「もう沢山!あんな授業なんて、とるんじゃなかったわ!!」
「そうよ!危なくて死ぬかと思った!!」
パンジーとミリセントが文句を言いながら『数占い』の教科書を鞄にしまっている。私も思わずダフネと顔を見合わせて、苦笑をしてしまった。彼女たちが不満を口にするのが分かる気がする。
今日の午前中に行われた『魔法生物飼育学』の授業。あれは久しぶりに、思わず袖に隠してあるナイフを取り出しそうになった出来事だった。
今学期扱う生物は『尻尾爆発スクリュート』。初めて見る生物で、名前通り尻尾が爆発する。青白く胴体でヌメヌメしている液体を流している。顔や口がどこにあるのか分からず、蟹を思わせる足が沢山生えていて、腐った魚臭がしていた。今は15,6cmの奇妙な蟹という感じだが、孵化したばかりらしい。もし、成長したらどうなるか分からない。私の身長なんて軽く超えて、2mくらいには達するのではないだろうか。
まったく、ハグリットは去年、生徒に怪我をさせて訴えられたことを忘れたのだろうか?やっぱり教師失格だ。だが、1年生の時に、蛇のバーナードが世話になった恩があるから、それとなくサポートするつもりだ。とはいえ正直、気が進まない。
「あれ、どこ行くのセレネ?」
地下牢の方へ階段を降りようとしていた私を、ダフネが呼び止める。
「あぁ、スネイプ先生に用事があってな。渡さないといけない物があるんだ」
そう言いながら、ダフネたちと別れスネイプ先生の部屋へ足を進める。クイールがスネイプ先生に宛てた手紙を預かっているのだ。一体どういう内容が書かれているのか、とても気になる。だが、プライバシーの侵害になってしまうので、グッと堪えている。
先生の部屋まで、あっという間に辿り着いてしまった。ふぅと深呼吸をすると、扉に向かい合う。そして、重たそうな扉を、コンコンと軽く叩いた。
「失礼します。スリザリン寮4年生、セレネ・ゴーントです」
「…入れ」
扉を開けると、去年までと変わらない薄暗くてヒンヤリと肌寒い空間が広がっている。壁にはズラリと並んだ魔法薬を詰めた瓶。その奥の机で、スネイプ先生は新聞を広げていた。だが、今日付けの新聞ではないみたいだ。少し端が黄ばんでいる。
「義父さんから、先生に」
私は鞄の中から、白い封筒を取り出した。スネイプ先生は、微かに眉を上げる。新聞を簡単に折りたたむと、机の上に置き、私から受け取った手紙を開く。
「すまなかったな、ミス・ゴーント」
スネイプ先生は私に礼を言うと、手紙を読み始める。とりあえず、用事は済ませたので退出しようと半歩足を引いた時だった。机の上で無造作に置かれている新聞の記事に目が留まった。決して大きいとは言えない記事だったが、思わず目を引く記事だ。なんで、この記事が一面で大きく報道されていないのだろうか?
「その日は、『闇の印』が打ち上げられた日だ」
私の視線に気が付いたのだろう。スネイプ先生が淡々と口を開く。確かに、その日の一面には、ダフネに見せてもらった『闇の印』が空に瞬いでいる写真が、デカデカと掲載されている。
「…だから、普段なら1面を飾る記事が、2面に回されるんですね」
2面に掲載されている記事に目を落としたまま、呟く。
≪グリンゴッツ、侵入される!?≫…それが、『闇の印』のせいで霞んでしまっている記事の題名だ。記事によると、この日…小鬼の1人が『服従の呪文』にかかった形跡が発見されたのだという。その小鬼が最下層の有名貴族の金庫を開けた痕跡があったが、不思議なことに何も盗まれていなかったのだらしい。グリンゴッツの…特に最下層の金庫ともなると必要最大限の防衛魔法が、ほどこされているはずだ。その強力な防衛魔法を見事に潜り抜けたのに、何故…何も盗まなかったのだろう?まさか、盗みたいものがそこになかった…とか。
「でも、なんで今更…この記事を読み返しているのですか?」
記事から目を逸らし、先生を見上げる。先生はクイールからの手紙を、丁寧に折りたたんでいるところだった。
「君には関係ない。…そろそろ昼食の時間だ。大広間に行ったらどうかね?」
…どうやら、先生は話題を変えたいみたいだ。別に金庫が荒らされようと、私には関係ない。前まで通り、マグルの金がガリオンやシックルに両替できるのであれば、それで構わない。私は黙って先生に1礼すると、扉に手をかけた時――
どんどんどん
荒っぽく叩かれる音がした…と思ったとたん、ガチャリと開かれる扉。その向こうにいたのはドラコの首根っこをつかんだ男がいた。今年から『闇の魔術に対する防衛術』を担当することになった、ムーディ先生だ。歴戦の『闇払い』というだけあって、負傷により顔は傷だらけで、口は歪み、鼻は大きく削がれている。
「取込み中だったか、スネイプ?」
私の方を全く見ていないムーディ先生だったが、私がいるということには気が付いているみたいだ。噂に聞く360度周囲を見渡せる『魔法の目』というモノがあるから、気が付いたのだろう。
スネイプ先生は、訝しそうにムーディ先生とドラコを見比べた。
「いったい我がスリザリン生が、なにをしたというのだね…ムーディ先生?」
「こいつは、敵が後ろを見せた時に、襲う奴だ。わしが直々に罰を与えようと思ったのだが、マクゴナガルが『規則破りの生徒が属する寮の寮監に話をし、罰を決める』とな。だから、お前の所に来ただけだ」
右手に握りしめた杖で、コツコツと固い床を叩きながらスネイプ先生に近づくムーディ先生。スネイプ先生の方が背が高いが…何故だろうか。ムーディ先生がスネイプ先生のことを見下ろしているように錯覚してしまった。
「ダンブルドアが警戒を解いても、わしは解かんぞ」
ムーディ先生はスネイプ先生に近づくと、早口で呟いた。それも、聴力が良いと自負している私でさえ、やっと聞こえるくらい小さな声で。たぶん、不満そうな表情を浮かべているドラコには聞こえなかっただろう。
「隠し事をしても無駄だ。わしが徹底的に調べ上げてやる。――人には洗っても落ちないシミがあるものだ」
ムーディ先生の顔がにやりと歪んだ。それと同時に、スネイプ先生は突然奇妙な動きを見せた。発作的に右手で左腕をつかんだのだ。まるで、左腕が酷く痛むかのように。
「さて、この『自称:服従の呪文で操られていた死喰い人』の息子の処罰は、お前に任せるとしよう。規則にのっとりな」
ムーディ先生は不自由な片足を引きずりながら、部屋から出て行った。スネイプ先生は不愉快極まりないといった表情を浮かべたまま、左腕をつかんでいる。
「さて、これから君の処罰を決めるとしよう。…ミス・ゴーント、君は用が済んだのだろう。帰るといい」
「…はい」
私はスネイプ先生に1礼すると、ようやく部屋を出た。それにしても、スネイプ先生のああいう態度は、初めて見た。『闇払い』のムーディ先生と、『元・死喰い人』のスネイプ先生との間には、深い因縁がありそうだ。
「さっきスネイプの所にいた生徒だな」
角を曲がると、岩壁にもたれ掛ったムーディ先生がいた。どうやら、ここで私を待っていたのかもしれない。私は軽く頭を下げた。
「はい」
「何で、スネイプの所にいた?」
「義父から預かった手紙を、先生に届けただけです」
正直に話す。別に、何も不思議な点は無い。本当に義父のクイールの手紙を、スネイプ先生の所へ届けただけだ。ムーディ先生は鷹の様に鋭い視線を、私に向ける。
「そうか。そのネクタイの色からして、スリザリン生だな」
私はコクリと頷いて、肯定の意を示す。
「もしかして、お前が『セレネ・ゴーント』か?」
予想外の問いに、私は思わず眉を上げてしまった。ムーディ先生が、『セレネ・ゴーント』のことを探っている。いったい、何故だろうか。私は、そこまで『表向き』目立つ行いをしてきた生徒ではない。しいて目立つ行いをあげるというなら、『ハロウィーンに侵入したトロールと戦った』ことと『吸魂鬼のせいでホグズミードに行けなかった』ことくらいだ。何故私のことを探っているのか……。1つ考えられるのは、ダンブルドアから私の出自を聞いたということ。他に考えられるのは、たまたまムーディ先生が『ゴーント』について知っていたということだ。
「はい。私がセレネ・ゴーントですが…どのような用件でしょう?」
下手に隠すことをしない。どうせ、授業でばれてしまうのだ。変に隠して疑われるよりも、正直に話した方がいい。
「実はダンブルドアから、お前の話を聞いてな。なんでも、『闇の帝王』の配下を気取っていたクィレルを一撃で殺したとか」
私は無表情をそよ折っていたが内心、驚いてしまっていた。 記憶を改竄してまで、ダンブルドアが隠し通そうとしていた出来事を、ムーディ先生は知っている。
「お前は、実に興味深い才能の持ち主だ。その才能を、腐らせるような真似はしないことだな」
不敵な笑みを浮かべたムーディ先生は、分厚いコートの中に手を突っ込んだ。杖を取り出すのかと思い、私は素早く杖を構える。だが、先生が取り出したのは使い古した携帯用酒瓶だった。酒瓶を持ち上げグイッと飲み干すと、不味そうに顔をしかめる。
「話はここまでだ。行け」
「…失礼します」
私は、なるべく普段通りの声で返事をした。先生に背を向け、人気のない廊下を小走りで歩く。角を曲がるまで、ずっと先生の射抜くような視線を、背中に感じながら。