『忘れ薬』に関するレポートをようやく書き終えて、ぐぅっと伸びをした。
まったく、せっかくの夏休みだというのに宿題が多い。もうすぐ他の宿題も終わりそうだが、正直な話、家の家事もやらないといけないので、休む暇がなかった。
夏の休暇に入っていたので、私は家に帰ってきている。
ダフネやパンジーやドラコやノット達に『家に遊びに来ないか』と誘われたのだが、ほっといたらいつまでも仕事をしてしまい生活がおろそかになってしまいがちな養父、クイールの側を離れるわけにはいかないので、断ってしまった。というのは建前で、実際には久々に気が置けない家で、のんびりと約2か月を過ごしたかったからだが。
もっとも、ダフネ達の一家は皆、『純粋な魔法族以外との付き合いは認めん』という家だ。魔法族とマグルの混血児である私は、どっちにしろ彼女たちの家族によって門前払いをされてしまっていたかもしれないので、結果は同じだったかもしれない。
家に行けなかったとはいえ、たびたびフクロウのアクベンスを飛ばして手紙のやり取りをしていたので、交流はある。ミリセントが『猫』を飼ったとかで、その猫と一緒に写した写真を送ってきてくれたことがあった。魔法界の写真は動く。それを初めてみたクイールは驚きのあまり腰を抜かしそうになっていたことは記憶に新しい。
「やばいな、夕飯の支度しないと」
気が付くともう辺りは暗くなっていた。ポツリポツリと街頭に灯りがともり始めている。よほどレポートを書くことに集中していたのだろう。壺に入ったインクがかなり少なくなっていた。
「セレネ、今日はたまには外食しないかい?」
軽くノックをしてから部屋のドアを開けたのは、養父のクイールだった。
100人に尋ねれば100人が口をそろえて『平凡』という特徴のない顔の持ち主の彼だが、小学校教師としては一流だ。私の(自分でも自覚している)12歳らしからぬ思考は、この人物に育てられたからだろうと容易に想像がつく。そうでなけでば、もう少し子供らしいところもあったと思う。
「まぁたまにはいいと思う」
「本当かい?じゃあ10分後に出発しよう!
実はさっきベルベット夫人から『久しぶりに会いませんか?』という誘いがあってね。だから、一緒『日本料理屋』に行くことになったんだ」
ニッコリと笑うと部屋を出ていくクイール。ベルベット夫人というのはクイールの古い友人で、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している老女だ。私よりも少し年上の彼女の息子とも顔見知りで、たまにメールのやり取りをしていた。たしか、母親の方は日本好きだけど、息子は『日本が好きではない』とメールに書いてあったような気がする。
それにしてもクイールは、日本が大好きだ。大学では教育学の他に東洋史、特に日本史を専攻で学んでいたからだろう。私も彼に連れられて何回か日本に行ったことがあるし、彼の影響で日本語が片言なら話せるが。『こいつの前世って日本人だろ』と疑うくらい、彼は日本について詳しい。
「ん、どうしたんだアクベンス?」
窓を閉めようとしたときに、フクロウのアクベンスが何かを加えて戻ってきた。筆跡を見ると、友人のハーマイオニーからの手紙だった。
彼女は私と同じマグル出身なのだから、手紙ではなく電話でも平気だと思うのだが。細かいところのツッコミはしないでおこう。
もう出発の時間だったので手紙を持ったまま車に乗り込んだ。クイールからは『車の中で文字を読むと酔うぞ』と言われたが、手紙の厚さから考えるに、書いてあることは多くないと判断したので、忠告を無視して読むことにする。
彼女からの手紙は、細かい字でびっしりと文字で書いてあった。一瞬引いたのだが、一度開いてしまったので読むことにする。
≪セレネへ
セレネ、元気?
わたしは今、勉強でとても忙しいのだけれど。でも、気になることがあったので筆をとりました。
実はわたし、わたしだけじゃなくてロンもなんだけど、ハリーに手紙を書いているのに1枚も返事が来ないの。もしかしたらセレネもそう?
ハリーの話だと、セレネってハリーのおじさんとおばさんのことを知っているんでしょ?そのつてでハリーと連絡を取ってほしいんだけど。
このままだと、ロンが、『魔法の車で夜中に迎えに行く』とか言っていて。そんなの危ないでしょ?もしマグルに見られたら、それこそ退校処分だわ!!
出来るだけ早くに連絡を取ってもらえたら嬉しいです。でも、無理ならあきらめます。
じゃあまた今度会いましょう!
ハーマイオニー・グレンジャー≫
ため息がこぼれそうになった。
つまり私を(彼女にそんなつもりはないと思うのだが)パシリにさせようということか。
まったく、なんで私がそんなことをしないといけないのだ。
確かにハリーの養親とは面識がある。彼の養父の妹のマージョリーという金持ちが近所に住んでいて、お世辞を言ったり機嫌を取ったりしていたおかげで、私は彼女に結構気に入られているのだ。数年前に彼女直々にハリーの養親一家を紹介してもらっていた。だから『一応』彼らの住所も電話番号も私の机の引き出しの奥底に眠っている。
だが、連絡なんて取りたくない。
マージョリーさんに気に入られすぎたせいで、彼女はハリーの養親の子供、つまりハリーの従兄のダドリーという金髪生やした豚小僧の嫁に仕立て上げようとしているのだ!
『先方の意見も尊重しないといけませんし……』
と断るつもりで言ったら、彼女は笑いながら
『大丈夫、ダッダーちゃんはアンタのことを気に入ってるから』
と笑顔で返されたのだ。あの時は本当に背筋が一気にゾワッと冷え、血の気が引いたのを、今でも覚えている。
だから私から連絡を取るということは好ましくない。絶対にあの豚と会話させられる羽目になる。生理的にあの豚は受け付けることが出来なかった。
ハリーのために、そんな不快な思いはしたくない。それにハリーと私は、そこまで友達ではないのだ。
彼の友達のハーマイオニーと私は友達だけれども、私とハリーは友達ではない。ただの『知り合い』だと私は認知している。だからハーマイオニーには悪いが、この話は断らせてもらうことにする。
手紙を読む限りだと、ハリーの親友の赤毛の子、ロンも何か策を講じているみたいだ。彼に任せることにする。
「何て書いてあったんだい?」
クイールが車を走らせながら聞いてきた。
「近況報告って感じかな」
私は窓の外の風景をぼんやり眺めがら答える。もうすぐ、クイールの言っていた新しい日本料理の店にたどり着く頃だろう。ハーマイオニーの手紙のことは忘れて、目の前の料理のことだけを考える私だった。
日課にしている朝のジョギングを終えて家に帰ると、少し嬉しそうな顔をしたクイールが封筒を3つ渡してきた。洗剤のお蔭で、白くてふわふわなタオルで汗をぬぐいながら、空いている手で宛名を確認する。
「1つは学校からで、残りは友達からみたいだよ」
クイールの言うとおり、1つの封筒には黄色味がかった羊皮紙の上に緑のインクで宛名が書かれてあった。新学期に必要な教科書のリストだろうか?そう思って封筒を開けると、思った通り教科書のリストだった。
ただ……
≪2年生は以下の教科書を新たに用意すること
・基本呪文集(2学年用) :ミランダ・ゴズホーク
・泣き妖怪バンジーとナウな休日 :ギルデロイ・ロックハート
・グールお化けとのクールな散策 :ギルデロイ・ロックハート
・鬼婆とオツな休暇 :ギルデロイ・ロックハート
・トロールとのとろい旅 :ギルデロイ・ロックハート
・バンパイアとバッチリ船旅 :ギルデロイ・ロックハート
・狼男との大いなる山歩き :ギルデロイ・ロックハート
・雪男とゆっくり1年 :ギルデロイ・ロックハート ≫
……なんなのだろうか、この本は。
表題(タイトル)から察するに、何かの物語のシリーズだろうか?主人公の男の子が伝説上の魔法生物と一緒に旅をしたり友情を深め合う、そんな話か?だが、そんな物語を授業で使うとは考えられにくい。同じことを覗き込んでいたクイールも考えたらしい。眉間にしわを寄せている。
「授業の一環で読書会でもあるのかい?」
「ない。たぶんこれは『闇の魔術に対する防衛術』っていう授業の新しい教科書だと思う」
「『教科書』?『鬼婆』や『バンジー妖怪』が出てくる教科書かい?」
「もしかしたら魔法世界には『鬼婆』も『バンジー』もいるのかもしれない。つい1か月前にはケルベロスを見たしな」
「『ケルベロス』!?」
クイールは目が落としそうになるくらい、目を開いた。そういえば、あの夜のことをまだクイールに話してなかった。私はあの夜のことをポツリ、ポツリと話した。
クィレルという人が、学校に隠されている『賢者の石』を狙おうとしていたこと。先に向かった友人(ハーマイオニー)達を追いかけるように禁じられた4階の廊下に足を踏み入れたこと。最初に立ちふさがっていた門番がケルベロスだったことを。
クイールは真剣な眼で聞いていた。
時折、うんうんと相槌を打ってくれる。私が言葉に詰まった時には、言葉を推測して助け舟を出して促してくれた。そして、そのままの流れで、あの場で起きた出来事全てを、クィレルを倒した(どう倒したかは言わない)ところまで話し終え口を閉じると、クイールは腕を組んだ。
「なるほど。伝説はやはり事実から作られているのか……」
「やはり?」
私が聞き返すと、クイールは『よくぞ聞いてくれた!』という顔をした。
「いいかい、伝説というのはケルベロスの件もそうだけど事実から作られているんだよ。例えば、僕がいま研究していることなんだけど」
そういいながら戸棚に向かい、なにやら地図を取り出すクイール。私の前で広げられた地図は、日本地図だった。なぜか『キュウシュウ』から『キョウト』の辺りまでしか載っていない。不良品だろうか。
「大昔、ほら、セレネが昔読んでいた『三国志』ってあるだろ?あの時代の日本に、卑弥呼っていう女王がいんだ。ただ、彼女が統治していた国が日本のどこにあるのかいまだにわからなくてね。僕は今、確証を得たよ!卑弥呼が治めていた邪馬台国があったのは『九州』なんだ!!」
そういうと、日本の南の方の大きな島『キュウシュウ』をトントンっと叩くクイール。私は眉間にしわを寄せた。
「なんでそう思ったの?」
「日本の古代の神話に『古事記』という、ギリシャ神話みたいなものがあるんだ。もちろん、神話だから完全にはあてにならない。だが、この書の中に『神武東征』という章がある。
これは天皇(エンペラー)の始祖が西から東へと拠点を移す話なんだけど、おそらくここは『邪馬台国』がのちの『大和朝廷』が置かれる奈良付近に拠点を移したことを暗に伝える箇所で……」
熱っぽく語るクイール。『ヤマトチョウテイ』とか『ヤマタイコク』というのが何なのかイマイチぴんとない。いつもなら彼の話に引き込まれていくのだが、今はそうではなかった。
学校の手紙と一緒に届いた友人、ハーマイオニー・グレンジャーとパンジー・パーキンソンからの手紙を早く読みたかったのだ。特にハーマイオニーからの手紙の内容が気になった。この間、ハリー救出の話を断る手紙を出したばかりで、その返事がまだだったから気になっていたのだ。
パンジーからの内容も気になる。
『純血以外の友達がいるって父上に知られたら面倒だから』ということで絶対に自分から手紙を出さなかった(それを知ってからは私も出さなかった)パンジーが、自分から手紙をよこすなんて珍しい。だからクイールには悪いが、はやくその話を終わらせてほしかった。
「―――それで実際に中国の記録と重ね合わしてみると、卑弥呼の時代に『皆既日食』が起こっていたらしいからね。ほら、全部ぴったり当てはまるだろ!!」
「ホントだ。伝説の中にも本当のことが混ざってるのかも知れないな」
そう言うと、嬉しそうにクイールはコクリとうなずいた。
「でも、こうなると九州より出雲の方がしっくりくるな……少し調べ直してくる」
そう言ってさっさと2階に駆け上がるクイール。バタンっと扉を閉める音が聞こえると、セレネも階段を上がりながら2つの手紙を読んだ。
………困った………
読み終えた感想は、『困った』としか表現できない。
なんと、2人とも≪水曜日にダイアゴン横丁で会わないか?≫という誘いの手紙だったのだ。
元々、『教科書のリストが今週中に届いたら、水曜日にロンドンへ行こう。その日は僕の仕事がないからね』とクイールと約束していたので日程的に問題はないのだが…問題はハーマイオニーとパンジーの仲が物凄く悪いということだ。まさに犬猿の関係といったら言い過ぎだと思うが、ハーマイオニーが『マグル出身』だから毛嫌いしているのが1番の原因だろう。
まったく、何故そこまで出自にこだわるのかが私にはわからない。貴族として育ち、貴族としての価値観しか持たないのだから仕方ないのかもしれない。なるべく早い段階で矯正しないと後が大変だ。万が一『マグル生まれを排除!』とか言ってパンジーが先導しマグル生まれを皆殺しにしてしまってからでは遅い。後の祭りだ。
でも、いったいどちらを取ることにしよう。私はベットに横になるとため息をついた。
『ため息をつくと幸せが逃げていくぞ』
ケージの中で、うっすら黄色い双眸を開けた蛇のバーナードがシューっとつぶやく。
ヘビに心配されるなんて。私はため息をつくと、バーナードのケースにマウスを放り込んだのだった。
「この人、父さんはあまり好きになれないな」
クイールがパタンっと『トロールととろい旅』をとじた。
結局、クイールに事情を説明してさらに次の週の水曜日にダイアゴン横丁に行ったのだった。
パンジーと行動をしたら、きっとマグルであるクイールは肩身の狭い思いをすることになるだろう。
私が母親(マグル)の血が入っていてもスリザリンの中で認められているのは、もしかしたら父親の血筋、魔法使いの血筋が入っているからだ。もっと詳しくいうと、蛇語を操れるので、もしかしたらスリザリンの末裔なのではないかといううわさが飛んでいるからだ。
それが一切ないクイールは、せっかくダイアゴン横丁という日常から離れた別世界にいるのに、その日1日きっとつらい思いをするに違いない。
だからといってマグルの親を持つハーマイオニーと行動することになると、彼女の手紙にも書いてあったがハリーやロンもついて来るそうだ。
正直な話、ロンのことがあまり好きではない。
彼の兄であるフレッドとジョージと私は、そこそこに仲がいいのだが、彼はいつも私を、明らかに嫌悪の色が強い目で見てくるからあまり仲良くなれそうになかった。きっと理由は私がスリザリン生だからだと思う。基本的には私は、自分の中で嫌いと分類される人とも仲良くできるが、ああも嫌悪丸わかりの眼で見られていたら気分が悪くなる。新学期始まる前からそんな不快な思いはしたくなかった。
結局、どっちに転んでも不快な思いをするのならばっと、思い切って別の日に行くことにしたのだった。
2人には『その日は近所のオバサンの昼食に招待されているからいけない』と言い訳をした。
それで無事に何事もなく帰ってきた私たちは、『ギルデロイ・ロックハート』という人が書いた本を読んでいるのだった。私は、そろそろ終章に差し掛かろうとする『雪男とゆっくり1年』から顔を上げた。
クイールも同じことを考えていたとは意外だった。私もあまりこの人が好きになれそうな気がしなかった。そういう顔をしていると、クイールが促してきた。
「どうしてセレネはつまらないと思った?」
「面白いか面白くないかと言ったら、どちらかというと面白い。でも、たぶんこの人が体験したことではないと思うから」
「どうしてそう思ったんだい?」
「勘。あと表現が足りなさすぎるんだ」
表紙に映って私にウィンクし続けているロックハートと思われる人物の顔を、私はポンポンっと軽く叩く。写真の中のロックハートは叩かれたことでびっくりしたらしく目を丸くさせていた。
「もし実際に体験したことなら、もっとインパクトがあって臨場感が出る表現をするはずだ。
でもすべてが軽いタッチで書かれている。実際に体験した事とは思えない。まるで誰かの体験談をゴーストライダーが書いてるみたいだ」
クイールはその答えを聞くと微笑んだ。
「僕もそう思うよ……でもね」
クイールが急に真剣な顔になった。
「先生の前ではそんなことは言ってはいけないよ。先生はこの本が『最適』と思って選んだのだからね」
「そんなことは分かってるって。じゃあもう寝る。おやすみ」
「うん、おやすみ」
私は欠伸を1つするとテーブルの上に置いたままのロックハートの本を抱えると、自室に歩き始めた。
まったく、重くて仕方ない。一体こんな本を使ってする授業とはどんな授業なのか。まさか結構高い値を出して買ったこの本を使わずに終わるとは思えなかったので、どうにかして使うのだとは思うが。
それより、本は心の栄養というのだそうだ。この本は物語としての視点から見ても、あまり面白いとは思えなかった。臨場感がないのはさっきも述べたが、主人公(ロックハート)があまりにも美化され過ぎて書かれすぎているからだ。主人公(ロックハート)をカッコよくするために、他の描写が…実は対決の中でここが大切なのでは?と思われる描写がおろそかになってしまっているのだ。
それに引き込まれるような強烈なインパクトも目を引くような珍しい設定もない。一体何の栄養になるのだろう?
考えるのは後にしよう。
机に重い本の束を置きベットに倒れ込むと、吸い込まれるように眠ってしまった私だった。