「ゼロのあの子が、勝てるわけないじゃない。まったく、これだから……」 ――ヴァリエール家は、うちに色々『取られる』のよね。彼女は、後半を胸の中でだけ呟き、代わりに大きなため息をついた。 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。 トリステインの隣国・帝政ゲルマニアからの留学生。彼女の実家であるツェルプストー家は、ルイズの実家ヴァリエール領と国境を挟んだ隣にあり、トリステイン・ゲルマニア両国の戦争でたびたび杖を交えた間柄である。また、その他諸々に絡み合う事情によって、お互いを『仇敵』と見なしているのだ。 本来ならば「ライバル」といって差し支えない間柄。しかし、優れた『トライアングル』メイジである彼女と『ゼロ』のルイズでは、あまりにも差がありすぎた。それがキュルケには面白くない。常にルイズをイラつかせるような言動は、「ヴァリエールには、ライバルであって欲しい」 というキュルケの願望から出た、彼女なりの発破のかけかたなのである。 だが……今回のこれには、さすがの彼女も呆れざるを得なかった。まともに魔法を使うことのできないルイズが『ドット』の中では比較的優秀であるギーシュに喧嘩を売った。無謀にも程がある――。 ごくごく小さなそのキュルケの呟きを、本来であれば、誰にも聞かれるはずのなかったそれを――しっかりと耳にしていた者がいた。それは、彼女のすぐ側にいた太公望である。 ちなみにタバサにも聞こえていたのだが、彼女はデザート皿の防衛を現在の最優先事項としていたため、華麗にスルーしていた……それはともかく。「あのやたら派手な服装の小僧……たしかギーシュ、といったか? それほどの使い手なのかのう?」「『ドット』にしてはそれなり、といったところかしら。でも、正直ルイズには荷が重すぎる相手ね」 一緒に才人も指名されているのだが、彼は戦力として数えられていなかった。「ほうほう……あの娘御を相手にしてもか。それはなかなかの実力者だな。で、具体的には、どんな魔法の使い手なのかのう?」 ――今、この男なんて言った? あたしの聞き間違い……!? 太公望の言を反芻していたキュルケに代わり、自陣のデザートを消費しつくしたタバサが答える。「人間大のゴーレムを<錬金>で創り、自在に操ることができる」「ゴーレム……魔法の人形といったところか? 強さと、錬成の速度は?」「大きさは、並の人間より少し上程度。動きはさほど速くはないけれど、青銅製だから、素で殴られればただでは済まない。1体作成するには数秒程度。同時に7体まで使役可能」 なるほど。と、頷く太公望。「一般的に、勝利とされる条件は?」「相手を気絶させるか、降参させる。あるいは持っている『杖』を落とせば勝ち」 それを聞いた途端、両腕を組んでうんうんと唸り始めた太公望を見て、キュルケは思った。やっぱりさっきのは聞き間違いよね――と。だがしかし。「すまん。正直、わしにはあの娘が負ける要素が見あたらんのだが……しかも、単独ではなく才人もついておるのだぞ? ひょっとして、相手に怪我を負わせたら失格、などという決まりでもあるのか?」 何を言っているのだ、この男は。ゼロのルイズと平民の使い魔が、ギーシュに怪我を負わせる? そんな馬鹿なこと、あるわけないじゃない……キュルケは思わず、タバサと視線を交わした。 しかし、そんな彼女の思いとは裏腹に、太公望はまるで不思議なものを見るような目でキュルケとルイズたちの双方を交互に見遣った後、ニヤリと……まるで、とびっきりの悪戯を考えついた幼子のように、嗤った。 立ち上がった太公望は、懐から打神鞭を取り出すと、つい、と一振りする。 そして――食堂を、一陣の<風>が吹き抜けた。○●○●○●○● ギーシュとの試合(という名の決闘)が決まった直後から行われている、ルイズと才人の話し合いは、ひたすら平行線を辿っていた。事件の当事者であるメイドのシエスタが、怯えきって厨房へと逃げ帰り、大半の生徒が広場へと移動した、その後も――。「あのね、平民は絶対に貴族には勝てないの。何度言えばわかるの!?」 そう、ルイズが窘めれば。「へっ、何が貴族だっての。あんなヒョロいヤツに負けるかっての!」 と、才人が勇ましくやり返す。「いいから、あんたは大人しく部屋に戻ってなさい!」 主人が命令しても。「冗談じゃねえ! 女の子だけに任せて逃げられるか!!」 使い魔は従わない。 だが、そんな彼らを突如襲ったものがあった。それは、糸のように絡みつく<風>。 局地的に起きた風がルイズと才人を包み込むと、天井付近へと舞い上げる。突然のことに、悲鳴を上げる間もなかった彼らは、次の瞬間、椅子に座らされていた――既に空席となっていた、太公望の向かい側に。「ふたりとも、頭は冷えたかのう?」「んなっ、あああんた、なななにを」 太公望の一言で、ようやく自分の身に何が起きたかを理解したルイズは、必死に抗議をしようとした。したのだが、あらゆる感情がごちゃまぜになっている今、うまく言葉が出てこない。いっぽう、同様の目に遭わされた才人のほうはというと、こちらは状況がわからず、ただポカンとしているのみ。「才人、おぬしはたいそうな果報者よのう。そこな娘御は、死地へ向かおうとしているおぬしを、身体を張って守ろうとしておるのだから」 いきなり何を言い出すんだこいつは! 真っ赤になって立ち上がったルイズよりも、彼女の使い魔である才人のほうが、より早く反応した。「どういう意味だよ!」 机にバン! と、勢いよく両手を叩きつけて立ち上がった才人だったが、太公望はまったく動じていない。それどころか、そのまま淡々と言葉を紡ぎ続ける。「今朝の授業で、あのシュヴルーズとかいう名の教師が、何もない空間から粘土を取り出して、小五月蠅い小僧の口に詰め込んでおったが……もしも、だ。あれが目に張り付いたとしたら、どうなる?」「……目が、見えなくなるね」 才人は、自分の口から出た言葉にハッとした。そうだ、ここは地球じゃない。ファンタジーの世界だったんだ。「念のために確認するが、おぬしは目が見えなくとも戦えるほどの達人だったりするのかのう?」「…………武術の経験は皆無です、はい」 ここに至って、才人はようやく気がついた。あのギーシュとかいうキザな貴族がメイジ――つまり、昨日から立て続けに見せつけられていた、一連の奇跡を起こしうる存在だということに。そんな相手に何も考えず、闇雲に喧嘩を売ってしまった結果、ルイズのことを巻き込んでしまった自分のうかつさに。 そして才人は、完全に黙り込んでしまった。 ――こいつ、いったい何なの? ルイズは目を白黒させた。 わたしがどんなに言い聞かせようとしても聞く耳持たなかった使い魔を、たったこれだけで黙らせちゃうなんて。そういえば、教室でも何か仲良さそうに喋っていたわよね……もしかして、昔からの知り合い同士だったりするのかしら……? 朝の探検中に偶然出会っただけだという事実をルイズは知らない。当然そんな彼女の内部の葛藤を知るよしもない太公望は、今度はルイズのほうを向いて、こう聞いた。「さて、ルイズといったな。おぬしは、勝ちたいか?」「当たり前じゃない!」 ムキになって言い返すルイズであったが。しかし。「聞くところによると、おぬしはまともに魔法を使うことができない、というではないか。それでいったい、どうやって戦うつもりだったのだ?」「そ、それは……」 思わず下を向き、言葉に詰まるルイズ。太公望は、そんな彼女の様子を確認した後、今度は黙りこくっている才人に言を向けた。「才人よ、悔しいか」「当然だ」 俯いたまま、だが、ぎりぎりと拳を握りしめている才人。そんな彼らを満足げな笑みを浮かべて見つめていた太公望は、ゆっくりと口を開いた。 ――後に、キュルケは語る。あれは、世に云う悪魔の微笑みそのものであった、と。「ならば――おぬしらふたりで、奴に勝つための策を授けてやってもよい」 ガバッと身を起こすルイズと才人。見事なまでに同時に、だ。「どんな策よ!?」「どんな策だ!?」 台詞までほぼ一緒だ。この主従、息ぴったりである。「その前に、取引といこう。ルイズよ……明日の昼食後に出されるであろうおぬしのデザートを、わしに寄越すと約束するのだ。さすれば! このわし自ら考えた、華麗なる作戦を授けてやろう!!」 今度は、ふたり一緒にテーブルへ突っ伏して頭を打ち付けた。実にいいコンビだ。先にそのダメージから立ち直った才人が、思わずツッコミを入れる。「条件付きかよ!」 叫ぶ才人に、当然だろう? といった風情でぬけぬけと返す太公望。「勝てる見込みのないおぬしらに、勝利を授けようというのだぞ? それを、たった1個のデザートと引き替えに提供してしまう、わし。逆にサービスしすぎだと思わぬか?」「でも、その作戦で勝てなかったら」 そんな太公望の発言に、今度はルイズが噛みつこうとするが。「もともと、負けて当然の勝負だったのだぞ。わしの策が当たれば儲けもの、外したところで敗北する事実は変わりあるまい?」 ――ばっさりと斬り捨てられる。「うぐっ」「まあ、聞くか否かはおぬしらの自由だし、わしは別にどっちでもかまわんのだがの~。ほれほれ、早く決めぬと、ギーシュとやらに逃げたと勘違いされてしまうぞ」 ニョホホホ、と、神経に障る笑い声を上げる太公望をジロリと睨んだルイズ。 うさんくさいけど……でも、コイツはあの『雪風』が呼び出したロバ・アル・カリイエのメイジ。そうよ、エルフともやりあってるって噂のある『東』のメイジの言うことだもの、本当にいいアイディアがあるのかもしれないし……けど、でも……。 彼女は、内心の葛藤をそれはもう必死の思いで心の片隅へと追い遣ると、喉の奥から、かろうじて声を絞り出すことに成功した。「いい、いいわ。ああ、明日お昼のでで、デザートくらい、あげるわよ。ききき、聞かせてもらおうじゃない、そそその、ささ作戦とやらを」 ルイズ。葛藤に負けず、本当によく頑張りました。「ニョホホホ……取引成立だのう。まいどあり~」 ――あたしの親友が呼び出したのは、間違いなく悪魔だ。 キュルケは大いに後悔した。勝てるわけがない――なんてこと、口に出して言うべきではなかった、と。いいようにコントロールされてしまった仇敵に、いくばくかの哀惜の念を感じながら。○●○●○●○●「『青銅』のギーシュが決闘するぞ! 相手は『ゼロ』のルイズと、その使い魔だ!!」 ――ギーシュ・ド・グラモンは今、困惑していた。 魔法学院の西にある中庭「ヴェストリの広場」。日中でもあまり陽が差さず薄暗いそこは今、娯楽に飢えた貴族たちの群れで溢れかえっている。 つい、その場の勢いで決闘を受けてしまったが、対戦相手は『ゼロ』のルイズである。もしも、これが使い魔相手の戦いならば、自慢の『ワルキューレ』を差し向けることに躊躇いはない。だがしかし、相手は無力――魔法を失敗ばかりしている、落ちこぼれの女の子なのである。 自分は女性を楽しませる薔薇――普段からそう公言して憚らない彼にとって、レディに対して直接的な暴力をふるうなどという選択肢はない。だいたい、発端になったメイドの件にしても、ちょっと怖がらせてやれ、その程度の認識しかなかったのだ。それが、あれよあれよの間に事態が跳ねて転がって絡まってしまった結果――彼はここに立っていた。 突如、広場にドッと歓声が沸き上がる。ルイズと例の使い魔だ。どうやら逃げずにやって来たらしい。緊張しているのだろう、やや俯き加減に歩いてくるルイズ。そして、そんな彼女を守るように歩み寄ってくるのは、あの生意気な平民。その手には、何も持たされてはいない。素手だ。ふむ、使い魔は主人の盾となる――か。 そうだ、なにもルイズを相手にする必要はないじゃないか。あいつだ、あの礼儀を知らない使い魔の平民を、ルイズの前で少々いたぶってやろう。そうすれば、彼女は怖がって降参してくるに違いない。我ながら素晴らしい名案だ。ギーシュはひとりほくそ笑んでいた。 そして両者は広場の中央へと歩み寄り、互いの間を20歩ほど――距離にして、約15メイル程の位置で、向かい合った。「諸君! 決闘だ!!」 ギーシュが薔薇の杖を天に掲げると、周囲からワッと歓声が沸き上がる。そしてそのままピッとルイズたちに突きつけた。と、その動きを見て警戒をあらわにした才人が、庇うようにルイズの前に立つ。「ルイズ、なかなか忠誠心あふれる使い魔じゃないか。『しつけ』はなっていないようだったがね」 周囲から嘲り笑いが巻き起こる。だが、ルイズは俯き、無言のまま。しかしよく見ると、彼女の身体は小刻みに震えていた。「おやおや、怖くなったのかい? でも、ここまで盛り上がってしまった以上、今更中止することなんてできないよ」 うんうん、と同意する観衆たち。だが、ルイズはなにも答えない。「さて……それでは、始めるとしようか!」 ――ギーシュが開始を告げた、その直後。 大きな爆音が連続で鳴り響き、広場の中心から土埃が大量に舞い上がった。「うわっ……なんだこりゃ」「やっぱり『ゼロ』だ。決闘でも失敗するなんて!」「なんだよ……土煙のせいで、何も見えないじゃないか!」 口々に文句を言う観客たち。だが、彼らはまもなく――その目で信じられないものを見ることとなる。 土煙が晴れた広場の中央。そこには――うつ伏せになって倒れるギーシュと、その彼の上に馬乗りになっている平民――ルイズの使い魔がいた。その手には、なんとギーシュの薔薇の杖が握られていた。 そして才人は、大声で宣言する。「やったな、ルイズ! これで、俺たちの勝ちだ!!」 一瞬の間。その後、大歓声が上がった。○●○●○●○● ――時は、ほんの少しだけ遡る。「あんた、ふざけてんの!?」「わしは、いたって真面目な提案をしておるつもりだが?」 ――策を授ける。 タバサは面食らっていた――太公望が、食後のデザートと引き替えにルイズへと差し出した『策』に。ちなみに彼女は、作戦の漏洩防止のため<サイレント>で周囲の音を遮断するという申し入れをしたことによって、この場への同席を許されていた。側にいたキュルケは、ルイズによって追い出されてしまっていたが……それはさておき。「地面を<錬金>しろって、どういうことよ!」「地面『を』ではない。地面『に』『錬金の魔法』をかける、の間違いだ」「同じじゃないの!」「いや、全然違うだろ……」 納得のいかないルイズとは異なり、才人は太公望の意図に気がついたようだ。魔法に対する先入観がないがゆえに、理解が早かったのだろう。「あの威力だもんなあ。でもさ、そうすっと、あのキザ男ただじゃすまないんじゃないか? 大丈夫かなあ……」 余裕が出てきたのだろう、本気で対戦相手の心配をし始める才人。そんな彼に好ましげな視線を向けた太公望は、新たに生まれた不安の種を消す仕事に取りかかる。「その点については大丈夫、心配しなくともよい。せいぜいかすり傷程度で済むように仕向ける。そのためには才人、おぬしの協力が必要不可欠なのだ」「任せとけ、もともと俺たちのケンカだしな」 力強く頷く才人。 太公望が彼らに提示した作戦とは。 1.ルイズが地面に<錬金>の魔法をかけ、土煙を撒き上げ目くらましとする 2.その隙に才人がギーシュの後方へ回り込んで、杖を奪う と、いう至ってシンプルなものであった。「それって、わたしの魔法が失敗することを前提にしてるんじゃないのよ!」 才人はその作戦にあっさりと同意したのだが……ルイズは誇り高き貴族、それも公爵家のご令嬢である。そう簡単に割り切れるものではない。可愛らしい頬をプーッと膨らませて抗議する。だが、太公望にそのような愛らしさによる攻撃は全く通用しない。真顔のままあっさりと切り返された。「ならば、言い方を変えよう。土煙を作り出すのだから、立派な<錬金>では?」 ルイズの動きが、ピタリと止まった。「それってただのへりく……うっ」 思わず才人が漏らしそうになった余計な一言は、太公望のひと睨みによって阻止される。幸いにも、当のルイズはそんな彼らのやりとりに気付くことなく、下を向いて、「土煙を作る<錬金>……そうよ。失敗じゃない、新たな可能性なのよ……」 などと呟き続けていたので、支障はなかったが。「では、詳細を詰めていくとしようかのう。ルイズ」「えっ、な、何よ」「必勝を期すために、おぬしの口から、できる限りギーシュについて教えてもらいたいのだ。敵の<魔法>だけではなく、性格についても頼む」 ルイズは、太公望の目をしっかりと見据え――頷いた。「そうね。これは、わたしたちの決闘なんだから、当然だわ!」 こうして、彼らは次々と作戦の詳細を詰めていった。 相対するまでの立ち振る舞い――才人が彼女の斜め前に立つように歩き、その姿をわざとギーシュ見せつけることで、相手の思考を才人を攻撃する方向に誘導する。そう、ギーシュの性格上、ルイズを先に狙ってくることはまずありえない。それを逆手に取ろうというのだ。 『ワルキューレ』の有効範囲のことはもちろんのこと、決闘の場の地形の利用法から、立ち位置の詳細確認、ギーシュの目をくらますために効果的で、かつ才人の進路妨害にならない<錬金>の発動場所、などなど……わずか数分の間に次々と出てくる太公望の提案に、当事者たちはもちろんのこと、タバサも感心していた。正直、これに対する報酬がデザート1個というのは、本人のいう通り、安すぎたのではなかろうか……と。 しかし、タバサには不安があった。瞳の奥がわずかに陰る……すると、そんなごくわずかに生じた彼女の変化――纏う空気に気付いた太公望が、話を振る。「どうした、タバサ。何か言いたいことがあるのか?」 小さく頷いたタバサを見て、ルイズは驚いた。いつも読書に没頭していて、積極的に他者と交わろうとしない、静かで無口な子……それが彼女が持っていた、タバサの印象だった。そんな同級生が、自分には全く関係のない決闘について、何を言おうというのか。「効果的な作戦だというのは認める。問題はそれで倒されたギーシュと、周囲の反応。負けを納得しない可能性がある」 ルイズはハッとした。その指摘はもっともだ。もし自分がギーシュの立場だったら、絶対に納得しないだろう。やりなおしを要求するかもしれない。 だが、今ルイズの目の前にいる東方の男は。これまでにない大きな笑みを浮かべ、タバサの頭へぽん、と手を乗せて言った。タバサの目が、驚きで見開いている。「よい指摘だ。さすがはこのわしを呼び出せただけのことはあるのう、タバサ」 そして自信満々といった態度で、先を続ける。「もちろん、それについても検討済みだ」「それはどんな?」「いったいどうやって!?」 思わず同時に身を乗り出すタバサとルイズ。太公望、爆釣り状態である。「ふっふっふっ……それはな……」○●○●○●○●「やったな、ルイズ! これで、俺たちの勝ちだ!!」「あんたもよくやったわ、サイト!」 薔薇の杖を握りしめたまま、ルイズの元へ駆け寄った才人へ、満面の笑顔で労いの言葉をかけるルイズ。なんだこいつ、こんな顔もできるんじゃねえかよ。普段もこうならいいのにな。思わず見とれてしまった才人に、ルイズは一転、不審げな眼差しを向ける。「……なによ?」 そんな彼女に、頭を掻きながら才人は答える。「あっ、いや、お前、初めて名前で呼んでくれたから」「え、そ、そうだったかしら?」 初めて成功した魔法。わたしが召喚した、使い魔の少年。 思えば、昨日からろくに話を聞こうともせず、一方的な命令しかしていなかった。それなのに、こいつはわたしを「ゼロじゃない」と言ってくれた。わたしへの侮辱に、本気で怒ってくれた。そして――わたしを勝たせるために、頑張ってくれた。名前すら、まともに呼んでいなかったというのに。 で、でも、ま、まあこいつはわたしの使い魔なんだから当然よね。でも、そうね、もうちょっと、そう、少しだけ、話を聞いてあげるのは、しゅ、主人として当たり前のことだわ。忠誠には、報いるところがなきゃ、いけないもの。 などと、主従の距離が微妙に縮まろうとしていた時。「ふ……ふざけるなあああああ!!!!!!」 彼らの背後から、声がした。さっきまで地面を舐めていたギーシュである。「こんなものが決闘だと? 勝利だと!? 認められるわけがないだろう!!」 開始の合図と共に起きた轟音の正体は、ルイズの失敗魔法。ギーシュはそれによって引き起こされた土埃を思いっきり吸い込んでむせてしまい、まともにルーンを唱えることができなかった。 おまけに視界まで遮られていてどうしようもなかったところへ、後方から突然の衝撃。気がついたら、自分は地面とキスをしていて……さらに貴族の象徴たる『杖』を奪われていた。これで納得しろというのは彼のプライドが許さなかった。 すると、それまで騒いでいた観衆達が徐々にギーシュの味方につきはじめる。それはそうだろう、せっかくの暇つぶしが、たったの一瞬で終わってしまったのだから。「ギーシュの言う通りだ、これは決闘じゃない!」 そして、当然ともいうべき流れが場を支配し――彼らは叫んだ。「再戦だ!!!!!」 しかし――自分たち以外の周り全てを敵にしてしまったルイズと才人は、まったく動じていなかった。興奮し、顔をどす黒く染めているギーシュとはまるで対照的な表情をしていたルイズは、彼に対してこう返したのである。 ――それは、太公望が『切り札』として授けた……文字通り魔法の言葉。「再戦? 別にいいけど……次は、あんたの足元を<錬金>するわよ」 広場の空気は――ギーシュが創り出す青銅の戦乙女のように、冷えて固まった。 『爆発で教室がめちゃくちゃだ! もうあいつに魔法を使わせるな』 場に集っていた観客達は、そんな風にルイズのことを非難していた、自分たちの言動を思い返す。そう……彼女の『失敗』は、周囲に甚大な被害を及ぼすのだ。それが、もしも足元――ゼロ距離で発動したら。 『どんな魔法でも爆発するんだな、さすがはゼロのルイズ』 どんな魔法でも――簡単で、詠唱の短い呪文すら、彼女の手にかかれば凶器に変わる。今更ながら思い知ったのだ、彼女の持つ『危うさ』を。そして、思考は巡り出す。「次は……ってことはさ。さっきのルイズは、ギーシュが巻き込まれて怪我しないように、離れた位置で<爆発>させたってことだよな」「そういや、使い魔にも武器を持たせてなかったもんな」 ギーシュは、激しいショックを受けていた。ルイズの持つ<力>についてではない。才人による攻撃――才人は、ご丁寧にも背後からケンカキックをお見舞いしていた――によって受けた、軽いダメージに対してでもない。 彼に最も衝撃を与えたもの、それは……ルイズの心の在り方。傷つけることしか考えていなかった自分に対して、なんと彼女は寛大なことか。 全てを悟ったギーシュは、つかつかとルイズと才人の元へと歩み寄る。そして、周囲を見回し、広場中に届くような大音声で、こう宣言した。「この勝負――ルイズと、その使い魔の勝ちだ!」 そして、改めてルイズ達に向き直る。「先程の言葉を撤回しよう。きみは『ゼロ』なんかじゃない、貴族として相応しい人物だ。そして、心からお詫びする。本当に済まなかった、ルイズ」 そう言って、頭を下げた。「ま、まあいいわ。こっちにも不手際があったことだし」 少し照れながらも謝罪を受け入れたルイズ。そして次に、ギーシュは先程まで馬鹿にしていた少年――才人へと視線を移した。「使い魔くん、きみにも詫びよう。済まないことをした」「使い魔って言うな。俺には平賀才人って名前があるんだ。それと、詫びならシエスタに言ってくれ。……っと、これ返さないとな」 才人は、握っていた薔薇の杖をギーシュに返す。 ――こうしてこの決闘は、ギーシュの謝罪によって幕を閉じた。その脚本が太公望によって書かれたものだと知る者は、ほんの少数である。 ……いっぽうそのころ、学院長室では。「確かめられなかったのう……」「確かめられませんでしたね……」 才人の左手に刻まれた『ルーン』の詳細を確かめるべく、あえて決闘騒ぎを止めることなく、じっと広場での戦いの様子を見守っていたオスマン氏とコルベールが、ふたり揃って『遠見の鏡』の前で頭を抱えていた。○●○●○●○●「ホントに勝っちゃうなんて……」 ヴェストリの広場で、他の観客達に混じってこの決闘を見守っていたキュルケは、目の前で見た光景が信じられなかった。夢ではないかとさえ思った。だが、耳に届く歓声も、熱気によって肌を打つ風も、間違いなく現実のものであった。 『ゼロ』だと思い込んでいた仇敵の、思わぬ『実力』を目にした彼女の心に火が灯る。そうだ。それでこそヴァリエール、我がツェルプストー家のライバルに相応しい姿――! キュルケの内でぷすぷすと燻り続けていた火が、今まさに炎となり、熱く燃えさかろうとしていた。 ――さて、そんな広場の様子を、学院の上空から見ていた者たちがいた。太公望とタバサのふたりである。「おおむね予想通りの結果だのう。まあ、才人の奴が跳び蹴りをかましてくれた時は少々焦ったが」「グラモン家は、軍人を多く輩出している名門。最低限の受け身はできて当然」 そうなのか、おかげで助かった。と、悪びれもせず言ってのける太公望。「これが、あなたの策」 ルイズの『失敗』を効果的に利用することで『決闘』での勝利を得る。 さらに、絶妙なタイミングで例の一言を放たせることで『負傷者を出さないよう工夫していた』と周囲が想像するように仕向け、これまでとは一転、ルイズへの評価を大幅に上昇させる。 また、相対的に敗北したギーシュの評判も下げないよう工夫されている。誰も傷つくことなく、決闘後に禍根を残さないという意味でも絶妙な1手であった。「でも、どうして」 もっと近くで観戦しなかったのか。タバサは、そう口に出そうとして止めた。よく考えれば、当然の帰結であった。 太公望が策を授けようとした時、まだ数人の生徒が食堂内に残っていた。作戦会議中は<サイレント>によって遮音されていたが、それでも彼が何か助言をしたという事実を知る人間がいたことは確かだ。もし自分たちがあの広場にいたら、それを口実にされ――せっかく作り出した<風>が、不穏な空気へと変わってしまう可能性がある。 そんなタバサの考えを読んだ上で肯定し、さらに補足するが如く太公望は語る。「あいつら、大声でわしらふたりの名前を連呼しながら近寄ってきて、おかげで勝った、ありがとう! なんて騒ぎ出しかねんからのう」 そんなことになったら、間違いなく面倒がこっちにまで及ぶ――脳内にその光景がありありと浮かんでいるのであろう、心底嫌そうに顔を歪めている太公望を見て、タバサは思った。朝の授業風景と、食堂でのわずかなやりとりを見ただけで、よくここまで見通せたものだ……と。 タバサのそんな思いをよそに、太公望はさらに先を続ける。「と、いうわけでだ。午後の授業とやらに、わしが出るのはまずいであろう」 確かに……と、頷くタバサ。「わたしが出席するのも危険」 だが、正直なところ、彼女のそれはただの言い訳に過ぎない。次の授業は元々タバサが受ける必要のないものであったから。なにより、今は他にやるべきことがある。それは、タバサにとっての『最大の目的』を達成するために、どうしても必要なこと。「ならば、することは決まったな」「昨日の続き。図書館なら、より詳細な資料が揃っている」 本塔の方向を指で指し示すタバサに、満足げに頷く太公望。「よろしく頼む」 ――使い魔と主人は視覚の共有ができる。 彼の『先を見通す目』。おそらく、まだその片鱗しか示していない。でも、いつか彼の目に映る全てが『視える』ようになったら、きっとわたしの世界は広がるだろう。 図書館のある本塔へ向けて飛び去った彼らの後には、生まれたばかりの<風>が舞い踊っていた――。