何処までも続く鳥居の中を走っている。
赤い世界に1人取り残された『小さな』私は、必死に義父の名を叫びながら、走り続けている。今にも転びそうなくらい無我夢中で走っている私を『今の』私は黙って見守っていた。
あぁ、夢なんだ。
なんとなく、そんな気がした。私はアステリアと違って、過去に戻ることなんてできない。それに、目の前を走る小さな私は、後ろにいる私に気がついていないのだ。だから、きっと昔の夢を見ているのだろう。
この後、私は吸血鬼に出会うはずだ。『魔法』も使えるし、『眼』を持つ今の私なら対処は簡単だろう。しかし、『魔法』を知らなかった当時の私は手も足も出るわけがない。
だが、この夢は大っ嫌いな夢であるのと同時に、良い夢でもある。だって、憧れの人と出会えた、記念すべき日でもあるのだから。今でもはっきりと覚えているその人の姿を思い浮かべると、口元に笑みが浮かんだ。
「殺し屋に、憧れているの?」
いつの間にか立ち止まっていた小さな私は、キョトンとした表情を浮かべていた。私は小さな私を見下ろした。
ナタリアさんは、『殺し屋』とは少し違うような気がしたが……吸血鬼やバケモノの『殺し屋』ということには変わりないだろう。
「まぁな」
「貴女も、人を殺すの?」
黒くて大きな瞳に涙を溜めこんだ小さな私は、絞り出すような声で話しかけてきた。
「今のアンタには、関係ないことだ」
「関係あるよ。だって、貴女は私だもの」
小さな私は、今の私に詰め寄る。
今にも泣き出しそうな顔で私を睨みつけながら、小さな私は訴えてきた。
「私は殺したくないよ!父さん言ってたもん、『殺しはダメなこと』なんだって!」
「あぁ、ダメだな」
淡々とした口調で、言葉を返す。赤い世界にいるのは、私と小さな私の2人だけ。あの恐ろしい吸血鬼が現れる気配はなかった。……まぁ、夢だから現れても何とかできるだろう。
私は、小刻みに震える小さな私に一歩近づいた。
「大丈夫。『私』は『まだ』誰も殺していないから」
安心させるように、小さな私の頭を撫でる。小さな私の表情は、私から見えない。でも、どこか緊張した空気が解けてきているような気がした。
「……き」
小さな私が、何かを呟く。
本当に小さな声で言ったので、何を言ったのか聞こえなかった。私は聞き返そうと口を開く。だが、その必要はなかったみたいだ。
小さな私が、もう少し大きな声で同じ言葉を繰り返してくれたから。
「うそつき」
私は撫でる手を止める。
「うそつき?」
「そう。だって、『私』はすでに人を殺しているわ」
ナニか巨大なモノで殴られたかのような、衝撃が私を揺るがす。ドクン、と心臓が高鳴る音が聞こえた気がした。
『信じられない』という目をしたまま『肉片』に変わり果てたクィレルの姿。もう、何年も『思い出さない』ように心がけていた、心の奥に封じていたはずの光景が脳裏に浮かんできた。
それと同時に、ノットの言葉がフィードバックする。
『『人殺し』は不味いんじゃないか?―――あぁ、倫理的にダメだろ』
ノットは、真剣に私の身を案じてくれているみたいだった。
私に人としての道を、踏み外してほしくないんだろう。でも、私はもう―――とっくの昔に―――
「人を殺した経験が、私にはあるんだよ」
……目の前にいる『私』に対してなのか、それともノットに対してなのか、はたまた、自分自身に言い聞かせてなのか……
私はポツリと囁いた。
だけど、アレは仕方なかった。
あの場でクィレルを殺さなかったら、私とハリーは死んでいた。ヴォルデモートに『線』は視えなかったし、逃げ切れる要素は確実に0だった。だから、私は殺したんだ。『正当防衛』という言葉が一番ぴったり当てはまるだろう。
「でも、人殺しよ」
小さな私は、私に話し続ける。
「人殺しは、いけないこと。それを行った貴女は、もう普通の世界で生きられない」
でも『私』は、生きている。
「ええ。生きているわ。でも、貴女の生きる世界は『裏』に決定してしまった」
それでも、平然と生きている。
「なんて醜い」
小さな私の声が、赤い世界に響き渡る。
「なんて醜いの。人を殺してまで、貴女は生に執着したいの?」
小さな私は唄うように、そんな言葉を口にした。
あぁ、確かに私は死にたくない。行動理念は常に『死にたくない』というところにある。だって、『』に堕ちたくないから。まだ、死にたくない。いつか死ななければならないなら、それを少しでも先送りにしたい。
だから、正当防衛という名のもとに殺人を犯した。
友人を裏切ってまで、ヴォルデモートの手伝いをした。
そして、今はヴォルデモートを殺す最終段階に入っている。
「貴女は、トム・リドルと変わらないわ」
小さな私の言葉が、グサリと刺さる。
思わず私は、小さな私を睨みつけてしまった。小さな私は、全く動揺した様子を見せない。彼女の黒い瞳には、赤い瞳をした私が、くっきりと映っていた。
「だって、トムも行動理念は『長く生きたい』だもの。だから、人を殺すし分霊箱を作ったのよ」
だけど、私は私利私欲のためだけに殺人を犯してなんかない。
ヴォルデモートと根本的に違う。生きるための努力は惜しんでないが、さすがに人を殺してまで生きたいとなんて考えたこともないのだ。だから私は、ヴォルデモートと違う。
「1回でも殺人。たとえ、正当防衛であったとしても、殺人には変わりないわ」
「じゃあ、私はあの場で死ねばよかった?」
小さな私に、尋ね返す。
すると、小さな私はコクリと躊躇うことなく頷いた。
「ええ。だって、あの場で私が死ねば被害は最小限で済んだのよ」
くるり、と回る小さな私。
小さな私の腕には、いつの間にか大きな本が抱えられていた。
「私が『4年生』にならなければ、クイールは死なずに済んだ。
私が『シリウス奪還作戦』に参加しなければ、ムーディーもルーナも死なずに済んだ。
私が『秘密の部屋』に隠れていなければ、ダンブルドアの死期は少し遅くなった上に、スネイプ先生もアステリアも意識不明の重症に陥ることはなかった。
もっと言えば、私さえいなければ、そもそもアステリアが平行世界を移動する必要がなかったのよ」
そう、全てその通りだ。
私がいなければ、私さえいなければ、クイールもルーナも死ぬことなんてなかったんだ。スネイプ先生もアステリアも、半ば植物人間状態になることなんてなかったんだ。
だけど――――
「だけど、私に何が出来たって言うんだ?」
あの時、あの時、その時、その時で考えられた最良の一手だったんだ。
生きたいから。『』に堕ちたくないから。だから、精一杯考え抜いて導き出した行動だったんだ。
「そういう言葉で、貴女は逃げるの?」
「ああ、逃げるさ」
戦いに、いや人生に理不尽はつきものだ。本当に『納得できない』ことだらけ。
後からなら、何でも言える。それに理屈をつけることも、ああすればよかったと後悔することも沢山ある。その度に落ち込んで、悩んで、痛みに目を向け続ける。それが、正しい人の在り方なのかもしれない。でも―――
「でもな、これは『私』が選んで歩んできた道だ。だから、後悔はしない」
「後悔しないの?」
「あぁ。そりゃ、後悔も大切だろうさ」
少しだけフッと笑みを浮かべる。
「だけど、後悔ばかりしていたらいいのか?過ぎたことを悩み続ければいいのか?
いや、そうじゃないだろ。
『今』を精一杯生きることが、大事なんじゃないか」
悩み過ぎたら、潰れてしまう。
後悔し過ぎたら潰れてしまう。
もちろん、正当防衛とはいえ犯した殺人も、巻き込んで結果的に死んでしまったルーナやクイールの死も、全てを後悔している。もっと大きな幅を広げるのだとすれば、分霊箱として破壊したヴォルデモートの魂を殺したのだって、殺人だ。それも、人の命を奪うという意味で少し後悔している。
だが、それだけでいいのか?
「精一杯生き続けることが、残されたものに大切なことだろ。死んだら、御終いなんだから」
そう言いながら、私はナイフを抜く。そして、小さな私に突き付けた。小さな私は臆することなく、その先端を見つめている。
「お前は、誰だ」
私は、静かな声で告げる。小さな私の大きな瞳に映った私の眼は、赤から紫へと変化していた。……そんな私の瞳の変化に驚くことなく、小さな私は、私らしからぬ笑みを浮かる。そうして、こう言った。
「私は貴女よ。それ以外の何物でもないわ」
胡散臭い笑みだ。
だが、妙に説得力のあるような感じもする。一体、コイツは誰だ?もう少しナイフを近づけてみるが、小さな私は全く怯えない。それどころか、ゆっくりと私に近づいてくる。そして、耳元でボソリ、と囁いた。
「でも、覚えておいて。貴女は、トム・リドルと同じよ」
思わず私はナイフを振るう。しかし、ナイフが小さな私を捕えることはなかった。
そのまま意識が反転し、下へ下へ下へ―――――――――――――――――――
『主、主!』
耳元で、アルファルドの声がする。
ゆっくりと目を開けてみると、アルファルドが私の顔を覗き込んでいた。もちろん、眼を閉じた状態で。
『……ここは?』
『何言っているんですか?主の友人とかいうウェイバーの家ですよ』
部屋は暗い。
時計を見ると、まだ4時だ。東の空が少し明るくなり始めていたが、それでも外は薄暗い闇に包まれている。
ソファーで横になっていたからだろう。身体の節々が痛かった。ベッドは、まだ怪我が完治していないノットが使っているのだ。怪我を負ったのは数か月前のはずなのに、呪いの傷だからだろう。中々完治しないのだ。
ちなみに、ノットは静かな寝息を立てて寝ていた。この家の主であるウェイバーの姿はない。そりゃそうだ、アイツは今『仕事』に行っている。この家にいるのは、私とノット、それからアルファルドだけだった。
―――私は、トム・リドルと同じなのか?―――
夢の最後で言われた言葉が、頭の中を反芻する。
『うなされていましたよ。大丈夫ですか?』
『……』
何も答えない。
肯定も否定もせず、私は机の上のペットボトルに手を伸ばした。
SIDE:ハリー・ポッター
「よく来た、ハリー!」
シリウスが笑顔で、迎え入れてくれた。
だけど、その笑顔が少し強張っているように見える。
「リーマスとキングズリーは?」
ドアを閉めたトンクスが、間髪入れずにシリウスに詰め寄った。シリウスは、笑顔のまま頷く。
「大丈夫さ。つい数分前に戻ってきた。今は、リビングにいるさ」
その言葉を聞き終える前に、トンクスはリビングに駈け出して行った。あまりにも早くトンクスが動いたからだろう。鳥かごの中で先程まで眠そうだったヘドウィグが、『何事か!?』と驚いたように目を開けた。
「よかった。キングズリーもルーピン先生も無事で」
僕は、ホッと一息を着く。
透明マントに隠れてきたルーピン先生に、髪の毛を渡したのは僕だ。ポリジュース薬で僕に変身し、身代わりとしてキングズリーと一緒に箒で飛び立ち監視の目をダーズリー家から一時でも遠ざける。その作戦が、無事に成功したのだ。
「それで、ハリーはどうやってここまで来たんだ?箒か?」
「フィッグ婆さんが呼んだタクシー……あー、マグルの乗り物で、ここまで送ってもらったんだ」
フィッグ婆さんと、婆さんの家に潜んでいたトンクスが、ダーズリー家を見張る死喰い人達が全て、キングズリーと僕に変身したルーピン先生を追いかけて行ったのを確認する。それから、僕とトンクスは、フィッグ婆さんが呼んだタクシーに乗り込んだんだ。
ちなみに、叔父さんたちは既に僕の知らない別の場所に姿を隠しているはずだ。ヘスチアとディーダラスが、キングズリーたちが尋ねてくる少し前にダーズリー家に来訪し、『責任を持って安全な場所に避難させます』と話していたことをボンヤリと思い出す。
それと同時に、再び気持ちが沈み始めてしまった。
「ん、どうしたんだ、ハリー?」
僕の顔色が優れないことに、気がついたのだろう。シリウスが心配そうに尋ねてきた。
僕は、何でもないように首を横に振った。
「いや、なんでもない」
「なんでもなくないだろ。私は君の名付け親だ」
何かあったのか、正直に話せというように、シリウスは僕の眼を覗き込んでくる。
こういうことは、ちゃんと話した方がいいのかもしれない。僕は正直に話そうと口を開こうとした、が………
「ハリー、早く!」
リビングの方からルーピン先生の声が、聞こえてくる。
僕は開きかけた口を閉じ、ルーピン先生がいる方へ急いだ。リビング入ると、まず目に飛び込んできたのは、ホッとしたようにソファーに腰を掛けるトンクス。テーブルの横には顔に呪文の跡だと思われるかすり傷を負っルーピン先生。その隣では、額から血を流したキングズリーが、時計とにらみ合っている。
「あと30秒で、『隠れ穴』行の『移動キー』が発動するんだ。忘れ物はないかい、ハリー?」
そう言いながら、ルーピン先生はテーブルの上の折れた櫛を指さす。
僕はリュックサックを背負い直し、鳥かごをきつく握りしめた。ゆっくり腰を屈め、櫛に触れる準備をする。残された時間は、僅か30秒。でも、その間に言っておきたいことがあるんだ。
「ごめんなさい、僕のせいで」
僕は絞り出すように、声を出した。
「傷を負ったことかい?まさか、大した傷じゃないよ」
「みんなかすり傷ですんでいるもの。ハリーが気に病む必要はないわ」
「それに、ハリーは怪我1つ負ってない。それだけで、私達は十分だ」
ルーピン先生もキングズリーも、トンクスも笑顔を僕に向けてくれた。ただ一人、シリウスだけが不安そうな顔をしていた。
僕はシリウスの顔を見て、口を開こうとする。だけど、それを制するかのように、シリウスは早口で言葉を放った。
「ハリー、次に会うのは『ビルとフラーの結婚式』だ。その時に、また話そう」
その瞬間に、『移動キー』が光に包まれる。ヘソの内側のあたりがグイッと『移動キー』の力で引っ張られる。
風の唸り、色の渦の中、ぼんやりと僕の頭に『後悔』の二文字が頭を横切った。
僕は、みんなに迷惑かけてばかりだ。
護られてばかりだ。みんなを傷つけて、ぬくぬくと育ってきてしまった。
本当に、どうしよもない奴だ。
これじゃあ……全然、グリフィンドール生ではない。
騎士道とは、程遠いじゃないか。むしろ、これじゃあ―――――
折れた櫛を握りしめた僕は、自嘲気味た笑みを浮かべた。
SIDE:???
「うわぁ……本当に、ロンドンに来たんだ」
タクシーから我先にと降り立った白銀色の髪をした少女は、赤い瞳をキラキラと輝かせている。まるで『雪の妖精』みたいな容姿の少女だ。……もっとも、今は夏真っ盛りの8月だ。だから、もう少しましな表現があるかもしれないが……『雪の妖精』としか思いつく言葉が見つからなかった。
「お兄ちゃん、ほら、こっちこっち!」
タクシーから降りたばかりの少年に向かって、少女は手招きをする。『お兄ちゃん』と呼ばれていたが、少女とあまりにも似ていない。赤銅色の髪に、東洋系の顔立ちをした少年は、にっこりとした笑みを浮かべると『妹』の方へ歩みを進める。
どうやら、ロンドン観光に来た家族のようだ。
それも、そこそこの大家族らしい。
くたびれたスーツを纏った東洋人の男と、その男に寄り添う白銀の髪の女性。
その後ろにつき従うように、3人の女がタクシーから降りたった。
「キリツグも、お母様も早く!」
『キリツグ』と呼ばれた男と『お母様』と呼ばれた女は、顔を見合わせると微笑みを浮かべた。ゆっくりと、少女の方へ歩みを向ける。だが、『キリツグ』と呼ばれた男は、ふと足を止めた。何かに警戒するように、あたりを見渡す。半歩遅れて、『お母様』と呼ばれた女も眉を顰め、警戒し始めた。
……もしかしたら、こちらの存在に気がついたのかもしれない。
「どうしたんだ、爺さん?」
「お母様もどうかしたの?」
赤銅色の髪をした少年が、不思議そうに眉をひそめる。それにつられて白銀の少女も、不安そうに顔を歪めた。
「…キリツグ?」
「あぁ、なんでもないよ」
「ほら!士郎もイリヤもせっかくロンドンに来たんだから、もっとはしゃいでいいのよ」
なんでもないように笑いながら、キリツグも母親も2人に歩み寄った。どうやら、気がつかれなかったらしい。いや、気がついているけど無視しているのか?
出来れば、声をかけて欲しかった。そうしたら、もっと楽に事が進めたのに……
まぁいい。そっと後をつけて、声をかけるタイミングを見計らおう。
幸いにも、あの家族はロンドンに来たばかりのようだ。時間もまだ9時過ぎ。きっと、昼までに1人になる機会はあるだろう。
緩みかけた服を巻きなおすと、幸せそうに歩き始めた家族の後を追いかけるのだった。
――――――――――――――――――――――――――――
6月25日:一部改訂