こんなあっさりと背後を取られるとは思ってもいなかった。先程まで自分の後ろには誰もいなかったはずだ。背後にいるのは誰なのだろう。振り返ろうかとも思ったが、声をかけられたのではなく、そっと肩をつかまれたことで、始めて後ろに誰かいるということに気が付いたのだ。バジリスクみたいに相手の眼を見た瞬間、殺されてしまうかもしれない。
「誰だ」
私は振り向かないで問う。
「警戒心が強いのぉ」
ものすごく聞いた覚えのある声が、背後から聞こえる。
「万が一ということがあるからな。杖や殺傷能力がある武器となるモノを全てを捨てな。私から見える位置に」
するとカランっと乾いた音を立てて、長めの杖が私の足元に転がった。ナイフと杖を構えたまま、ゆっくり振り返ると、そこにいたのは本当にダンブルドア先生だった。肩に深紅の鳥を止まらせている。あまりにも無法備すぎる雰囲気を漂わせていた。
「久しぶりじゃの、セレネ。最後にこうして話したのは、ちょうど1年近くまえじゃな」
そう言ってニッコリ笑いながら冷たい手を私の肩から退けるダンブルドア先生。その眼に敵意は見えなかったが、私はナイフも杖も下ろさなかった。
「ハリー達が倒れているのは、先生の仕業ですか?そもそも、なぜ私の背後に立つことが出来たのです?」
もし、『透明マント』や『めくらましの術』を使って他人の眼には見えなくなったとしても、私の『直死の魔眼』はそれを見通すことができる。いくら本人が隠されていても『マント』や『術』には『寿命』があるので『死の線』が見える。ハリー達を倒した後、私の後ろに立つまで、私がそれに気が付かなかったということはありえない。
「フォークス、つまり、わしの不死鳥は瞬間移動が出来るんじゃよ」
そう言いながらダンブルドアの肩で羽を休めている不死鳥(フォークス)を撫で始めた。フォークスは気持ちよさそうに鳴き声を上げた。
「ハリー達にはもう少し眠ってもらおうと思ったのじゃよ。君と話すためにのぉ、セレネ」
「私と話すためですか?」
「いかにも。この先で何があったのか教えて欲しいのじゃ」
真剣な目でじっと睨むようにして私を見てくるダンブルドア。私の『眼』の蒼い色とは違う青い色をした瞳で見つめられると、身体がビクリっと震えた。なにも後ろめたいことはしていない。だが、悪寒が奔ったのだ。
私は包み隠さず、『秘密の部屋』で起こったことを話す。どうせ隠したところで、この人は相手の心を読むことができるのだ。なら、変に隠すより隠さず話した方がいい。
「―――それでジニー・ウィーズリーと一緒にここまで出てきました」
「なるほどの」
うんうんっとうなずくダンブルドア先生。先程まで微笑んでいた先生の顔が、わずかに辛そうに歪む。
「非常に言いにくいんじゃが、ここであったことは誰にも口外しないと約束してくれないかのぉ?君の友人のミス・グリーングラスにもミス・パーキソンにも、他の誰にも話してはならんのじゃ」
「別にかまいません。元から話すつもりはありませんでしたし。私がここに来た理由は、私の所有物であるバジリスクを汚されたくなかったからです。だから、これ以上、変に目立ちたくないので口外することはないでしょう。
だから私に口止めをするより、そこで眠っているジニー・ウィーズリーに約束させた方がいいのではありませんか?」
未だ眠ったように気絶しているジニーは、他の人に何があったのか話すと思う。つらい経験だったので、話したがらないかもしれないが、両親や兄たちのように身内には話してしまいそうな気が何となくした。
「そうじゃな。君は先学期、ハリー達は点数がもらえたのに、君だけもらえなかったことを誰にも言わんかった。もちろん、そのことを不平に思ったじゃろうが。
君は目立ちたくなかったので、誰にも言わんかった。確かにジニー・ウィーズリーと約束した方がいいのかもしれんの」
先学期末のことをダンブルドアが口にした時、すっかり忘れていたあの時感じた不快感が、また沸々と湧き上がってきた。それが顔に出たのだろうか。ますます申し訳ないという顔になるダンブルドア先生。
「悪いが先学期末と同じ思いを、またしてもらうことになるのじゃよ」
本当にすまなそうな顔をするダンブルドア。私は、思いっきり眉間にしわを寄せた。
「同じ思いとはどういうことですか?もしかして、また、私がやったことを全てハリーがしたことにすり替えるのですか?」
「つまり君は、ワシがハリー達の記憶を書き換えたといいたいのじゃな。なぜそう考えたんじゃ?」
驚いたそぶりも見せず、ダンブルドアはまっすぐ私を見て、落ち着いた声で尋ねてきた。私は、前々から考えていた推測を口にした。
「ハリー達の私に対する態度です。特にハリーの態度が気になりました。
この1年間、ハリーは1度も私に対して『どうやってクィレルを倒したのか』と聞きませんでいた。それに、あの時、ハリーは私の眼が『魔眼』の影響で蒼くなっているのを目撃してます。それについても、何も尋ねてきませんでした。全てダンブルドア先生が私の許可なしに、この『眼』のことや、クィレルをどうやって倒したのかを話したのかとも思いましたが、それにしても、私に対する態度が全く変わらないことに違和感があります。
それからもう1つ、たった今、気が付いたことがあったんです。
なぜ、昼近くに魔法省に出かけて行ったダンブルドア先生が、夜中になってようやく帰ってきたのでしょうか?移動に時間がかかるというのは、ありえません。その不死鳥の力を使えば、あっという間に魔法省に行けるはずです。それに、あの罠ですが、ハリーがハーマイオニーやロン・ウィーズリーと協力すれば通り抜けられる罠でした。『ケルベロス』の弱点は調べれば出てきますし、いざとなったら彼らと仲がいいハグリットから聞き出せる可能性があります。
『悪魔の罠』は授業で習ったことでしたし、空を飛ぶ鍵を捕まえるのに必要な箒は用意されていました。
チェスはロンが得意だったらしいですし、トロールは元から倒されていたそうですが、以前、彼らはハロウィーンの時にトロールを退治しています。
それに最後の論理問題はハーマイオニーの得意な分野です。先生は、ハリーがハーマイオニーやロンの力を借りてクィレルを倒すように仕組んだのではないでしょうか?」
ダンブルドア先生は何も答えない。ただ黙って聞いている。否定もせず、肯定することもなく黙っている。私は、言葉を紡ぎ続けた。
「もし、先生がハリー達の記憶を書き換えて、クィレルを倒したことをハリーの手柄に書き換えたのなら、ハリーが他の2人より10点高い点を貰えたことが分かります。私があの場にいなかったら、ハリーがクィレルを倒していたはずなので。
それに、彼らが私に何も質問してこないのも分かります。ですが、1つだけ分からないことがあります。それならどうして私の記憶を消さなかったのでしょうか?私が全てをばらしてしまうかもしれなかったかもしれませんのに」
ダンブルドアは重い腰を上げるような感じで、ようやく口を開いた。
「君はクィレルを倒したことを口外しないと分かっていたからじゃよ。
君がクィレルを倒したということにしてしまうと、その眼のことを話さないと行けなくなってしまうからのぉ。それに、仮に話したとしても、その話を信じるのはスリザリン生だけじゃ。あの状況でそれを口にしたとしても、他の寮の生徒たちは、“セレネがでっち上げた作り話”だと思うに違いない。第一、ミス・グレンジャーもミスター・ウィーズリーも、もちろんハリーも君が、その場にいたということを忘れているからの」
「では、本当に彼らの記憶を書き換えたんですね?それで、今回も書き換えようとしている」
目の前にいる老人が、私の手柄を全てハリーの手柄にしようとしている。別に私としては目立ちたくないのでいいのだが、どこかムカムカしてくるものがあった。
「いかにもその通りじゃ。今からその術をハリー達にかける」
「なら、なんで私にもかけないのですか?」
「君が口外しないということもあるのじゃが。君にはかけられないのじゃよ。何故だかは分からんが『忘却術』のように記憶を操る術がのぅ」
すまなそうに言うダンブルドア。ごそごそとローブの中から何かを取り出そうとしている。
「君も見たと思うが、ヴォルデモートは生きている。そして何らかの策を講じて必ず復活し、ハリーの命を狙ってくる。
だからわしは今の内からハリーに対策を授けなればならなのじゃ。本や口頭で授けてもよいのじゃが、1番効果がある授け方は実戦じゃ。だから、クィレルと対決できるような罠をわしが用意した。本来ならもっとマクゴナガル先生のチェスの難易度は高め設定じゃったし、スプラウト先生も『悪魔の罠』の他にも植物系の罠を用意しておった。フリットウィック先生も他にも仕掛けを施していたのぉ。スネイプ先生の論理ももっと難易度が高い問題じゃった。
わしは先生方が知らないうちに、罠の難しいところは取り除いておいたのじゃよ。それに、『賢者の石』を使おうとはせずに、純粋に求める者にしか『石』を取り出せないような仕掛けをわしが作っておいたからの。罠の難易度を多少低くしても、クィレルが『石』を手に入れられない事実には変わりないんじゃ。
おっ、これじゃこれじゃ」
ダンブルドア先生が取り出したのは眼鏡ケースのようなものだった。実際に先生が開けてみると、そこには眼鏡が入っていた。このタイミングで何で眼鏡が出てくるのだろう?私は少し警戒するように、後ずさりした。
「先学期末の侘びと今回の侘びじゃ。この眼鏡をかけてごらんなさい」
そう言いながら、眼鏡ケースを渡してきた。
「私、視力は両目とも1.5です」
「それは視力を補うためのモノではない。君の眼の能力を封じるためのモノじゃ」
「能力を封じるため?」
「さよう。君の能力は脳の負担にはならんのじゃが、常に『死』を意識しなければならないとは通常ありえない事なのじゃ。現に君はそろそろ参っているのではないじゃろうか?じゃが、この眼鏡をかけている間だけ『直死の魔眼』の効果は封じられる」
疑うようにしてもう一度ダンブルドアを見たが、ダンブルドアの眼は嘘をついているようには見えなかった。その眼鏡をかけてみて、目を丸くしてしまった。
先程まで、そこらじゅうに漂っていた『死の線』が跡形もなく消えたのだ。まるで、何もなかったかのように、綺麗さっぱり。ダンブルドアがニッコリ笑った。そして、再びローブの中を探り始める。
「本当は、もっと早くに用意出来たらよかったのじゃが。なかなか交渉が進まなくてのぅ。なんとか交渉成立したのが、つい先日だったんじゃよ。今日からつけていたら怪しまれると思うから、つけるのは夏休みが明けてからにするんじゃぞ」
そう言うと、今度は小さな砂時計を私に渡してきた。
「そしてこれは『逆転時計』という品じゃ。1回ひっくり返すと1時間だけ戻すことができる。今からこれを2回ひっくり返して寮にまっすぐ戻るのじゃ。そうすれば、寮の人に『どこ行っていたのか』と尋ねられることはないじゃろう」
つまり先生はこれで過去に戻り、記憶の改変を終えたハリー達が、同じく記憶を変えられたジニーを連れて帰って来るのを待っていろ、ということか。その代り、この眼鏡を貰える。『魔眼』を殺してくれる眼鏡を。
私は2回、逆転時計をひっくり返した。
暗いトンネルが溶けるようにしてなくなった。目の前にいたはずのダンブルドアがあっという間に霞になって消えてしまった。まるで自分が後退していくような感覚がした。
そして、しばらくたつと、また周囲がはっきり見えてきた。ダンブルドアの姿はなく、ハリー達の姿も見えなかった。腕時計を見ると、時間は2時間前、ちょうどマクゴナガル先生の放送が流れる数分前だった。ということは、この奥にトム・リドルがいる。死んだように眠るジニーと一緒に。
トイレから出て寮に戻る途中、マクゴナガル先生の放送が流れた。私は寮に急ぐ人たちに紛れて戻る。しばらくしてからダフネ達が戻ってきた。一旦教室に戻った私が先についているのでびっくりしていた。だから『抜け道を使った』といっておいた。
スリザリン生全員が談話室に集結していたので狭くてガヤガヤしていたが、いつになく深刻そうな顔をしているスネイプ先生が『生徒が1人“秘密の部屋”にさらわれた。明日1番のホグワーツ特急で全員帰宅すること。学校は閉校する』と言ったとき、寮がシーンとなった。まさか『閉校』という事態になるとは思わなかったのだろう。皆、思ってもみなかった展開で呆然としていた。
ドラコも『こんなことになると思っていた』と得意げに言っていたが、顔が少し強張っていた。
さらに3時間ほどした頃、スネイプ先生がまた戻ってきて『“秘密の部屋”は閉ざされた。攫われた子は無事だ。今から宴会をやるから大広間に来い』と言ったとき、談話室に残っていた人達が歓声を上げた。
みんなホグワーツに残りたかったのだ。
ハリーとロンが事件を解決して、『ホグワーツ特別功労賞』を受賞し、さらにグリフィンドール寮の点数が400点加点されたことでグリフィンドールが昨年同様、優勝した。スリザリン生はそれに不平に思う人もいた。しかし、それよりもホグワーツが閉校しなかった事と御馳走を食べられることが嬉しいのだろう。不平に思っている生徒の顔も嬉しそうに笑っていた。
何も知らないハリーやロン…他の人たちがはしゃぎまくっているのを見ると、少し胸がもやもやした。
眼鏡のおかげで来年からは気を張らずに生活できそうだが、これで本当によかったのだろうか。目立たなくて済んでよかったが、これで本当によかったのだろうか。なんだかダンブルドアが仕組んだレールの上を歩いているような気がした。後悔の2文字が、脳裏に少しだけ横切る。
この宴会で、1番もやもやしないで心から良かったと思えることは、ロックハートが記憶喪失になってしまったそうなので、学校から去らなくてはならないうことだ。来年はもっとましな先生が来ることを期待する。
せっかくの御馳走も喉をあまり通らないまま、私は帰りのホグワーツ特急に乗ることになったのだった。