今日は2月14日のバレンタインデーだ。
だからといって、私には恋人がいるわけではないので特に何かあるわけではない。いつも通りの朝を迎え、ダフネの支度が終わるまで、本に目を落としていた。
「セレネ、行こう!」
髪をシュシュで2つに結わき終えたダフネが私を呼ぶ。私は読んでいた本をパタンっと閉じると、ベッドから立ち上がった。
「さっき何を読んでいたの?」
「ん……あぁ、クリスマスに父さんがくれた『竹取物語』って本。日本の童話みたいなものらしい」
「へぇ、童話か…」
懐かしそうな顔をするダフネ。きっと、自分が読んだ童話のことを思い出しているんだろう。
「そういえば、母様が寝る前に読んでくれたな……『ぺちゃくちゃウサちゃんとぺちゃくちゃ切り株』の話。あの話が私、大好きだったな」
「それって、どんな話なんだ?」
聞き覚えのない話だったので内容を尋ねてみると、少し前を歩いていたダフネが驚いたように振り返ってきた。歩みを遅めながら、まじまじっと私を見てくる。
「知らないの?有名だとおもったけど…。ほら、『吟遊詩人ビードルの物語』だよ。子供の昔話はみんなビードルじゃない。聞いたことないの?」
「…あのな、私はマグルに育てられたんだ。魔法界の童話は知らない。知っている童話といえば、『長靴をはいた猫』とか『赤ずきん』とか『灰かぶり』とかだ」
「なにそれ?」
珍しいモノを見るような目で私を見てくるダフネ。きっと、魔法界の童話がマグル界にないように、マグル界の童話は魔法界にはないのだろう。久々に文化の違いというやつを感じた気がした。
「猫が人間の長靴を履けるわけないと思うけど。だってサイズが合わないし」
「いや、童話だから有りだろ。それを言うなら、切株がしゃべるわけがないと思うが……」
私は思わずここで動きを止めてしまった。ダフネも少し驚いたみたいで、一瞬動きが止まっていた。
私達は話しているうちに大広間にたどり着いていた。道を間違えたわけがない。どう考えても目の前に広がるのは大広間だ。だが、部屋を間違えたかと思った。それとも、私の目がおかしくなったのだろうか。
壁という壁がケバケバしい大きなピンクの花で覆われ、おまけに淡いブルーの天井からは、ショッキングピンク色でハート型の紙吹雪が舞っている。
「え、えっと…なんか凄いね、セレネ。たまにはいいかもしれないけど。でも、私の趣味とはちょっと違うかも」
「……」
私はあきれてものが言えなかった。ダフネも戸惑いが隠せないみたいでオドオドしている。
周りの風景を一切無視することにして、スリザリンのテーブルに向かう。スリザリンのテーブルにはすでにパンジー達が座っていた。パンジーとミリセントは楽しそうにクスクス笑いをしている。だが、反対にドラコやノットたちは、アホらしい、という顔でソーセージについた紙吹雪を払いながら食べていた。
まったく、一体誰が大広間を装飾したのだろうか?そもそも去年はこんなこと無かったはずだ。…ということは…
「バレンタインおめでとう!」
教職員テーブルについていたロックハートが叫んだ。この大広間の装飾とぴったりあった目が痛くなるようなピンクのローブを着ている。笑顔でどや顔をしているロックハートとは違い、他の先生方は石の様に無表情だった。
「今までのところ、46人の皆さんにカードをいただきました。ありがとう。そうです!みなさんをちょっと驚かせようと、私がこのようにさせていただきました。
しかも――これだけではありませんよ」
まだ何かあるのか。そう思ったとき、大広間に何かが入ってきた。入ってきたのは無愛想な顔をした小人が12人。どう考えてもロックハートが小人全員に金色の翼をつけ、ハープを持たせていた。
「私の愛すべき配達キューピッドです!
今日は学校を巡回して皆さんのバレンタイン・カードを配達しますよ!
先生方もこのお祝いムードにはまりたいと思っているはずです!
スネイプ先生に『愛の妙薬』の作り方を教えてもらったらどうですか?『魅惑呪文』について、フリットウィック先生は私が知っているどの魔法使いよりもご存知ですよ」
フリットウィック先生は、あまりのことに両手で顔を覆い、スネイプ先生の方は『愛の妙薬を貰いに来たら毒薬を代わりに飲ませてやる』という感じの表情をしていた。この間の決闘クラブの時ほどではないが、殺気を感じた気がした。
その日はロックハートが、本当に周りの状況が読めてないなっと再確認できた日だった。
小人たちが1日中教室に乱入し、カードを配り始めるので、そのたびに授業が中断される。
先生たちはうんざりとした顔をしていた。せっかく集中して授業を受けているのに、微妙なところで中断されると少しイラッとする。それに、小人たちが出て行った後の先生の機嫌が悪いので、再会された授業はピリピリとした空気が漂っているのだ。
変身術のときに小人が乱入した時、マクゴナガル先生の手がピク、ピクっと杖の方に動きそうになるのを堪えている姿を目撃した。
「あ、悪い!忘れ物したから取ってくる」
薬草学の授業に向かう途中で、『妖精の魔法』の教室に本を忘れたことに初めて気づき、ダフネ達と別れ階段を全速力で駆けあがる。
いつもは忘れないのに、何で今日に限って忘れたのだろうか。心の中で、ため息をつきながら階段を上りきると、突然、目の前に教科書が現れた。
「これ、忘れものッスよね?」
教科書を私の目の前で掲げていたのは、決闘クラブで一緒になったシルバー・ウィルクスだった。私はぺこりと頭を下げると、教科書を受け取る。
「ありがとうございます。それじゃあ…」
「そういえば、君…決闘クラブの数日前に、急に家に帰ったみたいだけど、どうして?」
「親戚の葬式があったんです」
私は平然を保っていたが、内心では驚いていた。まさか、レイブンクロー生が知っているとは思いもしなかった。
「ふーん、葬式ねぇ…。もしかして、エーデルフェルト家の葬式?」
「…あの家、有名だったんですか」
魔法界では、有名な家柄なのだろうか?だが、魔法使いらしい人影はみなかったが…みんな普通の喪服だったし。
すると、シルバーは面白そうな笑みを浮かべたまま、頭をフルッと横に振った。
「いや、有名じゃ無いっスよ。むしろ無名…こっちでは」
言葉の後ろの方を低くして話したシルバー。むしろ無名…ということは、マグル界で有名ということか?だが、そんな家の名前を聞いたことがないから、マグルの裏世界では有名ということか?…いや、そんな裏世界にあるような家とクイールが繋がっているとは思えない。
「…なにが言いたいんです?」
平静さを保ちながら、笑顔で尋ねる。シルバーは笑顔を崩さない。
「別に。あそこの新頭首は片割れだけど、名門だから簡単にはつぶれないから頼る価値はあるだろうなぁって思っただけ」
「頼る?私は頼るつもりなんて毛頭もない」
そう言うと、シルバーは声を出して笑い出した。私は浮かべた笑みを引っ込めて、思いっきりシルバーを睨みつけた。
「何がおかしい」
「ははは…ごめん、ごめん。ちょっと意地悪しただけ!やっぱり面白いな、学校ってさぁ。いろんな人がいて、いろんな考えがあって、そして――」
そのあとの言葉は聞こえなかった。
ガラガランと何かが崩れ落ちる音が前の方が、シルバーの声をかき消す。私とシルバーは、ほぼ同時に前の方に走り出した。
音がしたと思われる周辺の廊下には、渋滞して人だかりができてしまっていた。
私が人混みの間を縫って前に出ると、そこにはハリーが教科書を拾い集めていた。どうやら、鞄が壊れてしまったらしい。黒いインクや赤いインクも零れてしまっているので、本が赤く染まってしまっている。
そして、ハリーの足元にいるロックハートの小人がいた。どういう経緯で鞄が壊れたのかは分からないが、確実に小人がかかわっていると思う。小人は逃げようとするハリーの足首をがっちりつかんでいた。
災難だな、ハリー。
助けようかとも思ったが、生憎と助けられるような魔法が咄嗟に思いつかなかった。必死で逃げようとしているハリーが逃げ出せないくらい強い力で小人はハリーの足を握っているので、私の力では引きはがせないだろう。
『眼』を使えば助けられると思うが、あまり『眼』を人前で見せたくない。
何かいい方法はないかとあたりを見わたしていると、赤いインクの海に浮かんでいる一冊の古ぼけた日記帳に目が留まった。
他の本はインクまみれなのに、その日記帳だけどこも赤く染まっていない。
他の人の目がハリーに向けられている間に、こっそり日記帳を取り上げる。
ずいぶんと古いモノだ。
表紙に書かれている年度は50年前のモノ。最初のページをめくってみると、『T.M.リドル』という名前が記されてあった。
50年前と言えば、ちょうど前回『秘密の部屋』が開かれたときだと、ドラコが教えてくれたのを思い出す。中を見るのはまずいと思いながらも、ざっとめくってみる。
しかし、何も書かれていない。どのページも白紙だ。
なぜ何も書いていないのだろう?他の人が見た時に中身がわからない様に、魔法をかけてあるのだろうか?
「セレネ、その日記帳返してくれないかい?」
ハリーが言う。少しよそよそしい感じがするのは、気のせいではないだろう。彼はクリスマスの日にクラッブとゴイルに変身して、スリザリンの談話室に来たのだ。そして、その時に私が『スリザリンの継承者』だということを知ってしまったのだから。
たぶん、彼らは『ばれていない』と思っているのだろうが、顔の表情のみればすぐにわかる。本物のクラッブとゴイルの方が、もっと…あまり言い方ではないが『愚鈍』そうな顔をしている。
面会が出来なかったので、夜中にこっそり蛇のバーナードをケージからだし、代わりにハーマイオニーの様子を見て来てもらったところ、『半猫』状態のハーマイオニーが寝ていたそうだ。
それが決定的な証拠だ。
恐らく、変身に失敗したのだろう。ポリジュース薬の材料、たぶん変身しようと思っていたミリセントの髪の毛と、彼女の飼い猫のキャシーの毛を間違えたのだと思う。
ハリー達が私の血筋を知ってしまって、何かが変わるかもしれないと思ったが、彼らは誰にも言わなかったらしく、噂は他の寮に広まっていなかった。
「あぁ、ごめん。どの本もインクまみれだったから拾うのを手伝おうと思ってね」
ハリーに日記帳を手渡しする。
「聞きたいことがあるのだが、その日記帳をどこで手に入れたんだ?」
ハリーは言うべきか言わぬべきが迷っている顔をした。そして決意したように口を開いたその時……
「ほら、もう5分前のチャイムは鳴っているんだ!はやく教室に急いだ方がいいぞ!」
赤毛の監督生が大声で叫んだ。確か、グリフィンドールの監督生だった気がする。ハリーはモゴモゴと拾ってくれた礼を私に言うと、ハーマイオニーやロンと一緒にさっさとどこかへ行ってしまった。
代わりに、先程の出来事を見ていたドラコが取り巻きのクラッブ・ゴイルと一緒に近づいてくる。
「ポッターの日記帳には何か書いてあったか?」
足早に『薬草学』の教室に向かいながら興味津々に聞いてくるドラコ。
「何も書いてなかった」
「なんだ。残念だな」
少し残念そうな顔をするドラコ。
ちなみに後ろの子分どもは、無表情だった。
それにしても、なぜ50年前の日記を持っているのだろう?それも何も書いていない捨てられてもいいような日記を…
「『T.M.リドル』」
もう、どこかに行ったと思っていたシルバーが、私にだけ聞こえる声で呟いた。ちなみに、ドラコはクラッブと何か話しているみたいで、気が付いていない。私はドラコ達の方を向いたまま、シルバーにだけ聞こえるくらいの声で尋ねた。
「…知り合いですか?」
「いや。名前を知ってるだけ。…きっと、君も知っている名前だと思うッスね。いや、君だけじゃない」
何か含んだような笑顔を浮かべたまま、シルバーは去って行った。
遠くで授業開始のチャイムが鳴ったような気がする。…いろいろと調べてみることがありそうだと感じながら、ドラコに急かされ『薬草学』の教室をくぐったのだった。