虹村億泰は困惑していた。
鞍骨倫吾に攻撃が通用しない。
そもそも、億泰の『削り取って瞬間移動』の戦法は、障害物の多い森の中ではその真価を発揮できずにいたが、それを差し引いても億泰には腑に落ちない点があった。
スタンドの射程距離まで近づこうとすると、それに合わせたように距離をとられ、攻撃はことごとく空を切る。
隙を着いて『瞬間移動』しようとすれば、移動先には倫吾のスタンド【ワン・ホット・ミニット】の拳があり、億泰の腹部に突き刺さる。
それはまるで自分の行動が先読みされているようだった。
「クッ!あいつの『能力』か? 俺の攻撃が『読まれて』るのは…」
「おいおい何をしてんだ、億泰さんよぉ。 誰もいないところで拳を振り回してシャドーボクシングでもしてるつもか? 公園で必死こいて減量してるボクサーみてぇに惨めだぜ?」
倫吾が億泰を挑発する。
その倫吾の身体には傷一つ無かった。
億泰の攻撃が届いたのは、せいぜい倫吾の制服についたドクロのバッチの片方を、削り取ったくらいであろうか……
しかし、一見すると余裕があるようにみえる倫吾であったが、全くダメージがない訳では無かった。
いやむしろ、深刻なダメージを受けていたのは倫吾の方だった。
億泰はここまでの戦いと己の直感で、倫吾の能力を、未来がわかる力、一種の『予知能力』ようなものではないかと検討をつけていたが、倫吾の【ワン・ホット・ミニット】の能力はそんな便利なものでは無かった。
倫吾のスタンド能力は、あくまで『時間を戻す能力』。
その力には、大きな弱点が2つあることを倫吾は理解していた。
一つは、一度『時を戻した』ら、戻した分の『時』の間を開けなければ、時間を戻す能力は使えないこと。
一瞬を争う攻防の中では、この『間』は命取りになりうる。
そしてもう一つは、倫吾だけが戻した分の『記憶』をもつことができること。
これは、能力の最大の利点でもあったが、最大の弱点でもあった。
『記憶』をもったままということは、ダメージを受けたという記憶も引きずるということである。
先刻の例をもっていえば、たとえ身体の傷は元に戻っても、倫吾の精神には脇腹をえぐられたという記憶が焼き付いているということだ。
戦闘経験が乏しい倫吾が、億泰の攻撃をすべて躱すことは不可能に近い。
倫吾が軽々と躱しているように見えるのは、攻撃を受けて、時間を戻すというプロセスを踏んでいるからであり、それは倫吾の精神に着実にダメージを蓄積していることを意味していた。
その戦い方は、文字通り『身体で覚える』戦法であった。
常人なら正気を保つことさえ困難であろうこの精神状態を支えていたのは、鞍骨倫吾の『漆黒の意思』に他ならない。
だが、それももう限界が近づいていた。
表面的には圧倒的な差があるように見えたこの戦いは、肉体的なダメージか精神的なダメージかの差こそあれ、ほぼ互角の戦いであった。
「ちょこまかとよぉ!てめえの能力がなんだか知らねぇが、削り取るのは『顔面』ってことは決まったなッ!二度と軽口叩けないようによぉッ!!」
たとえ自分の攻撃が読まれているとしても、億泰にはそれを頭脳プレーで何とかしようという思考は無い。
もしも、ここで相手の出方を伺ったり、変に出し渋りをすれば、倫吾に余裕をあたえることとなっていただろう。
攻撃が当たらなくても、ダメージを受けようとも、ただ攻めて、攻めて、攻めあるのみ。
猪突猛進。
結果的に億泰の戦い方は、最もシンプルに、確実に、倫吾にダメージを与えていた。
『ガオンッ』
【ザ・ハンド】が空間をえぐる。
すると次の瞬間、億泰の身体はまるで最初からそこにあったように、倫吾の横に移動した。
だが、すでにその『1分間』は倫吾が体験した世界。
またしてもそこには、倫吾のスタンドの拳があった。
「ゴブゥッ!」
億泰は血を吐き散らしながらも、スタンドを操り、空間ごと削りとらんと右手を横になぎ払う。
だが、倫吾は実にあっさりと、身をかがめてそれを躱した。
「お前の攻撃は大体わかったよ億泰。そのスタンドの右手が描く軌跡、その直線上にさえいなければ削り取られる心配はないってわけだ。少し体をズラしさえすればいい。そのスローな『弧を描く』攻撃は躱すのは容易い。『戻す』までもなくなぁ!!」
「躱すのが容易いだと? そりゃあお前は躱すのが容易いかもしれない。お前はよお」
億泰が再び右手を振りかぶる。
倫吾は億泰の『右手』に神経を集中させ、回避の姿勢をとった。
その時だった。
バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリ
倫吾の背後の大木が、下段を抜かれたジェンガのようにバランスを失い、倫吾に向かって倒れかかってくる。
巨木の根元は、先ほど倫吾が躱した【ザ・ハンド】の攻撃によって削り取られていた。
「な!!」
億泰に注意を払っていた倫吾は、一瞬回避が遅れ、右足が木の下敷きとなった。
巨大な木の幹にがっちりと足をとられて、身動きが取れない。
それを見た億泰は、レッドカーペットを歩く映画スターのようにゆっくりと倫吾に近づいていく。
そして倫吾の右足を潰す木を踏みつけながら言った。
「いっそ体ごと潰された方が良かったかもなぁ? そうすれば顔面を削り取られずに済んだのによぉ!!」
倫吾が再び『能力』を使えるまで、残り48秒……
◇◆◇◆◇◆◇◆
静かだった森が、落ち着きを失いざわつき始めた。
森の中を「ホウホウ」という鳥の鳴き声がこだまする。
「おい聞こえたかよ? ハトが鳴いてるぜ。ハトってのは『平和の象徴』だ。この平和な町に、てめぇのような薄汚えスタンド使いはいらないってよ」
倫吾の動きを封じる木。
それを踏みつける億泰の足に力がこもる。
「平和……?この町が平和だとッ? それは貴様らのエゴが生んだ偽りの平和だろうがぁッ!」
倫吾が怒りに激しく身を震わせる。
だが倫吾は、その感情を無理矢理にクールダウンさせた。
倫吾の『計画』において、この機を逃すことはできなかったからだ。
冷静さを取り戻した倫吾は、億泰に向かって淡々と言った。
「右腕が二回に、腹部が三回、それに下半身が一度…… これまでに、俺がおまえに削り取られた身体の部分だ…」
「何わけのわからねぇことを言ってやがる? てめぇの身体が削り取られるのは、たった今からなんだよッ!」
「俺を追い詰めたと思ったか? 残念だが、こちらの『計画通り』だ。おまえを『この場所』におびき寄せることができたのだからなッ!」
倫吾の手元には、上方から細いワイヤーが伸びていた。
ワイヤーは、木の枝を利用してちょうど億泰の立っている真上まで伸びている。
倫吾が勢いよくワイヤーを引くと、億泰に向かって『何か』が落ちてきた。
同時に倫吾は、顔面を覆うようにスタンドでガード姿勢をとる。
「罠か!!」
億泰の真上から大量の『何か』が降ってくる。
億泰は咄嗟に、それを【ザ・ハンド】で削り取った。
もし降ってきたものが、重量のある岩のようなものだったなら、その判断は正しかっただろう。
しかし、その大量の『何か』とは、軽い『スプレー缶』だった。
そのまま受ければダメージにはならなかった『スプレー缶』だが、『削って』しまったことにより、削りきれなかったところから中身が噴き出し、億泰に降り注いだ。
「がぁッ!目が…熱いッ…!」
億泰の目を焼けるような激痛が襲う。
「催涙スプレーだよ。野生のクマなんかを追い払うために使われる。獣のようなおまえにはピッタリだろう? あんたの能力は脅威だ。だが、いくら立派な大砲でも盲目の砲撃手が扱ったんじゃ意味がねえよな?」
「クソがぁッ!」
視界を奪われた億泰が、がむしゃらに右手を振るう。
【ザ・ハンド】の右手は、倫吾の足を捉えていた太い木を削り取った。
それによって抜け出すことのできた倫吾は、再び億泰との距離をとった。
「さて、後は……!」
倫吾が何かを言いかけて、言葉をつまらせる。
そして、静かに森の闇へと消えた。
億泰の目はなお、熱をもった痛みに苛まれていた。
学生服の袖で、ゴシゴシと目をこすってみるが効果はない。
億泰は視覚を捨て、聴覚に全神経を集中させた。
……
しかし、聞こえるのは風の音と、ときたま「ホウホウ」と鳴く鳥の声だけだ。
「かかって来いよ、ドクロ野郎ッ! それとも『目が見えねぇ』ってハンデくらいじゃご不満かよ?」
遠くでガサガサと音がした。
その小さな音は、億泰でなければ聞き逃していただろう。
億泰が音のする方に耳を澄ませると、微かな足音が聞こえた。
だが、その足音は億泰に向かってくるどころか、むしろ『遠ざかって』いた。
「まさかッ… 野郎ッ、逃げる気か?」
億泰が音のする方へ走り出す。
生えている植物に足をとられ、木々にぶつかりながら、億泰は倫吾を追った。
ポツポツと雨が降りはじめた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
少しずつではあるが、億泰は敵との距離を詰めていた。
本降りになってきた雨が、億泰の目を洗い、ぼんやりと視界も取り戻しはじめていた。
億泰たちは森を抜け、少し開けた地に出たようだった。
前方を走る倫吾は、ペースを落とし、そしてとうとう足を止めた。
億泰が倫吾に向かって言う。
「はぁはぁ、観念したかよ。『俺の視界を奪う』ってのが、お前の『計画』っつーんならよ。もちろん、この『雨』も計画のうちだよなぁ? だとしたら、ずいぶんマヌケな『計画』だがよぉッ!」
「……」
「お前の『能力』は、あんまり先のことまでは『読めねぇ』んじゃねえのか? だが、もうすぐこのどしゃ降りがくるってことまでは読めた。だから、逃げたんだろ? 『計画』が狂ったからよぉ」
倫吾が、重々しく口を開く。
「……まったく、的外れだよ億泰」
そう言って、足元の麻袋を担いだ。
そして、ゆっくりと、横断歩道を我が物顔で歩く田舎者の歩行者のように億泰から遠ざかった。
「『計画』は狂ってなどいない。すべて『順番』通りにことが進み、そしてここに『完結』した」
「ぬかせぇッ!」
億泰が倫吾に向かって『右手』を振り下ろそうとする。
しかし、その腕は振り下ろされる前にピタリと止まった。
夜の闇、ぼやけた視界、ただがむしゃらに敵を追ってきた億泰だったが、自分が立っているその場所がどういう場所なのかを、たった今、完全に理解した。
「ここは……」
億泰は、『送電鉄塔』の中にいた。
鉄塔は、牢屋のように億泰を捉えていたのだ。
倫吾が乱暴に麻袋を地面に落とすと、袋から中身が飛び出す。
袋の中には、億泰の見覚えのある青年が入っていた。
かつて一度、敵として戦った『スタンド使い』であった。
「そいつは、『鋼田一 豊大』」
「そう、お前がいるその『鉄塔』のスタンド【スーパーフライ】のスタンド使い。まあ、『使い』きれてはいないようだが。俺がこいつを鉄塔の外に出したことで、お前が鉄塔内に残る『最後の一人』となったというわけだ。【スーパーフライ】の能力は、『鉄塔内の最後の一人を、鉄塔の中に閉じ込める』。ババ抜きでいうところのババを引いたお前は、もうそこから出ることはできないんだよ」
億泰と倫吾の距離は1mも無い。
それは、【ザ・ハンド】の射程距離内であったし、億泰が手を伸ばせば届きそうな距離であった。
しかし、億泰は倫吾に触れることすらできなかった。
鉄塔から出ようとすれば、鉄塔の一部となってしまい、鉄塔を破壊しようと攻撃すれば、そのエネルギーが跳ね返ってくる。
そのことを億泰は、過去に身をもって体験していた。
地面を蹴る億泰に向かって、倫吾が言う。
「まだお前の『順番』じゃないんだよ、億泰。お前はまだ殺さない。ただ、おまえには『順番』がくるまでここにいてもらう。俺の計画に邪魔な存在であることに、変わりはないからなぁ」
倫吾は鉄塔を見上げながら言った。
「『送電鉄塔に住む男』。最初はこの町の住民も、面白がってよくこの場所を訪れていたようだが、今となっては、物好きな観光客が年に数回訪れるだけだ」
鉄塔に吹きさらす、雨足が強まる。
「『鉄塔に人が住む』なんて異常な事態にも、すでにこの町は『無関心』なんだよ。俺が直接お前を始末しなくても、このまま放っておけば、この町の『無関心』がお前を殺すかもな!!」
(……俺の姉がそうであったように)
倫吾は、その言葉は口にはしなかった。
そうして、地面に落とした麻袋を肩に担ぐ。
夜の森から、再び「ホウホウ」という鳥の声が聞こえた。
「そうそう、ついでに教えといてやるがアレはハトじゃない。あの森で「ホウホウ」鳴くのは、『アオバズク』だ。この町の町鳥、フクロウの仲間であるにもかかわらず、人々の無関心によって絶滅の危機に瀕している哀れな鳥だよ」
億泰が、思いきり地面に拳を叩きつける。
拳からは、血が滲んでいた。
そして、億泰は雨を降らす天に向かって吠えた。
鞍骨倫吾は、静かに杜王町の闇へと消えた。