「セレネ!!」
振り返ると、玄関ホールの辺りに出る廊下からハリーが走ってくるところだった。私は階段を上っていたのだが、立ち止ってハリーを見下ろす。ハリーは、はぁはぁと荒い息を立てながら、私のところまで辿り着いた。
「マクゴナガル先生から聞いたんだけど、セレネも城に残るんだよね?」
「…まぁな」
そう答えると、ハリーはたちまち嬉しそうな表情を浮かべた。今日はハロウィーンであり、3年生にとっては第1回目の『ホグズミード村』へ行くことが許されている日。恐らく、3年生で城に残っているのは、『吸魂鬼』のせいで外に出ることが出来ないセレネと、許可証に保護者のサインを貰うことが出来なかったハリーだけだろう。
「セレネはこれから何するの?」
「トイレかな。それから、年寄りの蛇の介護」
「蛇の介護?」
聞き返すハリー。私は頷いた。一応、嘘はついていない。これから会いに行こうと思っていたバジリスクは、創設者の時代から生きている。1000年以上も生きている蛇は立派な『年寄り』以外の何物でもない。
「そうなんだ」
どこか、寂しげな顔をするハリー。そういえば、この間も何か言いたそうな顔をしていた気がする。何か、私に伝えたいことでもあるのだろうか?
「何か言いたいことでもあるのか?」
「いや、ないよ」
そう言ったハリーの眼は揺れていた。だから、嘘だ。絶対に何か言いたいことがあるのだと思う。私は、心の中で小さくため息をついた。
「さっきもいったが、今から私はトイレに行く。ハリーはグリフィンドールの塔に戻るんだよな?」
「まぁね」
「なら、あの角まで一緒に行かないか?」
「え、いいけど」
戸惑いながらもハリーはコクリと頷いた。私とハリーは、誰もいない廊下を歩きはじめる。私の方は、これといってハリーと話すことがないので、黙って歩いた。ハリーもなかなか話しださない。シーンとしている廊下に私とハリーの足音だけが響いていた。
「あの、セレネは最近困った事とかない?」
最初に沈黙を破ったのはハリー。僅かに頭をうなだれる感じで、私に問いかけてきた。
「しいてあげるなら、吸魂鬼のせいでホグズミードに行けないこと」
「え、あ…そうだね。他には?」
どうやら、ハリーが聞きたかったのはそのことではないみたいだ。
「特にない」
「そう…なんだ」
ぶっきらぼうに言葉を返すと、モゴモゴと言葉を濁らすハリー。きっと、言いにくいことなのだろう。
「なんだ?気になるじゃないか。笑わないから言ったらどうだ?」
「セレネは、なんでマルフォイやパーキンソンと付き合っていられるんだ?アイツらは、ハーマイオニーのことを『穢れた血』って呼んだり、ロンの家族のことを馬鹿にしたり…」
ハリーの深い緑色の眼が、まっすぐ私を見てきた。なるほど…。つまり、直訳すると『なんでドラコやパンジーみたいな最低な奴と付き合っているんだ?』ということか。ハリーが、そう思うのも無理もないかもしれない。
ドラコもパンジーも『純血主義』で実家は金持ちだ。『マグル生まれのモノは汚らわしい』と生まれた時から教えられ、ロン・ウィーズリーみたいに貧乏な魔法族を見下している。その2人の悪い一面しか見ていないハリーは、きっと2人が『最悪な奴』に見えているに違いない。
「それは友達だからだ。もちろん、アイツらのしていること、ハリーが指摘した行動は最低な行動だと思う。私も、2人のそう言った行動には再三注意している。その面だけを見たら、最低な奴かもしれない。
だが、そんなドラコにもパンジーにもいい面がある。例えば、ドラコもパンジーも、私がホグズミードに行けないから、私の分の菓子や文具を買ってきてくれると言ってくれたし、『吸魂鬼』に気絶させられた時も心配してくれた。彼らにだって人を思いやる気持ちがある。
ハーマイオニーやロンにそう言った行動をとるのは、育てられてきた環境が大きく原因しているだけなんだ」
ハリーは『信じられない』という顔をしている。深い緑色の瞳には『疑惑』の文字がチラついていた。
「でも、マルフォイは悪い奴だよ。きっと、何か下心があるからセレネの前では『イイ奴』として振る舞っているんだと思うよ」
ハリーがキッパリと言い放つ。私は、静かに首を横に振った。
「私には、下心があるようには視えなかったな。それに…いつも『いい人』、いつも『悪い人』なんて存在しないんだ。
例えば、1年生の時にホグワーツ特急で『菓子をドラコに渡した方がいい』と言った私はハリーの眼にどう映った?逆に同じ1年生の時、ハーマイオニーを助けた私は、ハリーの目にどう映った?」
もう遠い昔の出来事のように感じられる、つい2年前の出来事を思い返す。恐らく、前者の私は『悪人』として、後者の私は…少し恥ずかしいが『いい人』として、ハリーの眼に映っていたに違いない。
ハリーは曖昧な表情を浮かべていた。セレネの言い分に納得したような、でも…まだ消化不良のような微妙な表情だ。
「じゃあ、ここでお別れだハリー」
約束した曲がり角の所まで来たので、私はハリーに軽く手を振って別れようとした。
「セレネがいいなら別にかまわないけど、困ったことがあったら言って欲しいな」
ハリーは、そう言って私に笑いかけてきた。なんでハリーがそんな心配をするのだろうか。少し怪訝な顔をしていると、ハリーはきょとんとした顔になった。
「だって、セレネは僕の友達だよ?」
『何をいまさら』という感じで話し始めるハリー。
「魔法使いだってわかる前、ダドリーに虐められていたところを助けてくれた初めての人だし。初めて僕に手紙をくれた人だったし、物凄く嬉しかったんだ。ホグワーツに入ってからは疎遠になっちゃったけど、僕はセレネのことを友達だって思ってる。だから、困ったことがあったら相談してほしいな」
「…そうか。ありがとう」
私は少しだけ笑みを浮かべると、ハリーに背を向けて3階のトイレに急いだ。
意外だった。まさかハリーが私を『友達』だと認識していたなんて。てっきり、敵認定か知り合い認定だと思っていた。だが、私はハリーに対する態度を変えるつもりはない。ハリーは友達だと思っていても、私は彼を友達とは思っていないからだ。先学期末の出来事があってから、なおさら思えなくなってしまった。
『――さい。起きてください、主』
何かが私の腹の辺りを押している。うっすらと目を開けると、腹を押していたのはバジリスクだった。もちろん目はしっかり閉じられている。頭でそっと私の腹を押していたようだ。そうでなかったら、私は死んでいただろう。
『…なんだ、アルファルド』
『アルファルド?なんですか、それは?』
私は目をこすりってから伸びをする。どうやら、すっかり眠り込んでしまっていたらしい。
意外と『秘密の部屋』は快適なのだ。最初来た時は気が付かなかったが、少し中を探索していると、ここの入り口みたいに、蛇が絡まった彫刻が施された壁が見つかった。なので『開け』と蛇語で試しに行ってみたところ、壁が開いて『快適』としか言えなそうな部屋を発見したのだった。
部屋に入った瞬間、その部屋のランプがいくつも灯り、暖炉には自然と火が燃え上がる。机はオーク素材のアンティークで、椅子はまるで大臣でも座りそうなイスだ。他にも家具は大方そろっていて、どれも銀と深緑で装飾されている高価な品だった。
トム・リドルはこの部屋の存在を知っていたのだろう。色々と物色してみた判明したのだが、どうみても、この間の日記みたいな50年程前の教科書やノートがいくつか見つかったのだ。しかも、その中のいくつかの教科書の背表紙に記されている名前も『T.M.リドル』と記されてあったのだ。
彼の残したノートや教科書には、ちょっとした悪戯に使用できそうな呪文から生活に直結しそうな呪文、そして身の毛もよだつような闇の魔術も記されていた。
暇つぶしには丁度いい場所だ。バジリスクの様子も確認できるし。
どうやら、トム・リドルの過去のノートを読んでいる最中に眠ってしまったみたいだ。
『聞いているのですか、主?“アルファルド”とはいったい……』
『あぁ、少し前から考えていたアンタの名前。“バジリスク”って呼ばれるのは、つまり…私が“人間”と呼ばれているみたいな感じだろ?
だから、何か名前を付けようかと思って。とりあえず、ウミヘビ座の恒星からとって“アルファルド”。嫌か?』
そう言うと、バジリスクは一瞬息を止めた。だが次の瞬間、私の顔をペロンと長い舌で舐める。
『いえ、嬉しいです。それよりも主、そろそろ時間の方は大丈夫なのでしょうか?』
『…いや、大丈夫じゃないみたいだ。ありがとう、アルファルド』
時計の針は、もうすぐハロウィーンの宴会が始まることを教えてくれた。私は急いで片づけをする。
『大広間の出来るだけ近くまで送りましょうか?』
『頼む』
バジリスク、改めアルファルドの頭に乗せてもらうと、人間よりずっと早い速度で移動し始めた。通り慣れているのであろう。数多のパイプを目をつぶって通り抜けていくアルファルド。
少し喧騒が耳につくようになってきた。恐らく、このパイプの向こう側には、大勢の生徒が話しているのだろう。パイプを何かが通っているということを知らずに。
『この辺りですね』
『ありがとう、もう帰っていい』
人の足音が聞こえないことを確かめると、私はパイプから外に出た。外には誰もいなかった。ここなら5分もたたない間に大広間まで辿りつける。
私は人混みに紛れるようにして、大広間に入った。例年通り、何百ものくり抜きかぼちゃに蝋燭の灯り、生きたコウモリが群がり飛んでいた。燃えるようなオレンジ色の吹き流しが、荒れ模様の空を模した天井の下で、何本も鮮やかな蛇のようにクネクネと泳いでいた。
「どこに行っていたの!?せっかく『ハニーデュークス』のお菓子を買ってきたのに!!」
スリザリンのテーブルに着くと、真っ先にパンジーが怒ったような感じで話しかけてきた。ドンっと、リンゴが5個くらい余裕で入りそうな袋を私の前に置いた。中を開けてみると、鮮やかな色どりの菓子が詰まっていた。
「私とミリセントからは、これ」
『悪戯専門店ゾンコ』と印刷された袋を渡してくるダフネ。中には『クソ爆弾』が入っていた。ニヤニヤとミリセントが笑う。
「セレネって優等生だからこういうモノ持ってないと思って」
「優等生、私が?」
そういうと、ミリセントは少しムスッとした表情を浮かべる。
「セレネが優等生じゃなかったら、誰を優等生だって言うの?セレネは成績もいいし、規則を破ったことないじゃない!」
私は苦笑した。規則なら何回か破ったことがある。立ち入り禁止の4階に入ったりとか、夜中に抜け出したりとか。
ドラコからは何か液体が詰まった瓶を貰った。触ってみると、ホッカイロみたいに温かい。
「『3本の箒』で売っている『バタービール』だ。甘くて寒い冬にはちょうどいい。マグル界にはないだろ?」
私はこっくりと頷き、同意を示した。実際にこれを夕食の時に飲んでみたのだが、身体の芯から温まっていく気がした。この飲み物が、マグルの世界にもあったらいいのにと思う。いつか、義父のクイールにも飲ませてあげたい。
「おい、どうもセレネがいないと思ったら…お前、行けなかったのか!?」
席について小説を読もうとしていたノットが、驚いた顔をして私を見ている。私は怪訝そうな顔をした。
「私は『吸魂鬼』に非常に弱いから『ホグズミード』行きが許可されていない。言わなかったか?」
「いや、知ってた。だが、それはもう解除になったと…」
ノットがザビニの方をチラリと見た。ザビニはノットにお構いなく黙々とパンプキンシチューを口に運んでいる、ように見えたのは一瞬で、笑いをこらえるように微かに震えていた。
「…おい、ザビニ。お前、嘘ついたな」
「嘘はついていない。ただ『セレネは“ホグズミード村”行きを許可された』って言っただけだ。『“誰に”許可された』とは言ってないけど」
「…俺で遊ぶな、ザビニ!」
ノットが怒って、ザビニが取ろうとしていた最後のクロワッサンを手に取った。ザビニが怒ってノットに言い返す。ちなみに、パンジーはドラコの世話を焼き、ミリセントがそれにちょっかいを出し、パンジーとミリセントも口喧嘩に発展していた。だが、ノットとザビニの口喧嘩も、パンジーとミリセントの口喧嘩も、どこか楽しそうに、ふざけ半分といった感じで喧嘩していた。
不幸なのは、ドラコかもしれない。2人の間に挟まれているドラコは煩そうに耳を押さえている。医務室にいるというクラッブとゴイルも不幸かもしれない。だが彼らの場合、ホグズミードで食べすぎて腹を壊したそうなので、自業自得だろう。
「あれ、セレネ、どうしたの?なんか楽しそうじゃないけど」
パンプキンパイに齧り付く手を止めたダフネが、私の顔を覗き込んできた。
「いや、楽しいし、貰ってすごくうれしい。ただ、ことわざで『2度あることは3度ある』というのがあるだろ?今年もハロウィーンに事件が起きそうだなっと思っただけだ」
「いや、ないと思うよ。そう毎年事件なんて起きないよ」
クスクスっと笑うダフネ。まぁ、それもそうかもしれない。
1年生の時はトロール乱入。2年生の時はミセス・ノリスの石化。そう特殊なことが毎年、それもハロウィーンの日に起こるわけがない。私は、再び御馳走と向き合ったのだ。
実際に食事を食べ終わり、談話室に戻るときも何事も事件は起きなかった。腹も膨れ、そろそろ寝る支度をしようかと思い始めた時、事件が起こった。突然、『大至急、大広間に戻るように』というアナウンスが流れたのだ。
先程までの幸せそうな顔は消え去り、どの生徒の顔にも『戸惑い』の色が浮かんでいた。大広間につくと、すでにグリフィンドール生が集まっていた。彼らがヒソヒソと『恐怖』と『好奇心』に満ちた顔で話していることから推測するに、どうやら『シリウス・ブラック』が現れグリフィンドール寮に押し入ろうとしたらしい。
だが、合言葉を持っていなかったので入れず、その鬱憤に『太った婦人』というグリフィンドール寮の入り口となっている肖像画を破損させたそうだ。レイブンクロー生やハッフルパフ生が大広間に戻った頃、ダンブルドアが口を開いた。
「先生たち全員で、シリウス・ブラックの捜索をせねばならん。気の毒じゃが、生徒諸君には安全のため、ここに泊まることになるのう。監督生は交代で大広間入口の見張りに立ってもらおう。主席の2人に、ここの指揮を任せようぞ。何か不審なことがあればゴーストを連絡役として、ワシに知らせるように」
ダンブルドアが話している間、大広間の戸をマクゴナガル先生やフリットウィック先生が閉めていた。
監督生の何人かが立ち上がり、大広間の入り口のところへ向かっていくのが見えた。恐怖と責任とで固い表情をしている監督生達中に、シルバーの姿もあった。彼だけがめんどくさそうな表情を浮かべ、やる気がなさそうに歩いていた。そんなシルバーとは対照的に、グリフィンドールの赤毛の首席は、厳めしくふんぞり返っており、やる気に満ち溢れていた。
「おお、そうじゃ。必要なものがあったのう」
ダンブルドアが、はらりと杖を振った。長いテーブルが全部大広間の片隅に飛んでいき、きちんと壁を背に並ぶ。もう一振りすると、何百ものフカフカとした紫色の寝袋が床一面に敷き詰められた。
「ぐっすりお休み」
ダンブルドアは、大広間から出て行った。その途端、息を吹き返したようにガヤガヤと大広間中がうるさくなった。
「みんな、寝袋に入りなさい!さぁさぁ、おしゃべりは止めたまえ!!消灯まであと10分!」
赤毛の首席が、大声でビシリと叫ぶ。私は近くの寝袋を取って、額を集めて話し込んでいる同学年の輪に入った。『シリウス・ブラックがどうやって侵入したのか?』という議論がそこでは繰り広げられていた。パンジーとミリセントだけではなく、普段は興奮しないダフネでさえ、頬を紅潮させて議論に参加していた。
「変装していたんじゃない?」
「違うわよ、飛んできたのよ」
「『姿現し』じゃないかな?ほら、どこからともなく突如現れる瞬間移動の術」
「セレネはどれだと思う?」
パンジーが私に話を振ってきた。私は首を横に振る。
「どれも違うと思う。この城を護っているのは城壁にかかっている魔法だけじゃない。こっそり入り込めないように、ありとあらゆる場所に魔法がかけられている。ここでは『姿現し』は出来ないって、『ホグワーツの歴史』という本に書いてあった。それに、飛んできたとしても、変装してきたとしても『吸魂鬼』が気が付くはずだ」
「じゃあ、いったい…」
「おしゃべりは止め!灯りを消すぞ!!
全員寝袋に入って、おしゃべりは止め!」
天井を漂っていた蝋燭の火が一斉に消された。残った灯りは、フワフワと漂いながら、眠そうに顔を歪めているシルバー以外の監督生たちと深刻な話をしているゴーストと、白の外の空と同じように星が瞬く魔法の天井の光だけだった。薄明かりの中、ヒソヒソと流れ続けるささやき声。なんだか屋内にいるとは思えなかった。
それにしても、いったいどうやって入り込んだのだろうか。
牢獄『アズカバン』を抜け出した時に使った秘術を使ったのだと思う。だが…それにしても、なんで今日、ハロウィーンの日に来たのだろうか。ハロウィーンだと知っていたならば、生徒が誰も寮にいないことが分かるはずだ。まさかシリウス・ブラックは、『生徒』ではなく『生徒の持ち物』か何かが狙いだったのか?それとも、誰もいない今のうちに、寮内に何かを仕掛けておきたかったのか?
はたまた、本当に今日がハロウィーンだということを知らなかったのか?いや、ハロウィーンじゃなかったとしても、この時間帯は夕食の時間帯だって分かるはず。
とりあえず今度、アルファルドに『“部屋”に帰る途中で、何か不審な人の気配を感じなかったか?』と聞いてみよう。何か手がかりが分かるかもしれない。
私は考えるのを止めて、瞼を閉じると、一気に深い眠りへと落ちて行ったのだった。
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9月24日…一部改訂