早いモノでもう6月も終わろうとしている。
雪が降り積もっていたなんて思えないくらい、木々は深緑の葉を澄み切った青空に向けて伸ばしていた。湖は元気いっぱいの太陽の光をキラキラと反射させている。
そんな自然界の明るさとは無縁だったのは、スリザリン寮だった。スリザリン寮は、クィディッチの寮対抗試合で決勝戦まで勝ち残ったのだが、最後の最後でグリフィンドールに負けてしまってからは、寂しげな空気がしばらく漂っていた。それこそ『吸魂鬼』に幸せを全て吸い取られてしまったかのように、閑散としている。だが、いつまでも陰鬱な空気を漂わせているわけにはいかない。なぜならば、もうすぐ期末テストが待ち構えているからだ。どの生徒もテストに向けて猛勉強をし、図書室や談話室に入り浸る生徒が多くなっていた。
それは、私も例外ではない。テストに備えて、今までのノートを整理し直し、抜けているところをチェックする日々を送っていた。
パンジーやミリセント、それからダフネに分からない箇所を質問をされるので、そこを教えたり、逆に自分が不安な箇所を、ドラコやノットに尋ねたりしていた。そしてその日の私は、図書室で目当ての本を見つけると、大事に抱えて談話室に向かっていた。
少し小走りで歩いていると、ガシッと突然肩をつかまれた。誰だろうと不審に思って振り返るとそこにいたのは、大きな眼鏡をかけてスパンコールのついた服を着ている魔女だった。眼がギョロギョロと動き、口をだらりと開けている。今にも引き付の発作でも起こしそうだ。私は眉間にしわを寄せ、魔女を見上げた。
「…どこか悪いのですか?」
『崩れるぞ』
「…はい?」
間抜けな声を出してしまう。一体、何が崩れるのだろうか?というより、まずこの人は一体誰なのだろう?医務室へ連れて行くのが一番だろうか。それとも先生に報告するのが一番か。まずは、とりあえず話を聞いてあげるのが一番なのか。
魔女は私の肩に痕が付くくらい、力を入れて握っていた。私がどう対応するか戸惑っていると、女は荒々しい声で言葉を紡ぎ続ける。
『日輪を一周した時だ――――――徐々に広がり始めたヒビの入った家が――崩れるであろう。
家は、海の向こうから来た人物の手によって――音を立てて崩壊する――日輪が一周した時――それが起こるであろう――』
おどろおどろしい震える声で告げた魔女。言い終えると同時に頭がガクッと傾き、ダラリと手を下に伸ばした。そして、ハッと我に返ったように、頭がまたピンッと起き上がる。
パチパチっと何回か女は瞬きをした。
「あら、貴方は一体誰なのです?」
「それは、こちらのセリフです」
私は、我に返ったような様子の女から数歩距離を取る。
「今のは、なんですか?」
「今の?なんですの?私はただ、この廊下を用があって歩いていただけですわ。その途中でついウトウトしてしまいまして……」
どうやら先程のことが、記憶にないらしい。私をからかっているのかとも思ったが、そうではないようだ。目の前にいる女は、初対面の私に睨まれないといけないのかが分からないらしく、オドオドと戸惑っていた。
「…そうですか。気を付けてくださいね」
私は本を抱え直すと、先程よりもペースを上げて歩き始めた。その場を一刻も早く離れるように。
今のは、なんだったのだろうか?あの女の妄想だろうか?いや、それとは違う感じがする。妄想なら記憶にあるはずだ。もしかして、『予言』の類なのかもしれない。そういう『予言』のようなモノを受ける寸前は、トランス状態に陥ると本で読んだことがあるような気がする。だが、夏休みに出会った未来視の少女、瀬尾は別にトランス状態に陥っているようには見えなかった。でも、予言ではないとするといったい…
バッシャーーン!!!
考え事をしながら廊下の角を曲がると、なにかが頭上から降ってきた。ポタリ、ポタリと濡れた髪から水滴が床に滴り落ちる。
「ひ~かかった!!馬鹿な生徒が1人~!!」
見上げると、オレンジ色の蝶ネクタイを付けた大きな目をした男がプカプカと浮かんでいた。彼の名前は、ポルターガイストのピーブズ。空のバケツを抱えて、ゲラゲラ笑っている。胸の奥から沸々と静かな怒りが湧き上がってくる。
「なにしてくれるんだ、借りた本がビショビショじゃないか」
ジロリッと思いっきりピーブズを睨む。するとピーブズのゲラゲラ笑いがピタリっと止まった。この時の目撃者が、後に『あの時のセレネの背後に、鬼の顔が映っていたように見えた』と証言している。だが、この時の私に知る由もない。ただ、図書館の本を水びだしにされたことに、ムカついていた。ナイフを取り出して、目の前でプカプカと浮かんでいるピーブズの片腕を使えなくさせたら、少しはこの怒りが収まるだろうとまで、考えるほどに。
私は、掌をピーブズに向けて、口を開いた。
「5秒やる。その間に、私に対する無礼を詫びて去るか、私に細切れにされたいか――どちらかを選べ」
「すみませんでした!」
ピーブズは速攻で頭を下げると、どこかへ消えて行った。私は杖をローブの下から取り出すと、水を吸ってしまいダブダブになった本に軽く当てる。
「『テルジオ―拭え』」
杖の先に、本が吸い込んだ水が吸い込まれていく。まだ少し湿ってはいるが、読むことには困らない程度にはなった。同じ呪文を自身のローブに向けて唱える。同様に水は滴り落ちなくなったが、まだ湿っている。ヒンヤリと布が肌に張り付くような感触は、気持ち悪かった。早く談話室に戻って、清潔なタオルで身体を拭こう。その前に、暖かなシャワーを浴びようか。とにかく早く濡れた身体を暖めないと風邪をひいてしまう。
談話室へと足を再び向けたその時には、女の人が私に告げた『予言』のことなんて、もう頭の中には残っていなかった。
この後、私は見事に風邪をひいてしまい、試験が終わるのと同時に倒れてしまった。恐らく、ピーブズに水をかけられたのが原因だろう。…見舞いに来てくれたバジリスクのアルファルドが言うには『疲労』も原因の1つだと言っていた。
余談だが、眼が覚めた時には吸魂鬼が生徒を襲ったせいで、学校を出て行くことになった。それは非常に嬉しかったが、それと呼応するかのようにルーピン先生が辞職することになってしまっていたのだ。ルーピン先生は好きな先生の1人だったから、かなり残念だ。せめて去る前に、一言…話したかった。それにしても何で毎年、毎年『闇の魔術に対する防衛術』の先生が変わっていくのだろう。まさか、来年の先生も1年で辞めていくということはないと思うが…
汽車の中でミリセントとパンジーが蛙チョコレートのカードを取り合う様を眺めながら、そんなことを考えていた。
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10月4日…一部改訂