少し冷たすぎる水で軽く洗ってから、マンゴーの皮を丁寧に剥いていく。昨日購入した少し高級なスペアリブを、冷蔵庫から取り出した。手ごろな大きさに肉を整えると、肉を柔らかくするために、先ほど皮をむいたマンゴーを上に乗っける。アルミホイルでそれを包むと、元々温めておいたオーブンに、放り込んだ。
焼けるまでに時間がかかる。その間に付け合せを作ろうと思い、冷蔵庫を開けた。
日曜日の日、学校に入学する以前からの友人、フィーナに誘われて少し買い物に出かけた帰り道で、仕入れた野菜が顔を出す。どうやら私が家にいない1年の間に法律が変更したらしく、日曜日でも店のシャッターが開いていたのだった。
トントントン……
ジャガイモを刻む音だけが、静まり返った家に響き渡る。先程までテレビの中でアナウンサーがニュースを読み上げていたが、そのあとに悩みとは無縁なくらい陽気な子供向けの番組が始まったので、つい電源をきってしまったのだ。
ジャガイモを刻み終えたら剥いたトマトを、次はコリンキーを同じように刻んでいく。手を休めることなく、とにかく料理に没頭していた。そうすれば、何も考えなくて済むから。
『気分転換にテレビでもつけたらどうだ?』
少し離れたところに置いてあるケージの中で、眠そうにしている老蛇のバーナードが話しかけてきた。
「今の時間は面白いものがやっていないだろ?電気の無駄だ」
ぶっきらぼうにそういいながら、もう一つのコンロで茹でたマカロニを、切った野菜が入ったボウルに入れる。その中に、市販のパスタ用のバジルソースを加え、和えていく。あっという間にマカロニと切ったばかりの野菜が緑色に染まった。
「それに、急がないとスネイプ先生が来るだろ?」
今日の6時に、スネイプ先生が夕食を食べに来るのだ。クイールが生きていた頃から何度か夕食に招待を伴にしていたので、とくに不思議に思うことではない。ただ今年の夏休暇に入ってから、こうして訪ねてくる頻度がグンっと増えた。先生曰く『ホグワーツの料理よりも、お前の作る料理の方が旨い』から来てくれるらしい。でもホグワーツで専門のしもべ妖精が作る料理に比べたら、趣味の域を出ない私の手料理は、見劣りするものに違いなかった。恐らくスネイプ先生は、急に1人になってしまった私を気遣ってくれているのだろう。
時計を確認すると、もうすぐ5時。
先生が来る時間まで1時間以上もある。私はスープの準備をするために、鍋の中に入っているマカロニを茹で終わった湯を捨てた。もうすでに鍋は熱を持っているので、中にバターを一欠けら落とす。玉ネギを使い慣れた包丁で縦半分に切ってから、繊維に直角になるように薄切りにする。涙が出そうになったが、我慢する。玉ネギを切り終わる頃には、バターは鍋の底で、すっかり溶けていた。そのまま玉ネギを鍋で炒める。
玉ネギの色が徐々に透き通ってきたので、そろそろスープ作りに入ろうか…と思った時だった。
ピンポーン
早い。
いつも待ち合わせの時間ピッタリか、5分前に来るスネイプ先生だが、なぜこんな早くに来たのだろう。それとも、別の誰かだろうか。私は鍋にかけていた火を止めると、玄関に走った。
「……」
玄関の外にいた人物を見て、私は一気に警戒心を高める。
数週間前に『全身金縛り』の呪文をかけたシルバーと、ドラコに似た男性、おそらくドラコの父親であるルシウス・マルフォイだろう。そして彼らの後ろには最後に赤い目を光らせたヴォルデモートが立っていた。少し姿勢を低くして、いつでも走り出せるように準備すると、口を開いた。
「…で、用件は何?」
杖は『万が一のため』ベルトにさしていたし、愛用のナイフは折りたたみ、ポケットの中に入っている。もし…戦闘状態になっても戦える状況だ。もっとも、こんな住宅地の真ん中で戦うつもりは、私にはないが。そういえば、先程から通りに人が誰もいないのが気になる。…もしかしたら、人避けの呪文でもかけたのかもしれない。
ヴォルデモートが一歩私の近くに進み出た。
「単刀直入に言う。セレネ・ゴーント…俺様の下につけ」
「断る。だから帰れ」
即答して玄関のドアを閉めようとした。だが、シルバーがドアをつかんで、閉められなくした。私はシルバーを思いっきり睨む。だが、シルバーは笑みを浮かべたまま怯まなかった。
「アンタたちの用件は済んだはずだ。私は、アンタたちの申し出を断った。まだ何か用があるのか?」
「いや、だって理由とか聞いてないしさ」
「理由?あぁ…死にたくないからだ」
ルシウスもシルバーもあっけにとられた顔をした。ヴォルデモートでさえ少し眉を上げて驚いているみたいに見える。
「え……それだけ?」
シルバーが疑うような眼で私を見てくる。私はため息をついた。
「……アンタの下につくなんて自殺行為だろ?命がいくらあっても足りない。それに、アンタの下について私に何か得がある?何もないだろ」
そういって1人1人を順番に軽く睨んだ。
しばらく私を品定めするかのように見ていたヴォルデモート。沈黙が玄関を支配する。こうしている間にもスネイプ先生来宅の時間が、刻一刻と迫っている。スネイプ先生は『ダンブルドア寄り』の人物でもあり、『元・死喰い人』。ヴォルデモートと鉢合わせになったら、不味い気がする。無理やり追い返そうかと考えていたとき、シルバーが口を開いた。
「ならセレネ、お前は『不死鳥の騎士団』につくつもりか?」
「『不死鳥の騎士団』?」
聞きなれない言葉に聞き返す。『騎士団』という言葉が入っていたから、グリフィンドール関係の人達……おそらくダンブルドアを中心に設立された『対ヴォルデモート組織』なのだろう。シルバーの口元が少し歪んだ気がした。
「そっちも入らない」
「そうか、お前は分かってないな」
馬鹿にしたように笑みを浮かべるヴォルデモート。深紅の目が爛々と怪しく光り輝いていた。
「力を持っている奴は、吸い寄せられるように戦いが舞い込んでくる。お前はどちらかの組織に所属せざる得ないことが、分からないとは…まだまだガキだな」
私は何も答えなかった。ヴォルデモートは漆黒のマントを翻し、私に背を向けた。
「また来る。その時までに、どちらに付くか決めておけ。俺様に付くか…ダンブルドアに付くかをな」
『姿くらまし』で消えるヴォルデモート。後を追うようにルシウスとシルバーも消える。
…私はしばらく…その場に立ち尽くしていた。
シャァァァ――――
家の中に、蛇口から止めどなく流れる水音だけが響き渡る。既に洗い物は終えたといのに、音がなくなるのが怖くて水を流し続けている。
クイールが『学校時代の友人と作った大切なモノが入ってるから、開けちゃダメ』と繰り返し言っていた、黒いアタッシュケースの横でボンヤリと座りこんでいた。
スネイプ先生は、いつも通り5分前に来た。作った料理は、いつも以上の出来だったらしくスネイプ先生が、いつになく褒めてくれたが、私には味が感じられなかった。柔らかいはずの肉が、なかなか喉を通らなかったし、オニオンスープは生温い液体みたいだ。
そんな私の様子に気が付いたスネイプ先生は、体調が悪いのかと思ったらしい。『何かあったのか?』と尋ねてきたが、私は『何もない』と返答し続けた。
私はどうしたらいいのだろうか?
こういう時に相談に乗ってくれていたクイールはもういない。アステリアの話だと、会場を逃げ出したカルカロフを止めようとしたクイールだったが、正気を失っていたカルカロフが放った『死の呪い』が胸の中心に命中し、死んでしまったのだそうだ。
…だが、世間一般では違う。世間ではクイールの死因は『心臓発作』とされていた。
『元』とはいえ学校長が起こした殺人事件というのは『ダームストラング校』の威信を地に落とすものだったし、ホグワーツでも敷地内で殺人事件が起こったというのは醜聞だ。
ダンブルドアを嫌っている魔法省が、クイールの死の原因を知っていたら話は変わってきたかもしれない。だが、魔法省は、クイールがホグワーツの敷地内で殺されたということを知らない。…もしかしたら、ホグワーツに通う生徒の中にも、その事実を知らない人が多いのではないだろうか?
人々の関心の多くは、未だ意識がもどることなく入院したままのセドリックや、ヴォルデモートが復活したという戯言を言うハリーやダンブルドアに向けられていたから…。
『分かってくれ、セレネ』
殺人事件についての話を隠蔽すると言ったダンブルドアの声が脳裏に浮かぶ。ダンブルドアは、2年前に見た時と同じように、申し訳ないような表情を浮かべていた。
…ダンブルドアは……私をどうしたいんだ?
遠くない未来に、ヴォルデモートが復活したと世間も気が付く。その時に真実を語り続けていたハリーは再び……英雄扱いされるだろう。そして、ダンブルドアの筋書き通りに歩んできたハリーが、ダンブルドアからの入れ知恵を使ってヴォルデモートを倒す。そんな未来が瞳の裏に浮かぶ。きっと、ハリーの話は将来……伝記になるに違いない。赤子の時から、ヴォルデモートを倒すまでの伝記。私が倒したはずのクィレルもトム・リドルの話もハリーの手柄として。
そう考えると、訳も分からずイライラしてしまった。眼鏡を外し、そっと閉じた瞼に触れる。
…この『眼』の力はきっと、これから『ヴォルデモート』と『不死鳥の騎士団』の戦いが始まった時、両陣営から求められるに違いない。ダンブルドアは『眼』について私以上に熟知しているし、ヴォルデモートも『眼』というか私の力に並々ならない興味を抱いている。
どちらかが倒れるまで、勧誘の日々は続くと思うし、もしかしたら私の友達が人質にとられて無理やり戦いに参加せざる得なくなるかもしれない。『賢者の石』の時や『秘密の部屋』の時みたいに、その場の流れで参加することになるかもしれない。まるで、ダンブルドアが作った線路の上を従順に走る列車のように……
私はどうしたらいいのだろうか?
どちらに味方をしても、血が流れる。
どちらに味方しても、争いを避けることはできない。そして、それに私が巻き込まれるのは必然的なこと……もしかしたら、私の友人が巻き込まれるかもしれない。ダフネやノット達の顔が脳裏に浮かんでは消えていく。とりわけ、ハリーと仲が良いハーマイオニーは確実に、『不死鳥の騎士団』として杖を取るだろう。彼女と敵対しないためには、私も『騎士団』に所属しなければならない。でも……
ダンブルドアの下で戦いたくない。かといってヴォルデモートの下で戦うのも嫌だ。
私は、思い出したかのように蛇口の水を止める。ぽちゃん…という水がシルクに落ちる音を最後に、再び家は静寂で包まれた。
コンコン
窓を弱弱しく叩く音がする。こんな時間に誰だろうかと思い、窓の方を見たとき、私は固まってしまった。そこにいたのは、見る影もなくやつれたカルカロフ。クイールを殺した張本人がいたのだから。私はガラリと窓を開け、すっかり変わり果てた男を見下ろした。
「何をしていらっしゃるのですか、カルカロフ校長先生?」
「…頼む……何か食べ物を恵んでくれ」
嫌味っぽく話しかけてみたが、全く違う反応が返ってきた。…それに、私が誰なのかわからないみたいだ。眼の焦点が合っていない。目は危ない薬に手を出していたのだろうか、と思われるくらい落ち窪み、そして血走っている。頬はこけ、血色のよかった肌は、骸骨のように白くなっていた。誰の目から見ても高級そうだった毛皮のマントは、泥や埃がこびりついていて、手入れを欠かしたことがなかった自慢の髭は、伸び放題で貧相に見えた。
それに、彼は左腕をなくしている。恐らく、左腕に刻まれている『闇の印』を切り落としたかったのかもしれない。…たった数週間で、ここまで人は変われるのかと思うと、少し驚いてしまった
「頼む。パン一切れでも構わない!何か……食べるものを……!!」
救いを求めるように、残った右手を私に向けるカルカロフ。…クイールがこの場所にいたら…どうしただろう?助けた?それとも……
私は窓を開けた。夏の蒸し暑い空気が、エアコンの効いた部屋の中に入ってくる。窓を開けた途端にカルカロフの顔は、花が咲いたように明るくなった。だが、眼は正気を失ったままだ。
「頼む!何か食べるものを……!!」
「私は、アンタを殺したくない」
私が静かにそう告げても、カルカロフは何かを求めるように私に右手を伸ばす。
「ナニカ…食べるものを……」
私が何を言ったか分からないみたいだ。ここまで狂ってしまっていたら、殺す価値がないように思えてくる。もう、こいつは十分『罰』を受けた。見逃してもいいのではないだろうか…という声が頭の片隅で聞こえてきた。だが、その一方では、目の前の男を殺すべきだと主張する私がいた。こいつのせいでクイールが死んだのだと…。いや、元を正せば、そもそもカルカロフを、しっかり監視していなかったダンブルドアが悪いのではないか?それとも、ダンブルドアはわざと…?
「あぁ…そうか」
刹那、頭の中に、とある考えが閃いた。『誰か』の言葉を借りると、『最大の効率と最小の浪費で、最短のうちに処理をつけることが出来る』かもしれない。思わず口元が歪んでいるのに気が付いた。
そんなことを考えている間にも、私に縋り付こうとしてくるカルカロフ。一瞬…私はカルカロフの存在を忘れていた。カルカロフの、今にも折れそうなくらい伸び泥がこびり付いた爪が、私の足をつかもうとしてきた。
「…頼む…」
「悪い、私は……」
懐からナイフを取り出すと、素早く振り落した。ザン、という音が、夜の住宅街に木霊する。カルカロフは、何か起こったのか分からなかっただろう。残されていた唯一の腕が、音もなく庭に落ちる。
夜の闇の中でも目に入る鮮血が、庭の芝生の上に飛び散った。
「私はアンタが『有る』ことが我慢できない」
クイールが死んだのに、なんでコイツは生きていられる?心は死んでいるかもしれないが、なんでコイツの心臓は脈を打ち続けているんだ?
「…わ、ワタシの……腕……ない……?」
痛みを感じていないのだろうか?切り落とされた腕を呆然と見下ろすカルカロフ。しばらく、どうするのかとみていたが、一向に変化は訪れなかった。これ以上見ていても何も起きないだろう。私は最後の引導を渡そうと、再びナイフを持つ手に力を込めた。そして、今度は真横に薙ぎ切った。今度は、カルカロフの元々は手入れが行き届いていた髭が、パサリっと地面に落ちた。
「…髭の手入れもマトモにできない奴は、興味ない」
カルカロフの虚ろな目が私に向けられる。
「正気を取り戻したら、来い。その時は……きっちり殺してやるよ」
テーブルの上に置いてあった固くなり始めたパンを投げてから、音を立てて窓を閉めた。とりあえず、食べ物を恵んでやったので、この場所を去るだろう…そう思ってリビングに戻ったとき、再び私の心に緊張が張り詰めた。
「また来るといったが……いささか早すぎじゃないか?」
さも当然という感じで、ソファに腰を掛けている人物がいた。いつの間に入ってきたのだろうか。クイール秘蔵の日本酒を飲んでいるシルバーとルシウス、それからヴォルデモートを、私は思いっきり睨みつける。
「手緩いな、敵討ちに興味ないのか?」
いくら睨めつけても、ヴォルデモートは、お猪口に日本酒を注ぎながら私から目を離さない。私はアタッシュケースの横に立ったまま、ヴォルデモートを睨み続ける。
「正気を失ってるやつには興味ない」
「そういうものかな~、俺だったらその状態でも殺すけど。…で、決まった?」
弔問に来たクイールの友人が置いて帰った『東●バナナ』を取り出すシルバー。「人の家の食べ物を勝手に食べるな」とルシウスが諌めている。私はスゥッと息を吸い込み、自分を落ち着かせる。…私は、覚悟を決めることにした。
「私は…『ダンブルドア』の反対勢力につく」
ヴォルデモートの赤い瞳が燃え上がった気がした。シルバーを諌めようとしていたルシウスの動きが止まり、シルバーも菓子を食べようとする手を止めて、私を凝視する。
「何かおかしいか?」
「え……いや、仲間になってくれるのは有難いけどさ、なんつーの?あっさりしてるな~って」
疑惑色に染まったシルバーの視線が、私に突き刺さる。私はヴォルデモートを指さすと、口を開いた。
「アンタが死ぬと、私が正真正銘の『スリザリンの継承者』になるから」
そう言うと、ルシウスとシルバーの眉が上がる。だが、ヴォルデモートもいささか驚いているように見えた。
「…『スリザリンの継承者』だということが、どうして俺様側につくということに繋がる?ダンブルドアの爺やハリー・ポッターが『グリフィンドール生』だからか?」
ヴォルデモートが私に問う。
「アンタも私と同じ『スリザリンの末裔』だ、闇の帝王。どうせ、『不死鳥の騎士団』として戦ったとしても、戦後『スリザリンの血を引く危険分子』として闇から闇へと葬られるのがオチ」
クイールが教えてくれた日本史が脳裏に浮かぶ。確か、その人物の名前は『蘇我倉山田石川麻呂』。強大な権力を握っていた従兄弟『蘇我入鹿』を、『中大兄皇子』や『中臣鎌足』と一緒に倒し、大臣の座を得た人物だ。しかし、その後に『中大兄皇子』達から『蘇我一族』ということで『危険分子』と認定されてしまう。そして、クーデターから4年後、ありもしない『謀反』の疑いをかけられ、自殺に追い込まれてしまった人物だ。
私もヴォルデモートと同じ『スリザリンの末裔』、それも正真正銘『最後の継承者』ということで、『危険分子』と認定されてしまう気がする。しかも、敵に回ったら恐ろしいと『眼』まで、私は持っているのだ。さっさと利用するだけ利用して、ことが終わったら殺すと考えるのが、妥当なところだろう。
恐らくヴォルデモートも、私を『危険分子』と認識している。なぜなら、『スリザリンの継承者』という自分の立場を、脅かしかねない存在なのだから。
「どっちの陣営についても死ぬんだ。なら、最後くらいダンブルドアに今までの『礼』をしてから、死んだ方がいいと思わないか?」
苦笑しそうになる。どっちについても『危険分子』であり、戦後『処分』される。それならヴォルデモート陣営に味方をし、『ダンブルドア』に今までの『礼』をする。そして用が済んだら『ヴォルデモート』に殺される、もしくは薬か何かで身体の自由を奪われる前に脱走。クイールの『魔法界に関わりなさそうな』知人を頼りにして、遠い日本かどこかで余生を生きる。…それがいい。
眼鏡越しにヴォルデモートを睨みつける。ヴォルデモートは私を推し量るような眼で見てきた。私は黙ったままヴォルデモートの赤い瞳に、視線を向け続ける。この時間が、ほんの数分か…もしかしたら数秒の出来事だったかもしれない。だが、私にはその時間が、何十時間も、何時間も、押しつぶされそうになるくらい重い圧力をかけられていた感じだった。額から汗が一筋、流れる。
「まぁいいだろう。左腕を出せ」
「…何を勘違いしてるんだ?」
私は服の袖をまくらなかった。出来るだけ冷めた視線をヴォルデモートに向ける。
「言っただろ?私は自分の利益のためにアンタに力を貸すだけ。配下に加わるつもりは、ない。私は、ダンブルドアを殺れれば、それでいいんだ」
ヴォルデモートの赤い目が私の眼を見据えている。ヴォルデモートの唇のない口が動き、笑うような形になった。
「では『破れぬ誓い』をしたら、どうでしょう?」
今まで黙っていたルシウス・マルフォイが口を開く。『破れぬ誓い』という呪文は、聞いたことくらいはある。両者が交わした誓いを破ると、破った者が死ぬと本に書いてあった。
「そうだな、それがいい。異論はないな、セレネ・ゴーント」
「あぁ、ない」
ルシウスの眼差しの下で、私とヴォルデモートは右手を握り合った。それを確認したルシウスは、ローブの中から杖を取り出す。ルシウスは前に進み出て、私たちの頭上に立ち、結ばれた両手の上に杖の先を置いた。
「俺様がダンブルドアを殺すのを手伝うか、セレネ・ゴーント」
ヴォルデモートが言葉を発した。私は、少しだけ頷く。
「手伝いましょう」
眩い炎が、細い舌のように杖から飛び出し、灼熱の赤い紐のように私たちの手の周りに巻き付いた。今度は私が口を開く。
「ダンブルドアが死ぬまで、私…と、私の仲間に危害を加えないと誓いますか?」
「誓おう」
ヴォルデモートが言った。2つ目の炎の舌が杖から吹き出し、最初の炎と絡み合い、輝く細い鎖を形作った。
「お前も、ダンブルドアが死ぬまで…俺様に危害を加えないと誓えるか?」
私は一瞬、言葉に詰まった。『ここでYESと答えてはいけない』と、脳のどこかで叫んでいる自分がいた。でも、ここで答えないと…ダンブルドアに『礼』をするチャンスが遠ざかる気がする。
「お前が危害を加えてこなければ、な」
驚くルシウスの顔が、3つ目の細い炎の閃光で赤く照り輝いた。下のような炎が杖から飛び出し、他の炎と絡み合い、握り合わされた私たちの手にがっしりと巻きついた。
縄のように、炎の蛇のように。
その様子を、ケージの中で寝ていたはずのバーナードが、重そうに鎌首を持ち上げて見ていた。バーナードの黄色の目が、咎めるような色をしている。私は、非難するようなバーナードの視線を無視した。
これは、間違いではない。これは、私の生存率を出来る限り高めた最善の策。もう、ダンブルドアの作った『道』に沿ってなんか歩くものか。…私の未来は私が決めて、私が切り開いていく。誰にもセレネ・ゴーントを渡さない。
それが、たとえ…悪魔(ヴォルデモート)に魂を売る結果になったとしても。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
11月10日:一部訂正