「まさか、スリザリンのセレネ・ゴーント!?」
チャリング・クロス駅の壁に寄りかかり、ぼーっとしていると、声をかけられた。声のした方を見ると、黒人の少年が驚いた顔をして私を見ている。どこかで見たことのある顔の気がするが、誰だかは思い出せない。
「そうだが、誰?」
「俺は、グリフィンドールのディーン・トーマス」
「あぁ。確かいつも鍋を爆発させているグリフィンドール生の友達か」
魔法薬学の時間、毎回のように鍋から煙を上げさせ、一ヶ月に2,3回くらいは爆発させているグリフィンドール生の隣にいつもいる少年だ。私でも知っている有名ブランドの服をカッコよく着こなしているところから見ると、マグル生まれなのかもしれない。ホグワーツ特急に乗る前に見かける、魔法使いのちぐはぐとしてマグルの格好ではなく、帽子・マフラー・コートのすべてが、上手にコーディネートされている。
「で、なんでここにいるんだ?しかもそんな小さな荷物で」
私が持っている唯一の荷物、ショルダーバックを見てディーンは問うてきた。
「家に帰れば服はある。一時帰宅に大きな荷物なんて必要ない。せいぜいアメニティーグッズと父さんへの土産。それで十分だ。あと、マグルの通貨。アンタこそ、なんでここにいるんだ?通常のホグワーツ生は昨日ホグワーツから出たと思うが」
『吸魂鬼』が天敵のわたしは、他の人たちと一緒に帰路につけない。なので、一日遅れてスネイプ先生の『姿くらまし』という瞬間移動のような術で、チャリング・クロス駅まで送ってもらったのだ。ちなみに、スネイプ先生はクリスマス休暇中、ホグワーツで過ごしているみたいだ。
「あぁ、昨日は一回ロンドンにある家に帰ったんだ。それで、今日はダートムーアに住んでいる親父の実家に行くんだ。寂しいところだけど…まぁ、行けば楽しいこともあるし。列車の出発はあと1時間。暇だからその辺りをぶらぶらしてたところさ。君はどうしてここに来たんだい?」
何処か楽しそうな表情を浮かべて、話すディーン。
「私は『吸魂鬼』に弱い。だからここまでスネイプ先生に送ってもらった」
「…なんでそんな効率の悪いことするんだ?送ってもらうなら自宅まで送ってもらった方がいいんじゃないか?」
ディーンが首をかしげる。その理由を話そうと、めんどくさいが口を開いた時だった。
「セレネ!セレネやろ!!?」
抑揚をつけた大声で叫びながら、私に近づいてくる大柄な少女がいた。コートをしっかりと着込み、赤いタータンチェックのマフラーをしっかり巻いて、頬を真っ赤に上気させている。
「そういう君はフィーナか」
「うぁ~、セレネってますます別嬪さんになったんやなぁ。眼鏡もよう似合っとるし」
ホグワーツに入学する前、マグルの学校に通っていた時の友人のフィーナが顔を赤らめて言う。私は、眉間に思いっきりしわを寄せた。
「別嬪ってなんだ。普通だぞ?」
「普通ちゃうねんって!もう、ごっつ可愛い!!なんやねん!アンタ私と同じ13歳やろ?13やんなぁ!?なんでこんな差が出来るん?やっぱ私立の学校行ってる子はちゃうなぁ……」
フィーナが、ガックリとうなだれる。全く変わってないなと思っていると、いつの間にか口元が笑っていたみたいだ。悪戯っぽい笑みを浮かべた、同じくホグワーツ入学以前の友達のラルフが近づいてきた。
「おいおい、笑われてるぜ、フィーナ。お前は全然変わってねーってな」
「わ、私だって変わってるやん!ほら、背とか胸とか、顔だって昔より」
「デブになった」
「ちゃうねん!ポチャッとしただけや、ポチャッと!!なぁ、そうやんなぁ、セレネ!!」
涙目の眼で私を見上げてくるフィーナ。否定は出来ない。確かに最後に会ったときから考えて、顔も体型も横に伸びている。
「…健康そうでいいんじゃないか?」
「なっ!そうやろ!?もう…めっちゃ優しいわ~セレネ!そう言ってくれたの、セレネだけやで?ラルフにも見習ってほしいわぁ」
そう言ってラルフを一瞥するフィーナ。だがその時、私の後ろで置いてけぼりになっているディーンに気が付いたみたいだ。ディーンと私の顔を交互に見ると、ニヤニヤっとフィーナは笑った。
「なんや、なんや。セレネに春が到来したんか?」
「春?そんなものまだ来てない」
「嘘つけ!後ろにいる美男子との関係を隠そうたってそうはいかんで!?」
ビシッとディーンに指をさすフィーナ。ディーンと私は、ほぼ同時にため息をついた。
「コイツの名前は今知ったばかりだ。そんな関係ではない」
「こいつは確かに学年でそこそこに人気だけど、俺は興味ないぞ。パーバディーの方が俺の好み。
で、話を戻すけど、まさかお前がココに送ってもらった理由って、こいつらに会う為なのか?」
なんか最初の方で在りえない内容が混じった気がしたが、気のせいだろう。私はこっくりと頷く。
「この2人は私がホグワーツに入学する前の学校での友達。フィーナとラルフ。ラルフの方が最近ロンドンに引っ越したみたいなんだ」
「数日前から私が昨日ラルフの家に遊びに行ってんねん。せやかてクリスマスは家族と私は過ごすつもりなんや。そんで、セレネが“ほぐわーつ”っちゅう学校から帰って来る列車で“キングズ・クロス”まで来るって教えてもろうて、ピンッとひらめいたんや!
キングズ・クロスはちょっと治安悪いけど、そこから乗り換えて行けば、チャリング・クロスに着ける。
その駅待ち合わせして久々に会おうってなぁ。チャリング・クロスの側にあるチャイナタウンって行ってみたかったんや!それになぁ、夜にクイール小父さんがセレネを迎えに来てくれはるやろ?それに私も同行して家に帰ろうって話になったんや!!」
途中からフィーナが、殆どノンストップで、ぺらぺらとディーンに説明し始めた。
話す手間が省けたから良かったが、フィーナはそんな理由で私をクリスマス・ショッピングに誘ったのか。
ディーンと別れ、クリスマスキャロルが至る所で流れるロンドンの街を歩く。駅から外の出た時は冬の冷たい空気で震えそうになったが、歩いてフィーナとラルフのやり取りを聞きながら、時に口を挟んみ笑ったりしている間に、寒さを感じなくなってきた。
主にチャイナタウンを中心に、その他近辺の賑やかな通りを歩いていた。茶葉を買ったり、菓子パンを買ったり、ちょっとした置物を買ったりしながら時が過ぎていく。日が傾き始めた頃のことだっただろうか。とっくにチャイナタウンを出て、ビッグベンの辺りを歩いていた。
「なぁなぁ、あの人たち、何のお芝居の人なんやろか?」
不思議そうに言うフィーナの視線を辿った時、歩きながら飲んでいたコーラを吹き出しそうになった。
視線の先には、山高帽にローブを着た、マグルから見ると時代錯誤の4人組がいたのだ。
1人は紫色のローブ、1人はエメラルド色のローブで、残り2人は赤いローブを着ている。ものすごく目立っている。忙しげに歩いている人たちはチラッと見ただけで通り過ぎるか、見向きもしないで歩き去るかのどちらかなのだが、私達みたいにのんびりと観光気分で歩いている人たちにとっては、好奇の的になりかねない。
『魔法界の存在はマグルに秘匿』と習った気がする。大人の魔法使いが率先してそれを破ってどうするんだよ…と思った。よく今までバレなかったな。まぁ、目撃した人がいたとしても、マグルの世界に魔法使いが現れることが少ないみたいだから、『へぇ……不思議な人を見たね』で終わってしまうのかもしれない。
「なんのお芝居の人やろうか?ちょっと気になるから聞いて来てくれへん?」
「って、なんで俺に頼むんだよ!?」
フィーナに頼まれたラルフが不服そうな顔をする。フィーナは、両掌を合わせて頼み込むような仕草をした。
「頼む!私1人で聞きに行くの気が重いんや!!」
「なら、セレネも含めた俺たち全員で聞きに行けばいいだろ?」
「…それもそうやな。ほな、行くで!」
私の袖とラルフの袖を引っ張るようにして、魔法使い4人組に近づいていくフィーナ。魔法使い4人組が話している内容が聞こえてくる位置まで来た。
「聞いた?『シリウス・ブラック』がホグワーツに現れたって話!」
「聞いた聞いた。やっぱり……『生き残った男の子』を狙っているんじゃないか……」
「ダンブルドアがいるだろ?なら平気よ。吸魂鬼(ディメンター)もいるし」
「でも、ダンブルドアはもう歳だぞ?」
そう話している4人組は、私達が近づいていることに気が付いていない。電気製品がぎっしり並んでいる店の隣の店『パージ・アンド・ダウズ商会』と書いてある赤レンガの流行遅れの大きなデパートの前で4人は立ち止った。
みすぼらしい、しょぼくれた雰囲気の場所だ。ショーウィンドウには、あちらこちら欠けたマネキンが数体、曲がったカツラをつけて、少なくとも10年くらいは流行遅れの服を着ている。埃だらけのドアというドアには大きな看板が掛り、『改装のため閉店中』と書いてあった。ラルフが小さい声であっとつぶやく。
「ここ知ってる。ロンドン生まれのロンドン育ちの友達の母さんが話してた店だ。1回も開いているところを見たことがない店なんだってさ。何であの人たちはそんな場所に……」
「ここの前でチラシ配り始めるんやろ?でも妙やな、みんなこんなボロッちい所に目向けることないで?」
もしかしたらここは…キング・クロス駅やダイアゴン横丁みたいに……魔法界へとつながる『道』がある場所なのかもしれない。知って置いて損はないだろうが、マグルの2人に知られては不味い。あとで、変な詮索をされたら困る。そう思っていた時だった。
4人のうちの一人が、付けまつ毛のとれたマネキンに何やら小声で話しかけている。するとマネキンが小さく頷いたのだ。指で小さく手招きまでしている。その後、4人の魔法使いは何も躊躇うことなく、汚らしいショーウィンドーをまっすぐ突き抜けて姿を消したのだ。
そっとフィーナとラルフを見る。フィーナはアングリと口を開けて固まっていた。ラルフの方は、運よく、くしゃみをしていたらしく目をつぶった瞬間だったようだ。4人がショーウィンドーの向こう側に消えたということに気が付いてない。
さてと、ここはどういった反応をすればいいのか。
「ふ、2人とも!!今の見た?」
フィーナが口をパクパクさせながら、興奮気味に言う。
「今のって何だ?あ、さっきの4人がいないぞ?」
「その4人が、あの店のショーウィンドーを突き破って消えたんや!!アンタが目を離しとる隙に!セレネは?セレネは見たやろ?」
犬のように目を潤ませて私を見てくるフィーナ。フィーナには悪いが、ここは魔法使いの秘匿のため、嘘をつくことにする。
「フィーナは疲れているんじゃないか?さっきの4人なら、人混みの中に消えて行った。そっちの後を追おうかと思ったが。フィーナは固まったまま動かないし、ラルフはくしゃみをしていてそれどころじゃなかったから、何も言わなかった」
「嘘や!私は見た!見たんや!!」
「フィーナよりセレネの方が信用できる。ほら、昨日も夜中までお前は起きてただろ?疲れがたまってるんだ。一旦俺の家に行かないか?フィーナの荷物だってあるし」
フィーナは不服そうな顔をしていたが、太陽も傾いている事もあったが、彼女自身が
「せやな、急に人が消えるなんてありえへん。疲れとるんかもしれへん……」
と認めたので、『グリモールド・プレイス』にあるラルフ一家の新居に向かう。ラルフの両親は、私を見ると物凄く驚いて『美人になったね~』と言われた。
自分では容姿について何も気にしていなかったので、とくになんとも思わなかったのだが、それより気になったのは、この通りの一角だ。
眼鏡が息で曇ってしまったので一回外した時に気が付いた。この通りの一角に、物凄く密集した『死の線』があることに気が付いたのだ。家と家の間に、今までに見たことがないくらい密集した『死の線』が。
生憎、ラルフやフィーナに急かされて、じっくり見ることは出来なかった。あの密集した線のどれかを斬ったら、きっと魔法界に繋がっている。そんな気がした。私が今まで気が付かなかっただけで、いたるところに魔法界への入り口が隠されているのかもしれない。
ジリリリリッという玄関のチャイムの音で、私は現実に引き戻された。窓の外に、クイールの車が止まっているのが見える。
「あ~、寂しいわぁ。これでラルフとはお別れかぁ」
「また会いに来ればいいだろ?」
「せやかて、こうして3人そろうのは滅多にないで?」
本当に寂しそうにつぶやくフィーナ。ラルフも声は強がって入るが、寂しそうな顔をしていた。
「死んだわけじゃないんだ。また会える時があると思う」
私がそう言うと、フィーナが涙でいっぱいにたまった目をして私の方を向く。
「せやな!セレネの言う通りやぁ!!約束やで!また3人で会おうなぁ!?」
「おい、今似たようなことを俺も言ったような――」
「ほな、さいならオバサン!オジサン!行くで、セレネ!」
ダッシュで迎えに来てくれたクイールの車に乗り込むフィーナ。ラルフは苦笑していた。
「まったく、素直じゃねぇな。じゃあな、セレネ」
「あぁ」
ラルフに手を振ると、私も車に乗り込む。車の中ではフィーナが、鼻をすすっていた。
「楽しかったんだね」
運転中のクイールが優しい声を出す。涙で湿っている袖で、何度も何度も目元を拭うフィーナ。
「うん!物凄く『幸せ』だった!!」
「『幸せ』……か」
私は、ポツリとつぶやいた。
『幸せ』とはなんなのだろう?
ハロウィーンの時から学校内で『シリウス・ブラック』対策が強化されていた。私は観戦に行かなかったが、『グリフィンドールVSハッフルパフ』のクィディッチの試合で『吸魂鬼』が乱入してきたのだ。第2回のホグズミード村にも行くことが出来ず、学校から出る時は私だけ個別でスネイプ先生に送ってもらわないといけないし、また迎えに来てもらわなければならない。
ルーピン先生が使っていた吸魂鬼を追い払う技『守護霊の呪文』を練習したこともあった。だが、『幸せ』な経験が思いつかないのだ。日本に行ったときのことを思い浮かべたり、魔女だと知らされたときのことを思い浮かべたりしたが、ハッキリと形を持った守護霊が出てくることはなかった。いくらやっても、ボヤボヤっとした白い煙が出てくるだけ。クリスマスが明けたら、スネイプ先生かルーピン先生にコツを聞きに行こうと考えていたところだったのだ。
でも、今日何となく気が付いたかもしれない。『幸せ』というのは『特別な経験』を指す言葉じゃないのかもと。今日みたいに、友達と笑いあったり食事したりすることが、『幸せ』なのだろうか?
「『本当の幸せってなんだろう?』」
クイールがポツリと言う。フィーナは、いつの間にかすやすやと寝息を立てていた。ミラー越しにクイールと目が合った。クイールはいつもの優しげな眼差しを、私に向けている。
「今の言葉はね、日本の…とある物語の主人公が言ったセリフだよ。僕にも『本当の幸せ』が何か分からない。でも、こういうのが『本当の幸せ』というんじゃないかなって思うことはある」
ハンドルをきりながら、クイールは話し続ける。空はだんだん藍色に染まり、チラチラと星が顔を出し始めていた。
「自分が『幸せ』だと感じることが一番幸せなんじゃないかなって。でも、それは自分よがりのことではなくて、他人にとっても納得がいくものが『本当の幸せ』なんだと思う。そうしなかったら、殺人快楽者はみんな『“本当の幸せ”を知っている』ということになっちゃうだろ?」
「……」
私は何も言わなかった。しばらくの間、車のエンジン音とフィーナの寝息だけが車の中に響いている。
『幸せ』が何を現すのか。私にとっての『本当の幸せ』が何かは、ハッキリとは、まだ分からない。
でも、『これが幸せなんじゃないか?』と思うことは見つかった気がする。もう一度、学校に帰ったら『守護霊の呪文』を練習してみようと心に決めた。それでもだめだったら、先生に聞きに行こう。