Side:セオドール・ノット
「『オブリエイト‐忘れろ』!」
しまった!と思った時には、もうすでに遅い。
3年生になったばかりの俺は、ドレットヘアーのグリフィンドール生に対して『忘却呪文』を放っていた。忘却呪文の理論は、しっかりと頭の中に入っている。だから、忘却される記憶は俺が指定した記憶のみ。相手の記憶をすべて消すなんていう三下紛いのヘマをするわけがない。
だけど―――
「―――――、ぁ」
落としそうになる杖を、俺は何とか握り直した。
『許されざる呪文』ではないから、アズカバンへ送られることはないし、退学にはなることもないだろう。だが、相手の記憶を勝手に上書きする呪文を放ってしまったのだ。見つかったら最後、新学期早々『失神呪文』や『妨害呪文』を放ったよりも厳しい罰則が科せられるに決まっている。いや、罰則だけではない。魔法界での我が家の評判も、それに伴い一気に急降下してしまう。そして何より――――――
「――――俺は」
誰に関する記憶を消し去りたかったのか、周知の事実になってしまう。
数分前まで一緒にいた少女の顔が、脳裏に横切った。その少女の面影を振り払うように、俺は頭を振るう。
「そんなつもりじゃ、なかったんだ」
何を考えていたのか、分からない。俺自身の感情が、全く分からない。いや、分かりたくない。湧き上がる感情を理解したくない。
呪文の効果で、ボンヤリと突っ立ったままのグリフィンドール生の横を押し通り、そのコンパートメントから逃げるように走り去った。
だが
「あ~あ、セオドールは悪い子ッスねぇ」
退路を塞ぐかのように立っていたのは、レイブンクロー生。
俺と同じ親が死喰い人だったという、シルバー・ウィルクスだった。……今この場所で起こった一連の出来事を、この生徒は目撃していたのだ。俺の顔から、完全に血の気が失せる。
「『継承者(セレネ)』と付き合おうと考えていたリー・ジョーダンの記憶を、全て消すだなんて」
「全てを消したわけじゃ、ない」
「ふ~ん、じゃあ、『どの記憶』を消したんッスか?いや、『誰に関する記憶』を消したんッスか?」
「そ、それは……」
冷ややかな目で見下ろすウィルクスの視線から逃れるように、俺は床に目を落とす。
……リーから忘却した記憶は、あの少女に関する記憶のみ。
『スリザリンの継承者』であり、同級生のセレネ・ゴーントに関する記憶だけだった。
リーが尋ねてきたのは、『ネビル・ロングボトムのヒキガエル探し』と『飲み物を購入』するため、ゴーントがコンパートメントから出て行ってしまった直後のことだった。
リーは、ゴーントに『大事な話』を伝えに来たらしい。俺は、『ゴーントはいつ帰るか分からない』といって追い返そうとした。だが、リーは帰らなかった。将棋の駒を片付ける俺を、じぃっと見ている。
そして、俺が『なんだ?』と尋ねる前に、こう尋ねてきたのだ。
『君、セレネのことをどう思ってる?』
と。
だから俺は正直に
『ただの同級生』
だと答えた。
俺にとっての『セレネ・ゴーント』は、蛇と話すことが出来る『スリザリンの継承者』であり、マグル育ちのくせして魔力も異常に高く、成績も良い同期生。
そして、父上から命じられた『監視対象』だ。
たぶん、ゴーントが『スリザリンの継承者』だといち早く気がついたのは父上だっただろう。俺の父上は、在学時から『闇の帝王』に仕えていた。1番近しい部下……ではなかったらしいが、学生時代の『闇の帝王』から、色々と魔法界の出来事を尋ねられたそうだ。その中に『ゴーント』に尋ねられた話もあったらしい。
なんでも、ゴーントという廃れた純血魔法族がスリザリンの直系だということを感づいたのは、父上だったとか……
まぁ、そんなことはどうでもいい。とにかく《継承者は、『帝王』のみでなければならない》ということが大切なのだ。
よって、セレネ・ゴーントという『継承者』は存在してはいけない人物だ。
いつか、『帝王』が復活したとき、速やかに始末できるよう監視しておくこと。それが、父上から与えられた命令だ。だから、俺は彼女に警戒されぬように近づき、『将棋』というマグルのゲームを時折やる仲まで進展させた。それ以上の感情なんて、抱いているわけがない。
いや、抱いてはいけないのだ。
なのに、どこで崩れてしまったのだろう?
最初は、蛇と話す気持ちの悪い女だった。
いや、顔立ちは良かったが、蛇と話せるなんて気味が悪い。サラザール・スリザリンも蛇と話せたみたいだが、あいつはマグルの中で育ってきたのだ。気味が悪すぎる。
しかも、その蛇の治療のため、わざわざ『あの』ハグリットの下へ駆けて行っていたのだ。ありえない……とてもじゃないが、スリザリン生とは認められない。
他の同期連中は普通に付き合っているみたいだが、俺は父上の命令が無ければ、口をきくこともなかっただろう。
だけど、おかしくなり始めたのは、1年生の学期末パーティーだ。
あの日、ゴーントが自然と零した笑みに目が釘付けになってしまった。普段、滅多に笑わない…笑ったとしても作り物気味ている笑みの彼女が、初めて笑ったのだ。蕾が花開くように、ふわっとした心の底から嬉しそうな笑顔を、浮かべている。
そして、スリザリンが1位から転落した瞬間に見せた『紫』の瞳からも、目を離すことが出来なくなってしまっていた。
それは、純粋すぎる怒りの赤色。その中に見え隠れするのは、どことなく控えめな寂寥の青色。
ぞわり、と背筋を奔った『恐怖』よりも、『危なっかしいな』という庇護心を感じた自分に驚いてしまった。
なんで、そんなに怒っているんだろう?
なんで、そんなに悲しそうなんだろう?
何事にも動じないはずのセレネ・ゴーントが、揺れている。危なっかしいくらいに、揺れている。それに誰も、気がついていない。……そのことを問いただす前に、ゴーントは席を立ってしまった。
あれから、もう1年と数か月。
それ以後、俺はゴーントのことを『ただの同級生』だと感じなくなっていた。
どことなくだけど、怪我をしそうな危うさを持った不安定な少女。もちろん、実際のゴーントは怪我なんてしそうもないくらいしっかりしているが、でも……ふとした拍子にバランスを崩してしまいそうな危うさがあった。
だから、放っておけない。
これ以上、あまり傷ついて欲しくないのだ。だから、いつの間にか『継承者を監視』ではなく『辛い思いをしていないか監視』に目的がすり替わってしまっていた。
その思いに気が付いたのは、2年生の学期末。
誰もが期末試験免除で喜びにあふれている中、セレネは感情を押し殺したような眼をしていた。辛そうに、何かに耐える様に無理やり笑顔を浮かべていた。
『どうしたんだ?』
そう話しかけようとした時、俺は愕然とした。
それは監視対象としてではなく、純粋にセレネを心配して起こした行動だったということに、気が付いてしまったのだ。
これは不味い。このままでは、『帝王』が復活したときに彼女を殺すことが出来そうにない。
だから、一旦距離を置くため、他の友人たちのように『セレネ』とは呼ばず、彼女のことを『ゴーント』と、呼び続けていた。……今抱いてしまっている感情を、無視するために。
『俺さ、セレネのこと好きなんだよね』
セカイが止まる。
将棋の駒を終う手が止まり、まじまじとリーの顔を見てしまった。少し照れ気味なリーは、セレネがいかに可愛いかを話し始めた。
その言葉は、ほとんど俺の耳を通過するばかりで、内容まで頭の中に入ってこない。
でも、最後の一言。
『だから、告ってみようかな~なんて」
その言葉だけは聞こえた。
静止したセカイから、色が消えた。視界が徐々に灰色に染まり始める。
コイツ、告白するつもりなのか?セレネに?
「ほら、“思い立ったら吉日”って言葉もあるだろ?
ジョージがアンジェリーナに告ってふらているところを見てさ、あ~俺も気持ちだけでもいいから伝えてみようって』
俺のできないことを、いとも簡単にやろうとするなんて。俺だって、セレネに思いを伝えたいのだ。コイツに先を越されるなんて……こんな奴に、先を越されるなんて……。
でも、セレネは友人ではない。監視対象に過ぎないのだ。
そう、心のどこかで自制する声が小さく響いていた。だけど、その声をかき消すくらい大きな声で胸の内の何かが暴れだす。
目の前のコイツを、赦すものか!と、いつの間にか右手で杖を握りしめている俺がいた。だけど、一方……その杖を振り上げるものか!と抑え込むように左手が右腕をつかんでいる。
そんな俺の葛藤をつゆ知らず、リーは照れた顔で話を続けていた。
『まっ、今回は振られると思うけどさ。いきなりだし。
でも、セレネの中に俺の存在を意識づけるだけでいいんだ。あとは、じっくり外堀から埋めていけばいい。……セレネみたいに気の強くてプライドの高い女の子は、1度でもガードを壊せば、もう後は簡単だから』
灰色に染まりきった俺の視界の中で、嬉しそうに話すリー。
コイツ、ユルセナイ。
ちゃらっちゃらした男が、こんな男が、セレネと付き合うことになるなんて!!
俺は、ユルセナイ!ユルスものカ!!
待った!と心のどこかで叫ぶ声を無視し、俺は杖を振り上げてしまったんだ。
「ま、このことは誰にもいわないから安心するッスよ、セオドール」
ウィルクスはそう言って悪戯っぽく笑うと、ボーっと立ったままのリーに杖を向ける。すると、リーの意識が戻ったようだ。
「あれ、ここで何を……」
「おっ、そこのグリフィンドール生。人のコンパートメントの前で、何してるんッスか?」
何事もなかったかのように、ウィルクスが話しかける。すると、リーも何事もなかったかのように笑い出した。
「悪い悪い、何やってたのかさっぱり思い出せないんだよ。まぁ、ちょっとボーっとしてたってことで」
そう言いながら去っていく。
「良かったじゃないッスか。忘却呪文は成功してたみたいッスよ」
「……なんで、助けてくれるんだ?」
「それは―――」
その先の言葉を、シルバー・ウィルクスが言うことはなかった。
暗い表情でトランクを引きずるダフネ・グリーングラスに話しかけられたからだ。
どうやら、ミリセントとパンジーと同じコンパートメントにいたらしいが、新学期早々始まった2人の喧嘩に耐えられなくなったので出てきてしまったらしい。
それからは、ゴーントが戻ってくるまで3人で話していた。
特に意味のない話をしながら、俺は、これ以上ゴーントに深くとらわれては不味いと危機感を覚えた。もっと、距離を置かないといけないと強く感じた。
だけど、俺は―――――
ゆっくりと、眼を開ける。
「ん?なんだ、起きたか」
俺を覗き込んでくる人影。暗がりで顔は見えなかったが、細い顔立ちと黒い髪は視界に入ってきた。
「セレネ?」
「悪かったな、セレネじゃなくて」
そこにいたのは、見知らぬ髪の長い男だった。
東洋の方の言語と地図が印刷されたシャツを着た男は、物凄く不機嫌そうに俺を見下ろしている。
「お前は……」
「私は、この家の主だ。……まったく、あの女め。いきなり訪ねてきたと思えば、自分と男を匿えだと?私をなんだと思ってるんだ」
ぶつぶつ言いながら、男はどさりと近くの椅子に腰をおろす。そして、机の上に投げ出された書類に目を通し始めた。
「…セレネは?」
少し遠慮がちに尋ねる。だが、男が面倒くさそうに口を開く前に、
「おっ、起きたのか」
ドアが開き、セレネが現れた。ところどころ、服や髪に埃がついている。もしかしたら、どこか他の部屋を掃除していたのかもしれない。俺は辺りを見渡しながら、難しい表情を浮かべて言葉を発する。
「……ここは?」
「友人の家さ」
「友人?私とお前が友人だと?勝手に押しかけて、ふざけるのも大概にしろ」
椅子にドサリと腰を掛けた髪の長い男が、不機嫌そうにセレネを見る。セレネは普段と変わらぬ無表情で……だけど、どこか面白がるような表情で男を見た。
「お前と私の仲じゃないか。約束無しで押しかけたのは悪いかもしれないが、別にいいだろ」
「いいわけあるか!自宅に張っておいた警戒用の結界を壊された上に、魔術礼装まであの有様だ!」
男はビシリッと部屋の隅を指した。
その一角には、銀色の液体が広がっていた。いや、ただの液体じゃない。光沢をもったそれは……水銀だ。礼装ということは、魔具ということなのだろうが……どこからどう見ても水銀。魔力を持っているようには全く見えず、にわかに信じがたい。だが、そのことを尋ねる空気ではなさそうだ。
「お前が、家に入れてくれないのが悪いんだ」
「厄介ごとの塊みたいなお前を、匿いたくないに決まってるだろ」
吐き捨てるように男は呟く。
「アンタたちは等価交換が原則なんだろ?ちゃんと、アンタが提示した対価を払ったからいいじゃないか」
セレネは当然のような口ぶりで、男に反論する。
しばらく男は、何か言いたげな顔で口を動かしていた。だが、手にした書類をバシンっと机に叩き付けると立ち上がった。
「もういい、私は研究に戻る。3日間帰ってこないから、好きに使え」
そう言いながら、男は荒々しく部屋を出て行った。
『研究に戻る』という言葉から察するに、どうやら男は研究者だったらしい。そう言えば、整頓されていると言い難い机の上には、幾多のフラスコやらビーカーやらが積み重ねられている。本や書類も適度に散在していた。その本と本の隙間には、見慣れぬ四角い箱が置かれている。セレネは俺の前を素通りすると、その箱の前に腰をおろした。
「対価って、何を支払ったんだ?」
四角い箱や、その前に転がった視たこともない器具を動かし始めたセレネに向かって、ぼそりと尋ねる。
「大したことじゃないさ。掃除・洗濯・料理といった身の回りの世話をすること。あと、対戦ゲームに付き合うこと。それから……あぁ、そうだ。魔法界について話せってことくらいだな」
思った以上に、安い対価だ。突然訪ねてきて、結界を破壊し、3日間も匿ってくれるのにもかかわらず、この対価は何かの間違いだろう。そう思い再度尋ねてみたが、
「さっきも言っただろ。対価は、それだけだ」
と、うっとうしそうにセレネは答えた。だから俺は、何も言い返せない。だけど、黙々と変な機器と四角い箱をつなげるセレネを見ているうちに、ふと疑問が思い浮かんできた。
「おい、ちょっと待て!あのマグルに、魔法界のことを話したのか!?」
「あぁ、話した」
セレネは平然とした様子で、変な機器のボタンを押す。すると、四角い箱が光はじめ何やら音楽を奏で始めた。視たことのない現象に、俺は眉をひそめる。
「お前、何をしたんだ?」
「テレビの電源を着けたんだ。……マグルのゲームをするために」
「マグルのゲーム?」
箱の前面に《アドミラブル大戦略》という文字が、でかでかと映し出された。
「これが、マグルのゲームか。本物を見るのは、初めてだが………じゃない!お前、相手はマグルだぞ?勝手に話していいと思っているのか?」
「別にアイツは厳密なマグルじゃないから、平気だろ。ダイアゴン横丁も知ってたし」
小さなボタンやらなんやらをリズミカルに動かしながら、セレネは応える。
「で、私をヴォルデモートが狙っていたのは『継承者』だからか?」
「まぁ、それもあるが……」
思わず言葉を濁してしまう。すると、それを怪しく思ったのだろう。光を点滅させる箱に目を向けたまま、少し先程よりも厳しい口調で俺を問い詰めてくる。
「他にも理由があるのか?……じゃあ、この『眼』が欲しいと?」
「いや、『眼』じゃなくてだな、杖を欲しがってるんだ」
「杖?」
セレネはいったん動きを止める。その瞬間に、セレネが動かしていたキャラクターがグサリっと敵に切り刻まれてしまった。『HP』と書かれたバーの量が、一気に削られている。
「杖ならヴォルデモートも持ってるだろ。確か……イチイの杖だったか?」
「なんの杖だか忘れたが……お前のセストラルの毛を使った杖が欲しいらしい」
俺は、以前ドラコの屋敷で耳にした会話を思い返す。
「最強の杖と名高い『ニワトコの杖』の代用品として、同じセストラルの毛が使われた『セレネの杖』を欲しているらしい」
「ニワトコの杖って言ったら……『最強の杖』か?別名『死を呼ぶ杖』だったっけ」
セレネのキャラクターが、幾本もの閃光を放ち敵を殲滅しようとする。だが、敵の大将が繰り出す盾によって弾き返されてしまっていた。
「それなら簡単だ。私の杖とヴォルデモートの杖を交換すればいい。そうすれば、面倒なことにはならないだろ」
「いや……『ニワトコの杖』は、持ち主を殺さなければ忠誠心が新しい持ち主に移らないらしいんだ。だから、帝王はお前を殺そうと企んでいる」
セレネは、しばらく何も話さなかった。点滅する四角い箱を黙って睨めつけながら、機械的にボタンを押していく。
「つまり、遠い異国に逃げても意味ないってことか」
ついに、セレネの操っていたキャラクターのHPバーの色が無くなる。そして、憂鬱な音楽が流れるのと共に、大きく《GAME OVER》の文字が映し出された。
「いや、だが異国なら『闇の帝王』も探し出しにくくなると思いぞ。だから、早めにこの国から逃げた方がいい。……支援者がいるんだろ?」
「そうだな」
セレネは、真っ暗に染まった箱を見たまま口元に笑みを浮かべる。
「なら、ヴォルデモートを倒せばいいだけだ」
小さく映し出された《Continue?》の文字を、セレネは躊躇うことなく押した。途端に、陽気な音楽が流れ始め、箱が一気に明るくなる。俺は思わずベッドから跳ね起きてしまった。
「お前!何言ってるんだ!?」
急に動いたからだろう。身体の節々が痛むが、そんなの関係ない。
「逃げるんじゃなかったのかよ?いくらセレネでも『帝王』と戦うなんて、命がいくつあっても足りないぞ!」
「準備すればなんとかなるさ」
《Shop》と書かれた場所で、次々に道具を買いこむセレネ。
「圧倒的劣勢の状態でも、策がしっかりとしていれば勝つことが出来る。
例えるなら、『アレシアの戦い』やシモ・ヘイヘの『殺戮の丘』……アジアでは『赤壁の戦い』や『日本海海戦』が思いつくな」
「悪い、1つも分からん……が、言いたいことは分かった」
恐らく、どれもマグルの世界の出来事だろう。魔法界の出来事ではない。
だが、兵力の差は敵前としているのにもかかわらず策をしっかり構築していれば勝てるのだという事例は、魔法界にも存在する。例えば、『第34次巨人戦争』とか『ゴブリンの反乱事件』とか。
「だがな、相手が誰なのか分かってるのか?」
「分かってる。しかも、ゲームみたいにリセットやリトライが出来ない」
再度、先程の敵がセレネのキャラの前に現れる。
先程と同じ言葉を話した敵は、同じ攻撃パターンでセレネのキャラを倒しにかかる。1度戦っているからだろう、セレネは見事としか言えないタイミングで敵の攻撃を避け続ける。
「だから、しっかりと作戦を練り、行動パターンを何度も何度も考える。万全に整えた状態で、戦いに臨む。……それに、ヴォルデモートが『見つからないから、探すのを諦めるか』とでも言うと思うか?」
セレネは楽しげな笑みを浮かべながら、話す。セレネが軽やかな攻撃を繰り出すたびに、敵のHPバーの色が視る見る間に無くなっていった。楽しげなセレネとは対照的に、ゲームの敵は苦しげに冷や汗をたらし始めた。
「どうせ、どこに逃げても殺しに来る。だから、立ち向かうってわけか」
俺は呟いた。
確かに一理ある。俺は頷きながら、セレネに言った。
「だがな、セレネ。ヴォルデモート相手とはいえ『人殺し』は不味いんじゃないか?」
セレネの動きが一瞬止まる。
その隙をついたのだろう。防戦一方だった敵キャラクターが猛反撃に出始めた。セレネのキャラの背後へ瞬間的に移動し、いかにも強烈な拳をたたき出す。セレネのキャラクターは遠くへ吹っ飛び、壁にぶつかってしまった。HPバーの色が、瞬く間に削れていく。
「人殺しは不味い?」
「あぁ、倫理的にダメだろ」
倫理的に不味い。
ただでさえ危ういセレネが、『人殺し』なんていう人の道を外れた所へ走ってしまったら……なにか、取り返しのつかないことになってしまいそうだ。
「面白いことをいうな、ノット」
セレネは、どことなく空虚な微笑みを浮かべる。
だけど、それだけだった。
それっきり、セレネは俺の問いには答えることなく、マグルのゲームとやらに没頭していた。
部屋に差し込む陽光が蜜色に染まる頃まで、ずっと。
---------------------------------------------------------
6月1日:一部訂正