――――ニーチェ曰く、暗闇を覗くとき暗闇もまた我らを覗いているのだという。
光と闇は表裏一体であるならば、我々が闇を見つめるとき我々は自己の鏡写しを見ているのである。
晴れない霧と、不可視の追跡者の気配が蔓延する町……
ナイトスプリングスでは。
今夜のお話は「井戸の底」
落し物ほど気がかりになる紛失物はない。
ホシ氏はある日お気に入りのナイフを古井戸に落としてしまった。
「困った。取れないじゃあないか」
井戸は暗く、そして深い。ホシ氏は身体能力には自信を持っていたが無装備で井戸の底へ探検することはできないとわかっていた。
ホシ氏はロープを用意するとブーツを履いて井戸の底を目指した。
えっちらおっちらという危なげな様子であったが、徐々に慣れてスムースに降下していった。
「ム、なんてことだ」
懐中電灯が途中で切れてしまった。振っても叩いても発光しない。
ホシ氏は太陽の光を頼りに降りて行った。
と、彼は何者かの気配を感じ取った。
井戸の底に誰かが居るはずがない。一笑で済ます彼だったが、あろうことかそれがちらりと見えてしまった。
「お前は……!」
それは、丁度井戸の底から地上へと重力が反転してしまったかのように逆向きになったホシ氏自身だった。
違いと言えば全身が黒ずみ影を纏っていた程度だった。
その影は命綱をつけて井戸の底から地上へ“降りて”いる真っ最中だったのである。
思わぬ遭遇が二人の同一人物にいかなる影響を与えたかは定かではないが……光無くして闇はない。
その簡単な事実が全てを支配する場所……それがナイトスプリングス。