ガタンゴトン…ガタンゴトン…
列車に揺られながら、厚い灰色の雲で覆われた空を眺める。今年も恐らく、昼過ぎには一雨来る気がする。もうローブに着替えたので、本を読みながら、のんびりと汽車の旅を楽しむことにしよう。トランクから買ったばかりの本を引っ張り出した時、ガラリとコンパートメントのドアが開かれた。
そこに立っていたのは大きなトランクを引きずった2人の少女。さらっとした茶髪を綺麗に三つ編みにした1人の少女は、よく知った顔だった。彼女の名前は、ダフネ・グリーングラス。私と同期のスリザリン生であり、私の1番の友人だ。だが、もう1人の小さい少女は見覚えのない子だ。
「あっ、セレネ!一緒に座ってもいい?」
「いいぞ、ダフネ。…で、そっちの子は?」
「あっ、この子は私の妹よ。アステリアって言うの」
アリステアと言われた少女は私にニッコリと笑いかけてお辞儀した。私も少し頭を下げる。
「そうか、ダフネには妹がいたんだったよな。私はセレネ。よろしく」
「はい、いつもお姉さまがお世話になっています!こちらこそ、よろしくお願いします!!」
私の眼の前に座ったアステリアがハキハキと元気よく私に答えた。だが、一方のダフネは少し深刻そうな顔をしていた。ダフネは表情を歪めたまま、私に折りたたんだ新聞を渡してくる。
「セレネは知らないと思ったから、持ってきたの」
忘れていたが、ダフネの趣味は新聞収集だ。毎日『日刊預言者新聞』を購読している珍しいホグワーツ生徒で、ある程度の新聞がたまると、珍しい記事だけ切り取ってファイリングしていくのが楽しいらしい。
彼女から受け取った新聞は、少し端の方が黄ばみ始めていた。日付は丁度『クィディッチワールドカップ決勝戦』が行われた日。それについての記事だろうか、と思ったが、一面に大きく取り上げられている写真を見た途端、私は目を丸くしてしまった。
「『闇の印』…だと?」
宙に浮かぶ髑髏がチラチラ輝いているモノクロ写真を、睨むようにして見る。前の座席に座っているダフネがコクリコクリと頷いた。
「そうなの!『例のアノ人』の手下の『死喰い人』が現れたのよ、クィディッチワールドカップに!怖いよね」
確か『闇の印』というのは『死喰い人』が誰かを殺す時に打ち上げる『髑髏印』のこと、だったと思う。それが今になって何故。またクィレルのような『隠れ死喰い人』が現れたのだろう?
「それに≪死者が運び出された噂≫って書いてあるし。怖いなぁ…」
「≪噂≫って書いてあるだろ?嘘だと思うぞ」
「「えっ!?」」
グリーングラス姉妹は驚いた顔をする。2人とも口をあんぐり開けて驚いていた。私は新聞をバサリと折りたたみながら、口を開く。
「事実なら、もっとはっきり取り上げて大騒ぎするはずだ。例えば『魔法省の警戒ミス!』とか『大臣は責任をとるべきだ!』とか『遺族の嘆き』みたいな感じで。もっと大々的に『人が殺された』って事実を取り上げる。だが、それをしないで『噂』って言葉でぼかしている。……つまり、本当に死人は出ていないってこと」
私は少しのどが渇いてきたので、ペットボトルの茶を口に含む。
「凄いです……さすが『スリザリンの末裔』さんです!!」
アステリアの言葉を聞いたとき、思わず茶を吹き出しそうになってしまった。目をキラキラさせてアステリアが私を見上げてくる。尊敬やら敬愛やらそう言った類の色が入り混じった瞳だ。私が軽くダフネを睨むと、ダフネは視線をずらした。私はアステリアに視線を戻し、出来るだけ優しい声で語りかける。
「アステリア、だっけ?私のことを知っているのか?」
「知っています!!お姉さまが教えてくださりました!」
アステリアが自信満々に諳んじる。
「スリザリン寮の『セレネ・ゴーント』様!容姿端麗文武両道!それに血筋はあの『サラザール・スリザリン』の最後の末裔で、マグルに育てられながらも歪むことなく、またマグルを軽蔑しない寛大な心をお持ちで、公平な判断力を持っている素晴らしい方だとお聞きしています!!」
アステリアの中で私という存在は、ずいぶんと美化されているみたいだ。彼女が抱いている幻想を覚まさないといけない。私はそこまで立派な人間ではない。ため息をつくと、口を開いた。
「私は確かにマグルを軽蔑していないが、優しいというわけではない。容姿もそれほどでもないし、判断力もない。当然のことを言っているだけだ」
「そう言った謙遜の姿も素敵です!!あの、セレネさん、いやセレネ様!!」
ピリッとした空気がコンパートメントに立ちこめた、と思ったとき、アステリアは地面に額をつけたのだ。そう、それは日本の『土下座』の体勢だ。まさかイギリス、それもホグワーツに向かう汽車の中で視ることになろうとは想像したこともなかった。
「お願いします!私を弟子にしてください!」
「おい、ダフネ。この妹に何を吹き込んだんだ?」
ひたすらうつむいていたダフネに話を振る。ダフネはギクッと震えると、下を向きながらオドオドと話し始めた。
「えっとね、アステリアが『お姉さまには友達がいるのか?』って聞かれて―――それで『セレネっていう、マグルに育てられて日本好きで学年1位の友達がいる』って教えたの。『その人の特技は?』って聞かれたから、口を滑らせて『蛇語』って言っちゃって」
「なるほどな。それを美化されたってことか」
地面とキスしそうなほど、額を床に付けているアステリアを見る。彼女からは『冗談』という空気は伝わってこない。本気で土下座をやっている。
「とりあえず、その姿勢は止めろ」
「いえ!セレネ様の好きな日本では、『土下座は、忠臣の証を現す最上級の仕草』だと聞いています!」
「……」
何と返していいのか分からなくなった。下手に返事をしたら、この子を傷つけてしまうかもしれない。ここは慎重に言葉を選ばないと。
「分かった。弟子をとってもいい」
「ほ、本当ですか!!」
「ただし、条件がある」
眼に涙が溜まるほど喜んでいるアステリアを、まっすぐ見つめて、3本の指を立てた。
「1つ、私のことを『スリザリンの末裔』と軽々しく口にしないこと。
2つ、私を『様』づけで呼ばないこと。
3つ、土下座を軽々しくしないこと」
「え、そんな無礼な事をしていいのですか!?」
滅相もない!という顔をするアステリア。私は少し困った顔をして彼女を見る。すると、彼女は顔を赤らめた。そして、若干俯き気味の体勢になると、ボソリとつぶやいた。
「そ、それならば、『セレネ先輩』とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「まぁいいか。もっと呼び捨てでも構わないのだが」
「呼び捨てなんて滅相もないです!!私の師匠様なのですから!!」
とんでもない子と知り合ってしまったかもしれない。今なら、コリン・クリービーに付きまとわれていたハリー・ポッターの気持ちが分かる気がした。
「あれ?そういえば、バーナードはどうしたの?」
私がいつも連れてきている蛇のバーナードの姿が見えないので、少し心配そうな顔をするダフネ。
「あぁ、もう命が長くないみたい。だから、クイールに面倒をみてもらうことになった」
今頃、リビングのテーブルの上に設置したケージの中で、とぐろを巻いて眠っているであろうバーナード。本当は連れてきたかったのだが、変温動物のバーナードには城での暮らしはキツイ。実際に1年目は体調を崩してしまっていた。いざという時は、すぐに動物病院に連れて行けるように家に残してくることに決めたのだ。
外では雨が降り始めた。先学期のように風と一緒に窓に雨粒が吹きつけらている。音を立てて水滴が弾けてが飛び散っていた。ここまでは先学期と同じだが、先学期より状況は悪かった。外の風景が、ほとんど見えない。窓から見えるはずの山々が、厚い雨のカーテンの向こうでボンヤリと霞んでいる。列車が風に合わせてユラリユラリと揺れている気がする。稲妻の光があちらこちらで空を走っている。
今日みたいな嵐の日に、列車を降りた後に船……というか、4人乗りの小型ボートでホグワーツに向かうアステリア達、つまり新入生は不幸だ。湖が溢れるんじゃないか?と思うくらい雨が降っているし、風がボートをひっくり返すかもしれないからだ。まぁ、アレは魔法で動いているから、ひっくり返ることはないと思うが。
それに、吸魂鬼が汽車に乗り込んでこないだけ今年の方がマシだと思うことにしよう。
列車が汽笛を鳴らして動きを止めた時には、外の様子は先程より悪くなっていた。1年生以外の生徒は、羽が生えた馬『セストラル』が引く馬車で学校に向かう。私とダフネはアステリアと別れ、近くの馬車に飛び乗った。その馬車の中にはすでにドラコと、その部下共が乗っていた。
「セレネじゃないか!」
少し嬉しそうに言うドラコ。彼のしっかり整えられたブロンドは雨でびっしょり濡れて、水がポタポタ神からしたたり落ちていた。
「久しぶりだな、ドラコとクラッブとゴイル」
「君もクィディッチワールドカップに来ればよかったのに。くだらないマグルとの用事なんて放っておいて。珍しいモノが見えたのに」
「本当は用事を放り出したかったんだが、父さん1人じゃ不安だったからな。
それよりも、ダフネから聞いたが、珍しいモノというより、胸糞悪いモノが見れたの間違いじゃないのか?」
少し眉を寄せてそう言うと、ドラコは意外そうな顔をした。
「胸糞悪いモノ?君は何を言っているんだい?マグルが無抵抗に宙に浮かんで、グルグル回ったり」
「胸糞悪いだろ」
少しドラコを軽くにらむ。クラッブとゴイルは顔を青ざめている。ドラコは訳が分からない、という顔をしていた。
「魔法に無抵抗なマグルなんかに、魔法をかけて楽しいのか?」
「なんで君は毎回、マグルの味方をするんだい?マグルは僕ら魔法族よりずっと劣っているんだ。それなのに…」
「私が言ったことが聞こえなかったのか?マグルは劣っているというが、私は父さんが劣っているとは思えない。少なくとも、父さんの方がクィレルやロックハートよりずっとイイ人だ。もしかしたら…」
『ダンブルドアより“人間として”優れているかもしれない』と言いそうになったが、さすがに通っている学校の校長先生を否定しては不味いので、口をつぐむ。ドラコがその先を問い質す前に、城にたどり着いた。セストラルは、いつもよりも早い速度で城へ進んでくれていたみたいだ。
雨はまだやまないので、私達は転ぶようにして馬車から出ると、一目散に石段を駆け上がった。私達が顔をやっとあげたのは、無事に玄関の中に入ってからだった。松明に照らされた玄関ホールは、広々とした大洞窟のようで、大理石の壮大な階段へと続いていた。
「まったく、風邪を引いたらどうするんだ?」
ドラコがブツクサ言っている。同じようなつぶやきが、あちらこちらで聞こえきた。2,3人前にいるロン・ウィーズリーがブルブルッと頭を振り、そこらじゅうに水をまき散らしている。
「この調子で降ると、湖が溢れるぜ?僕、びしょ濡れ―――うわぁ!!」
大きな赤い水風船が、天井からロン・ウィーズリーの頭に落ちて割れた。ぐしょ濡れで水をピシャピシャはね飛ばしながら、ロンは横にいたハリーの方によろけた。水風船を落とした主は、天井に浮かんでいる、ポルターガイストのピーブズだ。鈴のついた帽子にオレンジ色の蝶ネクタイ姿の小男が、性悪そうな大きな顔をしかめて、プカプカと浮かんでいた。彼は赤くて大きな水風船が数個ほど持っている。その姿を視た時、先学期末の嫌な思い出が脳裏に浮かんできた。
「…これ以上私達をびしょ濡れにさせて何になるんだ?」
思わずボソリとつぶやく。小さい声だったつもりだが、思った以上に大きな声だったらしく、ピーブズの耳に入ったらしい。彼のの動きがパタリと固まった。表情を固めたまま恐る恐ると言う感じで私の方を向く。笑みを浮かべたまま石になったかのように動きを止めたので、間抜けな顔に見えた。
「生徒に新学期早々、風邪をひかせるような真似をして何が楽しいのだか。理解しかねるな」
早く大広間に入って身体を乾かしたいのに、ピーブズが邪魔をしているので入れない。彼が狙いを定めているのは、主に大広間に入ろうとした生徒だからだ。少し私はイライラし始めていた。ピーブズの血の気が引いていくように見える。
「さっさと消えろ。暇なのは分かったが、人の邪魔をするのは男の風上にも置けない行動だ」
「す、すみませんでした!!」
飾りのついた帽子を脱いでから、私に頭を下げるピーブズ。彼は、すぐに姿を消した。
「セレネ、また目が赤くなってるよ?」
列が大広間に向かって再び動き出したとき、ダフネが心配そうに言う。私は鏡を持っていないので、分からない。だが、ダフネが言うのだからそうなのだろう。なぜか私が怒っている時に、目が赤く光るそうなのだ。特異性質なのだろうか?
大広間のいつも座っている席に着くと、すぐに『組み分けの儀式』が始まった。名前が次々に呼ばれ、それぞれに適した寮を高らかに『組み分け帽子』が叫んでいく。
はっきりいって組み分けの儀式はどうでもいい。それよりも早く何か食べたかった。腹と背骨がいまにも、くっつきそうだった。だから、目の前に大量の御馳走が現れた時、自分の皿を珍しく山盛りにしてしまった。もちろん、野菜と肉類のバランスを考えて山盛りにする。のだが――
「ダメです!食べてはダメです、セレネ先輩!!」
スリザリン寮に組み分けされたアステリアが私を制す。物凄い必死な顔をして彼女は私に訴えかけてきた。
「もしかしたら、先輩を殺そうと誰かが企んでいて、毒を盛っているかもしれません!まず、私が先輩の分の料理を食べて毒味をします!」
「いや、遠慮しておく」
キッパリそう言うと、アステリアを無視して料理を食べ始めた。
「あの小娘、何かあったのか?」
隣に座っていたドラコが、私に聞いてきた。
「あぁ、ダフネの妹のアステリア。なんか、私の弟子になりたいと言っているんだ」
その言葉を聞いたとき、ドラコの眉間に皺が寄る。チラリと落ち着いた様子でステーキを切り分けるダフネ・グリーングラスに視線を移し、その後でろくに切っていないレアステーキに齧り付いているアステリアに視線を戻す。
「あれがグリーングラスの妹なのか?性格が全然違うんじゃ――」
「そこの将来ハゲそうな男子!セレネ先輩に馴れ馴れしい口を利くんじゃないです!!」
ビシリッとドラコを指差すアステリア。気のせいだろうか。アステリアの背後に炎が見えた気がした。めらめらと燃え上がる憎悪の炎に非常に酷似した炎が。
「は、ハゲそうだとはなんだ!だいたい僕はまだハゲていないぞ。君こそ、先輩に対して馴れ馴れしいんじゃないか?」
「こらぁぁぁあ!!アンタ、新入生の分際でドラコを指差すなんて無礼な事をすんじゃないわよ!!」
ドラコよりパンジーの方が怒っている。まさにパンジーの顔は般若の顔。パンジーの隣に腰を掛けているドラコも少し引いていた。ドラコだけではない。パンジー近辺にいるスリザリン生全員が、青ざめた表情を浮かべている。だが、射殺すような視線を向けられているアステリア本人は何も感じないみたいだ。般若の顔をしたパンジーに怯むことせず、まっすぐにパンジーを睨み返す。
「新入生も上級生もありません!!私たちはホグワーツ生です、このパグ顔!!」
「言ってくれるじゃない!この身の程知らず!」
「身の程知らずではありません!正論を述べているだけです!!なんで怒られないといけないんですか!?」
パンジーとアステリアがギャンギャン言い合っている。私は無視してスープを掬う。どちらかが杖を取り出さない限り、止めなくて問題はないだろう。新入生歓迎会で杖を使う喧嘩をしない。そのくらいの理性はあるはずだ、たぶん。理性が吹っ飛ぶくらいになったら、私は止めないといけない。
彼女たちの口喧嘩は、ダンブルドアが口を開くまで続いた。口喧嘩をしながらも、しっかり食事とデザートを口に運んでいたことが凄いと思う。
「さて、おおいに食べて、語り、飲んだことじゃろう。さてと、いくつか告知をしなければならない。まず生徒の『禁じられた森』への立ち入りは禁止じゃ。それから今年の寮対抗のクィディッチ試合は中止とする」
あちらこちらから不満の声が上がる。呆気にとられている顔をしている人が、何人もいた。そんな生徒たちの反応が分かっていたのだろう。ダンブルドアは、辛そうな顔をしていた。
「ワシも本当に残念な事じゃと思うが、すべては10月から本校で行われる『三校対抗試合』のことじゃ。
ホグワーツ、ダームストラング、ボーバトンの3校の代表選手が行う魔法の競い合いじゃよ。夥しい数の死者が出るに至って競技そのものが中止されたのじゃが、今年から復活することにする」
いたるところで、興奮した声がささやきあうのが聞こえた。『夥しい死者』という箇所に触れている人はごく少数で、誰もが『どんな競技をするのか』とか『優勝したら何がもらえるのか?』とかそんな類の話に花を咲かせていた。
「優勝者には1000ガリオンが与えられる。じゃが、安全面を考慮して、参加資格がある生徒は17歳以上じゃ」
ダンブルドアがそう告げた瞬間に、少し騒ぎが静まった。『出場したい!』というオーラを醸し出し興奮していた16歳以下の生徒たちが、しゅんとなっている。17歳以上ということは、6年生以上ということ。4年生の私には、全く関係のないことだ。応援に徹するとしよう。
「凄いわ、1000ガリオン。セレネは立候補するの?」
少し夢見心地な声をしたミリセントが、肩肘で私の脇腹をつつく。
「あのな、私達は同じ歳だぞ?立候補するもなにも、参加資格がないだろ」
「あっ、そうか」
忘れていたようで、驚いた顔をしているミリセント。何年間の付き合いだっただろうか?何でもいいが、友人の年を忘れるなんて失礼だと思う。
それにしても、三校対抗試合。私は観戦するだけになってしまうが、そこから何か学べるものがあるかもしれない。何にしろ、外国の魔法使いを視ることが出来るのだ。しかも、三校対抗試合に出場するのだから、エリート中のエリート魔法使い。そうとう凄い人が来るのだろうから、勉強になること間違いなしだ。
雨に濡れて滑りやすい廊下を歩きながら、私は少しだけ10月が待ち遠しくなった。
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11月17日 誤字訂正