「面白そうな話だな。私も混ぜてもらっても構わんかね」
まるで影が形を為すように徐々にその姿が露わになって行く。全身が黒づくめの長身の男。男爵と言って差し支えないような風体と品性を感じさせる佇まい。何よりも目を引くのが頭に被っている大きな兜。男の姿とカボチャの形を模した兜のアンバランスさがこれ以上にないほど不気味さを生み出している。
『パンプキン・ドリュー』
その名が示すように夜を支配するに相応しい一人の王がそこにはいた。
「そ、総長……」
声を震わせながら微かな声でゴブは自らの隣にいるオウガに向かって声をかけるも既に冷静な判断力を失いつつあった。当たり前だ。目の前にいきなり侵入者が現れたのだから。だが問題はそこではない。ただの侵入者であったなら驚きこそはすれ怯えることなどあり得ない。しかし目の前にいる男、ドリューは違う。実際に目にしたことはないもののゴブは知っていた。ドリューがかつてのDC最高司令官キングと互角かそれ以上の実力を持っている怪物であることを。しかも今まさにドリュー達に向かって攻撃を仕掛けようとしたところ。間違いなくその話の内容まで聞かれてしまっていたはず。
「……ドリューか。一体どういうつもりだ? いきなりリバーサリーに来るなんて話は聞いてねえぜ」
自らの隣にいるゴブの動揺を知ってか知らずかオウガはどこか不敵な笑みを見せながら突然の来訪者であるドリューを出迎える。だがその一挙一動に隙が見られない。まさに戦闘直前、獲物を前にした獣が必死に自分を抑えているような空気が辺りを支配する。
「これは失礼した……何せ鬼神との初めての会合だったのでね。こちらから出向くのが礼儀だと思ったのだがどうやらタイミングが悪かったようだ。非礼を詫びよう」
紳士的な態度を見せるように一度目を閉じながらドリューは自らの行動を詫びる。だがそこにはオウガ同様一切の油断は無い。体から発せられている重圧を隠し切れていない。むしろそれを見せつけているかのよう。ゴブはその場に立っているだけで精一杯だった。ただそこにいるだけで気を失ってしまいそうな重圧。王たる者に相応しい力。爆発寸前の爆弾が目の前に転がっているに等しい悪夢のような光景がそこにはあった。
「ハ! 相変わらず気に食わねえしゃべり方をする野郎だぜ。まどろっこしいのは御免だ。さっさと用件を言いやがれ」
「ふむ……品がないのは変わらぬようだな。まあ鬼どもにそれを求めることが間違いだったな」
茶番はここまでと言わんばかりにドリューの纏う空気がさらに威圧感を増していく。それに呼応するようのオウガの重圧も既に限界を超えつつある。目は見開かれ体には無数の血管が浮き出ている。自分を、自らの種族である鬼を馬鹿にされたことに対する怒りによるもの。
「何、簡単な用件だ。お前達と同じ考えだというのが癪だが……オウガ、お前が持つシンクレアを頂き来たのだよ」
何でもないことのようにドリューは自らの目的を告げる。シンクレアの奪取という奇しくも今まさにオウガが行わんとしていたこと。そのためにドリューは自らの飛行船よりも早くここリバーサリーへと侵入していた。自分が飛行船にいると思わせた上での奇襲。時間帯が夜であることもそれが可能であった理由。夜の魔王であるドリューにとって今はまさに自分の力を完全に発揮できる時。敵の本拠地に一人で乗り込むという正気を疑う行動も自分一人で鬼神を壊滅させることができるという絶対の自信がある証拠だった。
「なるほどなァ……ってことは同盟の話も最初から嘘だったってわけか?」
「当然だろう。今のDCの力……特に新たなキングである金髪の悪魔の力はかつてのキングを超えるもの。お前達と組んだ程度で対抗できるのなら既に半年前に動いている」
「……随分調子に乗ってるみてェじゃねェか。日が出てるとこには出られねェ日蔭者のくせによ」
「ふっ……だが少々見直す点もあるようだ。詳しい事情は分からぬがこの要塞には利用価値があるらしい。頭が足りないお前達にはもったいない程のな。私が代わりに有効活用してやろう」
瞬間、凄まじい地震のような揺れが辺りを支配する。だがそれはただオウガが一歩ドリューに向かって近づいただけの動きによるもの。
「ごちゃごちゃうるせェんだよ!! 今すぐてめェの体を引き裂いてそのシンクレアをオレの物にしてやらああああ!!」
「同感だな。私もその間抜けな顔を見るのも飽き飽きしていたところだ」
この世の物とは思えないような咆哮をあげる鬼と冷静沈着な夜の支配者。あらゆる意味で対照的な二人の王。両者の胸に輝く二つの闇の頂き。
オウガとドリュー。そしてラストフィジックスとヴァンパイアの頂上決戦の火蓋が今、切って落とされた――――
「悪いが遊んでやろうという気は毛頭ない。一瞬で終わりにしてやろう」
先に動いたのはドリューだった。ドリューは自らの人差し指で宙に小さな円を描く。瞬間、そこから一本の剣が姿を現す。刀身も柄も全て漆黒に塗りつぶされている剣。
『宵の剣』
それがその剣の名。その名の通り闇属性の魔法がかかっている剣。宵の剣によってつけられた傷は決して癒されることはない。どんな傷も治すといわれる霊薬エリクシルですら例外ではない。そしてもっとも厄介な点。それは宵の剣による傷は夜が深くなるにつれて悪化するということ。まさに夜の支配者たるドリューを形にしたかのような武器。
「それがどうした! そんな剣でオレを殺れるとでも思ってんのかよ!?」
オウガは剣を握ったドリューを見ながらも全く恐れることなく突っ込んでいく。まさに特攻とでも言うべき愚直な突進。知性の欠片も感じさえない獣を相手にしているかのような光景。そんなオウガの姿にドリューはどこか憐れみにも似た視線を向ける。
「愚かな……身を以て知るがいい。『ヴァンパイア』の力をな」
宣告と共にドリューは無造作にその掌を接近しようとするオウガに向かって晒す。同時にドリューの胸元にある三日月を模した形を持つシンクレアが輝きを放つ。瞬間、見えない力がオウガに襲いかかった。
(っ!? 何だ、これは……体の自由が利かねェ……!?)
オウガは突然の事態に目を見開くことしかできない。いきなり自分の体の自由が奪われてしまったのだから。いや、正確には何かに引っ張られるように体がドリューに向かって吸い寄せられてしまう。まるで磁石のように。それがドリューが持つシンクレアの能力だと看破した瞬間
「終わりだ」
無慈悲な黒剣の一刀と宣言によってオウガの体は貫かれた。
「ガッ……!? ド、ドリュー……てめえ……一体何をしやがった……!?」
うめき声を漏らしながらオウガは自分の胸を見下ろすだけ。そこにはさっきまで遥か遠くにいた筈のドリューの姿がある。その手にある宵の剣が容赦なくオウガの胸、心臓に突きたてられている。まさに一撃必殺。宵の剣の効果を使う必要もないほどの一閃。オウガは何よりもその速さに驚愕していた。見えない力によって体の自由を奪われた一瞬しかオウガはドリューから目を離さなかったにも関わらず両者の距離をドリューはゼロにしたのだから。
「これが私のシンクレア、ヴァンパイアの引力支配の力だ。どんなに距離があろうと私は一瞬で距離を詰められる。残念だったな」
冥土の土産とばかりにドリューは自らのもつシンクレアの能力を明かす。
『引力支配』
その名の通り引き合う力、引力を自在に操る能力。それによってドリューはTCMの一つ、音速の剣を超える速度で動くことができる。加えて引力は自らだけでなく相手にも有効。それによってオウガは引き寄せられ体の自由を奪われてしまった。
引力によって相手の動きを奪い、一瞬で距離を詰め止めを刺す。初見であれば躱しようがない必殺の戦法だった。
「…………なるほどなァ……ますますそのシンクレアが欲しくなっちまったぜ」
相手がオウガでなかったのなら。
「何っ!? 」
ドリューは咄嗟に身を翻しながらその場を離れんとするもそれよりも早くオウガの拳が放たれる。完全に虚を突かれたドリューはそれを避けきれず拳を受けてしまうも頭に被っていた兜によってダメージを受けることなくその場を離脱することに成功する。だがその一撃によってパンプキンを模した兜は粉々に砕けその素顔が露わになってしまう。何よりもその表情は驚愕に満ちていた。ここに現れてから初めて見せるドリューの動揺。だがそれは当然のもの。
「へえ……妙な被りモンがない方が似合ってんじゃねえのか、ドリュー?」
何故なら確かに心臓を貫いたはずのオウガが全くダメージを受けていなかったのだから。それだけではない。傷一つ残っていないというあり得ない姿。いかにドリューといえども驚かずにはいられない事態だった。
「……どういうことだ。確かに私の剣は貴様を貫いたはず……」
「ガハハ! 流石のてめえもビビったみてえだな! これがオレのラストフィジックスの力。物理的な力を無効にする力だ!」
高らかに笑いながらオウガは自らの胸にあるシンクレアを手にする。それこそがドリューの剣で貫かれながらも無傷である理由。
『物理攻撃の無効化』
剣や銃弾、拳に至るまで物理的な衝撃、ダメージを完全に無効化する能力。それがラストフィジックスの力。持つ者に無敵の肉体を与えるに等しい最強の一角だった。
「物理無効……なるほど、シンクレアに相応しい能力だ。お前にはもったいない代物だな」
「ほう……随分余裕見せるじゃねェか? 分かってんのか? オレにはその剣が通用しねェってことだぜ?」
「ふん……お前こそシンクレアに頼りすぎているのではないか。確かにその能力は脅威だが手はいくらでもある」
「言ってくれるねェ……だがてめえこそ勘違いしてるみてェだな。見せてやるよ、オレの本当の力をな」
宣言と共にオウガが自らの拳を握る。瞬間、オウガが身に纏っている鎧が液体のように変化し、形を変えながらドリューに向かって放たれる。それは金の奔流。鎧を構成していた物質が純金である証。
「―――!」
ドリューはその光景に一瞬眉を動かしながら紙一重のところで金の波を回避する。だがその瞬間、凄まじい衝撃と威力が地面を抉って行く。粉塵によって視界が奪われるもドリューはその破壊力を正確に見抜く。もし避けそこなっていれば一撃で戦闘不能にされてしまう規模の攻撃。いや、そんな生易しいものではない。巻き込まれれば粉々にされてしまう暴力。
「驚いてくれたみてェだな。これがオレの力、究極の金属変化師『金術師』の真の力だ」
『金術師』
それがオウガのシンクレアではないもう一つの力。金属を操る力。銀術からさらに進化した力。絶対安定元素、金属の王である金を操ることができる者を示す称号。その強さは銀術の比ではない。金を扱うには銀とは比較にならない程の力が必要となる。だがオウガにはそれが為し得る。王に相応しい力を持つ証。世界に一人しかない金術師が今、その力を解放した。
「無駄だ! どんなに逃げたところでオレの金術からは逃れられねェ!」
オウガは自らの鎧の金を自由自在に操ることによって一気にドリューを追い詰めんとする。いかに素早い動きが可能な相手であって金術の動きはそれを捉えることができる。生き物のよう動き、自在に形を変えることができる金術に隙はない。例えヴァンパイアの力で金術を引き寄せたとしてもドリュー自身が追い詰められるだけ。それを証明するかのようについに金の波がドリューを完璧に捉える。オウガが己の勝利を確信し、最後の一撃を加えんとした時
「確かに少しはやるようだが……それでも私には届かん」
ドリューは身じろぎ一つしないままその場に立ち尽くしてしまう。完全に無防備そのものの姿。だが金術がドリューを飲みこもうとした瞬間、まるで弾かれてしまうように金術はその軌道を変えてしまう。圧倒的な攻撃力を持つ金術をまるでこともなげに受け流してしまう信じられないような事態。だがそれを為し得る力がドリューにはある。
「その力……それもてめえのシンクレアの引力ってわけか」
「無知なお前でもようやく飲み込めたようだな。だがこれは引力ではなく斥力。引力とは正反対の物体が離れようとする力。DBの力を百パーセント引き出せる私だからこそできるものだ」
お前に勝ち目はないと告げるかのようにドリューは種明かしをする。自ら周囲から物体を遠ざける斥力こそドリューのもう一つの力。それはオウガの金術ですら弾く程の強固な防御。ラストフィジックスの物理無効に匹敵する絶対防御。それがある限りオウガの攻撃はドリューには届かない。そしてドリューの剣もオウガには通用しない。故に戦況は互角。端から見ればそう見えるだろう。だがドリューには剣ではないもう一つの攻撃手段があった。しかしドリューは知らなかった。
「ガハハ! 確かに一人でここに乗りこんでくるだけはあるな。だが何か大事なことを忘れちゃいねェか?」
「……何の話だ」
「なぁに単純な話さ……てめえが今戦ってるこの場所はな。オレにとって最高のステージだってことだ!!」
自分が知らず、虎穴に入ってしまっていたことを。
瞬間、部屋がまるで息を吹き返したかのように動きだす。床、壁も、天井までもがオウガの力によって無敵の盾と矛へと姿を変えて行く。ドリューはようやく気づく。今自分たちが戦っている場所がどこなのか。ドリューが何とかその場から脱出するよりも早く全方位から逃れようのない規模の金の波が押し寄せる。
『ゴールドラッシュ』
ドリューを飲みこみ、圧殺してあまりある規模の範囲攻撃。周囲が全て金でできたこの部屋だからこそ可能な技。それは例えるならばホワイトキスを使ったレイナの銀術。だがその規模と威力は銀術の比ではない。
「ぐっ……!」
初めて苦悶の声を漏らしながらドリューは避けきれない金の弾丸を何とか斥力によって受け止めるもそれを許さないとばかりに次々に新たな金が襲いかかってくる。一度その場で動きを止め、斥力を使用してしまったドリューは動くことができず全ての攻撃を受けるしかない。斥力によって受け止め続けるも部屋全体にも及ぶ圧倒的な物量と力によってドリューは飲み込まれその姿が見えなくなっていく。まるで巨大な金の卵になってしまったかのよう。自分を潰してしまおうとする卵の殻の内側から斥力によってかろうじて身を守っている状態。ドリューはここに至ってようやく悟る。自分がオウガを侮っていたことを。敵の本拠地に奇襲をかけることによる危険を。
「ようやく気づいたか!? てめえは最初からオレの手のひらの上だったんだよ!!」
嘲笑いながらオウガは最後の力を解放する。何とか拮抗している金の圧力と斥力のバランスを崩して余りある力。破裂寸前の風船に針を刺すに等しい攻撃。それによって最後の均衡は崩れ去り凄まじい爆発が巻き起こる。部屋全体に及ぶ金による圧殺。いかなヴァンパイアの斥力でも防ぎきることができない力。後には何も残ってはいなかった。あまりの威力によって穴が空いてしまったシルバーレイの無残な姿があるだけ。
それがオウガの実力、そして地の利を得た金術師と相対したドリューの末路だった――――
「くたばりやがったか……思ったよりも時間がかかっちまったな」
首をポキポキと鳴らしながらオウガは目の前の惨状をつまならげに眺めているだけ。あれだけの戦闘を行いながらどこか物足りなかったといわんばかりの空気を纏っている。それに呆気を取られながらも二人の戦闘を離れた所から観戦していたゴブは我を取り戻しオウガへと走り寄って行く。
「そ、総長……だ、大丈夫なんですか!? ド、ドリューは……!?」
「うるせえな……粉々になったんじゃねえのか? それよりももっとシルバーレイを頑丈にできねえのかよ。おかげで穴が空いちまったぞ」
「む、無茶言わないでください……! 総長の全力に耐えられる船なんて造れるわけないでしょう!?」
「分かった分かった……ちゃんとコアは壊さないようにしただろうが。それにしてもこれじゃあシンクレアも海に落ちちまったかもな……ゴブ、さっさと他の奴らに探しにいかせろ」
オウガはゴブの小言にうんざりした姿を見せながらもシンクレアの回収を命じる。ドリューは粉々になったとしてもシンクレアが壊れることはあり得ない。なら先の破壊によって船外に、海に落ちてしまったはず。そのままオウガが面倒事は済んだとその場を後にせんとした時
「その必要はない。探し物はまだここにある」
地に響くような声が全てを支配した。
「――――!?」
ゴブは声を上げることもできずただその光景に目を奪われていた。シルバーレイにできた穴。そこから夜の闇とでも言える力が嵐のように吹き荒れながら一点に集まって行く。この世の不吉を全て孕んでいるかのような圧倒的な力。人の身では纏うことができない闇の力。だがそれを扱うことができる者がここにいる。
だがその姿は既に満身創痍。間違いなく先程の金術によって受けた、逃れようのない傷。だがそれすらも気休めにすらならない程の異形。男爵のようであった服装も、空気も既に消え去っている。体は鎧を纏ったかのような禍々しい物に変わり、爪は伸び、尾のような物すら生えている。だがそれこそが彼の真の姿。かつて人間に惹かれ、人間を怖がらせないために封じてきた禁忌の力。
「認めよう、オウガ。お前は私の全力でこの世から消し去ってくれよう」
『魔王』
魔界を統べるに相応しい力を持つ者にしか与えられない称号。それが夜の支配者パンプキン・ドリューが持つ恐れ忌むべき名だった。
「面白ェ……あのまま死んじまったんじゃ拍子抜けだったからな! いいぜ、そのゲテモノみてえな姿で何ができるのか見せてもらおうじゃねェか!」
「ひっ……ひいいい!!」
魔王となったドリューの姿に恐れを抱くどころか歓喜の表情すらみせるオウガとは対照的にゴブは悲鳴を上げながらその場から逃げ出していく。これから始まる戦いに巻き込まれればどうなるかを瞬時に感じ取ったからこそ。本能に基づく逃走。だがそれを咎めることができる者などいない。王の域での戦いには同じ王でなければついていくことができないのだから。
「見せてやろう、オウガ。『魔王』の力がいかなるものかその身を以て知るがいい」
死の宣告と共にドリューが手を動かし、唱詠を開始する。それこそがもう一つのドリューの力。魔法と呼ばれる超常の奇跡だった。
瞬間、辺りは闇に包まれて同時に凄まじい雷鳴と共に黒い雷が全てを飲みこんでいく。
『邪の雷鳴』
黒い雷を操る闇魔法。絶対防御不能魔法と呼ばれる魔法では防ぐことができない攻撃。その速さと範囲は何者をも逃がさないもの。
「魔法か……それがてめえの本気ってわけか。だが忘れたのか? オレにはシンクレアだけじゃねえ、金術もあるってことをよ!」
魔王に相応しい圧倒的な魔力の奔流と黒い雷に晒されながらもオウガは全く臆することなく吠える。瞬間、オウガの身を守るかのごとく金が舞い、オウガを包み込んでいく。凄まじい雷の攻撃もその鉄壁とも言える防御を突破できない。オウガは誰よりも理解していた。自らの持つシンクレア、ラストフィジックスの弱点が魔法であることを。魔法という物理ではない力こそが最も警戒すべきものであることを。それに対抗することができるのが金術。攻防一体の無敵の力。だがそれすらも魔王の力は覆す。
「――――」
オウガはその光景にようやく気づく。それはドリューがその手をまるで天にかざすかのように挙げている姿。同時に呪文の唱読が聞こえてくる。しかしそれはエコーがかかっているかのように二重の物。その意味をオウガは理解できずとも本能で悟る。ドリューが今の雷とは違う呪文を、魔法を使わんとしていることを。それこそがドリューの狙い。邪の雷鳴はオウガの目を逸らし、動きを止めるための物。真の狙い、それは――――
「塗りつける悪夢!!」
一瞬にして相手の体に入り込み中から破壊する闇魔法。魔法よりも呪術に近いものであり物理的防御でも、封印の剣でも防ぐことができない攻撃。同じ魔導士でない限り防御も回避も不可能な即死技。金術であってもその摂理からは逃れられない。逃れようのない深い闇がオウガを飲みこんでいく。それが魔王と呼ばれるドリューの、魔法の力。そしてここに決着がついた――――はずだった。
深い闇の中から確かな光が生まれて行く。塗りつける悪夢によって砕け散ったはずのオウガの姿がそこにはあった。だがそれはあり得ない。金術ではどうあっても闇魔法には対抗できない。ドリューは表情を変えることなくただその一点に視線を向ける。そこから圧倒的な力が溢れ出ている。まさに世界を変えてしまう、崩壊させてしまうほどの未知の力の奔流。
「焦ったぜ……まさかこれを使わされることになるとはな」
『ラストフィジックス』
五つの別れたDBの母たるシンクレア。その極みが今、解放されていた。
ドリューは静かに、それでも一切の油断なくオウガの姿を凝視する。大きくその姿に変化はない。だがまるでこの世の物とは思えないような力がオウガから、正確にはその肉体から発せられている。
「魔法をも無効化する力……それがそのシンクレアの真の力というわけか」
「ん? ああ、そう見えてもおかしくはねえな。だが正確にはそうじゃねえらしい。何でもゴブ曰く今のオレはこの世界で『特異点』とかいうもんになってるらしいぜ」
「特異点……この世界の理から外れているということか」
ドリューは平静を装いながらも戦慄していた。オウガが今発現させている力の正体が何なのかを理解したからこそ。
『特異点化』
それがラストフィジックスの真の力であり本質。物理無効化もその一部に過ぎない。その正体は使用者の肉体への世界のルール、理を捻じ曲げること。物理的なものはもちろん、それ以外、魔法を含めた全ての事象を捻じ曲げることで無効化してしまう神にも等しいDBの母たるシンクレアに相応しい力。だがその強力さゆえに使用者の肉体の範囲という制約がなければ力を発揮できないもの。屈強な鋼のごとき肉体を持つオウガでなければその反動に耐えることができず逆に飲み込まれてしまいかねない禁忌の力。並行世界の理を破壊することで現行世界に至るための力だった。
「小難しい話はよく分からねえがようは簡単だ。つまりこの世界の力はどんなものもオレには通用しねえってことだ」
オウガはその手にラストフィジックスを握りながら宣言する。それはまさに勝利宣言。今のオウガには物理はもちろんそれ以外のどんな力も通用しない。まさに無敵の肉体を与えられたに等しい強さ。だが当然ながらデメリットも存在する。世界のルールの書き換えという時空を崩壊させかねない力を扱うためには凄まじい力を消費する。いかにオウガといえども長時間維持することは困難を極める。最初から使用しなかったのもそれが理由。そしてもう一つが使用しすぎれば体だけを通して発現している力が際限なく広がり並行世界を崩壊させてしまうため。オウガの目的は世界中の女を自分のものにすること。それを果たすまで世界を崩壊させるわけにはいかないというのが一番の理由だった。だがオウガは知らなかった、否、忘れてしまっていた。単純な、そしてあまりにも明確な事実。
自分がラストフィジックスという闇の使者を持つのと同じように
「いいだろう……これを見せるのはお前が初めてだ。単純な力比べといこうか」
ドリューもまたヴァンパイアという闇の使者を手にしていることを。
「―――っ!?」
オウガは突如自分の周囲に起き始めた異常に目を奪われてしまう。まるで自分の目が可笑しくなってしまったかのように周りの景色が歪んでいく。蜃気楼のような光景と共に辺りの物体にも変化が生じていく。金でできている、金術師であるオウガの力が及んでいるはずの一画がひび割れ崩壊を始めていく。無事なのはオウガの肉体だけ。それ以外の周囲は世界の終わりのように無残に姿を変えて行く。まるでそう、全てが『圧縮』されていくかのように。その中心にはヴァンパイアを手にしているドリューの姿がある。
「驚いたかね。これがヴァンパイアの極み、『重力操作』の力だ」
『重力操作』
それがヴァンパイアの真の力であり本質。引力と斥力もその一部に過ぎない。ドリューは時空を構成する重要な要素の一つである重力を自在に操ることができる。この並行世界に存在している以上決して逃れることはできない絶対の力。しかしただの重力操作では今のオウガには通用しない。故にドリューは禁じ手とも言える操作を行っていた。それは圧縮。重力を一点に全て集中し圧縮すること。それによって重力崩壊を起こし、小さなブラックホールを作り出し全てを消滅させる。闇を統べるドリューだからこそ扱うことできる禁忌。重力崩壊によって並行世界を消滅させ現行世界に至るためのもの。次元崩壊という全てのシンクレアの根源に通じる力。
「ぬっ……! この程度でオレがやられるとでも思ってやがんのか、ドリュ―――!!」
重力崩壊と言う名のブラックホールに飲み込まれんとしながらもオウガは自らの特異点となっている力を以てそれに対抗する。この世界のいかなる力も通じない無敵の肉体であったとしても例外となる物は存在する。一つが魔道精霊力。エンドレスの対極の存在であり時空を破壊する力。そしてもう一つ。それは同じエンドレスから生まれしシンクレア。
その極み同士がぶつかり合う。ヴァンパイアによる重力操作とラストフィジックスの特異点化によるルールのぶつかり合い。その衝撃によってドリューとオウガの周囲だけが異次元へと至る。この世の終わりのような世界。現行世界と並行世界の狭間。だが互いの死力を尽くしたシンクレアの争いは凄まじい衝撃と紫の閃光と共に終わりを告げる。
結果は互角。互いに息を切らしながらも決定打には至らない。シンクレアを操る力においてドリューとオウガは拮抗している証。だが極みの応酬によって既にシンクレアには力は残ってはいない。しかしドリューとオウガはそのまま互いに向かい合いながら間髪いれずに構えを取る。奇しくもそれは全く同じ構え。両手を広げ相手に向かってかざす姿。そして構えと同じように両者の狙いもまた同じだった。それは
自らの切り札、奥義により相手を葬り去ること。
オウガはその手をかざしながら自らの周囲にある金から力を集めて行く。今まで金を操るために使っていた金術師の力を全て自らの両手に集中させ、増幅させていく。瞬間、オウガ体の周囲に見えない力が生まれて行く。
『絆の銀』
それは信じあう二人の銀術師が揃うことで可能な銀術の究極の技。全ての物理を超えた無属性魔法にも似た衝撃を生み出す奥義。銀術が進化した力である金術にも同様のものが存在する。だが決定的に違うこと。それはオウガは一人であっても発動させることができたこと。孤独な、それでも圧倒的な力を持つ鬼の王の威光を示すもの。
ドリューはその手をかざし自らの魔力の全てを両手に集中させながら呪文を唱詠する。魔導士以外には理解できない言葉の羅列。だがそれはこれまでの闇魔法とは桁外れの力を持つもの。
『禁呪』
あまりに強力すぎるため使用はもちろん習得すら禁止されている魔法。魔導士の間の暗黙のルール。だがそれは建て前に過ぎない。禁呪を習得できる存在など数えるほどしか存在しないのだから。それがドリュー。魔王であり闇魔法を極めた者。その魔法は全ての生き物から命を吸い取る魔法。闇の世界を作らんとするドリューの願いの具現。
「王の威光――――!!」
「黒き最後――――!!」
叫びと共に金術の究極の技と最強の闇魔法がぶつかり合う。互いの死力を尽くした奥義のぶつかり合い。その衝撃によってシルバーレイは凄まじい衝撃と金と黒、二つの光によって包まれる。
今ここに鬼の王と夜の魔王、二人の王の戦いの幕が落ちる。
そしてダークブリングマスターの悪夢が今、始まろうとしていた――――