SIDE:ハリー
日曜日の朝
僕は起きて服を着始めたものの、どこか上の空だった。足に靴下を履かせる代わりに、帽子をかぶせようとしていたことに気づくまで少し時間がかかってしまうほどに。僕は大広間でオートミールを食べていたハーマイオニーを見つけると、その隣に座って彼女が食べ終わるのを待った。…僕は、昨日の今日で食欲がわかなかったんだ。
ハーマイオニーが最後の一口を食べ終わるのを待って、それから彼女を引っ張って校庭に出る。湖の方へ長い散歩をしながら、昨夜のことを話し始めた。
昨夜、シリウスと暖炉を使って話したのだ。
シリウスというのは僕の父さんの親友で、僕の名付け親で、指名手配犯だ。指名手配とはいっても、本当の犯罪者ではなく、濡れ衣で犯罪者になってしまった人だ。数か月前…僕はその事実を知り、再逮捕寸前だったシリウスの逃亡の手助けをしたのが、遠い昔のことのように思える。シリウスが逃亡に使ったヒッポグリフのバックビークは、逃亡開始してすぐに巨大な蛇に食べられてしまったそうだ。シリウス自身は犬に変身してなんとか逃げ延びたみたいだけど………その蛇ってたぶん、2年生の時に仕留め損ねたバジリスクだと思う。
そこらへんにヒッポグリフを丸呑みできる大きさの蛇が、他に生息しているとは思えないし。シリウスは『出発してすぐに襲われた』って言っていたので、校内に生息しているのか、校外に生息しているのか分からない。奴を野放しにしてしまったのは、ちゃんと倒せなかった僕の責任だ。でも秘密の部屋事件が解決した日、ダンブルドアは『バジリスクを殺すのは、時期が来てから』と言っていた。
だから、時期が来次第、責任を持って殺しに行くとしよう。
でも、それは置いておいて。
暖炉で燃え上がる火の中に、シリウスの生首が現れて、僕は話をした。確か『魔法の粉』を使うことで、暖炉越しに会話をすることが出来る。
僕はシリウスに、すべてを話した。
僕は『ゴブレット』に名前を入れた覚えがないのに代表選手になってしまったこと。僕の話を信じてくれているのはハーマイオニーと、同じく不本意で代表選手になってしまったセレネだけだということ。親友のロンが、僕を信じてくれなかったということ。そして、ハグリットから第一の課題が『ドラゴンと対決すること』だと教えてもらったということを話した。
シリウスは憂いに満ちた目で僕を見た。
アズカバンで12年間過ごしてきた際に刻み込んだ、死んだような、憑かれたような色が、まだ混じっていた。
「ドラゴンは何とかなる。簡単な呪文で倒せるからな。
だが、その話はあとだ。時間がない。君に警告しておかなければならないことがあるんだ」
僕は数段ほど気分が落ち込む気がした。ドラゴンより悪いものがあるのだろうか?
「まずはカルカロフだ。
あいつはヴォルデモートの手先…『死喰い人』だった男だ。あいつは魔法省と取引をして、自分が助かるためにほかの死喰い人の名前を吐いた。だから釈放されたんだ。
ダンブルドアが今年『闇払い』をホグワーツに置きたかったのは、そのせいだ。ムーディはカルカロフを監視するために呼ばれたんだ」
脳みそがショックな情報を吸収しようともがいている。つまり、カルカロフがヴォルデモートとつながっていて、僕の名前を入れたってこと?
「でも、僕が参加するのを阻止しようとカンカンに怒ってたよ?」
「奴は役者だ。魔法省に自分を信用させて、釈放させたほどの奴だぞ。
それからもう一人、君からの以前に受け取った手紙や先ほども話してくれた人物、『セレネ・ゴーント』という子だ。あの子にも用心しろ」
僕の脳内は、パンクしそうになった。なんでセレネを用心しないといけないのだろう?セレネも僕と同じで『ゴブレット』に名前を入れていないし、友達だ。それに、いい人なのに。
僕が何を言いたいのか分かっているような表情を、シリウスは浮かべた。
「君は知らないと思うが、サラザール・スリザリンの末裔だ」
「知ってるよ。……でも、なんでシリウスも知ってるの?」
2年生のクリスマスに、たまたま聞いてしまったセレネの発言を思い出す。
「それは、彼女から直接聞いた。
それに、彼女は頭の回転が速い。現に冬の時点で私が『動物もどき』だということも『無実』なのだということも見抜いていた」
「え…えっ!!」
僕は叫びそうになった。
僕たちがシリウスの口で言われた初めて気が付いたことを、セレネは冬の時点。つまり数か月前には気が付いていただって?セレネは学年トップの頭脳の持ち主だということは知っていたけど。まさか、そこまで頭がよかっただなんて…
でも、そこで通報しなかったというのがセレネらしいと思う。シリウスはピーターを殺そうとホグワーツに来たのであって、他に人を殺そうとしているわけではない。自分にも友人にも被害がないから、通報しなかったのだと思う。
「…でも、セレネがヴォルデモートに協力するとは思えないよ。セレネはマグルに育てられたんだ。ヴォルデモートが憎いマグルを憎んでいないし…」
「頭の回転が速いということは、それだけ演技もできるということだ。
最近、『死喰い人』の活動が活発化してきている。セレネとカルカロフが協力していることは、ほとんど間違いないだろう」
「そんな……」
信じたくなかった。
『気をつけろ』と言ってくれたセレネが、初めて僕の友達になってくれたセレネが、敵に回るなんて。
僕がすべてを話し終えると、ハーマイオニーは眼を大きく開いて立ち止まってしまった。やっぱり、ハーマイオニーも驚きを隠せないみたいだ。
「…セレネがそんなことをするとは思えないわ。カルカロフは分からないけど。
それは置いておいて、とにかく、あなたが火曜日の夜も生きているように考えましょう」
ハーマイオニーは、目の前に迫った『ドラゴン』のほうが緊急の問題だと判断したみたいだ。少し戸惑っている色が目に見え隠れしていたが、必死の面持ちだった。
「シリウスはなんて言っていたの?」
「それが、『簡単な呪文で倒せる』って言ってたんだけど……ちょうど人が来ちゃってその先はわからないんだ」
ハーマイオニーが手を顎に当てて考え込んでいたが、どうやら思いつかなかったみたいだ。一緒に図書室にこもって、ありとあらゆる本を引っ張り出し、山と積まれた本と格闘するかのように読みふけっていたけど………収穫ゼロ。
その夜もほとんど眠れず、朝になってしまった。
このままだと、対抗策がないまま試合になってしまう。僕は気が乗らないけど、授業に行こうと大広間を出たとき、セドリックが友達に囲まれて出ていくところを見つけた。
…ハグリットがドラゴンを見せてくれた日。
ハグリットは彼の思い人、マダム・マクシームを連れていた。それから…寮に帰るとき、茂みの陰にカルカロフがいたのを見た。カルカロフとセレネが手を結んでいなかったとしても、シリウスの正体を見抜いたセレネだ。きっと、ドラゴンのことも感づいているに違いない。
僕の予想通りなら、フラーとクラム、そしてセレネはきっと、ドラゴンと戦うということを知っている。でも、セドリックだけは知らない。
僕はセドリックに近づこうと思った。でも、彼の友達の前で話す気分になれなかった。彼らはハリーが近づくといつも、リータ・スキーターが書いた嘘八百の記事を持ち出してくるのだ。
僕は杖を取り出すと、柱の陰に隠れて狙いを定めた。
「『ディフィンド―裂けろ』!」
セドリックのカバンが裂けた。羊皮紙やら羽ペン、教科書がバラバラと床に落ち、インク瓶がいくつか割れた。セドリックが友達を先に行かすと、まいったな…という感じで散らばってしまった教科書類を拾い始めた。
僕の思う壺だった。
杖をローブにしまうと、セドリックに駆け寄った。セドリックがインクまみれで真っ黒に染まった『上級変身術』の教科書を拾い上げながら僕のほうを見た。
「やぁ」
「セドリック、第一の課題はドラゴンだ」
「えっ?」
セドリックが目を上げた。
「ドラゴンだよ。5頭で1人に1頭。僕たち、ドラゴンを出し抜かないといけないんだ」
僕は早口でしゃべった。誰かに聞かれたらまずい。すぐに用件を伝え終わらないといけないのだ。セドリックは驚いたように僕をマジマジと見てきた。
「やっぱりそうなのか…」
「絶対だよ、僕は見たんだ……って…なんだって?」
今、セドリックは『やっぱり』って言った?セドリックは知っていたとのだろうか?僕が戸惑っているとセドリックがあたりを少し見渡してから、小さい声で僕に教えてくれた。
「3日くらい前だったかな……セレネ・ゴーントが来て教えてくれたんだ。
僕は課題で何が出るのか分からなかったから、とりあえず役に立ちそうな呪文を、図書室で手当たり次第探していたんだ。その帰り道に彼女がやってきて、教えてくれたんだよ。
『最初の課題は、おそらくドラゴンを出し抜くことだ』…ってね」
セレネは、知っていたんだ。今回も自分より先に、カルカロフはドラゴンを見て驚いていたから、シリウスの時みたいに自力で気が付いたんだ。
でも、セレネは僕に教えてくれなかった。そう思うと、ドラゴンを見た後と同じくらい気分が落ち込んだ。その様子を見たセドリックが少し笑みを浮かべた。
「セレネは君に課題について教える必要ないと考えていたみたいだよ」
「えっ……」
「『ハリーは怪物好きのハグリットからドラゴンについて教えてもらえるはずだ。
だから、教える必要はない』って言っていたよ」
僕がハグリットから教えてもらえるということまで…よんでいただって?凄いと感心するのと同時に、途端にセレネが得体のしれないモノのように思えてきた。僕はセレネと付き合いが長いのに、彼女のことを本当は何もわかっていないのかもしれない。
「ポッター、一緒に来い」
いつの間にか、背後にムーディ先生がいた。もしかして、聞かれたのだろうか?セドリックが不安そうな顔をしている。僕はセドリックと別れ、ムーディ先生の後について行った。
僕がどうやってドラゴンについて知ったのか、先生は問いただすのかもしれない。ムーディはハグリットのことを告げ口するのだろうか…。セレネも問いただされることになるのかもしれない。
「いま、お前のしたことは非常に道徳的な行為だ」
部屋に入ったムーディが静かに言う。僕は何と答えていいのか分からなかった。こういう反応は全く予期していなかった。
「座れ」
ムーディに誘われて椅子に座ってあたりを見渡した。先生の部屋は飛びっきり奇妙なものでいっぱいだった。机にはひびの入った駒のようなもの、たしか『かくれん防止器』という嘘発見器があった。
足元には時折不自然に揺れるトランクが無造作に置いてあり、その向かい側の壁には部屋を映していない鏡がかかっていた。中で影のようなボンヤリとした姿が蠢いている。
「あれはわしの『敵鏡』だ。
こそこそ歩き回っている奴らの白目が見えるほどに接近してこないうちは、安泰だ。
見えたときは、わしのトランクを開ける時だ」
僕の視線をたどったムーディが答えてくれた。
「カンニングは三校対抗試合の伝統で、昔からあった」
にやり、と笑うムーディ。
「それで、どうやってドラゴンと戦うか策はあるのか?」
…あるわけないから困っているのだ。僕が曖昧な表情をしていると、ムーディが真剣な顔をした。
「よく聞け、ポッター。
セドリック・ディゴリーは、お前の年齢(とし)には魔法で笛を歌う時計へと変身させることができた。
フラー・デラクールは、わしの妖精のお姫様版だ。
ビクトール・クラムは、頭に詰まっているのはおが屑だが、カルカロフがついている。きっとクラムを生かす戦法を立ててくるに違いない。
セレネ・ゴーントは、お前も知ってのとおり、頭の回転が異常に早い。魔法も他の代表選手に匹敵するか、それ以上だ。
お前はどうだ?お前の強みは」
僕の強み?そんなの決まっている。でも、僕はためらいがちに答えることにした。
「クィディッチ。…えっと、飛ぶのは得意です」
「相当の腕前だと聞いている」
「でも、箒の持ち込みは禁止ですし、ドラゴン相手に飛ぶことが役に立つとは思えません」
ムーディが僕をじっと見据えてきた。普段はぎょろぎょろと動き回っている『魔法の目』は、ほとんど動かなかった。
「魔法の…杖があるだろ?」
杖?
あぁ…そういうことか。
僕は礼をすると走ってムーディの部屋を出た。箒を使えば、空中でドラゴンを出し抜けるかもしれない。でも、肝心な箒の持ち込みが禁止なら、魔法を使って手に入れればいいんだ!
そして薬草学の教室でハーマイオニーを見つけると、小声で呼びかけた。
「ハーマイオニー、助けてほしいんだ。『呼び寄せ呪文』を明日の午後までに覚えないといけないから、手伝ってくれないか?」
「ハリーったら、私、これまでだってそうしてきたでしょ?手伝うわ」
ハーマイオニーも小声で伝えた。今、剪定をしている灌木の上から顔を覗かせたハーマイオニーは、心配そうに眼を大きく見開いていた。が、練習する呪文が自分も知っている『呼び寄せ呪文』だとわかると、少し表情がいい意味で崩れた。
この作戦がうまくいけば……僕は、この試合を生き残れる。
セレネについては、また今度考えればいい。僕は友達を疑うような人にはなりたくない。誰がゴブレットに僕の名前を入れたのか分からないけど、セレネは関係していないと思う。歴戦の魔法使い、ムーディだって、それを臭わせる発言をしていなかったし。
もし、シリウスの言うとおり、セレネが僕の敵だったら……それは、その時に考えればいい。
今はハーマイオニーが昨日言っていた通り、『呼び寄せ呪文』を練習して本番…城に置いてある僕の箒、世界最速を誇る『ファイアボルト』を呼び寄せ出来るようにすることが大切だ。
自分の強みを最大限に生かして、必ず勝ち残ると、僕は心に誓った。