胸の位置まで届く雑草が陽光を浴びて、そよいでいる。そんな雑草が生い茂る中を掻き分けながら、私は進んでいた。この先にあるはずの小屋を目指して。汗が絶え間なく額から流れ落ちる。汗のせいで、お気に入りのシャツがピッタリと身体と張り付喰感覚が、気持ち悪い。
夏休みも半ばを過ぎた頃、私とクイールは『リトル・ハングルトン』という村へ向かった。
この村には、私の先祖『ゴーント家』が住んでいた家があるらしい。本当は私1人で行きたかったのだが、『女の子の1人旅は危ない』とクイールが言い張ったので、私とクイールで訪れたのだ。
「ほら、あと少しだよ」
私が付かれているのを見抜いたのだろう。クイールは、口元に優しげな微笑を浮かべる。
生い茂る草の向こうに、小さな廃屋が見えてきた。年季の入った壁に、嫌というほど深緑のツタが巻き付いている。屋根瓦がごっそり剥がれ落ちて、垂木がところどころむき出しになっている。外装のほとんど全てがはげ、白いペンキが使われたのであろうと思われているところも、薄くなって消えかかっていた。
「…珍しい趣味だね」
扉に打ち付けられていた蛇のミイラを目にしたクイールは、先程の笑みをひきつらせた。私も眉間にしわを寄せてしまった。恐らく、ここがスリザリンの末裔『ゴーントの家』だということは間違いない。蛇はスリザリンを象徴しているのだろうが、扉に打ち付けるという趣向は、私の理解を越えている。私の曽祖父マールヴォロと、祖父のモーフィンが妹でありヴォルデモートの母親メローピーと住んでいた小屋。スリザリンの末裔が住んでいるにしては、貧相な作りだ。ここに、こんなところにスリザリンの末裔が住んでいたなんて、誰も思わないだろう。私だって調べるまでは、もっと豪邸に住んでいたのかと思っていた。
「とりあえず、マスクをしよっか。埃が凄そうだし」
そう言ったクイールは、私にマスクを手渡してくる。私は黙って頷くと、おとなしくマスクをした。さんさんと照りつける真夏の太陽の下なので、暑苦しくてたまらなかった。
クイールは私を後ろに下げ、扉に体重をかけるようにして押し開ける。その途端、何十年も小屋の中に充満していた埃が一気に私たちを襲う。マスクをしていても、咳き込んでしまいそうだ。それにしても、真っ暗で中が良く見えない。私はリュックサックの中に入れていたランプを取り出し、ライターで火を灯す。
小屋の中を見わたした時、さらに顔をしかめてしまった。
天井には蜘蛛の巣がはびこり、床は何十年も溜まりにたまった埃で覆われている。テーブルにはカビだらけの腐った食べ物と思われる残骸が放置されているし、汚れのこびり付いた深鍋の中にも蜘蛛の巣がかかっていた。そこらじゅうに酒瓶と思われるが転がり、溶けた蝋燭が1本だけ忘れられたかのように転がっている。
こんな汚れた廃屋が、私の財産。正確に言えば、ヴォルデモート亡き後、私の財産になるのかと思うと、今のうちに処分したい気持ちになる。どんな財産が残っているのか、興味本位で来てみたいと思ったのだが、来ない方が良かったと今では思う。まだ、ダフネに誘われたクィデッチワールドカップに行った方が楽しかったかもしれない。今頃、彼女はミリセント達とキャーキャー盛り上がっているのだろう。
私は眼鏡の縁に、手をかけた。いくら『廃屋』とはいえ『スリザリンの末裔』が住んでいた小屋だ。未知の魔法がかけられているかもしれない。たとえば、何かに触れた瞬間に死んでしまう呪いとか。安全の確認を、した方がイイだろう。そっと『眼』を開けてみると、そこら中に今にも崩れ落ちてきそうな『線』が浮かんでいる。だが、特に魔法をかけられた痕跡はなさそうだ。…ある一角を除いて。
「何か視えたのかい?」
私の様子に気が付いたクイールが低い声で問いかけてくる。私は無言でうなずいた。特にその一角、山になっている深鍋の近くに隠すように置いてあった小箱に、普通ではありえないくらい『線』が密集していた。あの小箱にだけ、複雑な魔法が幾重にもかけられている。怪しすぎる。何が、あの中に隠されているのだろう?割れた窓ガラスの傍を通り過ぎ、私は小箱の前に立つ。
そして、使い慣れたナイフを構えた。小箱を取り囲むように、複雑に張り巡らされた『線』を慎重に斬っていく。どんな強力な魔法でも、この『眼』の前には無力だ。作業をしている間にも、汗が絶え間なく流れ落ち、喉が渇いてきた。その様子をクイールは黙って見つめている。まるで、見守るように。
…ようやく小箱にかけられていた魔法を全て無効化することが出来た。私は慎重に小箱を開ける。すると、中には大きな金の指輪が入っていた。中央に嵌った黒い大きな石が何かを誘惑するように輝いている。
「ふん…確かにコイツは魔的だ」
私は、あざけるように呟いた。金の指輪は金メッキとは比べ物にならないくらいの味わいを醸し出していたし、怪しげに光る黒い石には不思議な三角の印が彫られている。まるで、美術館に展示されていたとしても、おかしくない。絶対にこの家にあるものすべてを売り払ったとしても、この指輪を購入することは出来ないだろう。私の溜めてきた貯金を全額叩いても、クイールに借金したとしても購入することは難しいに違いない。
「なら、きっちり殺さなくっちゃ」
私はナイフを掲げた。柄を逆手に持ち、黒い石の中心を奔る『線』を切り落とすために。だが、構えた瞬間、黒い石の中に人の顔のようなものが映し出された。私の顔ではない。確か2年生の時に『秘密の部屋』で対峙した、トム・リドルの顔だ。後ろから覗き込んできたクイールが、ハッと息をのむ。
「おまえの心を見たぞ……お前の心は俺様のものだ」
石の中心から、押し殺したような声が聞こえてきた。
「お前の夢を見たぞ、セレネ・ゴーント。俺様と組めば、その願望はたやすく叶えられる。さぁ、この指輪をはめろ、セレネ・ゴーント」
どうやら、この一瞬で私の心を読んでしまったらしい。表面だけなのか。それとも――まぁ、そんなことは、どうでもいい。
「言っている意味はよく分からないが…生憎と命乞いする奴と組む気はないな、トム・リドル」
刃が光り、ナイフが躊躇なく振り降ろされた。鋭い金属音と長々しい叫び声が、廃屋が音を立てて揺れるくらい響き渡る。天井が今にも崩れ落ちてくるのではないかと思った時、ようやく声が途切れた。パキンと乾いた音を立てて、黒い石に亀裂がはいる。
何年も忘れ去られていた廃屋に、静けさが戻った。
「そこに宿っていたモノは、消えたみたいだね」
クイールが静かに口を開いた。私は黙ってうなずくと、トム・リドルが消え去った高価な指輪を手に取る。掌の上で鈍く輝いている指輪は、先程までとは違い、何かを誘惑するような色を発していない。指輪を人撫ですると、ポケットの中に入れた。
「嵌めるんじゃないよ。まだ、何か宿っているかもしれないからね」
クイールが警戒するように、呟いた。私はコクリと頷く。一応、これに宿っていた魂は消し去ることが出来たが、私が認知できていない呪いがかけられているかもしれない。
他に金目の物、及び使えそうな物がないことを確認した私たちは、廃屋を後にすることにした。最後に、もう二度と訪れることがないだろう祖父が住んでいた廃屋を見渡してから、私は外に出た。外の空気は新鮮で、どこか甘く感じた。頬を撫でる風が、心地よく身体に滲みこんでくる。私は、雲1つない青い空を見上げた。太陽はもう私の真上で輝いている。
「おや、そこで何をしてたんじゃ?」
麦わら帽子をかぶった老人が、声をかけてくる。農具を手にしているところを視る限り、リトル・ハングルトン村で農業を営んでいるに違いない。
「この子の祖父が、ここに住んでいたみたいなんです」
クイールが優しげな笑みを浮かべながら、老人に応える。老人は私とクイールの顔を見比べた。
「そうか。もしかして、あの『トム・リドル』の孫?」
「…トム・リドルを知っているのですか?」
私は思わず口を開いてしまった。トム・リドル…ヴォルデモートはマグル嫌いで、孤児院育ちだったはずだ。なのに、この老人は何でトム・リドルのことを知っているのだろう?すると、老人は何食わぬ顔で丘の上を指さした。そこには、忘れ去られたような巨大な屋敷が建っていた。
遠目から見ても分かるくらい、荒廃した屋敷だ。窓には板が打ち付けられ、屋根は剥がれ、蔦が絡み放題になっている。
「あそこの屋敷に住んでいた傲慢一族の長男じゃよ。そこの小屋に住んでいた女と駆け落ちしたんじゃが、1年くらいして『騙されていた』と言って戻って来たんじゃよ。…そうか、子供がいる女を捨てて逃げて来たんか。だから、あんな罰が当たったんじゃよ」
1人で納得するようにフムフムと頷く老人。私とクイールは顔を見合わせた。
恐らく、私の祖父『モーフィン』ではなく、ヴォルデモートの母『メローピー』の事を言っているのだろう。だが『罰』とはどういうことだろう。
「あの、そのリドルという男に、何があったのでしょうか?」
クイールが躊躇いがちに、口を開く。すると、老人はニヤッと笑いながら口を開いた。
「リドルは、殺されたのじゃ。…非常に奇妙な死に方で」
「奇妙な死に方?」
クイールが声を潜めて聞いた。老人は低く怪しげに笑いながら、言葉を続ける。
「リドル一家のどの肢体にも、毒殺、視察、射殺、考察、窒息の痕もなく、全く傷つけられた様子がなかった。じゃが、彼らは全員健康そのものだったんじゃよ―――死んでいるということ以外は」
老人が呟くように話し終えた瞬間、背筋がゾワッとしてしまった。なんでだろうか、その事件の背後に『ヴォルデモート』がいるような気がする。あくまで直観でしかないが。傾き始めた太陽が、丘の上の館を朱色に染めるさまは、怪しげで近寄りがたい空気を醸し出していた。
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第四章『炎のゴブレット編』が始まります。