「…………」
沈黙がただその場を支配する。その中心にいるのはルシア・レアグローブ。DC最高司令官であり金髪の悪魔の異名を持つ畏怖されるべき存在。だが既につい先ほどまでレイナに対して見せていたような威圧感は霧散してしまっている。あるのは困惑だけ。それは
(どうしてこうなった……?)
自分の目の前にいる二人の六祈将軍、べリアルとディープスノーをどうするべきかという予想外の問題に直面しているからだった。
「…………」
「…………」
べリアルとディープスノーはルシアの前に跪きながらも黙りこんだまま。べリアルは厳しい、どこかいらだちを隠せない表情を見せながら。ディープスノーは意気消沈し、顔を伏せたままルシアの言葉を待ち続けている。対照的な態度を見せながらも二人には共通した点があった。それはその姿。満身創痍であり、間違いなく戦闘を行っていたことが一目で分かるような有様。しかもその負傷の度合いから恐らく苦戦、もしくは敗北したのであろうと察するには十分な状態。レディから受けた先の報告であるレイヴマスター達に敗北したという情報を裏付けるものだった。
(一体何がどうなってんだ……? ようやくレイナの件に片がついたと思ったら今度は他の六祈将軍の面談!? 何の冗談だよ!?)
ルシアは表向きは平静を装いながらも内心は予想していなかった事態の連続に混乱しっぱなしだった。自分が魔界に行き、留守にしていた数日の間にハジャが裏切り、六祈将軍が壊滅するという悪い冗談としか思えない事態。はっきり言って戦力の上ではもはや全滅したと言ってもおかしくない惨状だった。
『くくく……どうした主様よ。いつまでも黙ったままでは進まんぞ。さっさと話を続けんか』
『くっ……! わ、分かってるっつーの……でも仕方ねえだろうが。こんなことになってるなんて思ってなかったんだからよ……』
『ふむ……確かにの。まさかお主がおらぬ間に全滅とは……いや、死んではおらぬようだから敗北と言った方がよいかの。ともかく揃いもそろって命令違反の上に敗北か……どうやらお主はよっぽど最高司令官としては無能だったようじゃな』
『ま、そーかもね―。あたしもまさか来た早々組織の半壊なんて高度なギャグを見せられるなんて思ってなかったし。ある意味ジェロといい勝負なんじゃない?』
『バルドル……後でどうなっても知りませんよ。とにかくアキ様、あの二人から詳しい事情を聴くのが先決では?』
『…………ああ、そうだな……』
自らの胸元で好き勝手を言っているシンクレア達を無視しながら一度咳ばらいをした後、改めてルシアはベリアル達と向かい合う。先のレイナほどではないが重圧をかけながら。
「お前達には聞きたいことが山のようにあるが……まずはハジャと他の六祈将軍についてだ。ハジャはともかくユリウスとジェガンがいないのはどういうことだ?」
ルシアはまずは状況の確認から開始する。同時にその手の中にあるDBに力を込めるも意味を為さない。瞬間移動の能力を持つDBであるワープロード。その力によってルシアはベリアル達をこのDC本部へと召喚した。無論その全員を。だが結果はべリアルとディープスノーのみが召喚されるだけ。裏切ったであろうハジャは当然だが他の二人まで召喚できないのは腑に落ちない。ハル達が相手である以上考えづらいが戦闘で死亡してしまったのでは内心ルシアは気が気ではなかったものの
「ケッ……ユリウスの野郎は銀術師に負けてからさっさとどっかに消えやがったぜ。絆がどうとか訳が分かんねえことをほざきながらな」
「絆……? 何のことだ?」
「オレが知るかよ。あの馬鹿が何を考えてるかなんて誰にも分かりゃしねえよ」
「どうやらレイヴマスターの仲間である銀術師に何かしら感銘を受けたようでした……詳しい経緯までは分かりませんが……」
「そ、そうか……じゃあジェガンはどうした。あいつも似たようなもんか?」
「いえ……ジェガン様は私達とは別行動で先にドラゴンと共にレイヴマスター達と接触しています。どうやら竜人と戦闘になったようですが詳細までは……申し訳ありません」
ディープスノーは淡々と事実だけを述べていくもののそこにいつもの姿はない。まるで世界の終わりでもあるかのような生気のなさと同時に儚さがある。思わずルシアが心配し、声をかけてしまいそうなほど。大してべリアルはいらだちを隠し切れていない。普段からそうではあったが最高司令官であるルシアに対する言葉遣いが荒れている。もっともそれに気づきながらも咎める余裕は今のルシアにはない。とにかく今ある情報から事情を推察するしかないのだから。
(ユリウスについてはよく分からねえが……ムジカと戦って負けて改心したってところか? ジェガンは恐らくレットと戦ったみてえだが……多分レットに負けたんだろうな。じゃなきゃ召喚に応じない理由もねえ……)
ルシアは頭に手を当てながらも考え得る限りで最も正解に近いであろう解を導き出す。ユリウスがムジカと戦闘し敗北したことまでは確か。恐らくその中でユリウスが感化されるようなやりとりがあったのだろうとルシアは見抜く。原作でもエリーの舞踏に心を奪われ改心してしまった程。馬鹿ではあるが元々悪い人間ではないので十分にあり得る展開ではある。
ジェガンについてはディープスノー達も詳細は知らないもののディープスノー達が接触した際にはレットがいなかったことから原作同様レットと一対一の戦いになったであろうことは間違いない。恐らくは敗北したことも。もしジェガンが勝っていたのならルシアの召喚に応じない理由がない。ジェガンもまたレットとの戦いによって改心したと見るのが妥当。もっともハジャがどうなっているか分からない以上油断はできないが。
「ユリウスとジェガンは分かった……ハジャの奴はどうなってる。今どこにいるかは分かるのか?」
「いえ……ハジャ様がどこにいるのかは私達も知りません。レイヴマスターの言葉を信じるならばシンクレアとレイヴを一つずつ奪ったらしいのですか……」
「シンクレアと……レイヴもか?」
「はい……種類までは分かりませんが恐らく間違いないかと」
「言っとくがオレ達はジジイの命令に従っただけだからな。DCを裏切ったわけじゃねえぞ」
「ああ、分かってるさ……とりあえずユリウスとジェガンについては保留だ。あいつらを相手にしてる程暇じゃねえからな」
ベリアルの言い訳に辟易しながらもルシアは頭を痛めるしかない。どうやら本当に六祈将軍が敗北したことは事実だったようだがそれ自体は大きな問題ではない。むしろルシアにとっては喜んでもいいほど。逆にいえばハル達が六祈将軍を撃退できるほどに実力をつけたことを証明しているのだから。今回の件が無くともルシア自身、もう一度は六祈将軍をハル達にぶつける気だったので手間が省けた形。もっとも先のシンフォニアでの戦いのようにルシアも監督兼セーフティとして参加する予定だったのに比べれば綱渡りだったのは確かだが。
(問題はハジャの方か……シンクレアはどっちでもいいがレイヴは何を盗られたのかが問題だな……)
目下の課題はハジャの動向。ディープスノーの話からシンクレアとレイヴを一つずつ手に入れたのは間違いない。シンクレアについては大きな問題はない。ヴァンパイアだろうがラストフィジックスであろうが担い手ではないハジャでは扱うことはできない。問題はレイヴの方。もし十字架のレイヴや知識のレイヴが奪われたのならハルの戦闘力に大きな支障が出かねない。しかも事ここに至ってはそれ以上に厄介な存在も動いている可能性が高い。それは
(…………? 何だ? 何かハジャよりもヤバい奴がいたような気がするんだが……気のせいか……?)
喉まで出かかるもそれから先が出てこない。確かにハジャに関連がある何かがあったような気がするのだがルシアは思い出すことができない。まるであったものが無くなってしまったような感覚。だがいくら思い出そうとしても叶わない。これ以上は時間の無駄だとあきらめ改めてルシアはベリアル達に向かい合いながらその処遇を考える。レイナのように脱退させるのは無理があり、処刑するほど罪は重くはない。ハジャの命令によって動いていたのであってベリアルの言う通りルシア、DCを裏切ろうとしていたわけではないのだから。しかしこのまま何のお咎めなしでは対面的にも収まらない。何か良い手はないかと思案するもようやくルシアは気づく。あるはずのものがないことに。それは
「っ!? お前ら……DBはどうしたんだ!?」
六祈将軍が装備しているはずの六星DB。ジ・アースとゼロ・ストリームを二人が持っていないことをルシアはダークブリングマスターの能力でようやく気づく。それだけではない。ディープスノーに至ってはその身に宿しているはずの五十六式DBの気配すらなくなってしまっている。俄かには信じられない事態だった。そんなルシアの驚きを見ながらもベリアル達は一層身体を強張らせてしまう。最も知られたくなかった汚点を無抜かれてしまったことに対する焦り。
「…………申し訳ありません、ルシア様。ゼロ・ストリームはレイヴマスターとの戦いによって破壊されてしまいました。全ては私の至らなさ……どんな処罰でも受ける所存です」
「レイヴマスター……そうか、お前はハルと戦ったのか。ゼロ・ストリームのことはいい。それよりも五十六式の方は身体に問題ないのか?」
ルシアは内心の動揺を隠しながらディープスノーを問いただす。ハルと戦ったことや六星DBもことなど二の次。その体に埋め込まれていた五十六式DBを破壊された影響があるのではないか。生物兵器として生まれたディープスノーの安否を気にした問い。
「はい……今のところ身体に異常はありません。ですがもう私に生物兵器としての力は残ってはいません。戦う上でルシアの様に役立つことはもう……」
だがその憂いはディープスノーの答えによって払われる。五十六式を失ったことでディープスノーは生物兵器から普通の人間となったのだと。本来なら喜ぶべきこと。しかしディープスノーにとってはルシアにとっての戦う駒としての自身の価値がなくなってしまった事の方が問題だった。そんな自らにはもったいないほどの忠誠と自己犠牲をみせるディープスノーに圧倒されながらもひとまずは安堵するも同時に新たな疑問が生まれてくる。それは単純な数の問題。今までの話をまとめればハルはディープスノー、ムジカはユリウス、レットはジェガンと戦闘になっている。そのままでは数が合わない。
「ベリアル、お前誰と戦ったんだ……?」
ベリアルが誰と戦ったのか。それともディープスノー達がやられた後でハルかムジカに倒されたのか。だがそんなルシアの問いにベリアルは苦虫をかみつぶしたかのような悔しさを浮かべながらようやく口を開く。
「……シュダだ。あの裏切り者にしてやられちまったのさ」
「シュダ? 元六祈将軍のシュダのことか?」
「ああ……しかもあの野郎、オレ様のDBまで奪って行きやがった……許さねえ、絶対にぶち殺してやる……!!」
歯ぎしりをしながらべリアルは怒りを露わにし殺気が溢れだす。自分に醜態を晒させたシュダに対する執念が形になったかのよう。
(そうか……シュダがハル達に合流したってことか。まさかDBを奪って行くとは……いや、そういや原作でもゼロ・ストリームを奪おうとしてたっけ……)
そんなベリアルの姿を見ながらもようやくルシアは納得する。ベリアルの体にある火傷の痕と胸にある大きな切傷。ハルが相手したにしては容赦が感じられない傷痕の理由を。もっとも止めを刺していない時点でやはりシュダも甘さがあるのは変わらないが。ハルが相手ではなかったため壊されることはなかったもののジ・アースはシュダの手に渡ってしまったらしい。もっともDBである以上、ルシア達と戦う上では戦力とはなり得ないのだがそんな事情を知らないベリアルからすれば屈辱を晴らさなければ気が済まない。
「ルシア、もっと強いDBをオレによこせ! あれはDBの差だ! じゃなきゃオレがシュダなんかに負けるわけがねえ! この傷もお前のシンクレアならすぐ治せるはずだろ!」
話していく中で我慢が出来なくなったのかべリアルは凄まじい剣幕でルシアへと詰め寄って行く。戦闘狂、魔族であることを証明するかのような荒々しさ。自らの敗北を認められないがゆえの行動。流石にルシアとしても許容できる態度ではない。だが下手にいさめたとしても収まらず、下手をすれば再びハル達に襲いかかりかねない状態。だがそれは
「アキから離れなさい……流石にこれ以上は許すわけにはいかないわ」
淡々とした、どこか生気を感じさせない機械的な声によって終わりを告げる。同時に今まで一言も発することなく、事態を見守っているだけだった女性が動きだす。まるでルシアを守護するかのように。
「……? 何だ、てめえは? 女のくせに出しゃばってくるんじゃねえよ。これはオレ様とルシアの話だ! 大人しくしとけ……ば…………?」
瞬間、べリアルはまるで信じられない物を目の当たりにしたかのように凍りついてしまう。知らず呼吸は乱れ、身体が震え、目が見開かれる。
銀髪に白い肌。スーツを身に纏い、気配と力を抑えていたがゆえにべリアルはその存在に今の今まで気づくことが無かった。だが今は違う。その冷気が、殺気が部屋を支配している。実際に会ったことも見たこともないにもかかわらずべリアルは本能で悟る。魔界に身を置く者であれば逃れることができない絶対的な絶望。
「ジェ……ジェロ……様……? ま、まさか……何故あなたがこんなところに……」
四天魔王 絶望のジェロ。二万年以上自らを氷漬けにし眠っていたはずの氷の女王が今、ベリアルの前に立ち塞がっている。もはやべリアルはその場を動くことも言葉を発することもできない。できるのはただ王の言葉を待つことだけ。それ以上余計な言葉を口にすればその瞬間、命はない。
「自らの主への態度がなっていないようね……大魔王に対する不敬、万死に値するわ……」
瞬きすら見せず絶対零度の瞳でベリアルを捕えながらゆっくりとジェロはその手をかざす。溢れ出ている冷気が全てを物語っている。絶対氷結と言う名の絶望。それを前にしてべリアルはただ立ち尽くすことしかできない。べリアルはようやく思い出す。ルシアが魔界から帰って来たことが何を意味するかを。
「お、おい! ジェロ、いくらなんでもそこまでは……!」
目の前の展開に固まってしまっていたもののようやくルシアは慌ててジェロを制止する。もはやどちらが主従か分かったものではない。ジェロから発せられている王の風格、カリスマに圧倒されながらも大魔王は必死に懇願する。流石にそこまではやりすぎだと。どこかのシンクレアが楽しそうな声をあげている気がするが全力でスルーしながらルシアは何とかジェロを止めることに成功するも
「そう……感謝しなさい、命だけは見逃してやるわ。その代わり、お前には魔界に戻ってもらうわ……」
「…………え?」
ジェロはそのままもう片方の手をベリアルに向かってかざす。違うのはそこにDBがあったこと。ゲートと言うの名の魔界との門を開く魔石。その力が有無を言わさずベリアルを包み込んでいく。そのさなか、ジェロは告げる。
「メギドのところで鍛え直してくるといいわ……ちょうど配下が足りないと言っていたし。こき使ってくれるように伝えておくわ……」
「――――」
ベリアルにとって絶望となり得る死刑宣告を。逃げ出すことも、抵抗することもできない地獄への片道切符を受け取りながらべリアルは人間界から姿を消したのだった――――
「……邪魔をして悪かったわね。もう一人の方はあなたに任せるわ、アキ」
「あ、ああ……こっちこそすまねえ……余計な手間かけさせちまったな……」
どこか顔を引きつかせながらルシアは何事もなかったかのようにその場から離れて行くジェロを見つめることしかできない。自分と接している時は忘れがちではあるが間違いなくジェロが四天魔王、絶望の名を冠する王であることを思い出させるに十分すぎるほどのインパクト。その逆鱗に触れてしまったべリアルには同情するしかないがある意味自業自得。元々原作でもメギドに仕えている描写があったので妥当な処罰だろう。もっともその待遇はその限りではないが。加えて勝手に巻き込まれるメギドにも申し訳なさを感じながらも再びルシアは向かい合う。ディープスノーという六祈将軍への処罰。ディープスノーは目を閉じ、首を垂れたままルシアの決定を待ち続けている。忠義の騎士に相応しい姿。己の敗北を恥じる空気が滲み出ているもルシアは確かに気づいていた。それだけではない、いつものディープスノーでは見られないような迷いがあることを。それは
「…………キングのことか」
「――――っ!」
今は亡き先代キング。ゲイル・レアグローブに関連すること。かつてジンの塔で初めてディープスノーと出会った時に見せていた迷い、戸惑いが今のディープスノーにはある。その理由もおおよそルシアには察しがつく。本来なら戦う機会が無かったハルと戦ったこと。直接戦うことはなかったもののシュダと接触した可能性があること。自らが敗北したこと以外でディープスノーが迷いを見せる、動揺することなど他に考えられない。ルシアは一度大きな息を吐き、頭を掻きながらも決断する。リスクはあるものの、自らの計画を一つ早めることを。
「……ジェロ、悪いが少しの間シンクレアを頼む。俺はちょっとディープスノーと二人きりで話がある」
そういいながらルシアは無造作に胸に掛けてある三つのシンクレアをジェロへと手渡す。シンクレアを預けるという本来ならあり得ないような行動だがジェロという側近を得たからこそ可能なもの。
「……ええ、構わないわ」
『ど、どういうつもりだアキ!? 我を他人に預けるなど……ちゃんと加減して騒いでいたではないか!』
『騒いでいる自覚はあったのですね……』
『あ……こ、この冷たい感覚久しぶり……でももう二度と感じたくなかった場所に帰って来たのね、あたし……できれば一刻も早く帰ってきてね、アキ……』
ジェロは一瞬、何か考えるかのような仕草を見せながらもすぐに三つのシンクレアをその手に掴む。同時にシンクレア達の阿鼻叫喚(主にバルドル)が起こるもルシアは無視しながらディープスノーと共に違う部屋へと場所を移していくのだった――――
『まったく……何なのだ、この扱いは? まるで我らが厄介者であるかのようではないか!』
『ある意味間違ってはいないと思いますが……アキ様がしゃべっている時に茶々を入れるのはやめたほうがいいですよ。これ以上嫌われたくないのならですが……』
『な、何だそれは!? まるで我がアキに嫌われているかのようではないか!?』
『そんなことよりさっきのアキ、ちょっと怪しくなかった? もしかしてあのディープスノーとかいうのと出来てたりするの? 禁じられた愛なのかしら? ねえジェロ、ちょっと盗み見しにいかない?』
「……………」
ジェロしかいなくなった部屋に常人には聞こえない三つの女性の声が木霊する。耳を塞ごうにも頭に直接聞こえてくるそれを防ぐ手立てはジェロにはない(無論アキにも)その騒がしさを改めて実感し、一瞬本気でビルの窓からシンクレアを投げ捨てようとするも寸でのところで思い留まることに成功する。
『―――っ!? ジェ、ジェロ……何か今、一瞬恐ろしいことを考えなかった……?』
「いいえ……気のせいよ。それよりも今の内にマザー、あなたに聞いておきたいことがあるわ……」
『ん? 我にか? 何だそんなにかしこまって……アキがいてはできない話なのか……?』
珍しくジェロの方から話しかけられたことに驚きながらもマザーは意識をそちらに向ける。アナスタシスとバルドルもそれを理解してか黙りこんでしまう。そんなことなど気にするそぶりもなくジェロは無造作に問いかける。
「ええ……エリーとかいう魔導精霊力を持つ女を何故生かしておくの? 以前アキにも聞いたのだけれどはぐらかされてしまったわ。どういうつもりなのか教えてもらえるかしら?」
何故魔導精霊力を持っている存在を生かしておくのか。それどころかこちら側に引き込もうとすらしているのか。ある意味当然の疑問。四天魔王として見過ごすことができない問題だった。
『そうですね……私も気になっていました。アキ様はともかく何故あなたまであの娘の肩を持つのです? かの力は我らの天敵であるというのに……』
『そうよねー。ま、五十年前みたいに負ける気は全然ないけど放っておくのは流石にやりすぎじゃない?』
『ふん……揃いもそろって情けない。アキと我がいる以上後れを取ることなどあり得ん。それにエリーはアキの……う、うむ。想い人でもあるからな。手を出すわけにはいくまい』
『そーいえばそうなんだっけ? でもそれってあなたにとっては恋敵になるんじゃないの? これ以上敵を増やしてたらどうにもならない気がするんだけど……もしかしてそのエリーってのをジェロにぶつけてる間に漁夫の利を狙うとか?』
『っ!? な、何を言っておる!? そんなヴァンパイアのようなことを我がするわけがあるまい! それにエリーを手に入れるのは全てアキのためだ! この並行世界を消滅させ現行世界に至ったとしてもアキ一人では子孫を残すことができんのだからな』
『別にそれってジェロでもいいんじゃない? ま、確かに生まれてくるのは人間じゃなくて亜人になっちゃうけど……』
『ぬ……た、確かにそうだがアキ自身の気持ちもあろう……何でも一つ願いを叶えると契約したからな。ならエリー一人現行世界に連れて行くことぐらい許してやらんでもない、ということだ』
『……何だが無茶苦茶な理論になっていますが、要するにアキ様にはエリーがどうしても必要だということですか?』
『……そうだ。そもそも我とエリーは旧知の仲。エリーにとってもアキは想い人でもある。何の問題もあるまい』
「そう……あなたが納得しているのならそれで構わないわ。ただ障害になるようなら容赦はしないわ……それで構わないかしら……?」
『当然だ……アキにとって障害となるなら何であれ容赦はせん。それが我の在り方だ』
マザーはどこかエンドレスを感じさせる雰囲気を纏いながらジェロの問いに応える。シンクレアとしての悲願を果たすために。ダークブリングマスターに従う者としてマザーは宣言する。自らが矛盾した願いを抱いていることを知りながら。そんな中
「何をごちゃごちゃ騒いでんだ……ジェロにまで迷惑かけてたんじゃねえだろうな……」
やれやれといった風に肩を鳴らしながらルシアが一人、隣の部屋から戻ってくる。ようやく仕事が片付いたと言わんばかりの姿。
『ふん、主こそ片付いたのか。それともまたジェロに代わりにやってもらう方がいいかの?』
「そ、そんなことさせるわけねえだろ!? もう話はつけてきた。ディープスノーにはレディと同じように参謀として働いてもらう。それだけだ」
『参謀ですか? 新しいDBを持たせる手もあると思いますが……』
「いや……もうそれは必要ねえ。五十六式が無い以上戦闘能力は落ちるし、もう六祈将軍じゃレイヴマスター達の相手にはならねえからな……」
『確かにそーかもねー。六星以上のDBなんて生み出せないし……ま、代わりにジェロ達が仲間になったと思えば何の問題もないんじゃない?』
「そ、そうだな……」
バルドルのある意味もっともな発言に内心焦りながらも何とか上手くいったことにルシアは安堵するしかない。とりあえずいろんな意味で問題があった六祈将軍の件については一応決着がついた形。まさか帰還して早々人事をさせられるとは夢にも思っていなかったルシアは肩の荷が下りた気分。もしかしたら戦闘よりも厄介な事態だったかもしれないと本気でげんなりしながらも達成感に包まれんとした瞬間
『さて……ちょうどこちらの話も済んだところでさっさと行くとしようか、主様よ』
マザーのまるで待ってましたと言わんばかりの宣言によってかき消されてしまう。実体化していれば間違いなく邪悪な笑みを浮かべているであろう姿が容易に想像ができるyほどに怪しい光を放っている。同時にルシアは強烈なデジャヴを感じていた。その記憶をたどるようにいつかと同じ言葉をルシアは口にしてしまう。
「行くって……どこへ……?」
数日前ジェロを召喚し、バルドルを受け取ろうとした時。ようやく悪夢が終わった瞬間にそれを上回る悪夢が訪れた記憶。違うのは
『決まっておろう……レイヴマスター共のところだ。喜べ、主様。シンクレアと今度こそエリーを奪い返そうではないか』
魔界探検ツアーではなく、レイヴマスター御一行との対面という豪華ツアー(エンドレス付き)に変更になったということだけ。顔面を蒼白にしながらももはやルシアに逃げ場はない。三つのシンクレアと四天魔王を前にしてそれを先延ばしにする理由も方法も思いつかない。否、そんな方法は存在しない。まるで売られていく子牛のようにルシアは連れられていく。
場所は東のイーマ大陸、星跡の洞窟。
約束の地シンフォニアに続き、再びダークブリングマスターとレイヴマスターの邂逅の時が訪れようとしていた――――