――メイドの少女シエスタは、空の上で困っていた。 水精霊団の一行に混じって『空飛ぶベッド』に乗り、故郷であるタルブの村へと向かっていた彼女は、空の上で流れる雲に感動している最中……よりにもよって、「タルブに鎮座する秘宝、竜の羽衣について知っていることがあれば教えて欲しい」 そう、太公望から申し入れをされてしまったからである。 『竜の羽衣』。それは、シエスタにとって特別なものであり――ある意味困惑の種となっていた品だった。何故ならば……それは、彼女の曾祖父が村に持ち込んだまがい物であり、インチキの塊だったから。「竜の羽衣を纏う者は、自由に空を飛ぶことが叶うであろう」 そのように言い伝えられてはいるのだが……明らかに、それは嘘なのだ。 にも関わらず、地元の人間の中には、そんなガラクタを有り難がって寺院に祀った上に、拝んでいる者さえ存在する。しかし、あれはあくまでどこにでもある、名ばかりの『秘宝』なのだ、と――シエスタは幼い頃から、祖父や父から繰り返し教えられてきた。 だからこそ、言いづらい。しかも、ついさっき本物の『羽衣』を見ているだけに、余計にその思いは強くなるばかり。けれど、下手に隠し立てをするよりも、今のうちにはっきりさせておいたほうがいいだろう。そのほうが、貴族の皆さまをがっかりさせずに済む。 そう考えた彼女は、ぽつり、ぽつりと『竜の羽衣』の由来について語り始めた。「ずっと昔……今から、60年くらい前の話です。私のひいおじいちゃんは、ここからずっと東にある国から『竜の羽衣』に乗って、タルブの村へやって来たんだそうです。でも、誰もそれを信じませんでした。ひいおじいちゃんはどこか頭がおかしかったんだって、村のみんなが言ってます」「どうして、そんなこと言われてんだ?」 才人の疑問に、シエスタは寂しげに答えた。「それは……ひいおじいちゃんが、空を飛べなかったからです」「どういうこと?」「村の誰かが『その羽衣を使って飛んでみろ』って問い詰めたんです。でも、ひいおじいちゃんは何だかよくわからない言い訳をして、飛ばなかったんです。だから、そこに居たひとたちは、誰もひいおじいちゃんの言うことを信じませんでした」「なるほどねえ……」「おまけに『もう飛べない』なんて言って、そのまま村に住み着いちゃって。毎日毎日、一生懸命働いて、お金を貯めて……貴族さまにお願いして、わざわざ<固定化>の魔法をかけてもらってまで、大事に大事にしてました。たとえまがい物でも、ひいおじいちゃんにとって『竜の羽衣』は、かけがえのない宝物だったんです」 期待している皆さまには、大変申し訳ないのですが。そう言って、悲しげに笑うシエスタだったが……その他の一同は笑っていなかった。それどころか、真剣に彼女の話に聞き入っていた。特に、最初に話を振った太公望と、才人のふたりが。「なあ閣下、どう思うよ? 『東』ってのがポイントだと思うんだけど」「うむ。しかし、わしの国の<マジック・アイテム>ではないだろう。何故ならば、例の『呪い』が発動しておらぬからのう。だが、初めてその情報に触れたときに、これは『破壊の杖』と同じ場所から来たものではないかと感じたため、今回のタルブ訪問を決めたのだ」「やっぱりアレ系か。とりあえず、実物見ないと何とも言えないけどな」「うむ。全ては『竜の羽衣』を見てから、だのう」 そう言って、頷き合った――奇しくも、自分と同じ黒い髪を持つふたりの少年を、シエスタは実に複雑な心境で見守っていた。○●○●○●○● ――タルブの村、その近くに建てられた寺院は、草原の片隅にぽつんと存在していた。 丸木を組み合わせて建てられた門。それは、朱色に塗られていた。そしてトリステインによくある石造りではなく、板と漆喰(しっくい)で作られた壁と木の柱。枯草で編まれたのであろう太い縄と、それに着けられている独特な形をした紙飾り。「これ、神社だ……それにあの、門……鳥居だよ。間違いない」 才人は、胸の高鳴りを抑えることができなかった。それも当然だろう、まさかこんな異世界で、日本独特の神社を見ることになるとは、思ってもみなかったのだから。「ねえ、サイト。あんた、この建物を知ってるの……!?」 その場に立ち尽くしたまま、小刻みに身体を震わせ続けている才人を見て、ルイズは不安を覚え、思わず声をかけた。理由はわからない――けれど、彼がそこからついといなくなってしまうような……そんな気がして。 そんなルイズの想いとは裏腹に、まるで、意識がどこか遠くへ旅立ってしまったかのように虚ろな表情をした才人は、そのままよろよろと鳥居の下へ近付くと、丸木の柱に手を触れて、感触を確かめながら呟いた。「間違いない。これは、俺の国の……神さまを祀るためのお社だ」 その呟きに答えたのは、シエスタだった。「これが? サイトさんの国の寺院……なんですか!?」 曾祖父が自ら設計し、建造したという寺院が、目の前にいる彼の国の建造物だという。シエスタは過去に何度もトリスタニアへ足を運び、街中で歴史ある寺院をいくつも見てきた。だが、そのどれもがこの建物とは似ても似つかぬ形をしていた。 シエスタは、はっとした。そして、才人の顔を見た。まさか……もしもそれが本当なら、私のひいおじいちゃんと、彼は――。「中、見せてもらっても構わないか?」 そう言って、これまでになく真剣な眼差しを向けてきた才人に、シエスタは、ただ黙って頷くことしかできなかった。 ――鍵が掛けられ、閉じた格子戸の奥に『竜の羽衣』は安置されていた。 いや、正確に言うならば『羽衣』を包み込むように寺院が建てられていたといったほうが正しいだろう。板敷きの床の上に、くすんだ濃緑の塗装をされたその物体が。<固定化>のおかげであろう、錆ひとつ浮いていない状態で。『竜の羽衣』は、造られた当時そのままの姿を残していた。 才人は、その物体に覚えがあった。子供の頃、彼の祖父が買い与えてくれたプラモデルの外箱に描かれていたイラストそのままだったから。そして、完成品は彼のお気に入りでもあった。東京にある自宅の部屋が、現在も変わらぬ状態であったなら――今も、机の脇にある棚の上に、透明のアクリルケースに入れられて、大切に飾ってあるはずだ。 才人は、まるで何かに憑かれたかのように『竜の羽衣』を見つめ続けていた。あまりにも彼が真剣に眺めていたため、水精霊団の一同も、改めてそれを観察してみたのだが――。「うーん。サイトには悪いけど、あんなモノが飛ぶとは思えないわ」 キュルケの言葉に、うんうんと頷くモンモランシー。「<魔法探知>にも<固定化>以外は一切反応なしだ」 眼鏡の位置を直しながら、レイナールが呟く。タバサも、彼と同様の反応を示した。「あれは、カヌーか何かだろう? その側面に鳥の翼のような形をした板を取り付けただけにしか見えないな。これじゃあ、羽ばたくことなんかできやしないだろう。つまり、飛べない。きみもそうは思わんかね? ミスタ・タイコーボー」 格子戸から覗き込んだ直後。自分の持つ、素直な感想を述べたのち、彼らの中で最も博識であろう太公望にそう問いかけたギーシュであったが、相手から戻ってきた反応は、彼の予想を大きく裏切るものであった。「いや……あれは、間違いなく飛べる。そのように造られている」 その太公望の言葉に、才人を除く全員が振り返った。そして、その声に追従するかのように、これまでずっと黙り込んでいた才人が呟いた。「おい。これ、なんかの皮肉か!? 『ゼロのルイズ』に召喚された俺の目の前に、よりにもよって……コイツが現れるなんてさ」 久しぶりに聞いた『ゼロ』の二つ名。ルイズは、当然のことながらそれに反応した。「ちょっとサイト! それ、どういう意味よ!?」 ぷりぷりと怒る彼女に、才人は乾いた笑みを浮かべながら、こう返した。「アイツはな……俺の国の軍隊が、昔使っていた戦闘機。大空を飛んで戦うための『武器』なんだよ。でもって、名前は……『零戦(ゼロせん)』っていうんだ」「サイトの国の、空で戦う……『ゼロ』!?」 戸惑ったようなルイズの声に頷いた才人は、改めてシエスタに向き直り、尋ねた。「なあ、シエスタ。お前のひいおじいちゃんが残したのは、この『ゼロ戦』だけか!? 他にも……何かなかったりはしないのか?」「え、そ、そんなにたいしたものは……遺品が少しと、あとは……お墓だけです」「頼む。それを見せてくれ」 そう言って頭を下げた才人に、シエスタはただ困惑するばかりであった。○●○●○●○● ――タルブ村の片隅にある、共同墓地。 シエスタの曾祖父の墓は、その一画に建てられていた。白い幅広の墓石が並ぶ中、ただその『墓』だけが、唯一趣を異にしている。黒い石で造られたそれは、才人には見覚えのある形をしていた。 墓石には、墓碑銘が刻み込まれていた。ハルケギニアのものとは異なる文字で。「ひいおじいちゃんが、死ぬ前に自分で造った墓石なんだそうです。異国の文字で書いてあるんで、村の誰も読めなくって。きっと、ひいおじいちゃんの国の字なんでしょうけど……サイトさんには何て書いてあるか、わかりますか?」 静かに問いかけてきたシエスタに、才人は頷き……答えた。「大日本帝国海軍少尉・佐々木武雄(ササキタケオ)、異界ニ眠ル」 才人の解答に、シエスタは目を丸くした。それは、祖父から聞かされていた墓碑銘の読み方、そのままであったから。「なあ、シエスタ。その髪と目。ひいおじいちゃん似だって言われただろ?」「は、はいっ! よく言われます」「ついでに聞くけどさ、例の『ヨシェナベ』って……もしかして、シエスタのひいおじいちゃんが村に広めたんじゃないか?」「えっ!? ど、どうしてそれを……いえっ、じゃあやっぱり、サイトさんは……!」 震え声で、問いかけるように声をあげたシエスタに、才人は頷き返した。「ああ、そうだよ。俺は、シエスタのひいおじいちゃんと同じ国から、このハルケギニアに<召喚>されてきたんだ。ここに眠ってる佐々木武雄さんが生きていた頃は『大日本帝国』――今は『日本』って呼ばれている、西側に大きな大陸があって……それを挟んだ海のさらに東にある、小さな島国からな」 この答えに、全員が驚きの声をあげた。普段は滅多に感情を表に出さぬタバサですら、驚きを露わにしている。彼女は、とある事実を思い出していたのだ。 太公望が、ハルケギニアにやってくる前に居たという国『周』。そこは、広い大陸の中にある国なのだと聞いていた。そしてタバサは改めて、太公望と才人、シエスタを見た。このハルケギニアでは珍しい、黒い髪に黄色がかった肌と、彫りの浅い顔の造形。瞳の色こそ違えど、彼らの間には、あまりにも共通点が多すぎる。 サイトの国から見て、西側には大陸があるという。目の前にある『竜の羽衣』は、ハルケギニアの東から飛んで来た。 ――でも、サイトの世界には魔法がない。月も、ひとつしかないらしい。 ――けれど、タイコーボーの国には魔法がある。月の数は、わからない。 ――にも関わらず、ふたりとも『竜の羽衣』は間違いなく飛べると言っている。 ――そして。全く同じ時間軸、60年ほど前に現れた『天使の羽衣』『竜の羽衣』というふたつの『羽衣』の名を冠する秘宝。偶然と言うには、正直できすぎている。 わからない。これらが意味するものは、いったいどういうことなのか。タバサは、再び自分の側に立つ太公望の顔に視線を移した。彼は、黙って墓石に視線を這わせている。 静かに考え続けるタバサをよそに、周囲のざわめきは収まることを知らなかった。だが、何かを決意したかの如く紡ぎ出されたシエスタの声により、それらは突如中断した。「皆さん、今日の宿は既にお決まりだったはずですが……もしよろしければ、荷物を置いた後で結構ですので、私の家へいらしてはいただけませんか? サイトさんに、見てもらいたい物と……会ってほしいひとがいるんです」 ――1時間後。水精霊団一同は、シエスタの生家に集合していた。 そこに、シエスタが会ってほしいと言っていた人物――彼女の父親が、驚愕を顔に貼り付けたといった風情で彼らを――中でも、才人の到着を待ちわびていた。 彼は、予定よりも1週間以上早く、愛娘が勤め先から帰ってきたことにも驚いたが……それ以上にシエスタから、「ひいおじいちゃんのお墓に書かれている文字を読めるひとが現れた」 そう告げられたことに衝撃を受けていた。まさか本当に現れるとは思ってもみなかった。だが、実際にやって来たというのならば――その人物にお渡しせねばならないものがある。それが、彼の祖父……つまり、シエスタの曾祖父が残した遺言だったから。 そして彼は、それをそのまま才人に告げた。「本当に俺が、あの『竜の羽衣』をもらってもいいんですか!?」「はい、それが祖父の遺言だったのです。もしも、あの墓碑銘に書かれた文字を読める者が現れたなら、その人物に『竜の羽衣』をお渡しした上で、これをお見せするように、と」 シエスタの父が差し出したそれは。飛行眼鏡(ゴーグル)と、飛行帽。そして、絹でできた白いマフラーに、軍服から外して手元に残しておいたのであろう、階級章。「桜が1個……うん、これ間違いないよ、大日本帝国海軍の階級章だ。たしか、佐々木さんは少尉でしたよね……たぶんですけど、シエスタのひいおじいちゃんは、結構お金持ちの家の出で……おまけに、ものすごく頭がいいひとだった、と、思います」「そこまでおわかりになるんですか!? もしや、あなたは」「いや、親戚とかってわけじゃありません。ただ、この階級章をもらえる地位に就いて、しかもあの『竜の羽衣』を手にするためには、滅茶苦茶難しいテストに合格しなきゃいけないんです。それこそ、年間何千人もいる志願者の中で、たった数人しか受からないような難しい試験に」 シエスタの父も、彼の娘も、驚嘆の色を顔中に貼り付けていた。「確かに祖父は頭のいいひとでしたが、そこまで……」 才人は、自分の知識を総動員してふたりに語り聞かせた。「その試験に合格しなければ入れない『士官学校』を卒業して、ゼロ戦のパイロット……あの『羽衣の使い手』になるまでには、詳しくはわかりませんが、すごくお金がかかるらしいってどこかで聞いた覚えがあるから……シエスタのひいおじいちゃんの家は、きっとお金持ちだったんじゃないかと思った。それだけなんです」 そんなふうに、自分の父へ熱心に説明する彼を見ていたシエスタは、不思議な感慨に囚われていた。貴族さまが、何かの間違いで呼び出してしまったという、自分と同じ平民。のちに、実はミスタ・タイコーボーの国の、とてもえらい貴族さまの妾腹の息子さんだと耳にした。なにか深い事情があって、母親と一緒に、そこからは遠い国……母親の祖国で暮らしていたのだという噂もあった。 ひいおじいちゃんの国と、そのサイトさんのお母さまの祖国が、まさか同じ場所だったなんて。やっぱり魔法は凄い。こんな奇跡を起こしてしまうのだから! シエスタは、ただただ、その『奇跡の邂逅』に驚いていた。「俺のじいちゃんが、昔……よく言ってました。ゼロ戦のパイロットは『大空のサムライ』なんだ。自分たちにとって、憧れだったんだ……って」「それです! そのサムライ……という言葉、祖父も言っていました。でも、私には意味がよくわからなかったのです。よろしければ、教えていただけませんか?」 目を輝かせて続く言葉を待っているシエスタの父に、才人はどう答えようか悩んだ末――こう切り出した。「この国風に言うなら、やっぱり『騎士』だな。祖国と、誇りと、名誉のために戦い抜いた孤高の戦士。俺のじいちゃんが言うには、男子たるものかくあるべし……って、お手本にされるようなひとたちだったらしいです。もっとも俺は、そんな凄い人間なんかじゃありませんから、期待されても困りますけど!」 それを聞いて、最も強い反応を示したのはルイズだ。「ちょっと待って! 大空を舞う騎士ってことは、竜騎士みたいなものってこと!?」「うん、竜騎士の実物は俺、まだ見たことないけど……そういうことになるのかな。シエスタのひいおじいちゃんは、つまり――ハルケギニア流に言えば『竜の羽衣』を纏って戦う騎士だった、ってことだ」 ルイズは本気で驚いていた。あの『せんとうき』のことはよくわからないが、少なくとも竜騎士になるためには、高い資質を持つメイジでなければならないからだ。竜は誇り高く、賢い生き物だ。自分の背に乗せるに相応しい<力>を持つ者かどうかを嗅ぎ分け、資格を持たぬ者を寄せ付けない。たとえ竜に選ばれたとしても、その後の厳しい訓練を経てようやく最強の『空の騎士』になれるのだ。 ところが今、自分たちの側にいるメイドの少女シエスタの曾祖父は、竜騎士のように空を舞い、戦っていたのだという。少なくとも、このハルケギニアではありえないことだ。才人が嘘をついていないのであれば――だが。 しかしルイズは確信を持っていた。今更、彼がそんな嘘をつくことなどない、と。黙って話に聞き入っていた彼女は、改めて才人の出身国である『ニホン』について興味を覚えた。そして思った。今度、もっと詳しい話が聞きたい――できれば、部屋ではなく、いつもと違う別の場所で、他の誰も交えず、ふたりっきりで。 と、そこまで考えたルイズは、どうしてだか顔が熱くなってくるのを感じた。なんで、こんなに胸がどきどきするんだろう? わたしはただ、静かな場所で、サイトと話がしたいと思っただけなのに……。 ――そんなルイズの微妙な心の変化に誰も気付くことなく、部屋での会話は続いていた。「祖父が、ニホンという国の騎士さま……と、いうことは……なるほど。ようやく祖父の遺言の意味がわかりました。祖父は、亡くなる前に繰り返し呟いていたのです。『もしもあの墓碑銘が読める人物が現れたら『竜の羽衣』を渡した上で、こう伝えてくれ。なんとしてでも、これを陛下にお返しして欲しい』と。祖父の言う陛下とは、あなたの国の王さまのことなんですね」「いや、王さまじゃなくて天皇陛下……えっと、こっちでいうと『皇帝』かな? ただ、お祖父さんの言っていた『陛下』はもうかなり昔にお亡くなりになっていて、今はその息子の皇太子殿下が即位して、新しい天皇になってるから……もし、あれを持ち帰ることができたとしても、佐々木さんが言う陛下には、お返しできないと思います」 ――皇帝と天皇は、実は似ているようで全く異なるものなのだが、それを説明すると長くなるので、あえてわかりやすく例えた才人であった。「それは仕方がないことでしょう。なにしろ、60年以上経っているわけですから。しかし、その新しい陛下にお返しするにしても、あれが飛ばないことには……」 困り果てていたシエスタの父に、才人は切り出した。「もしよかったら、あれに触らせてもらってもかまいませんか? 俺なら、どうして『竜の羽衣』が飛べないのか、わかるかもしれません。あれは、俺の国の『武器』ですから」 才人は、思わず左手――指ぬきグローブの下に隠された<ガンダールヴ>のルーンを右手で押さえるようにして、立ち上がった。そう……この<力>があれば、もしかすると本当に理解できるかもしれない。全ての『武器』を使いこなす、ルイズがくれたコイツなら。○●○●○●○● ――タルブの村・羽衣神社。 なんとなしに、そう名付けた才人は、今……『竜の羽衣』の前に立っていた。そして彼の後方で、シエスタと彼女の父と、水精霊団の一同と――村に貴族さまがやってきたという話を聞きつけて、おっとり刀で駆けつけたタルブの村長が、その一挙一動を見守っていた。 深緑に塗られたボディ。翼に描かれた、赤い丸印。これは国籍標識『日の丸』だ。そして黒いつや消しのカウリング(エンジン部分を覆うカバー)に、白い文字で抜き出すように書かれた『辰』という文字。これは佐々木氏が所属していた部隊を示す識別印(パーソナル・マーク)か何かだろうかと才人は考えた。「じゃあ、ちょっと『診せて』もらいますね」 そう宣言した才人は、手袋はそのままに『ゼロ戦』の胴体に触れてみた。途端に、彼の脳内に機体スペックが流れ込んでくる。 ――三菱・零式艦上戦闘機二二型(A6M3)……最高速度540.8km/h(高度6000m) 航続距離/2600km ……武装/7.7mm機銃×2、20mm機銃×2――「うわ。60年経ってんのに、武装全部生きてやがる。魔法ってマジやべえな……」 そんなことを呟きながら、さらに詳しく『竜の羽衣』を調査する才人。その間も、左手のルーンは彼に、ゼロ戦の詳細な操縦法や、その他内部構造などを、鮮明なイメージとして伝えてくる。俺は、間違いなくこれを飛ばせるんだと才人は確信した。 より詳しく調べていくうちに、才人は気が付いた。何故この『羽衣』が飛べないのか。「ガス欠だ……燃料が切れたせいで、飛べなくなったんだよ、この『羽衣』は」「やはり、これは内燃機関でもって空を舞う『飛行機械』であったか」 そのための燃料が切れているということだな? そう問うた太公望に、才人は頷いた。「内燃機関というのは、もしかして、このあいだミスタ・コルベールが授業中に見せてくれた『ヘビのおもちゃ』が、扉から出てくる、あれのこと?」 彼らにそう声をかけてきたのは、タバサだった。それを聞いた生徒たちが驚いた。「そうだよ、あの先生は本物の天才だよ! なんにも無い状態から、この『竜の羽衣』を飛ばすための『エンジン』……それの原型になるものを生み出したんだから! こいつはな、なんと馬の10倍近い速さで飛べるんだぜ!」 目をきらきらと輝かせ、満面の笑みでもってそう宣言した才人。「それは素晴らしい!」と、同じく……こちらは好奇心で瞳をきらめかせた太公望。 そんな彼らの言葉に仰天したのは、その場に残っていたシエスタと彼女の父親だ。彼らふたりは、まさかこの『竜の羽衣』が、そんなとんでもない『秘宝』だとは、想像だにしていなかったのだから、当然だ。これまで、ずっとただのガラクタだと信じつつも、家族の形見だから……と、複雑な思いで寺院を守っていただけだったのだから。 そして水精霊団のメンバーたちも、まさしく開いた口がふさがらない状態となっていた。馬の10倍の速度で飛べる!? それが話半分だとしても小型の『フネ』としては凄まじい性能ではないか。しかも、魔法なしでそれを実現しているとは。おまけにこれは、以前コルベール先生が嬉しそうに披露していた『愉快なヘビくん』と同じ原理で動くのだという。だとしたら、それを無の状態から作り出せたコルベール先生は――。「……冴えない先生だと思ってたんだけど、実は結構すごいのかしら?」 目を丸くしたまま呟いたキュルケに、「うん、あの先生間違いなく凄い!」「コルベール殿は正真正銘の天才だぞ? 彼の教えを受けられるおぬしたちは、幸運だ」 と、断言する才人と太公望。このふたりがそこまで言うならば、間違いないのだろう。そう判断したメンバーたちは、改めて『ゼロ戦』を興味津々といった表情で見始めた。 そして、そんな彼らの反応に満足した才人は、太公望を手招きすると、燃料タンクの元へと歩み寄り、コックを開いてみせた。「ほら見ろ、ほとんど空っぽだよ。ここに『ガソリン』を入れないと、飛べない」「がそりん……ふむ、この感じからすると、相当に揮発性の高い油だな? ただ、これを実際に精製するとなると、相当な技術と知識が必要となると思われるが――技術畑ではないわしには無理だ。おそらくそれを実現できる者は、このハルケギニアにはただひとりしかいないと思うのだが、才人よ……おぬしはどう思う?」 ニヤリと笑って、自分の目を覗き込んできた太公望へ、これまたイイ笑顔で見つめ返す才人。「さすがは閣下、話が早くて助かるぜ。俺も、コルベール先生にしかできないと思う。かといって、先生をここに呼び出すわけにもいかないし……となると、問題は、こいつをどうやって学院まで持って帰るかだよな。いくらルイズと閣下でも、こんなデカくて重いモノ浮かせるのは無理だろ?」「無茶苦茶なこと言わないでよ!」「わしらを殺す気か!」 ……たぶん、ふたりで相当頑張ればできないことはない。いやむしろ、浮かべてさえしまえば『空飛ぶベッド』以上に安定すると思うが、色々な意味で死ねる上に面倒この上ない。即座にそう判断した太公望と、絶対無理だと即断したルイズが声を張り上げた。「と、いうか……本当にこれ、俺がもらって帰ってもいいんでしょうか?」 ひょこっと神社の内部から顔を出し、シエスタの父とタルブ村長の顔を見つめて問うた才人に、彼らは笑顔で頷いた。「私たちでは『竜の羽衣』を生かすことができません。これを持ち込んだ祖父と同じ国からやってきたあなたがお持ちになるのが、いちばんでしょう」「そもそも、これは大きすぎて管理するだけでも大変でしたからな」「ありがとうございます! じゃあ、遠慮無く戴いていきます」 頭を下げた才人に、シエスタの父と村長は微笑んだ。「どうやら話は決まったみたいだね。なら、このあとすぐに父上――グラモン元帥宛てに伝書フクロウを飛ばして、運送専門の竜騎士隊を出してくれるよう頼んであげるよ。ただし、彼らに運搬費用を払ってもらう必要があるが、それでもかまわないかね?」「ああ、そういうことならば経費で落とそう。これは、わしら水精霊団にとって、のちのちまで役に立ってくれる……そんな予感がするからのう」 ギーシュの申し出に、太公望が頷いた。「サイト殿。では、これも一緒に大空へ持っていってやってください。そのほうが、祖父も喜ぶでしょう」 シエスタの父親は、後ろに控えていた娘に笑顔で頷くと、祖父の遺品を才人の元へと持って行かせた。佐々木氏が身につけていたたゴーグルと飛行帽、絹でできた白いマフラー。そして帝国海軍少尉の階級章を。 それを見た才人はふたりに対し、日本流の敬礼をした。と――シエスタの父は、満面の笑みでもって敬礼を返してきた。おそらく、彼も祖父である佐々木少尉に教わっていたのであろう。才人のように。「この村へ来るときに見ました。あの草原……あそこなら、きっとこの『ゼロ戦』を着陸させることも……たぶん離陸もできると思います。だから、この『羽衣』がまた飛べるようになったら、真っ先に、その姿を見せに来ます!」 そう言って才人は、前へ進み出てシエスタの元へ近寄っていった。「シエスタも、このあと……夏休み中はずっとここにいるんだろ? もし、それまでに間に合ったら、お前のひいおじいちゃんが残したものがどれだけ凄いのか、この村からしっかりと見てやってくれよな!」「はいっ! 私……ここで『竜の羽衣』が飛んで来る日を待ってます。それと……もしよかったら、是非一度、乗せてくださいね!」 そう言って笑ったシエスタの手から、佐々木氏の形見を受け取った才人は、早速飛行帽を被り、マフラーを巻き、ゴーグルをつけてみせた。そして、彼が建物の外へ出たその瞬間。赤い夕日が――あの『ゼロ戦』に描かれた丸い印と同じ色をした輝きが、すっと頭上を照らし……それを反射したゴーグルのレンズが、眩い光を放った。 ――60年という永き時を経て。異界ハルケギニアより、新たなる『大空のサムライ』が生まれようとしていた――。