つい先日まで若々しい黄緑色だった木々が、すっかり深緑色に染まり、勢いよく空に向かって枝を伸ばしている。もうすぐ来る夏を謳歌しようと、元気溌溂とした木々とは反対に、私の心は重く沈んでいた。
――とうとう来てしまった。
朝食の席に着きながら、ちいさなため息をつく。普段の私なら、目の前に置いてある丁度良い感じに焦げ目がついたデニッシュを、喜んで頬張るのだが今日は違う。食欲がわかないのだ。だからといって、何か食べないと身体が持たないので口に押し込むようにして食べる。普段なら口の中いっぱいに広がる甘い味を感じるのに、今日は何も感じなかった。
「大丈夫、セレネ?」
ダフネが心配そうに覗き込んでくる。私は笑顔を浮かべようとしたが、顔の筋肉が強張っているのか上手く笑えない。…珍しく、緊張しているらしい。
「そりゃ不安よね。あの『スクリュート』と戦うかもしれないんだから」
パンジーが励ますように私の背中をたたく。それも一理あるのかもしれない。
なにせ今日の午後には、第三の課題が行われる。1か月前、事前に発表された課題内容を一言で表せば『迷路』。『迷路』の中心に置かれた『優勝杯』を手に入れるのが目的なのだが、その途中に『障害物』として先生方が魔法を仕掛けたり、ハグリットが『怪物』を置くみたいなのだ。
先生方の魔法も危険だが、それと同じくらい…下手したらソレよりも危険なのはハグリットの怪物『尻尾爆発スクリュート』。当初は私達、つまり生徒がハグリットの授業で世話をしていた奴らだが、趣味が『殺し合い』という困った趣味がある。しかも、体格が物凄くいいのだ。最近は、飼育しようとするたびに『殺し合い』に巻き込まれ、飼育をしようとした生徒たちに生命の危険が出てきたので、スクリュートの世話を私たちがすることはなくなったが、最後にスクリュートを見た時、奴の大きさは、軽く1メートルを越してたのではないだろうか。しかも、ほぼ全身を殻で覆っているので呪文が跳ね返されてしまう。もちろん『眼』を使えば倒せるが、そのためには奴に、触れることができるくらいの距離まで近づかなければならない。
私は、誰かが『優勝杯』のところにたどり着くまで、適当に歩いて時間を潰すつもりだ。でも、その途中にスクリュートに出会ってしまったら………そう考えると、背中に冷たいものが奔る。
「先輩!先輩!迷路の中でハリー・ポッターを見たら、間違えて殺しても構わないんですよ!!事故だと言えばいいんですし!」
「小娘の言う通りだ、セレネ。殺すとまで行かなくても、迷路の中でポッターの額に傷を増やしたらどうだ?」
私の前の席で、口の周りにスクランブルエッグを付けているアステリアと、斜め前の席でパンをちぎっているドラコが言う。
「嫌いだからと言って人を殺したり、傷つけるのはダメだろ」
私は、ハリーのことが好きだという変な噂が一部で飛んでいる。何度も周りにそのことを聞かれて、誤りを正すのが面倒だった。今度、新聞記者(リータ・スキーター)の姿を見つけたら、半殺しの目に遭わせようと心に決めている。あの女が人に頭を下げて、これまで自分がしたことを謝る女だとは到底思えない。だが、私はあの女の弱点かもしれない事実を握っている。それをチラつかせれば、今後、こういった人を不快にさせるような真似をやめさせることが出来るに違いない。あの事実に気が付いてから、あの女の姿を見かけていないので確かめようがないが。
「今日はどうするのセレネ?また図書室?」
ミリセントが睨めつけるように読んでいた教科書から顔を上げる。…他の生徒は期末試験があるが、代表選手は試験が免除されていた。なので試験の時間は、マクゴナガル先生やムーディー先生みたいに厳しい先生の授業の際には、教室の一番後ろで本を読み、スプラウト先生やフリックウィック先生のように優しいというか、その時間に教室にいなくても許してくれそうな先生の場合には『秘密の部屋』にこもって、使えそうな呪文をあさっていたのだ。…『秘密の部屋』に行っているとは言えないので、みんなには『図書室』に行っているということにしてある。
今日のテストは『魔法史』だけ。魔法史担当のビンズ先生は、絶対に教室に私が行かなくても気が付かないと確信できる。喉に詰まりかけているデニッシュを流し込むように、コップの水を飲み干した。
「ミス・ゴーント」
上から声が降ってくる。見上げてみると、マクゴナガル先生が立っていた。
「代表選手は朝食後に大広間の脇の小部屋に集合です」
「…課題は今夜ではなかったでしょうか?」
少し眉間に皺を寄せて答える。
「それは分かっています。いいですか、代表選手の家族が招待されて、最終課題の観戦に来ています。みなさんにご挨拶する機会というだけです」
「本当ですか!?」
思わず立ち上がってしまった。急に私が立ち上がったので、隣に座っていたダフネが驚いて、飲んでいたカフェオレをローブに溢してしまっていた。私は杖の先を、ダフネのローブに向ける。
「すまん…『テルジオ‐拭え』」
「あ、ありがとうセレネ。でも…セレネのお父様って、マグルだったよね?」
立ち去っていくマクゴナガル先生の背中を見ながらダフネが問う。私は軽く頷いた。クイールが来ているのだろうか?…彼はマグルだ。マグルなのにホグワーツに来ていいのだろうか?関係者だから問題ないのかもしれない。ということはハリーの場合、ハリーの育て親であるダーズリー一家がいるのだろうか?
私はそのまま、大広間を横切り、小部屋のドアを開いた。小部屋のすぐ内側にはセドリックが両親と思われる男女と話している。彼の父親と思われる男性の方は『人生最高の瞬間』という表情を浮かべているが、母親と思われる女性の方は、喜びの中に少し心配だという色が見え隠れしていた。その隣には、クラムに似た男と、スレンダーな女が座っている。…おそらく、まだ部屋に入ってきていないクラムの両親だろう。その反対側で、フラーが彼女の母親とフランス語と思われる言語で楽しそうに話していた。フラーの母親は、第二の課題の時に湖の中で目撃した小さな女の子の手をしっかり握っている。やはり、彼女はフラーの妹だったみたいだ。誰かを待っているのか、私が入ってきた扉を、じぃっと見つめている。
暖炉の前には、ポッチャリとした赤毛の女性と、耳に牙のイヤリングを付けた…同じく赤毛で長髪の男性と、クイールが楽しそうに話していた。
クイールは、私を見ると少し嬉しそうな表情になったが、無言で立ち上がって私に近づく。感情をすべて押し殺したような表情をしているクイール。こんなクイールは初めて見た。私が何か言おうと口を開きかけた次の瞬間…パンっという乾いた音が小部屋に響く。頬に軽い痛みが広がる。…何が起こったのか分からなかった。
「なんで、こんな危険な課題に参加しているって教えてくれなかったんだ!?」
気が付くと、泣きそうな顔をしたクイールの顔が目の前にあった。私の肩をつかんだクイールは、懇願するように言葉をつづける。…私の肩を持つクイールの手は、かすかに震えていた。
「セレネに万が一のことがあったら……僕は、あの世で君のお母さんに何て言えばいいんだ?こんな事に、セレネが自分の意志で参加する訳ないから、誰かの意図で、断りきれなかったんだってわかる。でも、教えてくれたっていいじゃないか。魔法の使えない僕には何もできない。課題の内容を知ったら、僕が心配すると思って、今回のことを一切も話さなかったのはわかる。
それでも……僕たちは家族じゃないか。嬉しいことも、辛いことも、悲しいことも、分け合うことができる。それが家族だろ?」
辺りがしん、と静まり返っている。私は、これ以上クイールの泣きそうな顔を見ていられないので、少しだけ俯いた。
「…ごめんなさい」
謝ったのは何時以来だろうか?いや…それ以前に、怒られたのは何時以来だろう?物心ついてから、そういった記憶が一度もない。
ただただ、余計に心配をかけてしまったという罪悪感だけが胸に広がった。私が俯いていると、クイールの震えていた手が肩から離れ、ポンッと軽く頭に乗せられる。顔を上げると、優しく私に微笑みかけてくれているクイールの顔。さっきまで自分らしからぬ緊張や不安感で張りつめていた心が、解けていく感じがした。
「分かったならいいんだ。じゃあ、せっかくだから…学校の案内をしてくれないかい?滅多に魔法学校なんて来ることが、出来ないからね」
クイールは、私の腕を取るとドアの方に向かって歩き始めた。ドアを開くと、クラムとすれ違ったので頭だけ下げておいた。…ほとんど人の残っていない大広間の天井を見上げたクイールは目を大きく見開いていた。
「凄いな、プラネタリウムみたいだ。これも魔法なのかい?」
外と違わぬ青空を映し出している天井を、見惚れたように凝視するクイール。なんだか、私が最初に大広間に入った時のことが脳裏に蘇ってきた。あの時の私も、空を映し出す天井に目を奪われていた気がする。
「凄いね…あっ!あれはハリー君じゃないか?」
目線を上から戻したクイールが、グリフィンドール寮の席で黙々と朝食を食べているハリーに気が付いたらしい。クイールが微笑みを浮かべながら、ハリーに近づく。近づいてくるクイールを見たハリーは、少し驚いたような表情を浮かべた。
「あ、えっと……クイールさん、でしたっけ?セレネのお父さんの」
「覚えていてくれたんだね。いやー最後にあったのは、4年前、かな?大きくなったね」
「…どうも」
戸惑った表情を浮かべるハリー。その瞳の奥には、どことなく寂しそうな色が見え隠れしていた。そんなハリーに微笑みを向けるクイール。
「ちゃんと君を案じて待っている人がいるよ。早く行ってあげなさい」
「えっ!?」
かなり驚いた表情を浮かべるハリー。眼鏡の奥の目が大きく見開いていた。慌てて皿に残っていた残りのベーコンを、口に頬りこんでドアの方へと走り去っていった。
学校内を案内してもよかったが、他の人達がテスト中なので、校庭を案内することにする。陽光が降り注ぐ校庭をクイールと歩き、ボーバトンの馬車やダームストラングの船を見せたりした。特にボーバトンの馬車をひく天馬に興味を持ったらしく、太陽の日差しで普段より一層輝く黄金の鬣に、クイールの眼は、しばらく奪われていた。
近づくものに攻撃する『暴れ柳』を、遠くから眺めた時には、どうしてこの危険極まりない植物が植えられたのかと、クイールは考えを巡らせていた。暴れ柳は何故植えられたのだろうか?気にも留めていなかったので考えてもみなかった。この課題がひと段落したら、少し調べてみてもいいかもしれない。
「そういえば……今年の夏の休暇に、また日本に行くかもしれないんだけど、セレネはどこに行きたい?」
昼食を取るため城に戻る途中で、クイールが思ってもみなかったことを話してきた。寝耳に水の話だったので、つい足を止めてクイールの顔をまじまじと見てしまう。
「嘘だろ?この間行ったばかりじゃないか。旅行するための資金はあるのか?」
「ははは、そうだね。大丈夫、金はあるよ。実は、ここ数年連絡が取れなかった友人が住んでいるかもしれないところが分かったから、会いに行こうって思ったんだ。ちょっと聞きたいことがあったし」
クイールの目は遠くを見ていた。何か不思議な思い出に浸っているような表情だ。
「…その人は日本のどこに住んでいるかもしれないんだ?」
「東京の郊外って噂なんだ」
「…大ざっぱだな」
冷めた声で言うと、力なく笑うクイール。クイールがその先の言葉を紡ごうとしたときだった。
「先輩!あのですね、ベゾアール石があるのって山羊の腹であってますよね!?正解ですよね!?」
階段を物凄い勢いで駆け下りてきたアステリアが、肩を上下させながら不安そうな眼で私を見上げてくる。…どうやら、さっきまで魔法薬学の筆記試験だったみたいだ。私がコクリと頷くと、ホッとしたように脱力し、その場にしゃがみ込むアステリア。
「よかったです……って………先輩、この人は……」
「あぁ、私の義父さんだ」
「せ……先輩の義父上様ですか!!」
途端に立ち上がり背を伸ばすと、90度に体を折り曲げるアステリア。
「セレネ先輩の一番弟子のアステリア・グリーングラスと言います!!以後、よろしくお願いします!!!」
「へぇ、セレネに弟子がいたんだ。こちらこそ、よろしくね」
若干、アステリアの行き過ぎた態度に、驚いたのか眉を上げるクイールだったが、すぐに普段の優しげな表情に戻って頭を下げた。アステリアの表情は下を向いているので見えないが、耳が真っ赤に染まっていた。
「そういえば、セレネに悪い虫はついていないかい?」
「はっ!その件なんですが……」
「セレネ!」
その先の言葉は、私には聞き取れなかった。向こうから泣きそうな顔をして駆けてくるミリセントが私を呼ぶ声でかき消されたからだ。涙を瞳いっぱいに溜めたミリセントの後ろには、少し脱力した感じのダフネの姿が見えた。
「絶対に勝ってね、セレネ!!勝たないと私の夏が終わっちゃうの!!」
「とりあえず落ち着け、ミリセント」
「落ち着けないよ!セレネが優勝しなかったら……優勝しなかったら……私の夏が!今年の幸せが!!」
「……ダフネ、ミリセントに何が起きた?」
ミリセントでは話にならないので、どうしてこうなったかを知っていそうなダフネに話を振る。するとダフネは珍しく、ため息をした。
「あのね。さっき、ハッフルパフのザカリアス・スミスって男子生徒とミリセントが、セドリックが優勝するか、セレネが優勝するかで口論になっちゃって。それで、賭けをすることになったの。その内容が、賭けに負けた方が勝った方に、自分が相続することになっている別荘を無償で譲るってことになったのよ」
「……だから泣きそうなのか」
ミリセントは、ブルストロード家の長女だ。ブルストロード家というのは、以前調べた魔法界の純血貴族の中では、あまり目立ったところのない中流の家系だが、歴史は古い。前に『家を継ぐのは歳の離れたお兄様なんだけど、ブライントン……ほら、ストーンエッジとかある辺りにあるリゾート地よ……そこの別荘は、私が相続することになっているの』と自慢していたのを思い出す。
ザカリアス・スミスという人物について、どこかで聞いたような気がするが記憶にない。だが…相続することが決まっている別荘があるということから察するに、きっと金持ちのボンボンなのだろう。
「あそこの別荘は最高なの!海辺のリゾート地でね、ロンドンにも日帰りで行けるのよ!!絶対に手放したくないの。だからセレネが優勝してくれないとまずいの!!」
私のローブに泣きながらしがみついてくるミリセント。私は優勝して目立ちたくなかったが、優勝しないと呪われそうな気がしてきた。仕方ない。さっさと優勝杯までたどり着いて、セドリック以外の誰かが優勝杯を手に入れるよう画策しないといけないかもしれない。
「分かった。別荘が他人の手に渡らないように努力するから離れてくれる?」
「ほ、ほんと!?」
真っ赤に目を充血させて私を見るミリセント。少し嬉しそうに笑うと、ようやく私から離れてくれた。
「本当に頑張ってね!!」
パンジーと一緒に歩いてきたドラコが心配そうな顔をして近づいてきた。ドラコは辺りにスリザリン寮関係者しかいないことを、ざっと確認して、小声でささやいた。
「今朝届いた知らせなんだが……父上の『闇の印』が、異常なくらい濃くなっているらしい」
「同じことが俺の父上にも起こっている」
いつの間にか隣にいたノットが神妙な顔をして告げた。ドラコの父もノットの父もヴォルデモートの配下の『死喰い人』だった。最後の課題が行われる日に、『ヴォルデモート』への忠誠の証『闇の印』が異常なくらい濃く染まっているというのは、はたして偶然だろうか?
「俺の父上が言うには……もしかしたら今日…」
「だったら、阻止するだけだ」
私はパンッと音を立てて、左掌に右拳を打ちこむ。驚いた顔で固まるドラコ達。さっきまで泣きそうな顔をしていたミリセントも口を開けたま固まっている。怒ったような表情になったノットが私に詰め寄ってきた。
「阻止するってお前!いったい何を……」
「これは偶然じゃないってことくらい、アンタも気が付いているだろ?きっと……あの迷路の中で何かが起きることは間違いない。『闇の帝王』がどうやって復活するのかは、なんとなく予想はつく。だが、それを実行するためには、少なくともこの学校では無理だ」
『秘密の部屋』で見つけたリドルの手記に残っていた、『失われた肉体を戻す呪文』を思い出す。それには『父親の骨』と『しもべの肉』……そして『敵の血』が必要だ。『敵の血』を手に入れる手段として、最後の課題の迷路を利用する可能性が非常に高い。自分を破滅させたハリー・ポッターの血を、たぶんヴォルデモートは欲している。迷路のどこかに、ヴォルデモート復活の儀式が整っている何処かへ飛ばす術式が用意されている可能性が高い。
「この学校では無理だってことは、迷路内でどこか知らないところに移動する魔法がかかっている罠がある可能性が高いってこと?なら。『あの人』の手先は、最後の課題の迷路に魔法を仕掛けた誰かってことかな?」
ダフネが顔面を蒼白にさせて尋ねてきた。私は黙って頷く。
「えっと……ってことは、マクゴナガル先生…フリットウィック先生…ムーディ先生…それからハグリットの誰かが『あの人』の手先ってこと!?」
「バカね、ダフネ。あの半巨人が転移みたいに高度な呪文をつかえるわけないじゃない。アイツは除外して。でも、それでも3人とも、ダンブルドアの側近的な人じゃない。あの爺さんは、味方に裏切られているって気が付いてないってこと?」
口ではバカにした感じで反論するパンジーだったが、腕を組んだ彼女は、いつになく真剣な表情で考え込んでいた。
「気が付いていて、わざと泳がしているんだろう。ハリーでないと、奴を殺せないってダンブルドアは考えているみたいだから」
1年生の時と2年生の時に感じた不快感が、岩から沁み出てくる湧水のように、じわりじわりと蘇ってきた。
「なんでポッターじゃないと殺せないってことになるんだ?英雄気取りのポッターより、セレネの方が強いだろ?」
ドラコが眉間に皺を寄せながら言う。自慢ではないが、私もその通りだと思う。…何度かハリーが呪文の練習をしているところを目撃したが、あの程度の呪文はすでに習得済みだった。それに、ハリーの武器は杖だけだが、私には『眼』がある。死の呪文である『アバタ・ケタブラ』に匹敵する『眼』が。
「…分からない」
「なら、棄権したほうがいい」
何時になく強く怒ったような口調で告げるノット。ミリセントが途端に目を吊り上げた。
「ちょっと!セレネは優勝しないといけないの!そうしないと私の別荘が……」
「別荘とセレネの命なら、どっちが大事だよ?ポッターと『闇の帝王』のために用意された迷路と言ってもいいんだろ?ならセレネは関係ないじゃないか!そんなところでセレネに万が一のことがあったら…」
「『帝王』の部下がゴブレットに私の名前を入れられた瞬間から、課題を棄権することは許されない」
私は、驚いたような眼をするノットとミリセントの方を見た。
「私が簡単に死ぬ女に見えるか?大丈夫。復活して間もない赤子同然の『帝王』相手に負けるはずがない」
そういって少しだけ微笑を浮かべた。彼らは私の『眼』に宿る異能の力について知らない。私自身、『眼』がヴォルデモートにも使えるかが不安だ。対峙して勝てるかどうかわからない。対峙する前に、思わぬ方法で殺される可能性もあるのだ。
でも、私を心配してくれる友達を不安にさせてはいけない。
私を心配してくれると言ったら、クイールはどうしたんだろう?そう思って少し辺りを見渡すと、かなり離れたところでクイールはスネイプ先生と楽しそうに話していた。アステリアの姿が見えないが、どこに行ったのだろう。でも、少しだけ安堵した。いくら家族だからとはいえ、無闇に心配させたくない。いや……家族だからこそ、心配させたくないのかもしれない。
「あっ!そういえば昼ご飯食べてないよ!!」
ふと時計に目を落としたダフネが悲鳴に近い声を上げた。見ると、とっくに昼の時間が過ぎていた。…話していた場所が人気のない玄関ホールの隅の方だったので気が付かなかった。大広間の扉もいつの間にか閉まっている。ドラコが大広間の扉に近づいて、力いっぱい押したがびくともしない。
「あ~……私、おなかペコペコなのに」
ミリセントがヘナヘナと扉の前に座り込んだ。ダフネの腹の虫がグゥ~っと間抜けな音を出す。ダフネは顔から火が出るのではないかというくらい顔を赤らめた。パンジーがガックリとうなだれながら口を開いた。
「どうしよう……あと数分で午後のテストだし。お腹すかせた状態で『数占い』。無理よ、寝る」
「あっ、話は終わったかな?」
私たちの様子に気が付いたクイールが近づいてきた。
「大丈夫だよ。なんか夢中で話をしているみたいだったから、君たちの分の昼は取っておいたよ」
クイールが何かを包んでいる白いナプキンを7つ私の前で掲げた。
「あ、ありがとうございます」
「っていうか、おじさん誰?」
ダフネがクイールから包みを受け取りながら、戸惑ったように微笑むが、ミリセントは頭上に疑問符を浮かべながら包みを受け取った。
「そういえば、紹介がまだだったね。僕はクイール。セレネの義父親。いつもセレネが迷惑かけてすまないね」
頭を軽く下げながら、包みを渡すクイール。
クイールがマグルだということを知っているドラコ達は、どことなく素っ気ない感じの受け取り方だった。彼らは、包みを受け取ると物凄い勢いで『数占い』の教室へと走って行った。
「それで、セブルス…話を戻すけど、その何とか薬の材料を盗んだ犯人の目星はついているのか?」
「ポリジュース薬だ。犯人の目星はついているが確証は取れていない」
「ポリジュース薬の材料が盗まれたんですか?」
思わず話に割り込んでしまった。たしかあの薬は、1時間だけ他人に変身することができるという薬。…調合に1か月は軽くかかってしまうが、その分…強力な薬だ。苦々しい顔をしたスネイプ先生。
「毒ツルヘビの皮がな。少しずつ盗まれている」
私は自分の顔色が悪くなっていくのが分かる気がした。もしかしたら、マクゴナガル先生か、ムーディ先生がポリジュース薬を使っていた偽物だとしたら?ハグリットとフリットウィック先生はありえないと断言できる。……あの薬の使用は、『人間』に限定されているから。ハグリットは巨人の血を、フリットウィック先生はレプラコーンの血を引いているから、薬を使用できない。
「どうしたんだ、具合が悪いのか?」
不安そうな顔をするクイール。私は慌てて普段の顔に戻した。今…思いついたことを話そうかとも思ったが、どうせダンブルドアは気づいている。変に刺激するより、流れに身を任せていた方がいいかもしれない。
それから、私たちは初夏の香りが漂う城の周りを散歩しながら午後を過ごし、夕食をとるために大広間に戻った。朝と違い…バグマンと……知らない初老の男性が教職員テーブルに座っている。妙にウキウキとしているバグマンと反対に、初老の男性は厳しい表情で黙りこくっていた。その隣に座っているマダム・マクシームは食事に没頭しているように見えたが、目が泣きはらしたように真っ赤に充血しているみたいに見える。
食事の品数は普段より多かったが、食べる気になれなかった。栄養価の高そうな料理を、スープや水で流し込むようにして飲み込む。魔法の天井が、さっぱりとした雰囲気の青色から日暮れの橙色へと変わり始めたとき、ダンブルドア先生が立ち上がった。
「そろそろ試合の時間じゃ。代表選手は今すぐ競技場へ行くのじゃ。…紳士、淑女の皆さんはあと5分後に競技場に向かうように、わしからお願いすることになる」
私は眼鏡を取ると、クイールの掌の上に置いた。
「父さん、これ……預けておく」
「あぁ、気を付けるんだぞ」
クイールが頷いた。その瞳は『絶対に帰ってこい』と私に告げていた。
私は立ち上がった。スリザリン寮から拍手が起こった。クイールやダフネたち……名前も知らないスリザリン生から激励の言葉を受ける。私は心配そうな色が見え隠れするクイール達に、精いっぱいの笑みを浮かべて手を振ると、それ以来、振り返らなかった。
大丈夫だ……備えは万全。
ハリーやセドリック……フラーやクラムと一緒に……私は大広間の出口に向かって歩き始める。もう戻れない。もう引き返せない。
私は袖の下に隠し持っているナイフを握り締めると、大広間から出た。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
10月24日:一部改訂