――なるほど、だいぶ情報がまとまってきたのう。かなりの手札を晒す必要があったが、その価値は充分にあった。 『自分の部屋』の片隅で、才人から様々な話を聞きながら、太公望――伏羲は、頭の中でここまで集めた情報を整理していた。 伏羲が彼らに『始祖』の物語をするにあたり、いくつかの事実を歪曲した。その中でも特に大きなものは――地球へ降り立った『始祖』たち全員が<星の意志>になったわけではないという点。実は、星と融合せずに残った者たちが存在する。しかも彼らの話し合いは、到底平和的とは呼べないものであった。 地球に降り立った『最初の人』のひとり――全員の中で、最も強い<力>有する女性が、惑星改造を施し滅びた故郷と同じ環境を作り出すことを提案した。しかし、自然に手を加えることを良しとしなかった残る4名がこれに反対。彼らの話し合いは平行線を辿り、最終的に彼女は<力>でもって無理矢理意見を通そうとした。彼女の暴走を抑えるために、反対者たちは協力し……どうにか彼女を亜空間の中に封印することに成功した。 それから残る『始祖』たちは、監視役ひとりを残し、星と一体化した。地球は大いなる加護を得て、豊かな土地となるはずであったのだが……しかし。数万年の刻を経て、封印されていたはずの彼女は、凄まじい執念と共に復活を遂げてしまった。 蘇った彼女は、地球に芽吹き始めていた生命を全て滅ぼし、新たに造り替え――自分の管理下に置いた。 あるときは生物の遺伝子を自分の都合に良いように改造し、またあるときは、特定の人間の<心>を奪い、あるいは<力>を与え――『時代』を築かせた。さらに、意図的に大地の形を変えた。こうして、彼女は影から地上に生きる者たちを意のままに操り、己の望む歴史を作る<破壊と創世の女神>と化した。 ――故郷の歴史を、最初からそのままに再現すれば……自分たちがどこで間違えたのか、どうすれば滅びずに済んだのか、その答えがわかるかもしれない。 そんな妄執に囚われた彼女は、永遠とも思える永き刻の流れの中で、何度も世界を作り、壊し、直した。『滅びた故郷』と全く同じ歴史をなぞる作業を繰り返した。まるで、子供が砂の城を作って遊ぶかのように――何回も何回も、積み上げ、潰した。 ――彼女こそが『歴史の道標』と呼ばれた存在。伏羲にとって、最大の敵だった。 彼女は『最初の人』の中で最強の<力>を持っている。もともと4人がかりで抑えていたのだ、監視役として地上に残された伏羲ひとりだけでは、到底彼女の暴挙を止められない。だから、彼はずっと待っていたのだ。地球の生命が叩かれ、折られることで強くなり、共に肩を並べて『道標』と戦えるほどの<力>を身に付ける日を。 伏羲が自らの魂魄を分割し『太公望』と『王天君』の中に封印していたのは、永きに渡り温めていた『封神計画』を『道標』に悟られぬための行動だったのだ。 最終的に、自儘な<女神>に支配されることを嫌った者たちの強い意志によって彼女は討ち滅ぼされ、地球は過去の呪縛から解き放たれた。こうして、世界はようやく『導なき道』を歩み始めることができたのだ。 しかしそれまでの間、特定の歴史が繰り返されていた事実は変わらない。よって、実際には太公望のほうが、才人よりも数千年――いや、数十億年先の未来から呼び出されている可能性すらあるのだ。『殷周易姓革命戦争』の詳細を喋らせるよう、わざわざ才人を誘導したのは、それを確認するためだ。 繰り返された歴史の中には、それが創られた数だけ『太公望』が存在した。そして、彼らは皆『道標』によって定められし『道』を歩んでいる。だからこそ、才人の話を聞いて『太公望』の足跡を追い、自分との差異を比較すれば……ある程度の判断ができる。 例外は、絶対にありえない。何故なら、もしも彼が正しい道のりを歩まなかった場合――その直後、再び地球の歴史は『道標』の手によって、最初からやり直されていたから。太公望と呼ばれる賢者と、西伯侯・姫昌の出逢いから始まる『殷周易姓革命戦争』は『道標』や伏羲の故郷を再現する上で、特に重要とされる『歴史の分岐点』だったからだ。 これまで得た情報から、少なくとも彼ら――才人だけではない、破壊の杖を持ち込んだ兵士や、佐々木武雄氏を含む全員が『同じ地球』から呼び出されているのが、ほぼ確定した。平賀才人少年の知る『歴史』が『今』の太公望が辿ってきた道順に、極めて近いことも判明した。しかし、この情報と胡喜媚の降臨だけではまだ足りない。どちらが先で後なのかを判断するための材料が、圧倒的に不足している。 ――そして、問題の才人少年が持つ<力>について。 才人には『お前は力在る者だ』と告げたが……残念ながら、彼には<仙人骨>が無いことが確定している。その証拠に、才人は『如意羽衣』に触れたとき、ただそれだけで気絶してしまった。つまり彼は<ガンダールヴ>のルーンが無ければ、どこにでもいる、ごくごく普通の少年に過ぎない。 もしも<仙人骨>があれば、奇跡は起こせないまでも、瞬時に気絶したりはしない。せいぜいが極端に疲れる程度で済むだろう。だいたい、彼からは<仙気>が一切感じられない。タバサが宝貝に触れても平気でいられたことで、太公望があそこまで慌てふためいたのは、彼女にもそれが無かったからだ。使い魔の感覚共有、いや<コントラクト・サーヴァント>畏るべし――! ただし、わざわざ異世界人の才人が<ガンダールヴ>に選ばれたことからもわかる通り、ルーンの<力>を借りてこそいるが、彼が潜在的に各種戦闘や軍務に関して、非常に優れたセンスを有しているのは間違いない。実際に本人と何度も拳を交えてみて、また、これまで彼と話をした経験から、太公望はそのことを実感している。 才人とルイズとの間に、何か特別な繋がりがあるのも間違いないだろう。そのあたりの詳細については、今後さらに情報を集めた上で、検証を進めていく必要がある。これは、太公望とタバサにも言えることだ。 地球出身で、しかも隣国にいた以上――彼が、本当に武成王・黄一族の血を引いている可能性もゼロではない。今後の修行次第では、かの偉大なる殷の太師のように、身体の内より<力>が現れるかもしれない。ただし、それには数十年の長きに渡り、血を吐き、自身の骨肉を削るほどの厳しい修練が必要となる。本人の意志で行うならばまだしも、太公望は彼にそのような苦行を押しつけるつもりは一切ない。 ――また、このハルケギニアと地球について。 間違いなく、何らかの関連性がある。それがどういったものかはまでは確定できないが、<星の意志>を継ぐ『水の精霊』の存在や『杏黄旗』が正しく起動したことによって、世界に満ちる<力>が、地球のそれと完全に同質であることが証明されたからだ。 さらに<召喚>や何らかの事象によって、地球から引き寄せられているアイテムや人間の存在。これらが、ほぼ地球からの一方通行であることも気になる。胡喜媚については自力帰還を果たせたか、あるいは<仙人界>の協力があったのかもしれないが……それ以外の者たちについては、帰還できたという情報が一切ない。 この件については、正直なところもっとたくさんの情報が欲しい。特に東方に関するものが。可能であれば、フーケ以外にも有能な情報斥候を増やしたいところではあるのだが、そう簡単に使える人材が発掘できるわけもなく。 ……さらに、このハルケギニアという世界そのものについても、大きな疑問がある。地球を『繰り返す世界』と称するならば、ここは『輪に閉ざされた世界』だ。 ひとつの文明とその歴史が、6000年以上も滅びずに保ち続けられているなど、通常ならば考えられないことなのだ。実際、あれほどの叡智を備えた『滅びた世界』でも、過去にいくつもの文明が滅びては生まれ、それを糧にして成長を続けていたのだ。 だが、ここは――まるで意図的に作られた箱庭のようだ。魔法文明という名の『輪』によって外へ出ることを禁じられた、進歩を止められた世界――。 と、ひとり情報整理に努めていた太公望に、キュルケが声をかけてきた。「あら、どうしたのミスタ? ああいう話には、興味がないのかしら?」「いや。才人の国の『教育』に関する話が面白くてな、思わず聞き入っていたのだ」 先述の通り、太公望は全く別のことを考えていたのだが、会話自体はしっかりと聞いていたので、彼は淀みなく返事をすることができた。それに、義務教育を含む日本の学校全般のシステムは、彼の興味を引きつけていた。「そんなに面白いか? そういや、古代中国って学校はなかったんだよな」「うむ。だいたい師匠に弟子入りして学ぶ、といったことが多かったのう」「へえ~。じゃあ、サイトが話していた学校ごとの制服みたいなものはないのね。サイトの国が羨ましいわ。いろいろ種類があって、しかもすごく可愛いのがあるんでしょう?」「ああ、近くに学校があるのに、憧れの制服が着たいからって、わざわざ隣の町まで行くやつらもいたんだぜ!? 女子なんかは、特にそうだったな」 その言葉に、オシャレ好きのキュルケが強く反応した。「すっごくわかるわ、その気持ち!」「学生だけじゃなくて、職業によっては結構格好いい制服があったりするんだ。女の子ならスチュワーデスとかナース服とか。男なら電車の車掌とか警察官、パイロットスーツかな。もちろん制服がない仕事もあるけど、憧れの衣装があるのは間違いないよ」「制服に憧れるっていう気持ちは、わたしにもわかるわ。将来は、近衛魔法衛士隊の制服が着たい! って男の子がたくさんいるもの。それと同じようなものよね?」「そういうところは、どこも一緒ね。あたしとしては、サイトの世界にどんな制服があるのか是非知りたいわ! 制服だけじゃなくって、他の服やアクセサリーにも興味あるし」「おう! いつかみんなが日本に来たら、俺があちこち案内してやるよ。女の子なら、服屋とか小物の店に興味あるのが当たり前だしな! すっげえたくさん揃ってるぞ。こっちみたいに、オーダーメイドで最初から造るんじゃなくて、いろいろな服が見本でずらーっと並べて展示されてて、それを見ながら好きなデザインを選べるんだ。試しに着てみることだってできるんだぜ?」「なにそれ、面白いわね! 是非見に行ってみたいわ!」「わたし、もっと魔法の練習頑張って、早くサイトが家に帰れるように努力するわね。あっ……べ、べつに、あんたの世界が見てみたいだけで、そそ、それ以上の意味は、な、ないんだから!」「頼んだぜルイズ! 俺も練習には協力する。そしたら、絶対みんなで行こうな!」 ……日本という国における常識の話だったはずが、いつのまにか制服談義になってしまっているのは、才人の才人たる所以であろう。彼は『こだわりのある男』なのだ。 と、そこに口を挟んできたのはタバサだ。「そういえば、タイコーボーの着ている服も、何かの制服? 前にそんな話を聞いた」 以前、着替えの服を仕立てる際に、太公望はタバサに対して簡単にだがそんな説明をしていた。特に決まりがあるというわけではないのだが、一定の法則は存在する。 丁度いいので、少し『こちら側』の話をしておくか、と、太公望は考えた。知られて問題のある内容は出さなければいいだけのことだし、何よりこういった会話が人間関係の潤滑油になってくれるのは、間違いのない事実だ。「うむ、制服というほど厳密なものではないがな」「やっぱり、そのマント?」「てか、どうなってんだよその服の構造。さっぱりわかんねーぞ」 伏羲の黒衣をジロジロと眺め、指摘する才人。確かに、かなり複雑怪奇な造りだ。「わしに聞くな! 自分で造ったわけではないのだ! まあ、それはともかくとしてだな、身につける物に関する法則について説明するには<崑崙>に関する話をある程度せねば理解できぬと思うのだが、してもかまわぬか?」「むしろ聞きたい」「あ、俺も」「わたしも」「是非お願いしたいわ」 好奇心でいっぱいです! といった視線を自分へ向けてくる子供たちに、思わず苦笑してしまった太公望は、おもに<崑崙山>の組織構成に関して、さすがに詳細を語るわけにはいかないため、微妙な嘘情報を交えつつ、説明することにした。「まだキュルケには話していない内容だったのだが……例の『スカウト』には、2種類あるのだ。ひとつは通常のスカウト。もうひとつは『幹部候補生』としてのスカウトだ」「あ! それ、前にわたしなら『幹部候補』になれるって言ってくれてた……?」 ルイズの問いに、太公望が頷く。「現時点で判断するならば、ルイズ、タバサ、キュルケの3名は幹部候補としてスカウトされる可能性が高い。才人については、通常のスカウトになるな。もっとも、その後の努力次第で幹部になれる素養は充分に持っておるが」「幹部とは、具体的にどのような者を指すの?」 タバサとしては、国の運営をする者たちという認識があったのだが、もしかすると違うかもしれない。よって、念のため確認しようと質問を投げた。「うむ。わが<崑崙>の幹部とは……つまり、派閥組織を構成する者たちのことだ。各部署の運営はもちろんのこと、後に続く人材育成をも任される。ただし、中には後進の育成を一切行わずに、自分の研究や修行だけに集中する者もいる」「部署というのは?」「そうだのう、魔法でいえば系統ごとに教師が違うであろう? また、国の組織にも、衛士隊だけではなく、財務管理や外交、その他の役割があるのと同じで、こちらにもさまざまな専門家がいるのだよ」 顎に手を当て、相応しい言葉を探しながら説明する太公望。「たとえば、開発部門。これは、いわゆる<魔法具>を造ることを専門とした者たちが集まる部署だ。話に聞くトリステインの『王立アカデミー』のような場所でな。各種アイテムを造るだけでなく、どうすれば効果的な運用ができるか等の調査・研究を日々行っている」 ふむふむ……と、説明に聞き入る子供たち。「そして情報管理部門。ここは、例の『千里眼』や『過去視』などの特殊な<力>を持つ者や、そこから得られた情報を精査して、役に立てるために存在する部署だ。ここには非常に高い『解析』『分析』能力を持つ人材が集中しておる」「情報部とか、参謀室みたいなもんだな」「そう呼んでも差し支えない。と……まあこんな感じで、おおまかに分けると全部で12の部署が存在する。ここに所属するためには『幹部候補』としてスカウトされる、または所定の昇格試験を突破する必要があるという、非常に狭き門だ。もっとも、せっかく幹部候補生として<崑崙>へ来ても、途中で脱落する者もおるがのう」「そうよね、エリートばっかり集まるんですもの。そういうことはありえるわね」「うむ。単なる派閥とはいえ、一応は国家規模の組織だからのう。でだ、その各部署ごとにリーダーが存在する。全12部門のため、当然同数の12名だ。この者たちは<最高幹部・崑崙12卿>と呼ばれ、これに選出されるのは、大変な名誉とされている」 太公望が<崑崙12仙>という真名を出すことを避けたのは、才人に自分が仙人であるという可能性に到達されるのを、万が一にも防ぐためである。「最高幹部の上には、さらに上がいるの?」 そのタバサの質問に、満足げな笑みを浮かべた太公望は、さらに説明を続ける。「うむ、この最高幹部のさらに上にいるのが……<崑崙>の長たる<教主>。この人物が『始祖』の意志の代弁者として、全てを取り仕切っている。ハルケギニア流にいうなれば、ロマリアの教皇のような存在だ。教主は、崑崙・金鰲・桃源の各派閥ごとに存在するので、全部で3名おることになるのう」「ふうん、教皇のすぐ下についているひとたちってことは……<コンロン12卿>っていうひとたちは、つまりブリミル教の『司教枢機卿』みたいなものよね?」「それに近いと思ってくれて間違いない」「なるほどね。ということは『幹部』っていうのは『司教』に相当するのかしら」「そんなところだ」「理解した」 これを耳にした才人は「この世界にも枢機卿団みたいなもんがあるのか」などと、ひとり地球とハルケギニアの宗教の相似について思いを馳せていた。「仕事の内容は全く違うが、まあ組織としてはそのようなものだ。で、ようやく本題に入るのだが。わしが普段身に付けているマントと服は、我が師より授けられたものでな。独特の意匠が施されておるので、見る者が見れば、誰の弟子なのか一目瞭然なのだ」「そういえば、あなたの師のことを聞いていなかった」 タバサの発言に、太公望としては珍しく生真面目な顔をして答えた。「才人ならば知っていそうだが……実際のところ、どうなのだ?」「いや、さすがに師叔の師匠までは知らねーよ」 手のひらをぶんぶんと振りながら否定する才人を見て、太公望はほっとした。彼の師匠である元始天尊は広く知られた存在だ。彼の名を明かした途端、藪をつついて蛇を出すことになるかもしれない。師匠の名前は伏せておこう――そう決心した太公望であった。「ちなみに、どんなひとなん?」 太公望はこほんとひとつ咳をして、誇らしげな顔で胸を反らせた。彼を良く知る者たちがこれを見たら「何たくらんでるんスか」などと言われかねない、そんな表情であった。「わしの師匠は<崑崙>の教主だ。わしが普段から愛用しておるマント留めは、彼の弟子たる証でもある。術のみならず、学問、体術、全てを師より学んだのだ」「もしかして、あのぬるぬる動く拳法もか?」「うむ、師匠は拳法の達人なのだ。その中でも蟷螂拳を得意としておられる」「なんつーか、師叔が中国出身だってこと、すげえ納得した」「何故そこで納得するのだ……」「だって、中国の武術っつったら拳法がお約束だし。だいたい蟷螂拳とか、男なら絶対1回は真似するだろ」「……おぬしもやらかしたクチか?」「へっへっへ、当たり~!」 彼らのやりとりを聞いた女性陣は、固まっていた。ブリミル教の神官は、平民の出だとしても、それなりの敬意が払われる。教皇聖下の直弟子ともなれば、たとえ無位無冠であろうとも、その影響力は計り知れない。この若さで王の相談役になれたのも、当然だと思った。少し事情は異なるが、トリステインの宰相を務めるマザリーニも、異国ロマリア出身の司教枢機卿だ。彼も20代で先の王に引き立てられ、政治の世界に足を踏み入れている。 タバサは思い出した。確か、あの服を着て店に入れば、それに相応しい料理が用意されると聞いた覚えがある。彼にとって、息をするくらい当たり前のことになっていたからこそ、食事について伝え忘れてしまったのだと気付いた。いくらブリミル教への信仰心が薄いとはいえ、宗教というものが社会に与える影響力がわからぬほど、彼女は愚かではない。 どうしてこう、彼の打ち明け話には心臓に悪いものが多いのだろう。タバサは、なんだか穴でも掘って隠れたい気分になってきた。ギーシュから使い魔を借りようか、などと真剣に検討し始める程に。だが、彼女にとっては気の毒なことに、話はそこで終わらなかった。「ただ、師匠はもうかなりお年を召しておられてのう。しばらく後になって知ったのだが、実はわしが地上へ遣わされたのは、師が引退した後にわしを<崑崙>の教主に据える為の、教育の一環であったらしい」 この発言でタバサがとうとう凍り付いた。それに気付いた太公望がフォローを入れる。「これこれ、タバサよ。今更わしの元の身分がどうこうなどというくらだないことで、悩む必要などない。地球での肩書きなんぞ、こちらでは何の役にも立たぬのだからのう」「でも、あなたは次代の教皇候補。それをわたしは……」 顔を青ざめさせたタバサを落ち着かせるように、太公望は言った。「そのことなら、旅に出る以前に辞退したから安心するがよい。そもそも、わしには複数の兄弟子がおってな。その中で最年長の人物――大師兄こそが、次期教主になるものとばかり思っていたのだが……」「だが、どしたん?」 ふうとため息を吐き、太公望は言った。「彼は、非常に正義感の強い人物でな。長く続いた地上の戦乱に、酷く心を痛めておった。そのため、自らの戦闘力を生かすほうが世界の為になると判断した上で、教主の座に就くことを拒み、地上世界へと降りて行かれたのだ。なにせ大師兄の繰り出す炎は<崑崙>の歴史上最強と謳われる程に凄まじかったからのう」 それを聞いたルイズが、毅然とした顔で言った。「わたし、そのひとの気持ちがよくわかるわ。そんな状況で領民を見捨てて、遠いところでただお祈りしているだけだなんて……貴族としてあるまじきことだもの。自分に強い<力>があるなら、なおさらだわ」 ルイズの反応に、太公望は内心苦笑した。全てを終えた今だからこそわかる、元始天尊の徹底した仕事ぶりを『ただ祈っていただけ』と思われるのは、正直心外なのだが……彼女は詳しい事情を知らないのだから無理もない。そんなことを考えつつ、先を続ける。「もちろん大師兄は、その考えに同意した師匠からきちんと許可を得た上で、あえて全ての地位を捨て、最前線に身を投じたのだ。事実、彼の加入によって、同盟軍や民の犠牲者が大幅に減ったのだよ。さすがに次期教主と目されていた人物だけあって、その『切り開く』判断力はピカイチであった」「まさしく『道を切り開く』火系統に相応しい使い手だったのね、その彼」 キュルケの感想に、強く頷く太公望。「実際、熱い男であったよ、かの御仁は。でだ……彼は後任として、よりにもよって師匠の数いる弟子たちの中で、最年少のわしを推薦したのだ。それが、わしが教主候補にされてしまった理由なのだよ」 実に苦々しげな顔でそうのたまった太公望を、全員が思わず見返してしまった。「されてしまった、って……」「何か不満でも?」「次期教皇候補ともなれば、栄達が約束されたも同然じゃありませんの?」「まさか、また『面倒だから嫌だ』とか言わないよな?」 口々にそんなことを言う彼らを見て、深いため息をついた太公望は、こう切り出した。「あのな。わしはその時点で既に、地上世界で周の軍師を務めていた。その上、さらに教主になるための修行を積めとか。そんな無茶振りをされては、仕事を終えた時点で身体がボロボロだ! いい加減、逃げ出したくもなるだろうが!!」 ドン! と、テーブルを叩いて力説する太公望。「だいたい、教主なんつう面倒な地位になぞ就いてたまるか! いや……そうか。わしの性格を見抜いた上で、わざとか。わざとやらせおったのだな? 地上が平和になれば、大師兄が手元に戻るのを見越した上で! うぬぬぬぬ、いかにもあのクソジジイが考えそうなことではないか。何故、今の今まで気が付かなかったのだ、わしは!!」 口から火を吐かんばかりに興奮する太公望を見て、女性陣は唖然とし、才人は呆れた。「教皇聖下と同じくらい偉いおかたなのよね? ミスタの先生って。それを……」「クソジジイ呼ばわり」「ここがロマリアだったら、聖堂騎士団が飛んでくるわよ」「てか、やっぱり面倒だからなんじゃねえかよ!」 そんな彼らの反応もなんのその、太公望の悪態は留まることを知らなかった。1分間ほど立て続けに罰当たりな台詞を吐いた後、ようやく本題に戻る。そこまでに、ルイズをはじめとしたブリミル教徒たちのHPゲージが大幅に削られたのだが、太公望はどこ吹く風だ。「ああ、思い出すだけでも腹が立つわ! と、まあ、それはともかくだ。これらの服装を見れば一発で身分がわかる。ずいぶんと長い説明になったが、あれが制服といえば制服のようなものかのう。たとえ現役を退いても、理由がない限りは<力在る者>であることを周知するために、着用が義務付けられる。ただし、いつも着ておるやつはあくまで略式のもので、正装や礼装となるとまた異なってくるのだが」「だから、同じものを仕立てたいと言っていたの?」「その通りだ。まあ、着慣れているので楽だというのもあるがのう」「確かに、制服があると私服より気楽だよな」 と、ここでキュルケがとあることを思いついた。「ふうん、制服ね……ちょっと良い考えがあるんだけれど。みんな、いいかしら?」○●○●○●○● ――翌日、タルブ村からの帰り道。「ねえ、水精霊団専用の制服を作らない?」 風竜の背の上で、キュルケは突然全員に向けてこんなことを言い出した。ちなみにこの風竜は、ギーシュの父であるグラモン元帥が、例のゼロ戦と折りたたんだベッドを運ぶついでに、全員の足に……と、気を遣ってわざわざ用意してくれたものである。「制服? 魔法学院のものを、そのまま着ていればいいのではないかね?」 ギーシュの反論に、キュルケはしたり顔で答える。「それがいけないっていうのよ! せっかく暗号名まで決めて自分たちの正体を隠そうとしているのに、学院の制服を着てたりしたら、知ってるひとが見たらバレバレじゃない!」 その意見に、モンモランシーとレイナールも納得顔で頷いた。「そうね、キュルケの言う通りだわ。わたしは賛成よ」「ぼくも賛成だな。ただし、活動用だから動きやすいものにしないといけないと思う」 彼らの相づちに、キュルケは実に満足げに微笑んだ。うまくいった……と。ミスタ・タイコーボーも制服には賛成で、しっかり経費で落としてくれるって許可をくれたし、せっかくだから、オシャレな服を作りたいわね。サイトの国には、ハルケギニアにはないデザインがたくさんあるみたいだし、色々参考にさせてもらえば、きっとあたしが気に入る『制服』ができあがるに違いないわ! ……オシャレ好きなキュルケならではの閃きと提案であった。 才人は才人で、彼女の考えにいたく共感し――。「せっかくだから、女子は動きやすさと可愛らしさを重視して、男子は東方の軍服風にしないか? 実際にデザイン画見て、気に入ってくれたらでかまわないからさ」 などという意見を出し、全員がこれに賛成した。 結果、日本の(才人好みな)あらゆる制服――セーラー服やブレザーなど、主に女子高生が身に付ける服(リボンの大きさや靴の種類、ソックスやタイツの長さまでが細かく指定されたもの)や、OLにバスガイド、スチュワーデスに婦人警官、ナース服と巫女装束。果てはアニメやゲームに登場するそれまでが飛び出してきて……ハルケギニアという異世界で、彼のオタク趣味全開なイメージ画が一般公開されることとなる。 ……くどいようだが、彼は『こだわりのある男』なのだ。 男子生徒のほうに関しては、軍服――佐々木少尉への敬意を込めて、大日本帝国海軍のそれを筆頭に、他国の各種軍装(またしても才人好み、もちろん階級章などの小物もバッチリ付属だ)や、これまたアニメやマンガに登場する某帝国軍や某惑星連合宇宙軍、とどめに某自由同盟軍のそれまで網羅と、実に幅広くチョイス。 一部、才人にとって非常に口惜しいことに――マントと合わせにくいと思われるデザインのものは初期段階で外されてしまったものの、いくつかの候補が残った。その中でも特に、スカーフやマフラーを身に付け易いタイプのものを重視して――さらに、そこから夏装備と冬装備を選んで、再び冒険の機会が訪れるその日までに、全員分を揃えよう! と、いうことで話はまとまった。 この夏休みは、彼らにとって一生忘れられない思い出となるだろう。色々な意味で。 ……ところで。才人は、このハルケギニアに来てからというもの、絵を描くスキルが以前と比べて極端に上がっている。自分の想像したものを、こうやって描いて説明する機会が増えたせいなのだが――それだけに、描写力が特にアップしているのだ。地球帰還後は、基礎をしっかり学び直せば、美大にも進めそうな勢いである。○●○●○●○● ――彼は、後にこう述懐している。あのとき『夢』が舞い降りてきたのだ、と。 『炎蛇』のコルベール。この年で42歳になった彼は、トリステイン魔法学院に教員として勤め始めてはや20年。現在独身、只今嫁さん募集中。そんな彼の趣味と生き甲斐は、学問と、それを元にした発明及び研究である。 多くの教員が、夏期休暇ということで交代制の休暇を取り帰郷する中、コルベールだけはただひとり自分の研究室に閉じこもり、相変わらず謎の薬品だの、設計図とにらめっこする生活を続けていた。 そんなある日。彼はふと窓の外を見たときに、空から風竜たちによって運び込まれようとしていた謎の物体を見て、椅子の上で跳ね上がった。そのあとすぐに部屋を駆け出し、それが降りてきた学院外の草原に、文字通り飛んでいった。 問題の物体が、地面に降ろされようとしているすぐ側で、荷下ろしの指揮をしていたのが『異世界人』の才人であることに気が付いたとき、コルベールの胸はもう、知的好奇心ではち切れんばかりになっていた。「さ、サイト君! こ、こ、これは一体なんだね!? きみさえよければ、是非とも説明して欲しい」 顔中をきらきらと輝かせて側に寄ってきたコルベールを見て、これまた大きな笑みを浮かべた才人は、ハルケギニアで最も頼もしい『発明家』の手を取って、こう言った。「俺のほうこそ、これを先生に見てもらいたかったんです。是非お願いします!」「なんと! 私に?」 才人はコルベールに、この物体が『飛行機』と呼ばれる、彼の国の空飛ぶ乗り物であることを説明した。空を舞うために、一切の魔法を使っていないこと。プロペラや翼の役割――そして。「えんじん……もしや、以前私が作った、あの『愉快なヘビ君』に使っていた……?」「そうです! 先生が見せてくれたあれが発展したのが、このゼロ戦に取り付けられている機械……エンジンなんです。だから、俺たちはコルベール先生に是非見てもらいたかったんですよ!」 コルベールは、震えた。私の『夢』が、それが形になったものが、今……現実に、目の前にある――?「そ、それで、これは今すぐ動かせるのかね!?」「実はそこなんですよ、先生に相談したかったのは」 それから、水精霊団はいったん解散し――才人と太公望だけが草原に残った。ここから先は専門的な話になることと、汗で汚れた身体を風呂で洗い流したかった残りのメンバーたちは、あとでわかる範囲で教えてもらえるよう、ふたりに頼んでこの場を去った。 ――それから、しばしの後。場面は移り……コルベールの研究室。 燃料タンクの底に、ごくごくわずかに残っていたガソリンを陶器の壷の中に入れて、研究室へと持ち込んだコルベールは、早速それの分析に取りかかっていた。「ふむ、嗅いだことのない臭いだ。おまけに、随分と気化しやすい性質を持つ油だな。これは、爆発したときに相当な<力>を生むのではないかね?」「その通りです。そのために作られた、特別な油ですから。幸い<固定化>がかけられていたおかげで、ぜんぜん変質してないみたいで、本当によかったです」「なるほど、なるほど……」 ぶつぶつと呟きながら、コルベールは手元にある羊皮紙に、さらさらとメモを書き込んでいく。その姿を、才人と太公望は頼もしげに見守っていた。「わしには、これが『非常に気化しやすい油』ということまでは理解できたが、残念ながら<錬金>によって同じものを精製するだけの技術や、その性質すべてを分析するだけの能力がない。しかし、コルベール殿ならばできるであろうと考えた末、ここへ持ち帰ってきたのだが……どうやら、その判断は間違っていなかったらしい」 ニヤリと笑った太公望と、うんうんと頷く才人。そんなふたりの声を聞いて、研究者としてのプライドをいたく刺激されたコルベールは、大張り切りで、部屋中から秘薬を引っ張り出したり、アルコールランプに火をつけたりしながら声を上げた。「あんな素晴らしい『宝物』を、しかもこの私の技術を信頼して持ち込んでくれたとは! 私は実に幸せ者だ! その期待にお応えするためにも、全力でもってこの『油』の精製に取り組ませてもらいますぞ!!」 それを聞いた才人は、顔を輝かせた。「お願いします! もし精製に成功したら……いちばん最初に先生に乗ってもらいます! 操縦は俺じゃなきゃできないし、ふたりで飛ぶためには、コックピットの部分が狭すぎるから、少し改造しないといけませんけど」 これは魔法学院への帰還中に、水精霊団の中で話し合って決めていたことであった。研究者たるコルベールに、対価も兼ねて実際に体感してもらう。それが、さらなるインスピレーションを彼にもたらすであろうという太公望の意見に、一同全員が賛成していた。 ちなみに、2番手の権利を獲得したのは才人のご主人さまであるルイズであり、3番手は『ゼロ戦』をこの世界に持ち込んだ佐々木少尉の曾孫シエスタだ。最初に精製したガソリンに余裕があれば、彼女の父にも、祖父の持ってきた『竜の羽衣』の素晴らしさを体験してもらう。これについても、全員納得済みである。 これらの相談内容を、全く飾らずにそのまま伝えた太公望。それを聞いたコルベールは、心から喜んだ。自分への信頼も、もちろん嬉しい。だが、それ以上に――魔法を一切使っていない飛行機械に乗せてもらえる。それもハルケギニアでいちばん最初に、なんと自分が体験できる。その事実が、彼を激しく興奮させていた。「ああ、コルベール殿。だからといって、徹夜などされては困りますぞ? せっかく飛べる状態になった時に、コルベール殿が研究の疲れで倒れてしまっていては、本末転倒ですからのう」 太公望の言葉に、コルベールは手で自分の額をぺしっと叩いて笑った。「おっと、それはいいことを聞きました。ついつい、我を忘れて研究にのめり込みそうでしたから! では、しっかりと体調に気をつけながら、できるだけ急いで分析した上で、精製しましょう。で……分量的には、どの程度必要なのでしょう?」 彼の問いに答えたのは、当然『ゼロ戦』の操縦者たる才人だ。「そうですね、まともに飛ばすには最低でも樽5本。できれば6本以上欲しいです」「なんと! それはまた、かなりの量が必要なのだな。せめて、この油がどんな成分でできているのか、その足がかりがあれば、だいぶ作業工程を減らせると思うのだが。サイト君、何か知らないかね?」 コルベールの言葉に、才人は必死に自分の知識を総動員させた。学校で習ったはずだ――ガソリンの成分。あれは石油から作られている……石油は、何から出来ていた?「バクテリア……ええっと、確か微生物の化石が、油状になったやつ……原油が原料。たぶんですが、いちばんそれに近いのは、木の化石。つまり石炭だと思います。ハルケギニアにもありますか? すみません、俺の知識だとそこまでしかわからなくて」 畜生、インターネットに接続できればなあ! 才人は、地球の便利な文明世界を懐かしく思った。彼が持ち込んでいるノートパソコン。今は既にバッテリー切れで動かなくなっているが、もしもそれでネットに繋げられれば、すぐにでも答えがわかるのに……と。「なんと、石炭がこの油に近しいもの!? それなら、この研究室内にもありますぞ。ゲンユというものについては残念ながらわかりません。ですが、調べてみれば、それらしきものに行き当たる可能性はありますな。それがあれば、今後の<錬金>はずっと容易になるでしょう。それがなくとも、石炭ならば調達可能ですぞ」 才人から聞いた内容を手元のメモに書き写しながら、コルベールは続けた。「それでは、私はこの油と石炭の成分を比較するところから始めてみます。分析が終わって精製に入れたら、本当にそれが正しく作り出せたのかどうかの実験をしないといけないので――そうだな、ワインの瓶1本くらいの量だけ試しに作ってみるが、サイト君。それで足りるかね?」「いや、最低でも2、3本は必要になると思います。申し訳ないんですが」「謝る必要などないよ。正確な分量がわかっているほうが助かるんだ」 そう言って、才人と太公望に向かって右手を差し出したコルベール。彼らふたりは、揃ってその手をガッチリと握り締めた。「よろしくお願いします!」 そんな彼らに「任せなさい!」と、拳で胸をドン! と叩いて見せたコルベールは、早速石炭とガソリンの研究に取りかかり――なんと、その翌日の昼前に分析と精製を終え、才人のところへ飛んできた。 ――そして。彼が作ったガソリンで、見事ゼロ戦のエンジンは始動した。プロペラは激しい音を立てて回転し、コルベールをいたく感動させた。「おおおおお! やった、やりましたぞ! 本当に、魔法を使わずに動いている!」 才人は油圧計や各種計器が問題なく動作しているのを確認した後、点火スイッチをオフにすると、操縦席から飛び降りた。「バッチリでしたよ、先生! あとは座席の改造と、ガソリンの量さえあれば……」「任せておきたまえ。必ずこれを飛ばせてみせますぞ! まずは、この油を量産するところから始めることにしよう」 さほど得意とは言えない土系統。だが、コルベールの胸の内に沸き上がる『喜び』の感情が、そんな不利を完全に吹き飛ばしてしまった。杖を振るたびに、新たな油が樽の中へ注ぎ込まれてゆく。彼の中に生じた<情熱>は囂々(ごうごう)と燃え盛り……その夜、眠る前までに初飛行に必要な量以上。なんと、樽7本分を作成するまでに至った。 最後の樽がいっぱいになったのを見届けたコルベールは、大切な『成果』が外へ漏れ出したりしないよう、しっかりと相応しい処置を施した後――実に満足げな笑みを浮かべて、ベッド代わりのソファーへと倒れ込み、翌朝まで目を覚まさなかった。 いっぽうの才人はというと、そんなコルベールの熱気に当てられて、必ず初フライトを成功させねばと張り切った。工具の類が残っていなかったので、残念ながら<ガンダールヴ>のルーンによる不具合調査と、各部を磨くくらいしかできなかったが、それでも、その心は既に空へと舞い上がっていた――。