――人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。 これ、昔どこかで聞いた覚えのある言葉なんだけど……どこだったかな。才人は、ぼんやりとそんなことを考えながら、現在自分が置かれている状況も立場も忘れて、周囲の様子に魅入っていた。「さすがに冷えてきた。場所を変えて話を続けよう」 数時間ほど前。才人が異世界ハルケギニアに来てから、初めてまともに接してくれた魔法使いの正体が、実は中国史上、間違いなく『英雄』のひとりと呼んで差し支えない人物だったという衝撃の事実が判明したのだが――才人はそれを完全に信じることができずにいた。そんなところへ、問題の『太公望』が申し入れてきたのが、この提案だ。「いったん自分の部屋へ戻り、他の者たちが寝静まるころ、改めてわしの部屋へ集合せよ。敷物と、枕を持ってな」 そう指示して、スタスタと宿のほうへと歩いていってしまった太公望を、才人をはじめとする全員が必死で追い掛けた。そして、言われた通りに集まった一同は、何やらよくわからないうちに眠らされ――気が付いたら、全員揃って不思議な部屋の中にいたのである。 その部屋の光景に心を奪われていたのは、才人だけではなかった。ルイズは、窓の外で煌めく無数の星々の美しさに魅入っていた。キュルケは、見たこともない調度品や、ふわふわと浮かぶランプに興味を示していた。タバサは、床に埋め込まれていたガラスの水槽の中で泳ぐ、色とりどりの魚たちを熱心に眺めていた。 顔が映るほどに磨き抜かれた壁に触れながら、才人は「プラスチックじゃないし、大理石でもない。金属でもないみたいだけど、なんだこれ?」などと、状況にそぐわぬことをぼんやりと考えていた。と、そこへ部屋の主から声が投げかけられた。「どうやら『わしの部屋』が気に入ってくれたようで、なによりだ」 男は、丸テーブルの周囲に、規則的に並べられた椅子のひとつに腰掛けていた。 『太公望』呂望。それが、彼の名前。しかしその姿は、今まで見慣れていたそれとは違っている。黒い髪と、青い瞳は変わらない。ただ、雰囲気がまるで一変しているのだ。黒を基調とした、高級感溢れる服装だけではない。顔や体つきが、今までとは違う。明らかに、これまでの姿よりも年齢を重ねているように見えるのだ。「あとで、部屋中ゆっくり見学させてやる。だからまずは、話をしようかの」 苦笑しながらそう告げた彼の表情は、かなりの童顔ではあるが、一応年齢相応程度には見えた。もしかすると、こっちがほんとの姿なのかもしれないな。そんなことを思いながら、才人は大人しく勧められた椅子のひとつに腰掛けた。他の女の子たちも、テーブルの周りに集まってきた。「ねえ、ミスタ……ここって、もしかして『自分の部屋』なの?」 窓の外に見える星のように、きらきらと目を輝かせながらルイズが訊ねる。「ああ、そうだ。いや……厳密には違うな。これは『魂魄移動』の初歩の初歩。<夢渡り>と『空間操作』初歩の初歩<亜空間調整>を使い、わしが作り出した『イメージ世界』だ。つまり、今ここにいる全員が、同じ『夢』を見ているのだよ。だが、基本は『自分の部屋』と変わらない。これが、以前おぬしに示した『道の先』だ」 そう説明する太公望の言葉を聞いて、ルイズは再びきょろきょろと周囲を見回すと、嬉しげに声を上げた。「つまり、努力を続けてさえいれば……いつかわたしも、これができるようになる可能性があるのね!?」「ああ、ちなみにこんなこともできるようになるぞ」 そう言って、太公望が『打神鞭』を一振りすると――突然、周囲が草原に変わった。「これが『空間操作』だ。イメージを膨らませることで、いくらでも自分の好きな内装にできる。ほれ……こんなふうにだ」 現在は伏羲の姿に変わっている太公望が杖をひと振りするたびに、周囲の風景が変わる。あるときは、全面がガラス張りの『水槽』に囲まれ、外で魚たちが泳いでいた。またあるときは、豪奢な家具に囲まれた、オリエンタルな風情の一室に変化した。広い荒野のど真ん中に現れたと思ったら、何もない空中に、彼らだけが浮かんでいることさえあった。 最後に、元の『宇宙船の船室風』だった場所に戻ってきたときには、全員の胸はもう、好奇心ではちきれんばかりに膨らんでいた。「どうだ、面白かったか?」「すごく」「こんな刺激はじめてよ!」「わたしも!」「俺もデス!!」 それはよかった。そう言って太公望は微笑むと、再び口を開いた。「どうだ、才人? 地球の<力在る者>も、なかなかのものであろう?」「あ、はい……俺たち、普通の地球人が知らなかっただけなんだ。地球にも、昔は魔法があったってこと。いや、今もあるのかな。そっか、だから世界中に神話とか魔法使いの伝承だのが残ってたんだな。なんにもない場所から、突然生まれたわけじゃなかったんだ。そうだよなあ……『A.T.フィールド』まであるくらいだもんな」 ――目の前の出来事に流されやすい才人少年のリアクションは、事ここに至っても相変わらずであった。「そういうことだ。全ての事象には、何らかの理由があるのだ。理由がないと考えられることも、中にはあるかもしれない。だが、実はそれ自体が理由となる」「なるほどな。だけど、中国だから魔法使いじゃなくて道士とか仙人になるのかな? そこらへん、どうなんデスカ?」 才人の言葉に、太公望はどきりとした。やはり、道士や仙人という呼称が残っていたか。と、いうことは……下手なことを言うと、最大の秘密――不老不死に触れられてしまうかもしれない。そう考えた太公望は、才人がどの程度の知識を持っているのか、少しずつ探りを入れることにした。彼は顔色ひとつ変えず、才人へ質問を繰り出す。「ふむ、おぬしたちの伝承では、わしら<力在る者>はそんな名前で語られておるのか……もしよかったら、説明してはもらえぬだろうか」「は、はい。でも、あくまで全部おとぎ話の知識ですよ? えっと、たとえば道士の一種に<霊幻道士>っていう職業があるんだけど、これは幽霊とか死霊を操ったり、逆に退治したりする専門家です」 幽霊に、死霊。珍しくも、それを聞いたタバサの顔が青くなった。実は彼女、こういった『オバケ』の類が苦手なのだ。今でこそだいぶ恐怖心は薄れていたが、子供の頃は、それこそ夜中にカーテンの端がちょっとめくれただけで、執務中の父親の部屋に駆け込んでしまったくらいの怖がりだったのだ。 ……ちなみに、この『霊幻道士』とやらに関する知識は、才人がテレビやマンガから得たものであり、正確なものではないのだが、当然のことながらここに集う者たちに、そんなことがわかるはずもなく。「あとは<陰陽師>。これは『まじない』を扱う術者です。占いをしたり、敵を呪い殺したり……逆にそれを防いだりする専門家だって言われてます」 必死に、自分の中の知識……おもに漫画やゲームのそれを引っ張り出す才人。「ちなみにですけど、呪いは、それよりも強い<力>で呪い返すことで、倍以上の威力にして跳ね返すことができるそうです。だから『呪い合戦』は、相手の力量見てやらないと自滅するっていう危険があります。似たような術者に<解呪師>がいて……これは、名前の通り呪いを解く専門家です」 『陰陽師』は日本発で中国産ではないのだが、それはさておき。才人の語った<解呪師>という言葉に、タバサとキュルケが反応した。「<解呪師>って、たしかミスタがそうだったわよね?」「わたしもそう聞いている」 その言葉に、太公望が頷いた。「うむ。タバサとキュルケは既に知っておることだが、わしは<解呪>のエキスパートなのだ。ちなみに、さっきの話に出てきた『呪い返し』もできるぞ。敵が放った術の<力>を支配し返して、威力を増大させた上で撃ち返す技だ。ただし『見切り』と『解析』に失敗すると、当然のことながら全部まともに食らってしまうので、あまりやりたくないことではあるのだが」 ――真名・Bクイック。本来ならば、太公望とその親友が組んで行う合わせ技である。 ……ああ、そういえばラグドリアン湖でそんなことがありました。 当時を振り返って、キュルケは冷や汗をたらした。放った<フレイム・ボール>が、倍以上の大きさになって戻ってきたあの衝撃は、今でも忘れられない。アレって、実はエルフの<反射>や、ヴァリエールの『壁』よりも質が悪かったんじゃないの! サイトのおかげで助かったけど、もしあたしひとりだったら……! 正直想像したくもない。 太公望は、当然それを覚えていて、わざと口にしているのである。「あんなこと、次にやったら承知しないぞ!?」的な警告を暗に送る意味で。「それ以外に、ふつうの<道士>っていうのがいます。これがいちばんハルケギニアのメイジに近いかな? 風を吹かせたり、雷を落としたり、雨を降らせたり、火を起こしたり――あとは医者みたいに『万能薬』を作って、病気を治したり」 この言葉に大きな反応を示したのはルイズだ。「ミスタは、もしかするとこの<道士>に近いのかしら?」「話を聞く限りでは、そのようだのう。ただし、わしは『薬』の類は一切作れぬし、医術の心得もない。修行不足だと、よく師匠に怒られていた」「さすがに、そこまで上手くいくとは限らないのね……」 ルイズはがっくりと肩を落とした。「なんだ? もしや、おぬしの家族に病気を患っている者でもおるのか?」「ええ。腕のいいお医者さまに、何度も診てもらってるんだけど……全然良くならないの。苦しがって、寝込んでいることが多いのよ。ミスタ・タイコーボーならもしかすると、って思ったんだけど……」「実は何者かに呪われている、あるいは魔法の毒を飲まされたなどということは?」「父さまたちが、その可能性も調べたわ。でも、何も見つからなかったの」「そうか。呪いや魔法薬の類であれば、わしがなんとかしてやれたかもしれぬのだが」「ううん、気にしないで。あ、と、ごめんねサイト。話、続けてもらえる?」 珍しく素直に謝るルイズに戸惑いながら、才人は再び口を開いた。「お。おう。あとは<仙人>だけど……これは、なるための条件が滅茶苦茶厳しいんです。ちょっと……言ったら悪いんですけど、太公望さまにできるとは思えなくて」 心底申し訳なさそうな顔をしている才人に、こちらは実に不満げな表情で答える太公望。「のう、才人よ。さっきから気になっておったのだが、おかしな敬語と様づけなんぞやめてくれぬか? 正直言って、薄気味悪い。前にも言ったが、わしは堅苦しいのが苦手なのだ。今まで通りに対応してくれ」「いや、でも……」「今更、何を遠慮しておるのだ。わしがかまわぬと言っておるのだから、かまわぬ」「かといって、かの大軍師・太公望さまを『閣下』って呼ぶのはおかしいですし」「そもそも閣下自体やめてもらいたかったわけだが……まあ、そこまで気にするのなら、太公望師叔(スース)、または師叔とだけ呼べばよい。これは、わしらの間で使われている、目上の者に対する敬称のようなものだ」 ――本来であれば、才人が太公望を『師叔』と呼ぶのは、拝師制度の観点からすると正しくない。あえて当てはめるならば『老師』だろう。 しかし『老師』という呼称がこの世界に存在することと(オスマン氏のような、年配のメイジがそう呼ばれることがある)、これ以上閣下だの様づけだので呼ばれることに不都合を感じた太公望は、このハルケギニアには無い『師叔』を用いるよう、提案することにした。かつて、武成王の息子のひとりが自分をそう呼んでいたことも、それを後押しした。「わかりました……じゃなかった、わかったよ、太公望師叔」「うむ、それでよい」 満足げに頷いた太公望と、ほっとした顔を見せた才人。まあ、まだ完全に信じ切れていないとはいえ、いきなり『伝説』に出会ってしまったのだから、パニックになるのも当然だろう。むしろ、彼は落ち着き過ぎているくらいだ。 そんな彼らのやりとりを聞いていた女性陣のひとりルイズが、とある疑問を投げかけた。顔の端が、少々引き攣っている。「ね、ねえサイト。まま、まさかとは思うけど、ミスタは、その、ほんとに、前にあんたが言ってたひとだったの?」「本当に、本物だったら、まあ、そういうことになるな」 カタカタと震え始めたルイズに、タバサが問うた。「前に言っていた、とは?」「さ、サイト。あんたが答えて」 と、ジロリと太公望を見る才人。「その前に、ひとつ確認したいんだけど」「なんだ? 答えられるものであれば答えるぞ」「師叔……釣りが趣味ってマジ?」「よく知っておるな、その通りだ。今もこうして懐に、針と糸を持ち歩いておる」 太公望はそう言って、懐から糸と……例の『縫い針』を取り出して見せた。以前、ラグドリアン湖でタバサに見せたそれと、同じものを。「げえっ! 伝説そのまんまの針じゃねえかよおおおお!! やっぱり、本物の『釣り師』太公望なんだ!」 そう言って椅子から立ち上がり、突然床の上で頭を抱え、叫びながらゴロゴロと転がりはじめた才人に、タバサが声をかけた。「サイト、お願い。その伝説について教えてほしい」 タバサの依頼に、息も絶え絶えといった風情で才人は語り始めた。「ピクニックに行ったとき、師叔の二つ名の由来を聞いたけど……あんとき、なんかどっかで聞いたことがある話だと思ったんだよなあ、畜生! えっとな、昔、まだ大公国だった周の大公さまが、夢の中で……神さまのお告げを受けたんだ。『明日、お忍びで近くを流れる川辺を歩け。そこで初めて出会う人物こそ、お前が心から欲しいと望む人物だ』って」 ――夢の中。その言葉を聞いて、全員がピクリと反応した。「大公さまは、悩んでたんだ。殷の下についていたけど、とにかく酷い圧政受けてて、このままでいいのか、ってさ。そんなときに神さまの声を聞いたもんだから、もう藁にも縋るような思いで、わざわざ変装してまで、夢で言われた通りにお忍びで、近くの川へ行った。そこで大公さまは、おかしな『釣り人』に出会ったんだ」「おかしな……って?」 ルイズの問いに、才人は答えた。「釣りをしてんのに、魚籠を持ってない。おまけに、川から数サント上に糸を垂らして、針を水の中に入れてなかった。しかもその針は、魚を釣るための『鉤つきの針』じゃなくて、まっすぐ伸びた『縫い針』だったんだ」「それはたしかにおかしいわね」 キュルケの反応に、そう思うよな? と、返した才人は、さらに言葉を続けた。「そんで、当然興味を持った大公さまは、ついお告げのことも忘れて、その釣り人に話しかけたんだ。『釣れますか?』って。そうしたら、その釣り人は、にっこり笑ってこう言ったんだ」 ――はい、大物が釣れました。あなたさまのような大人物が。「……ってな。そう、その釣り人は、一発で大公さまの変装を見破ったんだ。大公さまも、この人物が夢のお告げにあったお方であるのか!? そう思っていろいろ話を聞いてみた。そしたら、その釣り人は……とんでもない賢者だった。で、大公さまは大喜びでその釣り人をお城に連れて帰ったんだ。『あなたこそ、大公たる我が望む人物だ』って。その日から、釣り人は『大公が望みし賢者』。それを縮めて『太公望(たいこうぼう)』って呼ばれるようになった……そういう伝説」 前に聞いた話とだいぶ違うみたいなんだけど、そこんとこどうなの師叔? と、聞く才人に、太公望はいけしゃあしゃあと答える。「ふむ、だいたい合っとるな。あのときは、釣りの話をすると混乱させるかと思って、あえて出さなくとも不自然にならぬように一部脚色したわけだが……しかし、誰かが夢枕に立ったというのは初耳だのう。策を用いて西伯侯――姫昌殿がわしに興味を持った上で、わしがいつもいる川辺へ来るように、さりげなーく誘導しただけに過ぎないのだが。いや、案外わしの師匠あたりが、何かやらかした可能性も否定できぬのう」 ――『歴史の道標』による、意識操作かもしれぬが。そう考えた太公望だが、当然表には出さない。「うわ、本当なんだ! やっぱり『釣り師』って二つ名もそこからか! ちなみに俺んところでは、釣りの名人に贈られる称号が『太公望』になってるくらいなんだぜ! ゲームの中でもらえる、一番いい釣り竿の名前にも、大抵『太公望』の名前がついてるし。そんで弓矢は『与一』ってのがお約束」「なんだその称号は! しかも後半の意味がさっぱりわからぬ!!」「それにしてもさ。まさか太公望が、こんなに若かったなんてなあ。伝説だと、だいたい爺さんの姿で描かれてるし。俺、最低でも70歳は越えてると思ってたんだぜ」 意外だと言わんばかりの顔でそう呟く才人の肩を、タバサがつんつんと指でつついた。「どした?」「彼が、あなたの隣国の大人物ということはわかった。けれど、まだどんなことをしたひとなのか、聞いていない」「ええと、太公望は、中国の歴史に出てくる有名な軍師……って言ってもわかんねーか。こっちの世界の軍隊ってどうなってんだ? ギーシュとかの話聞く限りだと、階級なんかはだいたい同じような感じだよな? 元帥とか参謀って単語が普通に通じるし」「全部同じかどうかはわからない。でも、そのふたつがあるのは間違いない」「まあ、早い話が『軍師』ってのは参謀総長のことだ。国によっては、総軍司令を務めることもある。俺が知ってる太公望は、周の中将どころか元帥で、そんでもって武王の相談役。軍人っつーよりも、軍学と政治の専門家ってイメージなんだけどな」 それを聞いて、ぴしりと固まる女性陣。そこへ、才人はさらなる追撃をかけた。「確か、軍師として殷打倒に大きく貢献した功績で、斉(せい)の大公になったんじゃなかったかな? だから『斉太公』って呼ばれることもあるんだけど」「ああ、表向きの歴史ではそういうことになっておるな。武王からもそのように打診されたが、例の<崑崙>の掟があるから、世の中が平和になった以上、わしが大陸の政治に関わるわけにはいかぬ。だいたい、ようやく大仕事が片付いた直後だというのに、そんな面倒な地位なんぞ欲しくないわ」 そう言って、手をひらひらさせてみせる太公望。「たた、大公の地位を、面倒って……」「筋金入りの面倒くさがり屋だなオイ」「面倒なものは面倒なのだ。よって、斉は信頼できる周時代の部下に任せ、地上に降りる許可を<崑崙>から得た上で、のんびり旅をしていたのだよ。その後、斉や周がどうなったのかまでは知らぬ。たまに王宮へ顔を出すことはあったが、口は絶対に挟まなかったしな」 大公の地位に就いていたかもしれない人物……そんなところまで似なくてもいいのに。タバサはもう、本気で頭を抱えるしかなかった。彼らの話が本当ならば、自分が召喚してしまったのは、サイトの世界で3000年以上も前に生きていたひと。しかも歴史に名を刻み――海を隔てた隣国にまでその功績が知れ渡っているほどの『英雄』ということになる。 確かに、タバサは心のどこかでずっと憧れ、夢見ていた。 子供の頃、母に繰り返し読んでもらった絵本『イーヴァルディの勇者』。そこに描かれている勇者さまのような人物が、過酷な運命を強いられている自分を助けに来てくれたなら、どんなにか素晴らしいことだろう、と。 ……ところが、そんなタバサの<召喚>に応えてくれたのは、勇者どころか魔王だった。ただし、何故か甘いものに弱く、争いごとが大嫌い。その言動や姿は、一見すると子供っぽく、頭に『味方には』という注釈を入れる必要はあるが、とても心優しい魔王さまだ。 うっかり敵対すると厄介極まりないが、味方につけると非常に頼もしい存在。そんな『パートナー』に、タバサは不満など全く――いや、たまに心臓に悪いことをするので、それだけは正直勘弁してもらいたいと思ってはいるが、それ以外の点については文句はない。最近では、今のままだとこちらが彼とは不釣り合いなのではないか、と、不安になってしまうほどだ。だから、彼女は以前よりもさらに熱心に、勉学や修行に励むようになっていた。 そんなタバサの複雑な思いとは裏腹に『魔王』は話を元に戻そうと奮闘していた。「で、結局<仙人>とやらになる方法とは、いったいどんなものなのだ?」「ああ、<仙人>は中国の魔法使い最高位の存在、かな。ただ、なるまでがとにかく大変なんだ。まず、最初は肉と魚を食べちゃいけなくなる。で、それから何ヶ月かしたら、今度は特別な『薬』しか口にできない。そのあとは水しか飲んじゃいけなくなるんだけど――それを何年も続けて、最後に肉体を捨てて『魂』だけの存在になったのが<仙人>だ。身体が無いから死なないし、歳もとらない。当然、何も食べなくても生きていける」 その才人の説明に、太公望は深いため息をついて答えた。「甘味と桃と酒のない生活などわしには無理だ」「デスヨネー」 太公望はほっとした。なるほど、途中までは『不老不死の秘法』を習得するための技法に当てはまっているが、さすがに<仙人界>の秘中の秘であっただけに、正確な伝承は残っていないようだ。しかし肉体を捨てた状態になるというのは、まるで<神界>にいる、かつて『封神』された者たちのようではないか。 ――よし。ならば、この情報を少し利用させてもらおう。太公望は、即断した。「ふむ。わしが肉と魚を食べないというのは<崑崙>の掟によるものだ。特別な『薬』や『水』がどうこうなどという話は聞いたことがない。ただ『魂の操作』については、ある程度だがやれないことはないぞ。実際、今こうして全員の魂魄を<夢渡り>によって、ひとつところに集めているのだから。そのあたりがいろいろと混じり合って、伝承として残っておるのかもしれぬな」「あ、そういえばこれ『夢』なのよね」 ルイズの呟きに、太公望は頷いた。「そうだ。だが、覚めてもしっかり記憶として残る。おまけに身体は眠っておるから、体力も通常通りに回復する。しかも、外の者に聞かれる心配もないから、夜に行う密談用にはうってつけの<術>なのだ。わしのような『空間使い』が行使した場合は、このような快適空間を提供することもできる」「だから、みんなを『夢』に招いたの?」「そういうことだ。なかなか良いものであろう? とはいえ、面白くてついハマりすぎると、うっかり数ヶ月間眠り続けてしまったりするので、近くに監視役を置いてこないと危ないのだが、それについてはタバサが<遍在>を出して外に置いてくれとるから心配ない」 ああ、だからここに入る前に<遍在>を出せと言っていたのか。タバサは納得した。「それにしても、まさかファンタジーの世界で、周の時代の大軍師に会うなんてな。想像もつかなかったぜ」 才人の発言に、太公望は苦笑した。「それはお互い様だ。まさか、おぬしが地球人だとは予想だにしていなかった。おまけに、ここまでわしのことを知っておるとは、思いも寄らんかったわ」「いやあ、俺、軍とか武器とか、そういうのが好きで、いろいろ調べてたから。と、ちょうどいいや。『軍師』太公望に、聞きたいことがあるんだけど。周軍3万で、殷の軍70万撃破したっていうのは実話なのか?」 それを聞いて、女性陣全員が顔を引きつらせた。どんな怪物指揮官だそれは……と。「これ才人、経過を端折るな! 準備に数年をかけ、大勢の仲間たちに手を貸してもらいながら、できる限り戦を仕掛けることなく、軍備を増強しつつ周辺諸国と同盟を結び、どうにか周軍・同盟側25万に加えて援軍5万を最終決戦までに用意した。その上で、周囲の地形を利用した策を用いて、70万おった殷側を実質10万程度しか動けない状態に持ち込み、黄河の中へ押し込んで、ほとんどの敵兵を降参させることに成功したのだ」「ゴメン、どの程度まで本当なのか知りたくて。スゲエ……歴史の本に書かれてる内容そのまんまだわ。しかも、そんだけ数の不利があったのにしっかり勝ったわけだろ!? 数よりも質を上げて、自信満々で仕掛けたってところなのか?」「いや、実のところ同盟軍25万・対・敵軍20万……最大でも同数での合戦規模を想定していたところへ、例の『女狐』が国中から即座に人員かき集めて、なんと70万も用意してきおったのだ。あのときは、内心『わしも周も同盟軍もまとめて終わったかもしれぬ』なんて一瞬考えてしまった。まあ、今だから言える、ここだけの秘密だ」「……本当に容赦がなかったのね、例の女将軍」「いやはや、正直なところあれは危なかった……自軍本陣まで突っ込まれて、しかも武王が槍で腹を貫かれてしまってのう。あの大怪我で、よくぞ最後まで生き延びてくださったわ」 当時を思い出したのであろう、青ざめた顔で語る太公望。「本当にぎりぎりの戦いだった。わし自身も、例の女狐に<力在る者>として絶対回避できぬ一騎打ちを仕掛けられた結果、自力では動けなくなるほどの大怪我を負わされて、戦線離脱を余儀なくされてしまったのだ」 実際のところは、彼女の<魅惑の術>を打ち消すために<力>を使いすぎて、体内が限界までぼろぼろになってしまったというのが正解なのだが、ハルケギニアのメイジたちや才人にはわかりにくい概念なので、あえて『怪我』という表現を用いた太公望であった。「『スクウェア』のミスタを一方的に!? 正真正銘の実力者なのね、女狐さんて」「正直、信じがたい」 そう呟いたのはタバサだ。太公望の実力を目の当たりにしている彼女からすれば、女狐の強さは既に想像の粋を越えていた。彼らの反応に、太公望は苦笑しながら先を続ける。「実際、よくもまあ勝てたものだよ。わしに何かあったときのために、念のため作戦指揮用のマニュアルを配っておいたのが功を奏した。おまけに女狐の奴が、己の<術>でわしを一方的にズタズタにしてくれよった直後に『いやぁ~ん! 太公望ちゃんがいじめるのぉん! 紂王さま助けてぇ~ん!』とか意味不明なことを叫んで、指揮権その他諸々を放棄して戦場から消えてくれなかったら、わしは黄河のほとりに屍を晒しておったかもしれぬ」「ああいうマニュアル、合戦でもやっぱり用意してたのね……」「相変わらず抜け目がない」「てか、なんなんだよその女……」「本当に意味がわからないわ……」 口々に感想を言い合う少年少女に、太公望は実に苦々しげな声で呟き返した。「あやつの考えについて、わしに聞かれても困る。実力者であることは間違いないのだが、とにかく、やることなすこと本当に意味不明! そういう実に気まぐれな女だったのだよ」 そう言ってガックリと肩を落とした太公望を見て、キュルケは思った。なるほど、例の女将軍って、そういう趣味だったのね。おまけに、対象の彼がニブすぎるから余計いじめたくなっちゃう的な? ものすごく頑張って、倍以上の兵士つれてきて、気に入ってる彼を驚かせた。でもって、威圧して、わざわざ一騎打ちまで仕掛けたのは、降伏させて……自分のモノにしようとしたからよね。でも、メイジとしては格下のミスタが、圧倒的に上の<力>を持ってる自分に対して全力で抵抗してきたから、へそをまげちゃったんじゃないの? 彼女。 だいたい、本気でミスタを倒すつもりなら、とっくにとどめを刺してなきゃおかしい状況じゃないのよ、それって。で、気に入ってる彼を死なせたくない。でも、自分が作り出した圧倒的な数的有利は覆らない。だから万が一を考えて、わざと彼を戦線離脱させるように仕向けたとしか思えないわ。う~ん、ミスタってば頭はいいけど、女性関係は結構奥手なのかしら……。 ……と、彼女はまたしてもそっち方面におかしな想像をかきたてている。だが、これがツェルプストー家の通常運転だ。 それにしても……と、太公望は改めて才人を見た。「おぬし、本当に詳しいのう」 その素直な感嘆に、才人は照れくさそうに頭を掻く。「周の建国とかは、学校でも習ったし。けど『殷周易姓革命戦争』で俺がそこまで知ってるのは、最後の『牧野の戦い』だけだよ。少ない兵力で、大軍を打ち破るとか、男のロマンっていうか。ネットでそういう資料見るのが好きだったから。ま、その戦いが<魔法大戦>だったっていうのはさすがに知らなかったけどな」「正直なところ、わしとしては不本意極まりない戦いだったのだがな。勝てる状態まで自軍を整えてから兵を動かすのが、本来の在りかたなのだ。にもかかわらず、女狐に完全に裏をかかれてしまった」「ふうん、大軍師・太公望にも天敵がいたんだなあ……俺が知ってる歴史に、その女将軍の名前が残ってないのが不思議だよ」「あれほどの策士の名が全く残っておらぬのか! まあ、事実上殷を滅ぼすきっかけとなった女だから、後世の歴史に残したくなかったのだと考えたにしても……不自然だのう」「伝説って、そんなもんじゃね? 師叔だって、こんなに若かったんだし。3000年前のことなんだから、そんな正確には記録されてないんじゃないかなあ。もしかすると、男の武将に書き換えられてるのかもしれないぜ」「それはありえるかもしれぬな。しかし、こうして改めて話し合ってわかったことだが……才人よ。おぬし、案外本当に武成王殿の血を引いておるのかもしれぬな。『武器』を扱う能力といい、普段の性格といい、話に聞いた、若い頃の彼とそっくりだ」 そう感慨深げに言葉を紡ぎ出した太公望は、噂で聞いた武成王・黄飛虎の若き日の話を彼らに披露した。明るく、豪快で、お調子者。だが、一本筋を通す為ならば、たとえ自分よりも身分の高い者――なんと上司の将軍や国王までをも殴り倒してしまったほどの熱血漢。 とはいえ、別に乱暴者というわけではなく、普段は誰にでも分け隔て無く接する、心優しい青年であったのだという。若いうちに軍学を修めた彼は、後に政治についても学び……大人になるに伴って、お調子者だった性格はだんだんと影を潜め、大武将・大貴族のそれに相応しい風格が現れてきたのだという。元来の豪放さは最後まで変わらなかったが。「なんだか、食堂でギーシュにつっかかっていった時なんかと被るわね、その話」 ルイズの言葉に、頷く太公望。才人本人を除く他の面々も、納得顔だ。「実際、それならば才人が<召喚>されたことについて、色々と納得がゆくのだよ。彼の血縁者には<力在る者>それも『武器』の扱いに長けた能力者が多く現れるという特徴があったからのう。ちなみに言うと、武成王殿はとてつもない愛妻家で、奥方一筋なのだ。本来であれば、妾をもつことなぞ、絶対にありえぬ。わしが『才人が武成王の妾腹の息子』などという作り話を流したことが知れたら、彼の持つ『飛刀』で背中から刺されるやもしれぬ」 そう語りながら、ブルブルと身体を震わせる太公望を見て、全員が笑い声を上げた。「と、いうかそれ、作り話だったのね」 肩をすくめたキュルケに「内緒だぞ?」と、念を押す太公望。彼女は素直に頷いた。そんなふたりのやりとりを聞いていた才人が、ぽつりと言った。「俺、本当にその武成王……黄飛虎さんの子孫だったらいいなあ。ふたりは、轡を並べて戦ってたんだろう? 師叔にとって戦はもちろん嫌なものだったんだろうけど……そりゃ、俺だって戦争するのなんかごめんだけどさ。少しだけ憧れるな、そういう関係」「その気持ちはわからぬでもないよ。しかし、本当にそうだとしたら……奇縁だのう」「だよなあ」 本来であれば、絶対に交わることのなかった『道』。それが<サモン・サーヴァント>という奇跡によって、こうして重なり合った。「そういう意味では、ここハルケギニアと地球の『繋がり』にも縁を感じるのう」「それは、どんな……?」「たとえば、ラグドリアン湖。あそこには<星の力>が満ちあふれていた。それも……地球にあったそれと、全く同質のものが、だ。もしも、世界に在る<力>が完全に異なっておれば、わしは空を飛ぶどころか<風>を起こすことすらおぼつかなかったはずだ」「そういや、シエスタのひいおじいちゃんがゼロ戦で迷い込んだりしてたもんな。例の『破壊の杖』で、学院長先生を助けてくれたっていう兵士さんとかもそうだし。探せば、俺たちの他にも地球人がいるかもしれない!」 才人の言葉に頷く太公望。そして彼は、さらなる推論を述べた。「もしやすると、例の『星の始祖』と同じ『滅びた世界』から来た者たちが、この世界を創世したのかもしれぬな。そののちに、地球から<力在る者>『始祖』ブリミルが降臨し――メイジたちに魔法を授けた。そう考えると、楽しくなってこんか? この推測は、案外間違ってはいないのかもしれぬぞ」 そう言って微笑んだ太公望――伏羲は、ついと『打神鞭』を振り、星の海が広がっていた『窓』の映像を切り替えた。 ――新たに映し出されたのは……どこまでも青く、美しい天体と、その側にある衛星。「師叔。これ、地球だろ……!? 隣にあるのは……」「そうだ才人。ハルケギニアにはふたつあり、わしらの世界にはひとつしかない月だ」 それを聞くなり窓の側へ駆け出していった才人と、彼を追い掛けていった少女たち。そして彼らは見た。眼前に広がる、煌めく青い宝石のような『世界』の姿を。「綺麗……これが『惑星』という『星』の姿……」 タバサが、魅入られたようにそれを眺めながら呟けば。「ここが、サイトの故郷なの? あの青い部分は、もしかして空かしら?」 ルイズが、早速疑問点を才人に尋ねる。「いや、あれは水……つまり海だ。そんでもって、白いのは雲だよ」 指を差しながら答える才人と、不思議な感慨を抱きながら『世界』を見るキュルケ。「ひょっとすると、ハルケギニアも外から見たら、こんな姿をしているのかしら。ずっと、世界は平らで……端っこに行ったら、どこまでも落ちていくものだと思っていたわ」 キュルケの独白を耳にした才人が言った。「ハルケギニアも地球と同じで、丸いと思うぞ」「え? どうしてそんなこと言えるわけ?」「魔法学院から離れた場所にある森の木が、上のほうしか見えないからだよ。平らなモノの上に立ってたら、全部見えなきゃおかしいだろ? つまり、球体の上に載っかってるんだ」 しかし、その説明を受けてもわからないといった顔の女生徒3名。どうやって理解させればいいのか苦しむ才人に、太公望が助け船を出した。「才人が言っておるのは、こういうことだ」 その言葉と共に『窓』に映っていた光景が変化した。真円の図の左右に2本の棒が立ち、それぞれを結ぶような形で、複数のラインが平行に引かれている。「この円が地面。棒が人間。ラインが視線だ。ほれ、こうして図にしてみると……」「ほんとだわ! 丸い地面が邪魔して、下が見えないのね」「わかりやすい」「これが、俺や師叔が習ってた『自然科学』ってやつだ」「なるほど」 そんなやりとりの後。太公望がとんでもない発言をして、居合わせた者を驚かせた。「実際に『宇宙』まで出られれば、一発なのだがのう。さすがに生身で大気圏を突破して、宇宙遊泳をするのは難し過ぎるから、実証できぬ」「オイ待てや! 宇宙遊泳が『無理』じゃなくて『難し過ぎる』なのかよ!!」「<風>をうまく操れば、なんとかなりそうなものだが」「ならねーよ!」 才人の猛烈なツッコミもなんのその。太公望は、さらりと爆弾発言を追加する。「わし、実際に中間圏までなら出たことがあるぞ。髪と服の一部が凍り付いてしまったが。あの時ほど、切実なまでに温かい湯につかることを望んだことは、未だかつてない」「あるのかよ! てか、なんでそれだけで済むんだよ!!」「使い魔の背に乗っておったからのう。スープーは、騎乗者を守るシールドを張ることができるのだ。時間制限はあるがな」「ファンタジーにも程があるだろ、地球のドラゴンと魔法使い!」「才人よ、おぬしもその『ファンタジー』に連なる可能性があるのだが?」「そうだったあぁぁあッ! 俺の中の常識がッ、もはやブレイク寸前だッ!!」「ふぬう。才人よ、おぬしの時代の常識とやらも、できればいろいろと聞いておきたいのだが」「あ、それは聞きたいわね」「あたしも!」「わたしにも聞かせて欲しい」 こんな感じで、彼らは夜が明けるまで様々なものを見、聞き、話し合い……結果。これらの事実――つまり、太公望と才人の正体や、彼らの出身地に関する情報は、もうしばらくの間、ここにいる『最初の5人』だけの秘密にするということで決着した。