(ふう……)
ルシアは心の中で静かに大きな溜息をつく。だが溜息とは対照的にその胸中は満足感に、達成感に満ちていた。まるでようやく長かった試練を乗り越えたかのような晴れ晴れとした心境。何故なら今、ルシアはついに自らの計画の全てをやり遂げたのだから。
ハル達との再会、自らの正体を明かし敵対する意志を示すこと。
それが今回のルシアの目的。これからの展開上、自らの目的のためには避けて通れない問題。だがそれを何とかルシアはやり遂げることに成功した。エリーによる予想外の行動によって破綻しかけたものの無理やり軌道修正し、目的の一つでもあったハルとの戦闘も実現できた。これについてはルシアの計算以上の結果を出したと言っていい。ルシアの見通しでは剣技という点では今のハルでは自分には及ばず恐らくは傷を負わすことはできないだろうと考えていたからだ。その成長速度は驚嘆に値する。流石は主人公といったところ。そしてもう一つの懸念もすぐに払拭されることになった。
時の番人、ジークハルトの乱入。
原作でハル達の窮地を救った出来事。それが起こるか否かがルシアの懸念材料。もしかすれば自分の影響によってそれが起こらない可能性もあり得たのだから。そのためルシアは一応ジークが来なかった場合の対応も考えてはいた。それはルシアがハルとした傷を負わせれば戦闘を止めるという約束を利用すること。加えて何よりも重要なのが情けと称してアナスタシスの力でムジカとレットを治療すること。特にレットに関しては魔導士であるジークがいたからこそ樹から元に戻れたためルシアがそれを行う必要があった。無理がある展開ではあるがいたしかたないとあきらめてはいたものの結果的にその心配は杞憂。ジークは原作通りハル達を守るためにシンフォニアへと現れた。後は余計な邪魔が入ったため今日はここまで、先の約束もあって今回は見逃してやる。そんな悪役の定番の台詞と共にこの場を後にする。それでようやくそれでこの長かった(時間としては大したことは無い)イベントも終わりを迎えることができる……はずだった。
(俺……もう帰ってもいいかな……?)
まるで死んだ魚のような目をしながら虚ろな表情のままルシアは自らの上空へと視線を向ける。そこには杖に乗った老人がいた。だがそれは別に構わない。剣と魔法の世界なのだから別に老人の一人や二人が杖に乗って飛んでいても『ああ、そういうこともあるか』で済ますこともできる。だがその老人が問題だった。自分と同じ金髪に長い髭。これだけ距離があり、魔導士ではないルシアですら感じることができる魔力。
超魔導シャクマ。世界最強の魔導士であり、ルシアの実の祖父。間違いなく本人その人だった。
『くくく……どうやらまた面白そうなことになってきたな。閃光の主の時といい本当に面倒事に巻き込まれる才能があるらしいの、我が主様よ?』
完全にフリーズしてしまっているルシアの心境など何のその。こうでなくては面白くないとばかり上機嫌にルシアの胸元にいるマザーが邪悪な光を放ちながら話しかけてくるもルシアは何の反応も示さない。もはやどんな反応を示したらいいか分からない、本気でこのまま何もかも投げ出して本部に帰りたいと思ってしまうほどにルシアは疲れ切ってしまっていた。
『ア、 アキ様……どうかなされたのですか? 顔色が優れませんが……もしや先程の戦闘でどこかお身体を……?』
『いや、大丈夫だアナスタシス……とにかくちょっと時間を巻き戻してくれるか。できれば十年ぐらい前に。その辺からちょっとやり直したいと思うんだが……』
『何を意味が分からんことを言っておる。さっさと正気に戻らんか。それとも我が頭痛で正気に戻してやっても構わんぞ?』
『…………』
マザーの本気か冗談かも分からない言葉によってようやく現実へと帰還したルシアはあきらめるしかない。自分には現実逃避することすらも許されないのだと。もっともそれはルシアの限った話ではない。この場に集う全ての人物がいきなり起こった事態に驚き、その場に磔にされている。レイヴ側でもDCでもない未知の存在。正体も目的も不明のイレギュラーによってジークの乱入という事態すら消し飛んでしまうほどの混迷に包まれつつある。そしてその中心となっている人物、シャクマは杖に乗ったまま全く微動だにしない。だがその視線がある一点に向けられていた。それは
『ふむ……どうやらあの髭はお主に用があるようだぞ。ほら、早くあの熱い視線に応えてやってはどうだ?』
間違いなくルシア一人に向けられたもの。気のせいだと思いたいものの覆しようのない事実だった。
『や、やかましい! 気色悪いことほざいてんじゃねえ!』
『喚くな、騒々しい。ちょっとした冗談だ。で、あの髭は一体何者なのだ、我が主様よ?』
『っ!? な、何でそんなこと俺に聞くんだ……俺がそんなこと知ってるわけねえだろ』
『ふん、我が気づかぬとでも思ったか。お主の反応を見ておればそのぐらいは察しがつく。隠し事などできるわけなかろう』
『本当に御存じなのですか、アキ様?』
『くっ…………シャクマ・レアグローブ……世界最強の魔導士だ……』
もはやあきらめたとばかりにルシアは投げやり気味にその名を告げる。自分がそれを知っていることを不振がられることを危惧して黙っていた物のこれ以上誤魔化すことはできないと観念した形。だが知っていてもそれほどおかしい話ではない。世界最強の魔導士シャクマ。その存在はある程度は知られているらしいのだから。単純のその名を口にすることでこの事態を認めることを逃避していただけ。
『ほう……レアグローブということは……なるほど、キングの父親、お主から見れば祖父に当たる男ということか』
『俺のじゃねえ。ルシアから見ればの話だ』
『ですがどうやらあのシャクマという者はこちらに敵対する意志はないようですね。こちらを見ているだけで敵意や殺気は感じられませんし……』
『ああ……大方孫である俺のことを聞いて会いに来たってところだろ……』
げんなりしながらもその手にあるネオ・デカログスに力を込め、臨戦態勢のままルシアはシャクマと睨みあっている。アナスタシスの言う通り敵意は感じれないものの何が起こるかは分からないためルシアは気を抜くことすらできない。原作ではシャクマはルシアに協力する立場。だが今の自分は本物のルシアではない。それがバレれば面倒なことになりかねない。ようするに以前のキングとの関係に近い存在だった。何故こんなタイミングでこんな場所に現れたのか疑問は尽きないもののルシアはその全てを思考から排除する。今そんなことを考えることなど無意味なのだから。
『ふむ……世界最強の魔導士か。中々大層な肩書をもっておるの。強いのか、我が主様よ?』
『……ああ、仮にも世界最強なんだからな。ハジャの師匠でもある。間違いなくキング以上の化け物だ』
『なるほど……確かに只者ではありませんね。DBを持たずにそれだけの強さとは……』
『くくく……よいではないか。それでどうするつもりだ。戦うのか、それとも味方につけるのか。どっちにしろ面白いことには変わりないがの……』
『て、てめえ……他人事だと思いやがって……!』
心底面白くてたまらないといわんばかりの様子を見せるマザーの姿に怒りを覚えながらも何とかルシアは冷静さを失わんとする。それほどの力をシャクマは持っているのだから。
『超魔導』
それがシャクマが持つ称号。ジークやハジャが持つ大魔道を超える魔導士最強の証であり剣聖と対を為すもの。その魔力はハジャすら超え、魔法は天変地異を起こすほど。DBを持つ必要すらない強さ。原作では魔導精霊力の完全制御が可能なエリーとハルの二人がかりで倒した相手。間違いなくキングを大きく超えた、下手をすれば四天魔王に匹敵しかねない怪物。
(さて……どうしたもんかな……)
息を大きく飲みながらルシアはこれからどう動くべきか思案する。いつまでのこのまま黙りこんでいるわけにもいかない。六祈将軍の二人もルシアが動くのを待っている形。とりあえずはこちらから話しかけてみるしかない。そう決断し、意を決して声を上げようした瞬間、ルシアは思わず動きを止めてしまう。
それはシャクマの視線。先程まで自分に向けられていたそれが今、違う方向に向けられている。そう、この場にあるもう一つの陣営、レイヴ側に向かって。シャクマの視線がその場にいる三人へ刺さる。だがその表情がハルへ向けられた瞬間、厳しいものへと変わっていく。ハルは何故そんな視線を向けられるのか分からずただ呆然とするしかない。ルシアとの戦いを終えたばかりのハルはその場から動くことすらできない。しかしそれすら消し飛んでしまうほどの変化がシャクマの表情に浮かぶ。明らかな驚愕によって目が見開かれる。そこには
ハルを支えるようにしてその場に座り込んでいるエリーの姿があった――――
「なっ――――!?」
それは誰の声だったのか。そんなことすら分からない程の一瞬でそれは巻き起こった。今まで何の動きも見せることのなかったシャクマが凄まじい速さで両手を振るう。まるで何かを空中に描くかのように。瞬間、凄まじい光が天から降ってくる。この世の物とは思えないような魔力の奔流と共にそれは現れた。隕石。凄まじい質量と熱量を持った隕石がシャクマの手の動きに呼応するように舞い落ちる。決して人の手には及ばないような魔法の極致。
古代禁呪『星座崩し』
あまりにも強力なため習得が禁止されている古代の魔法。宇宙魔法すら上回る超魔導であるシャクマしか扱えない奇跡。その威力は街一つを軽々と消し飛ばしまうほどのもの。隕石すら操ることができる力をシャクマ持っていた。その力が今、唯一人に向けられていた。
「…………え?」
魔導精霊力を持つ少女、エリー。彼女をだけをこの場から消し去らんとするかのように。
「っ!? エ、エリー……!!」
「くっ……!!」
エリー襲わんと降り注いでくる隕石に驚愕しながらもハルは満身創痍の体でエリーを庇うように抱きしめる。今のハルにはそれ以外に手段がない。そんなハルとエリーを庇うようにジークが前に出るもその表情は絶望に染まっていた。魔導士であるジークは誰よりも理解していた。今自分たちに襲いかかろうとしている星座崩しがどれほどの魔法であるかを。例え天空魔法陣の加護を得た七星剣であっても防ぐどころか威力を抑えることすらできない程の差がある。切り札である空間転移も未だ使用までの時間が経過していない。詰みと言ってもいい状況。それでもジークは自らの魔力によってエリー達を守らんとする。それが無駄なことだと分かっていたとしても。
だがこの場には唯一その力に対抗できる者がいた。金髪の悪魔、ルシア・レアグローブ。四天魔王に匹敵する彼であれば星座崩しに対抗することができる……はずだった。
(―――――っ!? ま、まずいっ!!)
ルシアは声を出すこともできない状況でただ絶望していた。それはまさに一瞬の出来事。自分から視線を外したシャクマが突如魔法をハル達に放つという予想外の事態。隕石という音速を優に超える速度の攻撃。しかしそれにルシアは反応する。いつでも動けるように臨戦態勢でいたことによるもの。その手にあるネオ・デカログスであれば星座崩しにも対抗できる。だがルシアはそれを振るおうとした瞬間に動きを止めてしまう。それは二つの間違い。
一つが咄嗟に闇の封印剣の形態を取ってしまったこと。普通ならそれは間違いではない。いかなる魔法でも切り裂く魔法剣。魔導士に対しては天敵とも言えるもの。これまでの戦闘経験から瞬時にルシアはそれを選択するもすぐにそれが過ちであることに気づく。そう、今自分が斬ろうとしているのが唯の魔法ではなく星座崩し、隕石であることに。それはいわば魔法と物理を兼ね備えた攻撃。闇の封印剣であれば隕石を操っているシャクマの魔力を消すことはできても隕石自体を斬ることはできない。既に目の前にまで迫っている隕石の軌道を変えることもできない。刹那にも近い感覚の中、まさに神技と言ってもいい反応でルシアは剣の形態を変えんとするもそこでようやくルシアは悟る。自分がどうしようもない絶望的状況にあることを。
(だ、ダメだ……!! どの剣を使ってもハル達を巻き込んじまう……!!)
それはネオ・デカログスのあまりにも強力すぎる力。どの剣を使ったとしても離れた場所にいるハル達を巻き込んでしまう。だがただのデカログスの威力では星座崩しを防ぐことができない。マザーの空間消滅も精度は高くなく何よりもネオ・デカログスを使用しようとしているこの状況から切り替える時間すらない。自分の身を守るだけならどうにでもなるも今の状況からハル達を守る術がルシアには残されていない。走馬灯にも似た感覚がルシアを包み込む。
完全な絶望。この世界を救うための、そして自分にとっての親友であるハルとエリーの命運が今ここに尽きんとしている。その場にいる全ての人間はただその結末を見届けることしか許されない。そして全てが無に帰さんとした瞬間
まばゆい光が全てを包み込んだ――――
「――――」
静寂が全てを支配する。誰一人息すらできないような静まり返った空気。全てが終わったはずの大地。シンフォニアにおける戦いの終焉であり、物語の終わりともいえる絶望がルシアを包み込んでいたもののそれは一瞬で消え去ってしまう。それほどに理解できない事態が目の前にあった。ルシアはただその姿に目を奪われる。
そこには一人の男がいた、いや、正確には男であろう人物が。その理由はその男の容姿。
顔を迷彩柄のマスクと布で覆い隠し、その体は包帯で巻かれマントによって覆われている。背中には複数の杖と思えるものを背負っているあまりにも特異な風貌。そんなあり得ない新たな乱入者の登場にルシアはもちろんその場の全ての人物は目を奪われ言葉を失う。
「…………」
覆面の男は一言も発することなくその場に立っているだけ。そこはハル達の手前。まるでハル達を守ろうとするかのように覆面の男はシャクマと対峙する。シャクマもそれに応えるように構えるもその表情には確かな困惑が見て取れた。それはいきなりこの場に新たな第三者が現れたこともあるがそれ以上に理解できない事態が起こったからに他ならない。それは
(な、何だ……? 一体さっき『何が』起こったんだ……?)
先の一瞬で何が起こったのか分からなかったこと。その一点のみ。だがそれは決してルシアが目を離していたわけではない。ルシアは覚えている。シャクマが何かの魔法をハル達に向かって放ち、恐らくはあの覆面の男がそれを防いだのだということを。だが根本的な問題。シャクマがどんな魔法を使ったのか、覆面の男が何を防いだのか。その記憶がすっぽりとルシアの中から抜け落ちてしまっていた。そう、まるで時間が消し飛ばされてしまったかのように。
「ちょ、ちょっと……さっき一体何が起こったの? さっき確かにあの杖の奴が何かを使ったはずなのに……ジェガン、あんたは覚えてる?」
「…………」
レイナとジェガンも一体自分たちに何が起こったのか理解できずに混乱するしかない。それはハル達も同様。つい先程何が起こっていたか分からない。まるで記憶に不具合が生じたかのようなあり得な事態に狼狽するだけ。分かるのは恐らくあの覆面の男の仕業だろうということだけ。そんな中
『……アナスタシス。さっきの隕石をあの覆面が防いだ時の力を感じ取ったか?』
『ええ……ですが分かりません。あなたの力に近い性質なのでしょうが……』
『え……? 隕石? 隕石って何の話だ?』
ルシアは自分の胸元で話しあっているマザーとアナスタシスの会話の内容が理解できずに疑問を口にするしかない。だがそんなルシアの言葉に逆にマザー達はポカンとするだけ。まるでルシアが何を言っているのか分からないといった風。
『……? お主こそ何を言っておる。先程あの髭が使った隕石の魔法のことだ』
『隕石……? シャクマが隕石を……ってことは星座崩しを使ってきたってことか? でもそんなもん見てねえぞ』
『……アナスタシス、ちょっと再生を使ってやれ。どうやらとうとう主様の頭がおかしくなったようだ……心配するな、我はそんなことで主を身捨てたりはせん……』
『なっ!? て、てめえ何様のつもりだ! まるで俺がおかしくなったみてえに言うんじゃねえ! 大体お前の方がどうかしちまったんじゃねえのか!』
『な、何だと!? 我は正常だ! お主こそ本当におかしくなってしまったのではないか!?』
『落ち着きなさいマザー……アキ様、本当にあのシャクマという者が隕石を降らせたことを覚えていないのですか?』
『あ、ああ……何かの魔法を使ったのは覚えてるんだが……本当にシャクマが隕石を降らせたのか?』
『ええ……それをあの覆面の男が突然現れ、消し去ってしまったのです。その力に幻覚のような効果があったのかもしれません。どうやらマザーと私以外は全員同じような状態のようですから……』
アナスタシスの冷静な状況分析によってルシアはようやく事情を悟る。恐らくは記憶の一部がこの場にいる全員から失われていることに。何故そんなことになってしまっているのかは未だ不明なもののルシアは安堵の声を漏らすしかない。何にせよハル達が九死に一生を得たことは間違いないのだから。だが安心ばかりはしていられない。ある意味先のシャクマ以上のイレギュラーがこの場に現れたのだから。
(何なんだあいつ……!? 原作じゃ見たことない……よな? でもあの杖から見て魔導士なのか……?)
ルシアは混乱しながら覆面の男を凝視するも全く心当たりがない状況に頭を抱えるしかない。原作で見たことも聞いたこともない人物の登場。しかもマザー達の言葉が事実ならあの星座崩しを防ぐ程の力の持ち主。場合によっては全ての前提が崩れかねない異常事態。何よりもルシアが驚愕していること。それは
『おいマザー、アナスタシス……あいつの力、エンドレスの力じゃねえのか……?』
覆面の男から感じる力。それがシンクレア、エンドレスの力に酷似していることにあった。
『うむ……確かに我らの力に近いが……』
『じゃああれか、お前達が言ってた五つ目のシンクレア、バルドルをあいつが持ってるってことか?』
『いえ、それはあり得ません。バルドルは今は魔界、四天魔王が守護しているのですから。それにバルドルの力ではこんな真似はできません。私達の力に似た何かであることは間違いありませんが……すみません、それ以上のことは……』
『…………そうか』
マザーやアナスタシスの言葉によってルシアは結局まだ覆面の男の正体も力も見抜くことができず困惑するもひとまず頭を切り替えることにする。それはこの場をどう収めるかと言うこと。覆面の男がハル達の味方であることは疑いようのない事実。その証拠に先程のシャクマからの攻撃からハル達を救い、今はシャクマと対峙しているのだから。対してシャクマは覆面の男と睨みあいをしながら対峙している。このままでは再び戦闘が開始されてしまう。先程は何とかことなきを得たが次はどうなるか分からない。
ルシアは意識を切り替えながらその手にあるネオ・デカログスに力を込める。その表情は既に先程までとは別人。魔王そのものといえるものだった――――
「お前は一体……」
困惑を隠しきれない表情を見せながら時の番人、ジークハルトは自分の前にいる覆面の男に問いかける。お前は何者なのかと。本当なら聞きたいことは山のようにある。一体どうやってここに現れたのか。先程の光は何なのか。何故自分達を救ったのか。だが覆面の男は振り返るどころか声を出すこともない。ただ背中を見せたまま自分達を庇うように立ち尽くしている。ジークに分かるのは目の前の覆面の男が恐らくは自分たちの味方であるということだけ。背中にある杖から魔導士である可能性が高いものの確証には至らない。超魔導シャクマに対抗できる魔導士などこの世界に存在するはずがないのだから。ハルとエリーもまた同じ。次々に起こる事態をただ眺めることしかできない。
「フム……よかろう。少し遊んでやるとするか」
「…………」
今まで一言も言葉を発することがなかったシャクマが口を開く。それは宣言。覆面の男が超魔道である自分が相手をするに相応しい相手であると認めた証。そして戦いの再開を意味するもの。それに合わせるように覆面の男も背中にある杖を手に取り構える。そしてついに戦いの火蓋が切って落とされんとしたその時、
「てめえら……何好き勝手してやがる」
そんな背筋が凍るような声と共に凄まじい轟音と暴風が大地を切り裂いた――――
「きゃあ!」
「くっ……!」
突然の事態にエリーが思わず悲鳴を上げるもジークは魔法によって衝撃と粉塵からエリー達を守る。目の前にはまるで地割れが起こったかのような凄まじい爪痕が残っているだけ。地平線の彼方まで続くのではないかと言うほどの圧倒的な風の一撃。
『闇の真空剣』
それがネオ・デカログスの、新生DC最高司令官ルシア・レアグローブの力だった。
(まさかこれほどまでとは……)
ジークはその惨状を見ながら知らず息を飲んでいた。半年前からは想像できない程の成長。腕を上げたはずの自分など何の意味もなかったと思わざるを得ない程の戦力差。ジークは悟る。自分では足止めすらできなかったであろうことを。しかもそれだけではない。ネオ・デカログスだけではなくシンクレアの力の奔流すらこの場を支配していく。
破壊を司るマザーと再生を司るアナスタシス。
本来なら対極に位置するはずの能力を持つ二つのシンクレア。それを統べるに相応しい力をルシアは持っている。まさに魔王と呼ぶべき風格と重圧がそこにはあった。それは敵であるジークはもちろん、味方であるはずのレイナ達ですら恐怖してしまうほど。普段なら軽口を叩けるレイナも本気になったルシア相手には声をかけることすらできない。
「……ジジイ。てめえは俺に用があるんじゃねえのか。これ以上好き勝手するならてめえから殺すぞ」
ルシアは凄まじい眼光と殺気でシャクマを射抜く。その言葉が脅しでも何でもないことは誰の目にも明らか。並みの者ならその時点で立っていることすらできない程の重圧を受けながらも動じることがないという時点でシャクマもまた怪物である証。だがルシアの言葉と殺気によって戦闘状態は解かれていく。対する覆面の男はそんなルシアとシャクマのやりとりを見ながらも声を上げることもなくただ構えているだけ。
「話なら別のところでしてやる……ジンの塔の跡地だ。そこに先に行ってろ。空間転移ぐらいてめえなら朝飯前だろ、超魔導? 俺もすぐに行ってやる。この瞬間移動のDBでな」
ルシアはその手にあるワープロードを見せつけながらシャクマにこの場から消えるように告げる。それは命令。もしそれに逆らうならこの場で相手をしてやるという意志表示。
「……よかろう、では待っておるぞ。禁じられし名を持つ者よ」
それに従うかのようにシャクマは一度、ルシアを見つめた後その場から姿を消してしまう。まるで蜃気楼のように。それが空間転移。本来なら何十人もの魔導士が限界まで魔力を使って成功するかどうかの大魔法。それを一人で疲れることなく使うことができるのが超魔導たる所以。
「……余計な邪魔が入っちまったな。今日はここまでだ、ハル。今度会うときにはもう少しマシになってろよ。今、俺の手にあるシンクレアは二つ。そしてお前のレイヴは三つ。どちらが先に揃えるか、その時を楽しみにしてるぜ」
「っ! ア、アキ待ってくれ……オレは……!」
シャクマが空間転移をするのを見届けた後、ルシアはマントを翻し、その場を後にする。ハルはそれを追おうとするも負傷によって叶わない。ジークは無言のままそんなルシアを見つめるだけ。エリーもただ呆然とルシアとマザーが去っていくのを見送ることしかできない。
「…………」
「…………」
振り向きざまにルシアと覆面の男の視線が交差するも両者の間に言葉は無い。そしてそのままルシアはレイナとジェガンと共に姿を消す。後には大きな爪痕が残されたシンフォニアの大地があるだけ。
それがこの戦いの終焉。そして新たなレイヴマスターの、ダークブリングマスターの戦いの始まりだった――――