ナイフを引き抜くのと、死喰い人達の杖から閃光が放たれたのは、ほとんど同時だった。真っ赤な閃光が幾重にも重なり、私に襲い掛かってくる。
これは『眼』を使い『線』を斬るよりも、防御魔法の方が素早く防げそうだ。そう考えた私は、先程から左手に握りしめていた杖を振り上げる。
「『プロテゴ‐守れ』!」
呪文を唱えると同時に、私の目の前に広がる透明な壁。目と鼻の先まで迫った閃光が、防御壁に衝突し四散した。それを見届けるのと同時に、左袖の下に隠し持っていた閃光弾を取り出す。
そして、投げた。
キャッチボールをしているかのように、ポーンと。
目も眩むほどの光が、死喰い人一団の上空で炸裂する。その様子を目の端で見届けるとすぐに、私は地面を蹴り走り出した。とにかくまず、身を隠さなければいけない。時間稼ぎにしかならないけれども、少し冷静になって対策を考えないと負けてしまう。
柱の陰に滑り込むようにして隠れた私は、杖で頭の上をコンコンと叩きながら呪文を呟いた。
「『ディサリジョン‐目くらまし』」
身体の表面全体に冷たいものが、トロトロと流れる感じがした。杖を握りしめる自分の手さえも、だんだんと保護色のように見えなくなっていく。
「おい!何処に消えた!?」
「いない、いないぞ小娘!」
「近くにいるはずッスよ。遠くには行けないはずッスから。……なるべく早く探しだすッスよ。俺は今から行くところがあるから、指示はディゴリーに任せるッス」
シルバーは、そういうと1人の死喰い人の肩をポンッと叩いた。そして、マントを翻してどこかへ去っていく。
「では、みなさん。セレネ・ゴーントを探し出してください。『帝王様』のためにも」
セドリックが告げると、死喰い人達は軽く頭を下げ私を探しに去っていった。
辺りには、誰もいなくなる。しーんと静まり返った空港のロビーには、遠くの方で死喰い人達が走り回る音のみが響いていた。
私も音を立てないよう気を付けながら、慎重に歩きはじめる。
……まず、長期戦は不利だ。
『姿くらまし』が出来ない以上、逃げる手段は徒歩に限定されてしまう。
だが、『目くらまし』の呪文の効果は、そう長く続くものではない。せいぜい15分持てばいい程度だ。実際に、もうすでにチラリチラリと保護色が切れ始めている。
……とりあえず『姿くらまし防止呪文』を使った奴が誰なのかを確かめないと、どうにもならない。空気中に張り巡らされた―恐らく防止呪文と推測される―『線』を全て切れば、ここから脱出できる。だが、それはあまりにも非効率だ。線が幾重にも重ね合い、全て断ち切るのには時間がかかりすぎる。それで時間を潰すくらいなら、この呪文を使用した『死喰い人』を戦闘不能に陥れた方が効率が良い。
私は高く積まれた土産物の陰に隠れて、様子をうかがった。
……向こうから、マントを深くかぶった死喰い人が1人で近づいてくる。まるで、何かを探しているみたいに。……たぶん、隠れたまま出てこない私を探しているのだろう。
なら、私から出て行ってやるか。私に気が付かず通り過ぎようとしていた死喰い人の足を、軽くつかんだ。
「うわっ!?」
前のめりになる死喰い人。
私は躊躇うことなく、そいつの上にまたがると、喉元にナイフを突きつけた。
「殺されたくなければ」
「待て!待ってくれ、セレネ!俺だって!」
降参だ、というように両手を上にあげる死喰い人。杖がカランと音を立てながら、地面に転がる。……どこかで聞いた覚えのある声だ。私は、慎重にその死喰い人の仮面を外した。
「……お前か」
どこか呆れ口調で呟いてしまう。仮面の下で苦笑いを浮かべていたのは、ノットだった。耳まで赤くなり、心拍数が上がっているところから察するに……はしたないことを考えているのかもしれない。まったく……命を握られているというのに、のんきなモノだ。
その考えを叩きのめしてやろうか、と思ったが……今はそれどころではない。
ポリジュース薬で変身したノットの偽物ということも考えられるのだ。私がノットだと思い油断した隙に、『死の呪文』で攻撃してくるかもしれない。まずは、本当にセオドール・ノットかどうか確認しなければ……
「歩兵が成ると何になる?」
ノットが口を開く前に私は、小さな声で問う。するとノットは、悩むことなくはっきり答えた。
「『と金』だろ」
「……」
どうやら、本物らしい。
イギリスの、しかも魔法界で将棋の知識を持っている奴は滅多にいない。私は、ゆっくりとノットの首元からナイフを放し、彼の上からどいた。だけど、不意をついて私を攻撃してくる可能性も捨てきれない。『眼』を開いたまま、立ち上がろうとするノットを見下ろしていた。
「『姿くらまし防止呪文』を使ったのは、誰だ?」
「そいつが誰か知ったら、セレネはそいつを倒しに行くんだよな?」
そんなことお見通しだ、とでもいわんばかりの口調でノットは呟く。立ち上がったノットが、私のことを見下ろすと諭すような口ぶりで話し始めた。
「いいか、セレネ。お前は、狙われてるんだ。そりゃ…お前が強くことを知ってるけどさ、ここは戦わずに逃げることだけを考えろ!」
ノットは、必死な形相で訴える。普段、表情を滅多に変えないノットにしては、珍しい。私は反論しようと口を開こうとしたが、言葉を発する前にノットが
「俺が死喰い人達の配置を縫って、出口まで連れて行ってやる!」
と言った。私は黙ってノットを見上げ、思案する。
ノットがここにいる以上、死喰い人の中にはドラコやクラッブ、ゴイルもいる可能性が高いのだ。私だって、あまり戦いたくない。だが……案内された先で、死喰い人達が待ち構えている可能性もある。ノットは本当に好意で逃げることを進めてくれているのだろうけど、ここにいる死喰い人を統括しているのはシルバー・ウィルクスだ。今のノットの行動を見越しているだろう。……となると、ここは……
「私の質問に答えてくれないか」
「セレネ!」
今度は杖を、ノットの喉元に突き付ける。もちろん、空いた手には、ナイフをしっかり握りしめた状態で。
「分かってるのか!?これは、他人事じゃない。…『闇の帝王』は『セレネ・ゴーントを殺せ』って言ってる!……俺は、お前を心配してるんだぞ?」
「あぁ、他人事じゃない。だがな、お前に心配される道理はないだろ」
「心配するに決まってるだろ!ずっと前から俺は……」
だが、その先の言葉をノットが口にすることはなかった。
ノットの向こうから走り出す赤い閃光を視たから。
首元に突き付けた杖を離し、そのままノットの腕をつかんでしゃがみこむ。突然のことで、ノットは驚いたのだろう。そのままバランスを崩し、派手に床に激突してしまったようだ。痛そうに呻くノットと、そのまましゃがんだ私の頭上を本の閃光が通り過ぎる。
「……多いな」
今の攻撃は、仲間であるはずのノットに当たる危険性のあるものだった。どうやら、死喰い人は何としてでも私を捕えたいらしい。
「ノット、もう1度聞く。……誰がここに『防止呪文』をかけたんだ?」
今、私達を囲んでいるのは先程いた死喰い人と同じくらいだ。こいつらは、2度も目くらましが通じるような相手ではない。あの中の誰かがドラコかもしれないし、ゴイル達かもしれないけど、ここは覚悟を決めて戦うしかない。
ノットは躊躇うように視線を彷徨わせた後、覚悟を決めたように立ち上がった。ぎゅっと杖を握り直した様子が、視界の端に映る。そして、ノットは私の耳元で囁いた。
「セドリック・ディゴリーだ。…お前の背中は俺が守る。どうやら、俺も敵認定されたみたいだからな」
「そうか、ありがとう」
私はそれだけ囁き返すと、地面を蹴った。途端に呪文の集中砲火が再開される。色とりどりの呪文の雨の間を縫うように、時にはナイフを使って切り裂きながら疾走する。
仮面を被っているから、誰がセドリック・ディゴリーなのかイマイチわからない。だが、セドリックは180㎝後半くらいだったような気がする。つまり、死喰い人の中で背が高い奴を片っ端から倒していけばいい話。私は一番手前にいた死喰い人に、杖を向けた。
「『ステューピファイ‐麻痺せよ!』」
死喰い人は、慌てて防御呪文を唱えようとしたらしい。だが、それは遅すぎた。私の杖先から放たれた失神呪文が見事、死喰い人の顔を直撃する。マスクが外れ、遥か後方へ飛んでいく死喰い人を見向きもせず、次の死喰い人に狙いを定めた。あの程度の呪文を防御できない死喰い人が、セドリック・ディゴリーには思えない。次に狙いを定めた死喰い人は、私に睨みつけられ、ビクッと身体を震わせた。だが、
「数撃てば当たる!」
そう叫ぶと、無言呪文を乱射する。だが、筋が甘すぎる。
「違う」
仮面の下に現れたのは、恐怖に歪んだ見知らぬ顔。殺す価値もない男の顔だ。
私は何のためらいもなく、男に蹴りの一撃を入れる。そして男が白目をむいて地面に崩れ落ちる前に、3人目のターゲットを絞り込んだ。
「ひぃっ!」
仮面越しに視線が合った途端、情けない声で鳴く3人目。……なんとなく、セドリックではない気がするが、気にせず走り出す。3人目の男は、よろめくとドサリと座り込んでしまった。戦意消失と言えばいいのだろうか。握りしめていた杖が、床に転がり落ちている。
殺気も何も感じ取ることが出来ない。だが、私は彼にも杖を向ける。
「『ステューピファイ‐麻痺せよ!』」
万が一、演技だったら大変なことになるから。
赤い閃光は座り込んだ死喰い人に直撃し、そのままガクリと首を垂れる。少しずれた仮面の隙間からのぞかれる顔をみて、少し眉間にしわがよるのを感じた。その顔は、見慣れていたドラコの取り巻き、クラッブのもの。……セドリックではない。
「容赦ないね」
そんな呟きが聞こえたと思った瞬間、左側から赤い閃光が奔る。咄嗟に左足を回し、ナイフで斬り殺そうとするまえに、目の前に透明な壁が広がった。
自分が張った覚えのない防御呪文に弾き返され、赤い閃光が私に届くことはなかった。誰が防御呪文を放ったのか。……なんとなく分かる気がするが、確認のため後ろを振り返ろうとする。だが、
「よそ見するな、セレネ!お前は目の前の奴らのことだけを考えればいいんだ!」
私を叱責するノットの叫び声が響く。『余計なお世話だ』という言葉を飲み込むと、私は口元に笑みを浮かべる。振り向きかけていた視線を戻し、次の標的に注いだ。ナイフを持ち直し、杖を握りしめると4番目の標的を目がけて疾走する。
「やれやれ、見難いな」
標的にした死喰い人は鬱陶しそうな声で呟くと、仮面を外した。仮面の下の顔を見た途端、私は走る速度を速める。
「久しぶり、セレネ」
すらりと整った顔立ちに灰色の瞳の青年。間違いなく、一緒に三校対抗試合に出場した、ハッフルパフのセドリックだ。
「こちらこそ、久しぶりだな。セドリック・ディゴリー」
私が応えると、セドリックは柔らかい温和な笑みを浮かべた。そして、その表情のまま杖を振るう。しかし杖先から放たれた幾本もの閃光は、私を狙ったものではなかった。セドリックの呪文は、外れた数々の失神呪文で砕けた床や柱の瓦礫に命中する。
「君が僕を狙うことは、分かっていたよ」
床や柱が生み出した瓦礫は、次々と犬―ラブラドールレトリバー―へと姿を変える。本来ならセドリックと似た優しげな瞳をした犬種なのだが、今生み出された犬はどれも獰猛で血走った目をしていた。何匹もの犬は、迷うことなく一斉に私目がけて飛びかかってくる。
「っち!」
次々に襲い掛かる犬達を、避けることなくナイフで斬り捨てた。ナイフが間に合いそうもない時は、無言呪文を放つ。足元を狙われた時には蹴りを、背後から襲いかかられたときは裏拳で応戦していく。
そのうちに、犬達が攻撃してくる場所が限定されていることに気がついた。
ある犬は、私の喉元目がけて。また、ある犬は私の足首を、手首を、脇腹を噛みつこうとしてくるのだ。そう、太い血管が通る場所ばかりを狙ってくる。噛み千切られれば確実に致命傷になる、そんな場所ばかりを。
「……数が多い」
次から次へと沸いてくる犬達。いくら倒しても、終わりが見えてこない。むしろ、増殖しているように思う。
まるで、時間を稼いでいるかのように―――
「…まさか!」
嫌な予感が、電撃のように脳裏を奔る。
――騎士団との戦闘では、無数に飛び交っていた緑色の閃光『アバタ・ケタブラ』を、今日は1度も目にしていない。
――今まさに繰り広げられている、セドリックの時間稼ぎとしか思えない戦術。
――そして、ノットが教えてくれた『ヴォルデモートが私の命を狙っている』という情報。
あまり考えたくないが、ヴォルデモートは『自らの手で』私を殺したいのだ。
何らかの理由でヴォルデモートは、すぐにこの場に来ることが出来ない。だから、セドリックが私を逃がさないように『姿くらまし防止呪文』を使用し、こうして時間稼ぎをしている。
「ちょっとまずいな」
ナイフを振り下ろし、大口を開けて飛びかかってきた犬を一刀両断しながら呟く。
いくら分霊箱を全て破壊したとはいえ、『今』ヴォルデモートと戦いたくない。もちろん、ヴォルデモートをこの手で殺したい気持ちはある。だけどヴォルデモートを殺すのであれば、もっと万全な体勢で臨みたい。
弾薬も作戦も中途半端な状態で勝てるような、軟な敵ではないのだ。伊達に『史上最悪の闇の魔法使い』と言われた男ではない。
「さっさと終わらせるか。『フィニート・インカンターテム―呪文よ、終われ』!」
杖先から噴射された閃光が風を巻き起こし、私を取り囲んでいた犬達を吹き飛ばす。犬達は次々に元々の瓦礫へと戻っていく。犬を生み出すべく呪文を唱えていたセドリックは、作り出した犬達が一斉に元の石ころに戻ってしまったからだろう。杖を振り上げようとする姿勢のまま、少し呆然とたたずんでしまった。絶え間なく続いた犬の猛攻が、完全に途切れる。その瞬間を見逃さずに、袖の内側から予備の閃光弾を取り出した。
「なっ!?」
セドリックが驚きの声を上げた途端、私の手から放たれた閃光弾は炸裂した。
眩いばかりの光が、戦場を一面を白く染め上げる。そして私は、一直線に走る。セドリック・ディゴリーが立っていた場所は、しっかり覚えている。
あっさりと間合いを詰めた私は、セドリック・ディゴリーの腹にナイフを深々と貫いた。
…いや、正確には少し違う。
セドリックの体内に蠢く、『得体のしれないナニカ』を貫いた。
例えるのであれば、ハリーの魂に寄生していた『ヴォルデモート』と似た類のモノ。だけど、アイツほど禍々しくなければ怪物じみてない。それは、もっと人間的な欲望の塊。
「っぐ」
セドリックは、大きく目を見開き、口を開き声にならない悲鳴を上げる。突然殺されたセドリックの中に巣くっていた『ナニカ』は、悲鳴を上げていない。いや、あげる暇を与えなかったという表現が正しいかもしれない。現状を理解することが出来ないまま、ナニカは『ヴォルデモートの魂の欠片』よりも無抵抗に消えて行った。
「あっけない」
ナイフを引き抜きながら、淡々と呟く。もちろん、血なんて付着していない。ナイフで斬られた後すら、見当たらなかった。
ナイフという支えを失ったセドリックは、どさりと地面に倒れた。
すっかり気を失っているらしく、白目をむいている。私は、ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。……これで、無事に『姿くらまし』で逃げることが出来る。
というか、早く逃げなければならない。ヴォルデモートが合流する前に、一刻も早く逃げださなければ。
だが―――――
振り返るとそこには、いまだ戦う4人の死喰い人の姿が目に入る。
3人の死喰い人を相手に、1人杖を振るい続ける死喰い人。額からは汗を流し、かすった呪文の効果で身体中からジワジワと血が流れ出ている。
『どうしても、諦めない』といった類の光が、いまだノットの瞳には浮かんでいた。しかし、動きもだんだん悪くなる一方で勝ち目はない。どことなく足元をふらつかせながら、それでも決死の形相で死喰い人に立ちむかっていく。気力だけで戦い続けているような状況だ。
容赦なく襲い掛かる『アバタ・ケタブラ』の緑色の閃光を間一髪で避け、ノットは杖を振り上げようとする。だが、杖を振り上げる前に新たな呪文が至近距離から迫ってくるのだ。あれでは、避けるのに精一杯だろう。
「っち!」
軽く舌打ちをすると、しまいかけていた杖を構え直す。そして、素早い手つきで狙いを定めた。
「『インペディメンタ‐妨害せよ』!」
紫色の閃光が飛び、杖を振り上げていた3人の死喰い人が吹っ飛ぶ。
そのうち1人の仮面が、衝撃によって外れて目があった。一瞬、罪悪感が胸を横切ったが感傷に浸っている暇なんて私には存在しない。出血多量で目が虚ろになり始めているノットの腕を握ると、迷うことなく私はその場で回転する。
『姿くらまし』をする間際、遠くの方からアイツが飛んでくる様子が見えた気がした。そう、まるで蝙蝠かカラスのように漆黒のマントを靡かせて。
だけど、私には関係ない。
咄嗟にひらめいた身を隠す場所は、憤怒と歓喜が入り混じった形相で飛んでくるヴォルデモートが思いつくわけない家なのだから。
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5月22日…一部改訂