僕は、いまだに目の前の光景が信じられなかった。
ロンやハーマイオニー達と先生達の罠を乗り越えてここまで来た。極悪人のスネイプから『賢者の石』を護るために!!
ロンは『チェスの間』で自ら犠牲駒になって傷ついた。
ハーマイオニーは先程の『論理の間』で分からざる負えなくなってしまった。でも、僕を先に進ませるために、火に囲まれながら論理を解いてくれた。その期待に応えるために、僕は今ここにいる。
スネイプを倒すために!
なのに、目の前にいたのはスネイプではなくクィレルだった。いつものように彼は痙攣などしていない。
彼は落ち着き払った声で、冷たく話す。何かの間違いだとも思いたかったが、僕の考えをことごとく打ち砕いていくクィレル。
僕が『スネイプだと思った』ということを口にすると、彼はあざ笑った。そして『スネイプは僕(ポッター)を助けていた』と言い出したのだ。
スネイプが、僕をいつも授業で虐めてくるスネイプが、僕を助けようとしていただって!?僕を箒から落とそうと企んでいたのはクィレルだった!?
それに、今もこの話している今も『あの人』と一緒にいるだって?
頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。でも、1つわかってる事がある。
こいつから『石』を護らないといけないということ。もしかしたらクィレルの後ろにあるダンブルドアの最後の仕掛け『みぞの鏡』を見れば、『石』のありかが分かるかもしれない。
なんとしてでも先に手に入れて阻止しなければ!!
ちなみにクィレルは、鏡を睨みつけてブツブツ独り言を言っていて気味が悪い。今のうちになんとか鏡を見ようと努力していると、いきなりクィレルが僕の方を向いた。
「わかりました……ポッター、ここに来い」
僕は鏡の前にたった。
嘘をつかなくてはいけない。何が見えても嘘を言えばいい。必死で僕はそう考えた。
青白く怯えた自分の姿が鏡に映る。次の瞬間、鏡の向こうの自分が僕に笑いかけてきた。鏡の中の僕はポケットに手を突っ込み、血の様に赤い石を取り出した。そしてウィンクをしてポケットに石を戻す。
すると、そのとたんにポケットの中に何か重いモノが落ちるのを感じた。
なぜか、信じられないけど、僕は『石』を手に入れてしまったのだ。
「どうだ?何が見える!!」
「だ…ダンブルドアと握手してる!!僕…僕のおかげでグリフィンドールが優勝…」
「嘘だ!!」
クィレルが唇を動かしていないのに、どこからか声が響く。ここまで来るときに破った植物の罠…『悪魔の罠』が僕をその場に釘付けにしてしまったように動けなくなってしまった。
クィレルがターバンをほどこうとしている。見たくない!その中にあるモノが恐ろしいモノだと直感した。
でも、目が背けられない!!その時……
「楽しそうじゃないか。私も混ぜてくれるよな?」
鋭い声が部屋の中に響き渡った。
クィレルがターバンをほどく手を止め、声の主の方を向く。僕もつられて向いた。ダンブルドアか!っと一瞬思ったけど、それにしては声が若すぎる。
そこにいたのは、蒼く光る目を爛々と輝かせて近づいてくる1人の人物が見えた。
それは、ハーマイオニーをトロールから助けて、僕達が学校全体の嫌われ者となっても変わらずに接してくれたスリザリンの少女、セレネだった。
「せ…セレネ?なんで君が」
「ハリー。君は、少しは周りを観てから話した方がいい。マクゴナガル先生に賢者の石について話す時、近くに誰かいるかいないかを見てから話す余裕はなかったのかい?」
どうやら、昼間の玄関ホールでのことをセレネは言っているみたいだ。
まさかあの時近くにいたなんて………
クィレルはまさかセレネが来るとは思っていなかったのだろう。鋭く細めている目がわずかに大きく見開かれたのを僕は見た。
「なぜミス・ゴーントがここに?君はスリザリン生ではなかったか?」
「スリザリン生ですよ、クィレル先生。
勘違いしないでくださいよ、私はハリー・ポッターを助けに来たのではありません。
『賢者の石』を安全な場所に移動させようと思い来ただけです」
こつん、こつんっと階段を下りてくるセレネ。
杖のかわりにナイフを握りしめ、それを弄びながら下りてくる。
「マクゴナガル先生の話が正しいならば『石』が狙われる可能性が高いのは今夜です。
でも今夜ではない可能性もあります。マグルの世界と一緒ならば校長という職業は多忙です。出張で学校を開ける機会なんてザラにあります。
でも、なんで今日を選んだのか。いくつか理由がありますが、そのうちの1つは、いつも夜間の見回りに出ている先生方は、今夜はテストの採点で忙しいからです。つまり、見つかる可能性はほんの少し。
そうなれば『石』が狙われるのは今夜。
違う可能性も考えられますが、どちらにしろ今のうちに安全な場所に移しておいた方が『石』のためでもあると考え、来た、という感じですね。まぁ、テストが無事に終わり、暇だったからというのもありますが」
ナイフを右手でクルクル回しながらそう言うセレネ。
僕は、さっきから疑問に思っていることを口にした。
「セレネは、クィレルがいることに何で驚いてないの?
というより、まさか1人であの罠を全てクリアしてきたの?
それにしてはローブが綺麗すぎると思うけど。それに、途中でロンやハーマイオニーに会わなかった?」
「質問が多い……でも、それと同じことはクィレル先生も思っていると思うから答えるよ。
先生もその辛そうなポーズは止めて手を下ろしたらどうです?」
僕と同じ位置まで下りてきたセレネがクィレルに少し笑いかけた。クィレルはターバンに手をかけたままの恰好で止まっている。クィレルもその体勢は少し辛かったのかもしれない。手をだらんと下ろした。しっかり杖を握った状態で。
「クィレル先生が石を盗もうとしているってことは少し考えれば分かる話だ」
「えっ!?ぼ、僕はてっきりスネイプかと」
僕は、いや、僕だけじゃなくてロンたちも約半年以上、ずっとスネイプを疑い続けてきたのに……
セレネはずっと前から見抜いていたのだろうか?
「とはいっても、人の助けがなかったら分からなかったけど。
まず、こういった物事を考える時は常に最悪な場合を考えるのが常識だ。
この場合だと最悪な場合……つまり、罠をかけたメンバーの中に裏切り者がいると考えるのが1番の最悪な場合だ。なにしろ手の内が知られているのだから。
なら、なぜ今まで行動に移していないのか?さっきも言ったと思うけど、校長が学校を1日以上空けることがこの1年間で今日だけだったと思う?いや、何回かあったはずだ。
なのに、その人物は行動に移さなかった。つまりまだ移す準備が出来ていなかった」
「でも、それってフラッフィー、3頭犬の対策が分からなかったからだと」
僕がボソリというと、セレネの片目が僕を捕えた。そういえば、この間のトロールとの戦いのときも、いつもは黒いはずのセレネの眼が、こんな感じで青く光っていたような気がした。
「大方正解だと思う。
ケルベロスの対策で手間取ったに違いない。ケルベロスの伝承を調べればすぐにわかると思うけど、ケルベロスを出し抜くのに必要なのは『音楽』か『菓子』だ。両方ともそこそこの腕前でないと出し抜けない。だが、菓子で攻めるとは考えにくい。
学校外から大量の菓子を持ち込むことは不可能に近いから、まず『菓子』を用意するには厨房に入らなければならない。それに問題は他にもある。
『菓子』の種類は蜂蜜に芥子を混ぜたものだとも、堅パンだとも言われている。その曖昧な種類を全て用意するのも大変だし、自分がその隠し扉を通り抜けるまでケルベロスが食事を続けていられる量を用意し、誰にも見つからない様に運ぶのも至難の業だ。
となったら、音楽しか方法は残されていない」
いつのまにか、セレネは先生に対する口調から地の口調へと変わっていた。
それをクィレルは黙って聞いている。微かに青ざめているのは気のせいだろうか。
でも、まさかハグリットに尋ねなくても3頭犬の出し抜き方が分かったなんて……
そういえば、ハグリットが二ッフィーの出し抜き方を話したドラゴンの卵の売人がクィレルだったとしたならば、それは2か月以上も前の話だ。
2か月間、その間に一度もダンブルドアが学校を離れる機会がなかったなんて、ありえない。その間、クィレルは何故、『石』を盗みに入らなかったのだろう?
「もしかして……
クィレルは音楽が得意ではなかった?だから盗みに入れなかった?」
「その通りだ、ハリー。
音楽とはいっても竪琴の名手…オルフェウス並みの技量がなければ効かない可能性がある。
自分で奏でるとしても魔法で奏でるにしても、相当な練習が必要だ。
この学校にはマグルの学校と違って『音楽』が科目にないからな。音楽を習う機会がない。つまり、1から独学でやらなければいけない。
もし、1度どこかで音楽をかじったことがあったとしても、何年も弾いていないと腕は衰えてしまう。いずれにしろ練習のために『石』を盗むのがこんなに遅れてしまったと、考えられる。
まぁ、私がダメもとでオルゴールを回しただけで難なく通れた事を考えると、名手レベルにしなくても通れたみたいだから、骨折り損だったな」
「だが、それが何故私につながるというのだ?」
クィレルが鋭く問う。セレネは余裕の表情を崩さなかった。
相変わらずクルクルと器用にナイフを回している。本当に、セレネは杖を出さなくていいのだろうか?
「つまり、急に音楽の練習をしだした人が怪しいということ。
この時点でフリットウィック先生は外れる。彼は長年ホグワーツ歌唱団の指揮者だと聞く。指揮者は音楽を教えられるレベルではないと出来ないからだ。
となると他の候補はマクゴナガル先生・スネイプ先生・スプラウト先生・ハグリット…そして貴方だ。
ここである悪戯好きの双子に手伝ってもらったんだ。
先生たちの眼をそらすためにクソ爆弾をいくつか爆発させてもらってね。その間に先生たちの部屋に忍び込んで『最近練習した痕跡のある楽器』があるかどうかざっと調べさせてもらった。で、それにひっかかったのはクィレル先生だけだった。それも楽器はオルフェウスと同じ竪琴。
これはかなり黒の可能性が高い」
くるくるっとナイフを回していた手を止めて、ナイフの先端をクィレルに向けるセレネ。
蒼い双眸がまっすぐクィレルを睨んでいた。
クィレルの表情が物凄く強張っている。さっきより青白いように見えた。
「部屋に入った時は分からなかったけど。さっきハーマイオニー達と会った罠の1つ『チェスの間』で、クィレル先生が犯人だという確証は高まった。貴方の机の上には竪琴や闇の魔術関係の本の他に何故か『チェス入門書』があったからな。
さて、つぎは私1人でここまで来たか……だっけ?」
クィレルから目をそらさないセレネが僕に尋ねてきた。僕は『イエス』と答えると、セレネは首を縦に振った。
「もちろん1人だ。ダフネ達に迷惑をかけるわけにはいかないからな。
見回りにいつもなら出ている先生方はテストの採点で忙しい。ならあとはゴーストやポルターガイストのピーブズに気を付ければいい。
夕飯の時に何度か脳内でシミュレーションを重ね、こっそり部屋を出る。
到着してしまえばあとは簡単だった。
ケルベロスはダフネに借りたオルゴールでウトウトしてくれた。植物系の罠…『悪魔の罠』はスプラウと先生が言っていた通りならば光が苦手だ。そうでなかったとしても、あんな薄暗く湿ったところで繁殖している植物は光が苦手だと判断することは可能だ」
僕は呆気にとられてしまっていた。
よくあの極限状態の中でそんなことが考えられたのかが不思議でたまらなかった。
セレネが僕より1歩前に出る。
「次に大量のカギ型の鳥の中から本物のカギを見つける罠。ここは面倒なので扉を斬らさせてもらった。つぎのチェスの間でハーマイオニー達に会った。
とはいっても、赤毛の子……ロン・ウィーズリーは気絶したままだったけど。命には別状なさそうだったから安心していいと思う」
ここで微かに、本当に微かにだが、セレネが笑った気がした。ここからは見えないけど、そんな気がしたのだ。まるで僕を安心させるかのように。
「チェスの間は『魔法使いのチェス』…つまり敵の駒を破壊してプレイをするタイプだったから、まだ修復が出来てなかった。だから2言3言ハーマイオニーと話すと進んだ。
トロールも気絶したままだったし、魔法薬を用いた論理問題は、面倒だったので、罠は『壊させて』もらった。意外と簡単な冒険だったな。もっとも、この『眼』がなかったら大変だったと思うけど」
ココまでの経緯を話しおえたセレネ。
途中で『斬』とか『壊す』という言葉が目立っていたけど、どうやったのだろう?まさか…あのナイフで?
セレネって力が物凄いんだ。扉を切り刻むくらいの力を持っているなんて。いや、でも火は斬れないと思う。どういった意味なのだろか?
ちなみに、クィレルの表情は青白いを通り越して、すっかり白くなっていた。手が演技ではなく、本当にわなわなと震えている。
「い、一体君は何者なんだ?
成績はトップクラス!蛇語は使える!それにその眼はなんだ!?」
『黙れ、クィレルよ』
またどこからか声が響いた。
クィレルの表情に、セレネではなく、何者かに対する『畏れ』の色が浮かんだ。
『俺様が直に話そう。そのくらいの力なら、ある』
「分かりました」
再びターバンに手をかけるクィレル。
するりっとターバンが落ちた。ターバンを巻いていないクィレルの頭はずっと小さく見えた。クィレルが僕とセレネに背を向ける。
僕は悲鳴を上げそうになった。が、声が出なかった。
クィレルの頭にはもう1つの顔があった。僕がこれまでに一度も見たことがないような恐ろしい顔が。ろうの様に白い顔、ギラギラと血走った目、鼻孔は蛇のような裂け目になっていた。
「ハリー・ポッター。また会ったな」
低い声がささやく。僕は後ずさりしたかったが、怖くて動けなかった。
「この有様を見ろ。
ただの霞と影にすぎない。誰かの身体を借りて初めて形になれる……この数週間はユニコーンの血が俺様を強くしてくれた……この忠実なクィレルが俺様のためにユニコーンの血を飲んでいるところを森でみたはずだ。だが、完全なものとは程遠い。そのためにも『石』が必要だ。命の水さえあれば、俺様自身の身体を創造することができるのだ。
さて、ポッター、まずはお前からだ。ポケットにある『石』を渡してもらおう」
彼は知ってたんだ!
途端に僕の肢の感覚が戻ってきた。よろよろと僕は後ろに後退する。それをあざ笑うクィレルのもう1つ顔、僕が赤子の時に倒したと言われている闇の魔法使い、ヴォルデモートの顔。
「馬鹿な真似はよせ。
命を粗末にするな。俺様の側につけ。さもないとお前もお前の両親と同じ道をたどることになるぞ……
お前もだ、ゴーントの末裔よ。たった1人でそこまで頭が回ることは賞賛に値する。お前の父親とは大違いだ。いや、アイツはアイツで頭が回ったが」
「私の父を知ってるのか?」
セレネが口を開いた。セレネはその場を動いていなかった。さっきまでの僕と同じで動けないのだろうか。ヴォルデモートの顔が邪悪な笑みを浮かべる。
「もちろんだ。なにしろお前の父親…ディヴィ・ゴーントを殺したのは俺様だからだ」
「そうか…」
セレネの口調は落ち着いたままだった。自分の父親の敵がいるというのに、なんであんなに落ち着いているのだろうか?
僕は、両親の敵を前にしているけど、逃げ出したくてたまらなかった。怖い!確かに目の前の相手は憎くて仕方ないけど、怖くて仕方なかった。でも、セレネからはそういった感情が感じられなかった。
「ハリー……早く逃げな」
ポツリっとセレネがつぶやく。
「え、でも、セレネは?」
「見たところ、永遠の存在は帝王の魂だけだ。
さっき、こいつが言った言葉通りなら、器(クィレル)を破壊すれば奴はただの霞になって、こちらに手出しが出来ない」
ナイフを構えて腰を低くするセレネ。まさか、本当に彼女はアレと戦うつもりなのだろうか?1人で?
「お前は、ポッターの側につくというのか?愚かな小娘め」
「何を勘違いしてんだ?逃げるための手足のない『賢者の石』に手足(ポッター)をつけたまでのこと。
だが、正直がっかりだ。まさか帝王がこんな要領の悪い奴を器にしているなんてな。まぁ、それしかいなかったんだと思うけど。早く行け、ハリー!!!」
僕はその叫び声に背中を押され一目散に走り出した。だが、走り出した途端に、さっきからずきずきと鈍い痛みがしていた額のイナズマ型の傷跡が、パックリ頭が割れるくらいの痛みに変わった。僕は痛みのあまり、地面に倒れてしまった。
何も見えない。痛みはますます酷くなる。
「何をしている!迷わず殺せ!!」
遠くで声が聞こえる。でも、どうすることもできない。
僕の意識は下へ下へと沈んでいった。
―――――――――――――――――――――――――――――
8月12日…一部改訂しました。