――夜。宴席となってしまった夕餉の最中に「飲み過ぎてしまった」そう言い訳をして、外へ抜け出した太公望は、独りタルブ村の側に広がる草原に立ち、そよぐ風に頬を嬲られながら……空を眺めていた。 彼の視線の先には、双つの月が、これまでと変わらず輝いていた。「思えば、ヒントになるようなことはたくさんあった。だが、このわしともあろうものが、先入観に惑わされた結果、今の今まで気が付かなかった。何故、これが『ありえる』ことに考えが至らなかったのであろうか」 気が付いたのは、あの黒い墓石を見た時だった。全てを読み取ることはできなかったが、太公望――いや、かつて『繰り返す歴史』を見続けてきた地球の『始祖』伏羲には、あそこに刻まれていた文章の一部が読めた。何故ならば、墓碑銘に書かれた文字は……彼の切り札『太極図』によって紡ぎ出されるものと、非常に似通っていたから。その文字を才人がすらすらと読み、シエスタに語ってみせたとき――疑問は、確信に変わった。「魔法のない世界。にも関わらず、何故わしらの間ですら廃れかけていた<術>が『おとぎ話』などという形で残っているのか。どうして<気>のコントロールなどという言葉が出てくるのか。考えてみれば、おかしな話ではないか」 まだ、多くの謎は残っている。だが、ここに至るまでに揃えた『情報』という名のパズルの欠片(ピース)は、太公望に――それが明確な事実であることを告げていた。「民の間で、科学技術が大きく発展していること……そして、月がひとつしかない惑星。わしと同じ黒い髪と肌の色、よく似た顔の造形。全く同じ時間軸に現れた、ふたつの『羽衣』と、大陸の話。これらが示す答えは、ひとつしか考えられない」 太公望が思わず口に出してしまったその思考は、本来であれば誰にも聞かれることなく、風と共にこの地を去るはずであった。しかしそれは……いつの間にか太公望のすぐ側に集っていた4つの人影によって、受け止められていた。 人影の正体はタバサとキュルケ。そして、才人とルイズであった。 双月の光を背に、ゆっくりと振り返った彼は……おどけたように、こう言った。「どうやら……宴の主役が、こちらへ移ってきたようだのう」 その声に、まずタバサが答えた。「あの黒いお墓を見て、サイトの話を聞いてから……あなたの様子が、どこかおかしくなった。それに、わたしも疑問に感じていた。タイコーボー、あなたとサイトには、共通点がありすぎる。おそらく、わたしにしか開示されていない情報と、これらを合わせて検討したとき、わたしは、とあるひとつの考えに至った」 その解答に、太公望は小さく笑いながら思った。この娘は、やはり聡い。偶然の『事故』とはいえ、このわしを<召喚>できただけのことはある、と。 いや、もしやするとこれは『必然』だったのかもしれない。タバサは、わずかな手持ちのカードだけで、自分と同じ答えに行き着いたのだろう。しかし、彼女の性格からして、この状況下で他人を連れてくるとは思えない。ならば、どうして残りの3人はここへ現れたのだろうか。前もってその答えを予測しつつも、太公望は彼らに向けて問いかけた。「で? おぬしらは、どうしてわしらの後をつけてきたりしたのだ?」 あえて『タバサの』とは言わない。何故ならば、自分たちふたりが――時間差はあったにしても――揃って外へ出て行ったが為に、彼らは興味を抱いたのであろうから。 太公望の問いに、気まずげな顔をして俯く3人。 太公望は苦笑した。思考に深く囚われるあまり、彼らの接近に寸前まで気が付かなかった自分にも非はある、それに。これは、この世界の『始祖』とやらが導いたのかもしれない。何故なら今、ここに集いし者は……自分を含む『最初の5人』。 ――タバサによって、この世界に<召喚>された。 ――新たな世界を見ようとしたときに、才人との<出会い>があった。 ――キュルケの呟きという橋渡しによって、大きな<縁>が生まれた。 ――ルイズが流した涙の光で、彼女が背負おうとしている<運命>を知った。「これも、ハルケギニアの『始祖』ブリミルの導き、というやつなのかもしれぬ。よって、もしもおぬしたちが聞きたいと望むのならば、全て話そう。ここではない、別の世界。このわしがやってきた国……いや『星』のはじまりと『始祖』と呼ばれる者たちの物語を」 どうする? そう、瞳で語りかけてくる太公望に、全員が黙って頷いた。○●○●○●○●「タバサは既に知っておることだが、わしは東方ロバ・アル・カリイエの出身者ではない。あまりにも自国が遠く離れていたがために、そのように言って誤魔化すよう、オスマンのジジイから勧められていたのだ」 最初に、そう断りを入れた太公望。そして、それに驚いた3人。先程、彼は『別の世界』と言った。まさかとは思うが、彼は――。「ミスタ・タイコーボー。もしかして、あなたもサイトと同じように、異世界から<召喚>されたの……?」 ルイズの問いに頷く太公望。これにはタバサもびっくりした。「違う世界。やっぱり、あなたも……なの?」 タバサは、太公望の出身地がロバ・アル・カリイエではないと知りつつも、これまでハルケギニアと同じ世界にある、遠い国から彼を呼び出したとばかり考えていたのだ。だからこそ、才人との間にいくつもの共通点を見出しながらも、そこから先へ進むことができず――彼に話を聞きに来たのだ。「ああ、そうだ」「ねえ、どういうこと!? 別の世界って……いったい」 困惑していたのはキュルケだ。それもそうだろう、太公望はロバ・アル・カリイエの出身者だと、彼女はずっと思い込まされ続けてきたのだから。「キュルケも、それに他の者たちも、質問したいことが山ほどあるであろうが……それをするのは、どうか今からわしがする話が終わるまで、待っていてほしい」 そう断りを入れると、太公望は改めて語り始めた。はじまりの……はじまりについて。言っても構わない範囲で、かつ才人に関して、とある確認をするために、事実と――そうでない話を交えながら。「かつて。広大な星の海の中に、大いなる叡智によって栄華を極めた『惑星』……つまり、生物が住まうことのできる『世界』があった。そこは、例えるならば『科学』と『魔法』。このふたつの<力>を合わせた、非常に高度な文明によって栄えていた。そしてその繁栄は――永久に続くと思われていた」 ――しかし。それは唐突に終わりを告げた。今でも、その理由はわからない。「その世界は、ある日突然消失してしまった。国が滅ぶなどという程度の生易しいものではない。文字通り、世界が――いや『星』が、爆発し――消えてしまったのだよ。偶然、星の海――宇宙へ出ていたわずかな者たちだけが難を逃れた。だが、そのままではいずれ自分たちも『星』と同様、消えて無くなってしまう。そう考えた生き残りし者たちは、それぞれが乗っていた『宇宙船』で新たな世界を発見すべく、星の海の彼方へと飛び去っていった」 まるで神話を紡ぐ語り部のように、朗々とした声で話を続ける太公望。「そのうちのひとつ。強い<力>を持つ5人の人間を乗せた『星の海を征く船』が、気が遠くなるほど長く苦しい旅の末に、大宇宙の果てで……美しい、青き星を発見した。そして、彼らは船を降り、新たな大地に『降臨』した。彼らこそ、その世界の『始祖』。わしがいた星の『はじまり』を造った者たちだ。例えて言うならば、このハルケギニアに6000年前に現れたというブリミルと同様の存在であろうか」 そう語る太公望の瞳は、まるでその場面に立ち会っていたかのように、遙か遠くを見つめている。タバサも、ルイズも、キュルケも――驚く以前に、戸惑っていた。そして、彼女たちは空を見た。あの輝く星々の中に、このハルケギニアのような『世界』がたくさんある。そんなことは、今まで思いも寄らぬことだったから。 いや、ルイズとタバサに関しては、才人という前例があっただけに『異世界』というものが実在することを知っていたが――それにしても、太公望の話は、あまりにも荒唐無稽なもののように感じた。もしもこれが、彼と出会ったばかりの頃であれば「何を馬鹿なことを」そう言って斬り捨てたに違いない。 でも、彼女たちは既に聞いて知っていた。以前太公望が住んでいた場所が『星の海』の『月の側』に浮かんでいることを。中でもタバサは、夢の世界のこととはいえ、その『星の海を征く船』を実際に見ていたから。 そして才人はというと、説明し難い、不思議な胸の高鳴りを覚えていた。まるで、あの『ゼロ戦』と出会ったときと同じように。理由はわからない。でも、この話を最後まで聞いたら、わかるかもしれない。そう考えた彼は、黙って太公望の話に聞き入っていた。「その大地は美しく、彼らが住むには適していた。だが、人間はもちろんのこと……まだ知的生命体と呼ばれるようなものは一切存在していなかった。そこで5人の『始祖』は集い、話し合ったのだ」 ――自分たちは、ここでは異邦人。この美しい星を、自分たちの思うように作り替えるには忍びない。しかし、長く苦しい旅を続けてきたせいで、我らはもう疲れてしまった。だから、最後にこの星と融け合うことで<星の意志と力の源>となろう――「……とな。その言葉を最後に、彼らは光の粒となって、世界中に霧散した」 ――ある者は<風>に乗り、世界の隅々まで広がっていった。またある者は<土>に宿りて、細かな砂粒の1つに至るまで、その<力>を分け与えた。<水>に溶け、世界を慈愛で満たした者もいた。<力>の塊と化し、暖かき<炎>となった『始祖』も存在した。そうして、彼らは『星に宿る意志』となり、消えていった――「それから、さらに数万年の時が流れ……青き星に、様々な知的生物が現れ始めた。彼らは進化を繰り返し、ついに『人間』が生まれた。やがてその人間たちの中に……ごくまれに、特別な<力>を宿した者たちが現れた。そう、『始祖』の流れを汲み、その<力>を発現させた<力在る者>。ハルケギニア風に言う『メイジ』の原型となる者が誕生したのだ」 その言葉に、全員が一斉に反応した。つまり、太公望はその世界に生きていたメイジなのだ、と。「いっぽう、人間以外――たとえば、巨大な木。意志を持った岩石。人間ではない生き物たち。それらにも<意志>と<力>を持つ者が現れた。彼らは『妖怪』あるいは『妖精』などと呼ばれ、基本的に好戦的で……人間よりも遙かに強い<力>を宿していた。こっちで言うなればエルフや妖魔、亜人たちがそれにあたる」 世界の誕生を語る吟遊詩人・太公望の声と話に、集う者全てが、いつしかぐいぐいと引き込まれていった。「彼らは、それぞれ異なる『文明』を築き、発展していった。そんな中……とある<力>を持つ者たちが現れた。それは、過去の『歴史』を視る<力>。彼らはその<力>によって知ったのだ。かつて青き星に散った『始祖』の意志を。そして<力在る者>たちは、種族を越え、ひとつところに集い、語り合ったのだ……『始祖』について。結果、彼らは『始祖』の御心を継ぐ決意をした。その内容とは――」 そこまで言った太公望は、ふいに言葉を止めると、こう告げた。「なにやら、ここのメイジたちを非難するような話になるので申し訳ないが……これはあくまで『価値観』や『世界の理』に関する問題なので、どちらが正しいとか、そういったことを論じる意図はない。よって、怒らないで聞いて欲しい」 そう注釈を入れ、自分たちの世界の<力在る者>が決定した内容を話した。 ――<力在る者>が<持たぬ民>を支配してはならない。それは<星の意志>に反する。だが、このまま同じ場所に住んでいれば、いずれ両者が衝突するのは間違いない。だから、自分たちは別の世界を作り、そこへ移ろう――「……とな。そして、かすかに残る『始祖』たちの『科学』や『魔法』を代表する『超文明の叡智』を生かし、人工的に『空飛ぶ街』や『空間を隔てそびえる山脈』、『雲間の大陸』を造り<力在る者>と<持たぬ民>。つまりメイジと平民……お互いを隔て、それぞれの上層部……王族や代表者、また、特別な許しを得た者以外は一切の交流を断ったのだ」 ここから太公望は、お得意の作り話をより大幅に付け加えることにした。そうしないと、彼にとって色々と不都合なことが発生するからだ。特に『不老不死たる仙人』であることを悟られるのだけは、絶対に避けたかった。「だが――そんなことをしては血が濃くなりすぎてしまい、やがて生物としての限界が訪れてしまう。事実、それによる弊害があった。また、地上にはまだ『星の意志』を継ぐものが誕生し続けていた……ごくわずかにだがな。そこで『天界(てんかい)』――さきほど語った『人工的な別世界』を、以後こう呼ばせてもらう――で『千里眼』と呼ばれる『世界を見通す目』を持った者たちが、地上を監視し……<力在る者>が現れたとき、使いをやって『スカウト』を行うようになった」 この言葉に反応したのがルイズだ。「まさか、その『スカウト』って、前にわたしに言ってた……」 彼女の言葉に、太公望は笑って頷いた。「そうだ。わしらは、ここのメイジたちほど数が多くないからのう。だから『天界』それぞれの『島』でスカウト合戦が繰り広げられたのだよ。ルイズなら……いや、今ここにいるおぬしたち全員が、間違いなく『天界』に誘われる……しかも取り合いになるほどの高い素質を備えておるよ」「お、お、お、俺も!?」 興奮して自分を指差す才人に、苦笑しながら太公望は答えた。「ああ、もちろんおぬしも含まれる。『武器による攻撃を得意とする能力者』扱いでな。わしのところでは杖を持ち、奇跡を起こすことだけが<力>の全てだとは見なされないのだ。『専用の武器』を手にすることで、体内に眠る<力>を引き出し、戦う者たちが大勢いる」 なるほど。彼がハルケギニアのメイジには想像できないような魔法の使い方をするのは、そのあたりにも由来するのかもしれない。タバサはそう考えた。「だがな……その『スカウト合戦』から悲劇が始まったのだ」 そう告げると、太公望は再び真剣な顔をして語り始めた。「スカウトによって、人間やそれ以外の者が大勢集えば――当然のことながら『派閥』が生まれる。それに、姿が違えば考え方も変わってくるものだ。やがて、天界にあった3つの『島』には、それぞれに異なる理想を持つ者たちが集うようになり……対立が始まった」 太公望は、左手指を1本立てた。「ひとつめは<崑崙(こんろん)>。空に浮かぶ山脈。これはわしが所属していた派閥にして、人間出身者が集う場所だ。『始祖』の意志を継ぎ<力在る者>が<力無き者>を虐げることがあってはならない。そう考える者たちが集まっていた」 そして、指をもう1本立てる。「ふたつめは<金鰲(きんごう)>。空を飛ぶ街。ここは、おもに妖怪などの亜人が住まう街だ。わしら<崑崙>よりも遙かに文明が進んでいた。彼らの多くが『強い者が弱い者を支配して何が悪い』そう考えていた。もちろん、そうではない者たちもおったがな」 再び指を立てる太公望。これで3本目だ。「そして最後の<桃源(とうげん)>。雲間の大陸。ここは、完全中立地帯。どちらにも所属せず、地上と関わることすらしなかった。最後の最後までな」 だいたい<桃源郷>は、そこに住まう民を統べる者からして、可能な限り他者との関わりを持ちたがらなかったからのう……過去の出来事を思い出し、ため息をつきそうになるのをこらえつつ、太公望は言葉を紡ぎ続けた。「やがて<崑崙>と<金鰲>の対立は激しくなり、とうとう戦争が勃発した。当然、そんなことになれば互いの監視が弱まる。その隙を見て、一部の者たちが、ついに地上世界に干渉をはじめてしまったのだ」「それって、つまり……」 ごくりと唾を飲み込む音が、辺りに響く。「そうだ。奴らはその強大な<力>をもって、平民たちの王の側へ現れ、彼らの野心と欲望をかき立てたのだ。その結果、地上に戦の種火がまき散らされた。多くの男たちが兵として駆り出され、残された者たちには重税がかけられ――大陸中が、混沌の渦に巻き込まれた。世界は流された血で赤く染まり、諸国はまるで麻のように乱れた」 空に浮かぶ双月を見上げながら、太公望は続けた。「それから数百年ほど経ったある時。長き動乱の時代を迎えていた『地上世界』に、わしは生まれたのだよ。国境付近に小さな領地を持っていた――地方領主の息子としてな」 物語の中に知り合いが登場すると、その話は俄然面白くなってくる。それが、よく知る人物であれば、なおさらだ。一同は、息を潜めて太公望の話を聞いていた。「当時のわしは、自分の中に<力>が眠っていることを知らない、ただの子供だった。両親に温かく見守られ、まだ幼かった妹からは、兄さま、兄さまと呼ばれ、懐かれていた。あの頃は、毎日が幸せであった。だが、わしが12歳になったあの日……唐突に、その平和な日々の終わりがやってきたのだ」 ……少し、周囲に吹く風が強くなってきた。「あの日……わしは、偶然屋敷を離れていた。当時、少しでも両親の役に立ちたいと願っていたわしは、父にせがんで、領内で飼われている家畜を調べて回るという仕事をもらったのだ。それが、わしの命を救った――奇跡的にな。何故なら、わしが外へ出ていたほんのわずかな間に、街は不可侵条約を結んでいたはずの隣国の軍勢によって蹂躙され尽くし……そこにいた者たちは当然の如く皆殺しにされ……全てが、紅蓮の炎に包まれていたからだ」 その言葉に、全員が息を飲んだ。普段は穏やかな顔をしている彼が、そこまで壮絶な経験をしていたとは、思いも寄らなかったから。そして、タバサは気付いてしまった。太公望が例の『惚れ薬』を飲んだ際に、自分のことを『妹』だと思い込んでしまった理由と――迫り来る<炎>を見て、怒り狂った訳に。「わしが屋敷に戻ったとき、そこにあったのは……わずかに焼け残っていた家の柱だけ。家族の形見になるような品すらも、一切残っていなかった……」 ――タバサは震えた。12歳の誕生日。それは、彼女の幸せな毎日の終わりと、波乱に満ちた現在の始まり。大きなケーキを前に、母と共に父の帰りを待っていた、あの時。玄関の扉を開けて現れたのは、優しい父親ではなく、彼が暗殺されたという知らせを持った使者だった。太公望の運命が変わったのも、タバサと全く同じ12歳。皮肉にも程がある。 だが、そんな彼女の思いをよそに、太公望の独白は続く。「しかし、そんな中。たったひとりだけ生き残りがいてくれた。長年我が家に仕えてくれていた、従僕の老人がな。だが……その彼も、既に瀕死の重傷を負っていたのだ。置いて行かないでくれと泣いて縋るわしに、彼はただ一言、こう告げて世を去った」 ――<力在る者>が全てを支配する……この世の中全体を変えなければ、悲劇は繰り返されるでしょう。どうか、我らの無念を晴らすため、復讐してください。この『世界』に……そして『戦争』に――「わしは、憎かった。家族と領民たちを奪った戦争が。そして、地上の王たちに野心を吹き込んだ<力在る者>たちが! ところが……皮肉なことに、そのときの強い怒りと悲しみによって、わしは目覚めたのだよ。己の内にあった<力>にな」 ――また同じだ。タバサは、両手の拳を握り締めた。醜い宮廷の争いによって、父は殺され、母は狂わされた。その上、当時まだ『ドット』だった彼女は『討伐任務』と称した処刑宣告を受けた。魔獣が闊歩する森に追い遣られ、たとえメイジとはいえど、子供の細腕では到底敵わない怪物たちと対峙させられた。 その時出逢った狩人の女性が、タバサに向けて放った言葉と、彼女を襲った悲劇。そしてタバサの前に横たわった、とてつもない苦難と深い悲しみが『雪風』となって心の中に吹き荒れ、メイジとして大きくランクアップを果たした――つまり、己の内に眠っていた<力>に目覚めたのだ。「その<力>の発現がゆえに、わしは彼らの目に留まった……<崑崙>の『千里眼を持つ者』に。彼は、わしを迎えにやってきた。そして、こう言ったのだ」『お前には、普通の人間には無い特別な<力>がある。それを<天界>で磨くがよい。その<力>は、いつかお前が望む復讐を成すために役立つであろう』「……とな。だから、わしは復讐することにしたのだ。世の中と、戦争にな」 ――やっぱり同じなのだ。彼もわたしと同じ『復讐者』だったのだ。タバサは戦慄した。<サモン・サーヴァント>が起こした、皮肉と呼ぶにはあまりにも重い、自分たちの巡り合わせに。「わしは<崑崙>の理念を知り、それに殉ずることで、世に平和を取り戻すために――あらゆることを学び、全ての原因となった<金鰲>との対立を収めるべく、ただひたすらに邁進した。わしは争いごとが嫌いだと、つねづね言っていたと思う。それは『戦争』を憎んでいるからなのだよ。そのために、本来すべきではない『地上への干渉』も行った。そうだ、公国の主に仕え、軍を率いたのだ。破門宣告? あんなもの、ただの口実に過ぎぬ。むしろ、そこまでして『地上』へ遣わしてくれた師に、影ながら感謝したほどだ」 太公望の言葉を聞いて、タバサははっとした。わたしたちは、確かに同じ復讐者だ。けれど、自分と彼との間には、ひとつ決定的な違いがあると気付いた。それは、復讐の対象だ。タバサは『個』つまり、ジョゼフ一世ひとりを恨み、復讐を決意していたが――太公望は『全体』を見ていた。戦争と、その原因となった派閥を憎み、全てを収めようとしたのだとタバサは知った。その末に、彼女は疑念を持った。 ――わたしの復讐の方法は、本当に今のやりかたで問題ないのだろうか? そう思った瞬間。彼女の胸の内に……水の精霊に誓ったそれの片隅に、ごくごく小さなヒビが入った。 ……実際のところ、太公望の復讐心は、当初ひとりの『女狐』だけに向けられていた。自分から家族と故郷を奪い、国を乱した彼女さえ倒せば、全てが終わると考え――実行に移そうとした。だが、後にそれが大きな間違いであったことを、その身をもって体験していたため、あえてこのような話し方をしていたのだ……そう、聡い『ご主人さま』に、自分と同じ過ちを犯させないために。 復讐をやめろとは言わないし、言えない。何故なら、彼も結局は復讐者だったから。「で、結果として……おぬしらには既に話していた通り、戦争は終わった。わしら<崑崙>側の勝利でな。そして、地上にも平和が戻った」 遠い目をして、太公望は語る。「後に<金鰲>も、実は一部の強行派が<力>や『薬』によって、反対者と全てを束ねていた代表者を『洗脳』していた事実が判明し――これは対外的な話ではなく、本当のことだ――それによって無理矢理対立させられていたと知った我々は、和平交渉に応じた。だが、その時点で<崑崙>も<金鰲>も、激しい戦いによって荒れ果て……生き物が住める状態ではなくなってしまっていた」 そんなとき――まるで、それが定められていたかのように『始祖』の遺産が発見されたのだ。そう呟いた太公望は、天を指差した。「『始祖』たちが乗ってやってきた『星を征く船』。『スターシップ蓬莱』。そこは、我ら<力在る者>全てが住まうに足る広さと、環境が整っていた。そして過去の過ちを繰り返さぬために、人間だけではなく――妖怪や妖精、亜人を含む者たち全てがそこへ移り住み、さらに『亜空間ゲート』と『力の障壁』によって、自分たちの世界を青き星から遠く隔てた。そこは、たったひとつしかないの月の側。以後、我ら<力在る者>は、ずっと地上界を……ただ見つめているだけとなった。こうして――ごくまれに、下界へ降りても絶対に悪さをしないと認定された者のみが、特別な許可を得てそこを訪れる場合を除き<力在る者>は、完全に地上から消えた」 ――この時、その青き星での『神話の時代』が、終わりを告げたのだ―― そう告げた太公望は、遂に核心へと迫るべく、話を進めた。「それでも、ごくごく稀に<力>に目覚める者や、眠らせている者が地上に現れる事実は変わらない。よって、スカウトは変わらずに継続されている。ひと知れず、な。そうして『天界へ昇りし者』は特別な事情がない限り、二度と地上には戻らない。戻れるのは、厳しい適正審査を受けた、ごく一握りの者に限られる。だから、いつしか<力在る者>の存在は忘れ去られ、ついには……おとぎ話や物語の中にだけ存在するようになったのだろう。地上は、わしが望んだ通りの世界になったというわけだ」 太公望は、すっとその場で立ち上がり、見つめた。自分と同じ色の髪と肌を持つ少年を。そして、決定的な言葉を解き放った。「わしをはじめとした<力在る者>たちが見守る、月がひとつだけしかない、美しく青き星は――かつて『始祖』たちからこう呼ばれていた。もちろん、わしの知る今でも。銀河系に属する恒星『太陽』の周りを回る星。太陽系第三惑星『地球』とな」 太公望の言葉に、才人が強烈な反応を見せた。彼は勢いよく立ち上がり、太公望の襟元を掴んで叫んだ。「おい、今の『星』の名前……もう一回言ってくれ!!」「ああ、何度でも言ってやる。青き星『地球』。そこが、わしとおぬしがいた『世界』だ。違うか? <力在る者>平賀才人よ。まだ<力>に目覚めぬうちに異界へ呼ばれし者よ」 一陣の風が――タルブの草原を吹き抜けていった。「嘘だよ! ありえねぇよ! だって、俺たちの世界で、そんな魔法での戦争なんか無かったはずだ!!」「ああ、既に神秘の類が神話の彼方へ消えていたのだろうな。何故ならば、そうなるように『表の歴史』が操作されていたからだ。そして、ここからはあくまで仮定だが……おぬしとわしは、呼び出された『時代』が違う可能性が高い。もしも胡喜媚が現れてくれねば、それに気付けぬままだったかもしれぬのう」 呼び出された時代が、違う――!? 才人は、その言葉に引っかかりを感じた。「あの墓石に書かれていた文字だがな。わしにも、ある程度読むことができたのだよ」「日本語をか!?」「ニホン語――というのか。だいぶ簡略化されていたが、天界に伝わる文字――正確に言うと<力を宿す記号>そう、ルーンのようなものによく似ていたのだ。そして、おぬしの黒い髪と、住んでいた国の側にある、大陸……これらの情報をふまえた上で、才人よ……改めておぬしに問う。どうやらおぬしは、軍隊やそれに関連する組織について詳しいようだが、その『大陸』の軍の歴史に関する知識はあるか?」 その唐突な問いかけに、戸惑いを覚えた才人だったが……今、目の前にいる男が、意味のない質問などするはずがない。すぐにそういう結論に至れるだけの信頼を彼に寄せていた。だから、才人は素直に答えた。「詳しいってほどじゃないけど、有名どころならだいたい抑えてる」 その言葉に、満足げに頷いた太公望――いや伏羲の半身たる者は、遂に究極の問いを才人へ投げかけた。そう、本当にその大陸の『戦に関する歴史』、その基本を抑えている者ならば、絶対に答えられるであろうそれを。「ならば聞こう。おぬしの知る大陸で起きた『殷周易姓革命戦争』において、周軍を率いた王の名と、補佐した軍師の名を挙げてみよ」 その質問に、才人はすぐさま解答した。「周の武王(ぶおう)と太公望(たいこうぼう)だろ? そんなの、授業でも習って……」 そこまで言った才人は、ふと目の前の『少年』の名を思い出した。いや、そんなバカな。だが、その相手は。ニヤリと嗤ってこう言った。「今の答え、すまんがもう一回言ってみてはくれぬかのう?」「……周の武王と……太公望」 それを聞いて驚いたのは、残る女性陣だ。そう……彼女たちは<使い魔召喚の儀>に立ち会った上で、太公望が呼び出される前にいた国の名前を聞き、覚えていたのだ。「ちょっと!」「シュウって……」「やっぱり、サイトとあなたは」 だが、才人はやっぱり信じられなかった。目の前で笑っている少年――いや、実際には妖精の<力>で子供にされてしまったらしい27歳の男なのだが……それでも、絶対にありえないと何度も首を横に振り続けた。「嘘だッ! だって、伝説の軍師・太公望がいたのって……たしか3000年以上前のはずだぞ!?」 才人の言葉に、太公望は驚愕した。互いに呼ばれた時代がずれているとは考えていたが、まさか、そこまでの開きがあるとは想定外だったからだ。「3000年だと!? そ、そんな未来、いや、おぬしらからすると、過去か……そこまで離れた時代から<召喚>されてしまったのか、わしは! どおりで王天君と胡喜媚しか現れないわけだ……」 そう言って、がっくりと膝をついてしまった太公望を見て、才人はしばし困惑した後――やがて、小刻みに震え始めた。 広い宇宙の中に、同じ『地球』なんて名前の星がそういくつもあるはずがない。それに、かの大軍師『太公望』は、生まれも――いつ死んだのかすらよくわかっていない、謎に包まれた人物だ。周の建国だけじゃない、他にもたくさんの功績を残しているのに、ほとんどその実体が掴めなかった理由は……そうか、そういうことだったのか。それなら色々と辻褄が合うし、伝説にもなるはずだ。 才人は、月に向かって――魂が裏返るかのような大声でもって叫んだ。「よりにもよって、地球の英雄を『過去』から連れてくんなよ! ファンタジー!!」