「頭が3つある犬だって?」
私は眉をしかめてハーマイオニーを見た。 図書館で勉強をしていると、久々に彼女の姿を見かけたので、一緒に途中まで帰ることにしたのだった。
ハーマイオニーは図書館で借りた本を重そうに抱えているが、私は手助けできない。
私も同じくらいの本を抱えているからだ。ただ、ハーマイオニーの抱えている本とは種類が違う。 授業で使う本も混ざってはいるが、大半は魔法界の生物についてや魔法界の教育論に関してのものだ。 これらをまとめて今度家に帰った時にクイールに話すためだった。
「ケルベロスってことか?
まさかそんな生物がいるなんて………いや、ホグワーツだから逆に考えられるか」
神話の生き物『ケルベロス』が実際に存在するとは信じがたい話だったが、『幻の動物とその生息地』に載っていたのを思い出す。それに今私がいるのはそこらじゅうに魔法が溢れているホグワーツだ。神話の生物が1・2体いたとしてもおかしくはない。
「で、どこでみたんだ?」
「実はね、この間ちょっと迷っちゃって立ち入り禁止の4階の右側の廊下に行っちゃったの。
そこでフィルチをやり過ごすために入った部屋にいたのよ」
あの時の恐怖を思い出したのか、一瞬震えるハーマイオニー。
「なるほど……だから校長は『行っちゃいけない』って言っていたのか……
で、地獄の番犬ケルベロスってことは、何かを護っていたのか?」
「そうよ!あの犬の足元に隠し扉があったの!きっと何かを隠しているに違いないわ!でも……」
「肝心な何を隠しているか分からない、か」
ケルベロスはギリシャ神話の冥界の入り口を護る番犬だ。 ケルベロスの脇を安全に通り抜けるのためには、音楽を奏でるか、菓子を用意するかの2つしかないとされている。それ以外だと戦闘になり、99%の確率で命を落とすのだとか。
「まさかホグワーツに冥界に繋がる通路があるとは思えないしな」
「そうよね、一体何を護っているのかしら」
ハーマイオニーと別れて自分の寮に戻る私。
このホグワーツで何かを護っている、それもケルベロスが。よほど大事なものなのだろう。それはいったい何なのか。
結局、思いつくことなく月日は流れハロウィーンの日になった。
朝からパンプキンパイをこんがりと焼いているのだろう。その甘い匂いが廊下を漂っていた。幼いころは魔女の仮装をして友達のフィーナやラルフと一緒に菓子をねだって歩いたものだ。まさかあの頃は自分が本物の魔女だとは思ってもみなかったし、フィーナ達もまさか私が魔女だとは思わなかっただろう。
だが、ハロウィーンと言っても夕飯の時間までは特に変わったことはしないみたいだ。
授業もいつも通り進められて、いつも通り何も変わらず時が流れていく……………かに見えた。
「セレネ、Trick or Treat!!」
「はぃ?」
ニヤニヤと笑いながら手のひらを私に向けるパンジー。予想だにしなかった言葉を聞き、思わず私は、変な声を出してしまった。
「どうしたの?お菓子をくれないと悪戯しちゃうんだけど」
私は慌てずにポケットを探るが、今日に限って何もない。 うかつだった。アメでもなんでもいいから菓子をとにかく持っておくべきだった。
「……参った。何も持ってないよ」
降参だっと両手を上げるとパンジーは物凄くうれしそうに笑った。 ミリセントが少し驚いた顔をする。
「へぇ、まさか成功するとは思わなかったわ」
「あら、ミリセントはそう思っていたの?
こういう日でもないとセレネには悪戯出来ないから、いろいろと策は考えていたわ。
もしアメか何かを持っているそぶりをしたら先に私から欲しい『魔法界のお菓子』を選択することで、悪戯から逃れられない様にしようと思っていたし」
「そんなに私に悪戯したかったのか」
用意周到だ。でも、そこまでしてしたい悪戯ってなんなのだろうか?あまりひどいモノではないといいが。
パンジーが、嬉しそうな顔をして取り出したのはカボチャジュースの瓶2本。
「どっちかを飲んで」
「ただのジュース……のわけないよな」
臭いを嗅いでみるがジュースの甘い匂い以外の異臭はしない。 飲むのはためらわれたが、今日はハロウィーンだ。菓子を持っていないのだから悪戯を受けなければならない。さすがにパンジーが毒物を混入しているとは考えにくいし。
そう思って右側の瓶を飲み干した。 パンジーの顔がいつになく輝いて見えた。
「……なにが入ってたんだ?」
「カボチャジュースに決まってるでしょ。あと下剤」
「そうか………って………下剤だって!?」
思わず大きな声で叫んでしまったので、通りすがりの生徒たちが何事か?という顔をして見てくる。
が、私はそんなの気にしないでパンジーを睨みつけた。 パンジーの方は余裕の表情を浮かべている。
「ロシアンルーレットよ。ちなみに左には入っていなかったわ」
楽しそうに笑うパンジー。彼女をこんなにも恨めしく思ったことは一度もなかった。来年からは気を付けよう。
案の定、しばらくすると腹が悲鳴を上げ始めた。私は顔を少し歪ませると手近のトイレを捜す。 もうすぐハロウィーンの夕食だというのに、これだと遅れてしまう。
「っくそ、パンジーの奴」
少し文句を言いながら用を足すと、隣の個室で誰かが泣くのを堪えるような声が聞こえた気がした。 お節介かもしれないが聞こえてしまった以上、放って置くのは後味が悪い。トイレで泣いているなんてイジメでもあったのだろうか?魔法界でも人間である以上、いじめはつきものなのかもしれない。
私は手を洗い終えると、咳ばらいをした。
「誰だか知らないけどさ、もうすぐ夕飯だし、食べ損ねたら朝まで大変だぞ?
だからといって泣いてるだけだと進まないからな。その個室にいたままでいいから何があったか話してみなよ。これだと顔も見えないし、内容も誰にも言わないからさ」
「……その声は、セレネ?」
「って、ハーマイオニーか?」
まさか彼女だとは思わなかった。 一体どうしたのだろうか?寮が違うから接点はあまりないのだが、魔法薬学の授業を見る限りだと特に問題点は視られなかったのだが……
「セ、セレネは、私のことどう思ってる?」
「どうって、友達じゃないのか?組み分けの日に『寮が違っても仲良くしよう』って約束しなかったっけ?」
「そ、そうだけど……」
鼻をすするハーマイオニー。 私はため息をついてしまった。
恐らく寮でうまくいっていないのだろう。マグルの学校に通っていた時と同じく友達が上手く作れずにいるのかもしれない。でも強がって今まで何とか寂しさに耐えてきてはいたが、何かの拍子にそれが崩れてしまった。大方そういう感じだろう。
「何か言われたんだろ?お前には友達がいない、とかか?」
「う…うん、ロンがね、知ってる?ハリー・ポッターとよく一緒にいる赤毛の子。
彼が妖精魔法の授業の後にね……
『だから誰だってあいつには我慢できないって言うんだ。まったく悪夢みたいな奴さ』って」
あの赤毛がそんなことを言ったのか。 私は少し考えてから、言葉を選んで口を開けた。
安定状態に戻った腹が今度は空腹を訴えている。だが、ハーマイオニーの問題の方が重要だ。
なにせ、彼女は7年間もこの学校で過ごすことになるのだ。このままだと部屋から出なくなってしまって自主退学とまではならないかもしれないが、それに近い状態になってしまうかもしれない。
「たぶん、それって嫉妬なんじゃないか?
ほら、ハーマイオニーって勉強ができるだろ?たぶん見てはないけど妖精魔法の授業で彼より上手く呪文を使ったんじゃないか? それが気に入らなかったんだと思う」
「で…でも、ロンは、彼は事実を言ってるのよ、間違ってないわ。
私は友達がいないし、すぐに論理的に言い返す情がない最低な奴よ」
これは重傷だ。 まったく、あの赤毛め。少しは言葉を選んで話せっと思ったが、ここでいない人に対して文句を言っても仕方がない。応急措置でもいいからとにかくハーマイオニーを立ち直らせないと……
「でも、アンタがどう思ってるかは分からないけど、すくなくとも私はアンタのことを友達だって思ってる。 ネビルだってそうなんじゃないか?」
「ネ、ネビルは、友達じゃないわ。私が勝手に、振り回してるだけだもの」
「そうか?魔法薬学を見てる限り、アンタを友達だって思ってるみたいだったけど?
それにこの間さ、ネビルが箒から落ちた時ことあっただろ?あの後見舞いにいった際に少し話したんだ。
その時、ネビルは嬉しそうにこう言ってたぞ。
『ハーマイオニーはいつもとっても優しくて、宿題とか分からないところとか手伝ってくれるいい人だ。
他の人はそんなことしてくれないで、出来ない僕を馬鹿にして笑うだけなんだ。 でも、彼女は笑わない。だからいい人だと思う。 僕の大切な友達だよ』ってな」
「ネ、ネビルがそんなことを……」
ハーマイオニーの悲痛な口調に、驚きの色が混ざる。
ハーマイオニーからは私が見えないと思うけど、私は首を縦に振った。
「私だって寮は違うけど友達だ。 いつも大勢でワーワーやってるのが友達か?違うだろ?
少ない人数でも構わない。でも………?」
私はここで言葉を区切った。
「セレネ?どうかしたの?」
「黙って。何か聞こえる」
トイレの芳香剤の甘い匂いの中に、汚れたクイールのボロボロ靴下と、掃除を滅多にしない公園の公衆トイレの臭いを混ぜたような悪臭が鼻につく。それと同時に、少しずつ近づいてくる巨大な足を引きずるように歩く音、低いブァーブァーという唸り声も近づいてくる。
「何?何が来るの?」
ハーマイオニーが恐る恐る個室の戸をあけて顔を出してきた。 泣き腫らして真っ赤になった顔には不安の色が浮かんでいる。私は、袖の下にいつも隠し持っているナイフがあることを確認し直した。
そうしているうちに、何かがトイレに入ってきた。
「き…キャァァッァァァアアア!!!」
ハーマイオニーが悲鳴を上げる。私も目の前に立ちふさがる巨体に言葉をなくしてしまった。
そこにいたのは4メートルもある怪物だった。 墓石のような鈍い灰色の岩石のようなゴツゴツした身体を持ち、禿げ頭。 手には頑丈そうな棍棒を引きずっている。
記憶が間違ってなければ『トロール』という魔法生物に違いない。
私はためらうことなくナイフを構えた。 ハーマイオニーは恐怖で動けないのか、ガクガク震えたまま突っ立っていた。
「おいおい、ここは女子トイレだっての。女子……人間の女子じゃないのに入ってくんじゃないっての!」
「セレネ!?杖、じゃないわ、それ」
「ハーマイオニーは隙を見てあの扉から外に逃げな。
そこまで強烈な呪文は習ってないんだ。なら……これしかないだろ?」
ナイフをブンブンっと素振りする。
「セレ…ネ……目が……」
「気にするな。それよりモタモタすんな!早く走れ!!私なら大丈夫だ」
私はハーマイオニーの背を軽く押した途端、トロールが巨大な棍棒を振り下ろしてきた。 なんとか私たちは交わしたが、代わりにトイレの個室のドアが犠牲になった。
なんという力だろうか。だが………この『眼』の前では、無力だ。
「じゃあ、その武器から仕留めるか!!」
わざとその場を動かないで、挑発するような視線をトロールに向けて放つ。 すると、読み通り私目がけて振り下ろされる棍棒。ぶつかる寸前で転がるようにして横に避ける。 棍棒はさっきまで私の居た床にめり込んで大穴を開けていた。
その棍棒を再び持ち上げる前にナイフを振るう私。狙うは棍棒に纏わりついている『死の線』だ。それを斬ると棍棒はただの木片と化した。
トロールは何が起こったのか分からないようだ。
頭の悪そうな表情で壊れなかった棍棒の『持ち手』の部分をしげしげと見つめている。 振り落とした時のままの、身をかがめた態勢で……
「セレネ!どうしよう、開かない!!!」
ガタガタっとドアノブを回すハーマイオニーだったが、全く開かない。 なんでさっきまで開いていた扉が閉まってるんだ? 私はまだボケっとしているトロールの横を駆け抜けた。
トロールにはっきりとまとわりついている『線』を斬ってもよかったのだが、私が今しないといけないことはコレを殺すことではない。2人で逃げて、先生に知らせることだ。
あとで目のことをなんだかんだと尋ねられるのは面倒だ。棍棒は破壊してしまったが、そこは何とかはぐらかせばいい。
私は真っ青な顔をしているハーマイオニーの側まで来ると、杖を取り出した。 杖でドアノブを軽く叩く。
「『アロホモラ‐開け』!」
するとパッッと扉が開いた。 ようやく、動作を止めて呆けていたトロールが動きだす。唸り声を上げながら突進してきたので、私達は転がるようにして外に出ると、鍵を閉めた。
「うかつだったわ。私、魔女なのよ。アロホモラは基本呪文集に載っていた基礎呪文じゃない。
なんで私は出来なかったのかしら」
ブツブツと言っていたハーマイオニーだったが、ドスンドスンっと扉にトロールが激突する音で言葉を止めた。もし、この扉をトロールが破って襲い掛かってきたら、腹をくくって『眼』を使うしかない。
そう思った時だった。
「ハーマイオニー!?」
「って…セレネもなんでいるの!?」
廊下の向こうからハリーと赤毛の子が荒い息をして走ってきた。 彼らは私達を見て何か安心したらしい。 何か言おうと彼らは口を開きかけたが、トロールのタックル音を聞いた途端、ビクッとして口をつぐんでしまった。
「なんでもいいから早く先生を呼びに行かないと!!」
ドスン!ドスン!!っとトロールが扉にタックルをする音が廊下まで響く。
ハリー・赤毛・ハーマイオニーはビクリっと震えて動けないみたいだ。
「ブォォォン!!」
とうとうトロールが扉を破壊して出てきてしまった。 私は軽く舌打ちをすると、ナイフを構えてまだ固まっている3人の前に立った、その時だった。
「ステューピファイ!」
赤い閃光がトロールの顔面を直撃した。 トロールは何が起こったのか分からない間抜け面をしたまま後ろに倒れる。
「一体全体あなた方はどういうつもりなんですか!?」
杖を構えて走ってくるマクゴナガル先生が鋭い声を出した。 声だけでもわかるが、怒りと冷静さが入り混じった表情をしている。 彼女の後ろからはスネイプ先生、それからクィレル先生がいた。
クィレル先生はトロールを一目見ると、ヒーヒーと弱弱しい声を上げ、胸を押さえて廊下に座り込んでしまった。
「殺されなかったのは運が良かった。
なぜ寮にいるはずのあなた方がどうしてここにいるんです?」
「寮?みんなハロウィーンの夕食にでているのではないのですか?」
それは的外れな質問だったのかもしれない。 皆の眼が一斉に私の方を向いた。
「私のせいなんです。先生」
先生が何か言う前に、ハーマイオニーが小さいけどハッキリとした口調で話し始めた。
「私がトロールを捜しに来たんです。私、1人でやっつけられると思いました。
あの……本で読んでトロールについていろんなことを知っていたので。
でも、ダメでした。たまたまトロールと戦いになったトイレにいたセレネが助けてくれなかったら、私は死んでいました。
セレネが、トロールの棍棒を粉々にしてくれたんです。 ハリーとロンは、私がいないのに気が付いて心配して助けに来てくれたところなんです」
マクゴナガル先生は私とハリー、それからロン…と呼ばれた赤毛の子を見る。
ハリー達は『その通りだ』という顔をした。
私もうなずいた。本当のことを話してもよかったが、ハーマイオニーが悪口を言ったロンをかばったのだ。これが吉と出るか凶とでるかは分からない。 万が一、凶と出てロンとの関係が悪化したら悪化したらで私とネビルとで支えればいい。
「ミス・グレンジャー、なんという愚かな真似を。グリフィンドール5点減点です。貴方には失望しました。
貴方たちもですよ。1年生が野生のトロールと対決しようとするなんて、生きているのは運が良かったからです。ですが、友を思うその気持ちは大切なものです。よってミスター・ポッターとウィーズリー、それからミス・ゴーントには5点ずつ与えましょう」
まさか点がもらえるとは思わなかった。 実際にトロールと対決したのは私だけなのだから、私はもう少し点を貰ってもいい気がするが。点を貰いたくて行った行動ではない。何も言わないことにする。
「中断されたパーティーの続きは寮でやっていますので、まっすぐに帰るように」
そうか、中断されていたのか。
そうだよな。トロールが入り込んでいるのに、のんきにパーティーなんてやってられない。私も帰るとしよう。
それにしても、野生のトロールが何故学校に入り込んだのだろうか。実際に戦ってみて分かったのだが、あんなノロマで馬鹿な生物が、この城の中に入って来れるのか?
誰かの手引きだとしたら、一体何の目的でだろう?私の脳裏に、ハーマイオニーが教えてくれたケルベロスが護る隠し扉が浮かんでいた。