「いい加減おままごとは終わりってことでいいのかしら、ルシア?」
楽しげな笑みを見せながらドレスを身に纏った美女、レイナは自らの王であるルシアに向かって問う。ようやく退屈な時間が終わったのかと。それは先程までのルシアとハル達のやりとりをずっと見せ続けられたことに対する当てつけ。レイナとジェガンはルシアと共にこのシンフォニアへやってきたもののルシアの命令によりイリュージョンの力によって姿を消したまま待機命令を出されていた。色々と言いたいことはあったが最高司令官であるルシアの命令である以上黙ってそれに従ったもののハルやエリーとのおままごととしか思えないようなやりとりをずっと見せられてレイナは辟易するしかなかった。だがようやく戦闘が始まらんとしたためにレイナとジェガンは姿を現したのだった。
「全く……まさかこんな茶番を見せるために呼んだわけじゃないでしょうね。それにいくら何でも油断しすぎよ。隙だらけだったじゃない」
ルシアを守るように前に出ながらもレイナは呆れながら苦言を呈する。言うまでもなくそれは先程までのルシアの姿。ムジカとレットが襲いかかってきているにもかかわらず完全な無防備と言ってもいい隙を晒したことに対するもの。もちろんレイナはルシアの実力を身を以て知っている。六祈将軍全員を同時に相手して完勝し、キングと同格と言われたハードナーすら下した存在。例えハルを含めた三人全員が相手だとしても何の問題にもならない強さをルシアは持っている。だがいくら実力差があるといっても先程の隙はやりすぎなもの。レイナとジェガンが割って入らなければどうなっていたか分からないものだった。だがルシアはそんなレイナの苦言を聞きながらも応えることなくそのまま頭を抱えながらふらふらと体を揺らしている。まるで二日酔いになってしまったかのように。
「どうしたの? もしかしてさっきのキスに興奮して血管でも切れちゃったのかしら?」
「……うるせえ、ちょっと黙ってろ」
「あら、つれないわね。せっかく心配してあげてるのに。ウブなところはハル君といい勝負ね。まあいいわ、代わりに話を進めさせてもらうわよ、ルシア♪」
「…………」
変わらず調子が悪そうなルシアに変わる形でレイナは改めてハル達に向かって対面する。ジェガンは無言のまま。だがその雰囲気は既に戦闘態勢。言葉がなくともそれだけで十分だった。
「お前らは……」
「久しぶりね、ハル君。半年ぶりぐらいかしら、また会えてうれしいわ」
ハルはいきなり目の前に現れたレイナとジェガンの姿に呆気にとられながらもすぐさまTCMを構えながら向かい合う。何故ならハルは半年前、エクスペリメントでレイナと戦ったことがあったから。同時にハルは思い出し、知らず息を飲む。半年前、DBを使っていなかったレイナに手も足も出なかった記憶。
『六祈将軍』
かつて倒したシュダと同じ称号を持つ六人の戦士。その内の二人が今自分たちの目の前にいる。だがそれはもう一つの大きな事実を証明するもの。六祈将軍がこの場に現れ、そしてルシアに従っていること。間違いなくルシアが新生DC最高司令官である疑いようのない証明だった。
「ジンの塔ではすごかったらしいわね。二人がかりとはいえあのキングを倒したんだから。少しは強くなったのかしら」
「……お前ら、一体何の用でここに来たんだ。またエリーを狙って来たのか?」
「エリー……? ああ、魔導精霊力のことね。心配しなくても私達はエリーちゃんに手を出す気はないわ。ジークみたいに命を狙う理由もないし、ルシアにも手を出さないように言われてるしね」
「じゃあ一体……アキの護衛のためか?」
ハルは六祈将軍達の目的が以前のようにエリーではないことに安堵しながらも以前警戒を解くことはない。それはレイナとジェガンの纏っている空気。間違いなく自分たちと一戦交えんとする空気が次第に高まっている。肌でそれを感じ取りながらもハルは思いつく中で一番可能性が高い理由を口にする。最高司令官であるアキの護衛。最高幹部である六祈将軍の本来の役目といってもいいもの。だが
「残念だけど違うわ。本当ならそれが私達の役目なんだけどはっきりいってルシアに護衛なんて必要ないし……だから私とジェガンがここにいるのはあくまで個人的な用件よ」
レイナは不敵な笑みを見せながらその視線を向ける。だがそれはハルへのものではない。その隣にいる銀の槍を手にしているムジカに対するもの。同時にムジカもまたレイナの視線に応えるように笑みを浮かべる。一瞬で互いの意志を悟ったかのように。
「……悪いな、ハル。どうやらこの姉ちゃんはオレに用があるらしい。ここはオレに任せてくれ」
「ムジカ!? でもあいつは……」
「分かってるさ。でもあいつはオレを御指名らしい。それにオレも個人的に聞きたいことがあったからな。お前はあのアキって奴と話をつけな」
ハルの肩を叩いた後ムジカはレイナに向かって近づいて行く。その脳裏には様々なものが浮かんでは消えて行く。同じ銀術師としての対抗心、先に戦いのリベンジ、レイナの正体。だが最後に残ったのはたった一つの言葉。それは
「約束通りシルバーレイの場所は思い出して来たのかしら、ムジカ?」
『シルバーレイ』というムジカにとっての旅の目的。かつての師との約束を果たすためのもの。それを破壊することがムジカの使命。
「さあ、そいつはどうかな。それよりもオレとちょっとデートでもしねえ? 最近悪さしてなくってな。あんたみたいな美人ならイタズラのしがいがありそうだ」
「そう……どうやらもう半年前の戦いを忘れちゃってるみたいね。なら直接その体に聞いてあげるわ」
からかい半分のムジカとは対照的にレイナには既に先程までのふざけた態度は微塵もない。あるのは冷酷な六祈将軍としての貌だけ。シルバーレイという今は亡き父の最後の芸術品を取り戻す。かつての父との思い出を取り戻すことがレイナの行動理念でありDCに所属している理由。奇しくも二人の銀術師が同じ因縁の元に対峙する。だがこの場にはもう一つの断ち切れない因縁があった。
「ジェガ――――ン!!」
瞬間、龍の咆哮が響き渡る。同時に目にも止まらない速度で人影が一直線に動きだす。まるで今の今まで耐えてきた、我慢してきた全てを解放するかのようにレットが凄まじい形相のまま疾走する。
「っ!? レット!?」
「どうしたの、レット!?」
あまりにも突然の事態にハルとエリーは驚きの声を上げることしかできない。だがそんな二人の声などもはやレットの耳には届いてはいなかった。レットの全神経は唯一人のみに注がれている。黒い大剣を担いだ、顔に刺青をした寡黙な男。龍使いジェガン。彼に向かってレットは肉薄しその拳を放つ。微塵の容赦もない全力の拳。岩ですら砕く威力を持つ一撃。だが
「…………」
「ぐっ……!!」
ジェガンはそれをこともなげに片手で受け止める。瞬間、威力によってジェガンの足元の地面がめり込むもののダメージは全くない。それどころか一歩もその場から動かすことすらできない。明らかに格が違うと示すかのような事態。だがレットはそのまま一歩も引くことなく止められてしまった拳に力を込めながらジェガンを睨む。
「ジェガン……貴様だけは必ずこの手で……この手で殺す……!!」
息を荒げ、憤怒の化身の如き表情を見せながらレットは目の前にいるジェガンに向かって告げる。だが殺気だけで相手を殺せるのではないかと思えるような気迫を前にしながらもジェガンは全く表情を変えることはない。まるで見下すかのように冷たい視線で応えるだけ。ハル達はいつも冷静なレットの考えられないような行動に圧倒されその場を動くことすらできない。愛する女性を殺された男と殺した男。二人の竜人の因縁が今、まさにぶつからんとしていた。
「へえ、ほんとにあんたにその龍以外のお友達がいたなんて驚きね。あ、でもその人も龍かしら? ま、いいわ。じゃあルシア、私達は予定通りこの二人の相手をするわ。ハル君とエリーちゃんはあなたに任せたわよ」
ひらひらと手を振りながらレイナはそのままムジカとの戦闘を開始せんと動き出す。同時に睨みあっていたレットとジェガンもまた凄まじい衝撃と共に戦いを開始する。それがルシアとの作戦であり命令。ハルとエリーの相手をルシアが担当し、その邪魔になるであろうムジカとレットをレイナ達が相手をしながら分断する。それぞれに深い因縁もあるのが大きな理由。予定ではルシアの合図で戦闘が開始されるはずであったもののルシアが予定外の動きや反応をしたせいで無理やりそれが始まった形。レイナの言葉を聞きながらもルシアは応えることはなく、それを肯定と受け取ったレイナは己の戦いへと向かって行く。だがルシアは何もレイナを無視しているわけではなかった。それとはまた違う戦いが巻き起こっていたからに他ならない。それは
『いい加減にしなさいマザー! これ以上はアキ様のお身体に障ります!』
『ええい、うるさい! 貴様は黙っていろアナスタシス! これは我とアキの問題なのだ!』
『て、てめえ……いい加減この頭痛をどうにかしろ! このままじゃあまともに動けねえじゃねえか!? 俺を殺す気か!?』
ルシアとマザー、アナスタシス。ダークブリングマスターと二つのシンクレアによる未だかつてないほどの争いが今、並行して行われていたのだった。
『何を言っておる! お主がいきなりエリーと……その、キ、キスをするのが悪いのだ! そんな話は我は一言も聞いておらんぞ!? 一体どういうつもりだ!?』
『な、何訳分からんこと言ってやがる!? 何でそんなこといちいちお前に言わなきゃならねえんだ!? 大体エリーを奪い返すように言って来たのはお前だろうが!?』
ルシアは立っているのがやっとの頭痛に耐え、息も絶え絶えに声を上げるもマザーは全く聞く耳をもたずヒステリックに騒ぎたてているだけ。癇癪をおこしている子供のような姿。しかもただ暴れるだけならまだしも頭痛を引き起こされているルシアはたまったものではない。そのせいで後一歩でムジカとレットによる襲撃を受けてしまうところだったのだから。何よりもルシアに向かってエリーを奪い返すように言って来たのは他ならないマザー自身。文句を言われる筋合いなどないとばかりにルシアは食ってかかる。
『っ!? そ、それは……だがそれは我……ではなかったお主にはエリーがどうしても必要だからであって……ええい、とにかくそれとこれとは話は別だ! とにかく我に何の了承もなくそんなことをするなど許すわけにはいかん!』
痛いところを突かれたからか戸惑い、口ごもりながらもマザーはついには逆切れ、開き直りを見せるだけ。もはや引っ込みがつかなくなってしまっていた形。このままでは本当に頭痛によって気を失うレベルに達しかねない事態にルシアが戦々恐々とするもあきらめかけたその時
『そこまでにしなさいマザー……もう戦闘が始まらんとしているのです。このままではアキ様の動きにも支障が出ます。アキ様が傷つくのはあなたの本意ではないでしょう? それとも私の再生があるからいいとでも思っているのですか?』
ぎゃあぎゃあと大声をあげている二人とは対照的に静かな、それでもその場を収めるようなアナスタシスの声が響き渡った。同時に二人は先程までの騒ぎが嘘のように静まり返ってしまう。それは本能。普段温和な、物静かな雰囲気を纏っているアナスタシスが本気で怒っていることを感じ取ったからこそ。マザーに向けられた言葉であるにも関わらずルシアも反射的に震えてしまう。
『そ、そんな訳はなかろう……! アキを傷つけさせることなど絶対に許しはせん! お前の再生などに頼る気はないぞ!』
『ならすぐにその汚染をやめなさい。過剰な干渉はアキ様の精神にも悪影響が出ます。そうなればどうなるかはあなたが一番よく分かっているはずでしょう?』
『な、何だか知らんが早く何とかしてくれ……!』
『く……わ、分かった……このぐらいで今回は許してやろう。だが次は無いぞ。よいな、我が主様よ』
アナスタシスの警告と言う名の説得によってようやく我を取り戻したマザーは渋々ルシアに対する頭痛を収めていく。とても自分がしていたことを反省しているとは思えないような捨て台詞を残しながら。悪いのはあくまでもルシアであり自分には非はないのだといわんばかりの態度。もっともそれがマザーがマザーたる所以なのだが。
『ハアッ……ハアッ……! て、てめえ……一体何様のつもりだ……』
『ふん、いきなりあんなことをするお主が悪い。そもそもどういうつもりであんなことをしたのだ。あんなことをせずとも力づくで奪えばいいものを……』
『う、うるせえな……それにあれはエリーを怒らせようと思ってしたんだよ。そうなればレイヴマスターも少しはやる気になるだろうしな……』
『なるほど……レイヴマスターを炊きつけるための行動だったわけですか……』
『ああ……結局失敗しちまったけどな……』
何とか命の危機を脱したルシアは息も絶え絶えに辺りの様子を伺うも既にレイナとジェガンは戦闘を開始しているところ。目の前にはハルとエリー、そして不思議生物三匹がいるだけ。自分がマザー達と騒いでいる間に事態が動いていることに驚きながらもルシアは何とか平静を装う。
(ちくしょう……どうしてこうなった……?)
ようやく頭痛が収まったことに安堵しながらもルシアはまたそれとはまた別の要因によって頭を痛めるしかない。それは先程までのハル達とのやり取り。半年ぶりの再会によるもの。ルシアにとっては避けて通れない一世一代の大舞台。ダークブリングマスターとしての自分をハル達に認識させ、敵対する関係を作りだすためのもの。ある意味ルシアにとってはもっとも重要なイベント。それ故にルシアは万全を期してこの場に赴いていた。
ダークブリングマスターとレイヴマスター、レアグローブとシンフォニア、DBとレイヴ。およそ考えられる設定の全てを利用しハルに正体を明かす。ハルがどんな反応を示すかを何通りも計算し、それに合わせていくつものパターンを用意するという涙ぐましい努力。まるで演劇の主人公を演じるかのように台本まで用意(もちろんマザー達には秘密)してこの日をルシアは迎えていた。だがその努力の甲斐あって全ては順調に進んでいた。多少予想外の流れはあったものの違和感なくハルと敵対できる流れをルシアは作ることに成功した……はずだった。
(何であのタイミングでエリーの奴、割って入ってくるんだよ!? おかげで全部台無しじゃねえか!? ちょっとは空気読めっつーの!)
ルシアはただ予想外のエリーの乱入という事態に圧倒されるしかなかった。ただ割って入ってくるだけなら特に問題は無かった。だがその態度と内容がむちゃくちゃだった。それは二年前まで一緒に暮らしていた頃と全く変わらないノリ。半年前に一度再会しているとはいえ明かされたルシアの事情を全くそれを意に介していないマイペースぶり。ルシアは気づくのが、思い出すのが遅すぎた。エリーが超がつく程の天然であったことを。空気を読むなどエリーにとってはもっての他。それを壊すことが彼女の本分。しかもそれによってハルまで妙な方向に傾きルシアと戦うことを拒否してしまう。事ここに至ってようやくルシアは悟る。自分がもっとも気に掛けるべきはハルではなくエリーだったのだと。どうにもならない窮地に追い込まれたことによってルシアは最後のカードを切るしかなくなった。ルシア自身にとっても諸刃の剣となるであろう原作でも起こったエリーへのキスという禁じ手を。文字通り自分の身を危険に晒すであろう行動であることを理解しながらもルシアは心を鬼にして(?)それを実行に起こした。その代償が先程までのマザーのお仕置きと言う名の頭痛。間違いなく過去最大級である痛みを覚悟しながらもルシアはそれ以上に呆気にとられることになる。
(っていうか何なんだよエリーのあの反応は!? あれじゃ全然意味ないじゃねえか! というか何で顔を赤くして恥ずかしがってんだ? あれじゃまるで……)
エリーの予想外の反応。泣き崩れることも、怒ることもなく顔を赤くするだけ。まるで恥ずかしがっているかのようなあり得ない反応にルシアはただ唖然とするしかない。もちろんルシアも原作と同じような反応をエリーが示すとは思っていなかった。それは原作のルシアが相手だったからこそ反応。一応顔見知りである今のルシアが相手ならあそこまでの反応を示すことは無いかもしれない。だがそれでも少なからず拒絶に近い反応は示して当たり前。何故ならエリーにとって先程の口づけはファーストキスなのだから。記憶喪失ではあるもののそれ自体は間違いない。それを奪われたにもかかわらずあの反応。いくら女心に疎いルシアであってもそれが自分への好意があるのが原因であることは理解できる。しかしその理由がルシアには皆目見当がつかなかった。
(まさか一緒に暮らしてたせいか……? い、いや……でも俺からは何のアプローチもしてないし、手も出してない! その手の話題も振ったことないし……だとすれば半年前にジークから助けた時か!? で、でも助けたぐらいでこんな風になるなんてことは……)
ルシアは思いつく限りの原因を記憶の中から探っていくもどれも決定打に欠けるものばかり。そもそもルシアはできる限りエリーには影響を与えないように二年間暮らしてきた。マザーやDB達については仕方がないにしてもルシアにとってエリーはハルの相手であり原作のヒロイン。それが崩壊してしまうことはルシアにとっては最もあってはならない事態。故にルシアは必要以上にはエリーに干渉しないスタイルをとっていた。後考えられるとすれば半年前のジークの襲撃。それからエリーを救ったこと。確かに理由としては考えられなくもないがいくら命を助けたといってもそれだけであんな反応を示すとはルシアには思えなかった。だがそれは
『……? お主は何を訳が分からんことを言っておる。エリーがお主からキスをされて怒るわけがなかろう。エリーはお主のことを好いているのだぞ』
『…………は?』
さも当然のことのようなマザーの言葉によって木っ端微塵に吹き飛ばされてしまった。
『な、何だその顔は? 何をそんなに驚いておる?』
『お、驚くに決まってんだろうが!? な、何でエリーが俺のことを好きなんてことになってんだ!? 冗談も大概にしろよてめえ! これ以上俺をおちょくりたいのか!?』
『お主こそ我を何だと思っておる!? 大体一目惚れだの何だのをエリーに聞かれたのはお主のミスであろうが! 何でもかんでも我のせいにするでない!』
『ひ、一目惚れ……? それって俺がお前に言った話のことか……?』
『それ以外の何がある……? ん? そういえばそのことはお主は知らなかったのか?』
『あ、ああ……初耳だけど……』
ルシアはマザーとの会話がかみ合わない理由が何であったのかをようやく悟る。かつてルシアがマザーにしたエリーに一目惚れをしているという嘘が実はエリーに聞かれてしまっていたということ。そしてマザーはルシアがそのことを知っているのだとずっと勘違いしていたこと。
『…………』
『…………』
そのままルシアとマザーはただ無言で見つめ合う。時間が止まったかのような静寂があたりを支配する。それがいつまで続いたのか
『……うむ、そういえばエリーから口止めされておったのをすっかり忘れておったわ。今のはナシだ、我が主様よ』
『な、なんだそりゃ!? 何でそんな大事なことさっさと言わねえんだよ!? じゃあエリーは俺が一目惚れしてると思ってるってことか!?』
『喚くでない、騒々しい……全く、今更何を恥ずかしがっておる。あれほど啖呵を切っていたというのに往生際が悪いぞ。ヘタレなのは戦いだけで十分だというのに……』
『い、いや……でもそれを聞かれてたとしてもエリーが俺を好きってことにはならねえだろうが!?』
これ以上にないほど狼狽しながらもルシアはマザーの言葉を信じることができない、いや信じたくはなかった。あの時エリーを保護するためにマザーについた嘘。
『自分がエリーに一目惚れをしている』
それをあろうことかエリーに聞かれていたという事態。だがそう考えれば納得がいくことがいくつかある。
『お主の目は節穴か? エリーが出て行かなくなったのはそれが原因なのだぞ。あと髪を伸ばしておるのはカトレアに対抗しておるからだ……まあエリーは秘密だのなんだの言っておったが十中八九それが理由であろう』
『そ、そうか……』
『まったく……何で我がわざわざこんなことを説明せねばならんのだ。エリーにバレれば何を言われるか分かったものではないな……そもそもお主が振られたというのが信じられん。一体何をすればエリーから振られるというのだ?』
『そ、それは……』
『ふん……エリーの肩を持つのはここまでじゃ。一年分のハンデもこれで帳消しということにしようかの』
やれやれといわんばかりの態度を取っているマザーとは対照的にルシアの顔は蒼白に変わりつつあった。様々な状況がマザーの言葉が真実なのだと告げている。その全てが正しいとは限らないが間違いなくエリーが自分に好意を抱いているのは疑いようがない。もしこれが何のしがらみのない状況なら一人の男として喜ぶべきこと。だがそれをルシアは喜ぶことができない立場にあった。エリーは原作のヒロインであり、並行世界を救うための存在。そしてハルの想い人であり、戦う理由。それを奪ってしまえば全てが崩壊しかねない。もとい今のルシアにはそんな余裕などこれっぽっちもなかった。ただ生き残ることで精一杯。とにもかくにもこの事態をどうにかしなければいけないと決意しかけた時
『話はまとまりましたか、お二人とも。どうやらレイヴマスターが動きだしたようですが……』
今まで余計な口を出すまいと控えていたアナスタシスがルシアに向かって進言する。同時にようやくルシアは我に返り改めて目の前に意識を向ける。そこにはTCMを手にしながらムジカとレットの援護に向かおうとしているハルの姿があった――――
「ムジカ、レット!」
ハルは迷いながらもその手にTCMを持ちながら二人の戦いに割って入らんとする。本当なら一対一の勝負に割って入ることはハルにとって心情的にしたくないこと。だがこのまま黙って何もせずにいることなどハルにはできない。戦闘が始まって時間はさほど経ってはいないもののムジカ達の方が劣勢であるのは火を見るよりも明らか。相手はあの六祈将軍なのだから。だがそんなハルの行動は
「どこに行くつもりだ、ハル? まさかこのまま俺が行かせるとでも思ってるのか?」
まるで瞬間移動したかのように目の前に現れたルシアによって阻まれてしまう。先程までの動きの緩慢さももはやみられない。その手にある剣でハルの進路を塞ぐようにルシアは立ち塞がる。かつてのキングにも似た重圧にハルは思わずその場に足を止め、立ち尽くしてしまう。
「っ! アキ、そこをどいてくれ! オレはお前と戦う気はねえんだ!」
「まだそんな戯言を言ってやがんのか。お前にはなくても俺にはある。ここを通りたかったら力づくで行くんだな」
「……! アキ……オレは……」
「……ふん、なら一つ約束してやる。もしお前が俺に傷一つでも負わすことができたら六祈将軍を止めてやる」
「なっ……ア、アキ……お前、本気でそんなこと言ってんのか?」
ハルはただルシアの提案の内容に驚愕するしかない。一つは六祈将軍を止めるということ。最高司令官であるルシアなら確かにそれは可能だろう。だが何よりも驚くべきはその条件。ルシアと戦い傷一つ負わすこと。単純な、あまりにも分かりやすい条件。それはつまり
「どうした。まさか俺にかすり傷一つ負わす自信もないってことか、ハル?」
ルシアはハルと戦っても傷一つ負う気がないということ。
その言葉によってハルの中に言葉にしようのない感情が生まれる。知らずTCMを握る手には力がこもり、表情は強張っていく。まるで自分には遠く及ばないと宣言されたに等しい言葉。それによってハルの中にあるアキへのコンプレックスとでもいえる深層意識が刺激される。
「ちょっとアキ、どうしてそんなことするの!? 早くあの二人を止めてよ、このままじゃみんな怪我しちゃうよ!?」
「…………」
見るに見かねたエリーがルシアに向かって声を上げる。本当なら先程のキスについて問い詰めたいところなのだが流石にそこは空気を読むことができたらしい。だがルシアはエリーの言葉に全く反応しない。いや反応しようとしない。完全にエリーのことを無視しているような状況。
「もう、どうして無視するの!? じゃあママさん、何とかしてよ! これ以上酷いことするならアキにママさんの秘密バラしちゃうんだからね!」
ルシアにいくら話しかけても聞いてくれないと判断したエリーはそのままマザーに向かって話しかけるも答えなど返ってくるはずもない。だが一瞬だけ戸惑うような光が輝いたように見えたものの見間違いだったかのように変化はない。エリーはなおもどうにかして事態を収めんとするも
「どうしたハル。そのままエリーに守ってもらうだけか?」
それはルシアの言葉によって終わりを告げる。瞬間、ハルの空気が変わる。その瞳には先程は見られなかった確かな戦う意志があった。
「アキ……さっきの約束、本当だな……?」
ハルはそのまま一歩一歩噛みしめるようにルシアの元に向かって近づいて行く。既にそこにはレイヴの騎士としての姿があった。いや、それだけではない。もっと単純な、それでも絶対に譲れない理由。
「ハ、ハル!? ダメだよ喧嘩しちゃ……プルーも何とかしてよ!」
『プーン……』
「エ、エリーさん……危ないですよ、早くこっちに来てください!」
「大丈夫ポヨ! ハルは強いポヨ!」
エリーたちはそんなハルたちを止めようとするもプルー達によってその場から引きずられていってしまう。後には互いを睨みあう二人の戦士が残されただけ。
「余計な邪魔が入っちまったが今度こそみせてもらうぜ。二代目レイヴマスターの力をな」
不敵な笑みを見せながらルシアは戦いの始まりを告げる。
ハルにとっては好きな女の子を守るための、ルシアにとっては世界の、そして自分の命運を賭けた戦い。
レイヴマスターとダークブリングマスターの戦いの幕が今、上がった――――