「≪時間に忘れ去られたように放置してある廃屋を、村人であれば知らない者はいない。村人であれば、子供のころに……1度は肝試しとして訪れたことがある廃屋だ。最後に人が住んでから何十年たっているのだろうか?正確な年月を覚えている人は村には残っていない。そもそも、誰もそんなことに興味を持っている人はいなかった。
年季の入った壁に、嫌というほど深緑のツタが巻き付いている。外装のほとんど全てがはげ、白いペンキが使われたのであろうと思われているところも、薄くなって消えかかっていた。覆い茂ったツタのせいで、判別しにくくなっている重い扉は不気味な音を立てて開く。肺の弱くない人でも、咳き込んでしまうくらい、埃が部屋に充満している。
蜘蛛の巣があちらこちらに巣を張り、カサコソと虫が跋扈する。
電気なんて、もちろん通っていない。燭台の上に置いてある、小指にも満たない蝋燭に灯りを灯すか…または、自分の家から懐中電灯を持って来るかしないと、太陽が輝く昼間でも廃屋の中をすべて見渡すことができなかった。
だから、今は廃屋の中は、ちっぽけな蝋燭に火はともっていないし、懐中電灯の明かりもない。数歩先も判別できないような暗闇に包まれていた。一見すると誰もいないように見えるし、どんな人でも中に人がいるとは微塵も考えないだろう。
だが、そんな暗闇に覆われた廃屋の一段と暗い隅の方で、頭を抱えてうずくまっている男がいた。
彼の名前は、カルカロフ。元々は有名な学校の校長職を務めていた男だ。だが、数週間前までの彼を知っているのであれば、彼の変貌に誰しもが目を疑っただろう。
誰の目から見ても高級そうな毛皮のマントは、泥や埃がこびりついている。あれほど手入れを欠かしたことがなかった自慢の髭は、伸び放題で貧相に見えた。目は危ない薬に手を出していたのだろうか、と思われるくらい落ち窪み、そして血走っている。血色のよかった肌は、骸骨のように白くなっていた。それに、彼は左腕をなくしていた。正確に言えば、自分で切り落としたのだ。左腕でハッキリと漆黒の髑髏を模った刺青が刻まれている左腕を。
名誉あるダームストラング校の校長が、なぜこの数週間の間に落ちぶれてしまったのだろうか?
誰もが恐れる今世紀最大の闇の魔法使いヴォルデモート卿。彼の復活が、カルカロフをここまで堕ちぶらせた。もっとも、『復活説』を魔法省が認めていないので、世間一般には知られていない。
三校対抗試合の第三の課題の会場に座っていたとき、今は無き左腕に刻まれていた『闇の印』。それが『闇の帝王』が活動していた全盛期の時のように、ハッキリと痛みを帯びて漆黒に染まったのだ。…彼は恐怖で真っ青になった。
そもそも、彼は本来であれば、校長という地位につける人物ではないのだ。13年前まで『死喰い人』として闇の魔術を実際に使用していた彼は、監獄に収監されていた。……終身刑として。
だが、彼は『死喰い人』として活動していた仲間の情報を、自分の知る限りすべてを魔法省に売ることで、その見返りとして監獄から出ることができたのだ。だから、カルカロフは『死喰い人』、そして、『ヴォルデモート卿』に対する反逆者だ。
裏切り者は許さない。
目の前で『闇の帝王』の残虐な魔法を見てきたカルカロフは、恐怖した。このままでは
殺される。とにかく身を隠さなければ……と。
だから、彼は逃げ出したのだ。周りにいる自校の生徒たちは、負傷して気を失った状態で迷路から救出された代表選手(クラム)の周りに集まっている。だから、カルカロフが会場を抜け出したことに気が付いた人物はいなかった。1人を除いて……
ホグワーツの敷地内では『姿くらまし』の魔法を使用することができない。だから彼は、校門まで必死で走った。
「何をしているのですか、カルカロフ校長先生?」
突き刺さるような鋭い声が、カルカロフの足を止めた。このまま無視して走っても構わない。だが、万が一にもついてこられたら困る…と残った理性で考えたカルカロフは振り返る。そこにいたのは、平凡を絵にかいたような男だった。咎めるような目で、カルカロフを見ている。
「誰だね?私は忙しいのだが…」
「自校の生徒が、気を失っているのですよ?貴方は何も思わないのですか?」
「非常に残念なことだと思っている。だが、私にはどうしても避けられない用事が……」
「本当に緊急な用事なのですか?自分があずかる生徒より大切な用事なのですか!?」
その男は、信じられない…といった目をしている。その時だった。
「ま、待ってください!何処に行くんですか、セレネ先輩のお父様!!」
会場のほうから、叫びながら走ってくる小さな影。カルカロフの心臓が大きく跳ねた。数日前に『闇払い』の男に言われた言葉が脳内に響く。
『あのセレネという代表選手は、お前の昔のご主人様の親族だ』と、『闇払い』の男はカルカロフに囁いたのだ。今、カルカロフの目の前にいる男は、帝王の親族の父親。つまり…彼も帝王の親族。
「う……うわぁぁ、く……来るナ!!」
震える手で杖を取り出して、男に向ける。男は動揺していた。落ち着かせるように手を挙げるが、今のカルカロフには無意味な動作だった。
「私は…オレは……!!生きるタメに仕方なかったンダ!殺さナイでクレ!!」
血走った目で男を睨むカルカロフ男は、できるだけ丁寧に…落ち着いた声で話しかけようとした。
「殺さないので落ち着いて…」
「嘘だ!!オレは……生きタイ!!邪魔ヲ…スルナ!!『アバタ・ケタブラ』!」
カルカロフの杖が緑色の閃光を放つ。それが男に命中したかどうか確かめないで、回れ右をし…ひたすら校門へ走った。そして、校門から一歩外に出た瞬間……ここから遠く離れた地に『姿くらまし』をしたのだった。
あの日以降、廃屋という廃屋を転々としていた。最初は、1つの場所に3日程とどまっていた。……が、そのうちに不安になってきた。ここもすぐに見つかるのではないかという恐怖心にかられたカルカロフは、移動した。南に行ったら次は最北端に、その次は、西に……また最北端に戻ると、今度はアイルランドに……といった感じで、移動し続けた。
彼が現在、うずくまっている廃屋にたどり着いたのは昨日。暗闇の中でうずくまる彼は、校長として輝かしい日々を送っていた頃の面影はおろか、記憶すら残っていないに等しかった。思い出す時があっても、夢の中の話だ。
逃亡してから数日の間が過ぎると、彼の脳内に占めているのは、深紅の瞳をギラギラと輝かせた『闇の帝王』だけになっていた。自分が知っていた域をはるかに超えた、最悪な魔法を駆使する帝王が、いまにも扉を吹き飛ばして襲い掛かってくるか分からない…という『恐怖』の感情だけだった。
だが、その感情もだんだんと消失し、今では何も考えられなくなっていた。ただ……どうすれば『深紅の目』をした人物から逃げることができるか。それしか考えられない。
なんで『逃げよう』と思ったかなんて思い出せなかった。ただ、『深紅の目』を持った人物から逃げないといけない、そのことだけが今の彼を動かしていた。
「すみません……大丈夫ですか?」
コンコン…というノック音と共にカルカロフの耳に入ってきたのは、人をどこか安心にさせる男の声。ギィッと音を立てて開く扉……入り込んできた眩い光に、小さな悲鳴を上げながら、反射的に目をつぶるカルカロフ。
彼の前に立っていたのは、今どきの服を着こなした青年だった。見覚えのない青年の姿。カルカロフは瞬時に『姿くらまし』をして遠くへ逃げようとした。
だが、カルカロフが目をつぶっていた数秒の間に……彼の命運は決まってしまっていた。その青年は、カルカロフが『姿くらまし』をする前に、見たこともないくらい素早く杖を振り下ろしたのであった。
カルカロフの意識は深い闇の底に沈み、二度と浮かび上がってくることは無かった…≫
……って感じッス」
ようやく羊皮紙に書いておいた報告書を読みあげ終わった。で、俺が作った自慢の報告書。題して『カルカロフ逃亡記』の内容を聞いた帝王様の反応はというと…
不機嫌そうだった。
いや、ハリー・ポッターとセレネ・ゴーントに逃げられた時から、ずっと不機嫌だけどさ。輪にかけた不機嫌っていうのかな?
「シルバー……今、読み上げたのは何の物語だ?」
「やだな、帝王様。物語テイストに纏めた報告書」
俺を睨みつける帝王様の不機嫌な紅い目は、少し怖い。でも、こんなもので怯んでいたら、人生やっていけない。俺は、少しさっきを感じる視線を気にしないで話し続けた。
「あのさ、帝王様がコイツを捕えてこいって言ったんじゃないか?だから、わざわざ俺が仕事の合間を縫って潜伏場所を探し当て、こうして捕えて尋問した結果を、報告書にまとめたんじゃん」
「ふざけているのか?」
「物語っぽくした方が伝わりやすいかなって思って」
「無礼すぎるぞ、シルバー!!」
俺の頭に衝撃が走る。ルシウスが鬼のような形相で俺を睨んでいた。……真っ赤に右拳がはれ上がった状態で。俺を殴った衝撃で、ルシウスの右拳もダメージを受けたみたいだ。
「え~、そうかな?でもさ、いまさら言葉づかいを変えるのは面倒じゃない?」
「面倒だと!?お前は何を考えて…」
「もうよい、ルシウス。こいつに何を言っても無駄だ」
帝王様がルシウスを制す。さっすが帝王様だ。俺のことを、わかってくれてるじゃん。俺が勝ち誇った笑みをルシウスに向けると、ルシウスは苦々しい表情をしていた。
「よく、この短期間でコイツを俺様の前に連れて来たな」
帝王様は、足元で転がっている薄汚れたオッサン…カルカロフを転がした。
カルカロフはピクリとも動かない。それも当然だ。だって、俺がこいつを見つけた瞬間にかけた『服従の呪文』の効果が続いているんだから。カルカロフは、恍惚とした顔をしている。半開きになった口からは、涎が垂れていた。
「…ですが、御主人様。何故、殺さないのでしょうか?」
ルシウスも同じことを考えていたみたいだ。俺とルシウスの疑念の視線が、帝王様に注がれる。帝王様は面白そうに紅い目を輝かせた。
「これから会いに行く人物への手土産だ」
……そういえば、これから誰かに会いに行くって言っていた気がする。俺は窓の外を見た。西の空は完全に茜色に染まっているし、東の空の端は、藍色に染まり始めている。
「でも、こんな薄汚いオッサン……手土産になるんッスか?」
「なる。つべこべ言わずに、ついてこい」
帝王様が、豪華な装飾が施された扉のほうに歩いていく。あれ?俺もついていかないといけないのか?聞いてないんだけど。
「ちょ、帝王様?俺、いまから職場の同僚と一緒に、夕飯を食べようっていう約束が…」
「断れ」
「俺の意見は無視?」
「早く来い!」
……無視された。仕方ない。断りの手紙を書いておくか。
いい気味だという感じで笑いながら帝王様の後に続くルシウス。思わず御綺麗なルシウスの顔を、呪いで誰にも見せられないようにしたいmと思ったが、その思いを無理やり押し殺す。そんなことをしたら、帝王様についていけなくなってしまう。
だって、帝王様が、自らどこかに行くのだから。わざわざ手土産を持ってまで。一体、どんな面白いところに行くのだろうか?カルカロフの親族の家?そうだったら、いいな…。
面影もないくらい汚れて、骨抜きになったカルカロフを見た親族。とりわけ、妻や息子や娘たちはどう感じるんだろう?恐怖で顔をゆがめる?それとも…憎しみに満ちた目で俺たちを見るのかな?それを、どうやって帝王様は料理するのだろう?俺も連れて行くってことは、俺もその料理にかかわっていいってことか?
考えるだけで、わくわくしてくる。口元がニヤリっと緩むのが、自分でもわかる。俺は、とっくに外に出た帝王様の後を慌てて追いかけた。
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今回から【不死鳥の騎士団】編です。