「…あの姉様が、ここまで推測できたのは久しぶりですね」
アステリアが面白そうに笑う。今までに見たことがないような大人っぽい笑み。私なんかよりずっと…ずっと大人っぽい雰囲気を醸し出している。アステリアは私より身長が低く、立っている位置もアステリアの方が下。だから、アステリアが私を見上げている……という構造になっているはず。それなのに、何故だか私はアステリアから見下ろされているような錯覚に陥っていた。
「久しぶり…?どういうことなの?」
「言葉のとおりですよ」
アステリアは流れるような動作で、右手に杖を握りしめた。
そんなアステリアを見た瞬間、嫌な予感が電撃のように脳を奔る。それは『死』の予感。アステリアが杖を振り上げた瞬間、私の未来は『死』。もちろん、ただの直観だ。だが……普通の直観と違うのは、これは『フェリックス・フェリシス』が告げている直感だということ。
私は気がつくと、呪文を唱えていた。
「『エクスペリアームズ‐武器よ去れ』!!」
「っ!?」
普段の私が放つよりも、鋭い閃光が私とアステリアの間を奔る。その次の瞬間には、アステリアが握っていた杖が、くるくると夜空を舞っていた。小さな木の杖は、そのままゆっくりと……遠い地面へ吸い込まれるように落ちていく。だが、宙を舞ったのは杖だけではなかった。同時にアステリアの纏うローブの下から、杖より太い何かが飛び出し宙に弧を描く。そして、それはカランと乾いた音を立てながら、私の足元に落ちた。
「これは…?」
恐る恐る拾い上げてみると、それは少し古びた短剣。いや、ただの短剣ではない。柄に嵌め込まれた深緑の宝玉に刻まれている文字は『AZOTH』。つまりこれは、戦闘に使用する短剣ではなく、儀式用の短剣――
「アゾット剣!なんで貴女がこれを…?」
「あれ、姉様よく知っていましたね?『こちらの世界』では使われないはずなのに」
身を守る術がなくなったアステリアは、先程と変わらぬ無邪気な様子で私に尋ね返す。私はアゾット剣を優しく握ると、アステリアを見つめ返した。
「昔、父様が持っているのを見たことがあるのよ。つまり、これは父様のモノ。…どうして、貴女がこれを持っているの!?まさか…」
「盗んだわけではないですよ」
私が言葉をつづける前に、言おうとしていた言葉を先に言うアステリア。
「それは、15歳の誕生日に父様から譲り受けた剣です。グリーングラス家の『次期頭首』が、見習いを卒業した際に受け継がれる品。姉様は本当の頭首ではないから、知らないと思っていましたが…」
私が次期頭首のはずなのに、アステリアは再び妙なことを口にしている。いや、それよりも妙な点は…
「15歳?」
私は、気がつくと呟いていた。
アステリアは、まだ『13歳』。15歳になるためには、まだ2年の歳月が必要なのだ。最初は言い間違えたのかと思ったけど、そうは見えない。アステリアは、自信を持って『15歳』と答えていた。私は口元に手を当て、考え込む。
『覚えていた』、『久しぶり』、『15歳の誕生日』――?
先程からのやり取りで出てきた単語(いと)が、急速に紡がれ一つの推測(ぬの)が織られ始めた。
以前から感じていた違和感と、『フェリックス・フェリシス』の効果が上乗せされて、導き出された答え。それは『あり得ない』ことで、私も『あり得ない』と、ここに来るまで思っていた。だから、アステリアに感じる違和感は、誰かが『ポリジュース薬』で、アステリアに変身しているモノだと確信していた。でも、違う。
ポリジュース薬でアステリアに変身しているとするなら、父のアゾット剣を持っているはずないのだ。なぜなら、父のアゾット剣を最後に見たのは今年の8月。それ以後、目の前にいるアステリアが父に接触したことはない。アステリアは、他のホグワーツ生と同様、ホグズミード村より向こうの世界に出ていないのだから……
「まさか…『時間逆行』?」
アステリアの表情がピタリ、と固まった。
「貴女の話を総合すると、なんていうか……もう、一回…いえ、それ以上、今までのことを体験してきたように聞こえるの。も、もちろん、そんなことあり得ないよね。でも…」
「いえ、姉様の推理は間違っていませんよ」
私の言葉を遮り、アステリアが肯定する。再びその顔に張り付けたような笑みを浮かべながら、アステリアは私を見ていた。
「ただ…正確に言えば、『時間逆行』ではありません。『第二の魔法』……『時間旅行』と『平行世界の運用』といったところでしょうか」
アステリアは壁に寄りかかりながら、ほとんど私の推理を肯定する。専門用語は分からないが、簡単にアステリアの言う内容が想像できる。『時間旅行』と言う言葉から考えるに、未来から遡ってきたアステリア。そして『平行世界』と言う言葉は、目の前にいるアステリアは別の世界のアステリア、ということになるのだろう。つまり、その2つを合わせると……
「貴女は、平行世界の未来から来たアステリアなのね。なら、私の知っているこの世界のアステリアは?」
こんな異常事態なのに、私の脳は意外にも冷静だった。もしかしたら、何か大切な感覚が麻痺していたのかもしれない。いや、これも『フェリウス』の効果なのだろうか……?
「決まっているじゃないですか。2年前にこの世界に来た私は、この世界の『アステリア・グリーングラス』を殺したんです。そうしないと入れ替われないでしょ?……私の魔法はまだ、未熟ですから」
ころした?誰を誰がころした?
私の頭の中は、白くなり始めていた。そんなの正気の沙汰じゃない。私は、震えそうになる声でアステリアに聞き返す。
「アステリア……どうして、そんなことを?」
「そんなこと、姉様は分かっているはずですよ」
アステリアは初めて、作ったような笑みを引っ込めた。すべての感情を亡くしたような、機会のような無表情。ただ、私と同じセピア色の瞳には、轟々と燃え上がるような憎悪の炎が浮かんでいた。ぞわりと、言い知れぬ恐怖が背筋に奔る。
「私は、セレネ先輩が生きる世界を見たい。
そのためには、邪魔な『アルバス・ダンブルドア』と『トム・リドル』……『アステリア・グリーングラス』という同一の存在だって殺す。…ただ、それだけです」
「セレネが……生きる世界……」
そう、それはアステリアが今まで抱いてきた願い。そして、同じ願いを抱く…私を含めたセレネの友人たちに、アステリアが言い続けてきた願いと同じモノだ。
「アステリア、何もそこまでして……」
そう、何も人殺しまでしてセレネを救おうとするのは間違っている。人を殺さなくても、セレネを救う道がきっとあるはずだ。だが、私の思いはアステリアに伝わらなかったみたいで、反応はとても冷たいモノだった。きゅっと目を細め、凍てつくような非難の視線を私に向ける。
「そこまでして?私が手を回さないと、セレネ先輩は5年生になる前に死ぬ運命にあると知っても、まだそんなことを言うんですか?」
「えっ……?」
呆けたような声が、口から洩れる。全身から血の気が引いていくような感じがした。今……アステリアは何を言ったのだろう?
「最初に私が出会った先輩は、クイールさんが死んだ年の夏に、ヴォルデモートの手によって殺されました」
まだ情報を脳で処理しきれていない私に対して、アステリアは冷ややかな声で淡々と話す。
セレネは5年生になる前に、死んでいた?しかも、セレネの協力相手であるはずの『あの人』の手によって?訳が分からない。
そんな私を見たアステリアは、やれやれと言わんばかりに目を細めた。
「セレネ先輩は、私が初めて出くわした『越えられない壁』だったんです」
遠い昔を思い返すように、アステリアは話し始めた。口調こそ、昔話を聞かせる親のような口調だが、瞳にはまだ憎悪の炎が静かにチラついている。
「グリーングラス家の人間は、代を重ねるごとに魔術回路が失われていきました。そして9代目になる予定だったダフネ・グリーングラスには、とうとう皆無と言っていいほど魔術回路がなかったんです。
ですが……その妹である私は違いました。この身には…20本余りの魔術回路が宿っています」
アステリアは右手を、そっと胸の上に乗せながら話を続ける。
「年齢的な問題で『表向き次期頭首』は姉様でしたが、魔術師としての次期頭首は私。代々伝わってきた魔術を継承し、私こそが『根源の渦』に辿り着く。そう思っていたのに……先輩の登場で全てが変わりました。
全てが下に見えた世界で、初めて超えられなかった存在。悔しくて悔しくて、何度も何度も越えようとしました。『魔術師』である私が、ただの『杖を使う魔法使い』に対して、歯が立たないなんて許されないことなんです。そう、本来なら私はホグワーツへ入学する必要なんてなかった。ただ、『才能のない』ダフネが入学したのに、妹の私が入学しないのは『杖を扱う魔法使いの中流一族:グリーングラス家』の外聞が悪くなるということで入学しただけ。
そう、『才能のない』人の集団の中で、私は特別な存在なんですよ。なのに、なのに、自分より強いなんて許せない。ありとあらゆる分野で私を超えるなんて、絶対に許されてはいけないんです。グリーングラス家の名に懸けても……」
意味が分からない。『魔術師』とか『根源の渦』とか『魔術回路』とか……アステリアの言っていることが、よく分からない。ただ……アステリアがセレネを異常な程『ライバル視』していたことは、なんとなく伝わってきた。
「しかし、勝つことが出来ないまま時は過ぎ、迎えた学期末。この日……私は、先輩に初めて『勝った』と確信する出来事が起こりました」
「……学期末……?」
アステリアが入学した時の学期末、といったら『三校対抗試合』が終了した頃の話だ。だが、三校対抗試合にセレネはハリー・ポッターやセドリック・ディゴリーと『同時優勝』をしている。それは、アステリアが『勝った』と確信する出来事に通じるとは思えない。となると、学期末にセレネの身に降りかかった出来事と言えば、たった1つ……
「セレネのお父様がなくなったこと?」
「その通りです」
アステリアは、懐かしむような口調で答える。天文台の桟に寄りかかり、アステリアは空を見上げていた。
「大切なのは『力』。力こそ全てなんですよ。そして、力あるものは舐められないよう、常に堂々と振る舞い、弱さを見せてはいけないんです。だけど、先輩は『弱さ』を隠していませんでした。つまり、泣いていたんです。私は嬉しくなって、静かに泣いていた先輩に告げました。
『私の勝ちです。だって、貴女は人の死なんかに嘆く弱者。人の命なんて塵芥なんですから、嘆く価値なんてないってことも知らないんですか?』
その時のことを、今でも忘れません。吐き出したくなるくらい濃厚すぎる殺気が、突然セレネ先輩から放たれたんです。それと同時に、私の身体を襲うのは、髪の毛が逆立つくらいの悪寒。そして……私に向けられた、禍々しくも見惚れてしまいそうな紫色の瞳。
『私のことを弱者と呼んでも構わない。だが、人の命を『塵芥』と呼ぶのは、最低だな』
…もちろん、私は反論したかったです。でも、先輩から放たれる殺気。そして美しすぎる瞳が、私が反論することを邪魔していました。黙り込んだ私に対して、先輩は淡々と諭してくれたのです。
『塵芥だったとしても、その塵みたいな命を、どうにか光らせようと……父さんは心臓麻痺で死ぬ直前まで、足掻いていたんだ。この人の命を『塵芥』と称するならば、いくら親友の妹であっても許せない』
……気がつくと私は、謝っていました。物心ついてから初めての、涙を流しながら。……私は自分が否定されると、言い難い怒りが胸の奥から沸きあがってくるんです。でも、この時は違いました。
乾ききった喉に澄んだ湧水が流れ込むように、すぅっと心に浸透したんです。……不思議ですよね。
『分かったならいい』
そう言いながら、セレネ先輩はクイールさんに視線を戻しました。その時のセレネ先輩の瞳の色は、黒に戻っていました。……愁いを帯びた黒に」
その時のことを思い出しているのだろう。月の光を浴びたアステリアの横顔は、どこか淋しげなものに見えた。
「あの時のセレネ先輩に、惚れてしまったんでしょうね。もちろん、勝ちたいという気持ちはありました。でも、勝ちたいという感情よりも、憧れの方が遥かに勝っていたんです。私は、学期が明けたら先輩に弟子入りをしようと決意しました。私に足りないモノを持っている先輩に……。だけど……」
アステリアの寂しげだった表情は、だんだんと悪鬼に近いものになり始めた。私はゴクリと唾をのみこむ。こんな表情のアステリア……なんて、知らない。
「ヴォルデモートの協力要請を、先輩は断ったんです。クイールさんが、『カルカロフに殺された』という事実を知らない先輩は、『命の方が大事。騎士団にもヴォルデモートにも協力しない』と言ったそうです。そして、ヴォルデモートとその配下数名と戦いました。
その時の現場から判断すると、先輩は善戦していたみたいです。何人かの死喰い人は倒したみたいなんですけど、ヴォルデモートの放つ『アバタ・ケタブラ』を完全に避けきることが出来ず……死にました」
ぎりぎりっと少し離れた所にいる私に聞こえるくらい、大きな歯ぎしりをするアステリア。暗闇の中、アステリアの瞳は怒りのあまり充血しているように見える。そんなアステリアに対し、私は何も言葉を放つことが、出来なかった。ただ、アステリアの話を聴いているだけ。
「せっかく、憧れの人が出来たのに。せっかく、超えるべき壁が出来たのに……それを一瞬でヴォルデモートが奪い去りました。
だから、ヴォルデモートを殺しに行きました。杖さえ奪ってしまえば、『こちらの』魔法使いなんて赤子同然。あっけないくらい簡単にヴォルデモートは消滅しました。……でも、ヴォルデモートを完全に殺すことが出来なかったんです。あのハゲが生み出した『分霊箱』の存在を、私は知らなかったんです……」
分霊箱?……知らない単語が次々と出てくる。もう、脳内の窓口を閉めて、『本日は終了しました』という表札を出してしまいたい。でも、アステリアの話を耳を傾けている私がいた。
「その後、『ヴォルデモート殺しの少女』として祭り上げられかけた私でしたけど、それは私の望みではありません。私の望みは、『ヴォルデモートを、本当の意味で殺すこと』と、『再びセレネ先輩に会うこと』。だから私は、家族の反対を押し切りホグワーツを中退し、魔法界から姿を消すことにしました。
魔術協会の総本山『時計塔』の門を叩いたんです。そこで私は、魔術の研究に没頭しました。セレネ先輩と再び出会うためだけに……
そんなある日のことです。そう確か……2001年頃……セレネ先輩が大好きだった日本で、とある事件が起こりました」
「事件?」
私が口をはさむと、アステリアはコクリと頷いた。2001年、それは『未来視』のない私にとっては想像もつかない未来のこと。だけどアステリアにとっては、遠い昔のこと。アステリアは遠い昔を思い出すかのように、遠くで瞬く星々を見つめながら言葉を紡ぎ続けた。
「極東の島国で行われた大規模な魔術儀式。そこで起きた大事件の後始末として呼ばれた魔術師の少女を助ける形で、魔法使いが現れたんです」
「魔法…使い?」
思わず、私は聞き返す。
先程まで、アステリアは『私達とは違う魔法』のことを、『魔術』と呼び続けていた。なのに、『魔術師』ではなく口にした単語は『魔法使い』。つまり、私達『魔法使い』やアステリアの言う『魔術師』とも違う別種の『魔法使い』がいるのだろう。……なんというか……情報量が多くて、頭がおかしくなってしまいそうだ。
アステリアは『あぁ……そういえば、姉様は知らないんでしたっけ』とでも言いたそうな表情を浮かべると、面倒くさそうに口を開いた。
「簡単に言えば…現代文明で再現不可能な、杖を使わぬ魔術を『魔法』と言うのです。平行世界を移動するとか、過去や未来に旅行するとか、真の不老不死とか……」
例えるなら魔術を用いて何もない虚空に火炎を出現させ、敵を攻撃して燃やすことは、一見してありえない奇跡だということ。だけど、それはマグルの扱う『マッチ』や『ライター』といったものでも代用できてしまう。
つまりアステリア達『杖を使わない魔術師』は、そういったマグルの文明で再現できない現象を『魔法』と称しているのだろう。
私が、納得したというように頷く。それを見たアステリアは再び話し始めた。
「数百年ぶりに現れた魔法使いは、少女にかけられた罪状を全て帳消しにしました。ですが、魔術師の世界は『等価交換』が原則。ただで少女に掛けられた罪状を帳消しに出来るわけがありません。だから、あの魔法使いは代わりに、こんな交換条件を出したんです。
『よかろう、では弟子をとることにする。教授するのは3人までだ。各部門、協議の末、見込みのあるものを選出せよ』
時計塔は大混乱。ええ、それは凄い混乱でしたよ。何しろ『あの魔法使いの弟子になる=ほぼ確実に廃人』でしたからね。
お偉いさんたちが言うには『一番有能な奴じゃないと戻ってこないけど、一番有能な奴が使い物にならなくなったらソレこそ大損害だ』ということです」
その時の混乱を思い出しているのかもしれない。アステリアは、楽しそうにクスリと笑みをこぼした。
「私は、選ばれました。グリーングラス家が専門とする『死霊魔術』のほかにも『宝石魔術』や『元素転換魔術』も修めていましたし、次期主席最有力候補でした。そして、なにより私自身が『弟子になりたい』と志願したんです。
私は……不完全でもいいから『第二魔法』に到達したかったんですよ。あの魔法使いに弟子入りすれば、『時間旅行』で過去に行き、『平行世界』のセレネ先輩に会うことが出来る」
それで、弟子入りした結果、見事……『魔法』を手にした……のだろう。だが、これにはいくつか疑問点が残る。私は、思い切って尋ねてみることにした。
「で、でも……そんな凄い力を手に入れるなら、膨大な時間がかかるんじゃない……かな?」
背だけ見れば私より低いアステリアだが、子どもっぽい仕草をやめれば私より年上にも見える。ただ……いくら贔屓目に見えても20歳を超えているようには見えないのだ。平行世界の移動とか、時間旅行とか途方もないくらい未知の力を、たった数年で習得できるわけがないということは、魔術の知識が無いに等しい私でも想像がつく。
私の質問を聞いたアステリアは、にっこりと笑みを浮かべた。
「『死霊魔術』の効力ですよ。この世界のアステリア・グリーングラスを殺して、魂のなくなった肉体に憑依しているんです」
アステリアの返答は簡潔だった。気がつくと、私は己の身体を押さえていた。死んだ肉体に憑依?アステリアが?いや……言われてみればアステリアは『外に出たがらない』。少なくとも、空に太陽が輝いている時は、ホグズミード村にも積極的に行きたがらないのだ。三校対抗試合のときだって、さほど太陽が照っていないのに日傘をさしていたし……
「私の『魔法』は不完全なんですよ。だから、魂は移動できても肉体まで移動できないんですよ。だから、この『肉体』は…姉様の知る『アステリア・グリーングラス』ということになりますね」
にこりと、天使を連想させるような無邪気な微笑みを浮かべるアステリア。むしろ好感がもてそうな笑みのはずなのに、ぞわり、と背筋が逆立つ。私は、これ以上…アステリアを観ていられなくて、校庭に視線を移した。その時、校庭の向こうから校舎に近づいてくる複数の陰が目に入る。杖に灯りをともして、誰かを警護するかのようにホグワーツの敷地へ近づいてくる。でも、ここからでは、誰だか判別がつかない。
……いったい、こんな時間に誰だろう……?
私は少しだけ身を乗り出して、謎の集団を見つめた。そんな私の行動を見たアステリアは、あぁ…と呟くと、こう言いだしたのだ。
「魔法省が、ようやく到着したんですね」
「魔法省?」
何故、こんな夜中に魔法省が来たのだろうか。だが、アステリアにはこの展開が分かっていたのだろう。さして悩む様子もなく、むしろ『やっと来たか』という表情を浮かべていた。
「馬鹿ですか、姉様?魔法省がわざわざ来るなんて、よほどのことがあったから……に決まっていますよ」
「よほどの…こと?」
そう口にしてから、突然脳内に答えが降ってきた。そうだ、私は何でここに来た?それは、アステリアの真意を確かめるため。アステリアの正体と、アステリアがやろうとしている行動を止めようとしたから。そう、アステリアがしようとしていたことは……
「アステリア……貴女まさか、もうダンブルドア先生を……!?」
「私が殺したのではありませんよ。毒を入れた蜂蜜酒を送ったのは、『服従の呪文』をかけられたグレンジャー。そして、毒を盛った真犯人は……」
ゆっくりと右腕を持ち上げるアステリア。そのまま右手を伸ばし、そして―――
「貴女になるんですから、姉様」
夜の闇の中では際立って白いアステリアの人差し指は、まっすぐ私に向けられていた。私の頭は、一瞬で真っ白に染まる。
「な、何を言ってるの?私は、そんなことしていないよ!やったのは、アステリアなんでしょ!?」
「『なるのですから』と言ったはずですよ、馬鹿な姉様」
女神のような微笑みを浮かべたアステリアが、話し始めた。
「ダンブルドアを殺したのはいいけど、罪の意識にさいなまれ自殺…というシナリオです。私の役割は、姉の自殺を止めに来た優しい妹になります。ただ、姉に武装解除され自殺を止めることが出来なかった」
私はハッと息をのむ。そう、『武装解除の呪文』の効果で、アステリアの手には杖がない。つまり、あの時の殺気は……わざと私に『武装解除の呪文』を使わせるための演出、だったのだろうか?
そうだ、言われてみればオカシイ。もし、今までアステリアが話していたことが真実だとするのであれば、私の倍以上も魔法力のあるアステリアが、私の放った『武装解除の呪文』を防げないなんて変な話。あの時から……すべてが仕組まれていたのだろう。
アステリアは淋しそうな表情を浮かべながら、言葉を紡いだ。彼女の目じりには、きらりと一粒の涙が浮かんでいるようにも見える。
「さぁ、姉様。天文台から落ちてください。ここで誰かが『ダンブルドア殺害犯』にならないと、必然的にセレネ先輩が魔法省に犯人扱いされてしまうんです。
セレネ先輩を救うためにも、死んでください…姉様」
セレネが……救われる?
そう、私の最終的な目標は、アステリアと同じなのだ。セレネを救うため、私がセレネの代わりに『犯罪者』の仮面を被って死ぬ。そうすれば、犠牲は最小限。セレネだけではなく、アステリアもつらい思いをしなくて済む。だけど……そっと下を覗き込むと、漆黒の闇が広がっている。遠すぎるのと暗すぎるのとで、地面が見えない。恐怖が腹の底から湧き上がってきた。
「アステリア……ダメだよ。こんなのって、ないよ」
「姉様の分からず屋」
アステリアは、私を侮蔑するように叫んだ。
「ヴォルデモート陣営に進むよう誘導したら、先輩は『犯罪者』として処分される。
だからといって、ダンブルドア陣営に進むように誘導したら、『危険分子』として殺される。
もちろん、いいところまで行った時もありましたよ?
例えば前回なんて『第二次ホグワーツ戦線』まで、先輩は恨まれること無く生き残っていましたから。暗殺要因をすべてなくして、これで大丈夫……ってホッと一安心していたのに、先輩は『分霊箱』の存在に気がついてしまったんです。それで、『このままの状態で、ポッターがヴォルデモートを殺しても、いずれ復活してしまう』と判断した先輩は、すぐにポッターの中のヴォルデモートの魂を破壊。その結果、ポッターは一時的な仮死状態に陥ってしまったんです。『裏切り者』と称された先輩は、誤解を解こうとしたんですけど、効果むなしく……激高したウィーズリー兄妹の手によって殺されたんですよ!?
……でも、この方法なら……これなら、今度こそ……先輩は逃げることが出来る。魔法省の目は自殺した姉様に向けられ、先輩は無事…マクゴナガルとスネイプと『魔術師殺し』の手を借りて、国外に逃亡できるんです」
狂ったような光が、アステリアの潤んだ瞳に浮かんでいた。確かに、アステリアの言い分にも一理ある。だけど……
「私は、死にたくない」
気がつくと、頬を冷たい液体がなぞっていた。
「私は……死にたくない。まだ、死にたくないよ。私は……セレネのために死ねないよ」
私は弱虫だから。セレネのために死ねない。セレネのために命を使えない。セレネのために人を殺せないし、罪をなすりつけるなんて出来ない。だから、セレネもダンブルドアも、そして『あの人』であっても……誰もが辛い思いをしないような風にしたかった。ただ、それだけなんだ。
そんな弱虫な私を、アステリアは冷たい目で睨みつけている。まるで、使えない道具か何かを見るように…。アステリアは機械のような冷たい仕草で、ローブの内側から瓶を取り出す。この闇の中でも『黒』と判別できるくらい黒い液体が入った瓶だ。アステリアはキュッと音を立てながら、瓶のふたを開ける。
「なら、しかたありません…最終手段です。
『'M PATHETICUS anima. Fiet de artus, calcitrare hostes Ganzen(哀れな魂よ。我の手足となり、眼前の外敵を蹴散らせ)』」
アステリアは感情のない声で呟くと、聞き覚えのない呪文を唱えながら、瓶の中の液体をポタリ…ポタリト床に浸していく。黒い液体は瞬く間にアステリアの足元に広がり、なにやら形を作っていく。
「い、いやぁぁぁああ!!!」
気がつくと叫んでいた。
それは、形容しがたいモノ。
黒い液体から、雪のように白い頭や手が付きだしている。男、女、そして子供。薄ら笑いを浮かべながら亡者たちの落ち窪んだ虚ろな眼が、全て私に向けられている。ぷぅんと鼻をふさぎたくなるような腐敗臭が、天文台に漂い始めていた。
「『死霊魔術』で操る亡者…といったところでしょうか。さぁ、そのまま姉様を落としなさい」
感情のこもっていないアステリアの声が、亡者たちに告げる。心臓を握られたような息苦しい感覚が身体に奔る。私は亡者たちかが視線を外すと、何も知らずに校庭を歩く魔法省の一段に叫ぶ。
「助けて!!助けてください!!」
私は精一杯の大声で、声がかれそうになるくらいの大声でまだ校庭を歩いている魔法省一向に叫ぶ。だが、声が届かないのか、北棟の方を見ずに歩き続けている。ただでさえ蒼白だった顔から、ますます血の気が遠ざかった感じがした。
「無駄ですよ、この北棟の周りには『認識阻害』の結界を張ってあるんです。この結界の外で話を聞いている人間は、ここで会話した内容に対して興味を持たなります。いくら姉様が叫んでも、アイツらは認識しませんよ」
冷たく突き放すような口調で、アステリアが説明する。
真冬なのに、生暖かい空気がアステリアの周囲から放たれているような感じがした。どうにかして、逃げないといけない。せめて、鳥のように翼でもあれば天文台から飛んで逃げられるのに……。生憎と、私は普通の魔女。翼なんてどこにも……
………その時、自分の手の中に『杖』があることを思い出した。そう、私は魔女。この杖を使えば逃げられる、かもしれない。
「ぺ…『ペトリフィカス トルタス‐石になれ!』」
握りしめた杖で、必死になって叫ぶ。亡者はのけぞって、ゆっくり後ろ向きに倒れた。一瞬だけ、ホッとした。良かった……魔法が通じる相手なら、まだ勝機はある。勝てない可能性の方が高いけど、逃げ出すチャンスくらいはあるかもしれない。いや、きっとあるはずだ。
私は、思いつく限り魔法を叫び続けた。
「『ペトリフィカス トルタス!』『インペティメンタ!』『インセンディオ!』『スティーピファイ!!』」
杖先から放たれた色とりどりの閃光が、亡者に襲いかかる。ある亡者は倒れ、ある亡者は煌々と燃え上がり、ある亡者は凍結し、またある亡者は縄で四肢の自由を封じられる。だが倒された亡者たちは、再び液体に戻り、瞬く間に先程までの形を取り戻すのだ。
復活するたびにアステリアが退屈そうな様子で何かを詠唱しているが、そんなの気にしている暇なんてない。……気のせいだろうか、数が増えている気がする。
「っあ!」
亡者の萎びた手が、私の右腕をつかむ。死んだ人間とは思えないくらいの強い力で、一気に私の腕を締め上げてきたのだ。
杖が手から離れ、むなしく地面に転がる。痩せこけた薄っぺらな腕が、私を吊し上げ、ゆっくりと…ゆっくりと……天文台の外へ近づけていく。
「ようやく、薬の薬効が切れたみたいですね。……想像していたよりも、長かったです」
アステリアが不敵な笑みを浮かべている。
あぁ、私……今まで『フェリックス・フェリウス』のおかげで生き延びられたんだ。
吐きたくなるような腐敗臭が混ざる夜の風を感じながら、漠然と感じた。
アステリアが『死ぬ予定の私』にすべてを説明してくれたのは、ただ薬効が切れるまでの時間稼ぎ。薬効が切れてしまえば、幸運の加護はなくなる。アステリアは、この瞬間を待っていたんだ。
「ばいばい、姉様」
アステリアの声が、遠くから聞こえる。
それと同時に、私は桟の向こうへ放り出された。ふわりと、髪の毛やローブが舞い上がった。
眼下に広がる闇を感じる。私、死ぬんだ。この暗闇の中に堕ちていくんだ。痛いのかな、痛いのは嫌だな……死にたく……ないな……
耳元で轟々と唸る風。目の前に広がるのは、満天の星空。ちらちらと数えきれないほどの星が、漆黒の夜空に散らばっている。ただでさえ、遠くに見える星々が、物凄い勢いで私から遠ざかっていく。
あぁ、私……死ぬんだ。さっき見た暗闇の中に、堕ちていくんだ。痛いのかな……痛いのは、嫌だな……
私は遠ざかっていく夜空を見るのが怖くて、ギュッと目をつぶった。
「『レビコーパス‐身体浮遊』」
なにやら鋭い声が飛んできた、と思った矢先、ビリッとした感覚が身体を奔る。それと同時に、ぐぃっと頭が空に持ち上げられた。そっと目を開けると、遠ざかっていたはずの夜空がどんどん近づいている。
「う…そ?」
天文台の桟によじ登った誰かが、私に杖を向けている。どうやら、その人物が私を引き上げてくれたのだろう。
「…次に無茶したら、助けないからな」
呆れたような口調で、その人物は私に杖を向けている。暗闇の中、つい見惚れてしまう蒼い瞳を爛々と輝かせて……
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ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
次回で、『謎のプリンス編』終了予定です。
※2月19日…大幅改定
※3月1日…一部改訂