――救出作戦開始数日前。帝政ゲルマニアの首府・ヴィンドボナ。 『土くれ』のフーケ――今は、かつて魔法学院の秘書として振る舞っていた時の名前である『ミス・ロングビル』を名乗っている女性は、鏡の前に立ち、ため息混じりに呟いた。「身の安全のためと、わかっちゃいるんだけど……やっぱり、違和感があるねえ」 かつて、初夏の新緑のようであったつややかな緑色の髪は、仕事の準備の為に赤みの強い茶色へと変化していた。『魔法の染料』で、ゲルマニア人に多い赤毛に染めたのである。 これで、さらに肌を小麦色に染める、あるいは焼けば完璧にゲルマニアの人間にしか見えなくなるのだが、指示書にはそこまではしなくてよいという注釈がついていたので、ロングビルはそれに甘えることにした。 そして、髪を梳き、最近ゲルマニアで流行しているアンティーク調の洒落た髪留めでアップにまとめると、それだけでこれまでの自分とは全く別人のように見えた。今の姿は、まるで『裏の仕事』をしていた頃のようだ。「つまり、それだけ重要かつ難しい仕事ってことよね。今回の依頼は」 これまた普段とは異なる上品な銀縁の眼鏡に、首元には同じく銀の細工物をあしらった皮ごしらえのチョーカーをつけ、唇に薄くルージュを引いた鏡の中の『別人』は、妖艶に微笑んでいた。 そう……彼女は、期待をしていたのだ。これまで彼女の上司である太公望は、彼にとって何か重要な情報を送った、あるいは通常よりもちょっと難しい依頼をこなした後、決まって『ボーナス』と称した追加料金を支払ってくれていたから。しかも、最初にボーナスが支払われた際に、『今後も、こういった特別な仕事を依頼した場合は、給与とは別に追加料金を支払う』 と、いう契約書と、仕事の難易度別に、より具体的な金額を記した追加料金表つきの一覧を送って寄越してきたのだ。これで俄然やる気になったロングビルは、これまで以上に精力的に仕事をこなすようになっていた。「風竜3頭の手配に、手紙の中継。それと、送迎及び護衛。よっぽど重要な『荷物』らしいねえ……中身は詮索しないけど、これは期待ができそうね」 ロングビルは、小さく呟いた後……小机の上に置かれた紙束へ目を落とし、いつもの彼女からは想像もつかないような、柔らかな微笑みを浮かべた。「良かった。これで、あの子たちへの仕送りが増やせるわ」 紙の上には、たどたどしい筆跡が踊っている。この手紙の送り主たちこそが、彼女が大勢の貴族を敵に回してまで<マジック・アイテム>を盗み続けてきた最大の理由だ。「ふふッ、みんな元気にしているようだね……」 ロングビルの脳裏に、故郷に残してきた家族たちの顔が浮かび上がる。小さな森に囲まれた、貧しい村。そこでは、10名を越える子供たちとロングビルの妹とが肩を寄せ合い、つつましい生活を送っている。 彼らのほとんどは、戦災孤児だった。『白の国』アルビオンで現在進行形で起きている、一部貴族たちと王家との間に起きた戦争により、家族と住処を奪われた者たちだ。ロングビルは彼らを引き取り、育てているのだった。 子供たちはみな幼く、仕事の口がない。ロングビルの妹には特殊な事情があり、村の外へ出ることができない。つまり、家族の中で働けるのは、唯一ロングビルだけ。彼女がたくさんお金を稼ぐことができたなら、それは子供たちと大切な妹に、人並みの生活を送らせてやれることに繋がる。「最近は、みんな三食しっかり食べられるようになった。おまけに、全員分の新しい服まで作れたのかい。本当に、新しい上司さまさまだ……って、今までだったら素直に喜べたんだけどねえ……」 そう呟き、はあっと大きなため息をついたロングビル。ようやく軌道に乗り始めたと思えた新しい生活に、またもや陰りが見えはじめているのだ。「『レコン・キスタ』……か」 最近になって、ここゲルマニアにも噂が届くようになったその集団は、なんでも、 「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて結びついた有能な貴族の連盟であり、頼りない現王家の代わりに『聖地』を取り戻す旗頭として、世界に革命を起こす」 ……などと嘯いているらしい。 そもそも、ブリミル教の信者にとって『聖地』とされる場所は、エルフたちに奪われてから既に数世紀以上の時が流れている。ハルケギニアの王族たちは、幾度となく連合軍を率いて『聖地』を取り戻す努力をしてきたが、そのたびに無惨な敗北を喫している。なにしろエルフたちの繰り出す<先住魔法>は強力無比で、彼らの文明も、人間たちのそれより数世代は先に進んでいるのだ。闇雲に戦いを挑んだところで、勝てるはずがない。 王族だけではなく、ハルケギニアに住まう人間たちはみなエルフを畏れ、彼らに挑むことの愚を学んできた。現にここ数百年間『聖地奪還運動』の気運は影を潜めている。にも関わらず『レコン・キスタ』は再び立ち上がろうとしているのだ――その手始めとして、ロングビルたちの故郷である『白の国』アルビオンの『王権』を打破すべく、彼らはアルビオン国王の王弟モード大公粛正をきっかけに反乱を起こした貴族たちと手を結んだのだ。 ロングビルは、遠い過去に思いを馳せた。彼女の本名はマチルダ・オブ・サウスゴータ。アルビオン最古の都市サウスゴータ太守の娘であった。彼女の両親は、モード大公粛正の折に、大公と彼の家族を匿ったとして連坐責任を問われ、断頭台の露と消えている。 世が世ならば、ロングビル自身も『レコン・キスタ』に身を投じ、彼女とその家族たちを今の境遇に貶めた、憎きアルビオン王家に復讐するために立ち上がっていたかもしれない。だが、今のロングビルには守るべき者たちがいる。間違ってもそんな真似はできない。「今はまだ戦況が膠着しているみたいだけど、この先どうなるかわからないし――できることなら、あの子たちをこの国へ呼び寄せたい。だけど、色々と問題が……」 と……そこまで考えて、ロングビルはふと思いついた。駄目元で、上司に現状を報告し、相談してみようか、と。あの切れ者ならば、ひょっとすると自分には思いつかないような、いい手を考えてくれるかもしれない。「もし、それを実現してくれたなら……わたしは、彼に生涯の忠誠を誓っても構わない。やれと言われた仕事なら、たとえどんなものでもやってみせるわ」 わたしのような者をも抱え込んだ、懐の深い彼ならば――『妹』の持つ特異性を理解した上で、良い案を出してくれるかもしれない。その考えに望みを賭け、ロングビルはペンを取ると……詳細な『相談事』を羊皮紙に記し、伝書フクロウへと託した。 ――その後、全ての支度を終えた彼女は、改めて上司から指定された場所へと赴くべく、これも上品かつ目立たない色のマントをその身に纏い、隠れ家を後にした――。○●○●○●○● ――そして救出作戦当日の夕食後、タバサの部屋。「あの『土くれ』のフーケを雇ったですってェ!?」 そこには、驚愕の叫び声が響き渡っていた。もちろんそれは、タバサが展開していた<サイレント>の効果によって、外に漏れ出るようなことはなかったわけだが。「ククク……そうだ。国の上のほうに『交渉』を持ちかけてな。所謂『政治的取引』というやつだよ」 邪悪と呼んで差し支えない笑みを顔に貼り付けたまま、そう嘯く太公望に、キュルケ、そして彼のパートナーたるタバサは、驚きと畏れがないまぜとなった顔を向けた。「フーケは、チェルノボーグの監獄へ送られたはず」 タバサが震え声でした質問に、太公望はまるで息をするような気軽さでもって答えた。「ああ、その通りだ。だが『蛇の道は蛇』といってな。『裏』には、色々な世界が広がっておるのだよ。そして、そこでは様々な事件が、つねに発生しておるのだ」 その言葉が発せられた直後、窓から差し込んだ双月の淡い光が、椅子に腰掛けていた太公望に昏い影を落とす。タバサとキュルケの目に飛び込んできたその影が、一瞬『闇の衣』のように見えたのは、ただの錯覚であったのだろうか――。「実はな、多額の賄賂を受け取って贅沢三昧していた証拠だの、王家から請け負っていた役目をおろそかにしていただのといった取り返しの付かない失態の証拠が、突然わんさと表に出てきてしまった、気の毒かつ愚かな貴族がいるらしくてのう。本来ならば、フーケが入っていたはずの牢屋の中へ、代わりにぶち込まれておるらしいのだ。その証拠に、これまで彼女が既に逃亡したなどという噂は、一切表に出てこなかったであろう?」 そう言ってクツクツと小声で嗤う太公望を見て、タバサは文字通り頭を抱えてしまった。有能な情報斥候を雇ったという報告を受けてはいたが、まさかそれが、自分たちの手で捕らえた『土くれ』だとは、思ってもみなかったのだ。いや、普通なら想像すらしない。 しかも、彼が『裏』から手を回した結果、あの難攻不落の牢獄にして、平民たちは勿論のこと、貴族からも畏れられている『チェルノボーグの監獄』から彼女を脱獄させた上に、それを悟らせてすらいないとは。おまけに、いつのまにかトリステイン王国の上層部との繋がりまで持っている……。 ――そういえば。と、タバサは思い起こした。確か、彼は師匠の元で『政治学』を学んだと言っていた。今まで見てきた『交渉術』や今回の『仕事』の段取りなどは、そこで身に付けたものなのだろう。だとすれば、彼の先生は相当に優秀な人物だ。王宮に出仕せず、そのまま師の元で学び続けたかったいう彼の気持ちも、理解できようというものだ。「『ある意味最も敵に回したくない男』って二つ名は、伊達じゃないってことね」 青い顔で呟いたキュルケに、タバサは心の底から同意した。彼女のパートナーは、味方に対しては驚くほど義理堅い面を持ち、争い自体も好まない。実力さえあれば、今回のフーケのように、一度敵対した者すら取り込む度量をも持ち合わせている。 だが、一度『攻撃対象』と認識した相手に対しては、たとえそれが女子供であろうとも、一切容赦しない。例の『防御壁事件』で、タバサとキュルケのふたり共に、その身でもって理解している。おそらく、その『愚かな貴族』とやらは『平和的交渉』を持ちかけた彼の、まるで無邪気な少年のような見た目と振る舞いに騙され、侮った結果――そのような事態に追い込まれたのだろう。 ――彼を敵に回すような真似だけは、絶対にしてはいけない。タバサとキュルケは、揃って固く心に誓った。 ……実際のところ『国の上のほう』とは国立トリステイン魔法学院の長のこと。よって、太公望は嘘をついているわけではない。そして『政治的取引』の相手はというと、その学院長たるオスマン氏を指し――『交渉』はフーケ本人と直接行ったものである。その彼女を実際に逃がしたのはチェルノボーグの監獄へ送られる道中で、しかも実行犯は太公望ではなくオスマン氏だ。 そして『愚かな貴族』とやらは、ある意味自業自得で転落人生を歩んでいるだけであって、彼の処遇に関して、太公望はもちろんのこと、フーケも、そしてオスマン氏も一切手を出してはいない。これは『言い方ひとつでここまで持たれる印象が変わる』という好例――いや、悪い例の最たるものであろう。「そういうわけで、今回の『救出作戦』には彼女――『ミス・ロングビル』に参加を依頼しておる。一見してわからぬよう、変装をしてもらっておるが、おぬしたちの眼力ならば一発で正体を見抜くであろうから、先に情報を開示することにしたのだ。いざという時になって争いになったりしたら、目も当てられぬからのう」「まあ、確かにあたしたちなら……ね」「その情報開示については理解できる」 納得したとばかりに頷くキュルケとタバサ。確かに、かの大怪盗『土くれ』が、逃亡計画に協力してくれるというのは非常に心強い。 実際、あの『破壊の杖盗難事件』の折に太公望が居合わせなかったら、最悪の場合『破壊の杖』を盗まれるだけに留まらず、死人が出ていた可能性すらあったのだ。それほどの実力者がこの大事に味方になってくれるというのは、今のタバサにとっては千人の兵を得るよりも有り難いことだった。「でだ……彼女の件についてはこれでよいとして、今夜、双つの月が真上に到達する時刻より作戦行動に移るわけだが……タバサよ、おぬしが現在偵察に出している<遍在>の様子はどうだ?」「1体目『スノウ』は、予定通り昨夜のうちに、誰にも見られることなく『目標』と接触することに成功。周囲に見張りはいないが、警戒は怠っていない。2体目『フレア』は、風竜到着第一ポイントにて近隣を哨戒中。現在異常なし。何かあったらすぐに報告する」 昨日決めたばかりの『暗号名』、それもタバサ本人とキュルケのそれを<遍在>に利用している。そして、タバサの淀みない答えに満足した太公望は黙って頷くと、続いてキュルケに向き直った。「おぬしは、今回の作戦の『鍵』だ。フォン・ツェルプストー領内までは、3体の風竜を乗り継いで、かつ直線ではなく特別な航路をとって移動する」 真剣な表情で頷くキュルケ。それを見た太公望は、さらに説明を続けた。「これは、風竜の手配先をそれぞれ分けることにより、逃亡ルートをできるだけ割り出されないようにするための措置だ。そのぶん時間がかかるため、道中辛い思いをさせることになるであろう。にもかかわらず、それをわかった上で協力してくれることに感謝する」 そこまで告げると、太公望はキュルケに頭を下げた。タバサも、彼と同様に礼をする。そんなふたりを見たキュルケは、どこか困ったような笑みを浮かべた。「いまさら、何を言っているのよ。親友を助けるのに、理由なんて必要ないでしょう? お父さまも、あたしの行動を喜んでくださったわ。だからこそ別荘なんかじゃなくて、うちの屋敷の一角を提供してくれたのよ。だからといって、哨戒兵を増やすような真似もしていないわ。普段と違う行動をしたら、怪しまれるものね」 キュルケがクスリと笑ってみせると、太公望は改めて彼女に一礼し、タバサは……彼女がこれまで一度も見せたことのなかった、晴れ渡る空のような笑顔でもってそれに応えた。「ある意味、この顔を見られたのが今回最大の報酬かもしれないわね」キュルケは、内心密かにそう思った。「さて、それでは作戦開始後の行動についてだ。タバサは<遍在>でなんとかなるが、キュルケの不在については隠しようがない。下手に病気などと偽って、見舞いが来ても面倒だ。よって、戻ってくるまで『知人が突然倒れた。父からその報せを受け、慌てて見舞いに出かけた』という設定で行動する。内容を聞かれた場合は、先住魔法の使い手によって呪われたらしい、ということにしておいてくれ。学院を休む旨の報告は、紙に『急いで親元へ行かなければならない』とだけ書いて、わしに託して欲しい」「ずいぶんと具体的だけど、当然理由があるのよね?」「もちろんだ。これは、ヴァリエール領での歓待が終わった後、おぬしの実家へ移動するための『言い訳』として使う。あくまで、移動理由について訊ねられたとき、あるいは何らかのトラブルが発生した場合に限るが。その場合、わしが<解呪師>だという話を出すので、覚えておいてくれ」「解呪師? それって何かしら」 キュルケの疑問に、即座に答える太公望。「タバサには既に説明してあるが、同盟軍が敵対していた帝国にはな、先住魔法の使い手たる妖魔たちが大勢いたのだ。そのため<魅了>や<呪縛>といった人為的な呪いに対抗するための手段が数多く存在する。わしは、そのうちのいくつかを習得しておるのだよ」 その太公望の言葉に、タバサが補足する。「実際、彼の腕は確か。母さまが飲まされた『魔法薬』の効果を取り除く方法は、数千年分の蔵書がある『フェニアのライブラリー』でも発見できなかった。にも関わらず、彼は簡単な診察だけでその原因と対処法を発見した上に、既に治療の準備まで開始してくれている。例の『惚れ薬』についても、もしも彼以外の人間が飲んでいたら、秘薬なしで<解呪>できたと聞いている」「うそッ! それ、本当なの!?」「うむ。おかげで150エキューも損をしてしまったわ。まあ、自業自得なのだが」「そう。そういうことだったの……」 キュルケは、なんだか納得できてしまった。彼がタバサの<召喚>によってこの地へやって来たのは『事故』なんかじゃない。タバサの強い願い――お母さまを助けたいという思いが奇跡を生んだのだ、と。やっぱり『運命』なんじゃないの、このふたり……。 ――これにより、彼女の中で燻っていた『葛藤の炎』のうちの一柱が、完全に消えた。「でだ、キュルケと共についてゆくのは『スノウ』とする。本当ならば、タバサ本人が一緒に行きたいであろうし、キュルケのご実家に対し礼儀にもとる行為ではあるのだが……この先は、言わずともわかるであろう?」「ええ、もちろん」「もしも移動中に『任務』で呼ばれたら、言い訳ができない」 ふたりの解答に、真顔で頷く太公望。「その通りだ。よって、タバサ本人については、わしと共に学院に戻ってもらう」「事情の説明は、このあたしに任せて。だいたい、お父さまはそんな理由で怒るようなひとじゃないわ」 そして3人は、その後さらに詳細な計画を練り、話し、確認しあうと――行動に移った。○●○●○●○● ――刻は動き……深夜、トリステイン国内・風竜到着第一ポイント。「ちょっとミスタ、大丈夫!?」「う、うむ……少し息を整えれば大丈夫だ」 ラグドリアン湖から約3リーグほど離れた場所にある森の中の、少し開けたポイントまでほぼノンストップ――しかも、ふたりという『大荷物』を抱えて飛んできたのだ。タバサに<エア・シールド>である程度向かい風への対策を手助けしてもらってはいたものの、さすがに重労働だったのだろう。太公望は、血の気が失せたような顔をして、おまけに肩で息をしている。「まあ、このために『ここ』を中継地に選んだのだ」「ここを、選んだ?」 顔に疲れの色を出しながらも、ニヤリと笑って『打神鞭』を掲げた太公望は、その握り手部分にある丸いボタンをポチッと押す。すると、ポンッ! というちょっと気の抜けたような音と共に、先端から1枚の『旗』が現れた。「きゃっ!」「それは?」 突然現れた『旗』に驚くふたりへ、悪戯が成功して喜ぶ子供のような顔で答える太公望。「フフフ、かっちょいいであろう? これは『霊穴』からエネルギーを吸い取って、あっという間に<力>を回復してくれる『杏黄旗(きょうこうき)』という魔法具なのだ」 ……かっこいい……のかしら? おまけに<力>を回復……!? そんな疑惑に満ちた目で『旗』を見ていたキュルケであったが、その『旗』をひらひらさせていた太公望の顔色がみるみるうちに良くなっていくのを見て、仰天した。「なによそれ! とんでもなく価値のある<マジック・アイテム>じゃないのよ! その旗を売るだけで、お城が建つわよ!?」「ほう、そうなのか? まあ、わしはこの『旗』を手放すつもりなどないがのう」「でしょうね」「とはいうものの、ちと大きな副作用があるので、多用はできぬのだ」「副作用とは?」「ああ、反動でな……以後1週間ほど<力>が極端に低下してしまうのだ。その間は、当然この『杏黄旗』は言うに及ばず『瞑想』での<蓄積>すら不可能となる。便利なものには、それなりの代償が必要……というわけなのだよ」 ……実はそんな副作用などないのだが、さらりとハッタリをかます太公望。もちろん、多用させられてはたまらないという意味で、そんなことを言っているのである。なにせ身体の疲れ自体は、この宝貝では取れないのだから。 ちなみにこの宝貝『杏黄旗』本来の効果は『<生命力エネルギー>を特定の場所から取り込み、自分のものへと変換。強大な<力>に換え、より大きな事象を発生させる』というものである。 念のため、太公望は前もってここ『ラグドリアン湖』と『魔法学院』の両方で効果を試してみたところ、学院を対象として選んだ際には残念ながら発動せず、この湖では機能を発揮した。おそらくだが、このハルケギニアの地においては<星の意志の力>を特に強く宿す場所から、その<力>を取り込むことができるのだろうと彼は結論していた。「……さて、待ち人が来たようだのう。素晴らしい、時間ぴったりだ」 ――振り仰ぐと、空の上から一頭の風竜が舞い降りてきた。「あら、お嬢ちゃんたち、お久しぶり……と、いっても驚いてはいないみたいね」 以前とは全く別の姿に変貌を遂げた『土くれ』のフーケことミス・ロングビルは、タバサとキュルケのふたりへ、にこやかに微笑んで見せた。どうやら上司から前もって説明を受けているようだね。さすがに抜かりがないわ……と、ロングビルは、内心で舌を巻いた。「あなたのことは、彼から聞いている。今日はよろしくおねがいします」 そう言って、タバサはペコリと頭を下げた。続いて、キュルケも。「ふふッ、ちゃんとそこの彼からもらうものはもらってるから、気にしないでちょうだい。それにしても、貴族の娘のあんたたちが、わざわざ頭を下げるなんてね。わたしも偉くなったもんだわ」 思いもよらぬ、ロングビルの柔らかな声にタバサは驚いた。『土くれ』は仮の姿で、実は……これがこの人物本来の姿なのではないだろうか……と。 かたやキュルケのほうはというと「例の女将軍といい、ルイズのお姉さんと盛り上がっていたことといい、このフーケの姿といい……ミスタって、やっぱり知的な女性がタイプみたいね。それなら、タバサは充分資格ありだわ。あと何年か待てば――っていう条件つきだけど」などという、相変わらず場にそぐわぬ感想を持っていた。『恋愛を至上』とするツェルプストー家にとって、この程度は通常運転に過ぎない。 タバサはともかく、キュルケからそんな感想を持たれているなどとはつゆとも知らぬ太公望は、早速ミス・ロングビルに労いの言葉をかけていた。「苦労をかける、ロングビル。では、これから『目標』を回収してくるので、ここでキュルケと共に待っていてくれ」 その言葉に、全員の緊張が引き締まった。「承知しましたわ、ご主人さま」「ふたりとも、気をつけてね」 頷いたふたりは、揃って空へと舞い上がった。なお、この間周囲警戒のために『フレア』が第一ポイントと屋敷の中間地点を見張っている。「周辺、異常なし」「おなじく、このあたりから怪しい気配は感じられぬ」 互いに警戒しながら屋敷へと向かったタバサと太公望。そして、彼らを見送ったキュルケとロングビルは、同じく辺りに注意しつつ、それぞれ全く別の意味でふたりの無事を祈り、その帰還を待った――。○●○●○●○● ――オルレアン大公邸に無事到着した太公望とタバサは、老僕ペルスランに客間のホールへ通されてすぐに、脱出のための準備を開始した。 ホールのソファーでは、既に『スノウ』の<眠りの雲>によって眠らされたオルレアン公夫人が、静かな寝息を立てていた。 母親を起こさぬよう、慎重に指先へほんの少し傷をつけて、血をひとしずく手に入れたタバサは、太公望が持ってきた特別製の『小さなガーゴイル』1体に、入手した血を垂らす。それから彼女は、幼いころから忠実に自分たち家族に仕え続けてくれた老僕から血液をもらうと、同じように処置を行った。 すると、2体の人形は少しずつその姿を変え……やがて、夫人と老僕そっくりになった。「では『新しいペルスラン』殿。これからの仕事についてはわかっておるな?」 『新しいペルスラン』と呼ばれたガーゴイルは、深々と一礼した。そのお辞儀の仕方は、本人と寸分違わず。そこに宿る一部の『魂魄』までもが生き写しであった。 そもそも、ロドバルド男爵夫人が造ったこの特別製のガーゴイルは、太公望の『本気』の眼力を持ってしても若干の違和感程度しか覚えられず、彼自身が直接触れてみて、はじめて身体に宿る『魂魄』の儚さを感じ取り、ようやくその正体に気がつけた程に精巧な『人形』なのだ。到底ハルケギニアのメイジに正体を見破れるようなシロモノではない。「『新しい奥方さま』は……すまぬ、タバサ」 タバサは、すぐさま『彼女』に<眠りの雲>の呪文を唱える。悲しいまでに『人形』のそれは『魔法薬』の症状が現れているときと同じ。つまり、これまでと変わらぬ状態であったから……。 ある意味誤魔化しやすくはあるのだが……タバサには、辛い思いをさせてしまったのう。小さくため息をついた太公望は、眠ってしまった『新しいタバサの母』を寝室へ運び終えた後、改めて全員に対し、素早く指示を行った。「よし、ここからが本番だ。タバサよ。外へ出たら『スノウ』と共に<フライ>でそれぞれ一人ずつ手を取り、浮かび上がれ。できるだけ広がりすぎないようにしてな。それをわしが引っ張って、第一ポイントまで全速力で連れて行く」 屋敷へ来るまでの間、ふたりの間では既に何度も確認した内容だ。つまりこれは、どちらかというと老僕ペルスランに対しての説明である。「『新しいペルスラン』殿。おぬしたちにとって本来食料は必要ないであろうが、これまでと変わらず入手し、消費してくれ。もし可能であれば、そのうちの一部は保存のきくものとし、屋敷の奥に貯蔵しておくのだ。敵に違和感を与えない程度の少量をな。また、生活習慣についても一切変えることなく行動してほしい。ここで変化を見せると、王家に気取られてしまう可能性があるからの」 我々も、これから時折顔を見せる。その時も、普段と変わらぬ対応を頼む。そう頼んだ太公望とタバサに対し『新しいペルスラン』は簡潔に答えた。「承知致しました」 そして深々と頭を下げた『彼』へ頷き返した太公望は、屋敷内で最後の指示を出す。「外に気配はない。さあ……出発だ」 愛する母を抱え、太公望の手を取り空へと舞い上がったタバサは、一度も後ろを振り返らなかった。ただ、謝罪し……そして願った。『ガーゴイル』に置き換わった『新しい母』の手元に残してきた、小さな人形――今は自分と名前を交換し『シャルロット』と呼ばれているその娘に。 ――母さまは必ず救ってみせる。だから、どうか……わたしたちの身代わりとなってくれた、そのひとたちを守ってあげてください……。 そして、この夜から……オルレアン大公邸宅は、完全なる人形屋敷となった――。○●○●○●○● ――タバサたちが、オルレアン大公邸宅を後にしたのと、ほぼ同時刻。 ガリア王国の首都・リュティスの中を流れるシレ川の左側に建つ巨大な宮殿ヴェルサルテイル。その一角に位置する特に大きな建造物『グラン・トロワ』。 ガリア王族の象徴たる『青い髪』にちなみ、それと同じ色の煉瓦によって造られた宮殿の一番奥に位置する部屋に、青みがかった髪と髭によって彩られ、見る者をはっとさせるような美貌を持つ――ガリア王国千五百万の頂点に立つ人物が居た。 今年で45歳になるはずであったが、未だ30過ぎ程度にしか見えないその男――当代のガリア国王ジョゼフ一世が、王の執務室に設置するには相応しくない物の前に立ち、にこやかに笑っていた。 部屋中に所狭しと置かれたそれは、差し渡し10メイルはあろうかという、巨大な箱庭。国中から腕利きの彫金師を集め、数ヶ月以上の時をかけて造らせた、ハルケギニア全土を模した壮大な模型であった。その上には、錫や銀で作られた将棋(チェス)の駒がずらりと並べられ、まるで本物の軍勢よろしく配置されていた。 そして国王のすぐ側には、美しく長い黒髪と、紅く晄る瞳を持つ……まさしく妖艶という言葉を体現しているといって差し支えない、艶めかしい女性が控えていた。「おお、女神(ミューズ)よ。余の愛しいミューズ! その話はまことか!?」「はい。まさかこのハルケギニアで彼の名を聞こうとは、思いもよりませんでした。イザベラさまからの報告書を拝見した際には、まさかと思いましたが」「ふむ、新たな『指し手』となる可能性がありそうだ。少しは楽しませてもらいたいな! だが今は、作りかけであった『碁盤』が、ようやく完成したばかりなのだぞ? いやいやいや、これは困った。まったくもって困ったものだ!」 ジョゼフ一世は、心底参ったといったような表情で、目の前に置かれた箱庭を見た。そこには、ひとつの島――その上に建つもの全てを精巧に再現した模型が配置されていた。その島は『白の国』『風の王国』とも呼ばれ、世界に宿る<風の力>の結晶<風石>によって天空に浮かぶ巨大な陸地――『アルビオン大陸』だった。「だが、そんな困りごとならば、余はいつでも大歓迎だぞ! それに、どうせ果実をもぎ取るならば、きちんと熟れてから行ったほうが、より美味しく食べられるというものだ。違うか? ミューズ」 ミューズと呼ばれた黒髪の女性は、その問いに妖艶な微笑みをもって応えた。「それに、成長の途中で多少の障害を与えたほうが、より甘みを持つ。まずは、例の屋敷を見張る者たちの質を上げておいてやるとするか。それと……最近、どうも面白い遊び相手を手に入れてはしゃいでいる様子の我が娘に、この父が! 自ら指示を出してやるとしよう」 そう言って手を出したジョゼフの手に、黒髪の女性は指示を記載するための紙とペンを差し出した。それらを受け取った国王は、そこに何事かをさらさらと書き記すと、呼鈴を鳴らして伝令兵を呼び出し――指示書を手渡した。 ――そして、その伝令兵がイザベラの部屋へと向けて移動を開始しはじめた頃。 ある意味、間一髪。見張りの『質』が上がる直前に『作戦行動』に移ることができたタバサたちは、無事第一ポイントへ到達すると、彼らの到着を今は遅しと待ちこがれていたふたりと1体の前へと降り立った。 そして、一路ゲルマニアへと『逃避行』を開始しようとしていた一行が、第二ポイントへ向かうべく離陸する直前。太公望は、信頼を寄せている己の情報斥候たるミス・ロングビルへ向けて、こう告げた。「頼まれた例の件についてだが、おぬしが無事この仕事を終えて『宿』に到着する頃、あの『仕事』にかかる前に必要なマニュアルが届くよう、既に手はずを整えてある。それにかかるであろう費用も併せて、だ。つまり……絶対にこの仕事を成功させてくれ。頼んだぞ」 それを聞いたロングビルの目が大きく見開かれ……そして彼女は、力強く頷くと……風竜の手綱をとり、彼らから託された者たちと共に、空高く舞い上がっていった。○●○●○●○● ――翌朝。『王天君の部屋』の中で。そこの主たる者と、彼のパートナーは、与えられた『指示書』を見て呆然としていた。「オメーの親父……ずいぶんとおっかねぇなぁ、オイ」「なるほど。これは、確かに効果的な『鎖』よね」 王天君は、ニイッと口の端を歪めた。さすがは、一国の王……しかも、これだけ栄えている国の長だ。考えることが、実にえげつねぇぜ。ひょっとして、オレの存在にも気が付いてんじゃねぇか? おぉ、怖い怖い。せっかくぐうたらできる生活を手に入れたと思った矢先に、こんなのを相手にするハメになるのかよ、太公望ちゃんは。「まぁ、身から出た錆ってヤツだ。ククッ……せいぜい頑張ってくれよな」「どうかしたの? オーテンクン」「いや、なんでもねぇよ。さ、とっととソイツを送りつけてやんな」「ええ、もちろんそのつもりよ。でもね……これを見たふたりがどんな顔をするのか、すぐ側で見られないのが本当に残念だわ」 そう言って、しょんぼりとした――だが、口端が微妙に上がった顔を見せたイザベラに、王天君がこれまた実に無念そうな――しかし、その目に実に愉快げな色を湛えた表情でもって答えた。「下手に『繋ぐ』と、アイツに気取られる可能性があるからよぉ……ここはぐっと我慢しねぇとな。正直、オレだって現場が見たいんだ」 そう言ってニヤリと嗤った王天君に、イザベラも嗤い返す。そして彼女は、問題の『手紙』を出すために伝書フクロウを手配させた。 ガリア国王ジョゼフ一世が自らしたためた指示書にして、太公望へ宛てた『親書』。そこには、こう書かれていた。 ………… ――我が姪、シャルロットが起こした『召喚事故』により、貴君にはまったくもって大変な迷惑をかけてしまった。 にも関わらず、不出来な姪を影から支え、その<技>でもって困難な『任務』を達成するに至った貴君に報いるため、我がガリア王国における『騎士(シュヴァリエ)』の地位、及び勲章を授ける。 我が姪とその家族のためにも、是非ともこれを受けていただきたい。なお、先行して略章のみで申し訳ないが、この手紙に同封するので、早速身につけてくれたまえ。きっと貴君に似合うものと思う。 配属については『北花壇警護騎士団』とするが、貴君が既に知っての通り、これは表向き存在しないとされている騎士団であるため、通常は『東薔薇花壇警護騎士団』へ所属している旨、宣言することを差し許す。もちろん、そのための席次及び、騎士団章も用意する。 正式な受勲及び両団長への面通しのために、是非一度こちらへ出向いてくれたまえ。日時は追って連絡する。現在の東薔薇花壇警護騎士団団長は、若いがなかなか見所がある男だ。期待してくれて問題ない。 なお、魔法学院内及び、公式の場、並びに他家に訪問する場合において着用するマントについて『騎士』を示す刺繍を必ず入れた上で、服に『ガリア王国・東薔薇花壇警護騎士団』の騎士団章あるいは略章を身につけること。このあたりの『規則』に関する詳細はわが姪に聞いてくれれば理解できることかと思う。ただし『北花壇騎士』としての任務中及び、それ以外の場所で身につけるものについては貴君の自由とする。 側にいる友人たちに自慢するためにも、是非とも服とマントを新調してくれたまえ! そのための費用は、当然のことながら送金させてもらう。 遠く東の大陸よりハルケギニアへと来訪された、親愛なるミスタ、リョボー・タイコーボー・シュヴァリエ・ド・ノールパルテル(北花壇騎士)へ――ガリア国王・ジョゼフ一世