「おのれーッ、なんなのだ、あの意地悪娘は!!」 新たに受けた任務、その舞台となるラグドリアン湖へと向かう道中。跨った風竜の上で――太公望は怒り狂っていた。彼は、先程まで王宮の謁見室で繰り広げられていた光景に、心の底から憤っていたのである。「もしもタバサに『静かにしていて欲しい』と頼まれておらなんだら、あの小憎たらしい姫を、わしの<風>の最大出力でもって、城ごと次元の狭間まで吹き飛ばしてやったというのに!」 ぐぬぬぬぬ……と、両手を固く握りしめ、悔しげに何度も何度も唸り声を上げる太公望を見て、タバサは思った。あのような結果になってしまったが、やはり静かにしておいてもらって正解だったのかもしれない……と。 ――いっぽう、彼らを追いつつ『窓』を眺めていたイザベラと王天君はというと。「ね、ねえ。人間に危害は加えないんじゃなかったかしら?」 少し青ざめた顔で、そう訊ねたイザベラに。「まぁ、そうなんだけどよぉ。今は操られて、おかしくなっちまってるからなぁ。オレだって、あいつがあんなに怒るところなんて、久しぶりに見たんだぜ」 と、返した王天君だったが……実のところ、彼は内心驚いていた。普段は飄々としている太公望が、あそこまで怒りの感情を露わにするなど、めったに無いことだったのだ――自分がちょっかいをかけた時を除けば。「城ごと吹き飛ばすとか言ってるけど、まさか……冗談よね?」 怯え顔のイザベラを見て、王天君は意地の悪い笑みを浮かべた。「あいつが本気で暴れたら、城どころか、リュティス全体が1時間以内に、跡形もなく消し飛ぶぜぇ? そのくらいの<力>の持ち主なんだ」「そ、そんな! 嘘でしょ!?」「嘘なもんか。実際、あいつがちょろっと起こした竜巻で、森がまるごと吹っ飛んだこともあるくれぇだぜ? まぁ、そういうわけでだ。普通の状態なら絶対そんなこたぁやらねぇだろうが、今は別だ。落ち着くまでは、あんまり突っつかないほうがいいぜ」「わ、わかったわ……」「ま、ある意味珍しいものが見られるし、それはそれで面白ぇかもしれねぇけどな」 そう言って暗い笑みを浮かべた王天君を見て、イザベラは凍り付いた。彼は、自分のことをエルフではないと言っていたが、もしかすると……竜族の中に『韻竜』と呼ばれる上位種がいるように、エルフの中でも特に強力な亜種なのかもしれない。イザベラは、内心で密かに誓った。 ――あの男の前で、シャルロットを虐めるのはほどほどにしておこう、と。「見えてきた」 『窓』の外から聞こえてきたタバサの声で、ふたりは眼下を眺めた。その先には――ハルケギニアでも名高い名勝にして、最大の湖『ラグドリアン湖』が広がっていた。 器用に手綱を操り、湖岸から少し離れた場所に風竜を着陸させたタバサは、早速湖の中を調査すべく、杖を掴んだ。空気の球を作り、その中に入って湖底を歩こうというのだ。「む、タバサよ。おぬし、何をするつもりだ?」「湖の中を見に行く」「わしも行くぞ」「わたしひとりで大丈夫。兄さまはここで待っていて」「だめだ! 妹をひとりで行かせるなど、兄のすることではない!!」 普通の状態ならばともかく、薬の影響で明らかにおかしくなっている彼を湖底へ連れて行ったりしたら、何が起こるかわからない。そう考えたタバサは、仕方なく『お願い』をすることにした。「兄さま、お願いだからここで待っていて。大丈夫、本当に危険はない。わたしはただ、湖に入って中の様子を見てくるだけだから」「うぬぬぬぬ、そうか。おぬしがそこまで言うなら仕方がない。ならばわしは、ここで釣りをしながら待っているぞ」 太公望は渋々ながらそう言うと、懐から針と糸を取り出した。「それが……釣り針?」 タバサが疑問に思うのも、無理はない。なにせ、その針は『まっすぐ』で、鉤の部分がない。どう見ても釣り針ではなく、ただの縫い針なのである。「うむ。これはな、わしの親友からの贈り物なのだ。釣り好きなわしへくれた、とても大切な……思い出の品なのだよ」「でも、その針では魚が釣れない」「ああ、そのことか」 太公望は『打神鞭』の先に、釣り糸をぐるぐると括り付けながら、タバサに説明を始めた。「わしは、魚を食べない。それなのに、普通の釣り針を使って魚を釣ってしまったら……傷をつけてしまうであろう? だから、このまっすぐな針を水に垂らしておるだけなのだよ。まあ、これも一種の『瞑想』だのう」 タバサは思った。ああ……このひとは、本当に優しい、争いごとが嫌いなひとなのだ。魚を傷つけることすら躊躇い、それを知る友人が、あのような針を贈るほどに。そんな人物が、将官として兵を率いるなど……いったいどれほどの苦痛だったのだろうかと。そして、知りたくなった。どうしてそんな心優しい彼が、あえて軍などに所属したのかを。 その過程で、自分が呼び出した使い魔が、実は遠い異国の王族かもしれないという説を思い出してしまったタバサは、いったんそれを頭の外へ追い遣ることにした。まずは目の前の任務に集中しなければならない。気を散らしては命に関わると、己の心に言い聞かせて。 ――そこから空間を隔てた『部屋』の中では。「……な? ああいうやつなんだよ、あいつは」「本当にイイコちゃんなのね……」 『窓』を介して、彼らは見守った。タバサが『湖』の中へと入っていく姿を。○●○●○●○● ――タバサたちがラグドリアン湖へ到着した、その日。魔法学院では、モンモランシーと居残り組たちの間で、ひと悶着が起きていた。「解除薬が、作れないですってぇ――!?」「仕方がないじゃない! 材料の秘薬が、どこへ行っても売り切れだったんだもん」 キュルケとモンモランシーが、大声で怒鳴り合っている。なんでも『惚れ薬』を解除する薬を作るために絶対に必要な秘薬である『水の精霊の涙』が、全ての店で完売。しかも、入手は絶望的なのだという。思い余って闇市場まで足を運んでみたものの、そちらも空振りに終わったのだとか。「そもそも『水の精霊の涙』はね、水の精霊から直接譲り受ける必要があるんだけど……お店のひとが言うには、ここ最近彼らと全然連絡が取れないんですって」「そのせいで、秘薬が入荷されないってことらしいよ」 ギーシュが横から口を挟んだが、今は誰も彼の言葉を聞いてなどいなかった。「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! それじゃあ、ま、まさか……ミスタ・タイコーボーは、最悪1年近くあのままだっていうの!?」 ルイズは真っ青になった。例の『もしかすると彼は東方の王弟殿下かもしれない』説を聞いていた彼女にとって、それは恐怖以外の何物でもない。それがなくとも、自分の恩人が『魔法薬』のせいでおかしくなってしまったことに、耐えられなかった。 キュルケが、腕組みをしながらモンモランシーに訊ねた。「その水の精霊は、普段はどこにいるのかしら? 連絡が取れないなら、こっちから会いにいけばいいんじゃないの?」「ええーッ、そんなあ。授業はどーすんのよ」「授業なんて、後でも受けられるでしょ!? 今は、解除薬を作るほうが大切よ!」「これ以上授業をサボるなんて、わたし嫌よ。だいたい、水の精霊は滅多に人前に姿を現さないし、万が一彼らを怒らせたりしたら、それこそ大変なことになるわ」 才人は、ぶつくさと文句を言うモンモランシーをジロリと睨んだ。「なあ、モンモン。これが国のエラーイひとに知られたら、どうなるだろうな? 他の国の人間に、ご禁制の薬を飲ませたとか。間違いでしたじゃ済まねぇぞ?」 それを聞いたモンモランシーの顔から、すっと血の気が引いた。とどめとばかりに才人は静かにモンモランシーの側へ近寄ると、彼女の肩をポンと叩いた。「臭いメシ食うか? モンモン。それとも、俺たちと一緒に精霊探しに行くか?」 モンモランシーは、才人が暗に匂わせた言葉の意味を悟り、震え上がった。彼女が国の法律を破り、禁断の魔法薬を作ったのは間違いない事実なのだ。もしもこれが学院側に漏れたら、ただでは済まない。ここで下手を打てば、退学コースまっしぐらだ。「わ、わかったわよ! 行けばいいんでしょ、行けば!」「なに、このぼくが付いていけば怖いものなどないよ。モンモランシー」 気障な仕草でそんな台詞を吐きながら、ギーシュは彼女の肩を抱こうとしたのだが。「そんなの、気休めにもならないわ。あなた弱っちいし」 あっさりと振り払われた。「ところで、水の精霊ってどこに行けば会えるんだ?」「トリステインとガリアの国境付近にある、ラグドリアン湖よ」 一同は、顔を見合わせると――頷き合った。○●○●○●○● ――その翌日。 才人たち一行は、まだ日が高いうちにラグドリアン湖に辿り着いていた。秘薬を手に入れるのは、できる限り早いほうが良いと判断した彼らは、朝、ニワトリが鳴く時刻よりも前に学院を出てきたのだった。「ここがラグドリアン湖か! いやあ、実に美しい場所じゃないかね」 丘の上から見たラグドリアン湖は、どこまでも青く透き通り、眩しかった。湖面は陽の光を受け、きらきらと光り輝いている。ひとりだけ旅行気分のギーシュが、岸辺へ向かって駆け出した。そんな彼を、一同は苦笑しながら見守っている。「さすがは名勝と謳われたラグドリアン湖ね。そうだわ、次はみんな揃ってピクニックでもしに来ましょうよ。モンモランシー、もちろんあなたも含めて、ね?」 そう言って、モンモランシーにウィンクしたキュルケは、彼女へそっと囁いた。「まあ、今回のこれは事故だから。あなたも、あんな彼氏を持って大変よねえ」 そう言ってキュルケが視線を向けた先では、ギーシュが湖面の水をバシャバシャとかき混ぜて、大騒ぎをしていた。「か、彼氏なんかじゃ……!」「そうやって意地張るから、彼が嫌われてると勘違いして他に目移りするのよ」「う……あなたが言うと、説得力があるわね……」「ふふん、でしょう? だから、もう少し態度を改めてみたらどうかしら」 学院内でも特に恋愛上手で有名なキュルケの言葉には、重みがあった。少なくとも「もうちょっとだけ。そうよ、あと少しだけでいいから、自分の気持ちに素直になってみようかしら」そんなふうに、プライドが高いことで有名なトリステイン女貴族のモンモランシーが、本気で考え始めた程度には。「ねえ、早く水の精霊にお願いしてみましょうよ」 ルイズの呼びかけに、はっと現状を思い出したモンモランシーは、顔を上げた。「そうね。それじゃあ、みんなちょっと下がっていてくれるかしら」 そう言うと、モンモランシーは波打ち際に近付いて片手を水に浸し、目を瞑った。そして、小さく眉を寄せながら呟いた。「困ったわね。水の精霊は、なんだか怒っているみたいだわ」「そんなこと、どうしてわかるの?」「この湖に住まう水の精霊と、トリステイン王家は旧い盟約で結ばれているのよ。そして、水の精霊たちと交渉する役割を請け負っていたのが、わたしの実家モンモランシ家なの。わたしにも、当然その<力>は受け継がれているわ」 湖面から手を引き上げたモンモランシーに、才人が疑問を呈した。「請け負っていた……って、なんで過去形なんだよ」「それがね。何年か前に、国がこのあたりの干拓事業をやることになったんだけど……そのときに、父上が水の精霊を怒らせちゃったの。当然、事業は失敗。王政府の面目も丸潰れ。それで、交渉役を降ろされたってワケ。水の精霊相手に『濡れるから近寄るな』なんて言ったら、機嫌を悪くするに決まってるじゃないのよ! まったく、父上ったら……」「ま、まあ、お前んちの事情はわかったよ」「なるほど。だから、ここに来るのを嫌がっていたのね」「そうよ。ホントにもう、我が父親ながらバカな真似をしてくれたもんだわ」 がっくりと肩を落とすモンモランシーに、思わず同情の視線を送る一同。確かに、そんな事情があれば湖に近付くのは嫌だろう。しかし、気の毒だが今はそのようなことを言っている場合ではない。先程までとは一転、才人はやや遠慮がちに訊ねた。「んで、今でも交渉はできるのか?」「やれるだけのことはやってみるわ」 モンモランシーは腰に下げていた小袋から何かを取り出した。それは、鮮やかな黄色に黒い斑点が散った、小さなカエルであった。カエルは、モンモランシーの手のひらに乗り、大人しく彼女の瞳を見上げ続けている。 カエルが苦手なルイズが、小さく悲鳴を上げて才人に縋り付いた。そんなルイズの様子を見て「カエルを怖がるとか、こいつ意外と可愛いとこあるじゃねえか」などと思いながらも、実物を間近で見た才人は呻いた。「なんつーか、不気味な色したカエルだな。こりゃルイズじゃなくても怖がるわ」「不気味だなんて、失礼ね! ロビンは、わたしの大切な使い魔なんだから!!」 モンモランシーは、ポーチの中から針を一本取り出すと、それで自分の指先を突いた。ぷくりと赤い血が盛り上がる。流れ落ちた血を一滴、カエル――ロビンの背に垂らした。そして、くりくりとしたな瞳で己を見上げている使い魔へ、言い含めるように告げた。「いいこと? ロビン。これで、相手はわたしが誰なのかわかるわ。覚えてくれていたら、だけどね。湖の中から旧き水の精霊を探し出して、盟約の持ち主のひとりが話をしたいと告げてきてちょうだい。わかった?」 ロビンは了承の印に、モンモランシーの手の上でケロケロと鳴いた。そして、ぴょんと大きく跳ねると、湖の中へ消えていった。「これで、あの子がうまく水の精霊を見つけてきてくれればいいんだけど……」 杖を取り出し、<治癒>の魔法で指の傷を塞ぎながらそう呟いたモンモランシーに、才人が訊ねた。「なあ。水の精霊が来てくれたら、どうすればいいんだ?」「どう、って?」「いや、精霊の涙っていうくらいなんだから、泣いてもらわなきゃいけないのかなって。俺、悲しい話のレパートリーなら、いくつか持ってるぞ」 突然そんなことを言い出した才人に、モンモランシーは呆れ顔で言った。「泣かせる必要なんかないわ。『水の精霊の涙』っていうのは通称で、涙そのものじゃないんだから」「じゃあ、なんなんだい?」 ギーシュの問いに、モンモランシーは得意げに答えた。「水の精霊はね、わたしたち人間よりもずっと、ずーっと長く生きている存在なの。『始祖』ブリミルがハルケギニアに降臨する以前から、この地に存在していたらしいわ。その身体はまるで水のように自在に形を変え、陽の光を浴びると七色に輝いて、とっても綺麗なんだから。そんな彼らの身体の一部が『水の精霊の涙』と呼ばれているものよ」 そこまでモンモランシーが言ったところで、狙い澄ましたかのように湖面の一部が光を放ち始めた。どうやら、目的の水の精霊が現れてくれたようだ。湖からロビンが上がってきて、ぴょんぴょんと跳ねながらモンモランシーのところまでやってくる。モンモランシーは、そんな己の使い魔を愛おしそうに手で包み込むと、そっと撫でた。「ありがとう、ロビン。よく見つけ出してきてくれたわね」 モンモランシーは腰に下げた小袋にロビンを入れると、すっくと立ち上がり、両手を大きく広げて水の精霊に語りかけた。「わたしはモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。水の使い手にして、旧き盟約の一員よ。カエルにつけた血に覚えはおありかしら? ございましたら、わたしたちにわかる言葉とやりかたで返事をくださいな」 モンモランシーの言葉が終わると共に、水面から何かが現れた。才人たちは、それを驚きの目で眺めている。 現れた何かは、最初は只の水の塊だった。だが、それはぐにゃぐにゃと蠢きながら姿を変え――やがて、モンモランシーとそっくり同じ形になった。そして、まるでクリスタルガラスで作られた彫像のように、きらきらと煌めきながら、水面を滑るようにして一同が待つ湖岸へ近付いてくると、静かに声を紡ぎ出した。「覚えている、単なる者よ。お前の身体に流れる液体を、我は覚えている。お前と最後に会ってから、月が52回交差した」「覚えていてくれて、よかった。実は、今日はお願いがあるの。どうか、あなたの身体の一部をわけてはもらえないかしら?」 モンモランシーの姿を模した水の精霊は、にっこりと笑った。それを見て、ほっとした一同だったが、しかし。精霊の口(?)から飛び出してきた答えは真逆のものだった。「断る」 そこにいる全員で頭を下げたが、水の精霊は静かな光を湛えたまま、何も答えない。 ……と、そこで才人が前へ一歩進み出て、土下座した。「頼む。この通りだから! 俺の大切な友達を救うために、どうしても『水の精霊の涙』が必要なんだ。お願いだ、俺にできることなら何でもするから!!」 すると、水の精霊はふるふると身体を震わせて、何度も姿形を変えた。しばらくの間そうしていた後で、再びモンモランシーの姿に戻ると、才人に告げた。「ふむ……お前は<ガンダールヴ>だな? よかろう。ならば、こちらの出す条件と引き替えに、我が身体の一部をわけてやってもよい」「うわ、マジかよ! ありがとう!!」 水の精霊に声をかけられるなんて、こいつ何者なのよ! ガン……なんとかって名前は知らないけど。そんなモンモランシーの驚愕をよそに、才人は飛び跳ねて喜んでいる。「ガンダールヴよ。お前はなんでもすると申したな?」「はい、言いましたッ! いったい俺は、何をすればいいんですか?」「我の領域を侵す、お前たちの同胞を退治してみせよ」 一同は、思わず顔を見合わせた。「同胞? 退治?」「左様。昨夜から、我が領域に侵入を試みようとする者たちがいる。奴らを退治せよ。さすれば、望み通り我が身体の一部を、そなたに分け与えよう」 水の精霊が言うには、その侵入者はこの先にある森のほうから、夜になると魔法を使って水の中へ侵入してくるらしい。今のところはまだ戦いを仕掛けてくるようなことはないが、今後どうなるかわからない。それだけに、できるだけ早急に排除したいというのが水の精霊からの依頼だった。「それなら、待ち伏せして捕まえよう。相手の目的がわからないことには、依頼を解決したことにならないからね。最悪、途中で敵の数が増えるかもしれないし」 ギーシュの提案に、才人が頷いた。「オッケー、それで行こう。ところで、モンモンは攻撃魔法使えんのか?」「えッ? 無理よ、無理無理! わたし、ケンカなんてしたことないわ!」 ぶんぶんと首を横に振るモンモランシーを、ギーシュが庇った。「水系統のメイジは、攻撃にはあまり向いていないんだよ。そもそも、レディを戦いの場に出すべきではないと思うんだが」「そんなこと言ったら、俺だって実戦経験なんかねーよ。でもまあ、嫌がってる女の子を無理矢理ドンパチに付き合わせるのもなんだし、モンモンは下がってていいよ」 そこへ、燃えるような赤毛を掻き上げながら、キュルケが割り込んできた。「あら、あたしは参加するわよ。こう見えても、ツェルプストー領にいる頃に妖魔退治は経験してるし」「マジかよ! じゃあ、参加するのは俺とギーシュ、キュルケに、ルイズの4人だな。モンモンは敵に見つからないように、影に隠れててくれ」「わ、わかったわ。ところで、いい加減モンモンって呼ぶのやめてちょうだい」「なあサイト。ルイズも、モンモランシーと一緒に下がっていてもらったほうがいいのではないかね?」「……こいつが、大人しく後ろに隠れてると思うか?」「済まない。ぼくが間違っていたよ」「ちょっと! 聞こえてるわよ、あんたたち!!」 真っ赤になって叫ぶルイズに、才人が冷静にツッコんだ。「じゃあ、お前も隠れてるか?」「冗談じゃないわ! わたしは貴族よ。貴族は、戦いから逃げたりなんかしないの!」「ほれみろ。やっぱり出てくるんじゃねーか」「何か言った?」「いいえ、別にぃ~」「だったらいいのよ」 ……と、まあそんな緊張感があるのかないのかわからないやりとりの後。彼らは夜に控えた戦いへ向けて英気を養うべく、食事と休息をとることにした。 ここ最近毎日のように行ってきた訓練は、彼らに自信と慢心の両方を植え付けていた。だが、実戦経験が圧倒的に不足していた彼らは、それに気付いていなかった――。○●○●○●○● ――そして、その日の夜。「ねえ、あれじゃないの?」 森の奥から現れた、ふたつの人影。相手の姿はよく見えないが、おそらくあれが水の精霊が言っていた侵入者であろう。参加者全員が顔を見合わせ、頷いた。「よし、ここはまず様子を見て……」 そう呟き、全員に指示を出そうとしたギーシュであったが、彼の案にキュルケが真っ向から反対した。彼女は、実に不満げな声を漏らす。「なにを言ってるの。いいこと、あっちには気付かれてないのよ!? だから、ここは先制攻撃をかけるべきよ……ウル・カーノ・イス・イーサ・ウィンデ!!」 全員が制止する間もなく、キュルケは火と風のラインスペル<フレイム・ボール>を完成させ、怪しい人影に向けて解き放った。火系統に<風>を1枚足したこの魔法には、目標をある程度追尾する機能がついている。完全なる不意打ち、おまけにこのタイミング。外すことなど、まずありえない。「あ~あ。これであの怪しい奴ら、終わったネ」 そこにいた皆が、才人と同じ思いを共有していた……だが。あろうことかキュルケが放った火の球は、相手に当たって燃え上がるどころか、空中で停止してしまったのだ。「そんな、う、嘘でしょ……」 不測の事態に、キュルケはただ呆然と呟くことしかできなかった。おまけに、彼女が放ったはずの火の玉は、なんと宙に浮いたまま、みるみるうちに巨大化していく。そして、その大きな炎の塊は、囂々と音を立てて周囲の空気を食い荒らしながら、一行を飲み込まんと襲いかかってきた。まるで、何か別種の<力>によって、弾き返されたかのように。 それを見たルイズの顔は、真っ青になった。呪文を跳ね返すだなんて、ありえない。いや、中には<魔法の矢>のように、鏡に反射する性質を持つ呪文もある。でも、ここには鏡なんて無いし、バウンドするのはあくまで一部の魔法に限ってのことだ。ただし……ルイズは、とある者たちがそういう魔法を使うと、両親から教えられていた。「ま、まさかあれ、エルフの<反射(カウンター)>!?」 ルイズの叫び声で、その場にいたメイジたち全員が硬直してしまった。「え、エルフが、なんで水の精霊と……」「そんなこと言われたって、あたしにわかるわけないわ!」 そんなやりとりをしている間にも、巨大な火の球は情け容赦なく迫り来ていた。にも関わらず、まさしく蛇に睨まれたカエル状態に陥ってしまった少年少女たちは、足がすくんでしまい――そこから動くことができなかった。エルフは彼らハルケギニアの民にとって、天敵も同然なのだ。それも無理はない。 いや、その中でたったひとりだけ行動できた者がいた。それは、異世界人であるために、エルフの怖ろしさを知らない才人だった。しかし彼は、これまでの人生――ごくごく普通の高校生として生きていた頃には感じたことのない、激しい恐怖を覚え……震えていた。 彼が怖いと感じていたもの、それは。押し寄せる巨大な火の球などではなかった。才人が心から畏れていたのは――このままでは、側にいる大切な友人たちが失われてしまうという、迫り来る現実だった。 才人の内にあった恐怖は、次第に怒りへと変わっていった。先程まで感じていた畏れに比例するように強く、まさに激情と呼んでいい程に強烈な感情が、才人の全身を支配した。と……指ぬきグローブの中へ巧妙に隠されていた<ガンダールヴ>のルーンが、眩い光を放ち始めた。握った拳に<力>が宿る。「嫌だッ! こんなところで……みんなを死なせてたまるかよォ!!」 魂の底から捻り出された声に、彼の相棒デルフリンガーが反応した。「お、思い出した! 相棒、俺っちを抜け! そんで、あの火球を切り裂くんだ!!」 それは、反射的な行動であった。才人は、勢いよく背負っていたデルフリンガーを鞘から抜き放つと、飛んでくる巨大な火の球へ向けて走り出した――普通の人間には到底不可能な、まさに神速とも言うべきスピードで。そして、勢いよく振り下ろした刀身は、突如猛烈な光を放つと――なんと火球を全て、その身に吸い込んでしまったではないか! 一同は――才人も含め、あっけにとられていた。何が起きたのかわからない、そんな顔をしていた彼らの耳元へ、まるで長雨の後で、久しぶりに陽を浴びた喜びを隠しきれずに、はしゃいでまわる子供のような声が聞こえてきた。「いやあ……嬉しいねえ! この姿に戻れたのは。懐かしいねえ、思い出したよ。そうだ、俺っちは<ガンダールヴ>の左手にして『盾』たる者、デルフリンガー。6000年前のあのときも、あいつに握られてブリミルのやつを守ってたんだ。ちゃちな魔法なんか、全部吸い取ってやるぜ」 嬉しげに叫んだデルフリンガーは、眩く白い輝きを放ち――神々しいまでの姿を衆目に晒していた。その刀身からは全ての錆が消え失せ、まさに今磨き上げられたばかりの鏡であるかのように、驚いた才人の顔を、刃の表面に映し出していた。 ……いつもの才人なら、ここで「レベルアップイベント来たー!」などと大騒ぎしていたことだろう。だが、今はそれどころではなかった。彼は全身をぷるぷると震わせ、己の相棒をしっかりと握り締めながら、大声で怒鳴りつけた。「そういうことは早く言え――!!」 一斉にズッコけるメイジ一同。そして相棒にツッコまれたデルフリンガーはというと、「俺っちも、今まで忘れてたんだ。すまねぇな」 などと、とぼけた声で答え……場に安心感が漂い始めた。しかし、そんな和やかな空気があっさりと掻き消されたのは、それから間もなくのことであった。○●○●○●○● ――刻は、デルフリンガーが真の姿を現した、ほんの少し前まで遡る。 タバサと太公望のふたりは、昨日の場所から少し離れた湖岸へと移動していた。昨夜の調査では何も掴めなかったため、再び水中へ潜る必要があったからだ。 そんな彼らの元へ、突然、何の前触れもなく巨大な火球が襲いかかってきた。とっさに<風の盾>の詠唱を開始したタバサだったが、到底間に合いそうになかった。 だめ、かわしきれない! タバサは思わず顔を伏せた。しかし――最後の瞬間は、いつまでたっても訪れなかった。そろそろと顔を見上げたタバサの視線、その先にあったものは。彼女を庇うように立ちながら『杖』正面に突き付けるようにして、目の前の火球を止め……まるで捏ねまわすように、練り上げている太公望の姿であった。 さらに、その巨大化した炎を撃ち返したのを見るに至ったタバサは、驚きのあまり立ち尽くした。こんなことは、メイジの常識ではありえないことだ。だが、本に書かれたエルフの得意技<反射>ともまた違っている。前に見た、遠距離攻撃を防ぐ<フィールド>でもない。彼にはいったい、どれだけの隠し技があるというのだろう。 すると突然、彼女を庇うように立っていた太公望の周囲から、静かな……それでいて、浴びた者を心の奥底から凍り付かせるような気配がゆらり、と立ち昇った。彼は『杖』を左手で握り締め、ふるふると身体を震わせている。「おのれ……わしの大切なタバサに、よりにもよって火を向けるとは……!!」 タバサは、はっとして太公望の顔を見た。そして、震えた。今までに見たことのない、彼の貌(かお)。そこに浮かぶ激しい憎悪の色に、彼女は恐怖してしまった。「あのときとは違う。わしはもう、無力な子供などではない。タバサよ……もう二度と、おぬしを……何も出来ずに、妹を死なせたりするものか!!」 わたしを……妹を死なせない? もう、二度と……? まさか、彼は――!「『打神鞭』・最大出力!!」 太公望の怒りに満ちた叫び声と共に、彼とタバサを中心にして――巨大という言葉では生やさしい程の、大竜巻が出現した。「な、な、なによ、あれ……」 『部屋』の中からタバサたちを観察していたイザベラは、震え上がった。『スクウェア』などというレベルを超越した、天空へ届かんばかりにそびえ立つ巨大な竜巻が、一瞬にして周囲の森を消し飛ばした場面を見てしまったのだ、それも当然だろう。その一方で、彼女の隣に陣取っていた王天君は、爪を噛んでタバサを睨み付けていた。「やっぱりそうか。あのガキ、よりにもよって太公望を、自分のことを妹だと思い込ませて操ってやがる……最悪じゃねぇか。あれじゃ、怒り狂うのも当然だぜ」 そう呟いた声に、イザベラが反応した。「どういうことかしら?」「妹が……いや、家族が隣国の奴らの手で皆殺しにされてんだよ」 あのガキ……治す用意をしていると言っていたが、もしも太公望が元に戻らなかったら、ただじゃあ済まさねぇぞ。そう言って凄む王天君の姿は、まさしく『死神』そのものであった――。 そして、その巨大竜巻の顕現を見た才人たちのほうはというと――。「な、な、な、ななななんだアレは」「あの規模……『スクウェア』どころじゃない」「じゃ、じゃあ、ま、まさか<ヘクサゴン・スペル>!?」「三王家に伝わる、伝説の魔法……この目で見る日が来るなんて」 あまりのことに、メイジたちは完全に腰が抜けてしまって動けない。魔法で逃げることすら思いつかない。そんな彼らを叱咤したのは、魔法が使えない才人であった。「馬鹿野郎、早く逃げろ! 俺があれを食い止めている間に!!」 そう言って、才人はデルフリンガーを片手に竜巻目掛けて駆け出した。その後ろ姿を見たルイズの心は――完全に凍り付いた。彼が行ってしまう。わたしたちを助けるために、たったひとりで、あの……巨大な暴風の渦中へ。 ルイズは絶叫した。嫌よ! わたしの使い魔、ううん違う……わたしの『護衛』、わたしの『道』、わたしの、大切な……!!「いや――ッ! 行かないで、サイト―――ッ!!」 そんなルイズの叫び声……いや、魂が上げた悲鳴に気がついたのは、タバサだった。『音』に敏感な風メイジならではの聴覚が、ここで幸いした。暴風の中心にいたのが彼女でなければ、声を捉えることすら不可能だっただろう。 このままでは、太公望が彼らを死なせてしまう。それに気付いたタバサは、急いでルーンを紡ぎ出した。「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ!」 背後から、突如薄緑色の<眠りの雲>に覆われた太公望は、そのまますぐ意識を失い――それと同時に、彼の周囲に顕現していた巨大な竜巻は、そこにあったことがまるで嘘だったかのようにふい……と、かき消えた。