束縛術式:対象――衛宮切嗣
衛宮の刻印が命ず:下記条件の成就を前提とし:誓約は戒律となりて例外なく対象を縛るもの也:
:誓約:
衛宮家五代継承者、矩賢の息子たる切嗣に対し、冬木市で執り行われる第五次聖杯戦争において、コルキスのメディア以外のサーヴァントを対象とした、聖杯の譲渡、あるいはその助力を永久に禁則とする。
:条件:
衛宮切嗣の息子たる衛宮士郎の令呪を用いたサーヴァントの召喚、並びに令呪の一角を衛宮切嗣へと譲渡する。
□2月2日『4 召喚』
「そんなに睨まなくても、何もしないわよ」
多少あきれたような声でキャスターが言う。
その言葉を聞いて、切嗣は初めて自分がキャスターを、正確に言えば彼女のいる方向を真剣に見つめていた事に気が付いた。
自己強制証文の文面の推敲をしていた筈だが、一体いつからそちらに視線を向けていたのか切嗣には定かでない。
「いや、そんな心配はしていないさ」
その言葉が的外れと言わんばかりに肩をすくめ、寄りかかっていた敷居の柱へと体重をかけ直すが、視線は僅かに弱めただけで外すことは無い。
ただ漠然と、それほど重要な事ではないように振舞いながら、衛宮切嗣は座っているキャスターと、その傍で寝ている義理の息子、衛宮士郎を見つめていた。
「そう……」
その言葉を信じた訳ではないだろうが、キャスターは士郎へと視線を戻す。
切嗣に配慮してか直接手を触れるようなことはせず、時々手を翳したりしながら、思考を続ける。
最も、その配慮に切嗣は気づけない。 あまり自覚は無いが、彼は世間一般の物差しで言えばかなり重度の部類に属する親馬鹿である。
義理とはいえ最愛の息子を、契約したとはいえ全く信用していない魔女に預けるなど、本来は殺されたって御免である。
「けど、そちらから話しかけてくれたならいい機会だ、後どれくらい時間が掛かりそうだい?」
そういった理由も含めて、それほど急ぐ訳でもないのに切嗣は時間を問うた。
外は既に暗くなって久しいものの、付近の家々からは未だ煌々とした明かりが溢れている程度の時間。
士郎が眠っているのはキャスターに頼んだ諸々の調査の為に魔術を用いたからであり、魔術師にとっての活動時間は寧ろこれからである。
「そうね、令呪の移植というだけなら問題なく行えるでしょうけど……」
そんな切嗣の心理は特に気にせず、至極あっさりとキャスターは述べる。
士郎の令呪の移植、これは新しいサーヴァントを召喚するのに必要であると同時に、士郎が聖杯戦争に巻き込まれる可能性を絶つ、切嗣としては必須といっていい事柄だ。
幸いこれはそう難しい魔術ではないので、切嗣としてはあまり危惧してはいなかったのだが、意外な事にキャスターは僅かに言いよどむ。
「何か問題が?」
「これが問題になるかは断言できないのだけれど……この子の手に現れているのは正確には令呪ではなくて、その予約権みたいなもののようね。
といっても召喚は出来るし、摘出して召喚を行えば令呪も問題なく手に入るでしょうけど、その後にこの子が自力でサーヴァントの召喚する、という可能性があるわ」
キャスターは、多少表情を険しくして答える。
状況は問題なく読み解けたが、断言できないという状況が彼女の口を多少重くしている。
当然の話ではあるが、切嗣は状況を複雑、かつ危険にする士郎による召喚に踏み切る気など最初からなかった。
だからこそ、士郎の持つ令呪を自身に移植し、キャスターの補助の下に新しいサーヴァントを召喚しようと試みたのだが…。
「そんなことがありえるのか? 令呪を失ったマスターが新たに聖杯から令呪を授かるなんて」
「……私も全てを理解できている訳ではないのだけれど、マスターの例を見るように聖杯にはある程度の意思というか法則があるわ。
仮にサーヴァントが七騎揃う前に令呪を奪われ敗退したマスターがいたとして、その明確な敗者が再度の召喚したとしても聖杯は応えないでしょう。
けれどこの子は特別。 参加そのものが強制では無いのに、優先的に参加する権利だけを受けとっている状態であり、仮にその権利を失ってもそれは敗退とは見なされず、その後も他の参加候補者と同列に扱われる可能性があるわ」
切嗣も含め正当な魔術師であれば聖杯戦争の開始と共に令呪を授かり、その後に召喚するというのが普通だが、過去には異なる手順で召喚したという例も存在する。
人数が満たない場合、数合わせとして魔術の素養を産まれ持っただけの一般人が偶然に召喚し、同時に令呪を授かる。 それこそ切嗣が殺した前回のキャスターのマスター、雨生龍之介のように。
現在どれくらいの魔術師が冬木にいるのか切嗣に知るよしも無いが、聖杯戦争の開催に支障をきたすような数であるなら、再び士郎にお鉢が回ってくる可能性がある、ということになる。
「まあその辺りは適当に暗示を掛けるなりして、一時的に魔術に近づけなければいいのだけれど、絶対ではないわ。
確実を期するのなら、この子に召喚をさせた後に、自分の意志で契約を破棄させるべきね。
まあ、その場合だと私が出来る事はほとんど無いのだけれど」
切嗣にとっては意外な事に、キャスターは多少悔しそうな表情を見せながら提案した。
こと魔術において、確実性に欠ける事柄を口にしなければいけないということが彼女には苦痛であり、だからこそ魔術的な側面においては完璧な方法を提案せずにはいられなかったのだ。
「いや、やはり今のうちに摘出してくれるか」
そんなキャスターの提案を、切嗣はあっさりと切り捨てる。
魔術的には完璧であろうと、リスクの量を考えればそのような手を取れる筈もない。
「説得する自信が無いのかしら?」
「騎士道なんてものを馬鹿正直に信じている王様だ。 戦えない子供を殺し合いに放り込むなんて行為は本人が御免だろうから、契約の破棄は簡単な筈だ。
だがアレは聖杯をどうしても欲しがっている。 そのまま僕らの下に付くことを良しとはしない可能性がすごく高い。
そのまま消えてくれるならいいが、下手に新しいマスターを得られでもしたら、恐らく僕らではどうしようもない程度の強さも持っている」
多少困ったように肩を竦めながら、切嗣は補足する。
士郎の事だけならともかく、イリヤの事も考えればもう一騎のサーヴァントは必要不可欠である。
まして、その相手はほぼ間違いなく強力な対魔力を持つセイバーのクラスで召喚されると考えれば、従いきれないという事は避けたい。
「士郎については数日間、魔術そのものに関わらせなければ大丈夫だろう。
強情ではあるけど、それくらいなら強く言わなくても納得してくれるだろう」
「そう、それならいいのだけれど」
確実を期するのならば、キャスターに魔術の記憶そのものを数日間消させる事だが、そこまで本格的な魔術の行使を許す気はない。
学校が終われば直接帰ってくるように簡単に暗示してあるので、今はそれで十分だろう。
「それに付随する事柄として、この子の中にあるという触媒を取り出すというのも無理よ。
どうやってこんな代物を手に入れたのか知らないけれど、人体に溶け込んだ宝具に干渉するのは本来の持ち主でもなければ不可能。
まあその相手をこれから呼ぶのだから、そちらは直ぐに解決する問題だけど」
「そうか、まあそれはいい」
元々そちらはそれほど期待していた訳ではないので、切嗣は至極あっさりと答える。
五年前、死に瀕していた士郎を救う為に、切嗣はサーヴァントの召喚に用いた触媒を肉体に埋め込んだ。
1500年前から変わらぬ輝きを持ちつづけていた、現存する宝具。 そこに秘められた強大な神秘は、切嗣には手の施しようのなかった士郎の肉体を癒した。
だが、それが此度の聖杯戦争において士郎が選ばれた原因になったのではないか、と切嗣は考えてた。
だからこそ、この期に取り除いておきたかったのだが、そうも上手くはいかないらしい。
「そしてもう一つ、マスターが再び召喚を行うというのは不可能ね」
だがそこで、キャスターは切嗣の予想していなかった言葉を述べた。
それを告げるキャスターは、僅かにだが笑みを浮かべていた。
「なぜだ?」
「マスターが此度の聖杯戦争で未だに召喚を行っていなくても、既に私と契約しているのは事実。
一人のマスターが複数のサーヴァントと契約する事だけなら可能かもしれないけど、召喚の方は恐らく聖杯が応えないわ」
「……それで?」
切嗣は特に反論せずに、キャスターに先を促す。
それを言い出すのならば、もっと早くに言うタイミングは存在していた。
今それを言うということは、何かそれに続く内容があるということだろう。
「坊やに召喚させないなら、取り得る手段は一つ。
未だ召喚を執り行っていない魔術師、つまり私がサーヴァントを召喚するという方法よ」
「…………」
切嗣は何も答えず、表情も変えない。
激しく動揺している内心を、悟られないように注意して。
(やってくれるなっ……! )
キャスターが召喚を行えるというのは、まず事実だろう。
それに対し切嗣に令呪を移植したところで召喚が不可能であるという事柄は、事実であろうとなかろうと、切嗣に打つ手が無い。
仮にそれが偽りであったとしても、令呪の移植はキャスターに頼るしか無い上に、召喚の方もキャスターの助力無しには不可能である。
つまり切嗣には、確実性に掛けることを承知で士郎に召喚させるか、リスクを承知でキャスターに召喚させるしかない、ということになる。
そして、取るべき選択肢は最初から決定している。
どれほどリスクが低かろうと、確実性に欠ける手を取る理由など無い。
ただでさえキャスターの側に傾いている力関係が、更に傾きを強めるとしてもそうするしかない。
そういう切嗣の性格と思考を読みとったからこそ、キャスターはこのタイミングで切り札を持ち出してきたのだろう。
「……令呪の、一角」
「高いわね」
だからこそ、切嗣はこの状況を利用することにした。
この交渉において切嗣は詰んでいるが、だからといって交渉そのものをご破算にされてはキャスターもいずれ詰む。
キャスター自身が聖杯戦争を勝ち抜く為に、ある程度切嗣に対して譲歩する必要も存在している。
「さっきも言ったように、彼女は聖杯を非常に欲している。
最悪、僕さえいなければ君と自分でマスターとサーヴァントとして、聖杯を分け合える位に考える可能性もないとは言えない」
「ああ、心配の無いように言っておきますが、サーヴァントを繋ぎ止める為の楔の役割はマスターにやって貰います。
ただ魔力の供給を行うのは私、つまり実質的には私たち二人がマスターという形になるかしらね」
実際にそんな行動に出るような悪知恵は無いだろうと考えつつも、切嗣は呼び出されるサーヴァントを引き合いに出す。
そこには暗にキャスター自身がそういう行動に出るという可能性も指摘したのだが、彼女はそれを軽々と受け流す。
マスターが二人と言えば聞こえはいいが、その関係は家と家主と入居者のようなもの。 家の側に住まれるのを拒む権利などない。
「なら尚更だ。 僕は彼女のマスターとして前回勝利した。
一角とはいえ令呪があるなら、どんな相手であれ遅れを取ることは無い。
あるいは君に用いるかもしれないが、それは全てこの戦争を勝ち取る為に必要だからだ」
事実でもないことを、欠片も信じていない言葉で告げる。
令呪を用いるのはあくまで呼び出される相手に対してであり、キャスターに用いることは無いと。
「ふぅん、まあいいわ。 それならさっき推敲していた自己強制証文にでも追加しておいて頂戴。
ここはマスターの経験を尊重しましょう。 この戦争を勝ち抜いたという、ね」
どの程度反論する気があったのか不明であるが、割とあっさりとキャスターは引いた。
その表情から真意は読み取れないが、あるいは彼女とてその辺りが落とし所と見ていたのかもしれない。
令呪によってキャスターを害することが出来ないという取り決めがされるならば、総合的な優位性は変わらないのだから。
「―――αρ……」
切嗣には到底理解出来ない発音の言葉を発しながら、キャスターは士郎の右手に触れる。
さすがというべきか、眠っている士郎の表情には何の変化も見られない。
僅かな苦痛さえ生じていないという事だろう。
「―――ερ……」
そして、士郎の右手の甲から激しい光が生じ、次の瞬間には元あった赤い線ごと消えうせる。
それと同時に、士郎の右手に触れていたキャスターの右手に、同じ色の線が現れる。
「あら、よく出来ているのね」
と、そこでキャスターは己の手の甲を見つつ僅かに感嘆の声を上げる。
何のことかと切嗣が目をやると、そこにあったのは士郎の手にあった赤い一本の線とは異なる、絡み合った複雑な赤い文様。
キャスターという強大な魔術師の手に移った事で、聖杯は本物の令呪を寄越したということだろう。
「運がいいわねマスター。 召喚した後に移譲する予定だったけど、これなら今すぐ渡せるわ。
これで召喚されたサーヴァントが何らかの口を挟んでくる可能性は無くなったわね」
予定外の事ではあるが、確かに僥倖ではある。
呼び出される相手がどんな感情を抱こうと切嗣が知った事ではないが、それでもどういう態度を取るかは十分に予想出来る。
子供じみた感情の発露が減るというのは、無いよりはマシである。
「…………」
特には答えず、切嗣は丸めた羊皮紙をキャスターへと差し出す。
そっけない切嗣の態度には構わず、キャスターはそれを開き、さっと目を走らせる。
「随分細かい条件ね?」
「戦局によっては、君にある程度の被害が行くことを承知で令呪を切る事も考えられる。
取れる可能な限り選択肢は多いほうがいい」
「別に責めてはいないわ。
ここで無条件の制約をしてくるようなマスターなんて、こちらから願い下げですもの」
無感情に答える切嗣にあっさりと返しながら、キャスターは右手を差し出す。
ともすればダンスの誘いのようにも見えるが、そんな無邪気なものでは断じてない。
それでも、切嗣は敷居の柱から身を離し、それに応えるように右手を前にやる。
「―――……」
特に何か唱えたわけでもないのに、キャスターの令呪に変化が生じる。
赤い文様の一部が黒ずみ、代わりに切嗣の右手にキャスターの物とは異なる文様が現れる。
十字の形をしたそれは、キャスターのものよりも黒ずんでいる部分の割合が大きい。
「さて、これで条件の半分は済んだわね。
もう一つについてはどうするの? 別にこの場所でもいいけれど、念の為坊やから離れたほうがいいのではなくて?」
「以前に用意した魔方陣が土蔵にある、案内しよう」
言われるまでもなく承知済みと、切嗣は廊下に出る。
気まぐれに吹いた夜風に、昨日までの冷たさは感じなかった。
□interlude - 『2-2』
「何か不機嫌そうですね、お姉さん」
「うっさい、大体何であんたが私の家にいるのよ」
「キレイのお使いに来て、お姉さんに入れて貰ったからに決まってるじゃないですか」
あははーと笑う金髪の少年に、凛はぐぬぬと悔しげに返すしかない。
それでも、用意した紅茶を乱暴に置く事はない。 遠坂たるもの、あくまで優雅に対応しなければ。
そもそも紅茶を入れてあげる必要があったのかなどとも思い返すが、一応客として来ているのだから仕方ない。
「うん、美味しい。 冬木では新都の喫茶店かお姉さんか、という所ですね」
「何処の事か知らないけど、そんな所に行ってるの、アンタ?」
「ああ、もちろんキレイと一緒にですけどね。 今度案内しましょうか? エスコートしますよ」
「結構よ。 同じ評価を貰えるならそのお金で茶葉を買ったほうが無駄にならないもの」
毎回感じていることだが、服装が活発そうな割に、金髪が紅茶を飲んでいる光景は、遠坂家の居間の装いも相まって実に絵になる。
作法もきちんとしているので、入れる甲斐自体はあると凛は思っている。 少なくとも、どこぞの後見人よりは百倍マシだろうか。
お世辞かもしれないが、店で飲むものと並び称されて嫌な気分を抱くこともない。
「うーん、どうにもお姉さんは妙な所で庶民じみていますね。 そういうものは比較するべき事柄では無いですよ」
「うっさい、子供の頃から贅沢を身につけると碌な事にならないって昔から言うでしょうが」
「真に高貴な振る舞いは、子供の頃から磨きあげていくものでもありますけどね」
言いながら、その言葉に相応しい優雅さでもって、カップを傾ける。
言っている本人が子供、それも孤児だというのに、その言葉を咎めようという気すら何故か起きない。
ただ、口の減らない弟分という程度の感情しか、凛の意識には浮かんでこなかった。
「それで、やはりあれですか? お兄さんが今日は来なかった事を気にしてるんですか?」
「はぁ? 誰があんな奴の事なんか」
「お兄さんの性格からして、昨日の今日で来ないという事は無い筈。 となれば当然昨日のあの子と……」
「だから、私はアイツの事なんか気にしてないってば!」
多少悪そうな表情を浮かべながら、金髪は話を蒸し返す。
その内容自体は凛にとってはかなりの部分で的外れではあるが、それでも軽く返すことには失敗する。
金髪の話の誘導が巧みである事もあるが、僅かな部分とはいえ当たっていたというのが原因だろう。
からかいを受け流せず、それによって凛のボルテージは上昇していく。
「ああもう! 用事が済んだのならとっとと帰りなさいよ! ただでさえ最近物騒なんだから」
「あはは、ごめんなさいお姉さん。 あと気が進まないのはわかりますけど、そもそも用事はまだ済んでませんよ」
凛の口撃を無邪気そうな笑顔でやり過ごし、金髪は多少表情を真面目にする。
実際のところ、確かに用事は済んでいない。 言峰綺礼からのお使いと聞いただけで、凛が後回しにしたからだ。
どのような内容なのかは不明だが、それを聞く事で凛の不機嫌の理由がさらに膨らむことは目に見えている。
紅茶でも飲んでどうにか落ち着いた所でと考えていたのだが、すっかりペースを狂わされてしまった。
「まあ、言伝だけですし大した事では無いと思いますよ? 僕にはさっぱり理解できない内容ですけど」
「ふん……、まあとりあえず言ってみなさい。 覚悟は出来ているから」
「えーとですね。 『二、三日待て、お父上の残した縁の品が存在する』だそうです。 ……意味、わかります?」
「……さあね」
怪訝そうな顔で尋ねる金髪に、適当に返す凛。
だが、その腹の中は煮えくり返らんばかりであった。
(あ、の、クソ神父~~~!!)
言葉の意味は当然判る。 凛の父である時臣が残していた、英霊召喚の為の触媒が存在しているという事だろう。
その内容だけならば凛からすれば非常に歓迎するべきものなのだが、そこには隠し切れない悪意が見え隠れしている。
そういうものがあるというのならば、昨日出会った時に直接言えばいい。 わざわざ金髪を使いによこす必要などない。
それをわざわざこういう手順にしたという事は、凛が存在しない触媒を求めて必死で家捜しすることを期待していたという事だ。
実際、昨日帰宅後から明け方近くまで家中をひっくり返しており、強力な宝石を見つけた他は、当然収穫は無い。
そして、言伝という形を取ることで、凛には怒りを吐き出す相手すら存在しないという訳だ。
「……まあ、確かに聞いたわ。 だからアンタはさっさと帰りなさい」
「あ、出来れば紅茶をもう一杯」
「…………」
「と思いましたが、やっぱり失礼しますね」
何やら寝言を言っている金髪を一睨みで退かせる。
もはや凛の中にあるのは綺礼への恨み言と、数日後に手に入る触媒についてのみ。
一瞬、綺礼への嫌がらせで触媒無しの召喚に踏み切ろうかという案も浮かぶが、それを残したのが時臣であるという事実の前に踏みとどまる。
そうした思考を繰り広げる凛には、最早金髪の事など目に映っていなかった。
だからこそ、凛は彼がいつ居間を出て行ったのかも、どのような表情を浮かべていたのかも、気づかなかった。
□interlude out
「散らかっているけど、まだ此方のほうが理解しやすい建物ね」
切嗣に案内されてやってきた土蔵の内部に無遠慮に目をやりながら、そっとキャスターは呟く。
キャスターからすれば木と紙で出来た家などというものは知識としてはあっても理解の範囲外であり、石や土の多い土蔵のほうが建造物としてはわかりやすい。
そんなキャスターの反応には特に構わず、今では士郎の工房と言ってもいい場所の床を、靴で払っていく。
「…………」
多少わかりにくくなっているが、魔方陣の構造に問題ありそうな欠落は見当たらない。
何かしら問題があったとしても、キャスターのサーヴァントが見つけるだろう。
切嗣は言葉を発する事なく、魔方陣の中央に触媒として用意した小瓶を置く。
「マスターは私の隣に立つように。 何か特別な行動をする必要は無いわ」
そう言いながら、キャスターは切嗣が横に立つのを待たずに目を閉じ、右手を軽く翳す。
月明かりのみが照らす闇の中、薄紫の髪の下の白い面貌はまるで月の女神のようで。
未だ人と神の間が近しかったころの、神秘そのもの姿をそこに示す。
「――――――告げる」
空気が、変わる。
「――――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
それは、紛れも無い言葉。
響く女の声は、どこか神々すら抱かせる言葉。
人の歴史が失った、発せられるだけで世界を変革するという、言葉。
古びた土蔵は、言葉が発せられる度に人と神が交わる即席の聖地へ姿を変えていく。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
目に見えるほどの、濃密な魔力の渦。
それによって巻き起こされる、目を開けていられないほどの竜巻。
腕で顔を庇いながらも、切嗣は二度目となるその光景をしかと見つめる。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
光を放つ魔方陣と、そこに形を成していく金色のエーテル塊。
全てが、五年前に見た光景に酷似している。
その場所が荘厳な大聖堂ではなく、古びた土蔵の中であろうと、
儀式を執り行っているのが切嗣ではなかろうと、
起こる現象は、一つの事柄を除いて変わらない。
「お前は…………」
違うのは、たった一つ。
魔方陣の中心に現れた存在が、切嗣の記憶にあるよりも大柄であること。
青と銀を基調とした清楚な服装ではなく、赤と黒の無骨な装いであること。
編み上げた金の髪の下にある幼くも凛々しい顔立ちではなく、尖った銀の髪の下にある目を見開いていること。
人影の性別が女ではなく男、それも似ても似つかない相手であるということ。
「…………誰だ」
呆然と、切嗣は問いかける。
マスターの困惑から状況を悟ったキャスターに構う事無く。
奇しくも、呼び出されたの相手と同じような表情を浮かべながら、呟いた。
やはり凄く時間がかかってしまいました。 読んでくださっておられる方々、真に申し訳ありません。
誤字、脱字、妙な点等ございましたら遠慮なく指摘お願いしますー。
切嗣の戦いはこれからだ!