――ずいぶんと味つけの薄い料理が並べられた晩餐会が済んだ後。 太公望は、従者用としてあてがわれた部屋には向かわず、まっすぐにタバサの部屋――彼女は、騎士ということで立派な客間兼寝室に通されていた――へ出向いていた。当然、明日の作戦会議を開くためである。 タバサとふたり、コボルドの習性その他について改めて復習をしていたその時、ふいにコツコツと、扉をノックする音が聞こえてきた。「誰?」 タバサが問うと、しわがれた声が響いた。「わしです」 ユルバンの声だった。タバサが頷いたのを見た太公望が、扉を開けると――そこには、平服に着替えた老戦士が立っていた。 自分を部屋へ招き入れた者が、訪問相手であった騎士の少女ではなく、その従者だったことに少し驚いたような顔をしたユルバンだったが、奥にタバサの姿があることを確認すると、神妙な顔をして彼女の側へと歩み寄ってゆく。そして、無言のまま自分を見つめているタバサの前に、片膝をついた。「お頼み申す! どうか! どうかわしも明日の討伐に連れて行ってくだされ!!」「そのつもりだった」「そこを曲げてお願い申し上げ……………え?」 一瞬自分の耳を疑ったユルバンだったが、タバサが再度放った、「あなたを連れて行くと言っている」 と、いう言葉に、聞き間違いではなかったのだと改めて喜んだ。「ま、まことでございますか! ありがたい、深くお礼申し上げる!!」 時代がかった仕草で、ぺこぺことお辞儀をするユルバン老人に、タバサはポツリと事実を告げた。「感謝する相手が間違っている。わたしは反対だった。あなたを連れて行くのは、彼がそう進言したから」「お嬢さま! 年長者に対する礼を欠くなど、貴族にあるまじき振る舞いですぞ」 そう言って、扉の側から近寄ってきた年若い――お嬢さまと呼んだ相手と、せいぜい2つか3つ程度しか違わないであろう従者をまじまじと見つめながら、ユルバンは思った。この若者が、わしを連れて行ったほうがよいと進言してくれたとは、一体どういうことであろうかと。「何度も申しておりますでしょうが! ユルバン殿は、長きにわたってこの村を守り続けてきた、歴戦の戦士と男爵夫人より伺っております。なればこそ、周辺の地形にも詳しいはず。間違いなく討伐の助けになってくださると。それに、よくご覧くだされ! ご老体とは思えぬ引き締まった肉体! これぞ日々の鍛錬を欠かしておらぬ証拠ですぞ!」「わたしは、あなたを討伐任務の大先輩として信頼している。だから、あなたがそこまで言って同行を求めるユルバンを信用することにする」「ですからその言い方は……と、失礼したユルバン殿。そういうわけで、是非とも貴殿の力をお借りしたい。実はこちらからお願いに出向くつもりでおりましたが、わざわざお越しいただけるとは。感謝いたす」 呆然としていたユルバンを尻目に寸劇を繰り広げていたひとり……太公望が、ぺこりと頭を下げる。ユルバンも、つられて礼を返す。「ユルバン殿。ご覧の通り、お嬢さまはまだお若い。当然のことながら、妖魔討伐の経験も少ないので、今回は普段討伐任務を請け負う家臣団の中から、比較的年の近いわたくしが守役として供につけられましてのう」 村の大事にこのような編成でもって挑むなど、失礼なこととは承知の上ですが……と、心底申し訳なさそうな表情で、ユルバンに語る太公望。「なに。わたくしはこう見えても領内ではそれなりに知られた<風>の使い手。領内の盗賊退治や妖魔討伐で小隊指揮の経験も積んでおります。若輩者ゆえにご不安かと思われますが、そのへんのちゃらちゃらした貴族共に後れをとったりはしませぬぞ」 ユルバンは仰天した。まさかこの若さで小隊指揮(小隊=30~50人程度の兵員を有する部隊)の経験者とは。話半分だとしても……自分の身体を観察し、毎日鍛錬を積んでいると見て取った眼力から、それなりの実力を持った戦士であるのは間違いない。「ロドバルド男爵夫人には、既に随伴の許可をいただいております。アンブランの守りの要であるユルバン殿が村を離れることを、いたく心配しておられましたが……なに、我ら全員でかかれば、コボルド討伐などあっという間に終わります。さすれば、すぐにでも奥様の不安を取り除いてさしあげることができましょうぞ!」 なんと、男爵夫人の了解まで取り付けておるとは! 実に手回しがよいではないか。ユルバンは内心で驚いた。そして……これまで、いくら男爵夫人に申し出てもコボルド退治の許可をもらえなかった理由についても納得した。 奥様は、村の守人たる自分が、持ち場を離れてしまうことに不安を覚えられていたのだと。自分の腕について疑われていたわけではないのだ、奥様は、戦士としての自分を信頼してくださっていたからこそ、村にいてもらいたかったのだと。 ――かつて、期待を裏切ってしまったこのわしを……奥様は、それでもなお信じてくだすっていたのだ。 ユルバンは、感激したと同時に、この若者がいたく気に入った。いち貴族の従者とはいえ、メイジであるにも関わらず、平民の自分を全く卑下していない。それどころか、年配の戦士としての経験に期待してくれている。だから――太公望が差し出した手を、迷わず握った。「いや、こちらこそ改めて宜しくお願い申し上げる。して……これから作戦会議というところですかな?」「その通り。この周辺の地図と……可能であれば、コボルド共の巣になった廃坑の絵図面などがあるとありがたいのですが」 それを聞いたユルバンは、我が意を得たといわんばかりにドン、と胸を叩いた。「お任せくだされ。このあたりの山、そしてあの廃坑については、何度も調査しておりますれば。すぐに持って参りますからな!」 勇んで部屋を出て行ったユルバンの後ろ姿を見送ったタバサは、ポツリと零す。「……本当に口が上手い」「ふふん、あれだけ言っておけば、単独討伐に出たりなどしないであろう」 同じく小声で返した太公望。彼はしたり顔で、それに――と、続ける。「かの御仁が任務の助けになるのも、間違いのない事実だ。しかし……タバサの演技もなかなかのものであったぞ?」「だんだんあなたの影響を受けてきた気がする」「存分に誇ってよいぞ」「遠慮したい。ところで、小隊指揮の経験があるというのは真実?」「師団を率いたこともあるぞ」「……本当に?」「さあどうかのう……ニョホホホホホ」 ――その後、一抱えほどもある絵図面と地図を持って客間へ戻ってきたユルバン老人が真っ先に見たものは……椅子に腰掛け、茶請けにと出された菓子をポリポリと無心に囓り続けている少女と、その横に立て掛けられた長い杖。そのすぐ隣で、何故か頭を押さえてうずくまっている若者の姿であった。○●○●○●○●「なるほど、山の中腹にある木枠で囲まれた穴が出入り口。換気口兼避難用の細い洞穴が、やや斜め上方向に向かって1箇所伸びている……と。内部は人工の坑道と、一部鍾乳洞。先の2箇所以外には外に出るための道はない、か」 ロドバルド男爵夫人宅の客間では、ユルバンが持ち込んだ絵図面を元に、コボルド討伐のための作戦会議が開かれていた。「入口はそれなりに広いですが、洞穴のほうは、ひと1人が通るのがせいぜいといったところでござる。見張りは入り口のほうには常に置かれておりますが、洞穴のほうは出入りに使われること自体がめったにありませぬから、まず何もおりませぬ」 老戦士の言葉に頷く太公望。身分はタバサのほうが上だが、今回は小隊指揮経験者の彼が取り纏めと実際の指揮を行うということで、全員の意見が一致している。「ならば、いることを前提に考えておいたほうがよいでしょうな。さて……この地形を見てどう思われますかな、お嬢さま?」「火で燻す」「と、申しますと?」 一言で黙ってしまったタバサを、ユルバンが促す。「まず風竜で上空から<遠見>。洞穴近辺に見張りがいないかどうか確かめた後、いなければ入り口に戻ってそこの見張りを倒す。その後、入り口で火を焚いて煙で燻せば、コボルドは洞穴側に逃げる」「ふむ、なるほど」 納得したユルバンの横で、絵図面を睨んでいた太公望が付け加える。「火で燻すという案は悪くない……が、敵が両方に分散する可能性がありますのう。ユルバン殿、入り口付近は、確か森になっていましたな? そこの木を20本ほど切り倒して、その一部で入り口を塞いだ上で燃やしてもよろしいですか? 延焼はしっかり防ぎますゆえ」 さらっととんでもないことを口走った太公望に、ふたりの視線が集中する。「……何か問題が?」「廃坑だから塞ぐのも、山火事さえ起こらなければ燃やすのも構いませぬが」「そこまでやったら<精神力>がもたない」「ああ、そう言われてみればその通りですのう」 気の抜けたようなその答えに、思わずズッコケたタバサとユルバン。だが、真の衝撃はこれからだった。「タバサ……お嬢さま、わたくしが木を切り倒して入り口を塞ぎますゆえ、そのあと上に積もった木の葉を<錬金>で油に変えてもらえますかのう? それなら、あとの仕事はわたくしひとりでもやれますので」 ……いや問題はそこじゃない。タバサとユルバンは突っ込んだ。「……あなたは以前<火>の魔法は扱えないと言った」「いや、単に火をつけるだけなら油の上に松明でも投げればよかろう?」 まずはタバサが固まった。「枯れ木ではなく、生木ではまともに燃えませぬぞ? よしんば火がうまくついても、山風に煽られて火事になる恐れがあるのではないかと」「風を操って、うまく燃えるよう調節する。もちろん風向きも同様に」 続いてユルバンも硬直した。「あなたには、それができるの?」 確認するタバサに。「できぬなら、間違ってもそんな提案せんわ!」 叩き付けるように断言した太公望。そして会議の場は静寂に包まれた。 ――約1分後。ふたりが再起動したのを見計らって、太公望が言葉を出す。「とはいえ、さすがのわたくしでもそこまでが限界。つまり、洞穴側から脱出してくるコボルドを成敗するのは、おふたりに担当してもらうことになります」 その言葉を聞いて、タバサとユルバンのふたりはようやく立ち直った。そして、穴から出てくるコボルドをタバサが物陰から<ウィンディ・アイシクル>で攻撃。ユルバンは基本タバサの身辺警護。討ち漏らした敵を槍で倒す……という役割分担を決めたところで作戦は纏まった。○●○●○●○● ――翌日、昼過ぎ。 風竜に跨って村を出発した3人は、当初の予定通り上空から洞穴側の偵察を行い、その出口近辺にコボルドがいないことを確認すると、中腹の入り口に注目した。「では打ち合わせ通り、わたくしが木を切り倒して入り口を塞いだら、お嬢様は<フライ>で降りてきて木の葉を油に<錬金>。その後風竜に戻る。ユルバンどのは上空で待機。お嬢様が合流したら、ふたりは洞穴の前へ移動……以上よろしいか?」「了解」「承知した」 ふたりの返事を確認した太公望は、視線を廃坑入り口へ向ける。「見張りは2体……か。ではひとつ、わしの実力をお見せしよう」 ニヤリと笑った太公望は、そう言って懐に手を入れた。「この『打神鞭』も活躍を望んでおる!!」 そして左手に『打神鞭』を、右手にまだ火のついていない松明を持った太公望は、くわわっ! と目を見開き、高らかに名乗りを上げる。「わき上がれ天! 轟けマグマ!! 炎の男爵太公望まいる!!!」 わーっはっはっはっは……と、トチ狂ったような笑い声を上げながら、地上へと降りていった太公望を見送ったタバサとユルバンは、もしかして彼は壊れてしまったのか――? などという感想を抱いていたのだが……次の瞬間。彼らの眼下に、巨大な竜巻が出現した。「疾――――――ッ!!!」 『打神鞭』を繰り、入口前の木立を吹き飛ばす規模の竜巻を作り出した太公望は、そのまま空中で風を操作しつつ、舞い上げた木を廃坑前に積み上げてゆく。 ……ちなみに、見張りのコボルド2体は、最初の竜巻で空の星となった。 そして風が止んだ後――廃坑前の森は『広場』になっており。入り口の前には、綺麗に倒木が積み上がっていた。「……やりすぎ」 風が収まった直後<フライ>で広場へと舞い降りてきたタバサは、同じく広場に立っていた太公望へ一言そう告げると、手早く<錬金>で油を作り出してゆく。それを見ていた太公望は、急いで松明に火を灯す。「よし、あとはわしに任せておぬしは反対側を頼む」「本当に、大丈夫?」 あなたは<火>を扱うのが苦手だと言っていたのに。そう尋ねるタバサに、太公望は顔中に自信ありげな笑みを浮かべて答える。「確かに、わしは<火>メイジのような真似はできぬ。だがのう……できないのなら、無理をせず、他のやりかたで補えばよいのだ!」 危ないから離れろ。そうタバサへ警告した太公望は、自らも空中へ舞い上がり、積木の山から距離を置く。「行けっ、ファイヤ――――!!!!!!」 かけ声と共に、松明を放り投げた太公望が『打神鞭』を振るう。すると、放物線を描いて飛んでいった松明の火が突如大きくなり――先端から巻き起こった風が、炎を纏う。まさしく炎の竜巻と呼んで差し支えないそれは、積木に向けてまっすぐに向かっていき……そこへ燃え移った途端、爆炎となって激しく燃え盛った。「あれだけの炎が上がっておるのに、火も、煙もまるで生きておるように廃坑へ吸い込まれて……こちらへも、外側へも流れて来ない。いやはや『炎の男爵』を名乗られるだけのことはありますのう。騎士殿が信頼するのも道理ですわい」 <フライ>で戻ってきたタバサへ向けて、ユルバンは呆然と呟いた。あれでは、廃坑の中のコボルドどもは、もしやすると全て蒸し焼きになっているのではあるまいか、と。 そんな老戦士ユルバンの呟きを背に、洞穴へ向けて風竜を駆るタバサは、杖をギリギリと固く握り締め……決意を新たにしていた。 ――この任務が無事終わったら、太公望から聞くべきことが山ほどある―― ……と。○●○●○●○● ――洞穴側での仕事は、驚くほど簡単な『作業』だった。 煙で燻され、熱にやられ、ただひたすらに新鮮な空気を求めて外へ出てくるコボルドたちを、タバサは<氷の矢>で淡々と屠っていく。ごくごく稀に、一撃では仕留めきれなかったこともあったが、それらは全て、ユルバンの槍の錆となった。 そんな単純作業が30分ほど続いた頃――洞穴の奥から、くぐもった……それでいて、恨みがましい声が聞こえてきた。「ゴフ……おの……れ……ゴホッ……おのれ……」 まさか、中に人間がいたというのか。そんなはずはない、ここへ来る前に、村人たちに欠員がないかどうか、旅人などの往来があったかどうかをしっかりと確認してきている。タバサとユルバンは、思わず顔を見合わせ、洞穴の奥から出てくる者に注目した。 それは、奇妙ななりをしたコボルドだった。獣の骨でできた仮面を被り、鳥の羽を集めて造ったのであろう髪飾りをつけ、どす黒い――おそらく、獣か何かの血で染めたのであろう、不気味なローブを身に纏っていた。「コボルド・シャーマン!?」 タバサは、思わず息を飲んだ。 コボルド・シャーマン。それは、人間やエルフとは異なる独自の『神』を崇める、コボルド族の神官。人語を解し、強力な先住の魔法――人間が使う系統魔法とは異なり、場の精霊と契約することで行使可能となる奇跡を操る存在。彼らは、高い知能を持ち、コボルド族の頂点に立つ者。おそらくは、この廃坑に住み着いた群れを率いる長であろう。「メイジめ……ゴホッ……けちな魔法を操る毛無しザルめ……よくも我が悲願を……20年かけて、再びこの地を訪れた……それを……」 ――その一言に、ユルバンが反応した。「20年前……じゃと!? まさか……!!」「あの時も、忌々しい<土>メイジに……『宝』を奪おうとした我らの試みを阻まれた。許さぬぞ、許さぬぞ、人間め……!!」 コボルド・シャーマンが杖を振り上げた、その時。裂帛の如き気迫を込めた叫びと共に、突き出されたユルバン老人の槍が――一撃で神官の急所を貫いた。 それが、この地を混沌に陥れようとしていたコボルドの群れの、最期であった。「20年前――わしは、失態を犯したのです」 風竜の背に乗り、村へと戻る道すがら、ユルバンは告白した。「アンブランの村を、コボルドの群れが襲ったあのとき――わしは、村の門番を務めておったにもかかわらず、それを止めることができませなんだ」 かつて、コボルドの群れがアンブランの村を襲った。そのとき、ユルバンは門を守る者として、ひとり群れの前に立ちはだかったのだが――多勢に無勢。棍棒の一撃で打ち倒され、結局村への進入を許してしまった。 強力な<土>の使い手であるロドバルド男爵夫人の活躍により、幸いにして被害はなかったが――村の警護を預かる番人として、それがずっと心の傷となっていたのだ、と。「しかし、おふたかたのおかげで、わしは名誉を挽回できました。あの一件で魔法を使えなくなってしまったロドバルド男爵夫人に、これでようやく恩を返すことができ申した」 満足げな、それでいて物寂しげなユルバンの言葉に、タバサは疑問を持った。「魔法が使えなくなった?」「左様でございます。熾烈を極めたコボルドとの戦いの最中、男爵夫人は手傷を負われ……結果、神の御技である魔法を失われたのです」 タバサは首を捻った。怪我を負ったことが原因で魔法が使えなくなったなどという話は、これまで聞いたことがない。思わず太公望のほうを見遣ると、彼も眉根を寄せ、何かを考え込んでいるようだった。しかし、そんな彼女の疑問が解決する間もなく、風竜はアンブランへと到着し――彼らは、首を長くして帰還を待っていたロドバルド男爵夫人の歓待を受けることとなった。「ああ、ユルバン。よくぞ無事戻ってきてくれました」「男爵夫人、ご心配をおかけ申した。コボルドどもの群れは、長も含め殲滅致しました。これからは、再びアンブランの警護を務めさせて頂きたく存じまする」 膝をつき、臣下の礼をとるユルバンに、ロドバルド男爵夫人は優しく微笑んだ。「ええ。あなたの忠義、本当に嬉しく思います。あなたは、この村の……いいえ、わたしにとっていちばんの『宝』なのです。これからも、アンブラン……そしてわたしと共に在ってくださいね」 ロドバルド男爵夫人の目は、慈愛に溢れていた。彼女は、心からユルバン老人を大切に思っているのだろう。だが……タバサは、そんな男爵夫人に対して、どこか違和感を覚えた。この村へ到着した際にも感じた、わずかなそれと同じものを。「ささやかではありますが、宴の用意を致しております。騎士殿、そして従者殿。どうぞ討伐の疲れを癒やしていってくださいませ」 そう言って深々と頭を下げるロドバルド男爵婦人。なんだろう……わたしは、彼女のどこに疑問を感じているのか。タバサは、未だ答えを出すことができぬまま、宴の場へと案内されていった――。○●○●○●○● ――宴は、村の居酒屋一軒をまるごと貸し切って行われた。 あちこちで、村人たちが輪を作り、笑い声をあげている。その中には、ユルバン老人の姿もあった。「そして、わしの槍の一撃が、にっくきコボルド族の長を貫いたのだ!」「やったじゃないか、ユルバンさん」「やっぱり、あんたは村いちばんの戦士だ。これからも、アンブランを頼むよ」 善良そうな人々に囲まれた老戦士は、本当に幸せそうであった。どのようにしてコボルドに立ち向かったのか、その一挙一動を、身振り手振りを交えつつ、顔いっぱいに満面の笑みを浮かべて語り続けている。そんなユルバンの元へ、酒杯を持った太公望が近づいてゆく。「実際ユルバン殿の活躍は、誠に見事なものでしたぞ。槍もそうですが、村や周辺の山全体を知り尽くしたあなたが居たればこそ、この討伐作戦はうまくいったのです」「いやいや、従者殿の魔法も素晴らしかったですぞ。その若さで部隊を率いているというのも納得の妙技でござった。わしは……貴君にも、騎士のお嬢さまにも、感謝してもしきれない恩を受け申した」 そう言って立ち上がり、頭を下げようとしたユルバンを、太公望は押し止めた。「お気になさることはない、これが我らの務め。ユルバン殿が村を守ることと、何ら変わらぬことをしたまでのこと」 笑顔でユルバンに酒杯を勧める太公望。しかし――タバサには、その笑みがほんの少しだけ強張っているように感じた。 タバサは、改めて周囲を見回してみる。なんだろう、この胸のざわつきは。店の中には、どこもおかしな点はない。ガリアのどこにでもある村の、なんでもない居酒屋。その中で、酒を飲み、料理をつまんで笑い合う人々……。 男爵夫人宅の晩餐と同様、味付けの薄いつまみを食べる手を止め、タバサは考え込んでいた。すると、そこへ件のユルバンが近づいてくる。太公望は、先程の輪の中で談笑を続けているようだ。「騎士さま、このたびは誠にありがとうございました。改めてお礼申し上げる」「いい。これは任務」「ふふ、従者殿と同じことを仰るのですな。それにしても……」 ふと、ユルバンは太公望のほうへと視線を向ける。「あのような従者殿を持たれて、お嬢さまはお幸せですな」 それは――何かを言いかけて、タバサは口を噤んだ。確かにわたしは、幸運なのかもしれない。彼――太公望は、どうにも掴み所のない性格をしてはいるが、根は優しく、非常に有能であることは間違いない。「お気づきになられましたかな? あの従者殿は今回の作戦を練っている最中、ずっと騎士様を……主人というよりは、まるで……そう、血の繋がった実の妹を気遣うが如く振る舞っておられたのを」 いや、わしが言うまでもなくおわかりでしょうな――そういって笑うユルバンの言葉に、タバサは内心の驚きを隠すことができなかった。ふと、日頃の太公望を思い出す。なにかをしようとするときに、さりげなく差し出される手。新しい本を手渡したとき、優しく笑いかけてくれる、その仕草。 今回の任務にしても、本来であれば太公望が着いてくる必要などなかったのだ。にもかかわらず、危険を顧みず自ら王宮へ乗り込み、観察し、タバサを補佐してくれている。もしも自分に兄がいたら、彼のように助けてくれたのだろうか――。 黙り込んでしまったタバサの側に、村人たちが寄ってくる。どうやらユルバンを迎えにやって来たようだ。 新たな輪の中に加わったユルバンは終始笑顔であった。その人の輪の内には、男爵夫人も混じっていた。貴族であるにも関わらず、身分にこだわらない性格なのだろう彼女は、そんなユルバンを見て優しい笑みを浮かべていた。 そんな男爵夫人に、ユルバンは晴れ渡った秋の空の如き笑顔で語りかける。「人生の最後に、ようやく罪滅ぼしができ申した。はて困りましたな、これでもう本当に何もすることがありませぬぞ」「何を言うのです。あなたには、この村を守るという使命があるではありませんか」「そうでしたな。私は幸せ者にございます」 ――その言葉を最後に、酔ったのであろうユルバン老人は、椅子に深く腰掛けたまま、こっくりこっくりと舟をこぎ始めると、ゆっくりと瞼を閉じ……だがその眼は、二度と開くことはなく。彼が愛した多くの村人たちに囲まれた中で、まるで眠るようにその人生に幕を降ろした。○●○●○●○●「彼は、幸せでした。ご覧になられたでしょう? あの最後の笑顔を」 ――わしが、討伐任務などに連れ出さなければ。翌朝、しめやかに執り行われた葬儀の列中。その顔を苦悩に歪め、深く詫びた太公望へ、ロドバルド男爵夫人は慈愛に満ちた笑顔で答えた。「この20年間、ユルバンのあのような顔を、私はついぞ見たことがありませんでした。わたしではどうしても為し得なかったことを、あなたがたはしてくれたのです」 すると、その言葉がまるで合図であったかのように……村人たちが、男爵夫人の周りへと静かに集まってくる。そして、彼らの瞳が――一斉に太公望と、タバサを見つめた。その目に浮かぶ表情を見て、タバサは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。 ――彼らの顔には、男爵婦人と全く同じ笑顔が浮かんでいたのだ。「20年前のことです。このアンブランの村は、コボルドの群れに襲われました。そして……全滅したのです。ロドバルド男爵夫人と、ユルバンのふたりを除いて」 それからロドバルド男爵夫人は語り始めた。この村に隠されていた真実を。「かつて村がコボルドに襲われたとき、門番を務めていたユルバンが棍棒による一撃を受けて昏倒してしまったその隙に、村はコボルドの群れによって蹂躙され、村人たちは、ひとり残らず皆殺しにされてしまったのです……」 ロドバルド男爵夫人の魔法によって、なんとか群れを追い払うことに成功したものの――彼女もまた、そのときの戦いがもとで、深く傷ついてしまった。「気絶していたことが幸いし、ユルバンは一命を取り留めました。ですが男爵夫人は、大変なことに気がついたのです。目が覚めた後に、ユルバンが村の惨状を知ったら。そして、唯一の生き残りである男爵夫人までもが死んでしまったら、彼はいったいどうするでしょう。責任感の強い彼のこと、おそらく自ら死を選ぶのではないか……と」 ロドバルド男爵夫人は、俯いた。「そう考えた男爵夫人は、傷をおして魔法をかけたのです。この村に伝わる秘宝『アンブランの星』と呼ばれた、土の<力>の結晶を用いて。身内のいない彼女にとって、ユルバンはただの家臣などではなく、家族も同然でしたから」 そして……と『彼女』は続ける。「ロドバルド男爵夫人は、優秀な<土>メイジでした。彼女は、その命が尽きるまで、ただひたすらに人形を作り続けたのです。ある程度の自由意志を持ち、半永久的に動き続ける魔法人形『ガーゴイル』を――」 そこまで言い終えると、男爵夫人は村人たちに視線を向けた。「そうです。わたしも含め、この村の者は――すべて『ガーゴイル』なのです」 タバサと太公望は、改めて周囲を見渡した。そこは、どこにでもある、ありふれたガリアの山村。だが……それは見た目だけだったのだ。タバサは、ようやく理解した。今まで感じていた違和感の正体を。 脅威に晒されているにも関わらず、日常と変わらぬほがらかな様子の村人たち。怪我で魔法を使えなくなった男爵夫人。そして奇妙に薄い味付けの料理。そう、全ての食事は、ユルバンを基準に作られていたのだ。『ガーゴイル』に食料は必要ないから――。 風竜の背に乗り、タバサと太公望は空へと舞い上がった。眼下に広がるのは、自分たちがコボルドの脅威から救った村。そこには、思い思いに闊歩する村人たちの姿が見えた。 別れ際、男爵夫人の姿を模した『ガーゴイル』は、感謝の言葉と共に、「是非、何かのお役に立ててください」 と、2体の魔法人形をタバサたち主従に手渡した。血を吸わせることで、その姿を完璧に写し取ることのできる、村人たちを造ったそれと同じものを。「わたしたちは、見た目は少しずつ老いていき……やがて土に還ります。それまで、ユルバンの墓であるこの村を守り、共に在り続けます。だから、このことは決して口外しないでください。どうか、お願いします」 そう言って、深々を頭を下げた男爵夫人の人形に、タバサと太公望は、秘密を守ることを固く約束した。 ――遠ざかる村を見つめながら、タバサはぽつりと呟いた。「わたしには、わからない。ユルバンが、本当に幸せだったのかどうか」 ユルバンのためにだけに存在した村。その全てが見せかけだけの偽物。そう独白した声に、太公望が小さく答えた。「わしにも……わからぬ。だが……あの男爵夫人と村人たちの魂魄(こんぱく)は、確かにあの場所に存在していた。それだけは……間違いない」「魂魄……?」「生きとし生ける者、全てには『魂』が宿っておる。あそこにあったのは、人形だった。だが、そこに宿る魂だけは……本物であったよ」 ――ガーゴイルにも、魂が宿るというのか。物言わぬ、ただの人形にも? タバサと太公望の頬を、風が嬲る。その風のぶんだけ、アンブランの村が遠ざかる。ひとりの老戦士を守るためだけに造られた『箱庭』が遠ざかってゆく。ふたりは、押し黙ったまま……王都リュティスへと向け風竜を駆った。