――刻は、ふたたび数日前まで遡る。 その日。ラグドリアン湖から帰還し、太公望が元に戻った後。自室へ戻ったルイズは、激しい自己嫌悪に陥っていた。 あのとき、自分が考え無しに「エルフ」などと口走らなければ、状況はあそこまで悪化しなかっただろう。タバサが途中で気付いてくれたから良かったようなものの、最悪の場合――自分たちは今頃、死後の世界ヴァルハラへ旅立っていたかもしれない。 そんな彼女の様子を不審に思った才人が、声をかけた。「どした? 元気ねーな」 普段のルイズなら、ついつい憎まれ口のひとつも叩いてしまっていたかもしれない。だが、本気で落ち込んでいた彼女から飛び出た言葉は、珍しく素直なものだった。「ラグドリアン湖でのことよ。わたしが余計なことを言ったせいで、みんなが……」「は? 何か言ったっけ?」「魔法が跳ね返ってきたのを見て、エルフの<反射>だって……」 才人は思い出した。そういえば、エルフがどうのと聞いたような覚えがある。だが、どうしてルイズがそんなことでうじうじと悩んでいるのかが、彼にはわからなかった。「そういや、この世界にはエルフがいるんだったな。俺たちの世界じゃ、ファンタジーの代名詞みたいなもんだけど。それが、どうかしたのか?」 ルイズは、唖然として自分のパートナーの顔を見つめた。「あ、あんた、エルフが怖くないの!?」「そんなこと言われたって、俺、エルフなんか見たことねーし。だいたい俺たちのところじゃ、エルフは森の中で暮らしてて、大人しいイメージだしな。ここじゃ違うのか?」「なによそれ、全然違うわよ! エルフはね、わたしたちブリミル教徒の『聖地』を奪った敵なの! 強力な先住魔法を使う、悪の手先なんだから! それに、住んでる場所も森じゃなくて砂漠よ」「ふうん。で、エルフって強いの?」「強いなんてもんじゃないわ。ご先祖さまたちが『聖地』を取り返そうとして、何度も何度も大がかりな遠征軍を編成したんだけど……ほとんど返り討ちにされてるもの」「ほとんど、ってことはさ。エルフ相手に勝ったこともあるんだろ? だったら、同じ戦法で攻めればいいじゃねーか」「無理よ」「なんで?」「遠征軍が初めてエルフ相手に勝利を収めたときはね、たまたま敵の守りが薄かったの。それに、勝ったとはいえ、半分以上の兵を失ったらしいわ」「それ、どのくらいの戦力差で?」「7000対500よ……記録ではね。お父さまが言うには、本当はもっと差があったらしいわ」「なんだそりゃ!? 滅茶苦茶じゃねーか!」「どう、わかった? エルフと戦うためにはね、最低でも10倍の人数を用意しなきゃいけないの。そんな大人数、簡単に動かせるわけないでしょ」 才人はようやく納得した。そこまでの実力差があるのなら、ルイズたちハルケギニア人がエルフを怖がるのも無理はない。「そうか! それでみんな、ビビって身体が固まっちまったんだな。でも、もう過ぎたことだろ? 全員無事だったんだし、今更悩むことなんかないじゃんか」 ルイズは形の良い眉根を寄せると、はあっとため息をついた。「随分と気楽に言ってくれるわね……あんただって、巻き込まれたのよ? あんな大きな竜巻に剣1本で突撃する羽目になったのだって、結局はわたしのせいじゃないの」 ルイズの発言で、ようやく才人も自覚した。そうだ、あの時は頭に血が上っていて気付かなかったが、巨大な竜巻、いやハリケーン相手に剣1本で立ち向かうなど、自分でもどうかしていたとしか思えない。地球にいた頃に何度も見た、テレビの衝撃映像で家屋がバラバラに壊されるシーンを思い出した才人は、身震いした。「そうだよなあ。あんな攻撃、普通に考えたらどうしようもねえよなあ」 才人はそう言った後で、慌てて壁に立て掛けてあったデルフリンガーに向けて、言い訳じみたフォローを入れる。「あ、いや、別にデルフが頼りにならないって意味じゃねーぞ?」 そんな才人へ、彼の相棒は寛大にもこう返した。「まぁな。さすがにあれだけの規模の竜巻を吸い込むのは、俺っちでも厳しいかもな」「無理とは言わないんだな」「試したことがないことを、無理とは言い切れないやね。ただ……」「ただ、何だよ?」「さすがに広い範囲で、しかも大人数から何発も魔法を撃ってこられたりしたら、いくら俺っちが優秀な『盾』でも、お前さんたちを守りきれない。それだけは覚えておけよ」「ま、そうだよな。いや、実際デルフの『魔法吸収能力』はたいしたもんだと思うぞ? だけど、それとこれとは……って、ん? 『盾』? 広範囲を守る!? それに<反射>か。うん! これ、もしかすると……!」 突然、天井を見上げてぶつぶつと呟き始めた才人に、ルイズは恐る恐る声を掛けた。「な、なによ、どうかしたの?」「ルイズ、悪い。紙とペンもらえないか?」「別にいいけど……ちょっと待ってて」 才人は、手渡された紙とペンを使い、早速そのアイディアを紙に書き込んでゆく。あまり上手とはいえない絵ではあったが、イメージをするための助けにはなるだろう。「うし、できた! なあルイズ。これ、見てくれないか?」「なんなのよ、いったい……」 そして才人は説明を始めた。自分が描いたモノが、いったい何であるのか。どういった目的で使われるのかを。「と、いうわけなんだけど……お前、どう思う? 『これ』が実現できたら、凄い武器になると思わないか?」「確かに、もしもわたしに『これ』ができたら……あんなことにはならなかったわ」 少なくとも、自分のパートナーの身を危険に晒すような真似はしなかっただろう。それに、万が一タバサが気付いてくれなかったとしても、全員助かったかもしれない。 デルフリンガーの<力>は、確かに凄かった。でも、あの剣1本で立ち向かえる相手など、限られているということを思い知った。だから、ルイズは決意した。「わかったわ。やってみる!」「よし! 決まりだな。じゃあ、俺はもっといろいろな絵を描いてみるよ。そのほうが、ルイズにもイメージしやすいだろうしな」「お願いするわ! えーっと……忠実なるわたしの使い魔よ」「かしこまりました、お嬢さま。このわたくしめにお任せあれ」 ルイズの『命令』にあわせて、ちょっと気取ったポーズでもって返礼する才人。ふたりは顔を見合わせ、ひとしきり笑いあうと……出来うる限りの紙とペンを入手するために、部屋中を奔走した。 ――それから4日後の現在。 途中でキュルケに(たぶん夜に騒ぎすぎたせいで)乱入されたりしながらも、ようやく『それ』は形になった。「いってーっ! やっぱコレを手で殴っちゃダメだな」「ちょっとサイト! 大丈夫!?」 右手をひらひらと、まるで水滴を払うかのようにブンブンと動かした才人は「大丈夫、問題ない」と、答え……改めて成果を報告する。「な、なんとか。『ワルキューレ』よりずっと固いんじゃないか? コレ」 ふたりは、ここ数日かけて行っていた実験結果に、おおむね満足していた。「なら、コレの強度は問題ないわね。将来的にはもっと固くできると思うわ。ところで、どうしてこんな形にしたの? わたしは『こう』したほうが、もっと簡単に作れたと思うんだけど」 ルイズは、自分の『イメージ』を才人に伝えるべく、新しい紙とペンを取ると、そこにさらさらと1つの図形を書き込んだ。「ああ、実はそれなんだがな……」「う、な、なるほど」「だろ?」「ええ。わたしひとりで練習しなくてよかったわ……」「危ねーなオイ! やるなら、せめて俺かタイコーボーがいる時だけにしとけよ!?」「そ、そうするわ……」 ――こんなふうに、ふたりで毎日練習の成果を確認しあった結果。ついに『それ』は完成した。そして彼らは、自分たちの努力の結晶を『体験』してもらうために、必要な準備に取りかかった。○●○●○●○● ――6月第4週・イングの曜日。 太公望は、いつものように訓練場所としてほぼ定着していた中庭へと向かうべく、部屋で準備を整えていた。すると、扉をコン、コンッと誰かがノックする音がした。「む、シエスタではないか。何かわしに用があるのかの?」 扉の外に立っていたのは、メイドのシエスタだった。太公望と才人、そしてこのシエスタは、全員見事なまでにつややかな黒い髪の持ち主である。以前、ルイズが「この国で黒髪はすっごく珍しい」などと言っていたが……1箇所に3人も揃っていると、正直あまり説得力がない。「はいっ! 実は、ミス・ヴァリエールから伝言を言付かりまして。『新作のデザートをホールでいただいたから、今日は皆さんとお茶をご一緒しませんか? 中庭の、いつもの場所でお待ちしています』……とのことです」 新作のデザートと聞いた太公望の表情が、キリリッ! と、引き締まった。「了解した、伝言感謝する……と、これはお礼だ」 そう言って、しきりに恐縮するシエスタへ銀貨を1枚握らせると、太公望はいつもの如く内側から扉に鍵を閉め、窓を開け放って外へ飛び立った。 その後まもなくして。地面に降り立った太公望は、そのまま中庭へと移動を開始した。と、その視線の先に、綺麗な装飾が施されたテーブルと椅子――おそらくは、ギーシュの<錬金>で作られたものが並べられており、そこでルイズ、才人、タバサ、キュルケ、ギーシュの5人が談笑していた。 ……ちなみに、モンモランシーは図書館に籠もるから、と言って、今日は誘いには乗らず、ひとり資料探しに奔走していた。と、それはさておき。 そんな彼らのいる場所を見た太公望をして、最も注目させたのは――テーブルの上に、これ見よがしに置かれた『大きなデザート』であった。季節の果物によって所狭しと飾り付けられたそれには、彼の大好物である桃もあしらわれていた。文字通り、食い入るように菓子を見つめていた太公望へ、才人が声をかけた。「おーい閣下! 早く来いよ。さっきからルイズの目が怪しいんだよ……先に食べはじめていいわよね!? とか言っててさ」「ちょ、ちょっと! わたしはそんなこと……」「まあ、確かにきみの視線はデザートにしか向いていなかったね」「ギーシュまで!」「間違いなく、あの目は危険領域に突入しようとしていた」「そうよね~。まだまだ色気より食い気だものね、『箒星』のルイズは」 その場にいた全員から一斉攻撃を受けたルイズは、ぷんぷんと頬を膨らませて怒っている。そんな彼らの様子を見た太公望は、両手をぷるぷると震わせて叫んだ。「新作のデザートを、ルイズひとりで食べるだと!? そのような真似は、このわしが許さぬ! 全ての甘味はわしのものだ――ッ!!」 大声を出し、テーブルへ向けて突撃してゆく太公望。そう……くどいようだが、彼は甘味に対してとてもこだわりがあるのだ。 ――そして、テーブルまであと2メイルという位置まで迫った、そのとき。 べっちーん! と、いう、実にいい音を立てて、太公望は『見えない何か』に正面衝突し……わずかな時間それに張り付いた後、ずるりずるりと滑り落ちた。「うはははははっ! 成功! 大成功ッ!!」「なるほど、これが囮作戦なのだね」「完璧な誘導だった」「どうかしら、わたしの『壁』は」「そ……そうね、なかなか、面白……プッ……あはははははッ!」 地面に倒れ伏した太公望を指差し、げらげらと笑う生徒たち。そう――彼女たちの前には『目に見えない壁』が展開されていたのだ。 いつつつ……と、呟きながら、思いっきり強打してしまった顔を押さえ、立ち上がった太公望は、自分が衝突した『何か』を、指でコンコンと叩いてみた。「これは……まさか『A.T.フィールド(Absolute Terror FIELD)』!? いや『防御壁(バリアー)』か!」 ――今回、才人が思いついたもの。それは、透明な障壁にして<力>の盾。つまるところ『バリアー』であった。 才人的には、当初『A.T.フィールド』をイメージしていたのだが、魔法の性質がよくわからない今の段階で『絶対領域』を展開するのは絶対に危険だと判断、より簡単に構築できそうな『エネルギー障壁』のイメージ図を描き、ルイズに手渡していたのだ。日常的に秋葉原へ出入りしている、オタク気質な彼らしい発想である。「うぬぬぬぬ……」 太公望は、思わず呻いた。これは、間違いなく才人とルイズの仕業だ。アイディアを出したのが才人で、実行者がルイズに違いない。あの娘、いつの間にここまで<力>の使い方を覚えたのだ! まったくもって、これだから『天才』というやつは……! 『太極図』を使えば、解除は容易であろう。だが、さすがにそんな真似をするほど強力な障壁だとは思えない。そう判断した太公望は、懐から『打神鞭』を取り出すと、ルーンを唱える『ふり』をする。「デル・ウィンデ!」 だがしかし。かなり手加減していたとはいえ、太公望が放った<風の刃>こと『打風刃(だふうば)』は、あっさりとその壁に弾き飛ばされてしまった。「な、ななな……なんだと……!?」 思わぬ事態に、呆然としている太公望。そんな彼の姿を見て、才人以下『仕掛け人』たちは、相変わらず爆笑し続けている。「うぬぬぬぬぬ……」「閣下! 降参したほうがいいぜ! このバリアーは、デルフじゃなきゃ切れないぞ」 そう、才人が笑顔で降参を促すと。「あたしの<フレイム・ボール>にもビクともしませんわよ」「ぼくの『ワルキューレ』7体総攻撃でも突破できなかった」「わたしの<氷の矢>でも傷ひとつ付けられない、おそるべき立方体の壁」 全員が、突撃結果を報告し……改めて太公望へ警告する。「はやくしないと、俺たちだけでデザート食べちゃうぞ~!?」などという言葉を投げかけながら。 ――だが、彼らの言葉を聞いた太公望は。突如くるりと後ろを向くと、俯き、ふるふると肩を震わせ始めた。「あれ? ひょっとして、やりすぎちゃった……カナ?」 彼の姿を見て、思わずそう呟いた才人。しかし次の瞬間――太公望は、ゆっくりと振り返った。全身に黒い気配を身に纏い、その顔に邪悪な笑みを張り付かせて。そして一歩前へ進み出ると、両手を大きく広げ……こう宣告した。「クックック……この悪ガキ共が、遊ばせておけばいい気になりおって。だが、それももう終わりだ。己の無力さを、その身でもって思い知るがよいわ……!」 太公望が、手にした『打神鞭』を軽く振った、その直後。ルイズを除く全員が<風の縄>で全身を縛り付けられ、さらに1メイルほど宙へ舞い上げられた。「ちょ、ちょっとー!」「無敵の『盾』じゃなかったのかい!?」「な、なんだこりゃ!?」「……動けない」 慌てて拘束を解こうとした彼らであったが、じたばたしようにも手足が全く動かない。それほどに、太公望が創り出した<風の縄>は強く全身を縛り付けていた。ただひとり取り残されたルイズはというと、その場で見事に硬直している。「愚か者どもめ……このわしに『空間座標指定』能力があったことを忘れたか!」「あ!」 全員の表情が強張った。そう……この『防御壁』は、外側からの衝撃にはかなりの強度を誇るものの、内側からの攻撃に対しては、完全に無防備であったのだ。 そして太公望は、縛り上げた全員をまっすぐに立たせると、再び『打神鞭』を縦に振る。と、その動きに合わせて彼らは飛び上がり『見えない天井』に頭を打ち付けた。「ぎゃんッ!」「痛ぁいーッ!」「……ッ!」「ちょ、やめて閣下ッ!」 どうやら相当痛かったらしい。友人たちの悲鳴に、ルイズの口元が引きつった。「今のは警告だ……さあ、ルイズよ。その『防御壁』を解くのだ」 うっ……と、言葉に詰まるルイズ。今、<念力>で作ったこの壁を解除したら、どうなるかわからない。しかし、このままでは……友人たちが大変なことになってしまう。それだけは理解していた。「ちょ、ちょっと! た、確かに悪戯したのは認めるけど」「……けど?」「人質を取るなんて、卑怯だわ!!」「卑怯?」 この言葉には、さすがの彼も堪えたようね……と、ルイズは内心で勝利を確信した、だが。彼女は、太公望という男の本質を、まったくもってわかっていなかった。太公望は、顔に貼り付けた暗い笑みをさらに大きく広げると、こう言った。「卑怯、か。実にいい褒め言葉ではないか」 嗤いながら『打神鞭』を振り、人質たちの頭を、ガンッ! と壁の天井に打ち付ける。あまりの痛さに、子供たちは再び悲鳴を上げた。「そういえば、おぬしたちにはまだ教えとらんかったな……このわしに、国元でつけられた多くの『二つ名』を」 そういえば。全員が、その事実に気がついた。「そ、その『二つ名』が、な、なんだっていうのよ!」 ルイズの言葉に、口端を上げ、実にいやらしい笑みでもって応えた太公望は、高らかに名乗りを上げた。かつて、自分に投げかけられた『それ』を。「『腹黒』『いかさま師』『ペテン師』『悪魔』『卑劣』『釣り師』『逃亡の名人』『ある意味最も敵に回したくない男』……ちょっと思い返しただけで、この程度の数がすぐに出てくるほどなのだ」「威張って名乗る『二つ名』か――ッ!!」「素晴らしい『二つ名』であろう? わしの誇りだ」「そんなもん誇るな――ッ!!」 そんな彼らの反応を、楽しげに、嗤いながら見つめる太公望。その身体全体に纏う闇の気配が、徐々に周囲へと広がってゆく。そして、おそらくはわざわざ自分で発生させているのであろう風によって、バサバサとはためくマントと――邪悪な笑み。 ――今の太公望の姿は、悪魔どころか『魔王』そのものであった。 太公望は、これまでと違って、ゆっくりとした口調で問いかけた。まるで、闇の魔王が光の勇者たちへ向けて、毒のしたたる甘言を放つが如く。「そういうわけだ……このわしに『卑怯』だの『正々堂々』などという言葉は一切通用しない。さあ、ルイズよ……再びおぬしに問おう」「な、なな、なによ」 杖を構えたまま、思わず立ち上がったルイズに、太公望は告げた。「素直にバリアを解くならば……まあ、許すことを考えてやってもよい」「う、うう……」 ルイズの呻き声を聞いた太公望が、再び『打神鞭』を振る。ゴチンと勢いよく壁に頭を打ち付けられ、悲鳴を上げる生徒たち。「ルイズよ……いいのか? このままでは、おぬしの大切な『おともだち』全員の頭が、間違いなくタンコブだらけになるであろう……!」「うう……そんなっ」 ルイズは戦慄した。目の前にいる男は、悪魔――いや間違いなく『魔王』だ。おそらく彼は、躊躇うことなくそれを実行するであろう。「わ、わかったわ。みんなの無事には代えられないもの……」 その言葉と共に『防御壁』を解いたルイズ。だが! この時をこそ待ち望んでいた太公望は、猛烈な勢いでもって彼女へ突進し、その頭上へ拳を振り上げながら叫んだ。「バリアさえ消えればこっちのもんだ――ッ!!」「ギャ――ッ!!」 ゴッチーン! と、いう詰まった音が周囲に響くと共に、ルイズの意識は暗闇へと落ちていった――。○●○●○●○●「ダーッハッハッハッ! わし! 完・全・勝・利!!」 ゲラゲラと笑いながら、テーブル上のデザートをひとりだけで食べ尽くし、お茶を楽しむ太公望。彼の足元には<風の縄>で縛られた者たちが転がっていた。「ひひ、ひどいじゃない! あんた、許すって」 彼らと同じように縛り付けられ、涙目で抗議するルイズに対し、太公望は、まさに邪悪という言葉を体現したかのような笑みでもって応えた。「ダァホが! わしは許すことを『考えてやってもよい』と言ったのだ。ちゃんと考えてはみたぞ? だがな、タチの悪い悪戯をした子供に罰を与えるのも大人の役目。そう思って、実行した。ただそれだけのことだ」 茶を飲み終え、うははははは! と、満足げに高笑いしながら立ち上がった太公望は、床に這い蹲る面々を見回すと、こう言い放った。「まったく、タバサまで一緒になってこのわしをたばかるとは……とりあえず、あと30分もすれば、その拘束は外れるであろう。それまでは、その姿のままでよ~っく反省するがよい」 わし! 最ッ強!! などと高らかに勝ち鬨を上げながら、遠ざかってゆく太公望の背中をただ見守るしかなかった一同のうちのひとり、彼のパートナーであるタバサは……小さく呟いた。「あなたのそれは『最凶』の間違いだと思う」 彼女の発言に同意する一同。ただ、ひとりだけ全く違うことを考えていた者がいた。「ロバ・アル・カリイエって『A.T.フィールド』まであるのかよ……うわー、リアルで見てみたいな! いつか絶対みんなで行くぞ! これは決定だからな!!」 ――ある意味当然のことながら、それは才人であった。 なお、バリア精製の練習中にルイズが提案し、才人が危険だと判断したのは……。「ねえサイト。これ、どうしてわざわざ『箱の中』をくりぬくイメージをしなきゃいけないの? <力>の塊で、立方体をそのまま作ったほうがずっと簡単なんだけど」「ああ。わかりやすく言うと『いしのなかにいる!』状態になるんだ」「う、なるほど。埋もれて息ができなくなっちゃう可能性があるのね。危険だわ」 例えに用いたものはともかくとして、ある意味的確でわかりやすい説明をしていた才人であった。実際にそうなってしまうのかどうかは実験してみないとわからないが、危険回避の意味で正しい解答だったのは間違いない。○●○●○●○● ――それから、ちょうど20分ほど経過した、そのころ。 デザートで満腹になった太公望は、実にいい気分で校門付近を散歩していた。だがしかし、そんなご機嫌な時間は、突如現れた、豪奢な馬車から降り立った人物より投げかけられた一言によって中断させられた。「ちょっと! そこの……あなたでいいわ」 その声に、太公望が振り返ると。視線の先で、自分よりも長身の、眼鏡をかけた金髪の若い女性が仁王立ちしていた。その女性の後ろには、彼女付きの小間使いと思われる、さらに若い娘が付き従っている。 眼鏡の女性は、顎をくいっと動かした。ふむ、わしに何かをさせようというのか? いったい何者であろう。ずいぶんとキツそうな娘だが、はて、誰かに似ているような……? 太公望は、その女性と彼女の周辺へ微かに視線を動かしつつ、観察を始めた。 その間、金髪の女性――エレオノールは、目の前にいる『平民』の察しの悪さに苛立ちを募らせていた。 魔法学院へ到着した直後、馬車から降りたところで『案内役』を探し始めた彼女が唯一見つけられけたのが、彼――太公望であった。 エレオノールの目から見た太公望は、奇妙なマントを身に付けた、単なる平民に過ぎなかった。制服を着ていないので、魔法学院の生徒ではない。それにマント、あるいは留め金に貴族であることを示す五芒星の紋もない。とはいえ、普通の平民にはまず手が届かないような、質の良い生地で作られた服を着ていたため、魔法学院に雇われた『平民メイジ』だろうと当たりをつけたのだ。 トリステイン国立魔法学院は、エレオノールの母校である。当然、学院の内部は知り尽くしているのだが、それでもあえて使用人に案内させるのが、大貴族というものだ。しかし、目の前の少年の反応は、いまひとつ要領を得ないものだった。 その態度と察しの悪さに苛つきを覚えたエレオノールは、彼を怒鳴りつけようとした。だが、その直前――問題の少年は、ポンと手を打ち、口を開いた。「おお! あなたは、ルイズ嬢の姉君……お名前は確か、エレオノール殿。でしたな? お噂は、かねがね聞き及んでおります。なかなか気がつかず、大変失礼した」 エレオノールは、その美しい眉根を寄せ、目の前のおかしな子供を睨み付けた。自分の顔を見知っているということは、元はヴァリエール公爵領の領民だったのだろうか。それと、彼にどうしても聞かなければならないことがある。そう考えた彼女は、冷えた声で問うた。「わたくしの噂……とは?」 もしも、例の婚約破棄関係の話だったなら、馬車に積んである鞭でしこたま打ってやる。不機嫌のあまり、そこまで考えていたエレオノールは、続いた言葉に絶句した。「はい、いつも妹君が口癖のように話しておったのです。『わたしの姉さまは、王立アカデミーに勤める、主席研究員なの。わたしの自慢の姉さまなのよ!』 ……と」 機嫌が最悪の底の底の底にあったエレオノールは、この発言で少し立ち直った。まさかあの生意気な末妹が、学院内でそのような話をしていたなどとは。「あの子にも可愛いところがあるじゃないの」と、心の内だけで呟いた彼女は、さらに質問を続けた。「そ、そう……ほ、ほかに、あの子は何か、いい、言ってはいなかった、かしら?」「そうですのう……まだ魔法が使えなかった頃の話ですが、よく『姉さまはあんなに優秀なのに、どうしてわたしは『ゼロ』なのかしら』と、嘆いておられましたな」 エレオノールは、即座にその言葉の意味を汲み取った。まだ魔法が使えなかった頃。この平民はそう言った。つまり、下々の者まで伝わっているほど確実に、おちびは魔法が扱えるようになっているということだ。しかも、このわたくしと自分を比べて、ずっと落ち込んでいたなんて……。 ――エレオノールの中で、ルイズに対する評価が数段上がった瞬間であった。 ちなみに、太公望は嘘は言っていない。表現をやや誇張しているだけだ。直前に美味しい菓子をひとりじめできて、平常よりもいくぶん機嫌が良かったのが、お互いにとっての幸運だった。太公望は軽く頭を下げると、エレオノールに確認を取った。「と、これは失礼致しました。わたくしは、太公望呂望と申す者。何かご用がおありのようですが……エレオノール殿とお供の方々を、学院内のいずこかへ案内せよ……と、いうことでよろしいのでしょうか?」 それを聞いたエレオノールは、ようやく納得した。この子供はわたくしのことを知っていて、使用人として正しい対応を検討していたから、あんなに反応が遅かったのだ、と。それならば、きちんと導いてあげるのが大貴族たる者の務めだわ。そう判断した彼女は、くいと眼鏡の端を持ち上げながら言った。「わかっているようね、よろしい。わたくしは、オスマン学院長に用事があるの」 その言葉に、太公望は一礼して応えた。「承知致しました。それでは、来客室までご案内します。どうぞこちらへ」 ――エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。彼女にとって、これはある意味<運命>の出会いとなった、そのはじまりであった。