ヴォルデモートは私から目を逸らすと、自分の身体を調べ始めた。青白い長い指で自分の胸を、腕を、顔を愛おしむようになぜた。暗闇でさらに明るく光る赤い目の瞳孔が……いや、顔全体が勝ち誇ったような喜びを表していた。きっと、再び肉体が得られたことが嬉しくてたまらないのだろう。
「腕を出せ、シルバー」
「……労いの言葉とか無いんっすか?まぁ、いいですけど」
右手をヴォルデモートの方に伸ばすシルバー。ヴォルデモートは、シルバーのローブの袖をグイと乱暴にめくり上げた。その肌に生々しい赤い刺青のようなものが刻まれている。髑髏をかだどったそれは、新聞で見た『闇の印』と同じ形をしていた。
「…戻っているな。全員が、これに気づいたはずだ。そして、いまこそ、わかるのだ……今こそハッキリする」
ヴォルデモートは長く蒼白い人差し指を、シルバーの腕の印に押し当てた。シルバーは小さく呻く。…だが、それと同時に、なぜかハリーも悲鳴に近い叫び声をあげた。額の傷が怪しげに光っているように見える。もしかしたら、額の傷が相当痛むのかもしれない。
ヴォルデモートは満足そうな笑みを浮かべて、シルバーの手を放すと、夜空を見渡した。深紅の目をギラつかせて、星を見据えながら、何かを待っているかのように。
すると、空から黒い煙の尾を引いて、長いマントを着込んだ人が何人も現れた。全員がフードを深くかぶり、銀の仮面をつけている。性別も表情も判別できない。ただ、慎重に…我が目を疑うように、ゆっくりとヴォルデモートを囲んだ。正確に言えば、ヴォルデモートと、墓石に縛り付けられたままの私達…そして、左手を失ったシルバーを。
だが、輪には所々に切れ目があった。…まるで、後から来るものを待つかのように。だが、ヴォルデモートは、これ以上誰かが来るとは思っていないみたいだ。ヴォルデモートは、仮面をかぶった集団を、ぐるりと見渡す。…風もないのに、輪がガサガサと震えた。
「よう来た『死喰い人(デスイータ)』達よ。13年経った。あれから13年。だが、お前達は、それが昨日のことのように、俺様の呼びかけに応えた。つまり、俺様たちは『闇の印』の下に結ばれている。それに違いないか?」
憤怒の表情で、死喰い人達を見渡す。空気が更に張りつめたものに変化した。死喰い人達の中に再度…震えが奔る。誰もがヴォルデモートから後ずさりしたくてたまらなそうなのに、どうしてもそれが出来ない……そんな震えだった。
「お前たち全員が、無傷で健やかだ。魔力も失われていない。お前たちは、この魔法使いの一団は、御主人様に永遠の忠誠を誓ったのに、何故その御主人様を助けに来なかった!?」
誰も口を開かない。死喰い人達の中には、まだ微かに震えている人がいた。セドリックとハリーも蒼白な顔をしている。シルバーだけが、面白そうに口元に笑みを浮かべていた。
「お前たちは、俺様が敗れたと信じたに違いない。だから俺様の敵の間にスルリと入り込み、無罪を、無知を、そして呪縛されていたことを申し立てたのであろう」
ささやくように言うヴォルデモート。
「なんで俺様が再び立つとは思わなかったのか?俺様がとっくの昔に、死から身を守る手段を講じていたと知っているお前たちがなぜ。生ける魔法使いの誰よりも、俺様の力が強かったとき、その絶大なる力の証を見てきたお前たちがなぜ。俺様は失望した……失望させられたと告白する」
その時だった。耐えきれなくなったのだろうか、1人の死喰い人が輪を崩して、突然ヴォルデモートの前に転がり出た。頭から爪先まで震えながら、ヴォルデモートの足元に跪く死喰い人。
「御主人様!御主人様、どうかお許しを!我々全員をお許しください!!」
血を吐くような声で訴える死喰い人。ヴォルデモートは笑いだした。そしてローブの内側に手を伸ばすと、長い杖を取り出す。そして、杖を振り上げた。
「『クルーシオ‐苦しめ』!」
遠くに見える丘の麓まで聞こえるのではないか…と思うくらいの悲鳴を上げる死喰い人。苦しみのあまり、地面にのた打ち回っている。爪が伸びた指で、己の首を掻き毟る。それを黙ってみている他の死喰い人達……墓石に縛られたままのセドリックが、思わず目を閉じているのが視界の端に映った。ヴォルデモートが杖を下げる。拷問された死喰い人は、息も絶え絶えに地面にグッタリと横たわっていた。
「起きろ、エイブリ―。赦しをこうだと?俺様は許さぬ。13年もの長い間……お前を許す前に、13年分のツケを払ってもらうぞ」
今にも消え入りそうな声で、感謝の言葉を口にした、エイブリ―という名の死喰い人。そのまま、ふらつきながら輪に戻っていく。ヴォルデモートは、エイブリ―の隣に立っている背の高い死喰い人に近づいた。
「ルシウス、抜け目のない友よ。世間的には立派な体面を保ちながら、お前はまだ昔のやり方を捨てていないと聞く。いまでも先頭に立ってマグルいじめを楽しんでいるようだが」
「わが君、私は常に準備をしておりました。あなた様に何らかの印があれば、すぐにでも馳せん参ずる所存でありました」
ルシウスと言われた死喰い人が素早くこたえる。ルシウスという名に聞き覚えがある……確か、ドラコの父親だ。少し声がドラコに似ている気がする。
「それなのに、お前は…この夏に忠実なる死喰い人が空に打ち上げた俺様の印を見て、逃げたというのか?」
どこか気だるそうに言うヴォルデモート。ルシウスは口をつぐんだ。
「そうだ、ルシウス。俺様はすべてを知っているぞ。お前には失望した。これからは、もっと忠実に使えてもらう」
「もちろんでございます、わが君。お慈悲に感謝いたします」
ヴォルデモートは、先へと進む。ルシウス・マルフォイの隣に空いている空間を。人が2人分ほど入れるくらいの大きさの空間を……立ち止まって、じっと見た。
「レストレンジたちが、ここに立つはずだった」
何かを惜しむように、静かに言うヴォルデモート。…そこは、自身の腹心の部下が立つ場所だったのかもしれない。
「しかし、あの2人はアズカバンにいる。俺様を見捨てるより、アズカバン行きを選んだ。アズカバンが解放された暁には、レストレンジ達は最高の栄誉をうけるだろう」
さらに歩を進めるヴォルデモート。何人かの死喰い人達の前を黙って歩き、何人かの前では立ち止まって話しかけた。
「マクネア…今では魔法省で危険な動物の処分をしていると聞く……マクネアよ、俺様が、まもなくもっといい犠牲者を与えて遣わす…」
「御主人様…ありがたき幸せ……」
呟くように言うマクネア。ヴォルデモートは次にフードをかぶった1番大きい2人組の前に移動した。
「そしてお前達…クラッブだな…今度はマシなことをしてくれるのだろうな?お前もだ、ゴイル」
どうやら、ドラコの腰巾着…クラッブとゴイルの父親だったらしい。2人はぎこちなく頭を下げて、ゆっくり呟いた。
「はい、御主人様……」
「そういたします。御主人様……」
「お前もそうだ、ノットよ」
ゴイルの父親の影の中で、前かがみになっている人物の前で立ち止まる。2年生になったばかりの時に見かけた、厳格そうな顔の老齢な魔法使いが脳裏に蘇ってきた。
「わが君、あなたの様の前にひれ伏します。私は最も忠実なる――」
「もういい」
ヴォルデモートが言う。ヴォルデモートは次に輪の一番大きく開いているところに立ち、まるでそこに立つ死喰い人が見えているかのように、虚ろな赤い目でその空間を見渡した。
「そしてここには、6人の死喰い人が欠けている。3人は俺様の任務で死んだ…1人は臆病風に吹かれて戻らぬ…思い知ることになるだろう。1人は永遠に俺様の下を去った……もちろん、死があるのみ。そして、もう1人…最も忠実なる下僕であり続けたものは、すでに任務に就いている、ホグワーツでな」
死喰い人達がざわついた。仮面の下から、横眼使いで、互いにすばやく目を交わしているのを見た。ハリーは、さして驚いた様子ではなかったが、セドリックは目をこれ以上ないというくらい大きく見開いていた。
「その者の尽力により、今夜は我らが若き友人をお迎えした。ハリー・ポッターが、俺様の蘇りパーティにわざわざ御参加くださった。俺様と同じ血を引くスリザリンの末裔のセレネ・ゴーントもな。…1名…招待していないはずの者もいるが…」
沈黙が流れた。私の血筋について何も知らなかったセドリックが、私を凝視している。何か話したそうに口を動かしているが、まだ呪文の効果が続いているらしい。口が開いても、声が出ることはなかった。
私は、先程ヴォルデモートが言った言葉を、頭の中で繰り返していた。どうやら、ホグワーツに送り込んだ死喰い人が『尽力』の結果……私とハリーが招かれたらしい。尽力と言っているが、私は3つの課題で、死と直面しそうになったことが何度あったことか。
ドラゴンを前にして術が解けてしまったり、友好的なはずの水中人に襲われたり、スクリュートに襲われたり。
てっきり、私を課題中に殺そうとしていたのかと思ったが、そうではないみたいだ。そんな風に考えていると、ルシウスが一歩前に出て、沈黙を破った。
「わが君、いくつか知りたくてたまらないことがあります。この奇跡を、どのようにして、あなた様は我々の下にお戻りになられたのでしょう。それに…その男は」
ルシウスが視線をヴォルデモートから、シルバーに移す。シルバーは、まだ煌々と燃えている鍋の傍にいるからだろうか。暑くてたまらないといった感じで、パタパタと手を扇代わりにして涼んでいた。
「あぁ、紹介していなかったな。こいつはシルバー・ウィルクス。俺様の任務で死んだウィルクスの息子だ。知っている奴もいると思うが、魔法省の『魔法生物規制管理部』の『害虫相談室』に今年度から所属している。去年の夏から俺様の下僕となった者だ」
「おーい、もっとマシな紹介の仕方があるんじゃないか?」
シルバーがヤル気のなさそうな声で言う。死喰い人達が、怒ったような声を出す。呪詛の言葉をつぶやく人もいた。ヴォルデモートは、シルバーを軽く睨む。
「勝手にしろ」
「了解っと。えっと……はじめまして。俺はさっきの紹介にもあったと思うけど、魔法省の魔法生物規制管理局の害虫相談室所属の、シルバー・ウィルクスっす。そこのディゴリー君の父親の部下です。
ルシウスなら知っていると思うけど、最初はさ、帝王様のこと嫌いだったんだよね。親父を殺したも同然だしさ。だけど、考えが変わった。…きっかけは、今年、卒業旅行ってことで、ギリシャに行ったことかな。最終日にさ、ギリシャの隣の国のアルバニアにも行ってみようかなって、ふっと思って、ちょっと足を延ばしたんだよ。
んで、途中で会った魔法省の魔女さんと、肝試しのノリで森に入ったんだ。そしたら……」
人生最高の時を思い出しているみたいだ。シルバーは、恍惚とした表情を浮かべながら、話し続ける。
「あの森の中で……帝王様と出会った。んで、意気投合して今に至るってこと」
「ということだ。アルバニアの森で出会ったコイツは、こう見えても、俺様の忠実なる下僕だ。魔法省の女を説得したり、イギリスに俺様を連れて帰ってくれたり、俺様が肉体を得る手伝いもしたりしてくれた。
さてと、どうして俺様が復活出来たかを聞きたいといったな?あぁ、それはルシウス…長い話だ。その始まりは――そして終わりは、そこにいる若き友人なのだ」
ヴォルデモートが、再び話し始める。悠々とハリーの隣に来て立ち、輪の全員の目が自分とハリーの2人に注がれるようにした。先程、私を締め付けた大蛇は、私の足元で、とぐろを巻いていた。
「…皆に紹介するまでもあるまい。いまや、俺様同様…有名になったようだからな。巷ではこう呼ばれているようではないか……『生き残った男の子』と。なぜ、俺様が力を失うはめになったのか?お優しい母親が自分を犠牲にして、一人息子に究極の守りを授けた。…俺様は、お前に触れられなかった。……古くからある魔法だ。…不覚にも見逃した。だが……それは、もういい。今の俺様は、この小僧に触れることができる」
思わず目をつむるハリー。その額にヴォルデモートが触れた。ハリーが苦痛の悲鳴を上げる。額の傷が、これでもかというくらい、痛々しい色を放っていた。ヴォルデモートは低く笑うと、指を離した。グッタリした様子で息をするハリー。
セドリックはハリーを、心配そうに見ていた。
「俺様の誤算だった。認めよう。俺様の呪いは、あの女の愚かな犠牲のお蔭で跳ね返り、わが身を襲った。…痛みを超えた痛み……これほどの苦しみとは思わなかった。俺様は肉体から引き裂かれ、霊魂にも満たない存在になった………が、俺様は生きていた。誰よりも深く不死の道へと入り込んだ俺様が、そういう状態になったのだ。
どうやら、今までの実験のうちのどれかが功を奏したらしい。だが、俺様は1人では何もできなかった。自らを救うに役立つかもしれぬ呪文のすべては、杖を使う必要があったからだ……肉体が無い俺様は…杖が持てなかった」
13年間の長い月日を思い返しているのだろう。ヴォルデモートは、悔しさと憎悪が入り混じった表情を浮かべていた。
「誰かが俺様を見つけようと努力するに違いない。俺様は待った。ずいぶんと長い間……眠ることもなく、ただ存在し続けた。だが、誰も来なかった」
聞き入る死喰い人の中に、またしても震えが奔った。ヴォルデモートは、その恐怖の沈黙がうねり高まるのを待ってから、再び話し続ける。
「俺様に残された力。それは、誰かの肉体に憑りつくことだ。だが、人がウジャウジャいるところには怖くて行けなかった。まだ魔法省の連中が、俺様を探していることを知っていたからな。
そして、4年前のことだ。俺様の蘇りが確実になったかのように思われた。愚かな、騙されやすい若造だった。そいつが、我が住処としていた森に迷い込んできたのだ。しかも、幸運なことにホグワーツの教師だった。その男は、やすやすと俺様の思い通りになった。その男が俺様をこの国に連れて帰り、やがて俺様はその男の肉体に憑りついた。
そして、俺様の命令を実行するのを、身近で監視した。永遠の命が得られるという『賢者の石』。あと一歩で手に入れられるはずだったが」
ヴォルデモートの深紅の目が、私に向けられた。
「こいつのせいで、すべて水の泡となった。俺様から質問だ、セレネ・ゴーント。あの力はなんだ?俺様の部下は『消失呪文』の一種だと連絡してきたが、あんな消失呪文を俺様は知らん」
私を品定めするように見てくるヴォルデモート。その瞳に映る色は、先程まで燃え上がっていた憎悪の色よりも、好奇の色の方が強かった。
「お前が独学で編み出したとは考えにくい。俺様同様…マグルの中で過ごしてきたお前が、たった1年で、あんな魔法を作り出すことができると思えん。このナイフには…見た感じ何の魔力も籠っていないみたいだしな」
地面に転がったままのナイフを一瞥すると、1歩…また1歩と、私の方に歩み寄るヴォルデモート。不意に、おぞましい寒気を感じた気がした。まるで、誰かに背中を冷たいもので触られたみたいだ。血の気が引くとはこういうことなのかもしれない。
「アンタに教える義理はない。それよりも、私はアンタに慰謝料を貰いたい。アンタの部下のせいで、何度死にかけたことか」
思いっきりヴォルデモートを睨みつける。ヴォルデモートに絡みついている『線』は、相変わらず視えない。よく見ようと目を細め集中すると、内側から刺されるような頭痛が奔った。その痛みに気を取られてしまい、良く『線』が見えない。他の死喰い人達や、ヴォルデモートの足元に生えている草に絡みついている『死の線』は視えているから、私の『眼』が、『これ以上』おかしくなったというわけではなさそうだ。
先程の『誰よりも不死の道に入り込んだ』というのが、関係しているのかもしれない。
「『生き残った男の子』とは違い、お前は『第三の課題開始から10分経過しても死ななかった』場合にのみ、ここに連れてこようと思っていた。だから、俺様の忠実なる死喰い人は、お前を課題中に殺そうと、色々と仕組んだらしい」
やっぱり、そうだったのか。どうりで、おかしいと思った。あんな短期間に、あんな沢山の怪物に会うわけがない。温厚な水中人が何もしていないのに、襲い掛かってくるわけがない。無言呪文とはいえ、あんな短期間で自分にかけた『目くらましの呪文』が解けるわけがない。
「慰謝料の代わりと言ってはなんだが、俺様の下につけ、ゴーントの末裔よ。『賢者の石』を素直に渡さなかった件は、特別に水に流してやる。お前の力を俺様のために使え」
ヴォルデモートが私に手を差し伸べるような仕草をした。ヴォルデモートの目は、本気で私を仲間に加えようとしているみたいだ。
「違う…」
私が口を開く前に、ハリーがボソリ…と消え入りそうな声で呟いた。ヴォルデモートの目に、再び憎悪の色が燃え上がる。
「違う?何がだ、小僧」
「『賢者の石』を護りきったのはセレネじゃない」
ヴォルデモートの目が大きく見開かれた。そうか、ヴォルデモートは知らないのだ。ハリーが記憶の改竄を受けていることを。
「『賢者の石』は――」
「俺様の前で嘘はいかんぞ、小僧」
杖を振り上げるヴォルデモート。
「『クルーシオ‐苦しめ』!!」
再び、悲鳴を上げるハリー。ハリーの悲鳴と死喰い人達の笑い声とが、夜の闇を満たして響いていた。
「見たか。この小僧がただ一度でも、俺様より強かったと考えるのは、なんと愚かしいことだったか。ハリー・ポッターが俺様の手を逃れたのは、単なる幸運だったのだ。
最初は母親…次はセレネという同級生のお蔭でな。こいつ自身は、俺様に匹敵する能力は全くない。ここならダンブルドアの助けも来く、壁になってくれるかもしれない2人は、動けない状態だ」
杖を下すヴォルデモート。ハリーの悲鳴がピタリと止まる。ヴォルデモートはニタリと口元に笑みを浮かべた。夜の闇に溶け込みそうな漆黒のマントを翻して、後ろに下がりながらヴォルデモートは口を開いた。
「さぁ、縄目を解け、シルバー。そして、小僧に杖を返してやれ」
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10月24日:一部改訂