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No.33654の一覧
[0] 【短編】雨サンダル[烏口泣鳴](2012/07/03 23:17)
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[33654] 【短編】雨サンダル
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:23aab98e
Date: 2012/07/03 23:17
 店に入ると、既に彼はテーブル席について、私の事を待っていた。その様子が何だかしっくりとこなかったが、それがどうしてなのかはっきりとは分からなかった。
 よくよく店内を見回してみると、今日はやけに人の数が多い。いつもであればどんなに人が入っていても、店のだだっ広さの所為で席は幾つも空いているのに、今日はもう彼の座っている席とその隣の席以外に空きは無かった。廊下の途中の突拍子もない場所に立って飲んでいる人もちらほらと見える様だった。とにかく閉塞感が酷く、立ち止まっていると息苦しくなって、寒気が湧き起こる程に、気持ちの悪い程人が詰め込まれていた。
 逆を言えば、混雑している中に彼の席とその隣の席だけが空いていて不自然だった。その辺りに何だか言い知れぬ不吉なものが漂っている様な気がした。得体の知れない恐怖が居る所為でそこにだけ人が居ないのだと考えると何だか氷の降りかかる様な心地になった。私が近付くと彼は顔を上げて何か言いたそうに口を開いたが、やがて可愛らしい笑顔を浮かべて、にこにことまたビールを飲み始めた。私はその笑顔に安心して彼の前に座った。入り口の方からひちゃりひちゃりと水の滴る音が聞こえていた。
 女中の持ってきたビールを飲んで彼と他愛のない話に興じる中で、私はじっと彼の口の動きを見つめていた。というのも、この店にやって来たのは、彼が電話越しに何やら深刻そうな声音でもって、伝えたい事があると言ってきた所為であり、恐らく何か大変な事態が起こったのであろうと思うのだが、彼の無邪気な笑みとふわふわと浮かんでいる様なとりとめのない話を聞いている内に、どうやらそれは私の勘違いである様な気がして、何だかとっかかりが無くなって何も考えられなくなっていた。ただ彼がしきりにそわそわしている事だけが気になった。
 店の中はいつのまにか先程よりもずっと人が多くなっていた。立ち飲みだけでなく、そこらに寝転がる者まで出て来て、大変な混み様だった。足の踏み場もない程であった。それでもまだ人の数は増えている様だった。少し聞き耳を立てると、どうやら何か喜ばしい事があった様だ。皆、それを祝うんだか、あやかるんだか、口実にするんだかで、この店へと集まってきているのだと言っていた。このまま近隣の人が集まれば店の中がぎゅうぎゅう詰めになってしまうのではないかと不安になったが、店の奥を見るとどうやら店はいつもよりも遥かに広くなっていて、果てしなく向こうまで席があった。これなら町の全員を入れても余裕があるだろう。私は安心して、また彼の優しく動く口元に目を移した。
 ひちゃりひちゃりという水音が再び入り口の辺りから私の耳へとやって来た。そうかと思うと、彼方の水平線の向こうからぼうという船の汽笛の音が微かに聞こえ、今度は店の奥からひちゃりひちゃりと水音が聞こえてきた。水の音が入り口とその反対側の店の奥から同時に聞こえてくる事や店の中に船の汽笛が響いた事は、何か合点のいかぬ事に思えたが、きっと周りを取り巻く人混みの所為だろうと納得した。
 時が進むにつれて、彼は少しずつ口数が少なくなっていった。どうしたのかと思っていると、彼の口が固く閉ざされてしまった。その間にも人の数はどんどんと増えて、場の喧騒も高まって、酔っ払いが一人、私達の席にぶつかって、顔を真茶色にしたかと思うと私達に向かって何かしきりに怒鳴り始めた。私が呆気にとられて彼に助けを求めると、彼はそれでも口を開かず、何やら気遣わしげに私の事を見つめてくる。
 私は次第に心細くなって、何だか泣きたい様な、叫びたい様な、崩れ落ちてしまいたい様な気持ちになった。彼の事を見ている内に彼と私の間に何か大きな隔たりがある様な気がして、彼の気配がどんどんと人混みの喧騒に薄らいでいって、終いには消えてしまった。私は見知らぬ人々の中で一人ぼっちになってしまった。辺りを見回しても人混みばかりで彼は何処にも居ない。探しに行こうかと思ったが、雑多に行き交う人混みの海でまともに進めそうにない。行けば迷ってしまい、そうして彼と永遠に会えなくなってしまう気がしたので、その場に止まって彼を待つ事しか出来なかった。
 しばらく心細さに押しつぶされそうになっていると、女中が料理を運んできた。途端にお腹の空きがはっきりとして、臍の辺りから音が立った。恥ずかしい思いをしながらも、空腹に耐えかねて料理に手をつけた。妙に平べったい何かの肉は全く味気無かったが、山に盛られたサラダは妙に甘くて美味しかった。「美味しいね」といつの間にか帰って来ていた彼が言うので、私は驚きつつも同意してみた。同意したものの、私の気付かぬ内にテーブルの上には端からはみ出る程の料理が並べられていて、彼がどれを指して美味しいと言ったのかはっきりとしなかった。もしも得体の知れないお肉の事を言っているのだとしたら、嫌だった。
 彼に何処に行っていたのか聞いてみると、頭上を指差した。何かまあるい円盤の様な物が私と彼の頭の上を覆っていた。私は同じ円盤の下に居る事を気恥ずかしく思ったが、彼の方では全然気にした風も無いので、そんなものなのかもしれないと納得して私はサラダに手をつけた。その時、酔っ払いがまたテーブルにぶつかって来て、その拍子に平べったいお肉が皿の上から放り出され、テーブルの下に落ちた。ぺたりという音がして、覗き込むと彼の足のすぐ傍の地面に引っ付いていた。何か違和感を覚えたが、それがはっきりする前に女中がやって来て片づけてしまったので、遂に分からなかった。妙に足がむずむずとして靴を脱ぎたくなったが、はしたないと思ってやめた。頭上を見上げると円盤がばらばらという崩れ落ちていく様な奇妙な音を立てていた。
 彼が出会った時と同じ様に、何か話したそうな表情で私の事を見つめてきた。これはいよいよ本題に入るのだろうと、期待と不安を抱いて、彼の口から出る言葉を待った。だが彼は口を開いたり閉じたりするだけで一向に言葉は出てこなかった。
 彼が何も言わないので、手持無沙汰になって辺りに気を配っていると、喧騒の向こうから肉が床に引っ付いた様なぺたりという音がした。音のした入り口の方を見ると、そこに居る人混みが水を打った様に静まり返っていた。その静けさに反発する様に私の胸の鼓動が激しく打ち鳴り始めた。見る間に人混みが割れて入り口に男が立っているのが見えた。周囲の人混みと全く同じ容姿をしていておかしなところは何もない。それなのに周りに居る人混み達はその男に注目している。それが不思議で、私は男の上から下までまじまじと見つめていた。すると鼻の鳴る音がして、驚いてテーブルの向かいを見ると、彼が不機嫌そうな顔で私の事を見つめた。その不機嫌そうな様子を見て私は自分の態度を反省し男を見るのはもう止そう誓ったが、入り口の方から何か大きな声が聞こえてくるので、私はどうしても気になって男を見てしまった。
 男はどうやらサンダルを履いている様だった。サンダルを見た途端、私の心の底にしこりの様なものが沈んで私の心を重くした。男の周りを取り巻いている人混みはそれどころではなく、あからさまに気味悪そうな表情で男の足元を見つめ、中には吐く者も居た。
 顔を戻すと、テーブルの向こうで彼がやはり不機嫌そうな顔で私の事を見つめていた。誓いを破った事を申し訳なく思って、彼に向き直ると、彼はいよいよ決心した表情で、大きく口を開いた。私は思わず唾を呑み込んだ。喉が干上がっているのが自分でも分かった。
 その時、隣の席から椅子を引く音が聞こえた。見れば先程のサンダルの男だった。私が向かいの彼に顔を戻すと、彼は気勢が削がれてしまったらしく、また口を閉ざしてしまっていた。私は隣の席の男を睨み付け、空いている席に座るなんてまともな奴ではないと呪詛を吐いた。すると男と視線が合って、私が慌てて下を向くと、そこに男の履くサンダルがあって、気味が悪くなって、私は思わず席を立った。立ってから何をしようとしたのか分からなくなって、もう一度席に座った。
 私が席に座って一呼吸すると、呪いが功を奏したのか、筋肉質の男がやって来て、サンダルの男の足元を見てから何かまくしたて始めた。どうやら迷惑だから出て行けと言っているらしい。サンダルの男は悲しい顔になって黙ってうなずいた。
 そこへ別の逞しい男がやって来て、筋肉質の男に何か怒鳴り始めた。どうやらしようの無い事なのだから許せ配慮しろと言っているらしい。サンダルの男は更に悲しげな顔になって、筋肉質な男と逞しい男の言い争いを呆然として見つめている。そうして言い争いが過熱していくと、涙を流しながら、席を立って出て行った。
 筋肉質な男も逞しい男もいつの間にか喧騒の中に消えていて、もう辺りには世界の果てにまで続く人混みの海しかなく、店の中には私と彼だけになった。私は喜ばしい思いで向かいの彼を見ると、彼は何やら難しい顔で悩んでいた。私はその悩みを窺い知る事は出来なかったが、彼が悩んでいる事だけは痛い程分かった。そうしてそれが私にしか解決できないという事も、何故だか分からないがはっきりと知る事が出来た。
 彼の思い悩んでいる顔を見ると心が痛んだ。痛みに耐えられなくなる寸前に、私と彼の間を人混みが通り抜けた。次々にテーブルの上に乗っては、私と彼の間を隔てて人混みが流れていく。
 人混みの合間に彼の顔が見えた。さっきのサンダルの男と同じ悲しそうな顔をしていた。私の胸が更に締め付けられ、呼吸が出来なくなって、人混みの降る大気の海の中で私は窒息しそうになって喘いだ。何とか彼に私の言葉を伝えなければならないと思った。だが目の前には人混みがあって、到底届きそうになかった。
 それでも私は言った。届くとは思っていなかった。それでも届いてほしいと願って、私は言った。
 届いたのか届いていないのか、彼はまた何か思い悩む様にして下を向いてしまったので、私の言葉の行方は分からなかった。だから私が届くまで、何度でも言おうと口を開いた時、彼が顔を上げた。彼の顔は笑顔になっていた。
 そうして彼は口を開き何かを言った。聞き取れなかった。
 だが何となく彼の言わんとした事が分かった気がして、私はとても嬉しい気持ちになった。チョチチョチと鳥の鳴き声が頭上から降って来た。見上げると青い体躯の鳥がちらりと映り、すぐに視界の端に消えた。後にはどんよりと曇った雨空が一杯になっていて、不思議に思いながら辺りを見回すと、何の事は無いいつもの帰り道だった。強いて違和を上げるとすれば、道の端でサンダルを履いた小さな子供が傘も差さずに、水たまりに玩具の船を浮かべて、汽笛の声真似をしている位だった。
 頭に掛かっていた雨が途絶えた。見上げると、傘が差してあった。傘は崩れ落ちそうな音を立てながら、私を雨から守っていた。隣を見ると彼が居た。何の事は無いいつもの帰り道だった。もう何を不思議に思っていたのかも分からなくなっていた。
 彼がにこにこと嬉しそうに笑って何か言った。聞き取れなかった。けれど何だか気恥ずかしくなって下を向いた。下を向くと、視線の先に彼の足元があり、その足がサンダルを履いているのを見た途端、心の内に得体の知れない嫌悪感が湧いて、サンダルの指す傘の下に居る事すら耐えられなくなって、私はさりげなく傘の外に出た。出てから、自分が何をしたのかに思い至って、身に掛かる雨水が氷に変わった様な気がした。出来るだけ悪い印象を払拭しようと笑みを作って顔を上げると、彼と目が合った。
 雨の壁を隔てて悲しげな顔とぎこちない笑顔が向かい合った。


後書き
この作品は「小説家になろう」にも掲載させていただいております。


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