すぐさま姫君の居室へと案内された。 アンリエッタ姫は、小さいながらも精巧な彫刻の施された椅子に腰掛け、机に肘をつきながら来客の到着を待っていたが――待ち人が来たという報せを受けるやいなや立ち上がり、彼らを迎えた。「ルイズ・フランソワーズ! 本当にお久しぶりね」 鈴の音のように涼しげな姫君の声を聞いたルイズは、さっとその場に膝をついた。「ラ・ヴァリエール公爵。今日は彼女を連れてきてくれて、本当にありがとう」「勿体ないお言葉でございます。それでは、わたくしは公務がございますので……また後ほど」 そう言って笑顔で退出したラ・ヴァリエール公爵を微笑みながら見送ったアンリエッタ姫は、彼の背中が見えなくなった直後。感極まったといった様子でルイズの側に駆け寄ると、彼女の身体を抱き締めた。「ああ、ルイズ。ルイズ! 懐かしい、ルイズ・フランソワーズ!」「姫殿下、いけません。臣下たるわたくしめに、このような……」 ルイズは、畏まった声でそう言った。「いやだわ、ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」「もったいないお言葉でございます、姫殿下」 アンリエッタは、美しい眉根を寄せ、拗ねたような口調で言った。「ああ、もう! そんなよそよそしい態度はやめてちょうだい! 幼い頃、いっしょになって王宮の花壇の上を飛び回っていた蝶々を追い掛けた仲じゃないの! 泥だらけになって」 姫の言葉を受けたルイズは、顔をはにかませて答えた。「はい、そうでしたわね。お召し物を汚してしまって、ふたり揃って侍従長のラ・ポルトさまに叱られました。ふわふわのクリーム菓子を取り合って、大喧嘩になったこともございましたわ」 きらきらと輝くルイズの瞳を見たアンリエッタは喜んだ。わたくしの大切な幼なじみは、昔と変わらず、今もおともだちのままでいてくれた。それが、彼女には本当に嬉しかった。アンリエッタが心を開ける相手は……本当に限られているのだ。「そうよ! そうよルイズ。取っ組み合いの喧嘩をしたことだってあったじゃないの! ほら、例の『アミアンの包囲戦』と呼んでいた、あの一戦よ」「たしか、当時宮廷内で流行していたドレスを奪い合ったのでしたわよね。あのときはわたくし、姫さまの見事な一発をおなかに受けて、御前で気絶いたしました」 昔を思い出し、懐かしそうに笑い合うふたりの少女を見ていた才人は、唖然とした。いやはや、あのルイズの幼なじみとはいえ、一国の王女さまと聞いていたから、どんな深窓の令嬢かと思って期待していたのに……とんだおてんば姫じゃないか、と。 と、その姫君の視線が、才人のほうを向いた。「ところでルイズ。そちらの彼は?」「あ、はいっ。わたくしの護衛でございます」 アンリエッタはそれを聞くと、才人のほうに向き直り、小さく首をかしげた。だが、才人は相変わらずぽけっとしている。ルイズは慌てて口を開いた。「な、なにぼーっとしてんのよ! 早く姫さまに名乗りなさい! 失礼でしょう!?」 と、いうルイズの言葉で、ようやく才人は気が付いた。そうか、さっきお姫さまが首をかしげたのは、俺に名乗れっていうサインだったのか! うわあ、貴族ってめんどくせえ……とはさすがに口には出さず、彼は深々と一礼した。「平賀才人と申します。才人とお呼び下さい」 それは到底、宮廷内の礼法に適った態度とはいえないものだったが、アンリエッタ姫は、これといって気にしたりはしなかった。彼女はほうっと溜息をつくと、ルイズに椅子への着席を促し、自らも腰掛けた。「あなたが羨ましいわ、ルイズ。お父上に、心から愛されているのね。こんなふうに護衛士までつけてもらえるだなんて」「なにをおっしゃいます。姫さまなら、護衛士など選び放題ではありませんか」 アンリエッタは、寂しげに首を振った。「いいえ。何もかも、他の者が決めてしまいます。そこに、わたくしの意志はないのです。王国の姫などとは名ばかりで、籠に飼われた小鳥も同然なのよ」 そんな切なげな姫の言葉に、才人はつい口を挟んでしまった。「まあ、お姫さまってどこでも大変そうだよな。この国のことはよく知らないけどさ、王家の行事だの他の国との付き合いだので、分刻みでスケジュール決められたりするんだろ? 自由なんて全然なさそうだし」「ちょっとサイト!」「あ、悪い……つい」 よりにもよって姫殿下を相手に、魔法学院で生活している時と同じような態度で口を利いてしまった才人に、ルイズは心底慌てた。姫さま相手に、なんて無礼な真似をするのよ、この男は! もっとしっかり礼儀を叩き込んでおくべきだった。最悪の場合、打ち首だってありえるわ! と、肝を冷やした。 だが、その後に飛び出したアンリエッタ姫の言葉は、ルイズがしていた想像とは全く異なり、とても柔らかなものであった。「まあ! あなた、王族の実情について、それなりに詳しいのね。ひょっとして、異国の出なのかしら? 黒い髪なんて珍しいものね。いったい、どちらからいらしたの?」「あ……ハイ。ずっと東の、日本という小さな島国から来たんです。ハルケギニアでは、全部まとめて『ロバ・アル・カリイエ』って呼ばれる諸国のひとつってことになっているみたいですが」 例の、太公望が捏造かました設定に平然と乗っかる才人であった。このあたりは、前もってしっかりと口裏を合わせていたので、たとえ不意打ちを受けようとも、もはや彼らは一切動じたりしない。「まあ、まあ! ロバ・アル・カリイエですって!? ルイズ、ルイズ・フランソワーズ! あなた……魔法学院へ入学してから、わたくしの知らないことを、たくさん経験しているみたいね? 今日はせっかくの機会ですもの、いろいろと聞かせてちょうだい」 アンリエッタ姫に促されるまま、ルイズは魔法学院での生活について、色々なことを話した。ただし、才人が使い魔であることや、出がけに、何故か絶対に話してはいけないと父から念入りに釘を刺されていた『念力を使って空を飛ぶ』ことに関連することを省きつつ。 そして、話が例の『オーク鬼討伐』に至った時、姫君の目が見開かれた。「あのジャコブ村を開放した『水精霊団』が、まさか、あなたたちだったなんて!」「えっ、あのっ、ひひ、姫さま? どど、どうしてその名前をご存じで……?」 心底驚いたといった様子のルイズの手を取り、アンリエッタはきらきらと瞳を輝かせながらこう言った。「デムリ財務卿が、わたくしに書類の決済を求めてきたときに、偶然耳にしたの。オーク鬼30体を、半日で討伐してしまったのでしょう!? それも、普通なら10名以上の騎士が数日かけて行う討伐任務を、たったの8人でやってしまったんだって、財務卿ったら本当に驚いていたのよ」 アンリエッタ姫の言葉を聞いたルイズと才人は、口をあんぐりと開けてしまった。まさかあの戦いが、通常ならば騎士隊が数日かけて行うような討伐任務だったとは、思ってもみなかったのだ。なにせ彼らは、「初陣だから、簡単なものを選んだ」 と、太公望から何度も聞かされていたのだから。 それだけ自分たちの<力>が評価されていたのかと思うと、なんだか嬉しくもあるのだが――それにしても、とんでもないことであるのは間違いない。 ……だがしかし、喜んでいる場合ではない。今はそれ以上の問題がある。それに気付いたルイズは、おそるおそる口を開いた。「あ、あの……姫さま? 大変申し訳ございませんが、このことはご内密に願います」「まあ、どうしてかしら? 素晴らしいことだと思うのだけれど」「実は……」 ルイズは事情を語り始めた。この『水精霊団』は、全員が家名を出さずに『暗号名』で活動している、秘密部隊なのであると。自分たちの実力だけで勝負するために、全員一致で、あえてそのような措置を執っているのだと説明した。「そういうわけで、家族にも内緒にしているんです。ですから……」 縋るような目で願い出てきた『おともだち』を見て、アンリエッタ姫はふと思い立った。ここで彼らと繋がりを作っておくことが、後に何かの役に立つかもしれないと。しかし、それとはまた別に……彼女にはちょっとした願いがあった。それは、自由に空を羽ばたくことを願う小鳥の、切なる想い。「わかりましたわ。大切なおともだちの頼みですもの! その代わり……わたくしからも、ひとつだけお願いしたいことがあります」「そんな、お願いなど! 姫さまの仰せとあらば、なんなりと」「その『暗号名』というものを、わたくしにもつけてはもらえないかしら?」「は?」「え?」「だって、とっても素敵じゃないの! 身分を隠して、あちこち冒険するだなんて。わたくし、憧れてしまうわ! 共に行くことは叶いませんけれど、せめて名前だけでもあれば……どこかであなたたちの冒険譚を聞くたびに、一緒に旅をしているような気分になれると思うの」 ルイズは思った。姫さまは、本当にお寂しいのだ。今まで想像したこともなかったが、この広いお城の中で、心を許せる友人もおらず、たったひとりだけで過ごしている姫君は――完全に孤独なのだろうと。「サイト。姫さまの『暗号名』を考えてさしあげて」「あ、ああ、もちろん構わないけど……それじゃあ、お姫さま。二つ名か、得意な系統を教えてください。それを、東方の言葉に直したのが俺、じゃなかった、わたくしどもの『暗号名』として使われておりますので」 アンリエッタの顔が、ぱっと輝いた。「二つ名は特にありませんので……得意としている系統<水>を使ってください」 <水>かあ。『ウォーター』だとあんまり可愛くないし、何か女の子に似合いそうなものがあったかなあ……才人は、自分の中にある知識を総動員して、なんとか目の前にいる姫君の期待に応えようと努力した。そして、閃いた。これならイケてるんじゃないか、と。「それなら『マリン』か『アクア』というのはいかがでしょう? 『マリン』は海洋のことで『アクア』は、たくさんの水という意味です。ちなみに、両方合わせて『アクアマリン』に致しますと、青くて綺麗な宝石の名前になります」 才人の提案に、アンリエッタは手を叩いて喜んだ。「まあっ、どれも素敵な響きを持つ名前ですわね! どうしましょう……ねえルイズ、どれがいいかしら? わたくし、迷ってしまうわ!」 姫君の声に、ルイズは澄まし顔で答えた。「姫さまはトリステインの宝石でございますから『アクアマリン』がよろしいかと」「もう! ルイズったら、わたくしをからかっているのね!?」「そんな、畏れ多い! このわたくしが姫さまをからかうだなんて!!」「……あなた。本当に、ラ・ヴァリエール公爵とそっくりね」「お褒め頂き、恐縮ですわ」 ふたりの少女は、顔を見合わせると――声を上げて笑った。○●○●○●○● ――その夜のラ・ヴァリエール公爵家の晩餐は、昨夜よりもさらに重く沈んでいた。 昨晩と同様、ラ・ヴァリエール公爵とオスマン氏が、沈痛といっても過言はでない表情を顔全体に貼り付けている。さらには、ルイズを除いた家族全員が、彼らと同じように、何かについて考え込むように、深く沈み込んでいるのだ。これでは、せっかくの豪華な料理もだいなしである。 そんな、明らかに異様な空気が漂う夕食が済んだ後――ラ・ヴァリエール公爵は家族全員の顔を見渡しながら、重々しくこう告げた。「カリーヌ、エレオノール、カトレア。今から1時間後に、礼拝堂へ集まるように」 そして、公爵はオスマン氏と一瞬視線を合わせた後、最後にルイズへ申し渡した。「ルイズは、1時間半後に護衛のサイトを伴って礼拝堂へ来なさい。そうそう。彼には、例の『光の剣』を持って来るよう、忘れずに伝えるのだぞ」 それだけ言うと、ラ・ヴァリエール公爵はオスマン氏と連れ立って、そそくさと席を立ってどこかへ行ってしまった。「全員で礼拝堂へ来いだなんて……いったい何事かしら? しかも、わたしだけ30分遅れて来いって、どういうこと?」 戸惑いの表情を浮かべて周囲を見渡したルイズであったが、しかし。その疑問に答えてくれる者は、誰もいなかった。 ――そして、指定された時間の5分前。 ルイズと才人のふたりは、ラ・ヴァリエール公爵から言われた通り、屋敷内にある礼拝堂へ続く廊下を歩いていた。才人の背には、しっかりとデルフリンガーが背負われている。「なあ、これから何があるんだ?」 才人は、顔中に疑問符を浮かべてルイズに問うた。今日の稽古は休みであると、前もって伝えられている。にも関わらず、わざわざデルフリンガーを持って来いとは、いったいどういうことなのかと。「わたしにもわからないわ。ただ、父さまがあんたとデルフを連れてきなさいって」 ルイズの言葉に、デルフリンガーは鍔をかちかちと鳴らした。「俺っちも連れてこいだなんて、おかしな指定だねえ。まさかたァ思うが、今からみんな揃ってドンパチやるってか?」「いくらなんでもそれはないと思うわ……たぶんだけど。家族みんなだけじゃなくって、学院長も一緒に待っているみたいだから」「たぶんなのかよ! てか、学院長先生って、何で屋敷に残ってんだ?」「父さまと、毎日打ち合わせしてるのは確かなんだけど、何を話しているのかまでは、教えてもらってないわ。たぶん、国のお仕事に関係することだとは思うんだけど」「ふうん……学院長って、偉い先生だったんだな」 ……などという話をしているうちに、彼らはいつの間にか礼拝堂の前へ到着していた、彼らは豪奢な装飾が施された観音開きの扉の前へ立った。移動中に乱れた服装を簡単に直したルイズは、才人のそれも手早く整えてやると、小さくドアをノックした。 すると――礼拝堂の大扉は、まるでふたりを迎え入れるかのように、静かに開いた。中にいたラ・ヴァリエール公爵が<念力>を唱えたのだ。 扉の奥は、礼拝堂というよりは大神殿のような雰囲気を醸し出す、立派な部屋だった。床の中央には、まっすぐと奥まで伸びる赤い絨毯が敷かれており、最奥には立派な祭壇と『始祖』ブリミルのシンボルが置かれていた。左右には、木製の長椅子がずらりと並べられており、室内は魔法のランプの灯りによって煌々と照らされ、荘厳な雰囲気を醸し出している。 祭壇の奥に、オスマン氏が立っていた。そして、その左右にラ・ヴァリエール公爵と、カリーヌ夫人が。祭壇手前左右に、エレオノールとカトレアが待ち受けていた。だが、それ以外の人間は誰もいない。普段、大勢の使用人たちが側に控えていることを考えると、これは異常事態といって差し支えない状況であった。 この光景を見た才人は、一瞬「なんだか結婚式みたいだ」などと考えてしまい、思わず顔を赤らめてしまったのだが――そんな彼と一緒に居たルイズは、パートナーとは全く違う気持ちでいた。 どうしてなのかはわからない。でも、この扉をくぐったら、その瞬間――自分の中で、大きな何かが始まる。そんな予感が、彼女の胸に去来していた。それが、ルイズに一歩を踏み出すことを躊躇わせていた。 ルイズは、思わず隣――自分の右横に立っていた才人のほうを見た。すると、不思議なことに、それとほぼ同時に才人が彼女のほうへと顔を向け、彼らふたりの視線が交差した。「サイト」「ん、どした?」「手……貸して」 言われるがままに左手を出した才人は、差し出されたルイズの華奢な右手が、小さく震えているのに気が付いた。彼がその手をそっと握ってやると、ルイズがきゅっと握り返してきた。ふたりは手を取り合い、ゆっくりと礼拝堂の中を歩いていった。 礼拝堂に設置されていた祭壇は、白い大理石で造られていた。祭壇には細かな彫刻が施されており、壇上左右には豪奢な燭台が設置され、その上では蝋燭が、紅い炎を揺らめかせながら、周囲を静かに照らしていた。 そんな祭壇中央には、立派な壇上に相応しくない、古びた本が置かれている。 祭壇の前まで来たルイズと才人のふたりを、オスマン氏は交互に見遣ると、小さく頷き、ラ・ヴァリエール公爵を見た。 公爵は、静かにふたりの前へと歩み寄ると、ルイズの前に立った。「ルイズ、右手を出しなさい」 ラ・ヴァリエール公爵が厳かな声で告げた。そこで初めて、彼女は未だ才人の手を握っていたことに気付き、慌てて彼の手を離すと……そっと父親のほうへ手を差し出した。 公爵は懐へ手を入れると、そこから絹の布に包まれた小さな指輪を取り出した。そして、ルイズの手を取り、その指に填めてやった。台座には、青く清んだ美しい宝石――まるで、昼間に王宮で才人が言っていた『アクアマリン』のような石が留められている。「父さま、これは……?」「それは、これからわかることだ。さあ、ルイズ……祭壇の前へ立ちなさい」 言われるままに、ルイズは祭壇の前へ――オスマン氏と向かい合うような形で立った。すると、右手薬指に填められた指輪が、淡く輝きを放ち始めた。それは、どこまでも蒼く透き通った光であった。「ミス・ヴァリエール。この『本』を手に取るのじゃ」 ルイズは、心臓がどきどきと早鐘を打つように高鳴るのを感じていた。この不思議な家族の集いは、いったいなんなのかしら……? 不安げな顔をして周囲を見渡すと、全員が彼女に注目――いや、見守ってくれているのがわかった。彼らの瞳に湛えられた光に勇気づけられた少女は、そっと『本』を手に取った。その途端、指輪と本がまるで同調したかのように、輝く光輪に包まれた。 まるで何かに導かれたかのように、ルイズは本を開いた。そして、光り輝く本の中に文字を見つけた。それは、古代ルーン文字であった。 もしも、これを見たのがごくごく普通の生徒だったなら――何が書かれているのか、さっぱりわからなかったかもしれない。だが、ルイズは非常に勉強熱心な学生だったので、その文字を、なんなく読むことができた。 ルイズは、光の中の文字を追い――無意識にそれを読み上げた。「――序文。これより、我が知りし『真理』をこの書に記す。全ての物質は、小さな粒より為る。四の系統は、その小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。その四つの系統は<土>、<水>、<火>、<風>と為す」 彼女の声を聞いた者たち――才人を除く全員が、小さく震え始めた。だが、ルイズはそれに全く気付かず、ひたすら文字を追い続けた。「四の系統が影響を与えし小さな粒は、さらに小さな粒より為る。神は、我に四の系統よりもさらなる先の『道』を示された」 ――<土>の先、此即ち<支援>。全ての『支柱』を司る『道』。 ――<水>の先、此即ち<生命>。全ての『生死』を司る『道』。 ――<火>の先、此即ち<消滅>。全ての『破壊』を司る『道』。 ――<風>の先、此即ち<空間>。全ての『場所』を司る『道』。 ルイズは、まるで何かに導かれるように、本のページをめくり続けた。「我が系統の『道』は、さらなる小さな粒に影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。此、四の先にして、四に非ず。四にあらざれば零(ゼロ)。零、すなわち此<虚無>。我は、神が我に示された『道』を<虚無(ゼロ)の系統>と名付けん」 ルイズは、ここに至ってようやく気が付いた。自分が今、何を知ろうとしているのか。「虚無の系統……『伝説』じゃない。失われた、伝説の系統じゃないの!」 思わず叫び声を上げたルイズは、さらにページをめくる。胸の鼓動が高まった。そして、彼女は鈴を鳴らすようなその声で『始祖の祈祷書』を朗読し続けた。「これを読みし者は、我の行いと理想、そして目標を受け継ぐものなり。<虚無>を扱う者は心せよ。志半ばで倒れし我とその同胞のため、異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。<虚無>は強力無比なり。また、その詠唱は長きにわたり、多大な<精神力>を消耗する。詠唱者は注意せよ、時として<虚無>はその比類なき威力がゆえに命を削る。決して多用することなかれ。我は<虚無>の強力さが為に、この書の読み手を選ぶ。資格なき者には、決してこの書は開かれぬ。神に選ばれし者は、四の系統の指輪を填めよ。さすれば、我が<虚無>の呪文を紐解くこと叶うであろう――ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ」 そこまでルイズが読み上げた途端、今度は才人に背負われたデルフリンガーの鞘から、淡い光が漏れ始めた。「サイト君! デルフリンガーを抜いて、頭上に掲げるのじゃ!」 オスマン氏の声に応え、才人はすらりとデルフリンガーを鞘から引き抜くと、両手で掲げ持った。鏡の如き美しさを持つその刀身は『指輪』と『本』が放つ光を反射して、青白く煌めいた。「いやあ、嬉しいねえ! 本当に久しぶりだねえ! 『担い手』に出会えたのは! さあ、嬢ちゃん。ページをめくりな。ブリミルのやつは、きっと今の嬢ちゃんに相応しい呪文を用意しているはずだ」 ルイズは、言われた通りに『本』のページをめくった。だが、次のページには何も書かれていない。完全なる無であった。「なんにも書かれてないわ! 真っ白よ!!」「もっとめくりな。嬢ちゃんが心から必要としていれば、読める。いいか? 嬢ちゃんが本当にしたいと願うことを強く念じながら、ページをめくるんだ」 ――わたしが、したいこと。ルイズは、ふいに思い出した……あの言葉を。『いつか、みんなで一緒に行こう』 そして、彼女は才人を見た。そうだ、わたしは、サイトと一緒に行くって決めたのよ! ううん、彼だけじゃなくて、仲間たちみんなと約束したんだ。わたしは、彼らと――どこまでも一緒に飛んで行くって。 ルイズは、必死にページをめくった。と、ようやく文字の書かれた場所を発見した。彼女は、そこに書かれていた古代文字を読み上げた。「<瞬間移動(テレポート)>。『空間』の初歩の初歩の初歩。此、瞬きの間に『場所』を移動する呪文なり。汝が知る行き先を強く念じ、把握し、掴み、詠唱せよ。さすれば『空間』を渡ること叶うであろう。以下に、発動に必要となる魔法語を記す」 まるで熱に浮かされたようになったルイズは、さっと杖を取り出すと……そこに記されていた呪文を唱えはじめた。「ウリュ・ハガラース・ベオークン・イル……」 杖を振り下ろし、呪文を解放した次の瞬間。ルイズの身体は、彼女が思い浮かべていた場所――礼拝堂の入り口に立っていた。約50メイルの距離を、たったの一瞬……文字通り、瞬きの間に飛び越えたのだ。 そして、彼女は瞬時に掴んだ。この呪文で『あそこ』にも行ける。「ウリュ・ハガラース・ベオークン・イル!」 ルイズが思い浮かべたのは、才人の隣に立つこと。次の瞬間、彼女は眩い光と共に、才人のすぐ側に現れた。全員が、驚愕を顔に貼り付けてルイズの姿を見つめていた。まるで、そこに女神が降臨したかのように。「これが『空間移動』……!」 声に出してそれを言った後、ルイズは遂に到達した。その結論に。「これが……わたしの『道の先』なの? <虚無>が……わたしの……系統……?」 彼女の小さな呟きを受け止めたのは、祭壇の前に立つ老人であった。「そうじゃ、ミス・ヴァリエール」「学院長は、知っていたんですね?」 オスマン氏は、ルイズの問いかけに重々しく頷いた。「その可能性があるとは思っておった。だが、本当に知ったのは……今じゃよ」 それを聞いたルイズは、思わず乾いた笑い声を上げてしまった。「ねえ……『始祖』ブリミル。あんた、これ……何かの皮肉なの? わたしの、昔の二つ名は『ゼロ』。サイトの国から舞い降りてきた『竜の羽衣』の名前も『ゼロ』。おまけに虚無(ゼロ)の系統? なんなのよ、これ。どうしても、このわたしを『ゼロ』に戻したかったっていうの……!?」 カリーヌ夫人は、両手で顔を覆い黙りこくっていた。エレオノールに至っては、額に手をやり、床に倒れてしまった。そんな姉を、側にいたカトレアが慌てて支え、介抱し始める。 ラ・ヴァリエール公爵は、末娘の手を取り、その目を見つめながら呟いた。「可能性であってほしかった。だが……現実になってしまった。ルイズ……おまえは、やはり『始祖』の再来。伝説の<虚無の担い手>だったのだね」 父の言葉を聞いたルイズは、思わず目を見開いた。始祖の再来? 伝説!? このわたしが……?「父さまも、知っていたんですか……?」 ラ・ヴァリエール公爵は娘に向かって頷くと、こう告げた。「いいかね? ルイズ。このことは、家族以外の誰にも話してはいけないよ。たとえ、王家の方々から問われたとしてもだ」「どうしてですか?」「<虚無>は『始祖』ブリミルしか扱うことができなかったと言われている伝説の魔法にして、本来であれば、その血を受け継ぐ王家の者にしか、絶対に現れないとされている系統だからだ」「王家にしか現れない系統!? だったら、どうしてわたしが」「忘れたのかね? ルイズや。我がヴァリエール公爵家は、王家の傍流だ。<虚無>が出ても、ちっともおかしくない家系なのだよ。そして<虚無>が出たということは……」 そこまで言われたルイズは、はたと気が付いた。「つまり、トリステイン王家の正統が、ヴァリエール家に移る……と?」 娘の言葉を継いだのは、ラ・ヴァリエール公爵ではなく、その妻カリーヌであった。「その通りです。現在、トリステインの王座は空位。もしもこれが外部に漏れたりしたら、最悪の場合――愚かな一部の貴族たちが、あなたを御輿に担ぎ出して、戦争を起こそうと考えるかもしれません。ヴァリエール家こそが正統な王家である、よって杖を取り、現王家を打倒せよ……と」 さらに、妹の介抱によってようやく立ち上がったエレオノールが追従する。「もしも、ロマリア宗教庁にこれが知られたら、大変なことになるわ。おちびを『虚無の巫女』だなんて祭り上げて、大騒ぎするかもしれない。聖地奪還運動を再開することすらありえるわ……つまり、エルフと杖を交えることになるかもしれないということよ」 ルイズの小さな身体が、突如背負わされた『伝説』の重みで震え始めた。ラ・ヴァリエール公爵は、娘の側へ歩み寄ると、その身体を掻き抱いてこう告げた。「わしは、おまえの系統を盾に王座につくことなど考えてはおらん。『虚無の巫女』だなど、もってのほかだ。大切な娘を、戦争の道具になぞしてたまるものか!」 娘を抱く腕に力を込め、ラ・ヴァリエール公爵は宣言した。「よって、ルイズ。これからおまえの系統を、今ここにいる者だけの秘密とする。幸いなことに、そのための準備は既に整えられている。かの『東の参謀』殿の手によってな」「ミスタ・タイコーボーが……?」 彼女の疑問に答えたのは、オールド・オスマンだった。「そうじゃ。そのために、彼はあのような指示をしていたのだよ。まずは<念力>を極めろと。そして<力>を発動するためのキーワードを、あえて系統魔法のルーンに当てはめ、唱えさせていたのだ。ミス・ヴァリエール、君が持つ、真の系統を隠すためにな」 カリーヌ夫人は、まっすぐに末娘を見据えて言った。「実際、彼の行った偽装は……ほぼ完璧です。余程の<風>の使い手でなければ、あなたが<念力>を使って空を飛んでいることも<レビテーション>を唱えるふりをして物を浮かせていたことにも、全く気付けないことでしょう」 母親が告げたその事実は、ルイズに衝撃を与えた。ミスタ・タイコーボーは、わたしにはそんなこと言わなかった。ただ、将来系統に目覚めたときに備えて、ルーンを途中まで唱えて、イメージの練習をしなさいって――! と、ここまで考えた彼女は気付いた。わたしの系統を隠すためにそんなことをさせていた? つまり、それって……。「ミスタ・タイコーボーは、わたしの系統に気付いていたってこと……?」「そうじゃ。フーケを捕縛したあの日……君が、ミスタ・タイコーボーに泣いて『解析』を頼んだあのあとすぐに、彼とわしは揃って辿り着いておったのだよ。ミス・ヴァリエール、君がほぼ間違いなく『始祖』の再来。つまり<虚無の担い手>であることにな」 だが……と、オスマンは申し訳なさそうに続けた。「どうすれば<虚無>を目覚めさせることができるのか、あの時は、どうしてもわからなんだ。なにせ<虚無>は、既に失われて久しい系統であったからのう。じゃから、わしらふたりは協力して調査に当たっておったのじゃよ。彼の持つ『解析』能力と、わしの伝手を利用することによって、徹底的にな」「でも、ミスタが知っているってことは……タバサも?」「いや、彼女は何も知らんよ。あの男は、自分の主人にすら完全に黙秘を貫いておる。何故なら……これは、言わなくてもわかるのではないかね?」 ルイズは、小さく頷いた。「ミスタは、戦争が嫌い……ううん、憎んでいるから。わたしの系統が漏れたら、利用されて……戦争の道具にされるかもしれない。そう考えたから」 それを聞いたオスマン氏は、真剣な表情で首を縦に振った。「その通りじゃ。くどいようじゃが、わしの口からも言わせて貰う。ミス・ヴァリエール、君の真の系統や、それを匂わすようなことについて、決して外へ漏らしてはいかん。これには、当然サイト君のことも含まれる」 突然名前を呼ばれた才人は、ビクリと身体を震わせた。ブリミル教についてよく知らない彼は、現在の状況についてほとんど理解できていなかったのだが、それでも。自分だけではなく、すぐ隣にいる少女ルイズも、何らかの『伝説』を背負わされようとしている。そのことだけは気付いていた。「ひょっとして、俺の<ガンダールヴ>にも関係してるんですか?」「その通りじゃ。いや、正確に言うと、君という存在が、彼女の系統を導き出したのだよ。何故なら、かつて<ガンダールヴ>を使役していたのは『始祖』ブリミルだからじゃ。つまり……君たちふたりは、揃って『伝説』となるべく選ばれし者なのだ」「わたしたちが……」「俺たちが、選ばれし者……?」 揃って声をあげた『伝説候補』に、オスマン氏は重々しい表情で告げた。「ミス・ヴァリエール。君は今日から<風>になるのじゃ」「わたしが<風>に……?」「そうじゃ。幸いなことに<念力>で風を吹かせるコツを心得た男が、わしらのすぐそばにおる。今はゲルマニア見物に出かけておるが、来月頭には魔法学院に戻ると言っておった。後ほど相談してみるといい。それまでは……」 オスマン氏は、どこにでもあるような、地味で目立たぬ装丁のメモ帳を1冊取り出し、ルイズに手渡した。「今、君が手にしている『始祖の祈祷書』に記された呪文を、書き写しておきなさい。ひょっとすると、新しい呪文が読めるかもしれんから、それも合わせてな。そして、誰にも見られない場所で、さきほど習得した<虚無魔法>を練習するのじゃ」 続いて、ラ・ヴァリエール公爵がルイズに告げた。「ルイズや。その指に填っている『水のルビー』は『始祖の秘宝』だ。万が一にも紛失してはならぬものである。よって、普段はこのわしが『祈祷書』と共に預かっておく。そして、毎朝おまえに貸し出す。そのとき新しい呪文を見つけたら、オールド・オスマンからもらった帳面に書き記すのだ。いいね?」 ルイズは、こくりと頷いた。そして自分の右手薬指に填められている『指輪』を見た。それは、まるで新たなる伝説の到来を告げる星のように、青白く瞬いていた――。