平日の正午前なのに人通りの多いのは、残り日数は少ないとはいえ、まだ夏休みだからだろうか。汗を垂らしながら、どこか楽しげに行き交う人混みの中、私は誰の注意を引くこともなく歩いていた。顔を隠すためにキャップ帽を深くかぶり、魔法で背中まで伸ばした髪が風に遊ばせながら、足早に待ち合わせの場所へと向かう。
世界中に展開している大手ファーストフード店に入ると、合う約束をしていた人物の姿は見当たらなかった。店内の時計を見ると、まだ約束の時間より5分程早い。私は、1番安いハンバーガーのセットを注文し、窓から離れた位置の4人掛けの席に腰を下ろした。久しぶりに飲んだシェイクの甘い味が口の中に広がる。
「待ったかな?」
約束の人物『衛宮切嗣』と『久宇舞弥』は、待ち合わせ時間ちょうどに現れた。外国人、しかも東洋系である2人はイギリスでは目立つ。でも、この町ではそこまで目立たない。なにせここはイギリス北部の観光地『エディンバラ』。ロンドンの次に人気のある観光地として知られているから、東洋系の人をみかけてもおかしくはない。本当は勝手を知ったロンドンで待ち合わせをしたかったが、切嗣曰く『念には念を』ということらしい。
私は、向かい合うように席に座った2人に対し、黙って首を横に振る。
「それで、約束の物は?」
そういうと、舞弥が手にしていた鞄の口を小さく開けた。…中には先学期に私が頼んでおいたモノが入っている。あの時は、こんな形で受け取ることになるなんて思わなかった。私は鞄を舞弥から、そっと受け取る。予想以上に鞄は重く、落としそうになってしまった。
「確かに受け取った」
「あぁ……それにしても、君に関する記事を読んだよ。失敗したみたいだね」
煙草に火をつけながら私に話しかける切嗣。彼の表情から、何を考えているのか読み取れない。とりあえず、私は苦笑を浮かべた。
「感情的になり過ぎた。次は失敗しない」
「じゃあ、まだ『破れぬ誓い』は続いているみたいだね」
夏だというのに日焼けをしていない私の白い左腕を、切嗣は横目で見た。私は目を細め、その腕をそっと擦る。
「…あぁ」
ヴォルデモートと結んだ『破れぬ誓い』。そのせいで、私はダンブルドアを殺さない限りヴォルデモートに危害を加えられないというデメリットを課せられている。もちろん、それは向こうも同じことだが。
「生活は大丈夫なのですか?」
「大丈夫といえば大丈夫だし、大丈夫じゃないと言えば大丈夫じゃない。こんなこともあろうかと、マグルの金と魔法界の金を少しだけ、去年の夏休暇中にとある公園の一角に埋めておいた。それで何とかするしかない」
ポテトをつまみながら答える。パフェを無表情で食べていた舞弥は、顔を少ししかめた。切嗣は煙草をふかしたまま、目の前に置かれたチキンナゲットに手を出していない。
「野宿かい?」
私は首を横に振る。
「切嗣さんも会ったことがある元教師の家。他にアテが無かった」
アルファルドの力を借りアズカバンから脱獄した私は、ルーピン先生の家に滞在させてもらっていた。自宅は絶対に魔法省が監視の目を光らせているだろうし、冬に舞弥さんと滞在した小屋の近くにはセドリック・ディゴリーの家族が住んでいるので止めた方がいい。自分が魔法使いだと分かる前の友人、フィーナやラルフそして、近所のマージョリーさんの家に行くことも考えたが、過去の交流関係を調べられていたらバレてしまうし、なにより、今の状態を説明するのが大変だ。
スネイプ先生は、私の名付け親だということで魔法省に目をつけられていそうだし、ダンブルドアとヴォルデモートともつながっている。…そう考えると、ルーピン先生の所に行くしかなかった。もっとも……ルーピン先生の所にもダンブルドアの味方が尋ねてくる可能性が高い。だが、スネイプ先生の所よりかは少ないだろう。
ルーピン先生は、私を家に置いてくれた。先生は騎士団の仕事で家を留守にすることが多いみたいだが、運よく非番の日に先生の家のドアを叩くことが出来て、本当によかった。
ちなみに、アルファルドには『縮小呪文』をかけ、普通の蛇サイズになってもらっている。今はルーピン先生の家で留守番だ。こんな街中で蛇を連れて歩いたら、注目されてしまう。
「目立たないよう服も購入してくれたし、魔法で髪を伸ばしてくれた」
「でも、いつまでもそこにいるわけにはいかないでしょう。…これからの予定は決まっているのですか?」
2つ目のパフェを食べ終わり、3つ目のパフェを無表情で食べ始める舞弥さんが話しかけてきた。…あんなに冷たいものを食べて、腹を壊さないのだろうか、と思いながら私は口を開く。
「大まかな構想だけど一応は、な」
そういうと、私はハンバーガーの最後の一口を口に押し込む。そんな私を見ながら切嗣は、煙草を灰皿に押し付けて消すと、テーブルに肘をついた。
「どういった構想かな?」
「…あるものを探す」
「それは、なんだい?」
「…」
分霊箱のことを話していいだろうか?これ以上、切嗣達を巻き込んでいいのだろうか?一瞬迷ったが、話すことにする。もうすでに、ルーピン先生には話してしまったことなのだ。同じ協力者である切嗣達に話しても、何ら問題はない。むしろ、世界中を見てきた切嗣達のことだ。なにか手がかりになりそうな情報を、持っているかもしれない。
「ヴォルデモートの分割した魂が封じられているモノ。どこにあるのか、いくつあるのか分からないけど。それを全て壊してようやく……ヴォルデモート本体を殺すことが出来る」
私の言葉を聞いた2人は、黙って何かを考え込んでいるみたいだ。そして、切嗣はポツリと言葉を漏らした
「…分霊箱か。だが、『今の』君は壊せないはずだ」
そのことを分かっているのか?と問いかけるような視線を私に向ける。私はコクリと頷いた。そんなことは、分かっている。
分霊箱に入っている『ヴォルデモート』も『ヴォルデモート』。『破れぬ誓い』がある限り、私は分霊箱を壊すことが出来ない。たとえ『眼』があっても。でも…
「アルファルドはバジリスクだ。あれの牙なら、壊せる」
「…そうだね、その手があったか」
なるほどね、と納得したような表情を浮かべる切嗣。以前、分霊箱についての記述があった本には、壊し方が記されていた。強力な魔法特性を持った物でしか破壊出来ないらしく、壊す方法は数個しか記載されていなかった。その中に、制御が大の魔法使いでも困難とされる『悪霊の火』の隣に、『バジリスクの毒』と書かれていたのだ。……バジリスクがいてくれて、本当に助かった。
舞弥はパフェを追加注文すると、淡々と私に言葉を投げかけた。
「いくつ壊したんですか?」
「2つ。でも奴のことだから、他にも作っているはず。…いくつか分からないけど」
「では、残り4つですね」
「…そうですね。…………えっ!?」
私は、甘ったるいオレンジジュースを飲む手を止めた。
「どうして数がわかるんですか?」
「魔法界で強力だと言われている数は『7』だからさ」
再び煙草に火をつけながら、切嗣が返答する。…あの墓地で、わざわざ『礼儀を守った古流』の決闘をしようとしていたヴォルデモートのことだ。ああ見えて、実は形式だのなんだのにこだわっている。だから、迷信の類を信じ、『7つ』に魂を分割した可能性が高いことは否定できない。でも…
「なら、『5』になるはずだ。『7-2=5』だから」
まさか、計算を間違えたとは考えられない。何か意図して『4』と言っているはずだ。もしかして、すでに切嗣達は1つ破壊している、ということだろうか?
「以前、その分霊箱らしきモノを見たことがあってね。実は1つ、壊している」
服のポケットを探る切嗣。何か小さな欠片を、取り出した。カップの底みたいな欠片だ。というか…
「アナグマと…H?……『ヘルガ・ハッフルパフ』のカップ?」
「その通りですよ」
追加注文したパフェを、ふたたび口に運びつつ舞弥が答える。私は眉間にしわを寄せてしまった。ハッフルパフのカップと言えば、魔法界において歴史的な価値がある。しかるべき場所に売ったら、1000ガリオンなんて、ちっぽけな金に見えるくらい大金が手に入るはずだ。なのに、なぜ壊した?分霊箱だと知っていたから?
私の胸に渦巻く疑問が伝わったらしく、舞弥は食べる手を止めた。そして、トントンと軽くテーブルをたたく。
「このくらいの高さのテーブルから、落としてしまったのです。当然、割れると思いましたが全くの無傷。不審に思ったので色々と試してみましたが、全くの無傷。これは変だと気がつき、ある方法で壊したんです」
「ある方法…?」
言葉がぼかされる。尋ねられたくないのかとも思ったが、分霊箱を壊す方法は、出来るだけ多く知っておいた方がいい。私は詳しく尋ねようと思い、口を開きかけたが…その時だ。
「そういえば、いつものナイフを、まだ持っているかい?」
切嗣は、唐突に呟いた。どうやら、話題を逸らしたいようだ。私は視線を斜め下に向けると、ゆっくり口を開いた。
「…ない」
アズカバンから脱獄する際、私の私物は残っていないか隅から隅まで探した。だが、保管されていたのは杖だけ。他の私物は、ひとつ残らず残されていなかった。生き残っていた看守に問いただしてみたところ、『闇の魔術』の痕跡がないか調べるため、魔法省に保管されているみたいだ。ただ、『闇の魔術』の痕跡がなかった場合…速やかに処分されるらしい。
切嗣は、黙って何かを考えている。そして、ふぅっと息を静かに吐き出すと、服の内ポケットから何かを取り出した。それは、品の良さそうなナイフだった。窓から差し込む陽光を受け、銀の刃がキラリと光る。それを横目で見た舞弥は、食べる手を止めて息をのんでいる。切嗣は、ナイフを私に差し出してきた。
「…これをあげるよ」
「ありがとうございま…す?」
ナイフを受け取った私は、眉間にしわを寄せてしまった。普段、持ちなれていたナイフと重さが全く違う。明らかに軽い。まるで、『玩具』のように軽いのだ。だが、玩具にしては出来が良すぎる。小さいころ遊んだママゴトのナイフとは違い、細部まできめ細かに作られているのだ。もしかしたら、前まで使っていたナイフよりも高級品かもしれない。もち心地が良く、見た目も素材も一級品みたいだ。
「イリヤ…僕の娘が使っていた玩具のナイフだよ。…とはいっても、人を傷つけられないってところ以外は、本物のナイフと同じだけどね」
切嗣は、優しげな笑みを浮かべた。私は納得する。切嗣の妻の実家『アインツベルン』は、言葉では表せないくらいの財力があるらしい。だから、玩具一つとっても特注品なのだろう。
「本当にいいんですか?」
私が確認すると、切嗣はゆっくりと頷いた。それを見た私は、頭を軽く下げるとナイフを鞄の中にしまった。
ドォォン、とエディンバラ上の砲台から、弾が発射される音が聞こえてきた。たしか午後1時に発射されると聞いている。ここに入ったのは12時くらい。もうそんなに時間がたってしまったのかと、少し驚いてしまう。
「さてと、そろそろ時間かな。帰りの飛行機があるから、今日はこれで」
煙草を灰皿に押し付けると、切嗣は席を立った。続いて舞弥と私も立ち上がる。外に出ると日差しのまぶしさに、たまらず帽子を深くかぶりなおした。
「じゃあ、次は君が誕生日を迎えたときでイイかな?」
私は声を出さずに頷いたのを確認すると、2人は観光客の群れの中に入り込み、次の瞬間にはどこにいるか分からない。私は2人が去った方向に背を向けると、帰路に就くのだった。
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11月28日:大幅改定