――ルイズが、才人にハルケギニアの文字を教え始めた、ちょうどそのころ。 帝政ゲルマニアと国境を接するヴァリエール公爵領、その屋敷のダイニングルームで、かの地の領主と妻が食後の茶を楽しみながら、今後の予定について語り合っていた。「もうまもなく、魔法学院が夏期休暇に入ります。あなた、例の件について、こちら側の用意は調いました。そろそろ使いを出したほうが良いと考えているのですけれど、そちらの準備はいかがかしら?」 『あなた』と呼ばれた初老の貴族――白くなりはじめたブロンドの髪と、品の良い片眼鏡(モノクル)をかけ、立派な口髭をたくわえた人物。ピエール・ド・ラ・ヴァリエール公爵、つまりルイズの父親は、目の前に座る妻に向かって頷いた。「今月末……確かダエグの曜日を最後に、魔法学院は休みに入るのだったな。今のうちに使者を――それも、絶対相手に失礼にあたらない者へ、用意した手紙と伝言を託そうと考えているのだが、お前はどう思うね? カリーヌ」 夫からそう問われたカリーヌ夫人――娘のルイズそっくりのピンクブロンドをアップにまとめた中年女性は満足げに目を細め、夫に頷き返した。「問題ありません。ルイズには、事前に伝書フクロウを送っておきますわ」「そうか。では、よろしく頼む」 ――刻は、この公爵夫妻の会話から1ヶ月ほど前の早朝まで遡る。 トリステイン王国の中でも随一の歴史と格式を誇る、ラ・ヴァリエール公爵家の書斎。その奥から、部屋の主たる者の渋みがかったバリトンが響き渡った。「カリーヌ! カリーヌよ!!」「まあ、いったいなにごとですか。公爵ともあろうお方が、そのような大声を出すなどとは。わたくしに何か用があるのなら、使用人を呼べばよいではありませんか」 カリーヌ夫人は、その鋭い目に炯々(けいけい)とした光を湛え、公爵――己の夫へ抗議した……だが。彼の顔に浮かんだ、抑えようにも抑えきれないといった笑みを見た瞬間、それ以上口を挟むことができなくなってしまった。「ルイズだ。ルイズからな、今しがた手紙が届いたのだよ!」「確かに、あの子から手紙が届くなど、実に半年ぶりではありますけれど。そこまで大げさに騒ぐほどのことなのですか?」 子は、いつしか親元から離れてゆくもの。便りがないのは、娘にもその自覚が芽生えてきた証拠なのだと、カリーヌ夫人はむしろ喜んでいたくらいなのだ。 ラ・ヴァリエール公爵は、妻に件の手紙を差し出した。「まあ、そう言わずに読んでみるがいい。カリーヌ!」 夫に勧められるがままに、差し出された手紙へ目を通すカリーヌ。読み進めてゆくうちに、瞳に宿した光が徐々に柔らかいものへと変化していった。それを見たラ・ヴァリエール公爵は妻の手を取り、自分の胸元へと引き寄せると……その身体を強く抱き締めた。「かつて『烈風』と呼ばれた君の血を、最も濃く受け継いでいたのはあの子だったのだ! いや、まさか……才能がありすぎて、普通のやりかたでは魔法が使えなかったなどとは思いもよらなかったぞ。しかも、目覚めたのは風系統。素晴らしい報せではないか! なあ、カリーヌ。わしの愛しいカリン!」 夫の熱い抱擁に身をゆだねていたカリーヌ、別名カリン――彼女は、かつて伝説とまで謳われた、トリステイン、いやハルケギニア最強の<風>の使い手にして『烈風』『鋼鉄の規律』の二つ名を持つ人物である。 ――現在から、およそ30年ほど前のこと。事故で危うく命を落としかけたところを、偶然通りかかった騎士に救われたカリーヌは、女の身でありながら騎士になることを夢見た。しかし彼女の憧れであった近衛魔法衛士隊は、昔も今も、女人禁制とされていた。そのため男の服に身を包み、名をカリンと偽り、見習い騎士として隊に潜り込んだのだ。 魔法の才に溢れていたカリンは、それからすぐに頭角を現し、トリスタニア中央の広場で、大勢の観衆が見守る中。なんと、当時の国王『英雄王』フィリップ三世が自ら『騎士(シュヴァリエ)』に任じたほどの働きを見せるに至った。 騎士となって以後のカリンの活躍ぶりは、書物となり、詩の題材にされ、歌劇として演じられるほどの人気を誇り、現在も世界各地で親しまれている。 だが、彼女は――今、自分を掻き抱いている、愛する夫との結婚を機に魔法衛士隊を引退。最後まで正体を公にすることなく、現在に至る。その事情を知る者は、家族と当時の友人たち、そして今も王宮に残る、わずかな者のみとなっていた。「それにしても。わざわざ東方ロバ・アル・カリイエから、ルイズのために優秀な風メイジを招いてくださるとは……あの子は、本当に良い友達を持ちましたね」 カリーヌ夫人は、少し震えた声で夫の抱擁に応えた。その目には、うっすらと光るものが浮かび上がっている。「まったくだ。あの子は……ルイズは、本当に幸せ者だ。そして、わが娘を系統に目覚めさせてくださったというメイジ殿や魔法学院の先生方に、我々はどのようにして報いればよいのだろうか」 やや名残惜しそうに、ゆっくりと愛する妻の身体から離れながら、ラ・ヴァリエール公爵は唸った。今すぐにでも使者をやり、屋敷で歓待したいところだが、相手にも都合というものがある。そのようなことをしては、かえって失礼にあたるというものだ。「そうですわね、あなた。来月、魔法学院は夏期休暇に入ります。その際に……わが娘の成功を、わざわざ宴を開いてまで祝ってくださったという皆様、そして東方の風メイジ殿と友人――いえ、我が家の恩人たるお二方を、揃って我が家へお招きし、歓待する……というのはいかがかしら?」 妻から出された提案に破顔した公爵は、再び彼女を抱き締めた。「素晴らしいよ、カリーヌ。では、そのように手配をしよう。だが、その前に」「ええ、あなた。わたくしも賛成です」 頷いて、カリーヌ夫人は答えた。そんな彼女を心から愛おしそうな目で見つめたラ・ヴァリエール公爵は、同じく頷き、ベルを鳴らして執事長を呼び出した。そして、すぐさま現れた老齢の男に申し渡す。「今宵は、家族で盛大な祝いの宴を催す。もちろん、このわしも参加する。ワイン蔵の奥に寝かせてある、最高級のタルブ16年ものをそこで1本開けたい。急いで準備に取りかかってくれ」 タルブの16年もの。トリステイン王国いちばんのワイン産地タルブの最高級品。それは、愛娘ルイズが生まれた年に買い求めた3本のうちの1本だ。残る2本のうち1本は、娘が嫁ぐ際に嫁入り道具のひとつとして持たせ、もう1本は、その結婚式の夜に、夫婦揃って飲もうと決めていた。「かしこまりました、旦那さま」 恭しく一礼した執事長は、落ち着いた足取りで廊下へと姿を消した。「早速、ルイズに宛てて返事を書かねばならん。今日の執務は全て後回しとする」「まあ、あなたったら! 『鋼鉄の規律』としては、そのような無法を許すわけには参りませんことよ」「ふふふ、厳しいな! わしのカリンは」「あなたこそ、娘に甘すぎですわ」 ふたりはひとしきり笑った後、愛しい娘に宛てた手紙を書くための時間を捻出すべく、全力でもってその日の仕事に取りかかった。 その翌日――ルイズの元へ、父と母、そしてふたりの姉たちから祝福の言葉と共に、夏休みになったらお世話になった皆様を連れて帰省するように、との旨がしたためられた手紙が届いた。 だがしかし。伝書フクロウが飛んできた時間帯が、夜遅くであった――それが、ルイズにとっての不幸の始まりであった。「今からみんなのところに行くのは、いくらなんでも失礼よね」 だから、みんなに報せるのは明日以降でいいだろう。そう考えた彼女は、そのまま仲間たちに伝えるのを、すっかり忘れていた。何故なら、折悪く翌朝に「今日からモノを浮かせ、その上に乗って空を飛んでもよい」という許しを得て、初めて自力で空を飛べるようになった喜びのあまり――両親から受けた指示が、忘却の彼方へと消えていたからだ。○●○●○●○● ――それから、1ヶ月後の現在。 一台の豪奢な馬車が、ゴトゴトと音を立て、整備の甘い山道を一路トリステイン魔法学院へと向けて移動していた。その車体に刻まれたるは、ヴァリエール公爵家の紋章。 馬車に揺られていたのは、美しく輝くブロンドの髪に、見る者全てに知的な印象を与える眼鏡をかけた若い女性であった。彼女の名は、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。ルイズの長姉にあたる人物である。「魔法学院まで、あと2日……と、いったところかしら。まったく、研究が大詰めで忙しいわたくしを、わざわざトリスタニアから呼び寄せたと思ったら、学院への使者に立て、とは。いくらなんでも、こちらの都合を考えていないにも程があるわ!」 トリステイン貴族としての格式を重んじるというのならば、当然の如く手元に相応の支度ができるだけの用意がしてあったのだ。よって、手紙と馬車だけ寄越してくれればいい。にも関わらず、ラ・ヴァリエール公爵がわざわざ彼女を屋敷まで呼び戻したのには理由がある。エレオノールは、当然の如くそれを察していた。「本当にもう、お父さまったら。わたくしの顔が見たいのなら、素直にそう仰ってくだされば、きちんと時間を作りますのに。いつまでたっても娘離れができないんだから!」 ほんの少し顔を赤らめ、ぷりぷりと美しい頬を膨らませて不平を漏らすその姿は、髪と瞳の色を除けば、まさに妹のルイズに生き写しである。彼女たちは、まぎれもなく同じ血を分けた姉妹だった。「それにしても、東方のメイジだなんて。そんな、どこの馬の骨かもわからないような相手に、わざわざ大貴族の娘たるこのわたくしを使者に立てるなど……!」 ぎゅっと握った拳を、膝元に乗せて、エレオノールは口惜しげに呟いた。「もちろん、おちびを系統に目覚めさせてくれたことについては感謝しているわ。だからといって、ここまでする必要があるのかしら」 ……ここで、念のため彼女の擁護をしておこう。現在、エレオノールはまさに不幸のどん底にいたといっても過言ではなかった。もしも普段の――不運の深淵に沈み込んでいないときの彼女であれば、可愛い妹の恩人たる相手に対し、ここまで露骨な嫌悪感を抱くようなことは、間違ってもなかったであろう。 実際、ルイズが初めて魔法を成功させたという報せを受け取ったとき、エレオノールは我がことのように喜んだ。そして、そのきっかけとなった東方のメイジに、心からの感謝と――ほんの少しだけ、嫉妬を覚えていたほどなのだ。 伝統あるトリステイン王立アカデミーの主席研究員たる自分にすら原因のわからなかったおちび――彼女はふたりいる妹のうち、下のルイズをこう呼んでいる――の『失敗』の原因を、ほんの少し見ただけで解き明かし、さらには風系統に目覚めさせたという人物。機会があれば、一度ゆっくりと語り合ってみたいとすら考えていた。 ……ところが、そんな時だった。彼女の身辺に、大きな異変が巻き起こったのは。「もう限界」 そのひとことだけを告げ、婚約者のバーガンディ伯爵が、自分との関係を白紙に戻すなどと言い出し――理由もわからぬまま、エレオノールは婚約を破棄されてしまったのだ。 よって、エレオノールの機嫌は現在……最悪の最悪の最悪。最悪の底を突き破って、なお突き進むほどに悪化し続けていたのだ。『今現在、不幸をその背に負う者は、言動にくれぐれも気をつけよ。なんとなれば、それはさらなる不運をその肩に乗せる理由となりえるからだ』 誰が残したのかもわからぬその言葉。これは、まさしく彼女に対する警告たりえる言葉であろう。だが、やはり不運であった彼女に、それは届かなかった――。○●○●○●○● ――同日午後。 魔法学院のとある教室では、その教壇に『炎蛇』のコルベールが上がっていた。彼は学問を心から愛していた。そして、生徒たちに授業を行うのが大好きだった。何故なら、そこは自分の愛する学問と、研究成果を披露できる晴れ舞台でもあったから。 今日の彼は、教室に現れた途端、授業開始の挨拶もそこそこに満面の笑みを浮かべ――教壇の上に、おかしな機材を乗せた。「それはなんですか? ミスタ・コルベール」 生徒のひとりが質問した。 それも当然である。そこに置かれた物体は、謎に満ちあふれていたからだ。金属製のパイプやクランク、そして車輪が複雑に組み合わされ、おかしな箱までくっついている。「えー、誰かこの私に<火系統>の特徴を開帳してはくれないかね?」 教師の言葉に応じ『微熱』の二つ名を持つキュルケが、立ち上がりすらせず、どことなく気怠げな口調でこう答えた。「情熱と破壊。それこそが<火>の本領ですわ」「そうとも!」 『炎蛇』の二つ名を持つコルベール自身も、優秀な火系統のメイジである。にっこりと笑って、その答えを受け入れた。「だがしかし……情熱はともかく、火が司るものが破壊だけでは寂しい。私はそう考えます。火は……」 と、そこまで言葉を紡いだコルベールは、ふとキュルケのすぐ側――正確には常に彼女の隣に座っている、タバサの横の席に着いている太公望に視線を移した。 以前、同僚にして後輩である『疾風』のギトーが、コルベールに面白いことを話してくれた。あの少年――いや、既に27歳。青年と呼ぶべき彼が、風系統をして『知恵ある者の象徴』と断じたのだ――と。 コルベールは、太公望の見識の深さをよく知っていた。だから訊ねたくなった。そんな彼は<火系統>に対して、どのような意見を持っているのだろうか。「ふむ。そうですね、ミスタ・タイコーボー。きみは本来風系統のメイジだが、火系統についても非常に優秀な『使い手』であると、学院長から伺っています。きみが常日頃から思い浮かべる<火>についての見解を、是非聞かせてもらいたい」 そのコルベールの言葉に、教室中がざわついた。指名を受けた太公望はというと「あのクソ狸めが、まだ占いの件引きずっとったんかい……」などと、内心で強烈なまでの呪詛を込めた恨み言を放っていた。 ハッキリ言おう。引きずっていたのはコルベールであって、オスマン氏は悪くない……この場において、という意味では……だが。「ミスタ・タイコーボー! 君は<火>も扱えたのかい!?」 教室の各所から、驚いたように質問が飛んできた。そして太公望が、ふう……と、ため息をつき「言われるほどのものではないがのう」と答えると、室内はさらに湧いた。タバサのすぐ隣では、何故かキュルケがぎりぎりとハンカチーフを噛み締めている。 期待にきらきらと顔を輝かせているコルベールを見て、太公望は思わず肩を落とした。これは、断ろうとするだけ無駄だろう。太公望の脳裏には、かつて行動を共にした同僚の顔が浮かび上がっていた。彼は、一度好奇心に取り憑かれたが最後、絶対に探求を止めようとはしなかった。どう考えても、その同僚とコルベールは似たタイプの研究者だ。 こうなっては致し方ない――太公望はふうと息を吐くと、コルベールに確認した。「コルベール先生、少し長くなっても――?」「もちろん構いません。是非、きみの意見が聞きたい」「わかりました。それでは――」 生徒たちは色めき立った。例の『風最高』事件で放った彼の発言は、実に面白かった。もっとも、彼らにとって本当に楽しかったのはその後の展開だったのだが、それゆえに教室の注目が一斉に太公望に集まった。あのおかしな物体も気になるが、まずはコイツの話を聞いてみよう――と。 注目を集めしまった太公望のほうはというと、顎に手を当て、なにやら考え込んだような様子を見せたあと、ぽつりと言った。「わしは、こう思うのだ。人類で初めて火で肉を焼き、さらにそれを食べた人物は――『神』として崇められてしかるべき存在なのではないだろうか、と」「何言ってんだ、こいつ……」「なんか、また変なこと言い始めたよ!」 生徒たちの心は、その瞬間ひとつとなった。だが、コルベールだけは目を輝かせて太公望の発言に聞き入っている。「そもそもだ、火の側にいけば暖かい。そして、触れたら痛い目を見る。ここまではわかるのだよ……だが、どうしてそんなモノの中に、彼は――もしかすると彼女かもしれぬが、貴重な食料である肉を入れようと考えたのだろう?」 太公望は語る。「まだ魔法はおろか、狩りのための道具すらろくなものがなかった時代――肉を取るために、人間はどれだけ苦労したのであろう。今の我々からしたら、想像を絶する困難だったに違いない。にも関わらず、どうしてそのような考えに至ったのであろうか?」「狩りの途中で、寒くなって焚き火にあたってたら、偶然そこに肉が転げ落ちたとか……案外そういうオチかもしれないぞ?」 そう呟いた才人の声に「かもしれぬな」と、答えた太公望は、さらに続けた。「だが……何故それを食べようとしたのか。まあ、単にもったいないと思った結果、口にしてみた。そうしたら思いのほか美味かった。それだけなのかもしれぬがのう」 そう言って、周囲を見回した太公望は、自分の意見を押し出した。「でもな。彼らは――その発見を、自分たちだけで独占しなかった。結果『火に肉を入れて食べると美味い』『焼いて食べれば腹を壊さない』『そうすれば死ににくくなる』事実が、世界中に広まった。この功績で、どれほどの数の人間が救われただろう? この偉大なる発見は、確実に人類の『世界』を変えたのだ。これを見つけた者を『神』と呼ばずして、なんとする」 コルベールは、歓喜に震えていた。彼が聞きたかったのは、まさしくこういうことであったのだ。常日頃から『破壊だけに火を用いるのは寂しい』そう考えていたから。「そして火は、人類にさらなる繁栄をもたらした。水を汲んだ器を火にくべ、湯をわかす者が現れた。森の木を切る代わりに火を用いて焼くことで、切り倒すよりもずっと簡単に、そこを人間が住まう場所である平地に変え――結果、その土地で産み育てられる子供の数が増えた。そうして人間は、さらに増えていった」 身振り手振りを交えながら、持論を展開していく太公望。風のときとは違って、なんだかちょっと哲学的だよな……などと思いながら、才人はその言葉に耳を傾けていた。「もちろん、火は破壊をも司る。戦で使われれば、それは簡単に人間を焼き殺す、怖ろしい武器となる。しかし、これまで語った通り、火は『使い手』次第で、人間を大きく繁栄させることも可能な……文字通り、世界を変える<力>なのだよ」 ――世界を変える<力>。それはなんと素晴らしく、怖ろしいものであるか。「以前、わしが風系統をして『知恵ある者の象徴』と例えたことを覚えている者もいると思う。今回は、同じように火系統がいかなる者の象徴であるのか、わしなりの意見を述べさせていただきたいのですが、コルベール先生……よろしいでしょうか?」 コルベールは、大きく頷いた……何度も、何度も。それを見た太公望は、結論した。「火系統のメイジとは『自ら道を切り開く者』。使い方次第で、周りを暖かな光で満たすことも、破壊の権化として君臨することも可能。よって使い道を、自分自身で常に選び、己の判断のみで『道』を切り開いていかねばならない。その大きな<力>がゆえに、振り回されたが最後――それは、破滅の『道』へしか繋がらないからだ」 誰かがごくりとつばを飲み込んだ音が、やけに大きく室内に響き渡った。「ゆえに火系統の者は、心せねばならぬ。その<力>は、自分のみならず周りをも巻き込む。幸せな旅路にも、絶望の底へも、一緒に……だ。以上が、わしの個人的な<火>に対する見解である。長々と失礼した」 パチ、パチ……と、拍手の音が聞こえた。コルベールであった。そして、それを契機に教室の各所から同意するかの如く拍手がわき起こった。観客たちに深々と一礼した太公望は、すとんと席に着いた。 ――少しの間を置いて、場が落ち着きを取り戻した頃。コルベールは授業を再開した。「いやはや……あのような話を聞いたあとに、これを出していいのか正直迷いましたが、まだまだ時間がありますので、改めて公開しましょう」 そうだ。さっきの話にも興味があったけど、今はあのおかしな物がなんなのか、そっちのほうが気になる。いっきに生徒たちの感心が、教壇の上へと移動した。「コルベール先生、それはいったいなんですかの?」 質問を投げてきたのは、先程の話の主、太公望だった。彼は、これを見たらなんと言ってくれるだろう。コルベールは、なんだかそれがとても楽しみになった。「うふ、うふ、うふふ。よくぞ聞いてくれました! これは、私が発明した……油と火の魔法を使って、動力を得る装置なのですぞ」 そのコルベールの言葉に、大きく目を見開いた太公望。なんだかそれに見覚えがあるような気がして、壇上に注目した才人。 そして、彼らは見た。その『装置』を。コルベールが何の知識もなく、誰の助けも得ず、自力で考え出した『奇跡の象徴』を。 コルベールは、足で何度もふいごを踏んだ。すると、ふいごによって気化した油が、円筒状の筒の中へと放り込まれた。筒の横に開いた小さな穴に、慎重な手つきで杖を差し込み、呪文を唱える。それは、火系統の初歩<発火>の魔法だった。その小さな火は、断続的な発火音を生み出し、そして気化した油へ燃え移ると、爆発音に変わった。「どうですか? この円筒の中では、なんと気化した油が爆発する<力>で、上下にピストンが動き続けているのですぞ!」 そうこうしているうちに、円筒の上に取り付けられていたクランクが動き出し、車輪を回し始めた。回転した車輪が小箱のフタを開くと、その中からヘビの人形がぴょこぴょこと連続で顔を出した。「ピストンが上下する<力>が動力として車輪に伝わり、このように回転させる! するとほら! 愉快なヘビくんが、ぴょこぴょこと顔を出してご挨拶! ほら! ご挨拶!」 興奮したようにまくし立てるコルベールとは対照的に、生徒たちの感心は冷めていった。今や熱心にその様子を見守っているのは、才人と太公望のふたりだけだ。 生徒のひとりが、がっかりしたような声で感想を述べた。「それが、いったいどうしたんですか? 動かすだけなら、全部魔法でやればいいじゃないですか。そんな妙な装置なんて、必要ありません」 他の生徒たちも、その通りだと言わんばかりに頷き合った。コルベールは、自慢の発明品が全く評価なかったことに落胆し、がっくりと肩を落とした。しかし彼は、持ち前の打たれ強さでなんとか立ち直ると、こほんとひとつ咳をして、説明を始めた。「諸君、よく考えてみなさい! 今は、まだヘビの人形が顔を出すだけだし、点火を魔法に頼っていますが、例えば火打ち石などを利用して、断続的に着火できる方法が確立されれば、いろいろなモノに応用できます。たとえば、この装置を荷車に乗せて車輪を回させれば、馬がいなくても荷車は動く! どうです、素晴らしい発明だとは思いませんか!?」 コルベールは、生徒たちへ熱心にこの発明品の利点を説明したが、彼の情熱は全く伝わらない。だが、そんな中。食い入るようにコルベールが生み出した『奇跡』に注目している者たちがいた。「や、やはり……!」「あ、もしかしてタイコーボーも気がついた、よな?」 ふたりは顔を見合わせ、頷き合う。それから大声で叫んだ。「内燃機関だ!」「エンジンだ!」 ふたりはドタドタと足音を響かせながら、教壇前まで駆け寄った。「ゼロからこれを生み出されたのですか!? コルベール殿!!」「すっげえ! コルベール先生は、やっぱり天才だよ!!」「才人の言う通りだ! この発想力、そして応用力……正真正銘の天才だ!」 取り残された生徒たちは、興奮してまくし立てるふたりを、ただぽかんと眺めていた。いまいちよくわからないが、技術開発が進んでいると噂される東方出身の彼らが、あそこまで褒めているんだから、ひょっとしてアレはスゴイものなのかもしれない……と。 コルベールは感動していた。遠い世界から来たふたり。ひとりは、柔軟な発想で魔法の常識を覆す使い方を提案してくる少年。もうひとりは、先程『持論の行き着く先』とも言うべき論説を聞かせてくれた、若くして中将の地位にまで上り詰めたほどの実力者。 そんなふたりが、目を輝かせて自分の発明を見てくれている。しかも、こんなに興奮しながら褒め称えてくれるだなんて。コルベールは、なんだか胸の奥底に暖かな火が灯った……そんな気がした。だが、事態はそれに留まらなかったのである。「なんと素晴らしい……コルベール殿。さっきわしが言った言葉を覚えておられますか? 火は世界を変える<力>だと」「え、ええ、もちろんですぞ」 戸惑うように口を開いたコルベールに、追撃をかけたのは才人だった。「先生! この発明は……本当に世界を変える<力>だ! しかも、人類を繁栄させるものなんですよ! 俺がいた世界じゃ、実際にそれと似た機械を使って、さっき先生が話してた通りのことをやってるんです」「なんと……!」「今は授業中ゆえ、のちほどお時間があるときに、改めて先生のお話を伺いたい」「俺も俺も! 絶対ですよ!?」 ふたりはそう言い置いて、共に自席へ戻っていった。彼らの後ろ姿をぼんやりと見送ったコルベールの頭の中では、先程彼らが放った言葉が、繰り返し再生され続けていた。『これは、世界を変える<力>だ』『人類を繁栄させるものなんですよ!』「この罪深き私の<火>が、世界を変え、人類を繁栄させる――?」 そののち、コルベールはどうやって授業を終え、いつのまに自室まで戻ったのか、一切覚えていなかった――。○●○●○●○● ――その晩。キュルケは、今夜もひとりで飲んだくれていた。「はあ、アンニュイな気分だわ……トリステインの国立魔法学院で、アンニュイな学院生活。略して国立アンニュイ学院! なーんてね……うふふふふふ」 もうだめだ。完全に出来上がってしまっている。「炎を使った占いの噂は聞いてたけど、まさか学院長が認めるほどの『使い手』だとは思わなかったわ……本当に、どうしてあたしの<召喚>で彼が来てくれなかったのよぉ~。そしたら、こんなに悩まなくて済んだのにぃ~!」 キュルケはワインボトルを傾けると、グラスに赤い液体をどばどばと注ぎ込んだ。「まさか、現在進行形で困ってる親友の『パートナー』に、粉かけるわけにもいかないしぃ~、う~、も~!」 ぐったりとテーブルに身体を預けながら、キュルケは酒杯をあおる。すると……隣の部屋から、何やら妙な声が聞こえてきた。 (馬鹿……力入れすぎだろ。それじゃ入らないって) キュルケの酔いが、この瞬間一気に冷めた。この声は……もうひとりの<大当たりの使い魔>。サイトのものだ!! (ち、ちがうわ……もう少し……そう……上に) そして、次に聞こえてきたのはルイズの声だ。これはまさか……! (おい、声が大きいぞ。隣に聞こえちまうぜ) (そ、そんなこと……言われたって……) これは……間違いない。今度こそ『アレ』だ。葛藤のあまりブレイク寸前なあたしの心臓(ハート)を癒やすため、彼らには生け贄になってもらおう。 キュルケは急いで部屋の外へ飛び出し、すぐ隣――ルイズの部屋の扉に向けて(毎度おなじみ校則違反の)<アンロック>を唱えると『現場』へ勢いよく飛び込んでいった。 ……すると、そこには。「もうちょっとでうまくいきそうな気がするんだけど……」「やっぱり、イメージが難しいのかなあ」 などと言いながら、床一面に広がった紙――なにやら図形のようなものが書き込まれたそれを見ながら、うんうんと唸っているルイズと才人のふたりがいた。 ふたりは、同時に扉のほうへ振り返った。「ちょっと、ツェルプストー! <アンロック>は校則違反だって……」「いや、だからお前の声がでかすぎだったんだって!」「う……ご、ごめんなさい。ちょ、ちょっと騒ぎすぎちゃった、かも」 そして、揃ってぴょこっと頭を下げたふたりを見て、キュルケの心は文字通り砕け散った。あの子たちといい、こっちの連中といい……!「あ、あんたたちなんか……」 ぷるぷると震えながら、キュルケは叫んだ。「爆発しちゃえばいいのよ!!」 走り去っていったキュルケを呆然と見送ったふたりは、ぽつりと呟いた。「やっぱ、夜は騒いじゃだめだよな、ウン」「そ、そうね……」 ――国境を起点に発生した嵐は、まだここまでは届いていなかった。