――タバサと太公望による『ハンデ戦』が終わってから、約1週間後。物語の舞台は、ガリアの王都リュティス、その東の郊外に林立する宮殿群ヴェルサルテイルの一画『プチ・トロワ』へと移る。 薄桃色の大理石で組まれたその宮殿の一室で、ガリア王国の王女イザベラ・ド・ガリアが昼餐を摂っていた。「この酒に料理……なんてまずいんだい。もう飽き飽きしてしまったよ」 イザベラは、そう言って形の良い眉根を寄せた後、脇の小テーブルに置かれていた豪奢な羽根扇子を手に取ると、口元を隠すように広げた。「そうだねえ……どれにしようか」 側に控えた侍女や召使いたちが、小さく怯えた。もしや、またしても虫の居所が悪いのであろうか、と。 そう、この王女。機嫌が悪い時に見せる態度が、本当にロクでもないのである。と……そのイザベラが、周囲に控えるものたちを見回し始め、何度か小さく頷くような仕草をした後、指差した。「そこのお前と、そっちのお前。こっちへ来るんだ」 イザベラによって『ご指名』を受けた侍女ふたりは、真っ青になった。周囲の者達は、哀れな犠牲者に対して同情の視線を送っている。「まず、そこの前。奥にある果物籠と、焼き菓子全部。それを、わたしの部屋へ運びなさい。そっちのお前は、厨房からしぼりたてのフルーツジュースを冷やして、ピッチャーで持ってくるんだ。グラスの数は……4つだ。一国の王女たる者、同じモノを何度も使い回すなんて真似はしたくないからね」 そう言うと、イザベラは席を立った。指名された者も、それ以外の者達もほっとした。どんな難題を持ちかけられるのかと戦々恐々としていたのだから、それも当然である。 ……と、部屋の外へ出ようとしていたイザベラが、再び口を開いた。「そうそう、残った昼餐の料理は、お前たちがたいらげな。いいかい、残したりしたら承知しないよ! なにせ、国中から集められた腕利きのコックたちが作った料理なんだ。本来なら、わたしたち王族しか口にできないものなんだからね。わかったかい?」 そして、今度こそイザベラは部屋の外へと出て行った。「いやはや……どんな難題が持ちかけられるかと、冷や冷やしたよ」「まったくだ。こんなすごい料理を残さず食べろ、なんて話なら大歓迎だ」 テーブルの上に並べられた昼餐は、それはそれは豪華で……しかも、今ここにいる人数では食べきれないほどの量があった。「だったら、そこに立ってる衛兵さんも呼んで、みんなで食べないか」「それはいい考えだ」 ――そして、召使いたちは思わぬ役得に預かったと心から喜んだ。「あっはっは! まったく意地汚い連中だねえ」 イザベラは、グラスに注いだフルーツジュースを片手に、昼餐会場を眺めていた――自分の部屋であって、そうではない場所から。そこへ、奥のほうから声がかかった。「なぁイザベラよぉ。ちとこっち来て見てみろよ。面白ぇコトになってんぜ」「え、本当? どれどれ……」 イザベラは、声のしたほうへ向かうと……その先にある『窓』を覗き込む。「おほ! おほ! おっほっほ!!」「な? 傑作だろ!?」「なによ、あれ! あはははっ!! 積んだ皿を手で滑らせて全部割っただけじゃなくて……おまけに隣の棚にぶつかって……くくっ……中で食器が雪崩起こして……」 イザベラを呼んだ者――青白い顔に、長い耳を持った少年は、器に盛られた焼き菓子を手で掴めるだけ掴み取り、口へ放り込むと……それをバリボリと噛み砕きながら言った。「その前はもっとすごかったんだぜぇ!? あのガキ、厨房のど真ん中ですっころんで、器の中身全部ぶちまけやがってよぉ。しかも、そいつがまた見事に料理長の顔面にクリーンヒットしやがってな……ククククッ」「うそー! もうっ、最初からそっちを見ていればよかったわ!!」「って。またやりやがったぜ、あいつ! 見てて本当に飽きねぇなぁオイ!!」「あっはっは……あはははっ!!」○●○●○●○● ――時は、半月ほど前まで遡る。「そう怖がらなくていいんだぜ……オレは、お前の味方だ」 突如引きずり込まれた部屋の中で、イザベラは目の前の『エルフ』にそう告げられた。はじめは、何を言われているのかわからなかった。「あの『窓』を開けてオレを呼んだのは、オメーだろう? オレぁこんな姿だからよ、怖がって騒がれちゃ面倒だと思ってな、こっちへご招待させていただいたと。まぁそぉいうわけだ」 イザベラは、戸惑いの表情を浮かべた。『窓』? ひょっとして、このエルフは……わたしの<サモン・サーヴァント>のことを言っているの?「でだ。ちぃと話を聞かせてくれねぇか? 教えて欲しいことがあってな。もちろん、タダでなんて言わねぇ。オメーさえよければ、オレの<力>を貸してやってもいい」 イザベラは、だんだん落ち着きを取り戻してきた。もともと王族としての教育を受け、さらに『裏』仕事を一手に任される程の実力を持つ彼女である。状況判断は早かった。 このエルフは、少なくともわたしを今すぐどうこうするつもりはないようだ。それに――わたしさえよかったら<力>を貸してくれるとまで言っている。あの、強大な<力>を持つといわれるエルフが……だ。 イザベラは、改めてソファーの中央へ腰掛けると、姿勢を正し、目の前の少年に向き直った上で、自ら名乗った。「わたしは、ガリア王国の王女。イザベラ・ド・ガリア。あなたを呼んだ者よ。よろしければ、お名前を教えていただけるかしら?」「へぇ……本物の『お姫さま(プリンセス)』だったわけか。オレの名前は王天君。まぁよろしくたのむぜ。ククク、だいぶ落ち着いたみてぇだな。話……させてもらって、かまわねぇか?」 イザベラは、頷いた。 そうして、ふたりはお互いに語り合った。イザベラは<使い魔>を召喚するため、それ専用の『ゲート』を開くための呪文を唱えたこと。 王天君は、突如現れた『窓』によって攫われた、自分の『弟』――『半身』というとややこしいのと、王奕(おうえき)がベースである自分のほうが当然年上なので、太公望を『弟』ということにした――を探していることを告げた。「あいつが、この世界のどこかにいるのは間違いねぇ。でだ、オメーに<力>を貸す見返りに、情報と食料を提供してもらえねぇか? ああ、寝床は要らねぇ。こんなふうに、自分で用意できるからな」「それで、あなたが貸してくれる<力>とは、どんなものなのかしら?」 イザベラは、王天君の<力>を見た。そして驚愕した。それは、部屋中に現れた数十枚を越える『鏡』。いや、正確に言うと『自分の姿が映らない窓』だろう。その中には――王宮のそこかしこで繰り広げられている光景が映し出されていたのだ。「これが、オレの<力>だ。この部屋は、誰にも見えねぇ。だが、こっちからはこうやって、好きな場所を、好きな時に『窓』から覗くことができる。しかも、相手の声は全部筒抜けだ。どぉだい? オメーが気に入ってくれたんならいいんだがな」 『使い魔は、自分の目となり、そして耳となる』 これは、素晴らしい『目』にして『耳』ではないか。イザベラは、すぐさま彼の価値に気がついた。その上で、取引することにした。自分が呼び出した、このとてつもない<力>を持つ者――王天君を相手に。 その後すぐに、ふたりは交渉を開始した。食料の提供については全く問題ない。その見返りとして、イザベラは職務中以外の時間に、王天君の部屋からいろいろな場所を見せてもらうことを条件とした。「オレは、絶対にこの『部屋』から出ねぇ。理由は……」「その姿が目立つから、よね?」「そうだ。あぁ、できれば口元と耳が隠れるような扇子を用意しておきな」「それは何故かしら?」「オレが気付いたことがあったら、オメーの耳元に小さな『窓』開けて教えてやれる」「そんなことまでできるなんて……あなたって最高よ、オーテンクン!」「イザベラよぉ。オメーもなかなか見所があるぜ。どうだ? オレ達は……」「ええ、いいパートナーになれそうね。よろしく頼むわ」 こうして、彼らは手を取り合い『パートナー』となった。ただし、お互いを尊重するという意味合いで<コントラクト・サーヴァント>は行わないこととした。「もしも、どっかのバカが『姫様にも使い魔が必要でしょうな』とか言い出しやがったら、オレが『楕円の窓』開けて、そっからフクロウでも飛ばしてやるよ」「あら、それはいい考えね! その時はお願いするわ。ところで、あなたの好物って何かしら? この国でいちばん腕のいいコックに作らせて運ばせるわ」 こうして、似た者同士……結構すぐに打ち解けたふたりであった。 ……で、時は現在へと戻る。 『窓』の中を見てひとしきり爆笑した後、イザベラは、以前から疑問に思っていたことを王天君に聞いてみることにした。「ねえ、オーテンクン。思ったんだけど……あなたの<力>で、もっと遠い場所を見ることはできないのかしら?」 そう。現在『窓』の中に映るのは、このプチ・トロワの中だけなのである。「できなくもねぇが……まだ『網』を広げてる最中でよぉ」「『網』って何かしら?」 イザベラの質問に、爪を噛みながら王天君は答える。「ああ、蜘蛛の網……っつってもお姫様にはわかんねぇか……この『窓』を開くには、そのための準備が必要でな。今、少しずつそれを作ってんだ。もうちっとでこの建物だけじゃなくて、あの青い城の中も見えるようになるから楽しみにしてな」「そうだったの……準備が必要だったなら、当然ね。楽しみにしてるわ」 ……と、その時だった。とある『窓』から、おかしな声が聞こえてきたのは。「ん、なんだ?」「あれって、侍女のひとりと……花壇騎士の男、よね」 『窓』の先に映し出された光景は、所謂『身分の差に屈しない愛』と称した、男と女のラブゲーム。誰もいない部屋の暗がり。ひっしと抱き合うふたり。その先には寝台が――。「ここで、更に先の展開を見続けることもできるけど……これ以上セクシーな場面を実況したら、ここの年齢制限的にヤバくなくて? オーテンクン」「ダメ」「はあ……やっぱりそうよねぇ……つらいわぁ~」「って、オイ。オメーの部屋に誰か向かって来てんぞ?」「あらやだ、父上の伝令係だわ。何か指令書でも持ってきたのかしら? それじゃあ、わたしは仕事に戻るわね」 そう言って、イザベラは『王天君の部屋』から外へ出て行った。「王族ってなぁどこでも大変だねぇ。ま、オレは今のうちに『網』広げておくか」 こうして、ふたりはなすべき仕事に取りかかった。○●○●○●○● ――いっぽうそのころ。トリステイン魔法学院のとある一室では。 金色の巻き毛と、青い瞳を自慢としている少女――モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシが、自室でとある魔法のポーションを調合していた。やせぎすで小柄なその身を椅子にあずけ、無我夢中で壷の中の薬をかき回している。 現在彼女が調合しているのは、ただのポーションではない。それは、禁断の秘薬。国の法律で、作成と使用を禁じられている『ご禁制の薬』だ。「まったく、あいつが悪いのよ! な~にが『君が空を舞う姿は、まるで流れ星のようだ』よ! あれだけわたしに愛してるだの、永遠の奉仕者だの言ってたくせに。そうよ、あいつが浮気性じゃなかったら、こんなものを作る必要なんてなかったのに!!」 香木をすり潰して作った粉薬や竜硫黄、マンドラゴラなどを掻き混ぜた中に、肝心要の秘薬――調合した『香水』を他の女生徒たちに売ることで、こつこつ貯めたお金で購入したそれを、こぼさぬよう細心の注意をはらって、少しずつ壷の中へとたらしていった。「……ついに、完成したわ」 モンモランシーは、できあがったポーションを、慎重に手持ちの香水瓶の中へと注いでいく。そしてそれは、余すことなく瓶の中へ収まった。この薬を作るために、彼女は貯金のほどんどを使い果たしてしまった。その額、なんと700エキュー。平民ひとりが、数年間遊んで暮らせるほどの金額だ。「さて、と。あとは、これをどうやって使うか、よね……」 モンモランシーがこの薬を作ったのには、理由があった。万が一所持していることがバレたら、国から厳しい罰が科せられると知りつつも、どうにも我慢がならない悩みごとがあったのだ。 ……モンモランシーの悩み。それは、彼氏の度重なる浮気であった。 彼氏の名は、ギーシュ・ド・グラモン。ふたりが付き合っていることは、ほぼ公然の秘密状態なのであるが、彼女はギーシュとよりを戻し、交際を再開していることを頑ななまでに認めようとはしなかった――それは何故か。本人のプライドもあるのだが、それ以上に問題なのがギーシュの浮気性だった。彼氏に浮気をされるなど、トリステイン女貴族としての沽券に関わるのである。 可愛い女の子が近くにいたら、ついつい目をやってしまうのが男の性だから、ある程度は仕方がないとはいえ――時と場合、状況によってそこはグッと耐えねばならないのである。ところがギーシュは、そのあたりがまったくもってわかっていなかった。 なんと、ふたりっきりで陽当たりの良いベンチに腰掛け、愛の言葉を囁いてもらう。そんな時でさえ、ギーシュときたら目の前を通り過ぎた女性へ視線を移した上に、なんと声までかけてしまうのだ。しかも……。「あいつ……最近、やたらルイズと一緒にいるのよね」 現在進行形で交際しているはずの自分よりも、クラスメイトのルイズと過ごしている時間のほうが長いのだ。 ……あえてここでギーシュの擁護をするならば、彼はルイズと過ごしているのではなく、その使い魔にして護衛である才人と、訓練のために一緒にいる。ただ単に、それだけの話なのであるが……。「なにが流れ星よ! なにが箒星よ! あの浮気者~ッ!!」 恋する乙女は盲目とはよく言ったものではある……が。この場合、モンモランシーは同情されてしかるべきであろう。ハッキリ言って、9割方ギーシュが悪い。残り1割はモンモランシーの、トリステインの女貴族特有のプライドの高さから来る『お互いの距離を縮めたいのに、プライドが邪魔をして、つい邪険にしてしまう』性格のせいであろうが。 モンモランシーは、ここ1週間ほどギーシュの行動を観察した上で考え出した作戦に満足していた。これなら自然に、かつ、さりげなく目的のブツを口にさせることができるだろう……と。 ――彼女は、作戦を実行すべく行動を始めた。『それ』を手にして。○●○●○●○● ――放課後・トリステイン魔法学院の中庭にて。 ここ半月ほど、彼ら――太公望、タバサ、ルイズ、才人、キュルケ、ギーシュの6名は、この場所に集ってそれぞれの訓練を行っていた。 才人は、おもにギーシュと剣の訓練、その後太公望との組み手を。 タバサは、それを見て『空間の感覚』を磨くべく神経を研ぎ澄ませ。 ルイズは、箒よりも重いもの――現在は、ふたりがけのベンチを浮かせ。 キュルケは、最低限の<精神力>でもって、以前と同威力の魔法を撃つ。 そして、それらが一段落、あるいは休憩している者は、側に置かれたベンチ――ルイズが浮かせているものとはまた別の――に腰掛け、他の者の様子を見ていた。「ギーシュが休憩に入ったら、さりげなくこのワインを持って行けば……うふふ、我ながら完璧な作戦だわ」 ――激しい運動をした後で、喉が渇いているであろうギーシュに、例のポーション入りワインを手渡す。これがモンモランシーの考えた『作戦』であった。 現在ベンチに腰掛けているのは、タバサとミスタ・タイコーボーのふたりだ。いつもなら、ギーシュが戻ってくるのと入れ替わりにタイコーボーは訓練に入る。狙うのは、そのタイミングだ。モンモランシーは、虎視眈々と機会をうかがっていた。「いよっしゃあ! これで俺の勝ちだ」「くうっ! もう一撃入りそうだったんだがね……次こそは!!」 そんなことを言いながら、ギーシュが戻ってくる。今だ! モンモランシーは、グラスを傾けたりしないよう、細心の注意を払いながらベンチへと近付いていった。ところが……ここで、彼女にも。そして当人にも想像だにしていなかった事態が発生する。「ふむ。だいぶ動きが速くなったのう、才人よ」「へっへっへー、だろう? お前の顔面に一撃入れるまでもうすぐだ!」「ワハハハハ、バカめ! そううまくゆくものか!!」 ……と、太公望は答えたものの。ここ数日の才人の伸びは実際凄まじいものがある。「こやつ、本当に武成王の血を引いているんじゃなかろうか」などと、捏造かました太公望ですら疑いはじめたほどのレベルで成長している。 未だ顔面どころか、クリーンヒットすら受けていないが、さすがにそろそろお灸を据えてやらないと、また調子に乗り出すかもしれない。最初から泥酔拳で行きたいところだが、今日は酒を持って来ることが出来なかった――厨房の警戒レベルが上昇したからだ――はて、どうしたものか。 と、そこへ。ひとりの少女が近付いてきた。手にワイングラスを持って。「おぬし、それはワインではないか!? 悪いがちょっともらうぞ」 そう言って、太公望は少女――モンモランシーの手にあったグラスを素早く横取りすると、中身を一気に飲み干してしまった。「ああーッ!!」 思わぬ事態に悲鳴を上げたのはモンモランシーだ。しかし、まずい。このままここにいたら……『アレ』を飲んだ彼に、自分の顔を見られてしまう! 少女は、慌ててその場から逃げ出した。「いったいどうしたというのだ? いきなりで驚かせてしまったかのう」 ぽかんとした様子で、モンモランシーが走り去る姿を見送った太公望。「どうしたの?」 そこへ声をかけてきたのは、先程まで隣に腰掛けていたタバサであった。「ああ、それがの……ッ!?」 タバサと目を合わせた瞬間。太公望はその場で硬直してしまった。身体から力が抜け、手に持っていたワイングラスを取り落とす。そしてグラスは、そのまま地面へ落ち――パリーン……と、乾いたような音を立てて割れた。「ううッ、こ、これ……は……」 太公望は、その薬効に覚えがあった。強引に精神を塗り替えられるような感覚、そして鼻孔に漂ってくる蠱惑的な香りと痺れ……これは、まさしくかの女狐が得意とした<魅惑(テンプテーション)>の術そのものだった。「ま、まさか、さっきの娘が持っていたものは――!」 突如地面へと蹲り、頭を激しく振り始めた太公望の様子に、周囲の者たちはただならぬものを感じて駆け寄ってきた。「おい、大丈夫か!?」「タイコーボー!」「何があったんだね」「ちょっと、しっかりしなさいよ!」「いったい、どうしたっていうのよ」 太公望は、必死に<魅惑の術>に抵抗しようともがいた。だが、体内に取り入れるという形でかけられてしまったせいか、いつもであれば耐えられる術に、うまく対応できない。このままではまずい。せめて、タバサに……彼女なら、もしこのまま自分が倒れたとしても、うまく対処してくれるであろう。そう望みをかけて、口を開いた。「何か薬……おそらく、魅惑系……精神を……書き換え……さっきの娘……」 ――そこまでなんとか言い残した後、太公望の意識は闇へと落ちた。○●○●○●○●「惚れ薬ぃ!?」「ば、馬鹿! 大声出さないでよ……禁断の薬なんだから」 ベンチに太公望を寝かせ、キュルケに介抱を頼んだタバサとそれ以外のメンバーは、太公望が言い残した言葉『さっきの娘』という一言を手がかりに、即座にモンモランシーを追い掛け、身柄を確保。現場へと連行した。 そして、洗いざらい事情を吐かせた。取り調べを担当したのはタバサである。その身に纏う、荒れ狂う吹雪のような雰囲気に飲まれたモンモランシーは、あっさり全てを語った。 ギーシュの浮気性に悩んでいたこと。そして、高額の秘薬を手に入れ調合し、ご禁制の『惚れ薬』を調合したこと。それを飲ませれば、彼の浮気が一時的にでも治るかもしれないと考えたこと。しかし、ふとした事故で、それを太公望が口にしてしまったことを――。 ギーシュは感動していた。まさか、彼女がそこまで自分を想っていてくれたとは、これまで思ってもみなかったのだ。「モンモランシー、そんなにまでぼくのことを……」「ふんっ、別にあなたじゃなくても構わないのよ! 暇つぶしに付き合っていただけ。ただ、浮気されるのが嫌なだけなんだから!!」 その台詞に呆れたのは才人とキュルケであった。「暇つぶしの付き合いに、メチャクチャ高い、しかもご禁制の薬使うんだ?」「これだからトリステイン貴族は……プライドだけ高くって、自分に自信のない女って、困ったものよね。そうは思わなくて?」 しかし。そんな彼らのやりとりとは裏腹に、タバサの纏う冷気はどんどんと強まっていった。実は彼女、あるトラウマを抱えているのである。そういう意味で、今回の事件はまさしく『地雷』そのものであったのだ。「それで?」 聞く者全てが凍えるような声で、タバサは呟いた。「それで、って……?」「彼が飲まされた薬には、具体的にどんな効果があるのか詳しく述べよ」 モンモランシーは、心の底から震え上がった。こんなタバサの姿は、これまで全く見たことがなかったから。「の、飲んだあと、いちばん最初に目を合わせたひとに強く魅了される効果があるわ。それ以外は、一切目に入らないほどに」「……最初にミスタと目を合わせたのは誰だね?」「おそらくわたし。それから彼は倒れ込んだ」 そう呟いたタバサの声に、才人は青くなってしまった。「ヲイ、それマズくねーか。あいつロリコンになっちまうぞ」「ロリコンって何かしら?」 才人の言葉が聞き慣れない言葉だったため、質問したキュルケ。「ロリータ・コンプレックスの略。小さな女の子しか愛せない男のこと」 うわぁ……と、周囲の空気がなんともいえないものに変化する。しかし、唯一事情を知らないモンモランシーがぽかんとした顔をしていた。「え? でもミス・タバサと彼って、1つか2つしか違わないでしょう?」 このモンモランシーの言葉を聞いた彼らは、互いに目を見合わせ……そして、頷き合った。事情が事情だ、この際仕方がないだろう。「彼は、見た目通りの年齢ではない」「子供みたいな顔してるだろ……あれで27歳なんだぜ……」 馬鹿ねえ、人を担ぐのもたいがいにしなさいよ。そう言って軽く笑ったモンモランシーは、周囲の様子に気がついた。皆、一様に黙り込んでいる。「冗談……よね?」「冗談だったらどれだけ良かったか」「嘘よおぉぉぉおおおおお!!!!」 ……と、そんなモンモランシーの大声で気がついたのか、太公望がベンチの上で身じろぎすると、ゆっくりと上半身を起こした。「なぜだ……? どうしてわしは、こんなところで寝ておったのだ」 うげ、起きちゃったよ……そんな空気が辺りを支配する。だが。「どうした? みんな揃って。わしの顔に何かついておるのか? しかし、いつのまに寝ておったのだろう……最近の疲れが溜まっておったのだろうか」 そんな彼の様子は、普段と全く変わりがないように見える。「もしかして、効いてない?」「そんな馬鹿な! わたしは調合に失敗なんてしてないわ!!」 試しにタバサが近付いてみても。「うーむ。今日は早めに休んだほうがよさそうだ。かまわぬか?」 などと聞いてくる始末。どこからどう見ても、普段と変わらぬ太公望だ。「もしかすると、ミスタのことだから<抵抗>に成功したんじゃないかしら」 安心したわ……と続けたルイズの言葉に、全員が心から同意した。だが……その穏やかな空気は、太公望が発した次の台詞によって粉々に打ち砕かれることとなる。「そろそろ日も陰ってくるであろう。さあタバサ、兄と一緒に部屋へ戻るのだ」 ――ん? 今、タイコーボーさん何て言いましたカ? 全員が石になった。「タイコーボー、今、何て言ったの?」 タバサは、震える声でそう訊ねた。「む? どうしたのだタバサ。いつもは兄さまと呼んでくれるではないか。それはともかく、部屋へ戻ろう。おぬしが風邪でもひいたら困る」 ……全員、石から青銅に変化した。そんな空気を察することなく、どうしたのだ、皆も早く戻ったほうがいいと思うぞ。などと言葉を続ける太公望。「あきらかに惚れ薬が効いているみたいね……方向性がおかしいけど」 キュルケの言葉に、相変わらず嘘よー! と、絶叫するモンモランシー。と……そこへまた才人が余計な一言を付け加えた。「まさか、タイコーボーってシスコンだったのか!?」 唖然とした才人。これまた聞き慣れない言葉に、今度はギーシュが反応した。「シスコンとは何だね?」「シスター・コンプレックスの略。妹とか姉のことを溺愛する奴のこと」 そんな発言をよそに、タバサへ向かって「安心してよいぞ、全てこの兄に任せるのだ!」などと言い続けている太公望を見た一同は、こう思った。「……シスコン?」「シスコン……」「シスコン!!」 だがしかし。タバサだけが、その流れに乗っていなかった。 ――今、わたしの目の前にいるタイコーボーは。いつもの彼ではなくなってしまった。よりにもよって……『薬』のせいで。 タバサの心は凍り付いた。その後……激しい怒りに囚われた。それは、ここ数年の間、ついぞ感じたことのないほどに大きなものだった。この瞬間、モンモランシーが踏み抜いたものは『地雷』から『大型地雷』……いや『核地雷』へと変化した。「早く彼を元通りにして」 静かに。だが、内に激しい怒りを込めてモンモランシーへ通告する。「い、いいじゃない別に。優しいお兄さんができたと思えば……ひっ」 タバサの纏う空気が変化した。彼女は無表情のまま<ルーン>を紡ぎ始める。「か、解除薬を作るには、とっても高価な秘薬が必要で……」 顔を引きつらせながら後ずさるモンモランシー。だが、そのときタバサの呪文が完成した。彼女の得意な<氷の矢>。これまで3本まで同時に撃つことができていた魔法。しかし今、タバサの周囲に漂っているのは――その数、なんと20本。 ……そう。タバサはこの怒りで『スクウェア』へのランクアップを果たしたのだ。 そんなタバサを見たモンモランシーの全身に、嫌な汗が流れ始める。彼女はじりじりと後ずさりしながら叫んだ。「で、でも、それを買うだけのお金がないのよ! 本当よ!!」「いくら必要なの」「ご、500エキュー……」 その言葉に、いまいち金銭感覚のない才人以外の者たちは戦慄した。「大金じゃないか……ぼくらの小遣いじゃ、とても足りないよ」「たしかに、ぽんと出せるような金額じゃないけど……なんとかしないと、あなたタバサの『アレ』で穴だらけにされるわよ?」「だ、だからね、効果が切れるのを待てば……」「それはいつ?」 <氷の矢>を待機させたまま、タバサは問うた。「個人差があるから……だいたい1ヶ月か……1年ぐらい」「長すぎだろオイ! なんとかしろよモンモン!!」「誰がモンモンよ!!」 ――結局。この場にいる全員から借金をして必要な材料を購入し『解除薬』を作る。そうタバサと約束することによって、どうにか『穴だらけ』にならずに済んだモンモランシーは、涙した。どうしてこんなことになったのだろう……と。 最終的に、彼女に「全部あんたのせいよ!」という叫びと共に、頬を張られたギーシュであったが、これはある意味自業自得であろう。○●○●○●○● ――いっぽう、そのころ『王天君の部屋』では。「なんだ、その紙っ切れはよぉ」「ああ、お父様から寄越された指令書よ。なんでも領内にあるラグドリアン湖っていう湖の近辺で、精霊が悪さをしているみたいだから、それを鎮めてこられるような部下を出して対処しろ、ですって。ふふん……これはあの『人形娘』にピッタリな『任務』だわ」 ほくそ笑むイザベラに、王天君は訊ねた。「なんだぁ、その人形娘ってぇのは?」「ああ、まだ言ってなかったわね。あたしの従姉妹なんだけど……今は部下として使ってやっているの。人形みたいに表情がない娘でね、ちょっと魔法が上手いからって、それを鼻にかけて、しかも周りにちやほやされていい気になってたのよ。だけどね……」 ププッ……と吹き出したイザベラへ、怪訝な表情を浮かべた王天君。「<サモン・サーヴァント>に失敗して、なんと人間を呼び出しちゃったのよ。それも……異国のメイジをね。あれはおかしかったわ。いつもひとを見下してたくせに、いい気味!」 そう言って笑うイザベラに、王天君は静かに語りかけた。「なあ……イザベラ。その人形娘とやらが呼び出した『人間』について、オレに詳しく教えてくれねぇか」 ――こうして。歴史の『道』は、再び交差するべく動き出した。